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睦言

トリコは恋人が「好きだよ」と自分に愛を囁くときの、その顔が嫌いだった。

散々愛し合ったベッドの中、ベッドサイドの灯りがふたりを穏やかな色に照らすときに、トリコは「ココ、好きだ」と呟く。それは、愛しいココの身体を食らい尽くし、あるいは味わい尽くされた後に、自然とこぼれ落ちる睦言だ。ココのすべてを全身で感じたことへの感謝と、ココのすべてを己が支配していることへの満足感とが、言葉となってトリコの外へとあらわれるのだ。それが、ココとトリコが寝台を共にするときの恒例だった。それに対して、ココが「ボクも好きだよ」と答えるのも、恒例だった。お互いがお互いを愛していることを言葉でも確かめ合って、眠りにつく……そんな睦まじい戯れをする、ココの顔が、トリコは嫌いだった。
「トリコはいつかボクを好きじゃなくなるかもしれないけどね」と言うような、諦めきった顔だからだ。
「なぁ、ココ」
「なんだい」
「オレ、お前が好きだ」
そう言った途端、ココの眉が悲しげに寄せられていくのを見て、まただ、とトリコは思った。ココはまた、あの顔で「好きだ」と言おうとしている。
なぜ自分がココのその表情を嫌うのか、トリコは繰り返し考えてきた。
まるでココが自分のわがままに付き合っているかのように感じられるからか。違う。トリコはココにわがままばかり言っていると自覚しているが、応えるココはまんざらでもない態度でトリコ達に付き合ってくれる。
ならばココに弟扱いされることに憤っているからか。これも違う。兄弟分の立場を超えて、恋仲の関係になることを選んだのは他ならぬふたりだ。普段食べ物のことばかりのトリコが無い知恵を絞って、ようやく思い至ったのは、庭に出てからココが見せるようになった「諦め」の表情だった。
毒人間だから、とココは繰り返し言う。毒人間だから、近づくな。毒人間だから、生き物は近寄れない。毒人間だから、お前に愛される資格はない……。
だから、トリコは、ココがトリコの心離れを憂えているのではないか、と考えたのだ。

 今日もココは「ボクもお前が好きだよ」と諦めきった顔で言う。
昨日までのトリコは、ココに何も言えなかった。愛を身体で示せば解ってもらえると思っていたからだ。けれど、ココの憂いは根深い。憂いを言葉で否定しなければならないほどに。
だからトリコは、幼さの残る両手で恋人の肩を掴み、
「オレは絶対にお前のこと嫌いになんねーからな」
と言った。トリコは思いのほか自分の声に怒りが滲んでいたことに驚いた。
対するココは、ぞっとするほどの無表情だった。

トリコがそのまま口を閉ざすと、ふたりは瞬きすらせず対峙した。
「……そうか」
小さな声でその沈黙を破ったココは、曖昧な笑顔を浮かべ、そっとトリコの手を払った。
恋人の温度を残したトリコの掌の向こうに、もはや睦言はひとかけらすら残っていなかった。 

ココが美食屋を引退する、2ヶ月前のことだった。

 

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