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まてなんて言われてない

2015年晃牙誕



2人分の腕の重さが、繋いだ手にかかっている。
晃牙がおもわず笑みをこぼすと、零は「なんじゃ?」と首を傾げた。
絡めた指と同じくらいやさしい顔と声音だ。わざと手を引っ張って体を寄せれば、目尻の皺が深くなる。
「なんでもね~し」
なんでもない訳がなかった。でもなんでもないフリをした。
腹を丸出しにして喜ぶには、気恥ずかしさがまだ残るから。
 
――恋愛初心者。それが夜の学校を歩くふたりの属性だ。
付き合って1月。手をつないで1週間。わんこと飼い主と他称された関係が一変したから、晃牙の一方的な敵視もやわらぎつつある。
その代わり、年頃の少年らしい照れ隠しが晃牙の生意気な態度に覗くようになったけれど。
今もまた、他称デート、自称真夜中の果し合いの帰りにふたりで正門まで歩いている。
デートコースを照らすのは、どこか心もとない蛍光灯と星明かり。道の端に残された夜闇が、ふたりにとってはロマンチックだ。
晃牙は家族の待つマンションへ歩を進めて帰る。一方零は、根城の軽音部室に引き返すだけ。
わざわざ往復10分の散歩をして意味があるのか。
問われた零の頬が薔薇色に染まる様子は、7日経った今でも覚えている。
「もう少しだけ、共にいたいだけじゃけども」
晃牙の胸をくすぐるワガママは、薄い唇から紡がれている。
 
「明日はうんと美味しいところに連れてゆくから、わんこの尻尾も振り切れるかもしれんのう」
「だから犬じゃね~し」
「犬じゃなくてわんこじゃの」
「ちげ~って!」
階段を一歩下りるごとに、繋いだ手もとんとん揺れる。
夜は自分の領域だと言うだけあって、零の足取りはとても軽い。わざと大げさに着地するから、1段1段晃牙の腕が引っ張られる。2歳年上のくせしてこういうところは子供のままだ。
跳ねた拍子に解けてしまうほどゆるく絡めてはいないけれど、晃牙はなんとなく零の薄い手を握り直した。零の指の股に自分の指をぎゅっと押し込んで、指の腹をなめらかな手の甲に押し付ける。やわらかい。熱が手のひらにじわりと灯って汗ばんだ。意識するほどのことでもないから、隣で笑いの零れる気配がしたのは深く追求しないことにする。ここで噛み付けば年上の恋人の思うがままで、零にしこたま笑われるだろう。
「わんこはかわいいのう」
「はあ?」
「ククク、照れずともよい」
「……照れてね~し」
拗ねたみたいな言い方に、今度こそ零に大笑いされた。
「ふは、ふふ、それが照れてるんじゃて、ははは」
「……」
「くく、すまんすまん、そう拗ねるな」
「拗ねてね~し」
「ははは!」
……別に拗ねてはいないのだ。晃牙は熱い頬を隠すように下を向く。
(うれしそうな顔すんなよう……)
薄い腹を抱えて笑う零の右手が、晃牙の手を離さないから。感触を確かめるように、たまに手に力を込めては緩めるから。
隣にいる、と意識される嬉しさが、晃牙の胸にはじめての切なさをもたらす。
「ククク……わんこ」
「んだよう」
「愛しておるぞ」
「っ、昨日も聞いた」
「減るものでもあるまい」
俺様の心臓は減ってんだよ、なんて情けない声は、喉元で無理矢理とめた。これ以上恋人を喜ばせたら、日が昇るまで帰れないのは想像に難くない。
「わんこが好きじゃよ」
「じゃあわんこって呼ぶなよ」
「かまわんけども、おぬし、心臓がもつかのう?」
「な……っ!」
「おぬしのここが、どきどきしておるじゃろう?」
口に出してたかと焦る晃牙を尻目に、零の大きな手が、晃牙の左胸をそっと撫でる。
「我輩の心臓も、同じくらいうるさくてのう」
そうして年上の顔にはにかみ笑いが浮かぶから、晃牙の心臓が少し減った気がした。
 
心が騒いで飛び跳ねている。
視線が合うたび愛おしそうな目を向けてくる、いとしい恋人が悪い。
そこがほの暗い踊り場で、零の唇がツヤツヤしていて、ふたりきりだと思い出すのがいけないのだ。
16歳最後の夜が、晃牙の目の前でキラキラしている。
 
「あ」
気が付くと正門まで来ていた。
最後の段から足を下ろすどころか下駄箱の前も通り過ぎたということか。星空の天蓋を頭上に抱いているのに、それすら気づかなかった。
晃牙も零も傍の一番星に夢中だったから仕方ない。
「お別れじゃの」
向かい合った零の目が寂しそうだった。
零の見送りは正門まで。零が言い出したことだけど、カッコ悪い気がして晃牙はその先をのばせずにいる。そのかわり……絡めた指が離れない。零の手が、握って開いて、もう一度握った力は5分前よりも強い。
晃牙と合わせた紅い瞳が揺れている。
「困ったのう、早起きのわんこを帰さねばならんのじゃが……」
眉を下げて笑う零の、唇にばかり目が行ってしまう。
別にあんたがいいならこのままでいい。キリが悪けりゃ良くしてやる。
むに、とごまかし笑いを浮かべた唇が、正門の灯りでツヤツヤしていた。チャンスだ。7日前の零が晃牙の手を掬って絡ませたように、晃牙も今なら自然にキスできるだろう。キスして、「これでガマンしろよ」と言い残す。無言で去る方がロックかもしれない。吸血鬼ヤロ~に一矢報いてドキドキさせる、またとないチャンスだ。
「すまんのう、これきりじゃ」
なのに……動けなかった。
ぎゅっと力を込めてから名残惜しそうに離れる指に、晃牙は唇を噛む。
どこからか鐘の音がした。7月18日に日付の変わる鐘は、晃牙の誕生日を知らせる音だ。もの寂しげなそれに晃牙が耳を澄ませた瞬間――視界がゆれる。
「誕生日おめでとう。……一番乗りじゃな」
耳元に甘い声が届けられて、晃牙が顔を上げる。ほどけた指が背中に回っている。汗の甘いにおいがする。
抱き締められたと気づいたのは、晃牙の視界に零の細い肩が飛び込んできたからだ。
ふたりの間に言葉はなかった。強張る腕を腰に回して、白いうなじ、艶を孕む黒髪、白磁のような頬――晃牙の唇が零の唇に吸い寄せられる前に、体が離された。
「……おやすみ。また明日」
指を解くのはあんなに名残惜しそうだったのに、零の背中は来た時と同じ軽やかさで遠ざかる。
今のはキスするタイミングだっただろう。ファーストキスの雰囲気だった。意外とロマンチックな晃牙好みの、甘く初々しいシチュエーションだったのに。
「『まて』かよう……」
情けない遠吠えが地面に落ちた。
 
 
 
 
そうして家に帰って最初に何をしたのかというと、若さの後始末である。
「……っ!」
息を詰めて吐き出すと、晃牙は壁にずるりと凭れかかった。
ティッシュを玉にして放るのは3度目だ。ロックなデザイン重視のゴミ箱は入り口もロックで、ほど近いところから投げたものでも軒並み弾いてくれる。
呼吸を整えつつ拾ってみると、計3個の屍は妙に重い。情けなさの塊だからだろうか。
付き合って1ヶ月と1日、手をつないで8日、抱きしめられて1日――初めて指を絡ませてから毎日、夜遅くに帰ってはこうして昂りを慰めている。
繋いだ手の感触が、晃牙の片手に生々しく残っているから。零の手の甲がしっとりと吸い付くような触り心地だったのも、解いた指先が指の股に擦れて肌を粟立たせていったのも、肌の上に刻まれている。
あの指でもっと触れられたかった。
お互いに触れ合って、意地悪そうに笑う唇にキスをして、押し開いて、舌を絡めたい――。
そう考えたら、また体が熱くなった。
今夜は何度慰めてもおさまりそうにない。細い腕で抱き締められた、あの柔らかさも晃牙の胸をかきむしる。零の汗の匂いは意外と甘かった。晃牙をくらりとさせて、腰に重く響く匂い。
「……ちくしょう」
17歳最初の夜は、ひとりで忙しい。
 
 
 
 
「17歳のお誕生日おめでと~昨夜はお楽しみだったかしら?」
終礼が終わるや否や、冷やかしてきたのは鳴上だ。いつも以上に熾烈な目つきの晃牙は、今朝からひたすら遠巻きにされている。クラスメイトが自分を恐れているからだと思っていたけれど、意外と生温い視線が送られていたのかもしれない。現に、目の前のオカマは零との関係にしたり顔だった。
「あぁ? なんで誕生日なんか知ってんだよ」
「ヤダも~学生名簿よ、警戒しないで。昨日は最高の夜だったんでしょう? 朝礼ギリギリに登校するのはいつものことだけど、今朝は妙に気だるげだったじゃない。とうとうしちゃったのかしら、ってワクワクもといソワソワしたわァ」
晃牙は何も言わなかった。最高の夜も何も、負け犬はあの後12時半にはすごすご帰ってきたのだ。かわりに情けない理由の倦怠感が翌日も晃牙を襲っている。鳴上に憐れまれるのが耐え難いから、絶対に打ち明けないけれど。
「……」
夜の校舎。付き合い始めて1か月。普段は憎たらしい恋人の、かわいい一面を見せられて、キスのひとつも決めないヤツは男ではない。そう思っていたのに、晃牙はどこまでも飼い犬だった。情けない狼だ。
「うふふ、ずっとそうやって左手で思い出してたでしょ?」
言われて左手を見れば、不自然に広げた手がゆっくりと握りこぶしに変わるところだった。
ひんやりとしてなめらかな、零の薄い手の平。晃牙の手の中にあった。細い指の腹を晃牙の手の甲にそっと預けて、たまに動かしては力を抜いていた。
晃牙の左手に収まっていたのだ。ずっと欲しがった神様の手が。
「赤くなっちゃった! か~わいいっ」
「うっせ~!」
「ふふっ、恋してるのねェ。お幸せに」
ひらりと手を振って鳴上は教室を後にした。
いつの間にか終礼後の喧騒は去り、教室には晃牙しかいない。
この明るい学校も、昨日の夜には零と晃牙のふたりきりだった。部室を出てから手をつないでいたから、肩を寄せ合うくらいの近さだ。
あの手が、晃牙につけられたリードなのかもしれない。キスはまだ早い、まてと強く引かれてる。
そうだとしても、今日は誕生日だ。
いくら躾のなっていない犬でも、お祝いのキスくらいもらっても、いや奪っても良いだろう。良いに違いない。
そこでご褒美という発想が出てくるのが、晃牙の忠犬らしさだった。
 
 
 
 
2人分の昼食を買い込んで部室に向かった晃牙を迎えたのは、夏らしい熱風だった。
「うおッ!?」
突風に耐えながらドアをくぐると、狭い部室に夏の匂いが充満していた。クーラーのカビ臭いニオイではなく、草いきれと太陽の匂いだ。傍の海から風が湿気も乗せてくるけれど、磯の香りはいくら嗅いでも嗅ぎ飽きない。じめじめした暑さから逃れようと、夏生まれの晃牙の心はかえって海一色に染め上げられる。
日傘でも差せばアイツを海に連れ出せるだろうか。砂浜ならパラソルか。でも夏だし海は綺麗な青色してるし、一緒にはしゃぎて~な。灰になっちまうだろうけど。
吸血鬼を炎天下に連れ出す非現実さに思い至ったとき、風の侵入経路にも気がついた。
珍しく窓が開け放たれている。そんな酔狂なことをしたのは……窓の傍でうたた寝する、年上の恋人だろう。
「寝てやがる……」
呆れて部屋の中央まで進むと、ふと背筋を伸ばして振り返った。幸い部室は3階のいちばん奥まったところにある。ここを聖域と言って憚らない忠犬のおかげで、平時でもここに寄り付く怖いもの知らずは滅多にいない。その怖いもの知らずである転校生も、七夕ライブに向けて忙しいらしく、ここ数日顔を見ていなかった。そして、残りの部員の双子とは階段ですれ違ったばかり。
つまり……ふたりきり。
ごくり、と唾を飲み込む音は大きかった。ふたりきり。半年前なら気にも留めなかった事実が、晃牙の体を震わせる。
ふたりきりなら、少しくらい『らしくない』ことをしてしまっていいだろうか。
誰も見ない。頭ではそう理解していても、緊張で詰まった胸は撫で下ろせそうにない。
息を止めてそろりそろりと零の前に近づくと、晃牙は忠犬よろしくしゃがみ込んだ。そうして身を縮こまらせたまま、零の端整な顔を下から覗き込む。提げたビニールの音が思いの外大きく響いたけれど、年上の恋人はくうくう寝こけている。
「のん気な顔してんなぁ」
と呟いた声は、甘ったるかった。
「起きろよ、吸血鬼ヤロ~。あんたのメシまで買ってきてやったぜ」
起こすというよりあやすみたいな言い方で、晃牙は零に語りかけた。メシ、のところで長い睫毛が一度震えたきり、起きる様子はない。恋人の顔をじっくり眺められる、またとないチャンスだ。
(意外とかわいい顔してんだな)
穏やかな寝顔は、鋭利さすら感じせる目鼻立ちを幼く見せる。かろうじて閉じられた唇は、つつけば解けてしまいそうだ。涼しげに切れ上がった目尻も、余計な力が抜けてあどけない。
天使のような寝顔というけれど、ロックを体現していた頃の零もきっとこんな顔立ちをしていたのだ。1年前だから、もっと幼かったかもしれない。天使の顔して悪魔の所業。さぞかし生徒会をイラつかせたに違いない。
晃牙は、自分のくりくりとした目も愛らしいラインの口元も、ロックじゃないと思っていた。アイドルらしい顔立ちより、零のような怜悧な美貌を身につけたかった。けれど零だってこんなにかわいい。惚れた欲目を抜きにしても、零の意外な可愛さは晃牙に勇気を与えてくれる。
零と同じであることが、とても嬉しい。
「カツサンド、好きだっつってたろ。すげ~争奪戦だったけど、一緒に食ったら絶対ウマいって思ったから……あ」
嬉しすぎて、余計なことを言ったかもしれない。一緒に食べたらおいしいなんて、中学生みたいな言いぐさだ。晃牙は孤高の一匹狼だから、仲良く群れなすなど論外である。
けれど本当のことなのだ。購買部の食べ物はどれもコンビニ飯よりはるかにおいしいけれど、好きなヤツがおいしそうに食べているのを見ながらとる昼食は格別。晃牙にそれを教えてくれたのは……1年前の朔間センパイだった。
センパイは、いつでも俺にすごいことを教えてくれる。ご飯のおいしい食べ方も、繋いだ手が汗で滑ることも、好きな人を好きにできない難しさも。
――やっぱり好きなんだなあ、俺。あんたのこと。
じわりと広がる幸せに、口角が緩んだ。人を好きでいる気持ちは、激しいのも、穏やかなのもある。これも零の傍にいて知ったことだ。穏やかな方の『好き』が、早朝の波みたいに胸にゆっくり打ち寄せる。
そうして寄せては引く波が浜辺を濡らし、晃牙の足首を絡め取って、激しい恋心になる。
「……ん」
キス、してぇな。
喉を鳴らせば、擦れた声が出た。
左手が昨夜の熱を思い出す。透明なリードがぴんと張られて、晃牙に『まて』を求めている。
だけど、あるじは今は夢の中だ。晃牙は零の恋人で、飼われた犬ではない。目の前のやわらかそうな唇に自分の唇を合わせて、やわらかさを楽しんで、何がいけないのだろう?
気づけば目と鼻の先に零の顔があった。晃牙が顔を寄せたからだ。ゆっくり近付けても、あと3秒で唇が重なる。心臓の音がうるさい。やわらかさを想像して背筋が痺れる。あぁもう少し、もう少しで――
「……っ!」
もう少しで、零が目覚めた。
「うおおぉおぉ!?」
「ぅん……?」
晃牙が5メートルほど後ずさる間、零は何度か目を瞬かせて夢とうつつを行き来しているようだった。気怠げに目を擦る様子も幼くてかわいい。こんなヤツになんてことを、と頭を鈍器で殴られた気分だ。
「ふあぁふ……おお、わんこか」
晃牙の落ち込みもつゆ知らず。花が咲いたような笑みが、寝起きのあどけない顔に浮かぶ。
「もうお昼時かえ? ずいぶん長い間寝てしまったようじゃ……」
大きく伸びをすると、零は日ののぼり具合を困ったように見た。決まり悪そうに近づいた晃牙に昼食を手渡されて、かつさんど、と口元を綻ばせる頃にはいつもの余裕を浮かべていたけれど、紅い瞳が揺れているのは珍しい。
向かいの椅子に腰掛けて、焼きそばパン越しに様子を窺う。
「そういえば、なんで窓なんか開けてんだよ。暑ィだろ?」
「ん~……」
生返事をしながら、二の腕で寝汗を拭っている。いつの間にか風は止み、生ぬるい空気が部室に滞留していた。年代物のクーラーでも目いっぱい動かせば、零の眉間のシワをのばしてくれるだろう。
「閉めとくか?」
と聞く頃には立ち上がって窓に手をかけている。パシられ慣れた忠犬の仕事は早い。なのに、
「いや、そのままにしておくがよかろ。わんこの生まれた日の風じゃから、覚えておこうと思っての」
「……っ」
反則だろ、そういうの。
吹き込む風に目を細める仕草が無防備だったから、晃牙はおとなしく席に戻るしかなかった。生まれた日の風と今の風は違うのに、そんなに嬉しそうにされたら何も言えない。
こんなものまで覚えてくれるのか、知ろうとしてくれるのか。
頬が吊り上がるのを抑えきれなくて、慌てて詰め込んだ焼きそばパンはじんわり甘い。
「のう、わんこや」
「んだよ」
「誕生日プレゼントは何が良いかのう?」
晃牙は目を瞬かせた。
「おぬしの好みそうなものを思いつけんでのう。きょう楽器屋で探せばよかろうと思っておったが、焼肉屋の予約を入れたら気が抜けて……ご覧の有様じゃよ」
恋人として情けない話じゃけども、共に買いに行かせておくれ。
頬を染めて失態を告白する零に、本音が口を突いて出る。
「……キスがいい」
「ん?」
「キスがいい……」
我に返ったのに取り消したくなくて、催促は蚊の鳴くような声になった。
「きす……」
晃牙の頭がどんどん垂れて、すっかりうつむいてしまう。
穴があったら入りたい。あっけにとられた零に復唱されるのが耐えられなかった。
からかいの種ができたからか、零の方から空気を震わせる音が聞こえてくる。
「わっ、笑うなよう!」
「くくく……」
あわてて顔を上げて抗議しても、くつくつ笑いは止まらない。顔を背けてまで笑いをこらえようとしているのも憎らしい。
けれどよく見れば、真っ黒な癖毛から真っ赤な耳が覗いている。毛先の跳ねる頬も、襟足を流すうなじも紅潮していて――
「……照れてんのか?」
ゆっくり振り返った零の頬に、薔薇色が広がっていた。
大きな手で口元を覆って、それでも恥じらいに濡れた瞳は隠せなかった。眉尻をさげた真下で目が三日月みたいに眇められている。手をそっと外せば、形の良い唇が……嬉しさをこらえている。
「照れるに決まっておろう? こんなに……こんなに求められているとは、思わんかったわい」
――堪らなくなって、身を乗り出した。
見えないリードのことなんて忘れていた。零が求められて喜んでいる。だから躊躇わない。緑のネクタイを掴んで引き寄せた。紅い目が見開かれて、そっと瞼が下ろされる。
零の小さな膝に手を置いて、唇が離れたときに、唇が触れ合っていたのだと気付いた。
「我輩の初めて、うばわれてしまったのう……」
赤い唇から吐息がこぼれた。
うっとりと、歌うように囁く唇に、零は人差し指を添えて撫でた。晃牙が初めてを奪ったそこは、淡雪みたいにやわらかくて、ひとの温度をしていた。零の肌のあたたかさ。
「わっ、悪ィ……」
「謝るならするでない」
怒り顔で晃牙を見つめて、次の瞬間には噴き出す。目尻に優しさと愛おしさが滲んでいる。
「プレゼントは贈るものじゃよ」
言い切らないうちに唇が重なった。今度は唇の縦じわがわかるくらい、長く合わせていた。それでも足りなくて、惹かれ合うように3度目、4度目のキスをする。
口を合わせて離すだけなのに、胸が切ない。息の仕方もわからなくなって、キスより先に息の吸い方を思い出さなくちゃいけない。それでも零の唇が欲しい。ずっと合わせて、あたたかさを分け合いたい。柔らかさも儚さも、全部食べつくしてしまいたい……。
「……っ焼肉屋の予約、何時だよ」
「はぁ……クク、7時じゃから、あと5時間もキスできるぞい。んん、は、夜になったら、ン、くちびる、とけてしまうかもしれんのう……」
お互いの指を絡め合い、硬く握りしめる。ココロはひとつだった。たとえとけてしまっても、繋いだ手の確かさで戻ってこれる。戻ってこれなければ……ドロドロに溶けたまま、混ざり合ってもかまわない。
 
 
 
 
 
きのうは興奮で眠れんかった、とキスの合間に告白された。
抱き着いた感触が忘れられなくて、夜が明けるまで悶々としていたらしい。
思ったより求められている。晃牙のそれより、だいぶ即物的でないけれど。
いつかそのもどかしさも分け合えるだろうか。
首に回された腕が、零の答えだった。
 

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