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零くん誕生日おめでとう!
2016年ロックフェスの話

 血豆ができるまでスティックを振り下ろすと、牛丼のときのお箸が痛い。
 新たな発見に驚くアドニスの隣で、これまたギターを弾きすぎた晃牙がぎこちない箸使いで牛丼をかき込む。
 特盛で膨らんだお腹をさすりながら店を出て、駅前に戻ると巨大モニターに先輩がいた。羽風先輩と朔間先輩。白と紫の光に染まる異世界で、張り詰めた表情で歌っている。セカンドシングル10月26日発売予定。
「俺達も頑張らね~とな」
 武者震いの声に振り向いた。晃牙が拳を握って、冒頭に戻ったCMを見上げている。
 そうだな。
 返事は駅の明かりに溶けて消えた。深い藍色の夜空に、先輩たちの居場所がまばゆく浮かんでいた。
 ふたりは学院に続く坂道を上っていった。


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「やったぜアドニス! 今年も開催するって!」
 秋一番の快晴の朝、抜けるような青色の空にまで大声が響く。
 金木犀の香り漂う教室で乙狩アドニスが教科書を整理していると、大神晃牙――UNDEADのユニット仲間兼リーダーが駆けてきた。
「これ見ろよ! 場所は今年も例の公園で1チーム2組制、しかも俺らの先輩どもも出るんだってよ!」
「羽風先輩と朔間先輩か……本当だ。当然だが公募ではなく依頼されての出演だな」
「ここら辺じゃ結構デカいイベントだしな! しかも目玉ゲストみて~だ……やっぱスゲ~な、先輩」
 職員室から貰ってきたばかりのポスターを、机一杯に広げて騒ぐ。たしかにUNDEADだった先輩ふたりは真ん中近くに大きな写真を載せられて、『新進気鋭の麗しすぎるアイドルユニット!』とキャッチコピーまでつけられている。とろけるように甘いマスクで柔らかく微笑みかける羽風先輩と、魔物のごとき美貌に不遜な笑みを浮かべる朔間先輩。
 一方じっと朔間先輩を見つめる晃牙はおやつを前にマテをしている犬の表情で、傍を通りがかったクラスメイトに「大神マジで朔間さんLOVEだな」と笑われ睨み返した。
「大神」
「んだよ」
 テメ~も馬鹿にすんのかよという目。
「まさか、もう同じステージに立てるとはな。よかったな」
 晃牙はアドニスから目をそらして困ったように頬を染めた。
「……おう。すげ~嬉しい」
 UNDEADの狂犬も優しい熊には弱いのだ。

 ――ロックフェス。
 一般の音楽団体主催のこのイベントは、夢ノ咲学院アイドル科とは全く関係のない、ロック好きのためにある音楽の祭典だ。国内のロックバンドが一堂に会し、日ごろ研ぎ澄ませてきた己の魂をぶつけ合う。
 ロックンロールに魂を捧げる晃牙もUNDEADとして参加するつもりだ。それも前年度と違い、完全なバンド体制。ふだんのライブのように暴れまわるのも楽しかったが、自慢のギターで春のライブのようなバンドを組めなかったのが心残りだったのだ。
「明星にも連絡しね~とな」
 晃牙が端末を取り出した。明星スバルはUNDEADではなくTrickstarというユニットの所属で、ツインギターの片翼を担うことになっている。スバルに連絡を入れれば、他のメンバーにも伝わるだろう。
「ちょうどTrickstarは東棟のレッスン室Cで練習中だ、俺が走ってこよう」
「そ~か? わりぃな」
「気にするな、『リーダー』」
 晃牙が照れ隠しにポスターに視線を戻し、その先で朔間先輩に見惚れるのを尻目にアドニスは出入口に向かう。晃牙は朔間先輩のことが好きだ。街路樹が鮮やかな紅に変わるように、恋慕が憧れに自然と入り混じる様子がアドニスの朴念仁の目にも見てとれた。美しい紅葉に見劣りしない大樹になる晃牙を応援したくて、アドニスはお使いの足を速めようとドアに手をかける。
 そのとき、晃牙の端末が鳴った。
「……えっ、あ、朔間先輩?」
 学年ほぼ全員がお世話になった先輩の名前に、クラスメイトの視線がさっと集まる。
「ど~したんだよ……うん、まぁ、そ~だけど」
 照れくさそうに出た晃牙は、電話越しの会話が進むにつれて眉を顰める。
 どうしたのだろう。晃牙の元に戻ると不安そうな瞳がアドニスを迎える。
「おう、言われなくても先入っとく。じゃあ」
 通話ボタンを押したときとは大違いの神妙な顔で電話を切り、晃牙はアドニスに向き直った。「出演申込はしばし待て、だってよ。放課後会って話すことがあるって……」
 まさか出るなってことじゃ……。
 思いがけない方向からたれ込める暗雲に、ふたりは顔を見合わせた。


 朔間先輩が待ち合わせに指定したのは通学路の脇の喫茶店だ。アンティークの家具の美しい店内に自家焙煎のコーヒーが香る。アドニスは姉に連れられて来たことがあるが、ひとりで入ったことはない。晃牙も同じらしく、そわそわと何度も脚を組み替えてはお冷やに口をつけている。それでもアドニスを残してトイレに立たないのがUNDEADの狂犬らしいと思ったところで、ドアベルが瀟洒な音を立てた。
「遅れてすまんのう~」
 聞き慣れた声に晃牙の顔が輝く。
 重厚な扉の向こうからまずは朔間先輩が現れ、ついで羽風先輩が給仕を呼び止めてから後輩ふたりに顔を向けた。「久しぶり。元気してたみたいだね」
「あぁ、羽風先輩達も」
 ふたりとも当たり前に私服を着ている。先輩ふたりが青いブレザーを身に着けていないことが、晃牙とアドニスの胸の奥をざらりと舐めた。
 先輩ふたりが席に着くと、見計らったように4人分のコーヒーが給仕された。「ありがとう」朔間先輩が晃牙から砂糖壺を受け取る。細い指が角砂糖を1つ落とし、スプーンでひらりと溶かす。優雅なしぐさを晃牙とアドニスが不安の面持ちで見つめていると、羽風先輩が朔間先輩の脇を小突いた。
「あ、あぁ……忘れておった。我輩たち、おぬしらと出ることにしたぞい」
「はっ?」
 大きく口を開けた後輩ふたりの前で、朔間先輩がコーヒーの香りを堪能する。苦笑した羽風先輩も、悠々と手を動かして角砂糖2つとミルクをたっぷり入れた。
「いつ来てもここのは別格じゃのう」
「うんうん、自宅で挽いてもこうはならないよね~? 資格取ろうかなあ」
「そしたら我輩にも淹れておくれ♪」
「おい先輩!」
 きょとん、と今度は先輩ふたりが目を瞬かせる。
「あんたらと出るって、その、ロックフェスに? 意味わかんね~んだけど!」
「意味も何も、その通りなんじゃけども……今年も2組1チーム制じゃろ?」
 そうだったのか、とアドニス。公募組はそうだが出演依頼を受ける方までチーム制なのか、隅々まで熟読した晃牙にもわからなかった。
「……ダメかのう?」
「そのルールは知らなかった。しかし、先輩と出られるのは願ってもないことだし、トップアイドルの貴方達と肩を並べられることを嬉しく思う。ただ……」
「もうTrickstarと出るつもりで練習してきてる。つっても先週からだけどよ」
 座席の傍に置いた鞄の、その中で束になっている楽譜を思いながら、端末を握りしめる。
 スバルがギターで、真と北斗がドラム。真緒はベースを担当する。といっても担当は曲ごとに入れ替え制で、計6人ならまんべんなく楽器を回せるだろうと考えてあれこれ楽しく試行錯誤していたのだ。日程こそ少ないが、バンドを組んできた相手と解散するのは口惜しい。
 けれど……。
「……電話してみる」
 それ以上に、憧れたふたりと肩を並べられることは魅力的だった。
「……明星か? わりぃ、実は……」
 スバルは2コール目で電話に出た。今日の放課後の練習を楽しみにされているようで、経緯を伝えながら胸が痛んだ。しかし、
『いいよいいよ、別に他にも出るユニットいるし!』
 底抜けに明るい声が端末のスピーカーを軽やかに揺らした。隣の席のアドニスはもちろん、向かいに座る先輩ふたりも肩を跳ねさせる。
「マジでいいのか?」
『いいよ~。UNDEADのおかげでロックっぽいユニットけっこう増えたじゃん? バンドなら別のイベントでもやれるしさ! なんなら転校生に言って企画作ってもらおうよ~☆』
「お、おう……」
 いいと言うならそれでよいのだが、楽しみにしていた晃牙が寂しい。
 肩を落とす晃牙をアドニスが慰める間もスバルとの通話は続く。
『あっ、でも朔間先輩ちょっとだけ借りるかも? キラキラした感じが出し切れてないんだよね~☆ ……それにさ、ガミさん』
 スバルの声のトーンが急に落ちた。
「おう……?」
『あのね……』
「なんだよ……?」
『大好きな先輩にかっこいいとこ見せて、告白するチャンスじゃん! がんばれ~☆』
「……………アホか!!!」
 通話を切って鞄に端末を投げ入れる。肩で息をしていると、3人が目を白黒させながら晃牙を見ていた。アホの明星の最後の言葉は聞こえていなかったらしい。
「……Trickstarはいいってよ」
 そういうことだよなと晃牙は断じた。


「じゃ、とりあえず合わせよっか」
 コーヒーを飲み終えると4人は先輩の所属事務所の練習スタジオに移動した。
 各々がチューニングもそこそこに楽器を構え、キーボードの羽風先輩が『Melody in the Dark』のイントロを弾いてみせる。
 晃牙とアドニスは顔を見合わせて頷いた。昨日も練習した曲だ。
「カウントはアドニスくんお願いね。せ~のっ」
 ドラムスティックを打ち鳴らすとすぐにストリングス代わりのキーボードが入り、音の奔流が始まる。攻撃的なナンバーだ。緊張と興奮で先走ろうとするギターとドラムを朔間先輩のベースが的確に諌め、羽風先輩の十指が鍵盤の上を悠々自適に動き回る。しかしキーボードが調和を乱すことはない。ギターの咆哮でともすると下品になりがちな旋律に気品を添え、全体の印象をまとめ上げるのだ。
 考え抜かれた構成だな、と晃牙は忙しなくコードを押さえながら思った。朔間先輩はアドニスと晃牙の練習していたパートをあらかじめ知っていて、それを活かす形で羽風先輩にキーボードを練習させたのだろう。しかし晃牙をベースに据えても同じことにはならなかったに違いない。学院を出ても失われない、むしろ鋭さを増した采配の妙。
 目配せに頷いたアドニスも同じことを考えているらしい。素直に感心したところで朔間先輩を見ると、紅い瞳と目が合った。晃牙を惹き付けてやまない紅玉が、やわらかく微笑む。
「……ッ」
 胸の高鳴りをごまかすように披露したギターソロは、甘くひずんで空中に溶けた。

「――っどうだ!」
 最後の1音を奏で終えた晃牙が妙に切れる息でそう叫ぶと、先輩ふたりは大げさでない程度の拍手でふたりに応えた。
「いや~当然だけど成長してるね~。楽しかったよ」
 そう言う割に反応に新鮮味がない。まるで練習風景を何度も見てきたような様子を訝しむと、羽風先輩は「ほんとほんと」といつもの口癖を付け足した。
「ねっ、朔間さん?」
「うむうむ。アドニスくんは短期間でよくぞここまで上達したものじゃし、晃牙も目を見張る進歩じゃ」
「マジでそう思ってんのか~?」
「無論。……我輩たちの方が練習不足かもしれんのう?」
 とうそぶいた朔間先輩は、ベースからギターに持ち替える。
「ふふん、見ておれ♪」
 獲物を狩る目で笑うと、朔間先輩は相棒にカウントを取らせてふたりの曲を披露した。晃牙とアドニスが練習の合間に聴いた例の新曲だ。シリアスだがアイドルらしさを残した旋律が開始早々ふたりの胸を貫き、爪先まで興奮で痺れさせる。
(す、すげぇ……っ!)
 沸き上がる歓喜に体が震えている。音の粒で構成されているはずの曲が脳を骨髄を神経を侵し、あらゆる感覚を書き換えていく。
 いったいこの体は何を聴いているのだろう。音に溺れた晃牙が目だけで救援を求めるが、願い叶わず激流に飲み込まれていく。アドニスもすぐに奔流に身を任せ、深い深い音の世界へと沈んでいく。
 調和したデュエットが後輩ふたりの魂に爪を立てるのを、4つの瞳が満足げに見つめていた。

 圧倒的な演奏が終わると、晃牙とアドニスはギターとスティックを抱えて尻餅をついた。「なにが練習不足だよ……」
 声が上擦っている。
「キーボードが意外と簡単だったからね~、ほとんど練習してないかも」
「とか言っておるじゃろ? 実は毎晩遅くまで練習しておったんじゃよ」
「ちょっと朔間さん!」
 ケラケラ笑う朔間先輩を羽風先輩が睨む。頬がほんのりと赤い。
「我輩たちに与えられたのはMCも入れて4曲分じゃ。これと『Melody in the Dark』と、我輩と薫くんのデビュー曲、あとは去年と同じ『DESTRUCTION ROAD』でどうじゃろう?」
「UNDEADの曲を2つも入れていいのか?」
「権利関係ならまあ大丈夫じゃし、もともと『We are UNDEAD!』じゃ。……さて」
 す、と差し出されたふたりの拳に、晃牙とアドニスは首を傾げた。
 見上げると、力強い瞳で見つめ返される。
「【ハロウィンパーティ】の練習も大変じゃろうが、おぬしらならきっとやり遂げられる」
「なんてったって俺達の後輩だからね。期待してるよ」
 先輩はすっかり大人になった顔で笑っていた。
 デビューから半年も経ったのだ。晃牙もアドニスも知らない修羅場を、何度もくぐり抜けてきたことだろう。
 そんな先輩に期待されている。
「……あぁ!」
「おう!」
 新たな決意を胸に、ふたりは勢いよく拳を突き出した。


 ☆ ☆ ☆


 こうして最初で最後のバンド演奏に向けての練習が始まった。
 といっても毎日できる訳ではない。先輩ふたりには仕事があるので、放課後に自由のきく晃牙達が先輩の予定に合わせることになった。なるべく時間を確保しようと先輩のどちらかが欠けた状態で演奏することもある。
 喫茶店で結成してから1週間、通算4回目の今夜の練習も、朔間先輩を待ちながらの『DESTRUCTION ROAD』だ。『Melody in the Dark』と違いベースを担当するのは羽風先輩だ。朔間先輩は晃牙と一緒にツインギター。先輩のいない左側をチラチラ見ながら、晃牙がピックで弦を弾く。

「あ~……楽しいな」
 練習がひと段落ついたところで、晃牙がびしょびしょのタオルで汗を拭いながらそうこぼした。
「楽しいね。青春って感じする」
 と羽風先輩。ベースは本当に練習できていなかったらしく、ドラムスのアドニスと同じくらい消耗している。汗で貼り付いた前髪が、マメのできそうな指先にかき上げられておでこが見えた。
「楽器は興味ないとか言ってた癖に」
「そうだったっけ~?」
 わざとらしく惚けた羽風先輩の表情が面白くて、アドニスがスポーツドリンクを噴き出す。
 床に飛んだドリンクを拭くのも楽しかった。晃牙が笑いながら雑巾を片付けると、羽風先輩が楽器を持ち替えて見よう見まねでギターを弾いた。晃牙っぽく腰を落として、朔間先輩の立ち位置に全身を向けてアピールするスタイル。ぜんぜん様になってね~し!と言いながら、晃牙は初心者にも弾きやすいようアレンジしてやる。大神は優しいな。アドニスの反応に照れた晃牙は反対側でベースを鳴らす。
「やっぱりリズム隊で歌うの難しいでしょ、ドラムスだけでもサポート入れようよ」
 羽風先輩の気遣いが、アドニスの耳にやさしく届く。
「そうだな、キーボードも動けね~からサポートにするか?」
「俺とアドニスくんでツインボーカル?」
「俺様と朔間先輩も歌うんだよ!」
「……やはり、実力不足だろうか」
 晃牙と羽風先輩が固まった。
 違うよパート的に無理難題なだけなんだよ、別に実力云々の問題じゃない! 両手を振って否定する先輩に晃牙も何度も頷いた。俺様だって無理だしテメ~の声を客席に届けたい。
「朔間先輩ならいけるだろう」
 言葉に詰まったふたりを見て、頭に血が上りすぎたと場を離れる。
 自分も出来ることを増やしたい、とアドニスは思った。リズム隊、特にドラムスがボーカルを兼任するのはどのパートよりも難しいらしい。だから4人とも歌う曲ではアドニスがドラムスを外れ、外部のサポートを入れる。それが最善策だと頭ではわかっている。アドニスがもうひとつくらい楽器に挑戦しておけば自在にパートを入れ替えられただろう。
 壁際に寄って窓を開けた。ひんやりした窓枠と秋の夜風が汗ばんだ肌に気持ちいい。立ち並ぶビルの隙間から夜空が覗き、星の瞬きがアドニスに勇気をくれる。
 せめて今できることをやり遂げよう。窓を閉じてスティックを握り直すと、窓枠とは違う素朴な温もりが手の平に伝わった。3人で謝り合い、セッションを再開する。

 そうして軽口とメロディの粒が飛び交い始めた練習室に、ドアの開く音が響いた。
「――遅れてすまんのう」
 いちばん最初に反応したのは晃牙だった。キュッと音を止めて、朔間先輩の入ってきた方を見る。ただしカッコつけようと何でもないみたいに体は羽風先輩と向かい合ったまま……にできなかった。
「な、なんでそんな顔してんだよ……!」
 バンド結成の日と同じ登場の仕方なのに、朔間先輩は疲れた顔で3人に歩み寄る。
「どうしたんだ、朔間先輩。顔色が悪い」
「……薫くん、ちょっと」
 羽風先輩は相棒の手招きに素直に応じた。朔間先輩に耳打ちされると、甘い顔立ちが同じように曇る。
「おい朔間先輩、何なんだよ」
「何か問題でもあったのか。俺達が力になる」
「あぁ……うむ、ちょうどおぬしらの力が必要じゃよ。作曲のな」
 朔間先輩が広げて見せた契約書に、晃牙とアドニスは小さく息を飲んだ。
 ――ロックフェスのセットリストの3曲目『DESTRUCTION ROAD』を取りやめて、新曲を発表する。作詞・作曲は夢ノ咲学院アイドル科3年の大神晃牙と乙狩アドニス。いかなる作業も朔間零と羽風薫は手伝ってはならない――
 ……先方の命令はあまりにも理不尽だ。発表の場は今週末のロックフェスだから、最悪でも木曜日、つまり4日後には完成していなければならない。
「……これは、断ってくれてよい。おぬしらへの依頼ということで、いちおう伝えただけじゃ。受けたくなければ我輩がなんとかする」
 ふたりの脳裏に先輩の新曲のMVがよぎった。待望のセカンドシングル発売を翌週に控え、朔間先輩と羽風先輩はこれ以上なく注目を浴びている。ロックフェスにUNDEADを見に来る客のほとんどが新曲目当てだろう。新曲の演奏は2番目。興奮を生かすも殺すも自分たち次第だが、失敗は先輩ふたりの名声に直結する。そこそこの出来でした、なんてことも許されない。
 晃牙がアドニスを見た。色を無くした顔の、金色の瞳の奥に闘志が燻っている。自分も同じ燻りを宿しているのだろうと考えながら、アドニスは頷いた。
 晃牙が声を絞り出す。
「――やるよ、先輩」
「……そうか。そうじゃな」
 先輩のため息が、晃牙とアドニスの耳に妙に残った。
 後輩ふたりの決意を硬い表情で受け止めた朔間先輩は、どこか――おそらく依頼を出した所属事務所――へ電話をかけながら退室した。
 羽風先輩も、途中で朔間先輩に腕を掴まれて部屋を出た。広い練習室には楽器と、晃牙とアドニスだけが残される。
「あと4日だな、大神」
 そんな納期で作曲したことなどなかった。1人1曲作れという音楽理論の期末試験ですら、2週間の猶予に加えて作詞が免除されていたのだ。
 それでもふたりで知恵を出し合えば何とか乗り切れるだろう。そうアドニスが声をかけても、晃牙は青い顔で俯くばかりだった。
 頭上の白色灯がギターのボディに反射し、冷たい光を放っていた。


 ☆ ☆ ☆


 かちり。
 腕時計の盤面が斜陽を反射した。進学にあたって父から贈られた、武骨だが美しい時計だ。これに見合う強さを身に着けろと言われていた。アドニスがもう一度時刻を確認する頃には、長針は真上からほんの少しずれている。午後5時0分5秒。
「あと1時間しかね~んだよ……」
 夕焼けの橙色が屋上のフェンスをつややかに染めている。
 あの夕日が沈むと練習時間だ。間に合うように行動するなら、そろそろ校舎を出なければならない。しかし晃牙はフェンスに凭れ掛かったまま身じろぎもせず、アドニスも隣から立ち上がる気にはなれなかった。
 曲が出来ていないのだ。1小節も、1音すら。
 音作りなら毎日どころか休み時間ごとに試してみた。けれどどれも違う気がして進まない。芸能界で活躍する先輩ふたりにふさわしい音がほしかったのだ。砂の海の一粒のようなそれを探していると4日が3日、3日が2日とどんどん減っていって、焦りばかりがつのった。
『朔間さんがね、謝りに来たよ』
 美しい夕焼け色の髪――昨日の5限の休み時間、教室移動ですれ違ったスバルの言葉を思い出す。
『先週の頭だったかな? 晃牙たちと出るつもりで練習していたのに、むりやり持ってちゃってすまなかった、って。ガミさんもオッちゃんも先輩に誘われたら断れないって知ってて、それでも4人でやりたくて先回りした、ってさ。ガミさんも朔間さんも律儀だよね~?』
「先輩、すげ~楽しみにしてくれてたんだな……」
 俯いてこぼした晃牙の言葉が、アドニスの腹の底をずどんと殴る。
 4人で紡ぐ音楽は本当に楽しい。オカリナくらいしか馴染みのないアドニスが、モテるためにすら楽器に触らない羽風先輩が、ステージを成功させようと張り切るくらい楽しかった。ドラムスの色のない振動にギターの旋律が共鳴し、ベースの重低音がふたつの楽器を繋いでくれる。キーボードの奏でる音色が4人の心を張り詰めさせる。そこに言葉はいらない。指先で紡ぐ音が4人のすべてで、聴く者にとってもそうだから。音楽は自分と誰かの心を繋ぐ糸だ。かつて朔間先輩と晃牙が音楽で絆を確かめ合ったように、ロックフェスに受けての練習でも、UNDEADの心が繋がり合うのが感じられた。繋がって、初めて先輩ふたりに信頼されていると実感した。
 背中を預けてもいいと思われている。その気持ちに、アドニスは報いることができない。
 晃牙も。
「ごめん、先輩……っ」
 力なくしゃがみ、ぎゅっと膝を抱える。
 斜陽が水平線に飲み込まれてゆく。
 考えるより先に動く晃牙が、どうにもならない気持ちに雁字搦めになっている――そう気づいたとき、アドニスの脳裏に星の瞬く光が届いた。


「お、おい、止まれって!」
 校舎の階段を駆け下りて昇降口を通り抜け、転がり落ちるように坂道を下る。喫茶店のコーヒーの香りを感じたら駅はすぐだ。駅前の横断歩道に改札を抜けて運行案内を見上げる。
 アドニスは晃牙の腕を掴み直すと、いつもと違うホームに連れて行った。戸惑う晃牙を尻目に鈍行に飛び乗り、がらんどうの車両の適当な座席に腰を下ろす。晃牙が我に返って降りる前にドアは閉まり、がたん、ごとんと大仰な音を立てながら、電車は走り出した。
「何考えて……」
 晃牙を片手で制して端末を操作する。怒声が尻すぼみに消える代わりに、アドニスの隣の席が大きく軋んだ。晃牙が愛器を両腕で抱き込んで座っていた。
 窓の外が色を変えてゆく。水たまりのような薄青色をしていた空は、ふと目を離した瞬間に藍色のペンキを零される。大道具を大きな刷毛で塗り上げるように、進む方向に何度も藍色が重なった。不安の色だ。逃げている、と感じた晃牙の胸が潰れそうに縮こまった。

 空の色が一番濃くなる頃、アドニスは電車を降りた。
 自動改札がひとつあるくらいの、こじんまりとした駅だ。錆びた駅名標識の向こうに国道と小さな民家、生い茂る山々が見える。改札の外には『夢ノ咲リトリートキャンプ場』の看板。
「おい、ここって」
 墨色の闇に覆われていたが、駅のまわりの景色に覚えがあった。去年の夏に合宿をした場所だ。軽音部室のクーラーが壊れたからと、わざわざ涼しい山奥にまで来たのだ。
 夏のあの日を思い出す。小川の水面がきらきらと光っていた。すぐそばで羽風先輩が飯盒炊爨の準備をしていた。木々の濃い影が砂利の上に落ち、その中で朔間先輩が歌を歌っていた。
 今はふたりきりだ。
 けれど代わりに夜空がある。小さな駅の明かりが届かないほど高い空に、無数の星が瞬いている。
「大神、ここで一から考えよう。自分たちの力量も、先輩の期待も全部忘れて」
 それくらいしないと、この難題を越えられないから……。
 アドニスが相棒の細い肩を両手で掴んだ瞬間、晃牙が目を見張った。肩越しに投げた視線が遥か遠くの光を捉えた。
 振り返る。
 果てなく広がる濃紺に星が一筋、また一筋と流れゆくのを、ふたりは息も忘れて見入った。
「願い放題だな」
 闇の中で顔を綻ばせながら晃牙が呟く。
「神頼みなんてするもんじゃね~のに」
「あぁ。……だが、何かに縋りたくなるときもある」
 天を覆う夜空と、遥か遠くから光を届ける星々に。
 ふたりは改札を出て国道を渡った。辺りは車ひとつ通らず、静まり返っている。駅舎の光が辛うじて届かないところまで来て、もう一度夜空を仰ぐと、小さな星が涙のように零れたのが見えた。
「何かに縋るとか、馬鹿馬鹿しい生き方したくね~よ」
 それでも縋らなければ生きられない小さな存在なのだ、自分たちは。
 晃牙は思い知ってしまった。奇跡は起きない。自分たちの力量に余る依頼を受けてしまったら、できる範囲でこなしていくしかない。背伸びしすぎて爪先が地面から離れることのないように。
 晃牙の目尻に星が瞬いたのを、アドニスは見なかったフリをする。誰かに拭われるのは男じゃない。乾いた指を大きく開いて、手を伸ばす。
「自らの手で未来を切り開く――それがUNDEADの生き様だったな。夜空の星も、この手で掴めるかもしれない」
 掴みたい。
「――それだ!」
 満天の星空に抱かれた夜闇に、晃牙の声が響き渡った。


 ☆ ☆ ☆


 ふたりは学院前駅に戻ると作曲できる場所を探した。
 学院は門が閉まっている。乗り越えられないこともないが、命より大事なギターを背負って無茶はしたくない。しかし晃牙の部屋もアドニスの実家も音を出せない。カラオケがあるじゃないかと飛び込んでみれば、運悪く満室を告げられて駅前に戻った。
 野宿する覚悟で山に篭るべきだったか、と考えたところで、聞き馴染みのある足音が聞こえた。
「おかえりアドニスくん、晃牙」
「朔間……先輩」
 ふたりが振り返ると、朔間先輩が微笑をたたえて佇んでいた。羽風先輩も背後の広場のベンチから腰を上げて、端末片手に駆けてくる。
「アドニスくんから『山に篭る』ってLINEきたからさ~、すわ樹海行きかと焦ったよ」
「焦ったのはおぬしだけじゃろ。あそこの川では浅すぎて頭すら打てん」
「まっ、そうだけど~?」
 でも何するかわかんないからね~、と羽風先輩。
 練習をすっぽかした後輩を咎めるそぶりすら見せないふたりに、晃牙とアドニスは顔を見合わせた。先輩は自分たちが曲を持ってきたと思っているからこんなに穏やかなのだ。
「ごめん!」
「およ?」
「約束の日なのに、ぜんぜん出来てね~んだ!」
 耐えきれずに体を折った晃牙に、すぐ傍を通りかかった会社員が小さく声を上げる。
「歌詞はさっき書いていたんだが、曲の方が全然で……明日中に完成させても練習する時間がない」
 アドニスも頭を深く垂れる。
 そのまましばらく待ったが反応がない。お辞儀したまま晃牙と視線を交わすと、困惑が伝わってくる。仕方ないのでゆっくり顔を上げれば、先輩ふたりが余裕すら感じさせる面持ちで晃牙とアドニスを見ていた。
「先輩を舐めてもらっちゃ困るなぁ?」
「我輩たちを誰と心得る? 飛ぶ鳥を落とす勢いのトップアイドルじゃぞ? 練習時間なんぞ1日あれば十分じゃ」
「1日って……」
「問題は本当に明日中に完成させられるかじゃが、おぬしらの目を見るに大丈夫じゃろう。そうなると後は作曲場所じゃな?」
 朔間先輩が羽風先輩の肩を叩く。
「ちょうど偶然、俺達がスタジオ借りてるんだよね~? しかも丸1日。でも俺も朔間さんも仕事だし、誰も使わないんだ」
「羽風先輩、その……手伝い、してはならないのでは?」
「手伝い? なんのこと? ぜんぶ偶然。俺達がスタジオ開けたままじゃ勿体ないなって思ってたら、たまたま可愛い後輩が入ってくれるらしい、ってだけ。入るよね?」
 羽風先輩の悪戯そうな瞳が後輩ふたりの顔を覗き込んだ。朔間先輩はその様子をニコニコ眺めている。
「羽風……先輩、あんた朔間先輩に似てきたな」
「キツネは昔から悪賢いじゃろ?」
「デキる男って言ってよ!」
「……入らせてほしい」
「でしょ」
 得意顔の先輩は、すぐに満面の笑みで頷いた。


 ☆ ☆ ☆


 そうして、当日がやってきた。
「あ~~~~やべぇ……」
 ロックフェスステージ、舞台袖。晃牙たちの順番はもう次だ。炎と稲妻がモチーフの熱いステージでは、他の出演者がラストナンバーに向けてMCを繋いでいる。
「昨日の威勢はどうしたのじゃ」
 朔間先輩が衣装の襟元を直しながら、足元にしゃがむ晃牙に声をかける。
「準備しきれなかったところは気合で補うと豪語しておったじゃろう」
「うぐぐ……」
 突発事項に弱いのは相変わらずじゃのう、と言いたげな顔がアドニスに向けられたので、晃牙の代わりに頷く。晃牙もこの半年で克服しようと頑張っていたが臨機応変な対応はまだまだ難しい。その代わり、
「今の大神になら叩き負ける気がしないな」
「んだとコラ!?」
 晃牙はアドニスに頼ることを覚えたのだ。挑発されて奮起するという荒っぽいやり方だが。
「アドニスくんも晃牙くんの扱いがうまくなったよね。ただ仲良くなっただけじゃない感じ」
 羽風先輩がふたりのやり取りを微笑ましそうに眺め、朔間先輩もウンウンと頷いている。
 そこへ晃牙が歯を噛み鳴らして食って掛かる。
「つ~か『Melody in the Dark』のドラムスどうすんだよ!? 誰にも頼んでね~んだけど! あああああ」
「俺がやる」
「はっ?」
「元々ドラムスは俺の担当だ」
 ぽかんと間抜け面を晒す晃牙にアドニスが力強く頷いた。
「『Melody in the Dark』を叩きながら歌うとか、この俺様でもできね~ぞ? サビとかどうすんだよ!」
「気合で補う」
「うぐぐぐ」
 なんつ~馬鹿なことを言いやがるんだ……。おもわず昨日の自分が考えたことを棚に上げてツッコんだ。
「あっ、あと我輩すぐ後のステージにも出るから」
「はあっ!?」
「スバルくんらのサポートに入るのじゃ♪」
「朔間先ぱ~い! 今日はよろしく~☆」
 見ると通路の方からTrickstarと後輩一同が舞台袖に上ってきた。
「バイオリン、すっごい楽しみにしてる!」
 先輩の機転に今度はアドニスもあんぐりと口を開ける。
「おぬしらが作曲してる間ヒマだったんじゃよ~。1年ぶりのセッション、楽しかったぞい♪」
 たしかに朔間先輩はバイオリン経験者で、けっきょく土曜の朝までかかった作曲の間に朔間先輩だけどこかに消えていたのだ。だからといって持ち歌にストリングスを取り入れようとするスバルもすごいし、1日でTrickstarと合わせられる朔間先輩もすごい。
 晃牙とアドニスが目を見張る間に出演者のラストナンバーが終わった。進行係が4人を呼びに来る。
「ほれ、じきに出番じゃ。円陣でも組もうぞ」
 朔間先輩の一声で元UNDEADの4人が輪になった。呆けた顔のまま、晃牙は両隣の背中に腕を回す。
「最高のライブにしような、晃牙」
 晃牙の左隣から、そっと耳打ちされた。何も知らない晃牙が憧れていた頃の、孤独だった頃の朔間先輩の声だ。おもわず振り向くと、柔らかい笑顔で頷かれる。
 組んだ肩を押し付け合う。

「「「「We are UNDEAD!!!!」」」」

 離れた勢いで舞台に飛び出した。歓声が上がった。楽器のチューニングをするうちに騒めきは止み、舞台を覆う深い沈黙が研ぎ澄まされていく。
 アドニスの掲げ持ったスティックが、鋭いカウントを刻んだ。


 ☆ ☆ ☆


『待たせたのう、皆の衆』
 2曲連続で演奏を終えると、朔間先輩がギターを残して前に出た。MCだ。
 一方晃牙達はパートに合わせて移動する。先輩ふたりの曲では晃牙とアドニスがリズム隊を任されたが、残り2曲――UNDEADの曲のギターは晃牙の担当だ。次の曲のベースは羽風先輩、ドラムスは朔間先輩で、アドニスはメインボーカルとして中央に立つ。
『――せっかく母校の近くでやるということでな、かわいいかわいい後輩と出ることにしたのじゃ』
 ハンドマイクでふらふらとステージを歩き回っていた先輩が、晃牙の隣にやってくる。
「うわっ」
『この子が大神晃牙、元はギタリストじゃ。惚れ惚れするようなテクニックじゃったろ?』
 肩を組まれた拍子に胸の鼓動が伝わる。自分と同じくらいの速さに驚いていると、朔間先輩はするりと体を離してアドニスに近寄った。
『ドラムスは乙狩アドニスくん。アドニスくんは今回がドラム初挑戦じゃ』
 沸き立つ歓声に得意顔を浮かべる。その横で一礼するアドニス。
『そうじゃろそうじゃろ、すごいじゃろ? 熱い魂が伝わって来るじゃろう』
 晃牙にマイクを返し、チューニングに勤しむ仲間の間をゆっくりと歩いた朔間先輩は、ドラムスの椅子に腰かけると頭にヘッドセットを取り付ける。
『そして――ここからはバトンタッチじゃ』
 目配せされた晃牙は、ぬるいマイクに手をかける。
『あ~……UNDEADの大神晃牙だ。次の曲は、俺様とコイツ……アドニスで作った。つっても半分以上コイツの手柄で、俺様はコイツに見せられたモンを曲に落とし込むことしかしてねぇ』
 去年よりもずっとぎこちない口調の晃牙をアドニスが真剣な表情で見つめている。
 それ以上言葉が出てこなくなって、晃牙はアドニスにマイクを変わった。普段はかたく結ばれた唇が、銀色のマイクの前でゆっくりと解かれる。
 先輩達の視線を背中に感じる。温かくて確かな視線だ。夜空に冴えわたる星々とは違った心強さで、数百人の観客に向き合う勇気を与えてくれる。
『俺たち4人の生き方の、強くなりたいという気持ちを歌に込めた。会場にいる皆さんに……ここにいない皆さんにも、届けたい』
 ――そしていつか、世界のどこかで会う誰かにも。
『曲名は――“wish star”』

 ギターが走り出した。朔間先輩のドラムスが流星の滑る夜空のように音を広げ、羽風先輩の指先が濃紺のステージに星の粒を落としてゆく。目を閉じたアドニスがマイクスタンドの冷たさだけを確かめていると、夜空が足元まで広がっていた。
 空を仰ぐ。
 歌い出しは滑らかに、次第に喉の熱量を上げていく。夜の吐息に星を載せるようなベースの音色が一度鳴り止んだギターに囁きかける。ドラムスが笑い、6本の弦がそろそろと星を紡ぎ出した。
 星の流れる音がギターから聞こえ始める。摩擦熱で自らの体を燃やしながら、どこかを目指して走り続ける。両目を焼くような光だ。アドニスが負けじと声を張り上げると、晃牙が利き手の代わりに声を重ねた。先輩ふたりのコーラスが星のさざめきを真似る。
 流星の輝きが佳境を迎える。元いた夜空に戻るつもりがないように、体の芯まで燃やし尽くす。ドラムスの鼓動がギターの風切音がベースの軌道が、夜空の果てまで魔物の歌声を届ける。
 観客の胸で星々が眩い産声を上げる。エネルギーの奔流が体を突き動かす。拳を空高く掲げ、星の輝きを夜空に伝える。
 ひとつめの流星が燃え尽きる前に、アドニスが懐から小さな楽器を取り出した。星の輝きにも似た白さのオカリナだ。分身ともいうべきそれに唇をそっと当てるのを、晃牙が祈るような目で見つめる。
(――いけ、アドニス!)
 観客が目を見張る。荒々しいサウンドに滑り込んだオカリナの音が、真夜中の静寂の色をステージに満たす。晃牙が指先と喉で歓喜の咆哮を上げると牙を剥いたドラムスが遠吠えに応え、ベースの揺らした夜空で星が震えた。
 無数の星々が共鳴する。走り出すタイミングを今か今かと待ち遠しがる。
 音の流星が闇を大きく切り裂いた瞬間、胸の星が弾けた。夜空へと伸びあがった星々が地面を踏みしめる度が揺れる。流星の音とも咆哮ともつかぬ歌声がぶつかり合う。願い星の宴が夜闇の混沌と化す。
 ざわめきが止んだ一瞬の隙に、晃牙はアドニスに体を向けて挑発した。お前が見た夜はそんなものか、あの日両手で掴もうとした流星の輝きを思い出せ。頷いた相棒がオカリナを吹き鳴らす。鋭く高く。晃牙もギターを構え直し、魂を燃やす音色を響き渡らせる。
(ここまで来れてよかったな、大神)
(『来た』んだろ、俺達で)
 ラストのサビを歌い上げる直前、お互いの瞳がそう言って笑っていた。色は違えど燃え続ける双眸が、一度だけ背後に投げられる。
 ありがとう、先輩。
 夜空に輝く一等星のように、美しい瞳がアドニスと晃牙を見守っていた。感謝の気持ちを歌声にのせる。待たせた申し訳なさも音色に込めて、この後の曲で存分に戦えるように。
 流星が燃え尽きる。夜空に溶けるように、この光は見届けた星々が知ってくれていると笑うように。ギターの音色が輝きの最後の一筋を残して消える。

 照明が落ちると先輩が動いた。羽風先輩は自分の得物の元へ、朔間先輩は晃牙の向かいへ。アドニスもドラムスの後ろへと回る。
 チューニングの間を惜しんで視線を交わし、スティックがカウントを取る。
『“Melody in the Dark”!』
 客席から泣き叫ぶような歓声が上がった。UNDEAD時代を知っている人間がいる。それも4人の頃の! 晃牙の胸に熱いものがこみ上げる。
(見とけよテメ~ら、これが俺達『UNDEAD』だ――!)
 薄紫のピック――この日のために誂えた武器を構える。
 羽風先輩のキーボードから始まった旋律はすぐに4匹の魔物を目覚めさせた。『wish star』の瞬きとは異なりそれぞれが好き勝手に騒ぎ出す。さしずめ百鬼夜行だ。観客の心に真正面から噛み付き、否応なく己の眷属にしてみせる。さっそく朔間先輩の歯牙にかかった男性客が野太いコールを轟かせる。
 朔間先輩の美酒のような歌声が響き渡る。羽風先輩が追いかけ、アドニスの歌を聴きとげた晃牙が弦を細かく押さえながらなんとか歌い上げた。パートを4人で歌い分ける方法はアイドルのコンサートでこそ視線の奪い合いに繋がるが、バンドになると手元に向けた注意が声の張りを失わせる。咄嗟に跳ねあがった晃牙の指先を揶揄うように、朔間先輩のベースが鋭さを増した。
(どうした晃牙、本気を出さんか♪)
(うるせ~クソが!)
 馴染みの口上代わりにギターを掻き鳴らしながら、ちらりとアドニスを垣間見る。今のところ動揺している様子はない。激しいビートをものともせず歌い続けるドラム初心者の相棒に、ギター上級者の晃牙の対抗心が掻き立てられる。
 ここぞというときのリードボーカルは朔間先輩だ。整った横顔に晃牙が見惚れているとサビが始まり、全員で歌う主旋律をアドニスのドラムスが支える。興に乗りすぎたフリで大きく飛び跳ねて振り向けば、相棒がつられて顔を上げた。真剣な眼差しが交差する。(楽しんでるじゃね~か!)おもわず浮かべた笑顔にシンバルが応えた隙に、晃牙は指先を走らせる。
「着いてこい愚民共ぉ!」
 晃牙があえて速度を上げて歌い出すと朔間先輩が乗ってきた。アドニスも驚きつつ8ビートを刻む。想いと努力で重く響いたスネアをベースが悪魔的低音で歓迎する。歌い終わりの余韻を掬い上げ、朔間先輩は紅い舌の覗く口で物語の続きを紡ぐ。
 羽風先輩も獣の笑みを浮かべて晃牙に応じ、アドニスを煽りにかかる。
(ドラムスぜんぜんブレないじゃん! サポートしようと思ってたのにっ♪)
(嬉しいが必要ない。ここは俺の縄張りだ)
(言うね~♪)
 声が揺れる。もっとハメ外しちゃいなよと煽る指先。アドニスが吼える。 妖狐と雄熊が声を張り上げ噛み付き合う前方で、吸血鬼と銀狼が互いの得物で喉笛を掻く。
 4匹の魔物の咆哮に合わせ、数多の眷属が不死者のための地響きを起こす。静謐な夜は戻らない。魂に爪を立てられた晃牙が吸血鬼の事を忘れられなかったように、ここにいる全員がこの夜の事を繰り返し思い出すことだろう。そうであってほしいとアドニスは思った。
 喉が避けても構わないと声を上げた。スティックの先で魂をぶつける。胸の上で十字架が踊る。ギターソロにキーボードが続き、終焉に向かって走り出す。あぁ――なんて楽しい夜が、終わってしまう!
 最後のサビに差し掛かった。夜闇の中でこの旋律が生まれたのだと晃牙が吼えた。年若い魔物ふたりの脳裏をよぎるのはかつて仰ぎ見た星空だ。
『夜空の星も、この手で掴めるかもしれない』
 掴んでみせる。4人ならそれができる。百鬼夜行どころか魑魅魍魎の抜港する芸能界で、背中を預け合える相手が3人もいるのだ。孤高を気取っていた晃牙はもういない。吸血鬼の檻の中で孤独に生きるのだと諦めていた朔間先輩を、晃牙たちが引きずり出したときから。アドニスは何物にも折れない強さを手に入れた。羽風先輩の不器用な優しさに何度も心打たれ、そのしなやかさを真似たいと思ったから。
 駆け抜ける。
「俺達が『UNDEAD』だ!」
 そうして――
 はっ、と息を吐いた頃には割れんばかりの歓声が公園を包み……すべてが終わっていた。


 ☆ ☆ ☆


 Trickstarと学院の前で別れると、UNDEADの4人は横並びで長い坂を下り始めた。
 夜風が冷たい。火照った頬を冷えた両手で包み込むように、夜の空気が汗ばんだ肌に寄り添っている。
「つ~かさ……聞いてね~んだけど」
 周囲に人がいないことを確認して、晃牙がおもむろに切り出した。
「サポートのことかえ?」
「わかって言ってんだろ。俺らのデビューのことだよ」
 俺とアドニスを含めた、UNDEADの。
 未だ実感の伴わないサプライズに後輩ふたりは浮足立てない。代わりに朔間先輩と、羽風先輩の足取りまでが跳ねるように軽かった。
 早々と閉じた店のショーウィンドーを、晃牙が自分の姿が映るか覗き込む。誰も映らなかったら夢だ。
 4人の姿がはっきりと見える。
「UNDEAD名義でアルバム出して冬にはデビューとか……wish starがリードシングルとか……盛り沢山すぎてわかんね~よ」
 『Melody in the Dark』が終わった後……疲れ切って舞台袖に捌けようとする晃牙とアドニスを引き留めて、朔間先輩がUNDEADのデビューを発表したのだ。もちろん先輩ふたりのユニット名はUNDEADではない。先輩は年末でユニットを解散、来年1月に後輩2人とユニットを組み、デビューアルバムには先ほど演奏したばかりの『Melody in the Dark』も収録する。『wish star』はリードシングルの先行公開の意味も込めてここで披露したのだ、と訳の分からないことを言われ、晃牙はあやうく朔間先輩に掴みかかるところだった。
「演奏終わるまで社長からOK出なかったんだよ~。今日のライブで実力見極めるって言ってたから、どこかでトチってたら全部無しになってたんじゃない?」
「マジか……」
 実際に舞台袖から大きく丸をつくる社長を見たらしく、羽風先輩がやれやれとばかりにかぶりを振る。
「我輩はハロウィンパーティまで見極めた方がよいと言ったんじゃけども」
「俺たちのこと認めてんじゃね~のかよ?」
 晃牙が詰め寄ると、朔間先輩は不思議そうな表情を浮かべた。すべてを食らい尽くす魔物の顔が、ステージを下りた途端こんな風にあどけなくなる。
 朔間先輩が一歩下がる。困惑する晃牙とアドニスの肩に、未だ汗ばんだ両手が乗せられる。
「認めておるし、成功すると信じておったよ。4月からず~っと、『俺』達はお前らを見てきたから」

「……っ朔間先輩!」
「うん?」
 あ、と羽風先輩が口を押えた。アドニスが首を傾げた。
 晃牙は朔間先輩しか見えない。朔間先輩が晃牙の好きな穏やかな表情で、視界一杯に晃牙を映してくれている。
「好きだ!」
 滑り出た言葉は戻らない。


 ☆ ☆ ☆


「……おぬしは、本当に順序を守らんのう」
 ようやく静寂が戻ったとき、朔間先輩は真夜中のような声で晃牙を諭した。
 いつの間にか羽風先輩とアドニスの姿が消えている。長い坂道の真ん中にふたり、街灯に照らされて、まるで講堂で演劇の舞台をしているみたいだと晃牙は思った。
「ハロウィンパーティまで見極めると言ったじゃろう」
 それも現代芸術の舞台だ。悲しみを夜空と明かりで表現した、晃牙の恋を悼む舞台。
 無数に浮かんでいるはずの星々のきらめきが街の明かりに飲まれて遠い。
 照明映えするよう、晃牙の頬に涙の宝石がこぼれる。
「あぁ、これ、泣くでない……誰も断っておらんじゃろう?」
「だっ、だってっ、『はい』じゃなかったら『いいえ』だろうがようっ……ぐすっ!」
「それはそうじゃけども……」
「ほら~~~~!!」
 演技でもなんでもなく狼狽える先輩の姿に晃牙の涙腺がますます緩む。まるでかの名探偵シャーロック・ホームズが宿敵モリアーティ教授と縺れ合って落ちたライヘンバッハの滝のようだ。
「保留、と言ったのじゃよ」
 そう朔間先輩が言い直したのは、晃牙がライヘンバッハをなんとか堰き止めてからだった。
「ほりゅう……?」
「うむ、だから泣くでないぞ? コウモリさんじゃよ~?」
 ハンカチのコウモリ柄をゆらゆらと振る先輩を無言で制止する。
 保留というからには返事をくれる日も来るということだ。晃牙が目だけで問うと、朔か先輩が口元に手を当てて考え込む。
「返事は……そうじゃな、ハロウィンの翌日は潰れておるじゃろうから、2日の放課後とか」
「ホントにっ!? そう言って朔間さん、返事をうやむやにするつもりでしょ!? 『その方が晃牙のためじゃ』とか何とか言って~」
「うおおっ!?」
 暗がりから飛び出してきた羽風先輩とアドニスに晃牙が仰け反る。
「羽風先輩、こういうときは隠れて見守るのでは……」
「臨機応変だって! どうなの朔間さん!?」
 鬼気迫る形相の羽風先輩に迫られて、さすがの朔間先輩もたじたじだ。
 泣き濡れた犬の瞳と鬼狐の瞳、純粋無垢な熊の瞳の合計3対に見据えられた朔間先輩は、ひとしきりオロオロしたあげく晃牙の前髪を掻き上げる。
 ……ちゅっ。
「…………」
「や、約束のキスじゃ。11月2日はちょうど我輩の誕生日。『嬉しいこと』は嬉しい日にした方がよかろ? ……わんこ?」
 夜風で冷えた額。ちゅっとくっついて遠ざかった、あたたかくて柔らかい何か。人肌の何か。
 世界が……回る。


「晃牙くんしっかり!」
「起きんのう……そのまま寝てしまったのかや?」
「朔間さん~~~~」
「あうう……」
「俺が背負おう。……重いな」
「いやドラム叩いた後で無理でしょ、朔間さん運びなよ」
「うむ、……やっぱり重いのう、鍛えたんじゃのう」
「ふたりとも大人だもんね」
 俺達と一緒に行けるくらい。
 それきり先輩ふたりが黙り込んだので、アドニスも口を閉ざして坂を下る。
 コーヒー豆の甘い香りがする。喫茶店を通り過ぎると駅はすぐそこだ。オレンジ色の明かりに照らされた街路樹の傍を抜け、横断歩道を渡り、駅前に出る。
 商業ビルの巨大モニターが光っている。
「We are UNDEAD、だな」
 液晶の向こうに未来が見える。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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