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とてもおいしかった




1.

 8月末の夕方の雰囲気が好きだ。
 薄水色の空に溶け込むあいまいな雲。もう少しだけ昼までいたがるそれは穏やかでちょっと哀愁漂ってて、80年代ロックという感じがする。きつく吹く風は秋そのものみたいに涼しいし、なぜか10時のオヤツに出てくるパンの匂いがする。10時のオヤツのパンとは、そういうパンだ。食パンでも菓子パンでもない、大人の手のひらサイズの色白のパン。
 思い出すと食べたくなった。頼りない甘さの素朴な味だった。10時のオヤツは中学校に上がるとなくなってしまったので、かれこれ10年近く食べていない気がする。
 オヤツのパンの口をした晃牙の唇に、ふかふかの何かが当たって離れた。
 ちゅっ。
「晃牙、ひま」
 ふかふかの正体は朔間先輩――の、唇だった。
「……っ、なんだよ、先輩」
 急に現実に引き戻されて、晃牙は慌てて格好をつけた。
「じゃから、ヒマ」
 晩夏と言ってもいい8月下旬の夕暮れ時、晃牙は朔間先輩と半日限りのオフをのんびり過ごしていた。のんびり、言い換えればだらだらと、ふたりの愛の巣のダイニングで思い思いのことをするのだ。晃牙はソファで音楽雑誌を、朔間先輩はその隣でテレビのバラエティ番組を見ていたはずだった。
「……そういうこと、するか?」
 晃牙は朔間先輩の太股に手を置いた。それまでもときどきキスだけし合っていたし、太股の外側同士がくっついていたから、そういう合図なのだと思った。
 けれど。
「やじゃ。……そういうの以外で、我輩を楽しませておくれ」
 初夏の果物売り場のさくらんぼみたいな唇から飛び出た無理難題に、晃牙は頭を抱えた。

 

2.

 恋は駆け引きだ。
 ……けれど、朔間先輩の暇潰しをするのは駆け引きではない。
「楽しませろ、って……」
 晃牙を唸らせている間に、朔間先輩は後ろを向いて晃牙の膝の間にお尻を入れた。いやらしい意味ではない。要するに背もたれにしたのだ。しかし、座る位置が悪くてずり落ち始めたので、もちもちのお尻は膝の上に移動する。
 人間椅子。
 晃牙の手がもちもちに伸びそうになる。ルール違反だと咎めるように、朔間先輩の手に包まれて抱きかかえられる。
「あ」
「お?」
 そのままの体勢でテレビを見ていた朔間先輩が、唐突に画面を指さした。
「富良野の大地が我輩を呼んでおる」
 晃牙は朔間先輩の肩の匂いを嗅ぐのをやめて(ちょうどいいところに肩があっただけだと後で言い訳した)、画面を注視した。青空と紫と緑。富良野特集をやっていた画面は、整然とした街並みを背後に出演者がロイズ実店舗限定ソフトクリームを舐める映像に切り替わる。あま~い! 朔間先輩の口もムニュムニュする。
「行きたい!」
「そうきたか」
「涼しくて空気も綺麗で人混みも少ないって、我輩のためにある土地ではないかのう? 晃牙と永住したら我輩幸せになれると思うんじゃけども」
 夢物語にうっとりする朔間先輩の代わりに、晃牙はiphoneを操作する。
 北海道、飛行機。片道の値段に気後れしてタブを閉じた。新幹線も高い。ふたりだけの力でやっていこうと引っ越してきたばかりの晃牙と朔間先輩には苦しい値段だ。しかしなんとか夢をかなえてやりたくて、色々な単語を打ち込んでみる。
「……ん?」
 検索結果に見慣れた場所がヒットした。リンク先を確認すると予想通りだった。
 これなら零も満足できるだろうという恋人らしい優しい気持ちと、騙されたと憤るだろうかとワクワクする悪戯心が半分ずつ晃牙に生まれた。
「わんこ、聞いておるかえ?」
「聞いてる聞いてる。……意外と近場だよな」
「そうじゃ近場じゃ、飛行機でひとっ飛びじゃよ!」
「いくか。鍵閉めるから財布だけ持っとけよ」
「へ?」
 端末と財布を尻ポケットにしまうと朔間先輩を連れ出した。手ぶらのまま徒歩で大通りに出てタクシー、ではなく歩道を横断、てくてく歩いて百貨店へ。通り抜けずにエスカレーターでぐんぐん上る。
「…………」
 見上げると真っ赤な横断幕。
「ここで晩飯買おうぜ」
 9階催事場、『北海道大物産展』。
 ジト目でむくれる恋人に「行く金ね~だろ」と鼻を鳴らすと、晃牙は夕飯時の催事場に特攻した。

3.

「物産展は旅行ではないぞ……断じて認めぬ……」
「さっきうまいモン食いて~って言ってただろ」
「北海道は食べ物だけではないのじゃが……」
 同じように夕飯を買い求める人の波に乗りながら、朔間先輩はぶつぶつ言っている。認めないと言うくせに紅い瞳は狭い通路の両脇をせわしなく見渡していてかわいい。
「あっ」
「あ?」
「トマトジュースじゃ!」
 朔間先輩は『北の大地のめぐみトマト』と書かれたのぼりに一目散に向かった。
「うおっ、やべ~な」
 急ぎ足もままならないほど込んでいるのに、騒ぎに振り返って朔間零に気付いた客がばっと進路を避けた。そのまま誰も追いかけない。物産展なんて庶民的な場所で見かけてましてや真横を通り過ぎていくなんて、幻覚か何かに違いないと思っているのかもしれない。
 あの人どこでもそうなんだよなぁ、といっそ可哀想に思いながら追いつくと、朔間先輩はまごつく店員の手からトマトジュースのカップをふたつ受け取ったところだった。
「ほれ、晃牙の分」
「あの手この手で俺様をトマトジュースにハマらせようとすんのやめろ。飲むけどよ」
「ひとくち飲もうかや?」
「テメ~の分と合わせて何口飲むつもりだよ」
 隅の方に行って口をつける。トマトなのに甘い。野菜らしい青臭さに濃厚な甘みが調和して、トマトが本気を出したという感じだ。
「おいしいかえ?」
 とっくに飲み干した先輩がニッコリと尋ねてくる。
「…………」
「おいしくて仕方ないという顔をしておるな」
 バレては仕方ないので無言で頷いて吸い上げた。ずごごごご、という音に物足りなさを感じる。
 朔間先輩も同じようで、ストローの先を噛みしめながら、
「ハマりそうかえ?」
満面の笑み。
「…………」
「わんこ~?」
「…………悪くね~かもな」
 毎日あんたの笑顔が見られるなら。
 簡単に永住を検討しだした晃牙だった。

 

4.

 北の大地のめぐみを大瓶で買った後、夕飯探しに辺りをぶらついていると、意外な人物と出会った。
「あれ~? 妙なところで会うね~?」
 羽風先輩――と、晃牙たちのプロデューサーだ。
「なに連れ歩いてんだよ……」
「心底ドン引きした顔で言わないでくれる? 俺も彼女も仕事帰りだから」
「余計引くだろ。おい、羽風先輩のことは気にせず帰れよ。俺様たちが回収しといてやるから」
 プロデューサーに気を回すと、彼女は困ったように眉を下げた。大事そうに抱えた袋から、小ぶりの箱を3つ取り出して晃牙たちに押し付ける。
 何度も頭を下げて去るプロデューサーの後ろ姿を見送りながら、3人はぼそぼそと囁き合った。「イカメシだぜ」
「明らかに晩御飯じゃが、よかったかのう?」
「う~ん、お母さんっぽい」
 そうか? そうだよ、と先輩。
 ……お母さんと物産展を覗いて夕飯のおかずを買うという、羽風先輩的にはすごく良いシチュエーションを邪魔されたので、先輩は晃牙たちと同じ腹ペコ組になった。切れ長の目がどことなく据わっている。
「うむむ。すまぬが、今日は収録ではないのじゃ」
 朔間先輩もとうとう客に囲まれている。囲まれているのは晃牙と羽風先輩もだが、何かしらのフェロモンでも出ているのか2人の比ではない。
 このまま夕食に移動するとマズイ。咄嗟にアイコンタクトした晃牙と羽風先輩の見解は一致をみた。
「俺様がメシ買ってくるから、先輩らはいつものトコ行っとけよ」
 晃牙が機転を利かせて指示を出した。二手に分かれる。エスカレーター前で方向転換する直前、羽風先輩の手からお札が飛んできて、諭吉と目を合わせた晃牙は文字通り飛び上がった。
 先輩やるじゃね~か……。
 先輩が5千円札と間違えたことを知らない晃牙は、ニヤリと笑って人の波に飛び込んだ。

 

5.

「さて、と」
 1周で買い切ることを目標に、晃牙は目についたうまそうなもの全部買っていくことにした。
 7時前の売り場は人人人で、急がないと売り切れてしまう。思い切り腕を伸ばして、帯広豚丼、十勝じゃがバターコロッケ、カニフライ、じゃが豚、函館かにまんじゅう。余るかと思った予算は北の幸の前にひらひらと散っていき、手元には黄金色のあったかいお土産がずしりと残る。腹にたまるよう予算配分を考えるところまでもがリアルゴチバトルだ。
 まあ割り勘だよな。
「やっちまった」
 残るはデザート(晃牙は食後のデザート不要派だが、先輩ふたりの強い希望がLINEで入った)だと、大荷物抱えてきょろきょろしていると、晃牙は重大な事実に気付いてしまった。
「富良野っぽいモン、ぜんぜん買ってね~じゃん」
である。
 富良野といえばラベンダー。ちょうど右前方にラベンダーソフトのお店があったので、これ幸いと近づき保冷庫を覗き込んでから我に返る。
「いらっしゃいませ~。ご試食ございますよ~」
「…………」
「いかがなさいました?」
 両手にコロッケ。豚丼。カニフライ。まんじゅう。
 その他諸々も実演販売でホカホカで、つまり溶ける!
「……ッ」
 とっさに辺りを見回した。ラベンダー入りの常温保存のお菓子はどこだ。ない。ならば石鹸でお茶を濁すかと考えたが、鼻の良い晃牙と朔間先輩には爆弾同然だ。そもそもデザートではない。
『冷たくておいしいのう~♡ 晃牙、ありがとう♡』
 売り場で固まる晃牙の耳に、恋人の甘い声が聞こえてきた。画面の向こうのソフトクリームを見て、口をムニュムニュさせる朔間先輩。富良野の大地が我輩を呼んでいると言って聞かなかった朔間先輩。そういえば鼻の利きすぎる先輩が富良野でどう生活するつもりなのだろう。そう気づいたところで、現実逃避に変わりはない。
 大神晃牙、危機一髪。
「手提げの保冷バッグ、お付けしましょうか?」
「……………………………お願いします」
 別に危機でもなんでもなかった。

 

6.

「あ~~♡ あま~~いのじゃ♡」
 長く険しい道のりを越え、晃牙の手で無事に届けられたラベンダーソフトは朔間先輩の美しい唇に吸い込まれた。
「つめたいのう~~♡」
 付属のプラスチックスプーンでつるりと掬ったソフトクリームを、唇で挟んでこそげ落とす。溶けて下唇に垂れたクリームは、赤い舌が晃牙に見せつけるように拭い去った。
「うんうん、晃牙くんにしては良いチョイスじゃん♪」
「姉達が好みそうだ……実にうまい」
 もちろん朔間先輩だけではない。
 『我輩ももっと見たい!』と嫌がる先輩をなだめすかして連れて帰った羽風先輩と、せっかくだからと晃牙がLINEで呼んだアドニスも、富良野の妙味に舌鼓を打っている。
「…………」
「おろ? どうしたのじゃ?」
「人混みに揉まれて疲れたんでしょ。ホントにありがとね、晃牙くん」
「食わないなら冷凍庫に仕舞っておくか? もちろん誰もお前の分は盗らない」
「…………うぅ」
 3人の気遣いを丁重に断る気力もなく、晃牙はふらふらとトイレに閉じこもった。
 疲れているのではない。食えや飲めやのどんちゃん騒ぎはしたが、〆のアイスも食べられないほどへとへとになった訳ではない。
 ただ……と、視線を落とす。
 立ち上がった局部。
「あ~~~~……」
 夜も更けまくって、ようやく晃牙は最初のイチャイチャ気分を思い出したのだった。
「やべ~よなぁ、アレ……」
 もちもちのお尻とぷりぷりの唇の感触が蘇る。
 引き締まってはいるが柔らかさを忘れない尻たぶ。果実のみずみずしさと淡雪の頼りなさを併せ持った唇。かにまんじゅうとじゃが豚は、それらを追求した晃牙の無意識がおいしく見せたのだ(実際おいしかったが)。
 しかしここでヌいたら間違いなくばれる。雰囲気とか臭いとかで、取り繕いようもなく気まずくなってお開きになってしまう。翌日以降のユニット関係がぎこちなくなることは火を見るより明らかだ。
 心頭滅却すれば火もまた涼し。つとめて冷静になるよう蓮巳敬人直伝のお経を唱えながら、晃牙はトイレのドアを開ける。
「色即是空空即是…………おん?」
 ところがダイニングには誰もいなかった。
「こ~うがっ」
「うおっ!?」
 斜め後ろから耳元に囁いてきた先輩に、晃牙はここがマンションの一室であることも忘れて叫び声を上げた。
 振り返ってみると至極ご機嫌で腕組みなんかしている。ラベンダーソフト効果だ。
「ふたりは帰ったぞい。我輩たちに気を遣ってくれたようじゃ」
「はぁ?」
「ゴミは玄関にまとめてある。食器も片付けたし、我輩働き者じゃろ♪」
 自画自賛しながら、首に腕を回される。
「ふふん、我輩が気づいてないとでも思うたか? あんなにも舐め回すように見つめおって……おかげで体が火照って仕方なかったのじゃよ」
 ディープキスの合間に寝室まで移動すると、朔間先輩は晃牙に見せつけながら服を脱ぐ。
 薄いポロシャツを捲り上げ、膝立ちのままスラックスに手を掛けた。太股に手を這わせるようにゆっくり摺り下ろし、真っ白な内股が晒されていく。
「あっ!」
 いてもたってもいられず股の間に手を差し込んだ。震えるそこを揉みしだけば、朔間先輩のあられもない声と共にやわく頼りない感触が指先を甘やかす。
「ぁ、っは……あぁ……」
「すげ~、オヤツのパンだ……」
「んむ……?」
「……なんでもね~よ」
 まさか10時のオヤツのパンに似てましたなんて言える訳がない。
「ふふっ……食ろうてよいぞ」
 ――食ったらどんな味すっかなぁ。
 朔間先輩の体をシーツに横たえ、柔らかい肉のついた脚を割り開きながら、晃牙は先輩パンの味を夢想した。
 ふかふかで柔らかくて頼りない口当たり。味もオヤツパンみたいに素朴で、ただしラベンダーの香りが鼻に抜けるかもしれない。試しに脚の付け根を嗅いでみれば、汗と雄の匂いが立ち込めた。「晃牙!」生きている匂いに興奮する。
「食ったら離れらんね~かもな」
 離れる気はさらさらないけれど。
 北海道どころか北極まで飛ぶ意気込みを見せようと、晃牙は目の前の白い内股にかぶりついたのだった。
 ガブリ!

 

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