まぼろし
昼休みになった。
晃牙は購買で焼きそばパンとカレーパンを買って部室に向かった。一緒に出たアドニスはあんパンと牛乳のセットだ。5限にプールの授業があるから身軽な方がいい。
UNDEADの打ち合わせは軽音部室でやる。晃牙が部長だし後輩は別の場所を拠点にしているから昼休みは2人の貸し切りになるのだ。
ところが3階の階段を上がりきると部室前がうるさい。
「おい、通せよ。おもしれ~もんは何もね~ぞ」
青ネクタイ赤ネクタイの後輩の群れを掻き分け木製のドアの前に辿り着く。冷気がひやりと腕を掠めた。部室は、というよりアイドル科校舎の教室はどこも廊下側に窓をつけていないので、後輩たちはドアをうっすら開けて中を覗いている。開けて? 軽音部の鍵は晃牙の制服のポケットの中だ。マスターキーでもないと開けられないはず。
あ。
「朔間先輩!」
勢い良く飛び込むと、クーラーで冷やされきった棺桶の上には――
「久しいのう、“UNDEAD”の愛し子らよ」
「……ッ」
恐ろしいほどの美貌に薄く笑みを浮かべ、優雅に腰掛ける吸血鬼――朔間先輩がいた。
「んだよ、来るなら言えよ! そしたらもっと早くに出たのにようっ?」
大喜びで駆け寄る後輩に目を見開き、芝居がかった仕草で両腕を広げるところまで朔間先輩だ。いつぶりだろう。文化祭には来てくれたから、2か月ぶりかもしれない。
「腹減ってね~か? 焼きそばパンとカレーパンしかね~けど、あれなら購買くらいひとっ走りするぜ!」
晃牙はレジ袋を漁って戦利品を取り出した。焼きそばパンは購買の人気パンでチャイムと同時にダッシュしないと勝ち取れないが、学院の生徒なら明日以降でも食べられる。カレーパンも辛すぎず腹にたまるので先輩がたまに食べていた。
朔間先輩の腕がそっと持ち上がり、騒ぐ晃牙の頭を撫でた。優しい手つきが懐かしすぎて振り払えない。振り払いたくない、と目を閉じる。
「相変わらず仲間想いじゃのう~?」
「当たり前だろ」
「当たり前が難しいのじゃよ~? アドニスくんもあんパンは仕舞っておくれ、ひとあし先に食堂で済ませてきたゆえ♪」
「当たり前だろ」
「当たり前が難しいのじゃよ~? アドニスくんもあんパンは仕舞っておくれ、ひとあし先に食堂で済ませてきたゆえ♪」
「あぁ……渡り廊下のあたりで観たのは朔間先輩だったのか」
生ハムサラダの日だからなと言った瞬間、晃牙がびくりと跳ねてアドニスを睨む。
「言えよ! 食堂で食えただろ!」
「す、すまない、見間違いかと思った。許してくれ」
「テメ~が悪いんじゃね~けどようっ! うが~!」
複雑な表情で噛み付く晃牙と困り顔のアドニス。先輩に撫でられながら見つめ合うから奇妙な構図だ。
朔間先輩が脚を組み替えると2人はぴたりと口を閉じた。紅い目が部室の外を指し示したからだ。交代で中の様子を窺う顔ぶれに晃牙とアドニスの委員会での後輩もいる。興奮ぶりに目を丸くされて、晃牙の頬に朱が差す。
入口まで歩いていくと後ずさられた。
「おい」
「朔間さんが来てるって言っていいですか」
「……許可してやる」
蜘蛛の子を散らすように駆けていくのを尻目にドアを閉め、晃牙が向き直った先輩と戦友とが生温かい目で晃牙を見ていた。
「見てんじゃね~よ!」
「先輩しておるのう~? いいこいいこ♪ のう、アドニスくん♪」
「朔間先輩そっくりだ」
そう言われると嬉しいじゃね~か。
パイプ椅子にわざと乱暴に腰掛けながら、なのに晃牙は切なくなった。こんなに自分が先輩面しているのだって元はと言えば朔間先輩にそうされたからだ。代償行為は褒められない。
「なあ、午後もいんのか? 久しぶりになんか演ろ~ぜ」
「これこれ、褒めた先からサボるでない……用事があって立ち寄ったんじゃが、あんまり時間がなくてのう? 手短に済ませるから許しておくれ?」
あからさまにがっかりする後輩2人を先輩が甘やかな声であやす。
「用事ってなんだよ」
「まあ昼餉でもとりながら聞いておくれ。お腹空いたじゃろう?」
「…………」
しぶしぶ包装を破って焼きそばパンにかぶりつくが、味がしない。アドニスも同じらしく、餡のない端っこをもそもそ食べていた。
腹減ってね~なぁ。食事の分だけ先輩の帰る時間は近づくし、急いで食べても1曲も弾けない。焼きそばパンにカツサンドまで詰め込んで、時間を惜しんで合わせた去年が嘘のようだ。
背を向けた窓のさらに向こう、グラウンドのどこかで蝉が鳴いている。み~んみん、うるさい軽音部室にはまず届かない声。先輩とふたりで採譜していて、ふと顔を上げたら聞こえた真夏の音色。
顔を上げると嘘みたいに目が合った。1年越し、晃牙の胸の高まりも知らずに先輩がトマトジュースを取り出した。
ほっそりした指がストローを差した。ちゅうう、とすまし顔で吸い上げた。全部あの日の繰り返し。
棺桶の上にカレーパンが放り投げてあったのを覚えている。日差しに当たっていたそれを見て、傷むだろうなと思ったことも。あぁ、と嘆息して、次の言葉を思い出す。
――早く食わね~と、俺様がカレーパン食っちまうぞ。
「早く食べねば、我輩がジュースのお供に食べてしまうぞい? ……おぉうっ?」
「お、大神?」
先輩もアドニスも完全に素で驚いているのがおかしかった。それもそうかと頭の隅で思った。焼きそばパンをくわえたままの大神晃牙が、ふにゃ、と顔を崩して俯いたのだから。
「ああああ、待って、待っておくれ、泣くほど嫌だったのかえ?」
「泣いてね~よ……っ」
嬉しいんだよ。覚えてないだろうけど。
蝉の声が聞こえない。先輩と戦友が大慌てで立ち上がり、あやすための楽器を探して部室を歩き回っている。
「あんたのギター、棺桶の中に仕舞ってる。オカリナは購買の袋に入れてただろ。灯台下暗しかよ」
足音が止まって、み~んみんと部室に広がる。ふたりで顔を見合わせているのだろう。
息の塊が胸から出た。ずっと止めてた。幸せが逃げるとか、柄にもないことを考えてたから。
顔を上げる。
「変わんね~な、テメ~らも」
「変わんね~な、テメ~らも」
くしゃくしゃの笑顔を見せてやる。