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彼らの見解


 彼女たちの見解ならぬ彼らの見解



「その雑誌ならうちにあるぞい」
 自分と彼氏の愛の巣を「うち」と言える零の純粋さに舌を巻きつつ、薫は「じゃあ今から寄らせてもらうね」と荷物を手早くまとめた。
 雑誌を使う仕事が明日に迫っていたのもあるが、愛の巣……零と晃牙の部屋に興味があったのだ。いつのまにか同棲していたふたりは片や棺桶暮らしの長い吸血鬼、片や細かいことはやりたくないと言いつつ部屋の掃除に余念がない一匹狼。お互いのテリトリーさえ守れば快適な共同生活を送れそうだが、テリトリーの境界線があやふやになるのが同棲だという。そしてそういう状態で苦労するのは晃牙に違いない、と晃牙の部屋に何度かお邪魔した薫は考えた。
 相棒として朔間さんの無体は止めなきゃなぁ、と考えるうちに愛の巣に向かう列車が停まった。改札の外は小春日和でうららかだ。最寄駅からは徒歩。朔間さんもタクシーに乗らない。
 そうしてたどり着いた愛の巣は、どこにでもありそうなマンションの普通の角部屋だ。
「ここがあの男のハウスかぁ」
「良いところじゃろ?」
 北向きで、と零は付け加えると鍵を開けた。狼とコウモリのキーホルダー付き。バカップルかよ。
「朔間さん晃牙くんのこと好きなんだ……」
「よく言われるぞい。さて、ようこそ我が家へ。雑誌はどこにしまったかのう」
 この言いよう、まさか晃牙くんが力尽きて汚部屋化してたりして……。
 零に続いてダイニングに立ち入り、薫は大声を上げかけた。
「すごい片付いてるね!?」
「さっきから何気に失礼じゃないかえ」
「ごめん、いやでも綺麗だね……もっと散らかしてると思った」
 主に朔間さんが。
 薫はしげしげと辺りを見渡した。ローテーブルと大きなソファが目立つ。逆に言えば、それ以外は何も目立たない部屋だ。男の下宿にありがちな洗濯物の山だとか使ったままの掃除機だとか、蓋を失くした塩胡椒の容器、打ち捨てられたマフラーなんかが見当たらない。もっとも物が少ない訳でもなく、零が愛飲しているらしき薔薇の香りの紅茶や薔薇ジャムが電気ケトルの隣に並んでいる。
 晃牙くんが片付けてるのかなぁ……。だが、零は薫にソファを勧めると迷いのない手つきで戸棚の引出しから目当ての雑誌を取り出した。他人に片付けをさせているなら収納場所を探すところから始めるはず、ということは零も意外と家事をするのだ。
 掃除しなさそうな朔間さんが。する習慣がなさそうというか、実家ならばあやとかメイドさんがしてくれてそうな朔間さんが、小物類をちょっとお洒落な籠にいれたりしている。ちょっと吸血鬼っぽくない。
 ……と、薫はレオンの姿が見えないことに気づいた。晃牙の部屋にお邪魔したときはいつも纏わりついてきたのに、今日は足音ひとつない。
「わんこがドッグランに連れて行ったぞい。もふもふしたかったかや?」
「う~ん、そっかぁ……残念」
 どうも晃牙が昼前から散歩がてらに連れ出して遊んでいるらしい。こっちに越してからたくさん仲良しができたのだとか。飼い主に似てレオンも友達が多い。
 お茶飲んで待つかえ?と聞かれたが、どうせ晃牙が帰宅すれば即ラブラブだろう。馬に蹴られる趣味はなかった。
 代わりに心ゆくまでダイニングを観賞した。
「別に変わったものはないと思うんじゃけども……紅茶でも淹れようかのう」
「お構いなく~」
 薫が鞄から水のボトルを見せて断ると、零はふらふらとキッチンに消えた。気を使わなくてもいいのにと思ったが、なぜかトマト系の良い匂いが漂ってくる。
 お腹減ったのかな、朔間さんも普通の男の子らしいところあるじゃん。
 相棒の珍しい様子ににやにやしていると、その相棒が手招きするのが見えた。
「なに? ……ミネストローネ?」
「出掛ける前に作り置いてくれたようじゃな」
 零が鍋蓋をそっと上げると、大きな鍋にたっぷり……ゆうに2日分はありそうな真っ赤なスープが現れた。
 具沢山で、厚切りのベーコンが見え隠れしている。見るからにおいしそうだ。
「わんこ、カレー以外も作れたんじゃのう? こんなに小さく野菜を刻んで、おぉ、うちのこすごい……☆」
「これサイズ揃えようとして刻みすぎたんじゃないかなあ」
 自分で前髪切るみたいに……とわざと意地悪に付け足すと、零はもう一度鍋を覗き込んでニッコリと笑った。「すごい上にかわゆいのう」
 零の方が1枚上手だ。
「そうじゃ! せっかくだから薫くんも食べていかぬか」
「えっ、いやいいよ悪いよ」
「若者が遠慮などせんでよい」
 零が大きなスープ皿に注いで薫に差し出す。
「いや晃牙くんに悪いからさぁ!」
 薫は焦った。
 晃牙の行動パターンは犬みたいに単純なのだ。こんなに豪華なミネストローネは薫も晃牙の部屋で飲んだことがない。つまりこれは真夜中の撮影を労うために、零の体を温めたい晃牙が大張り切りで仕込んだご馳走スープだ。それを薫に口をつけられたと知ったら、晃牙は怒髪天を突くだろう。
 お母さん的カノジョを見つけるまでは死にたくない。見つけてもだけど。
 だが……。
「あ~もう、じゃあ一口だけね!」
 軽く10回は断っても零が押し付けてくるので、薫はとうとう諦めて受け取ってしまった。空きっ腹には抗いがたい香りだったのだ。
 一口だけ。晃牙くんゴメン。
 えいやとスプーンを口に入れて、薫はおもわず目を見張った。口いっぱいに広がるトマトピューレとベーコンの濃厚な旨味。脂身までおいしいのは良い肉を使っているからだろうか。野菜もたっぷり入っていて、玉ねぎと人参がスープに懐かしい甘さを加えている。くったり煮込んだキャベツは舌で溶けるほどやわらかく、単調になりがちな舌触りにセロリの触感が変化をつけていた。コショウは控えめ。スープの味付けをしながらくしゃみをするシェフを想像して、薫は口の中で笑った。
「……おいしいね」
「じゃろ」
 恋人を褒められた零が、くふふ、みたいな締まりのない笑い方をした。
 今日は珍しいものばかり見るな。俺は朔間さんの相棒なのに知らないことばかりだ。
 でも、と薫は思い直した。朔間さんの素顔は珍しいものまみれかもしれない。俺たちが『朔間零』の偶像を作り上げて、分厚い色眼鏡越しに、この人を見ているから。
 そして晃牙くんだけが、昔から朔間さんの素顔を追い続けている。
「たくさんお食べ」
「それより、聞いていいかな」
「なんじゃ?」
「朔間さん、嫌いな野菜とかある?」
「……うむ?」
「あ~、ないなら別に。魚は好き? 豆類は?」
「…………この前食べた、あの前菜は苦手かのう。白身魚も少し……豆類はどうじゃろう」
 プロフィール帳でも作るのかえ?なんて懐かしいことを聞かれて、薫は似たようなものかなと答えた。
それから色んなことを聞いた。好きな色は? 最近ハマってるアーティストは? 運命って信じる? 小学生の頃クラスの女子から回されたような質問を、ぽんぽんと零に投げていく。零も何か察したのか、キッチンの壁にもたれ掛かり、夢見る少女の声音で運命を信じるよと言った。
「それじゃあ最後の質問です!」
「うむ。なんでも聞いておくれ」
「言ったね。ーー晃牙くんのこと、好き?」
「す、……」
 そっとうつむいた零の、耳がゆっくり色づいた。
 ……なんかいいなぁ。
 朔間さんと晃牙くん、恋人やってるんだなぁ。
 惚れた腫れたが今いちわからなさそうな朔間さんが、晃牙くんが好きだから片付けしてる。晃牙くんも、朔間さんのためにおいしいごはんを作ってる。いいカップルじゃん。
 ふたりの幸せを喜ぶ気持ちの片隅に、少しだけ寂しさが混じっていることに薫は気づいている。学院時代、黄昏れる俺を連れ帰ってくれた晃牙くん。意外とおいしいごはんを食べさせてくれて、癒されろよってレオンをモフらせてくれた。自分もライブで忙しくて、ふたり分のごはんを作るほどゆとりがあった訳じゃないのに。これは恋愛感情ではないけれど、あの具の少ないミネストローネを飲めないのか、とか、未練がましい気持ちが胸の内側を薄く覆う。
 スープと一緒に消化できたらいいけどね。薫はあえて他人事にして、二口目を掬った。すると……
「羽風先輩きてんのか~?」
……お約束というか、晃牙がレオンを抱えて帰宅した。
「…………」
「ああ~~」
 晃牙の金色の瞳が薫とスープに交互に向けられた。笑顔がどんどん険しくなる。
「晃牙くんほんとゴメンまだ一口しか食べてないから! 朔間さん雑誌借りてくね! それじゃ!」
 むっつりと黙り込んだ晃牙の横を通り過ぎると薫は決して振り返らずに玄関に走った。
 晃牙くんめちゃくちゃ怒ってる。俺のせいじゃないからね。
 靴を履いたらこのまま脱出を決めるつもりだったが、踵を入れたところでダイニングのドアが開け放たれた。
「おい!」
「あ~~ゴメンほんとゴメン、俺が無理言って食べさせてもらっただけだから! 朔間さんは悪……」
「食べてけよ。最後まで」
 ぽかんとする薫から、目線を逸らして晃牙が続ける。
「……あの人、妙に嬉しそうだし。俺も一緒にメシ食いて~し」
 久しぶりに、メシおごるぜ。

「……うん。ご馳走になろうかな」
 いつのまにかすぐ傍まで来ていた晃牙が、薫にレオンを渡した。
 知らない世界でたくさん遊んだレオンは太陽の匂いがする。黄金色の毛はモフモフ。
 薫はぎゅっとレオンを抱いた。

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