隠される
髪のびたな。そうじゃな。いつもどこで切ってんだ。なんか、適当なところで。じゃあ俺の通ってるとこ来いよ。
「髪お綺麗ですね~」
事前診断の台で手櫛を通されながら、朔間先輩は控えめに微笑んだ。
「ありがとうございます、いちおう夜闇の魔王なので」
朔間零の笑顔にサロンの空気が1℃上がる。
なんとなく前髪を直した。後ろで俺の担当が笑った。俺は前髪を切りに来て、朔間先輩が先にシャンプー台に連れていかれた。
いつもの感じでお願いします。そう言ってから、やっぱり後ろも切ってもらうよう頼んだ。理由は言わなくても伝わったらしい。
心置きなく視線を左にやった。左、つまりひとつ隣の席で黒髪が断たれていく。
「この前のツアコン最高でした。ドラマで大変なのに、本当にすごいです」
「あはは、ありがとうございます。実はけっこうあっぷあっぷしてました」
「ええ~見えなかったですよ!」
スタイリストの熱い視線が注がれている。アシスタントのもだ。
やっぱりかっこいいっすね、とは俺の担当の談。そうだろそうだろ!
「髪って男の人にとっても命ですよね。朔間さんの髪、照明にあたって輝いてました。すごく綺麗……」
「食事に気を付けた甲斐がありましたね」
「やっぱり気を遣われてるんですね~」
刃の擦れ合う音をBGMに、先輩の回りを黒い花びらが舞う。
朔間先輩の髪は切られても綺麗だった。はらはらと、墨染の桜のような美しさ。
見とれていると、先輩の担当が俺の方を見た。
「……大神さんも気になります?」
「へっ?」
「気になるんだろ、晃牙」
朔間先輩が鈴の鳴るような声で笑って俺を見る。
俺は整えるだけなので早く済んだ。
ワックスつけます?お願いします。手慣れた指先が白いクリームを掬い、毛束を摘まんで立たせる。掬って摘まむ。無造作ヘアは、作られる。
「乾かしてから前髪切りますね~」
温風が朔間先輩の頭を襲う。指でかき混ぜて、根元から乾かす。
先輩の髪がつややかに舞う。白いうなじの上で死神の鎌のような毛先が跳ねている。ショートヘア。
えっ。
朔間先輩が俺を見た。はっとして、俺に笑いかけてから鏡に向き直った。
「前髪、やっぱり長めでお願いしていいですか?」
「大丈夫ですよ~」
帰り道。河川敷を、なんとなく一列になって歩く。
川は静かだ。空の薄藍色を溶かしたような色が、枯れかけた野草の間を億劫そうに流れていく。
「晃牙、晩はピザとろう」
先輩が振り向く。眉の下で揺れる前髪。
夕焼け色の瞳は笑ったままだ。
「スペシャルマルゲリータとダブルミートのコンボじゃ」
剥き出しのうなじはこちらから見えない。
風が冷えている。