夏の香りのする傍まで
晃→零補完
青い空!
白い雲!
輝く太陽に青い海!
そして芋洗いのごとく人(主に女)のひしめくビーチ……。
「帰りて~……」
アイドル養成学校2年生の大神晃牙は、カラフルな水着に身を包んだ女性がキャアキャアと砂浜に群れ為しているのを遠目に見ると、今日いちばん大きな溜め息をついた。
晃牙の通う夢ノ咲学院の裏はちょっとした海水浴場だ。毎年ここに泳ぎに来る人はいるが、今年は学院のアイドル達が夏の初めにショーを開いたのもあって大盛況。アイドルを一目見たい客ばかりかアイドルのいた砂浜と同じ場所を歩きたい(!)と訪ねてくる女性も後を絶たず、隅にできたばかりの海の家も慢性的な人手不足らしい。
別に来るのはいいが帰り道ですれ違うたびに騒がれるのは厄介だ。地元民はそのあたり弁えているというか単に慣れただけかスルーするのに、海帰りでテンションの振り切れた女どもは馬鹿みたいにギャーとか奇声を上げて近寄ってくる。吸血鬼ヤロ~は「人気商売じゃから愛想よくせよ」とか言うが、マナー違反に優しくしてやる義理はないだろう。
「あっ、すいませ~ん」
「あぁ? ……ほらよっ」
足元に転がってきたビーチボールを無造作に投げ返す。少し空気の抜けたそれを受け止めた女性は晃牙――のアイドル科の制服――に気付いて傍らの女性に耳打ちした。晃牙はうるさくならないうちに離れて浜辺近くの並木に身を隠す。
暑いし磯臭いしうるさいし、晃牙も好きでこんなところに来ている訳ではない。とっとと学校に戻って、クーラーの効いた部室で趣味のギターでも弾いていたい。けれど……。
晃牙は木陰から顔を出すと、そっと海の家の方を窺った。頭上からは鼓膜を破りそうな蝉の声、海の家からは女どもの黄色い悲鳴。暑さも相まって殺人的なBGMだ。さざ波の繊細な音色を掻き消すそれらをなるべく無視し、耳をそばだてれば、
「トロピカルかき氷と竹炭ブラック焼きそば、お待たせしたぞい♪」
「おぉうっ、ご注文かえ? なんじゃ? うさぎ……? あぁ、浮き輪もここでレンタルちゅうじゃよ♪」
「我輩にフランクフルト? ありがとう嬢ちゃん、気持ちだけいただこうかの♪」
芝居がかった話し方の、この上ない美声が聞こえてくる。
「なにやってんだよ、アイツ……」
テイクアウトカウンターで笑顔を振りまく夜闇の魔王にして自称吸血鬼、晃牙の所属ユニットUNDEADのリーダー・朔間零の監視が――大神晃牙の任務だった。
晃牙は昨日の夜のことを思い出す。
『1日店員~?』
『はい、朔間先輩の知り合いのところでなんですけど』
早々と秋の風が吹く晩夏の夜。夕食後の暇つぶしに本屋に入り、たまたま漫画新刊コーナーですれ違ったところで葵兄弟に出くわした晃牙は、信じられないというようにふたりを問い詰めた。
『1日店員って……流星隊とテメ~らだけか?』
『6,7人集まればいいって話だったんで』
『俺様とアドニス呼べばい~だろ』
ひなたとゆうたは困ったように顔を見合わせる。
『えぇと、まぁ、色々と訳があって……。そういう訳で、朔間先輩も明日は朝から海の家に詰めてるから部室にはいないって、大神先輩に伝えとけって言われました』
『吸血鬼ヤロ~は働かね~のに?』
『ひっ』
『俺様を除け者にしやがって……』
相変わらず失礼なクソヤロ~だ。
晃牙の地を這うような声に怯えた双子は、とにかく伝えたからと言い残し、そそくさとレジに向かっていった。ひなたの方は単行本を山のように抱えていたのに、呆れた速さだ。
『なに企んでやがる、クソ吸血鬼』
絶対におかしな真似は許さね~からな!と心の中で吼えた晃牙は、明日の予定を急きょ書き換えた。
……そういう経緯でここに来てみれば、あんのじょう吸血鬼ヤロ~が1日店員やっていたのだ。
「あのヤロ~、【海賊フェス】でさんざん迷惑かけといて懲りてね~のかよ」
今日は屋根のあるところで活動しているから日差しは直撃しないものの、目の前の砂浜は暴力的な眩しさだ。携帯を確認すると時刻は午後1時、いつもの吸血鬼ヤロ~の活動時間からは大きく外れている。時折呆けてはかぶりを振って意識を取り戻すのも、本調子でない証拠だ。自殺行為。
「……ッ」
その瞬間、ぐらりと視界が揺れた。膝から崩れそうになるのを樹木に寄り掛かって耐える。自殺行為――春先の公開処刑のこと。いいやあれはあからさまな挑発に乗ってしまった自分が原因だった。見え見えの罠に引っかかり、吸血鬼ヤロ~まで道連れにして、一度ならず2度までも朔間先輩を【処刑】してしまったのだ。青ざめた先輩の横顔、震える身体、物言わぬ唇は死人のように白く噛みしめられ、血の色の瞳は愚か者を責める価値もないとばかりに逸らされていた。愚か者の自分は無力どころか大好きな先輩を害する存在で――あんなことは繰り返してはいけない、そう思ったのに。
「朔間先ぱ――」
「大神晃牙くんですよねっ!?」
咄嗟に振り返ると、ビーチボールを抱えた女性と数人の連れが緊張の面持ちで佇んでいた。少し空気の抜けたボールに見覚えがある。喜びと期待の入り混じる視線にあぁ俺様かUNDEADのファンかと気づく頃には周りを囲まれている。
「わ、わたし、ファンなんです! UNDEADの!」
「わたし晃牙推しでっ」
「握手してくださいっ!」
「ぐ、うぅ」
離れろ近寄んな触んじゃねぇ俺様は女とは慣れ合わね~主義だ!
数人がかりでの絶え間ないアプローチから逃れようとして初動が遅れる。吸血鬼曰く「人気商売じゃから愛想よくせよ」。コイツらマナー違反だろでもピラニアの水槽みたいなところに飛び込んだ俺にも非がある何より邪険にしたとこ見られて吸血鬼ヤロ~に失望されたくね~!
逡巡する間にピラニア包囲網は狭くなり続け、容赦なく息を詰められる。女の群れに締められて窒息死とか洒落にならない、と思わず目をつぶったとき。
「――その辺にしてやってくれんかのう」
芝居がかった話し方の、この上ない美声が、神の啓示のように晃牙を救い出したのだった。
☆ ☆ ☆
「…………」
「おまちどおさま」
「…………」
「……顔をお上げ、わんこ」
しぶしぶ顔を上げると、啓示を与えた神もとい朔間零が、向かいの席で整った顔に微笑をたたえて晃牙を見つめていた。
「おぬしの好きな牛串じゃよ、たんとお食べ」
海の家らしい真っ白な紙皿に焼き立ての牛串が3本も置かれていた。こんがりと焼かれた香ばしいタレの匂いが鼻をくすぐる。晃牙はつい手を伸ばし、指先が竹串に触れそうなところで我に返って引っこめた。
「……食えね~よ」
「そうかえ? では我輩が」
「……っ!」
「フリじゃよフリ♪ 食べたければ遠慮してはいかんよ」
そう言いながら吸血鬼の手が皿に伸びるので、慌てて串を回収してから晃牙は赤面した。ノせられている。
「……いただきます」
――ずいぶん寂しいところだな。
1本目をぺろりと平らげ2本目に横から齧り付いた晃牙は、目だけ動かして辺りを見渡した。
簡易ベッドに小型のキャビネットが目と鼻の先にあるほかは、家具らしい家具は見当たらない。晃牙が使っているのもパイプ椅子とパイプ机だ。従業員の休憩室兼救護室という感じだが、コンクリートを流したままの床が冷たい雰囲気を出していた。テラスの歓声は調理場に続くドアに遮られて届かないし、明かり取りの小窓から漏れる日差しすらずいぶん遠い。砂浜の真ん中にあるのに、この薄暗がりは夏から取り残されたみたいに隔絶されている。
こんなところにいたら接客にも出たくなるよな……。
そう思いながら独りぼっちの吸血鬼を見ると、ふと目が合う。
「わんこは優しい子じゃのう」
ドキッとした。考えを読まれたかと思ったが、続く言葉は「後輩の様子を見に来たのじゃろう?」だった。晃牙は牛串を味わうフリをして視線を逸らす。
「2winkのふたりは大活躍じゃよ。お客を楽しませることに関してはそこらのアイドル顔負けじゃ。元々の仕事である接客仕事も満点じゃし、午後からも何か企画しておるらしいのう。お客さんもアイドルも楽しめるのだとか。まったく、一を頼めば十どころか百にしてしまう子らじゃよ」
まるでひなたとゆうたがそこにいるかのように、吸血鬼ヤロ~の穏やかな目がドアの向こうを見つめる。
「調理補助で火傷しないかとか流星隊と仲良くやれるかとか、心配はいらんようじゃのう? むしろこの砂浜の誰よりも楽しそうで、満ち足りていそうで……我輩も混ざりたくなってしまう。我輩こそ陽光と仲良くやれずに火傷するのにのう?」
そう言ったきり目を閉じた吸血鬼の心を、晃牙は想像できない。
だって太陽はいつも晃牙の味方だったからだ。いくら孤高の狼を気取っても晃牙は他の人間と同じ時間を生きることができて、夜闇の魔王はそこに足を踏み入れることができない。世界中をあんなに飛び回って人間の役に立っていても、優しくした人間から誤解され嫌われてしまう。夜闇に生きているから。晃牙と朔間零の生きる世界は違うから、晃牙は朔間零を助けられない。
……本当に?
「吸血鬼ヤロ~……」
「まあ、要するに独り寝は寂しいということじゃ」
気持ちを切り替えるように笑顔を向けると、吸血鬼ヤロ~は最後の牛串を利き手でパッとさらった。
「あっテメ~!」
「ふふん、油断大敵じゃ♪ もともと我輩の昼食じゃったし1本くらいよかろ♪」
そう言いながらもぐもぐと牛肉の塊を平らげていく。
「それなら先に分けとけよ!」
「だって落ち込んでるおぬしの前でこれ我輩の昼食っていただける雰囲気じゃなかったんじゃもの」
「ぐっ! くっそ~、心配して損したぜ」
「まあまあ」
「何がまあまあだよ」
「おぬしの優しさはちょうど入用だったんじゃよ」
「……なんだよ。この手」
この、俺様の両手首を掴んでやがる手は。
吸血鬼ヤロ~は晃牙を捕まえたままパイプ椅子のすぐ傍に回り込むと、晃牙の両脇に手を差し入れて持ち上げた。「はぁ!?」抗議の声を上げさせる間もなくベッドに放り投げる。
「ななな何入ってきてんだよ!?」
真っ白な空きスペースに入り込んできた吸血鬼ヤロ~を晃牙はパニックになって見つめた。
明らかなシングルベッドに男子高校生が2人も乗るのだからぎゅうぎゅうだ。吸血鬼ヤロ~の吐息どころか体温まで感じる距離に、心臓が晃牙の胸をドンドンと強打しまくる。
「午睡じゃ」
しかし吸血鬼はいつも通りだ。
「午睡、って俺様も強制参加させんのかよ!」
「強制?」
「いや強制だろどう見ても! タオルケットまで掛けやがって、俺様を壁とテメ~とで挟んでたら逃げらんね~だろ~が!」
「ふむ……?」
「俺様は――」
そこで、吸血鬼ヤロ~に制止された。
少女のように柔らかそうな唇が、あふ、と欠伸を漏らす。
「我輩が外に出ぬよう監視しにきたのじゃろ?」
「…………」
「じゃろ?」
「…………」
「…………」
「…………寝る」
壁の方に寝返りを打つと、背中から忍び笑いが聞こえてくる。
……すう、すう。
「やっぱ眠いんじゃね~か」
ものの数分で寝こけた吸血鬼ヤロ~の寝顔に、晃牙は忍び笑いをひとつ返してやった。
笑われたのに起きない。子犬みたいにくうくう寝て、どっちがわんこだよとおかしくなった。
このままじゃ日の入りまで起きね~だろうし、帰ってもいいだろ。
そう頭ではわかっているが、吸血鬼をひとり部屋に残して出ていくのは躊躇われる。子犬な朔間零を想像すると犬飼いの血がざわざわしたのだ。
……黒髪に黒の大きなコーギー耳、意外に似合うと思う。
「ば、馬鹿か俺様は。妄想で暇つぶしするなら寝りゃい~んだよ」
しかし眠くない。1年の頃に憧れた先輩を目と鼻の先にして熟睡できるヤツがいたら、肝が据わっているどころか無神経なんじゃないかとすら思える。要するに大神晃牙は緊張している。
仕方ないので、晃牙は寝ころんだまま吸血鬼の寝顔を観察した。
相変わらず青白い肌に、顔のパーツが整然と並んでいる。正解でもあるのかというくらいの配置だ。パーツひとつひとつが洗練されているのもあって、晃牙には人間の顔のお手本に見える。細く整えられた眉、薄い目蓋、ときどき震える睫毛、真っ直ぐ通った鼻筋、ふっくらとみずみずしい唇。それらから力が抜けるとこんなにも、
「…………こうやってると、何も変わらね~んだよな」
あどけない。
何も変わってない。
晃牙は、今になってようやく気付いた。かつて世界中の人間から愛され、今も世界中の人間を愛し続ける男は、あの頃から年相応の寝顔をしていた。晃牙も何度か見たことがある。昼休みに駆け込んだ軽音部室で、デッドマンズのライブの前の控室で、冬の中庭の温室で。わざわざ棺桶の外に出てきて眠るなんて、あの頃の晃牙には思いがけないところで出会える嬉しさ半分不思議半分だった。理由はわからないけれど、嬉しかったのだ。
朔間先輩だって同じだったに違いない。誰かの近くで、大好きな人間の存在を感じながら眠れて嬉しい。誰かに会いたくて、愛しくて仕方ない人間が通りがからないか期待して眠る。
年相応の、人間が恋しい吸血鬼の求愛行動。
なんて単純で、だからこそままならない行動原理。
ふと、耳元の白い花に目がいった。
ハワイの写真でよく見る花だ。癖のある黒髪に映える。
――寝返り打ったら潰れるよな。
そっと手を伸ばして指先で摘まみ取ると、淡い香りが鼻をくすぐった。夏の香りだ。夏は過ぎ去って秋になる。
夏の花を枕元に置こうとして、ここだと自分が潰しかねないと気付いた晃牙は、あれこれ考えた末に自分の両手の平に載せた。両手はお腹の上に置いておく。
まるで棺桶で眠る吸血鬼みたいだ。
くすぐったくなって目を閉じる。
「おやすみ、――」
朔間先輩と呼んだのか、吸血鬼ヤロ~のままだったのか。
覚えていない。不思議とすぐ寝てしまったから。
ただ、夏の花の香りがしていたことは覚えている。
夏が冷たい暗がりで寝息を立てるような、かすかさだったけれど。
おかげで眠りに落ちる直前、あの人の夢にも届いてるとい~よななんて、柄にもないことを考えてしまったのだった。
☆ ☆ ☆
「先輩またキッチン入るの? 体いける?」
「無理しなくて大丈夫ですよ~捌けなくなったら戻るし……って、あれ? お花萎れてません?」
「あぁ……良いのじゃよ、これはこれで」
「「?」」