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LOVE WOLF Op.

『wish star』の続きというより蛇足

 

 

 月が綺麗ですね。
 新月を過ぎたばかりのこの夜に言われたので、零はお酒を丁重に辞退して帰ってきた。
「だいたい我輩まだ10代なんじゃがのう……明日でハタチになるけれども」
 吸血鬼らしく夜道を闊歩する。目指す根城は駅から徒歩数分、1Kユニットバス付きの好物件だ。
 外付けの階段を上る前に郵便受けを覗き込む。アパートらしい簡素な箱に、『朔間零様』宛の黒い封筒。
「なんじゃ? ……『朔間零様:お元気ですか、俺は元気です。誕生日記念ライブのチケットを同封いたします。絶対においでください。大神晃牙』」
 ぱちくりと目を瞬かせ、封筒を逆さに振った。細長い紙が零の手の平に舞い降りた。
 手作りのチケットの真ん中で、強そうな狼が笑っている。



LOVE WOLF Op.



 日付変わって2日の昼下がり、某所。
「で、行くんだよね?」
 長い脚を組み替えると、零の相棒は強めの口調で問いかけた。
「う、うう……」
「行かないつもりなの!? この期に及んで!?」
 身を乗り出した勢いでパイプ机が揺れる。けっこう大きな音がしたが、ふたりきりの楽屋に様子を見に来るスタッフはいなかった。
「信じられない……朔間さんにこそ首輪が必要でしょ」
 ため息を吐いた薫の喉に首輪が嵌められている。鈍い銀色に光る、晃牙がユニット衣装で着けているそれとは違うデザインだ。零の両手首には同じ色の手枷が光り、『束縛』という新曲のテーマが端的に表わされている。
 今日は音楽番組の収録で、零と薫は小さな楽屋で出番を待ち続けている。備え付けのテレビが番組の模様を中継しているので眺めてライバルを分析していたはずだが、MC中の雑談で「晃牙からチケットをもらった」と言ったのが迂闊だったらしい。
「行かぬとは言っとらん。観るのが怖いだけじゃ」
「ホントかなぁ……後ろから着いてってあげようか?」
「けっこう」
 ふふ、と薫の苦笑が鼓膜をくすぐった。駄々を捏ねる子どもを大人が見守るようなそれに、零のプライドが少し傷つく。
 別に単なるライブなら喜んで観に行ったのだ。零の誕生日に自分のライブに招待するのが晃牙らしくて面白いし、晃牙の披露するものなら退屈するはずがないから。問題は、その後で告白の返事をしなければいけないことで……。
「あっ」
 思い悩む零を尻目に薫が鞄を漁りだした。
 紙のチケットホルダーを取り出し、掲げ持ったのは近隣のテーマパークの夜間限定ペアチケット・ディナーショー付き。
「誕生日おめでとう。これプレゼント、こんど晃牙くんと行きなよ」
「お膳立てすごいのじゃ……」
 これで自分が晃牙をフるつもりだったらどうしたのだろう。そんなことありえないとハナから決めつけているのは表情でわかった。
「受け入れたら? もうキスとセックスが増えるだけだよ」
「…………」
 テレビの向こうでは一昔前のバラードが流れ始めていた。親世代のヒット曲がカヴァーされ、若い世代に評判だという。命を受け継ぐという人間の営みが、吸血鬼の零にはひどく眩しい。
 チケットを受け取る瞬間、手枷の鎖がかすかに音を立てる。金属の擦れ合う音は切ない音色をしている。冷たさとかたくなさを感じさせる、零の心を長らく覆っていた檻の音。


 じきにふたりの出番が来て、零は開場時間の2時間も前に仕事から解放された。
 恋の行く末を心配した薫にわざわざ夢ノ咲学院前駅方面のホームにまで付き添われる。
「素直になりなよ、朔間さん」
 大きな手が零の背中を電車の中へとぐいと押し込み、顔の横で控えめに振られる。後輩想いの相棒が電話を耳に当てる姿が遠ざかる。晃牙に電話でもしているのだろうか。電車に揺られ、見知った風景が見え始めると、零の頭から愛しい後輩の姿が離れなくなる。
 学院前駅で降り、鼓動に合わせて坂道を上りきる。開場1時間前。秋晴れの空はまだ夕暮れの気配も感じられず、陸上部の掛け声が響き渡る。
「おい、あれ……」
 昇降口の生徒が零を認めて連れ合いに耳打ちする。
 日傘を短く持ち、正門から人目を避けて移動すると中庭が見えた。幸いなことに人がいない。長い坂道で疲れたのもあって、零は石造りの噴水の淵に腰掛けた。
「はふぅ……」
 溜め息を吐きながら校舎を仰ぐ。洋風の格子窓の並ぶ壁に西日が掛かり始めている。中庭に落ちた影は植え込みに覆い被さり、日差しを浴びすぎた緑を落ち着かせようとするようだ。去年までは毎日のように眺めた美しい景色に、甘い記憶が呼び起こされる。
「わんこ、ここで頭を抱えておったのう……」
 零の愛しい若狼。
 1年前、ロックフェスで組むユニットを探して奔走するも、1つの心当たりを残して見つけられずに途方に暮れていたのだ。その心当たりにも仲間だからと遠慮していた。
 晃牙は優しい子だ。自分を省みなかった零のことも、気にかけて追いかけてくれるくらい。吸血鬼の魔力で従えられたのに、いつの間にか自分の意思だけで想いを還しに来てくれた。
 だから零は満足すべきだった。追いかけ追いかけられる、唯一無二の魂の繋がりだけで。
「おぬしの恋心まで貰おうなどと、欲が深すぎるのう……?」
 のう、晃牙?
 頭の中で問いかけた相手は笑いも怒りもせず、細い鉄格子越しに零を見つめている。
 檻の中に囚われているのは自分だ。晃牙が鍵を差し込み、自ら扉を開けたそこを今、零は動くことができない。晃牙に失わせるものが多すぎる。血脈も名声も、晃牙が青春をかけて追い求めてきた未来すべてが崩れ去ってしまう。
 ……それを天秤にかけるほど、朔間零に価値はない。


 いつまでこうしていただろうか。
 噴水の流れに耳を澄ませていた零は、ゆっくりと腰を上げると開場時間に合わせて講堂へ向かった。敷地からは丁度良い塩梅に人が捌け、入口に馴染みの顔を見つけただけだった。
「嬢ちゃんはモギリかえ?」
 頷かれる。
「このチケットは、嬢ちゃんが?」
 首を振られる。
「そうか、晃牙が……ありがとう」
 ぜんぶ、大神くんです。
 ちいさな声で告げられた事実を反芻しながら、零は講堂の扉を開く。勝手知ったるままに座席を探すとやはり最前列の中央席だ。SSランクの特等席。晃牙の目の奥まで覗き込める。
 舞台を見上げたところで照明が落ちる。観客が零ひとりだけなら開演時間はあってないようなものだろう。
 静寂に支配される。
 覚悟を決める。

 これが終われば、晃牙をフろう――そんな覚悟。
 愛する晃牙を守るために。


 ☆ ☆ ☆


『おい録ってんじゃね~よ!』
『え~? どこかのバンドがやってたじゃん、オープニング用に』
『使うとしてもユニットが違うだろ~が!』
『それもそっか。ゆうたくん、羽風先輩と乙狩先輩呼んできて~』
『なんでそうなんだよっ!?』

 オープニング代わりに流れはじめた雑談に、零は目を白黒させた。
 放送事故だろうかと訝しんだ瞬間、
『これこれ、そう怒るでない』
自分の声が聞こえてくる。
『つ~か打ち合わせだろ、【ハロウィンパーティ】の』
『これが一番の打ち合わせでしょ~ピロピロっと♪』
 晃牙のギターの音にゆうたのキーボード、アドニスのオカリナが混じる。軽快なドラムスは去年の零だ。薫がタンバリンを弄りながら『これってモテないよね~』とぼやく声まで拾われている。
 雑然とした、楽しそうな環境音に陽気な色の照明が点灯する。……誕生日パーティにふさわしい雰囲気作りだ。
「朔間先輩」
 晃牙がいた。
「誕生日、おめでとう。……プレゼントっつ~のも変だけど、良い機会だし俺様のライブを観ていけよ。いずれ世界一になる俺様の、貴重なデビュー前ソロワンマンだ」
 舞台の端から覗き込むように……深淵の魔物に挨拶するみたいに、晃牙に仁王立ちで見下ろされた。不思議な感覚だ。遠くから見守るでも隣で煽り合うでもない。ここから晃牙は与え続け、零は受け取り続けるのだと教えられている。
 夢見がちな照明が紫一色に変わった。晃牙がギターを構えた。節くれだった指が弦をひと掻きする。オープニングが止まり、聴きなれた旋律が夜闇をさざめかせる。
 魔物の誕生を言祝ぐ歌――『Melody in the Dark』。
 銀狼が吼えた。
「……ッ!」
 獣もかくやの迫力に仰け反ると、零はあわてて床を踏みしめた。
 隙をつくように六弦が鳴り響く。続く歌声。零のパートが荒々しい遠吠えに歌いこなされ、凶暴なリードギターが夜闇を切り裂いた。
 弾き語りを想定しないコード進行と4人分のボーカルパートにさしもの若狼も苦戦を強いられるようだ。しかし晃牙には零に見込まれた才能――血のにじむような努力をいとわない粘り強さがある。より凶悪に、魔王のための宴にふさわしくアレンジされた旋律を弾き終えると、恐れ入ったかと言わんばかりの表情で零を見下ろした。
「震撼しやがれ吸血鬼ヤロ~!」
 長らく呼ばれずにいた名が零の魂に爪を立てる。小さな狼に失望と苛立ちを与え、決して外れない首輪を嵌めさせたのは零だ。そんな自分がいつまでも晃牙を縛り付けていいのか。去年何度も自問し続けたことが頭から離れない。
 零の苦悩を振り切るように晃牙が叫ぶ。息さえ止まるような夜を見せてやると、スポットライトの紫光を浴びながら。
 演奏は2番に移った。2年生の晃牙が『一番かっけ~感じにするんだよ!』と毎日遅くまで練習していた音節がこの上ないグルーヴ感で奏でられる。こなれた演奏はけれど小奇麗にまとまっている訳ではない。載せきれなかった感情を音の粒に溶かし、零に恋い焦がれた胸の熱さや切なさまで聞く者に届ける。
 歌の合間に晃牙が笑う。苦しそうに。
「……っ聴き漏らすなよ先輩!」
 聴き漏らすはずがない。耳を塞ごうとしても狼の咆哮が指の間から鼓膜を殴るのだ。強く美しい狼、音楽の申し子。零の手に余る元気で地獄の果てから吸血鬼を追いかけてきた男。躊躇いもせず零の心の奥を暴き、その魂の輝きを紅い瞳に焼き付けさせた。零にそうされたように、大神晃牙という存在を零の魂に刻み付けるために――。

 間奏を抜けラストのサビを歌いきると、晃牙は海賊フェスの楽曲を奏で始めた。荒々しくも美しい海賊の姿がハードロックで描かれた良曲だ。照明が一度落ちた後は『ハニーミルクはお好みで』の甘い歌声が潮風でひりつく頬を慰撫してくれる。続く『Darkness 4』では獣の吐息の聞こえる闇夜を1匹の狼があてどなく歩く。晃牙の足元を照らしていた照明は月明かりから秋の陽光へと姿を変え、晃牙の奏でる軽やかなリフが太陽に向かって走り出した。『DESTRUCTION ROAD』、荒野を駆ける魔物たちの歌に零は童心に返る心地だ。
 多彩な5曲を終えてもMCは挟まない。開演直後に聴いたばかりの打鍵音が鳴り響き、UKロック調にアレンジされた『Melody in the Dark』が始まった。
「叫べ喚け飛べぇ!」
 焼けついた喉が擦れた咆哮を上げる。
 声が枯れたらギターで繋ぐ。煽られるままに歌詞の続きを大声で歌い、刻まれるリズムに合わせて体を揺らし、零の全身に歓喜が満ちる。その度にステージの晃牙と目が合う。破顔する。1年前に舞台裏で見た晃牙の、決して零には向けられない無邪気な笑みがここにあった。
 ――晃牙が欲しい。
 口を突いて出かけたその言葉に、零は一瞬立ち竦んだ。零だけに捧げられた凶暴な旋律にも、わずかだが戸惑いが混じる。
 拳を振り上げた。視線を交わす。流れを取り戻すようにリフが複雑になる。 
 零は諦めるためにここにいるはずだ。だから気のせいにする。ぜんぶ忘れる。
 ここで晃牙から貰った恋を、夜に溶かして心から追い出してみせる。
「……っこうが」
 弦が煌めいた。秋の西日のように。夜空の星のように。忘れられない光が零の心を照らして檻を溶かしてゆく。
 心は閉ざせない。晃牙が欲しい、すべてを知りたい、この音色を自分だけのものにしたい!
(そうだ、ようやく素直になれた)
 俺の心を捕らえたこの音色が、いつか他の誰かに向けられるなんてありえない。晃牙の恋心だって魔王からは逃れられないのだ。逃げさせない!
「晃牙――」
 両手を伸ばす。
 きらきら輝く狼が、まばゆい光を背負う晃牙が吸血鬼の腕に飛び込んだ。
 想い人の体温が零の体を焦がす。
 好きだ、と叫んだ声は、熱い唇に塞がれた。


 ☆ ☆ ☆


「……好きだ、晃牙」
「おう」
「大好き」
「おう」
「愛してる」
「おう……」
「だから――機嫌直しておくれ?」

 ライブ後、満天の星空に抱かれた下り坂。
 いつかの夜みたいに横並びで歩きながら、零は恋人の顔を覗き込んだ。
「……直るかよ」
 あんな、恥ずかしいこと……。
 晃牙が先ほどの珍事を思い出して耳まで赤くする。
 果敢にも吸血鬼目指して客席に飛び下りた狼は、熱い抱擁と口づけで想い人の腰を砕けさせた。そこまではいい。ライブをやる者が一度は憧れる、ステージからのダイブだ。
 問題はそれを、担任の椚先生が見ていたことだ。
『ほどほどにしておきなさいね』
 訳知り顔でそう言った椚先生は、講堂の貸出終了時刻だけを告げると後方の扉から出ていく。ふたりの顔から血の気が引く中、音源は止められ、照明が白一色に変わると音源係のアドニスと照明係の転校生が駆け寄ってきたのだ。『おめでとう、でも大丈夫?』と……。
「明日アイツらと顔合わせらんねぇ……」
「明日は休みじゃろ?」
「そ~いうことじゃね~よ……」
 そういうものかのう、と晃牙の指先に触れると、なぜか自分の手が痺れた。
 心臓が早鐘を打つ。
「なぁ、ホントは断りに来ただろ?」
 零の体の異変を知らない晃牙が、確かな声で核心を突いた。
「そうじゃね~かなって、【ハロウィンパーティ】の前から思ってた。コイツ俺様の事を諦めるためだけに返事しなかったんじゃね~か、ってよ。フェスの後は『嬉しいこと』とか言ってOKすること匂わせてたけど、ハロウィンは目が俺様の事フるつもりで観てたし、じゃあどうするかってなって」
 鋭い考察に零が息を飲む。確かに最初はOKをするつもりで、そのときだけは自分の気持ちに素直だったのだ。突発事項に弱いのは零もかもしれない。
 目だけで続きを促した。
 晃牙が立ち止まる。ちょうど街灯の下、西日に似たオレンジ色の光が晃牙を目立たせる。
「……もう一度、惚れさせることにした。ライブで」

 ぶはっと噴き出すと、晃牙が困り切ったように眉尻を下げた。
「笑うなよう……!」
「ククク、それでこそアイドルじゃ、我輩の見込んだ男じゃ! 若い者には敵わんのう……♪」
 ライブこそアイドルの唯一にして最強の武器だ。みなに等しく愛を届けるべきアイドルが、ただひとりの男に愛を伝えるためにライブを開く矛盾!荒唐無稽な試みを見事成功させた晃牙という逸材に、零は惜しみなく賞賛を向ける。
「あ、あんた! 俺のこと好きなんだよな!?」
 歩き出した零に追い縋りながら晃牙が問いかける。
「うむ、大好きじゃよ♪」
「好きなら、もう一度言ってくれよ」
 振り向く。
「……ッ」
 あぁ、かっこいいなぁ、と思った。
 金色の瞳が零を見据えている。力強く、零を愛することに迷いもなく。西日を受けて輝く噴水のような瑞々しさに、零の心がほどけていく。
 好き。
 掛け声を出しすぎて枯れた喉は、たった2文字を溜め息にした。晃牙が待っている。音を選んで形にするのを意識すると、それはギターを爪弾くのに似ていた。
「……好き」
 夜に響く。
「おう。俺も」
 世界一好きだ。


 聴き慣れた旋律が闇夜に溶ける。晃牙と零の恋路のオープニングナンバー。世界一幸せな狼と吸血鬼のライブを、街明かりが照らしている。

 

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