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spread love star


好きだ、と零せば、知っておるよ、と静かな声。
「ありがとう」
おぬしのくれた曲はみんな、我輩への想いが詰まっておったから。
そう告げた声が優しく諭すみたいだったから、大神晃牙はたったいま失恋した。
 
 
 
「それじゃ朔間先輩、またね~」
「お世話になりました!」
 
雲ひとつない快晴の、卒業式日和。
軽やかに去る双子の背中を見送ると、零は吐息をひとつこぼして部室の奥に戻った。古びたドラムセットにパイプ椅子2つ、窓枠に区切られた青空を背にして佇むのはすっかり見慣れたもので、太陽にあたためられた大気のすがすがしさだけが3月中旬らしさを零の鼻腔に運んでくる。肺を妙に寂しくさせるこの空気は何度嗅いだって慣れそうにない。花の蕾と霜柱のほどける匂いは出会いの前、別れの季節を感じさせる。
人より多少鼻の利く自分がこうなのだから、楽器の向こうで座り込む後輩……晃牙の鼻は、もの寂しさで潰れているかもしれない。
 
「……葵君たちも帰ってしまったのう」
「……」
「卒業生歓送もとい追い出しセッション、楽しかったぞい。講堂の在校生代表ライブも、おぬしがこのノリで出たら大盛り上がりじゃったろうに」
「……」
「まあ、送り出す気持ちがなければ出んわいな」
 
すっかり押し黙った愛し子は、ドラムの椅子に胡坐をかいて床をじっと見ている。
ふたつめのボタンを閉じた首元に、真っ青なネクタイ、スラックスの向こうに隠したシャツの裾。今朝家を出るまでは『在校生』で居ようとしたのだと、けれど直前に飛び出して部室でずっと息をひそめていたのだと、いじらしい姿が伝えている。
毎年優秀なアイドルを送り出す夢ノ咲だからこそ、卒業式には報道陣が詰めかけた。制服の胸元に赤い薔薇を咲かせる者はもちろん、卒業式の在校生代表ステージに立たせてもらえる在校生にも青田買いの取材を忘れない。だから今日は、かつての零のように学院を騒がせてやまない晃牙にとっても、全国に己をアピールできる絶好のチャンスだったはずだ。なのに、幕の上がった舞台に狼の影は無かったし、式の後でひっそり行う軽音部の追い出し会などでは満足できるはずがない。その追い出し会でもドラムとベースばかり触って、宝物と豪語するエレキギターを奏でることはなかった。
そうやって音楽を体の中で燻らせて、早春の陽射しにきらきらと肩を輝かせて、目の前の愛し子は何を想うのだろう。
――ちいさなわんこは、立派なアイドルに育った。
こうして見ても、晃牙は出会ったばかりの頃より一回りも二回りも大きくなった。成犬というには細い肩が、それでも伸びやかな腕のラインにつながり、節くれだち始めた手を動かす。やわらかい指先は弦に擦れてすっかり固くなっただろう。
ひとりきりの屋上で、夜更けまで残って教則本を捲り続けた分だけ、大神晃牙の輝きは増していく。教科書を放り出し、胸を悩ます想いをがむしゃらに歌い続けた分も、アイドルとしての魅力を高めていく。
そうして太陽を背負う晃牙は、誰よりもかっこよくて、誰の憧れにもなれる、最高のアイドルになるのだろう。過去の栄光すら消えた吸血鬼などに憧れる子どもから。
だから……誰かの恋心で縛り付けることなんて、できるはずがなかった。
ふと、床の影の濃さに気が付いた。午後5時半の空が翳りつつあった。さよならの足音に踏み荒らされて、心が沈む。今生の別れではないのに、そうなることに怯えてしまう。けれど臆病な自分を悟られたくなかった。迷いは見せても泣き言なんて零さない、いつまでもかっこいい、晃牙の憧れる人でいたかった。狼に恋した吸血鬼のちっぽけなプライドだ。
けれどその小さな恋心にこだわり本音を隠すには、どうでもよいことを並べ立てるほかなかった。
 
「う~む、困った困った。棺桶どうしようかのう~? 発注も結構大変じゃったし、エアコンやら冷蔵庫やらで改造費も結構かかったしのう~? わんこや、折角だから貰ってくれんか? 今なら最高級生ハムと我輩が通販で頼みすぎたトマトジュース半年分付き! 徹夜して悪巧みするときとか悪巧みが生徒会にバレて籠城するときなんかに便利じゃぞ。まあ蓮巳くんの小言の嵐は過ぎんかったがのう」
 
軽口を叩きながら、バスドラムに跨った。詰められるはずのない距離が縮んだせいで晃牙の肩がびくりと揺れる。手を伸ばせば相手の頬にも十分届く距離。ドラムセットの壁を大きく張り巡らせて油断したから、子犬は飼い主を無視できない。
 
「……それ、邪魔だろ」
「そうかえ?」
 
ようやく声を絞り出した晃牙の指し示す先、零の薄い胸の左に偽物の薔薇が咲いていた。心臓を守るというより撃ち抜かれたような色をして、腕と擦れる度に乾いた音を立てる造花は、卒業生のしるしだ。死した者は楽園を去れと言わんばかりの粗末なコサージュをたわむれに摘めば、幼い顔立ちが険しくなる。
こんなもので門出を祝えるものか、と引き結んだ唇が伝えている。大切な先輩を軽んじられた憤りが瞳に燻り、琥珀色に射抜かれる。
八つ当たりだとは言えなかった。
惜しまれることが嬉しくて、煽りたいとすら思ってしまったから。
 
「ストラップにぎりぎり引っかからん位置じゃが……気になるなら、おぬしが取っておくれ」
「はぁ?」
「ほれ」
 
震えを気取られないように、あえて茶化して胸をそらせば、晃牙の目が零の笑顔と左胸とを何度も行き来した。あきらかに動揺した顔で伸ばした指先は、一度だけ拳の中に握りこまれる。そういえばわんこは細かいことが苦手なんじゃったかのう、と意識を飛ばした一瞬の間に、爪先が零のジャケットを掠めた。
 
「……ッ」
「なんでこんな訳わかんね~こと頼むんだよ。……あぁクソ、また外した。もうこれ引きちぎっていいか?」
「……っ、愚かなことを言うでない、あえてわんこに任せた意図を考えよ」
 
訪れては消える刺激に息を詰める。銀色の柱の間、不自然な体勢で伸ばされた腕はコサージュの根元を注意深く弄った。よく見えるようにと端正な顔が近づいて、ふるりと震える睫毛の長さ、目蓋の薄さが胸を騒がせる。
 
「こんなのぜって~あんたの方が得意だろっ。……お、取れた」
「あ……」
 
取れてしまった。
拍子抜けして顔を見合わせたのは一瞬で、ふたりとも弾かれたように距離を取った。
晃牙の両手の存在感が心臓の上に残っている。もどかしい仕草は制服から肌の下に伝わって、細い針で心を引っ張られたみたいだった。好きだと思わせたり、このままでいいと感じさせたり。甘い痛みを伴って晃牙に引き寄せられる。
 
「よく……やったのう、くるしゅうないぞよ♪」
「チッ、世話ばっかかけさせやがって。ほらよ」
「わんこが持っておくがよかろ。お駄賃じゃ」
「いらね~!」
 
些細な言葉がちくちくする。
 
「どうも最近の若いモンは憧れの先輩の第二ボタンがどうのとか思わんようじゃ。は~やれやれ」
 
高鳴る鼓動を悟らせないよう、さりげなく離れて棺桶に腰掛けた。
冷たい蓋に手をつくと、ふと指先に紙束が触れた。
手繰り寄せたのは今朝棺桶から取り出して読んだばかりの楽譜だった。
思い出の楽譜だ。零と晃牙の、一夏の秘め事。……なんて言えば背徳的だけれど、本当はただのわんこの自由研究。
ずっとここにいた晃牙は気付いただろうか。そっと見た顔はいつも通りだったけれど、もしかしたら、自分がこれを未練たらしく持っていることの意味に思い至ったから黙りこくっていたのかもしれない。あるいは、縄張り意識の強い晃牙だから、零の縄張りに遠慮して盗み見なかったかもしれない。気になるけど気にならないフリをして部室を歩き回る愛し子の姿に笑いをこぼせば、張本人に胡乱な視線を寄越された。
……あぁ、聴きたい。
本人がここにいて、自分も同じ場所にいる。それも今日が最後。窓の向こうは黄金色に染まりはじめたばかりだけれど、じきに夜になってしまう。お別れは日が沈むまでに済ませておきたい。
だから、優しいわんこが手元の未練を見逃してくれるなら、自分はその優しさにつけこもう。
 
「今日は一度も宝物を触っておらんのう」
「あぁ? ……そうだったか?」
「おぬしは嘘が下手じゃのう……我輩と演奏するのはもうイヤかえ?」
「ばっ……イヤなワケね~だろ!」
「そうかそうか♪  素直で結構」
「……くそっ」
 
逸る心につられないよう普段通りの声音で誘いをかければ、咄嗟の本音にバツの悪そうな顔をされる。幼さの残る頬が赤く染まる、その一瞬でも零の心は持っていかれる。
優しいわんこ。愛しいわんこ。
高鳴る鼓動が喧しい。じきに死刑宣告されるからだろうか、それとも未だ期待しているのか。
 
「かわいいわんこを見習って、我輩も素直になるぞい」
「あんたはいつも欲望に素直じゃね~か」
 
素直なんかじゃない。心臓が破裂しそうなくらい期待しているのに、本当の気持ちを明かせない。
だから今日だけでも、胸のいちばん奥に隠した想いを叶えたい。
 
「最後に」
「……っ」
「最後に、おぬしのギターが聴きたいのう」
 
まだ両想いでいてくれる、なんて期待したい。
 
「のう、わんこや……あの曲を、我輩に手向けておくれ」
 
あの夏の曲を。ふたりだけの秘密にできたあの曲を、別れの曲にしてほしい。
ずっと棺の奥に仕舞い込んであったそれを今更読み返したくなったのは、ここにいられる最後の日に宝物を思い出したかったから。
誰よりも眩しい日の光に、愛し子への未練を焼き払ってほしかったから。
そうして、朔間零の片思いを終わらせてほしいから……。
 
 
※  ※  ※
 
 
『夏休みとはいえ随分長いこと姿を見ないと思っておったが、作曲に勤しんでおったんじゃのう……我輩わんこで遊べなくて寂しかったぞい?』
『わんこじゃね~し、御託はいいからさっさと読めよ。楽譜も読めね~ポンコツなら俺様が直々に弾いてやろうか?』
『そう急かすでない、読んでるところじゃ。ふむ……珍しい曲じゃのう?』
『はっ!?』
『なに挙動不審になっとるんじゃい。おぬしが書いたこの曲、良い意味でおぬしらしからぬ曲じゃのう。何だかラブレターみたい……あぁ、ラブレターなのじゃな?』
『ちげ~し! ニヤニヤすんなタコス。つ~かどうしてそう思うんだよ』
『違うことにしといてやろうかの。ほれ、ここ……同じフレーズを繰り返しておる。子供じみたフレーズじゃな。それをまるで切羽詰まったように何度も何度も弾いておる。中学生か高校生が物量作戦で告白しておるようじゃ。数を打っても当たらぬタイプじゃのう~』
『ふ~ん……』
『まあ、我輩もこういうのは好きじゃけども。幼稚で青臭くてひたむきで……聴いているこっちが恥ずかしくなって、嬉しくなる。若さに中てられるというヤツかのう? ふふっ、らしくないのう、けれどしっくりきすぎて怖いのう♪ 意外性という意味ではUNDEADにぴったりじゃ。次のライブで演ってみようぞ。歌詞は任せておくれ』
『……歌詞は、乗せねぇ』
『ほう? よかろ、アイドルのライブにインストというのもロックじゃろうて。では我輩手ずから4ピース用にアレンジするかのう。腕が鳴るわい♪』
『あのさ……』
『むう?』
『いや、うん、……なんでもね~し』
『そうかえ? まあ後書きは控えるが吉じゃな、コンポーザーの端くれならば』
『そういうのじゃね~けど』
『ふむ……あぁ、そうじゃ。蛇足と言うたが、大事なことを聞き忘れておった』
『な、なんだよう……っ』
『宛先は、嬢ちゃんかのう?』
 
 
※  ※  ※
 
 
「あの曲を、我輩に手向けておくれ」
 
零の手の中で風に揺られて音を立てたのは、ずいぶん昔に見慣れた楽譜だった。
覚えている。忘れる訳がない、何度も書き直したそれは汗と消し跡ですっかりクシャクシャで、晃牙はそこに一夏の恋を封じ込めたはずだった。
 
「それ……なんでまだ持ってんだよ」
「ん? UNDEAD唯一のインストのデモを、何故捨てる必要があろう?」
「……そりゃ、そうかもしんね~けど」
「まあ、それがすべてという訳ではないが」
 
細い指が譜面をそっと撫でる。
思い出を辿るような指遣い。自分もあんな風に触れられたい、なんて願いが晃牙の胸を切なくさせる。
UNDEADの楽譜というにはギターとベースしか想定されていないそれは、アレンジを弾きなれた今では無用の長物だ。持っていても仕方ないはずのそれが、半年前と変わらぬ姿で零の手元にある。
大事にしまっておいたのか。都合の良い憶測だと片付けるには、その曲をねだる零の言葉も声も甘い。
 
「これを聴きたがるのは、冥土の土産と言えばよいかのう……おぬしの青臭い演奏を聴いたら若返る気がしてのう。これから毎日芸能活動のために早起きするのも『あのわんこでさえ学院で頑張っておるのだから、超絶技巧派アイドルの我輩もしゃんとせねばならんのう』と耐えられると思ったのじゃよ」
「どうせそんなことだろ~と思ったぜ……」
「やはり未熟な腕前を晒すのは恥ずかしいかや?」
「ハッ! 馬鹿言うんじゃね~よ、俺様の超絶テクに感動させてやっから後で泣いて詫びろよ!」
「言うのう、それでこそわんこじゃ♪」
 
ドラムの前に回り込んで愛器を取り出せば、今か今かと待ちわびる瞳と目が合った。
ストラップをくぐりピックを構えたところで、躊躇う時間を与えられなかったことに気付く。あんな安っぽい挑発を受けなければ、晃牙は朝から逃げ続けてきたセッションをする気にはなれなかっただろう。悪戯じみた深紅の輝きは五奇人時代から変わらない。晃牙をずっと惹き付けてやまなかった色だ。
その焦がれた紅を、これから晃牙は掴みに行く。
ラストセッションに向けて息を吸って吐いた。冷たい大気が鼻腔を舐めて肺を満たす。覚悟を決める。
進むカウント。アイコンタクト。溜めて――走り出す!
 
「――ッ!」
 
走り出した音は止まらない。いつもより少なく、けれど力強い音がふたりきりの部室を飛び出して校庭に広がる。
晃牙の真隣で低音が軽やかに刻まれる。夢ノ咲での最後のセッションだというのに、普段の飄々とした足取りに似せた音色が晃牙の鼓膜を叩いてゆく。
コイツは感慨深いとか名残惜しいとかないのかよ、俺様はこんなにもぎこちなくしか弾けないのに。そうふて腐れるように横目で睨むと、いつになく真剣な眼差しが手元に注がれていた。
心臓が高鳴る。零の指先に掘り起こされるように、五奇人・朔間零へのかつての思慕が次々と呼び覚まされて掻き立てられる。
急に指が動かなくなった。この零と弾けるのはこれが最後だと、体まで感じ取ってしまった。焦がれた人に捧げる旋律は最高のモノにしたかったのに、いざ弾くと音色の情けなさに心が沈んだ。
だから音を選んで奏でれば、鋭いスラップで挑発される。
紅い瞳とかち合った。おぬしの爪はそんなモノではなかろう、そう言われている。でもやけくそに弾いた旋律が晃牙のすべてだ。
楽しんで楽しませるために掻き鳴らすはずの音色はやっぱり泣き声みたいだ。自分のギターじゃない。でも間違いなく大神晃牙の音で、子供が泣きべそをかくように聞き分けのない色をしている。
孤高の一匹狼の大神晃牙なら……痛みなんか忘れて相手に噛みつきにいくだろう。
だけどもう、別離の痛みをこらえるしかなかった。大神晃牙は朔間零の犬になってしまったから。零とするライブに心躍らせ、頭を撫でる手に尻尾を揺らし、零の演奏が始まれば飛んでいく……飼い主の右手に心を委ねるようになったから。
はやる心につられたサビが、あの夏の熱さを思い出させる。告白したつもりになって、玉砕した夏の日。午後7時の夕焼けに凭れ掛かって晃牙の恋文を口ずさむ姿は穏やかで、けれどかつての朔間零の魂がそこで輝いていて、泣きたくなるくらい眩しかった。だからやっぱり好きだった。今でも好きだ。離れたくない。先輩と後輩では嫌で、だけどそれ未満になるのはもっと嫌だ。胸元からむしったコサージュ。卒業生面してあの観客席に座る吸血鬼ヤロ~なんて耐えられなかった。
 
「……っく、」
 
息すらうまく吸えない。走り出した音の速さに胸が詰まって苦しい。だから音のシャワーの隙間を縫って喘げば、桜の蕾の香りが肺に紛れ込む。
鼻の奥がツンとした。視界が歪んだ。零す涙があるなら残さず音にこめてぶつけたかった。隣を振り向かずにひたすら奏で続ければ、酸欠の指先で一音一音弾くたびに、心の奥まで掻き乱されるみたいだった。
楽しいのに楽しくない。心乱される音なんて聞きたくない。
駆け抜けた先にあるのは別ればかりなのに、あんたに負けたくなくて立ち止まれない。
音がぶつかる。ベースのくせにメロディラインを奪いに来られて、追い抜かれる。
アイドルなんて目指してなかったのに。ロックスターを夢見る子狼の心に零の歌声が滑り込んできて占拠したのがいけなかったのだ。気づけば視線も耳も奪われて、ステージの外でも朔間零を忘れられなかった。
晃牙が追い縋って奪い返した頃には旋律がすっかりアレンジされている。元の勢いはそのままに、心躍らせる音をたくさん詰め込んで。こんがらがる指を諌めて更に変えて鳴らしてやれば、見合わせた目に歓喜の色がきらめいた。
気が付けば2番のサビもがむしゃらに走りぬけていた。あと2分足らずの演奏が切なくて楽しい。かつて張り切った用意したギターソロを、やっとひとりに捧げられた。半年越しのラブレターは重低音ばかりの晃牙好み。これが俺様でこんな風にあんたのことを好きになったんだと伝えるなら、あんたを追いかけてきた姿をみてもらうしかないんだと思った。
なぁ吸血鬼ヤロ~、来た道には後悔してないんだ。夢の先にあんたがいる喜びを、ここでたくさん教えてもらったから。たった2つ違いの神様に追い縋る日々は苦しいくせに目がくらむほど楽しくて、いくら馬鹿騒ぎしても飽きなかった。そんな毎日にいつの間にか恋心が紛れ込んだらますます夢中になったけれど、明日が来なくなるのが怖くて言い出せなくて。ラブレター代わりにしたためた曲は褒められるだけで、やっぱりこのままの関係を続けるしかないのだと安堵していた。
それでも想いが溢れてくる。自分のすべてを音に乗せるのが大神晃牙のギターだから。零への想いは熱い血潮になって晃牙の体をずっと駆け巡っているから。
 
――あんたが好きだ。誰よりも。
 
リフに閉じ込めた想いが、あんたに届けばいいのに。
そう願うまでもなく、晃牙の唇が「すきだ」の3音を紡いでいた。
 
 
※ ※ ※
 
 
『まあ、我輩もこういうのは好きじゃけども。幼稚で青臭くてひたむきで……聴いているこっちが恥ずかしくなって、嬉しくなる。若さに中てられるというヤツかのう? ふふっ、らしくないのう、けれどしっくりきすぎて怖いのう♪ 意外性という意味ではUNDEADにぴったりじゃ。次のライブで演ってみようぞ。歌詞は任せておくれ』
 
告白された気がして、慌てて誤魔化した夏の夕暮れ。
宵闇の中で光る眼差しを曇らせてしまうのが怖くて、それでも唇がほどけて「あんたが好きだ」と言ってくれるのをずっと期待して、潜めた本音を薄闇に溶かしていた。恋文を借りるなんて狡いやり方、気づかない青臭さも知っていた。
自分の手放してしまった真っ直ぐさを、愛しいわんこは大事に抱え続けていた。ひたむきであることを誰に教わるでもなく魂の一部にして、自分の信じるものを貫き通していた。
その小さくて逞しい背中を見守っていたはずなのに、独り占めしたくなったのはいつからだろう。
きっと最初からだ。愛し子と呼んで手元に置くのに尤もらしい理由を必要とするくらい、とっくに大好きだった。
だからやっぱり、この気持ちで縛り付けてはいけなかった。
 
 
※ ※ ※
 
 
恋の音を燃やし尽くした部室が、暮れなずむ夕日の色に染まっている。
この部屋で何度となく燃え上がり、そのくせ一度も交わされることのなかった想いは、晃牙の大きな手の中でじりじりと焦げ付いていた。
 
「……ありがとう、だけかよう」
 
晃牙の心は朔間零を諦めきれない。
熱が手のひらを焦がしても、零の言葉に酸素を奪われても、この恋慕を消してしまうなんて考えもしないのだ。
 
「……そんな顔するでない。おぬしのは、一時の気の迷いじゃよ」
「……ッ」
 
零は、そんな晃牙と自分自身に言い聞かせるような声音で、晃牙の恋を否定する。
2年間の憧れと憎しみが気の迷いなんかじゃないことは、零にもわかっているのだろう。泡沫みたいな恋なら晃牙をこんなに切なくさせない。逃れたいのにとらわれて、絡まった想いの鎖を解いてほしいと懇願することもできないまま、2年も経ってしまった。それが恋だと自覚したのはついこの前だけれど、零の華奢な背中に胸が苦しくなったのはずっとずっと前からなのだ。
それとも零が、戦っているのだろうか。一時の気の迷いにできない強い想いと。晃牙みたいに相手を目で追いかけて、突っかかって、上手くあしらわれるのが悔しくてすこし嬉しいのに、そんなことで喜ぶ自分が嫌になる、そんな日々を過ごしていたのだろうか。
一縷の望みに縋るように仰ぎ見れば、零はいつもの朔間零だった。
ちっぽけな部室に佇んでいても一等星みたいに眩くて、神様みたいな存在感。夕日が零の全身に光をのせて艶やかに輝かせるけれど、月明かりではもっともっと美しくなる。スポットライトを浴びれば暴力的なまでにかっこよくなれるし、早朝の薄明かりの中でもはっとするような綺麗さでいる。
そんな風に、いつでも晃牙の目を引くのは、零がどこもかしこも優れているから。傲慢で強くて、1年の晃牙が憧れてやまなかった魅力が今もあるから。
 
――やっぱり、あんたは誰よりもカッコイイよ。悔しいけど。
フられても、諭されても、晃牙は零が好きだった。
 
「あ~チクショウ!」
 
叫んで頭を掻きむしれば、零が肩を跳ねさせる。零を驚かせることはできても恋人にはなれないなんて、おかしかった。
 
「チクショウ……」
 
あんたと出会ったせいでおかしくなっちまった、とこぼした声は、思いのほか震えている。泣くのを堪えているみたいで、実際零の細い体が滲んで歪んでいた。
 
「出会わなければよかったかのう?」
「んなワケね~だろ……出会いたかったから、困ってんだよう……」
 
――出会いたかった、ずっとずっと。魂を燃やしてくれる誰かに。
燃えるような夕日を背に、零の忠犬は頭を抱えて蹲った。
狼らしい、逞しい二の腕から小さな耳が覗いている。耳たぶまで赤くして、銀のピアスがさざめくみたいに輝いていた。
恋することは、こんなに辛かっただろうか。
いつかの放課後、一度だけ零とレコードショップに行ったのを思い出す。一面の曇り空にテンションを上げた零が、思い立ったが吉日とばかりに晃牙の手を取り商店街へ向かった。重なる手のひらが熱を持った。坂道を駆け下りながら、雨の匂いの中に零の香りを見つけて嬉しくなった。好きな音楽の話で盛り上がるなんて恋人同士みたいだなんて、灰色の空の下で浮足立った。そんな晃牙を知ってか知らずか、零は一番初めのクラシックコーナーから動かなかったけれど。仲睦まじい恋人から一変、置いてけぼりのカレシみたいになった晃牙は、試聴コーナー越しに零の背中を見つめたのだ。
あのとき聴いたロックスターのラブソングすら、こんなに胸を締め付けはしなかった。
時を重ねる度に増す想いは、憧れにしては生々しくて、絆にしては壊れるのが怖い。
最後だと思って弾いたけれど、本当は零の前でギターを弾くのが怖かった。昔の自分が聞いたら呆れるだろう。晃牙の命そのもののロックを奏でない日はない。ただ、零の前で弦を弾けば、音色で全部ばれそうだから。なんて女々しい音を作るのかと軽蔑されてしまったら、きっと指が震えてままならないだろう。
それも今日でおわりだ。晃牙は失恋して、今日は3月18日だから。さよならの季節がそこに来ている。たくさんの思い出が、卒業証書の筒の中にまとめて仕舞われて忘れ去られる。晃牙の胸の中では今もこんなに息づいているのに。
 
「ばかみてえだ……」
「ほんに愚かじゃのう、吸血鬼なんぞを恋いおって」
「吸血鬼じゃねえ、あんたに惚れてんだよ……」
 
零が窓の外に目をやると、いつの間にか夕焼けは地平線の向こうに消えていた。藤色の雲がまばゆい空を薄く覆い始め、赤や紫、薄藍へと色を変えていく。
 
「夜闇が訪れるのう……」
 
夜が来る。夕焼けも別れの曲も、暗闇が全部飲み込んで隠してしまう。
明日になれば、零は晃牙の心など見なかったフリをして、晃牙をあるべき道に帰してやろうとさかしらに振る舞うだろう。わんこ、わんこと晃牙を呼ぶ声も、アイドル科OBが有望で生意気な後輩をからかっているだけ。そこに滲ませた優しさは、誰にでも等しく与えられる親愛だ。
学院の生徒を愛し子と呼ぶ零が、いっとう目を掛けた愛し子の未来に火種を撒く訳がない。
けれど……晃牙は見てしまった。好きだと告げた瞬間、燃える夕日の中で真紅の瞳が揺らいだのを。年相応のあどけない顔が泣きそうに歪んで、瞬きひとつの間に凪いだのを。
あぁ、悪手だった、と気づいたのもその時だった。本当に零と愛を交わしたいなら、夢の先へ行くのを待つまでもなく奪ってしまえばよかったのだ。忠犬ぶって飼い主の指示を仰がずに、あんたしか愛せない、何があっても諦められない、と叫んで零の心を手に入れればよかった。そんな傲慢さを零に愛されたのが、大神晃牙だったから。
そして朔間零は、大神晃牙を愛していればこそ、想い人を地獄の底に落ちさせなかった。
零らしからぬ臆病さだ。跋扈する魍魎とは程遠い。導くことを忘れ陰ながら見守るなど、宵闇に浮かびちらちらと瞬く星屑のようですらある。
 
「……覚えてろよ」
 
だから、零の心が晃牙の手に届くなら、届かないとしても、晃牙は想いの星を夜空に撒く。
俺様にはあんたしかいない。
あんただってそうだろう。
そうしてやる。
俺様から逃げられると思うな。
あんたが逃げ腰でも、掴んでここまで引き摺り下ろして、ブッ殺してやる――。
愛の言葉にしては物騒な文句で、晃牙は零を捕まえる。
蹲って小さくなった犬はもういない。胸を締め付ける切なさも、零のいない学院で過ごす寂しさも、全部立派な牙に変えて、零の心臓に噛み付きに行くからだ。
 
「おぬしこそ覚えておるまいよ」
 
零が小さく笑う。
子どもの戯れとでも言いたげなそれが驚きに変わるのは、そう遠くない。晃牙は駄々を捏ねるだけの子どもではないから。
零の瞳の奥に潜んだ恋心を、満天の星明りで照らしてこの手に掴んでやる。
 
祈るように零を見上げた晃牙の前に、春の夜風が舞い込んだ。
卒業は、桜の蕾の香りとラストセッション。
零の爪弾くベースの音色が、晃牙の胸を甘く締め付ける。
 

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