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角砂糖たっぷりナイトメア

(※3月26日加筆および改題)
 
 
「こ~いうの、よくね~だろ」
 晃牙が下を向いたまま言うと、朔間先輩はわざわざしゃがんで覗き込んできた。「こ~いうの?」
 闇より艶やかな黒髪をかき上げ、小首をかしげる先輩。真っ白な首筋があらわになって目に毒だ。
 いや、本当は首筋なんか目じゃない。男らしく筋張ったそこになめらかで薄い皮膚が張られると、たしかに牙を深く突き立てて鮮血を啜りたくなってしまう。鎖骨のくぼみに舌を這わせ、喉から熱い吐息を引き出したくなる。狼のさが、男のさがだ。
 けれどその先……、と晃牙は目を眇めた。
「……っ」
 鎖骨を下りた先、本当なら着慣れた黒の布地がくる。丸い襟のカットソー、汗を吸い込む頼もしいやつ。合皮のユニット衣装が汗で臭くならないように、なるべくクリーニングに出さずに済むように、ジャケットを着るなら必ず中に入れるやつ。
 それが……ない。
 朔間先輩は裸ジャケットなのだ。
 ここは控室で、ふたりきり。
「どうかしたかえ?」
 ――どうもこうも、してんだよう。
 口を開いたら妙に情けない声が出そうで、晃牙は唇を噛みしめた。
 先輩の体勢は卑怯だ。前かがみになったせいで、ジャケットの合わせ目が開いてしまった。過激で背徳的なユニットだから合わせ目も過激で背徳的、つまり、さっきから胸元を、先輩のなまっちろくて筋肉も薄くてでも触るとやわらかい、汗ばむともっと揉んでおくれとねだるみたいに指に吸い付くなめらかさの、そうして出した喘ぎ声がいつもの力強い歌声とは真逆の可憐で弱弱しくて晃牙の胸の真ん中を征服欲etc.で甘く痺れさせる、朔間先輩、恋人だから零って呼びたい、零の……胸。
 ゆるやかにふくらんだ丘の上に、薄桃色の蕾が息づいている。
 ――乳首見えてんじゃね~か。見てね~けど。見てね~けど!
 乳首以上のものを何度も見ているのに初々しい晃牙だった。
「あぁ、インナーじゃな? けさ家から持ってきたはずなんじゃが、どうにも見当たらなくてのう~? 知らんかえ?」
と腕を組んだおかげで、朔間先輩の桃色の乳首は守られた。
 晃牙はほっと息を吐いた。守られたと言っても朔間先輩の胸元は晃牙しか覗けない。晃牙は忠実な番犬だけれど、理性と本能に板挟みになると疲れるのだ。
 ほら、少し見えただけで乳首のぷにぷにした指触りを思い出した。顔が熱くなるのを感じながら、晃牙は視線を鎖骨より上にゆっくりそらす。
「カバンに突っ込んだんならあるんじゃね~の」
「普通に考えたらそうじゃのう。う~む、どこじゃったかのう~?」
 先輩が首をひねる。首筋に黒髪が一房流れて美しいが、胸は完全にガードされている。
 ーーよ~しよし、そのまま動くんじゃね~ぞ?
「なあ、前閉めとけよ」
 晃牙が強めの口調で言うと、先輩がこてんと小首をかしげた。襟元がずれて鎖骨が見える。こころもとないくらいの細さで噛み付きたくなる。晃牙の理性に100のダメージ。
「前? なにゆえ?」
「なんでって……下着てね~だろ」
 朔間先輩はどこもかしこもかっけ~んだけど、と思ってから、かっけ~からこそ安売りしちゃいけね~だろ、と思い直す。
「ぜって~閉めろよ。俺様が許さね~かんな」
「なにゆえおぬしの許可が必要なのじゃ。というか、この前もこんな衣装で前を開けておったじゃろう? 評判よかったからこれで良いと思うのじゃけど……」
 腕を解こうとした先輩を、あわてて二の腕を押さえつけて止める。
 前というのは3日前の音楽番組のことだ。そのときもタイトなボトムスに丈の短いジャケットだった。ダメージ加工がじゃっかん施されていて、海賊フェスの衣装に近いワイルドさが晃牙個人としてはお気に入り。もっとも、先輩がステージの上で回るたびに前がめくれ、腰も見え隠れしたので恋人としては気が気じゃなかった。
 とはいえ、まだ『そういう服』として作られていたぶんよかったのだ。覚悟ができた。でも今は、この衣装は晃牙が先輩の頃を吸血鬼ヤロ~と呼んでいた頃に一番よく着た服で、つまり若い時分の思い出だから、今の朔間先輩に着られると色々やばい。あの頃感じた不思議な何かが実は性欲だったことがわかってやばい。先輩の胸がジャケットの下で弾むたびに、細い腰が横に突き出されるたびに、よれてきた丸襟の奥が華奢だとわかった瞬間に、胸を何百回もザワザワさせたのは先輩に興奮してたからだなんて、無自覚なだけに恥ずかしすぎて死にそうだ。
 晃牙が心の中で悶絶していると、先輩がくすりと笑い声を漏らした。
「積極的じゃな……♪」
「はっ? ――あ、くそ、ちげ~よっ!」
 晃牙は慌てて両手を離した。キスするときみたいに体を抱いたから、控室でそういうことをすると思われたらしい。
 先輩にけらけら笑われながら、晃牙は右手をつい見つめた。手の平に合皮越しの二の腕の柔らかさが残っている。よくない。すげ~したくなる。これ以上先輩の裸ジャケットを見てたら、絶対に。どうする?
 ――俺がする?
 ――そうだ、俺様のを貸してやればい~んじゃね~か。
 天啓を得た。
「フッ……気づいちまったぜ」
 急に気持ちが楽になった。
 晃牙はいそいそとジャケットを脱いだ。インナーの裾もズボンの穿き口から引っこ抜く。先輩は成人男性にしては少し華奢で、晃牙は先輩の腕力に負けないよう大胸筋を鍛えまくった(鍛えまくらないと勝てないというのが悔しいけれど)から、卒業時のインナーのサイズは同じくらいだ。先輩の胸でさんざん煽られた頭がこれも彼シャツっつ~のかなとか俺様のニオイが朔間先輩についちまうなとか考えているけれど、それは無視する。あくまで完全なる厚意から、先輩に服を貸すのだ。
「晃牙」
「あぁ?」
「収録って何分からじゃったかのう~?」
 脱ぎかけたところでそう言われたので、晃牙はとっさに動きを止めた。
 収録? 15分からじゃね~の? 今何分だっけ?
 壁掛け時計を見た。5分。
「15分開始だからあと10分――」
 
 無防備に、本当に無防備にそう言って、朔間先輩に視線を戻した瞬間、晃牙は己の失策を知った。
 
「年を取ると忘れっぽくなっていかんわい……んん♪」
 
 朔間先輩が大きく伸びをしていた。
 乳首が――白い双丘に息づく蕾が、モロ見えになった。
 
 
「ふわぁ~……寒いとあくびが出るのう~。……ん? どうした晃牙うずくまって、おしっこ漏れそうかえ?」
 頭上から心配そうな声が降ってきたので、晃牙はおもわず飛び上がって胸倉を掴んだ。
「テメ~……!」
「わわ! なんじゃ、服が伸びるじゃろ? トイレはあっちじゃよ?」
「~~~~っ」
 完全にわかってない。だから離した手を腰に当てて『俺様怒ってるぜ』のポーズをとるが、
「おろ? 顔がタコさんウインナーみたいに真っ赤じゃのう♪」
 くつくつと笑う朔間先輩があまりに小悪魔かわいくて、晃牙は不貞腐れたままじっと睨む。
「…………」
「トイレに行かずともよいのかえ? あと10分あるんじゃろ?」
「…………」
「……晃牙?」
 晃牙は初々しい。
 初々しいが、こと朔間先輩のことに関してはシャーロックホームズばりの名探偵犬だった。
 真っ赤じゃのう、と言ったとき――血のように濡れた瞳がキラリと輝いたのを、晃牙は見逃さなかったのだ。
「……わかった」
「うむ?」
「耳、貸せ」
 朔間先輩は晃牙に顔を寄せた。「なんじゃ?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………うむ♪」
 先輩は控室の隅に足取り軽く向かうと、鞄を漁って目的の物を取り出した。
 黒い布地、つまりユニット衣装のインナーシャツだった。
「おぉ、こんなところに♪ 隠れておったんじゃな♪」
「早く着ろよ、あと10分もしたらスタジオ行くんだからよ」
「了解じゃよ~♪」
 その場でジャケットを脱ぐ先輩に背中を向けながら、晃牙はほうと溜め息を吐く。
 朔間先輩の恋人も大変だぜ。なんたって、先輩の誘惑に付き合わなきゃなんね~からな。まったく、俺様以外にはぜって~つとまらね~ぜ。つとめさせる気もね~けど!
 だって――先輩のカラダは、俺様だけのものだからな。
「……今夜かあ」
 ――今夜、飽きるまで抱いてやるから、それまでガマンしとけよ!
 晃牙がそう言ったときの、朔間先輩の凄絶な笑みを思い出す。
 見る者すべてを魅了する笑顔だ。アイドルとも俳優とも違う、朔間零個人の魅力を余すところなく晃牙に見せる笑顔。神々しいまでの美しさが淫らなそれに変わる直前の、魔力を大いに秘めている。
 こんな魔力を夜までためておくのだ。今夜は角砂糖のようなナイトメアが見られることだろう。
「晃牙~、もうよいぞ~♪」
 吸血鬼の朔間先輩が飽きる……満ち足りるまで抱いたら、俺様干からびるんじゃね~かな。
 待ち遠しいようなもう3日待ってほしいような、甘怖い気持ちで晃牙は振り向くのだった。

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