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独占権主張ちゅう

 8月末の夕方の雰囲気が好きだ。
 薄水色の空に溶け込むあいまいな雲。もう少しだけ昼までいたがるそれは穏やかでちょっと哀愁漂ってて、80年代ロックという感じがする。きつく吹く風は秋そのものみたいに涼しいし、なぜか10時のオヤツに出てくるパンの匂いがする。10時のオヤツのパンとは、そういうパンだ。食パンでも菓子パンでもない、大人の手のひらサイズの色白のパン。
 思い出すと食べたくなった。頼りない甘さの素朴な味だった。10時のオヤツは中学校に上がるとなくなってしまったので、かれこれ10年近く食べていない気がする。
 無意識のうちにオヤツのパンの口をした晃牙の唇に、ふかふかの何かが当たって離れる。
 ちゅっ。
「晃牙、ひま」
 ふかふかの正体は朔間先輩。
 の、唇だった。
「……っ、なんだよ、先輩」
 急に現実に引き戻されて、晃牙は慌てて格好をつけた。
「じゃから、ヒマ」
 朔間先輩は晃牙のカッコつけを見透かすように頬にキスした。ちゅっ。続けてちゅ、ちゅっと首筋にもいくつか落とし、甘いくすぐったさが肌に残る。
「これっ」
先輩が晃牙を怒ったのは仕返しに甘噛みされたからだ。しかも喉。謝る代わりに舐めると仰け反って、あ、と声帯を震わせる。捕食される間際の恍惚に似た嬌声。
興奮して喉が渇いた。座卓の上のコップを取ろうとして横取りされる。「このっ」のせられた晃牙が朔間先輩を押し倒すと、桃色の唇はつんと尖って晃牙を待った。潤んだ目で見つめられる。
「こうがぁ」
 誘ってんのか。晃牙は胸をせつなくしながら顔を近づける。
 きゅっ。
 ……きゅっ?

「おなか、鳴ったのじゃ」
 見下ろした朔間先輩は恥ずかしそうにお腹を撫で、晃牙の下からそそくさと抜け出した。晃牙が呆然とする間に台所に行って冷蔵庫の中身を物色する。
「何もないんじゃけど。……っおぉう!?」
 ふくれっ面で晃牙に抗議した朔間先輩は、抱きすくめられるとすぐに目尻を蕩けさせた。晃牙と向かい合ったまま、おずおずと背中に腕を回す。
「すまんのう、慣れないことしたようじゃ」
「パン相手じゃしまらね~な」
「ぱっ……早く言わんか!」
「いてててて」
 絞め殺すのは勘弁してくれ。言おうとして、キスで唇を塞がれた。
 甘い。おもわず緩む口元。「我輩だけでよいのじゃ」強気の舌が捩じ込まれた。

冒頭練習

「1学期より背ぇ伸びた!」
 と、喫茶店に来るやコーヒーも頼まずに報告するものだから、零は目の前の後輩を生温かい目で見つめた。
「うっ……んだよ、マジなんだからいいだろ。アイスコーヒーひとつ」
「サンドイッチもおくれ」
 アンティークの家具を揃えたこじゃれた店内のいちばん奥の席には、晩夏の光の代わりに美しいシャンデリアが輝いている。まわりの席には誰もおらず、入口に近い2席でそれぞれ恋人が見つめ合うのみなので、はつらつとした晃牙の声はよく通った。
 零の最近の楽しみは、ここで『朝食』のコーヒーを飲みながら後輩の学校の話を聞くことだった。後輩、つまり晃牙の放課後に待ち合わせしてコーヒーとか軽食を奢るのだ。なかなかじじくさい楽しみだが、アイドル活動の息抜きだから問題ない。今も晃牙は零の注文から「長話OK」のサインを受け取り、注文を受けて立ち去るウェイトレスには目もくれずに話し出した。
「1センチ伸びたんだけどよ。1センチって、けっこ~でけ~よな」
「そうさのう」
「ふふん、そうだろそうだろ。あんたを見下ろすのも時間の問題だな!」
「我輩の背がこのままじゃったらな」
 はっ、と晃牙が顔色を変える。
「まさか伸びてんのか……?」
「まさか」
「だよな~!」
 自慢気に腕を組んだまま晃牙が笑う。それに零は曖昧な笑みを浮かべて応えてみせた。
 このかわいい後輩は気づいていないらしいが、背の伸びる時期は成長ホルモンの出る時期と一致している。成長ホルモンのいちばん出る時期は12歳から17歳であり、晃牙は成長期を過ぎているのだ。これ以上身長が伸びることは期待できそうにないし、伸びたとしても残り4センチ近い差を埋めることはできないだろう。
 真実を告げることが常に最良の選択である訳ではない、と実感した零は、代わりに晃牙の頭を撫でる。
「うわっ、なんだよ撫でんじゃね~よ! 抜かされるのがそんなに悔しいかよ!」
「そうではない。……おぬし、別の急ぎの用事があるじゃろ。身長測定の結果を報告するためだけに息せき切ってここに来た訳ではあるまい」
 零の腕を振り払おうと必死になっていた晃牙は、零の言葉に図星を差されておとなしくなった。幼さの残る眉間に皺を寄せて、どう切り出そうか悩んでいるようだった。
 晃牙の大先輩は、晃牙に無理難題をお願いされても引き受けられるよう、キッと居住まいを正して待った。
「実は……」

 ☆ ☆ ☆

夜が明るすぎる

アスファルトが湿っていた。梅雨のせいだった。朝から降ったり止んだりを繰り返して、濡れる地面すら今の小雨が何度目の小休止か誰もわかっていないようだった。そんな雨で濡れた表面が信号の明かりに潤んでいた。緑色をしているのに青と呼ばれる信号が黄色く変わり、赤信号がずっと長く点灯しているので、壊れたんじゃないか、ここを通る車はどうなる、と思ううちにまた緑に変わった。車は来なかった。広い世界の小さな日本のさらに小さな街の駅前ロータリーに面した道を、通りがかる運転手などいない。
時刻は午前1時を回ったところで、闇の奥へ奥へとのびる車道を、晃牙は横断歩道の手前から見ていた。
「飲み足りねーな」
「もっとビール入れるか」
「ウソだろ、オレ腹タプタプしてんだけど」
聞き馴染んだ声が3つ、居酒屋の前にたむろするのを背中で聞いていた。この声によく似た、がなり立てるような泣き喚くようなコーラスに混じって何年経つだろう。晃牙が誘われて入ったバンドはヒットチャート常連になり、地元のライブハウスはファーストライブのフライヤーを誇らしげに飾っている。今度地元の公園で野外ライブをすることになったので、その練習帰りにこうして飲みに来ているのだ。
「ラーメン食って宅飲みしよーぜ!」
「いいねぇ」
Dr.が晃牙と肩を並べて顔を覗き込んだ。頷くと、目を細めて「晃牙もいいってよ!」太い腕を振る。眇めたつり目の、濃い紅色だけがよく似ていた。思い出さない。深い痛みが蘇り、晃牙の胸に掻きむしりたくなる違和感を残して消えていく。
思い出さない!
横断歩道を4人で渡る。思い出さない、この3人は晃牙がアイドルをしていたことを忘れている。アイドル量産工場で夢を追い続け、夢と決別した大神晃牙はここにはいない。音楽番組でかつての同期とすれ違う度に、俺達こそが音楽だという顔の仲間の隣で、晃牙だけが同輩を愛し子と呼んだ男の影を見る。歌に、振り付けの癖に、魂を焚きつけるリフの端々に。なのにここにもいない、アイドルにもならなかったのに、どこにいるんだよ朔間先輩。
思い出さない!
「30なったら無茶できねーだろなぁ」
「まだ25だろ」
「一瞬だって。成人式きのうだったろ?」
「やっべーライブ中に老衰で死ぬ!」
「死なねーって」
「肝機能くらいは壊すよな」
「飲みすぎて?」
「最高じゃん」
「そうそう、ライブやって飲んでライブやって……永久機関、なあ、晃牙」
そう笑いかけられたとき、向こうから赤い外国車がやってきた。慌てて身を乗り出した。歩道の晃牙には目もくれず、壊れた信号にも徐行せず、車は一度も止まることなく深い闇の中を奥へ奥へと進んで小さくなった。
もう届かない。

1

晃牙は固唾を飲んだ。朔間先輩がつまらなさそうに封筒を見た。真っ赤な顔でその封筒を差し出したのは晃牙で、封筒は黒地に銀の十字架を散りばめコウモリのシールで封をした、正真正銘のファンレターだったからだ。朔間先輩先輩の白い指先がシールの縁を剥がしていく。ゆっくりゆっくり、もったいぶるように桜色の爪がつやつやのコウモリを追い立てて、慌てたコウモリはプラスチックの羽と体を先輩の爪に覆い被せた。それどころか離さないとばかりに人差し指にしがみつくのだから、晃牙はコウモリがうらやましい。「これ」「はっ!?」「やる」晃牙が顔を跳ね上げると、朔間先輩が悪戯そうに笑って指差してきた。「え、な、」「テメ〜の目は節穴か? これだこれ」「シール、すか」「俺様の眷属だからな、丁重にもてなせよ」ん、と目の前に差し出されたコウモリを、晃牙は震える指で慎重に剥がす。緊張すんなよと言うように紅い目が笑っていたけれど、粘着面が剥がれる度に微かに揺れる指先に張り詰めないでいることなんて不可能なのだ。「取れたな。じゃ、さっさと帰れよ」「はっ、ハイ! 失礼しゃす!」晃牙が膝に額のつきそうなお辞儀をして出口に向かい、ふと振り返って朔間先輩を拝もうとしたとき、既に先輩の姿は見当たらなかった。「…………?」部室を見渡してもどこにもいない。代わりに窓が開いていて、吹き込んだ桜の花弁が落ちた先には封筒ひとつ。便箋代わりに、風に乗って差し込まれた。

 

 

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