またたく夜
肌寒さに身を縮こます秋の夜更け。
大神家のベッドの森に生まれたままの姿で迷い込んで、息を潜めて横たわって1時間。
「わんこ~我輩お腹が空いたのじゃけども」
事後の気だるい空気を情緒なく破ったのは零だった。
「んだよ……」
「お・な・か・が空いたのじゃ」
真夜中のワガママに、寝ぼけ眼の晃牙が顔をしかめる。せっかく自室のベッドで恋人に腕枕をして(いつもは棺桶に迷い込むが、そこに腕枕のための空間はない)良い夢を見ていたのに、と据わった目が言っていた。
けれど吸血鬼の小さなお腹が空くのも仕方がないのだ、と零はきゅうきゅうのお腹を抱えて言い訳する。
「やはりハンバーガーはセットにすべきじゃった」
家に着くなり睦み合ったから、晩御飯は放課後の買い食いだけ。何度も体位を変えての『捜索』に、ハンバーガーと野菜ジュースでは役不足だ。
「……もう11時だろ、寝ろよ」
「まだ11時じゃ」
「っばか……あしたのあさな……」
寝たら空腹も忘れんだろ。
言外にそう言って、晃牙の手が零の細い腰を抱き込む。決して離さないとばかりに腕の力は強いのに、指先は駄々を捏ねる恋人にやさしく触れて、まるでガラス細工扱いだ。自分が晃牙にとってキラキラ輝く美術品なのだと言われたようで、夜闇を総べる魔王はまんざらでもない。
「むう……」
まんざらではないけれど、お腹は空いた。
「イジワルするならわんこを食べてしまうぞ~?」
「……っ」
言うが早いか晃牙の首筋にかぶりつく。しょっぱい。肉の味なんてせず、代わりに獲物の恋人が肌を震わせる。
どうじゃ、痛いじゃろう。
してやったりの顔で恋人を見ようとしたら、大きな手に黒髪をかき混ぜられた。
「こもりうた、うたってやんぞ……」
聞き分けのない子ども扱いか。
ふくれっ面をしてみると、長い前髪をそっと掬われる。
「あ……」
視界が開けて見えたものに、零はつい見入った。
幼さの残る輪郭に囲まれて、ひときわ目立つ2つの瞳。愛おしさに満ちたハシバミ色が、夜の帳の向こうで揺れている。
とろりと零れそうなそれは瞼に隠されたり現れたり……
固まる零にふと近づいて……
「おやすみ……」
「――っ、……おおう?」
とうとう今度こそ、瞼が瞳に覆い被さった。
「おっ、お~い」
「…………」
「わんこ~、朔間センパイじゃよ~?」
「…………」
「我輩達の時間じゃよ~?」
「…………くぅ」
すこやかな寝息。
「……オオカミなんて嘘じゃろう?」
そう唇で拗ねてみても、ついたため息は幸せ色をしていた。
「……ばかもの」
――おおきな手のひらで、そっと瞼を下ろしてくるのが悪かった。
眠りに落ちる直前の、晃牙の仕草を思い出す。そっと瞼を下ろして、おやすみのキス。いつも強請って強請ってようやく貰えるのに、こんなときだけさりげなく頬に落とすのだ。こどもにするみたいだ。だけど晃牙は零の最愛の恋人で、おかげで瞼も頬もまだまだ熱が引きそうにない。
……恋人。好きで、好きになられた相手。
「仕方ないのう……」
わんこの我儘をきいてやるかのう。
そう嘯いて、零はいつの間にか剥いだ布団を引き寄せた。……代わりに晃牙の足がはみ出た気がするが、自分の脚を絡めてやればいいだろう。
足指でなぞった晃牙の足の冷たさに、秋の深まりを感じる。
「明日は早起きして、とびきり美味しい朝食をつくるのじゃぞ? ミネストローネとスパニッシュオムレツと、生ハムサンドじゃぞ?」
せっかくだから襟足の寒々しい首にも抱き付いて、耳元に朝食の希望を囁く。すっかり寝こけた恋人は、「……くぅん」と寝言で返事して、やっぱりオオカミなんかじゃない。
「フルーツを切るくらいなら我輩も……指切ったら眩暈しちゃうから止められそうじゃな?」
……くぅ、くぅ。
「ククッ……はやく明日にならんかのう」
おやすみのキスの仕返しは、唇にした。ちょっとだけ長く、愛を込めて。零の頭の中にはとっくに幸せな朝食が出来上がっているから、そのお礼だ。
そして、瞼を下ろす前にもう一度だけ、恋人の顔を見つめる。……零の我儘も知らない、あどけない寝顔。
――ガラス細工みたいにキラキラしていているのは、おぬしに向けられる愛じゃろう?
目を閉じれば瞼の裏にガラスの欠片が瞬いて、子守歌みたいにキラキラ輝きつづけていた。