1995年
創立15周年を迎える。ナショナル・レスリング(米国)との版権問題により、社名を日本・レスリング・チャンピオンシップからNCWP(日本・チャンピオンシップ・レスリング・プロフェッショナルズ)へと変更。(ファイプロスペシャル)
1996年
団体エースで6年間シングル王座を守り抜いた氷上龍斗選手が引退。それに伴い、海外遠征中の永原、式島、スロフト兄弟が帰国。次期トップ争いが始まる。
WWC世界無差別級タッグ争奪インターナショナルカップ出場権を賭け、NCWP内で予選リーグが行われる。優勝候補であるスロフト兄弟、式島・仁村組、川渕・南雲組を退け、デビュー三年たらずの刈馬・弾組が優勝。イギリスで行われた本戦トーナメントでも優勝し、初代WWC世界無差別級タッグ王座に就く。(ファイプロX)
1997年
マッチメイカーとして全権を握っていたレフェリーの関谷氏が退任。後任には引退を表明したレスラーの深溝が就任。エース不在のまま、団体内で4つの勢力に分かれる。
・社長仁村をはじめ式島、清水、塚間などの正規軍。
・いまのNCWPのスタイルに意義を唱え、改革を推進しようとする川渕率いる赤城、南雲、刈馬らの新世代革命軍。
・永原、弾、東条のメタリックゲイル。
・スロフト兄弟も所属した外国人勢。
軍団対抗戦を展開するも、ライバル団体の西海上プロレスの好調と相まって、いまひとつ盛りあがりに欠ける。一草弾の方がシングルで不調であり、刈馬も新しいパートナー須藤とのコンビがいまいちだったことから刈馬・弾のタッグ再結成を求める声も多く、また、刈馬の純プロレスなファイトは、まったく新しい総合格闘技を主眼に置く新世代革命軍の中にあってやはり異質だった。
永原のメタリックゲイルは数ヶ月の後に解散、各自海外遠征へ出る。弾にとっては初の海外遠征となる。
代わりに次期エース候補と言われていた荻原がイギリスより帰国。新世代革命軍に身を置き、刈馬とのタッグを結成。瞬く間に団体トップのタッグチームとなる。
NWCジュニアタッグ初代王者決定トーナメントにスロフト兄弟が出場。息の合ったコンビプレイと、兄サヴァーゴのジュニアの域を越えたパワーにより見事優勝。
今年のヘビー級タッグはトーナメントで行われ、川渕・須藤組が優勝した。(ファイプロX&ファイプロS)
1998年
正規軍の清水がロイヤルファミリーを結成。一時帰国した永原も加盟したことから、大いに反響を呼ぶ。一時は永原が川渕を病院送りにし、新世代革命軍を解散寸前にまで追い込んだ。
正規軍の式島が3度目の挑戦でNWC王座を奪取。
氷上に続くエースを作るべく、平将門ゆかりの地、成田勤労会館から東京・群馬・栃木・埼玉・千葉・茨城を回る、NCWPシングルリーグ"新皇杯"が開催される。記念すべき第一回の優勝者は永原幸秀。
AWFライトヘビー級王座の初代チャンピオン、ルーフィズ・ロードが初来日。圧倒的な技のキレを見せ、NWCジュニア王者の塚間を撃退。続くヘビーの川渕も敗退した。川渕は再戦を要求したが、それが叶う前に永原によって入院させられてしまう。刈馬との対戦は30分ドロー。ともに氷上龍斗を師と仰ぐ選手同士の壮絶な戦いとなった。
ルーフィズVS川渕の代理戦争となった、南雲とのシングルマッチは、わずか三分少々でルーフィズ選手が勝利。新世代革命軍のプライドはずたずたに傷つけられることとなった。(ファイプロX&ファイプロS)
1999年
氷上龍斗復帰戦が行われる。しかし実際に参加したのは1シリーズ数試合だけで、自分の団体の旗揚げのアピール的な参加となった。刈馬、ルーフィズと組んでの6人タッグでは圧巻というほかない強さを見せつけ、場内を大きく沸かせた。永原と初のシングル対決も実現。永原の必殺の高角度ジャーマンスープレックスの前に沈んだ。氷上のシングル戦での敗北は実に5年ぶりとなる。
1999年の“新皇杯”の優勝は刈馬雅史。刈馬は式島を倒しNWC王座も奪取。
新世代革命軍が夏のUMFトーナメントに初参加。刈馬と南雲は本戦出場を果たすが、他のメンバーは予選敗退。残った二人も、南雲は決勝トーナメント1回戦敗退、NWC王者刈馬も2回戦負けと、この大会の厳しさを知る結果となった。
川渕とルーフィズ・ロードのリベンジマッチが秋に行われ、またも負けた川渕は足の骨を骨折。そのまま引退がささやかれるようになる。川渕の後を引き継いだ革命軍ニューリーダー荻原も、フェルジア・ミランの誘いに乗り再びヨーロッパ遠征へ。新世代革命軍は崩壊する。
UMFを経由して、旧新世代革命軍に所属していた瀬田と、1996年に式島,永原らと入れ替わりに海外遠征に出ていた正規軍の桧山が帰国後タッグを組み大ブレイク。スロフト兄弟との対戦に勝利し、WWCタッグ王座も奪取した。荒削りだが、計り知れない実力を見せた。特に桧山は仁村プロレスの後継者とも言われる存在になるほどの成長を見せた。
瀬田・桧山は年末のタッグリーグにも優勝。96年の刈馬・一草のレッスルエンペラーズ以来の強豪タッグチームとして名が知れ渡った。
(ファイプロX,ファイプロS,ファイプロG)
2000年
2月
NCWP
・スロフト兄弟が異例のWWC世界タッグ&NWCジュニアタッグの両タッグのチャンピオンとなる。ジュニアの王者チームが、ヘビーのチャンピオンチームを破ったのはこれが初。
3月
西海上
・WWCタッグ王者、スロフト兄弟が西海上プロレスの真崎・アキカワ組に敗退。王座転落となる。その後、同王座は南雲(NCWP)と月原(西海上)の連合タッグが奪取。連合タッグは長期政権を樹立。
4月
NCWP
・桧山らと入れ替わりに海外遠征に出ていた内藤選手が帰国。
帰国早々のNCWPシングルリーグ"新皇杯"で初出場初優勝を果たす。
アマレスオリンピック三位の看板を背負い、天才の名を欲しいままにしてきた男が、大器の片鱗を見せつけた大会となった。
5月
NCWP
・旧新世代革命軍の赤城が内藤に目をつけ、2ヶ月後に帰国予定の東条(旧メタリックゲイル)とともにチームFreeBirdsを結成。台風の目となる。
内藤とルーフィズが国内シングル初対決。アメリカで一度対戦したことのある両者だったが、今回は内藤の勝利に終わった。徹底して相手の得意技を封じた内藤の戦略勝ちと言える。
内藤・ルーフィズ組がWWC世界タッグ王座に挑むも敗退。
7月
NCWP
・FreeBirdsに参加予定の東条 蒼
選手が帰国。いきなり仁村社長、桧山を倒し、NWCシングル王座の挑戦権を獲得。タイトルマッチでも刈馬に勝利し見事王座奪取を果たす。が、初防衛戦で再戦した刈馬に敗れ王座転落。わずか2週間のチャンピオンであった。
8月
NCWP
・超大物、ロシア出身の2mレスラー、ヒルスキー・フルバウトが初来日。大型日本人ファイターの瀬田が迎え撃つも、試合結果は9分57秒、体固めでヒルスキー・フルバウトが勝利。反則とも言える強さを見せた。
・一草弾の兄、アジアの格闘王と呼ばれた一草和英が帰国。NCWP復帰の噂に反して、氷上の新団体に参戦。NCWP復帰戦での兄弟対決を期待していた多くのファンを失望させた。
8月
UMF
・UMF主催のアルティメット オブ
ミックスドマーシャルアーツトーナメントの予選開始。AブロックNCWP選手の赤城選手は残念ながら予選敗退。
Bブロックでは、一草和英選手が1位で予選突破。2位の南雲ゆきひさ選手は本戦2回戦まで進むも敗退。
元UMFの期待の若手で現NCWPトップレスラーの一人、瀬田選手はCブロックを1位で突破。1回戦第1試合では空手家の高木選手と、UMFの最長試合時間の記録を大きく塗りかえる推定試合時間2時間(ファイプロGのカウンタが99分59秒でストップだったため、正確な時間は不明)という壮絶な試合の末、高木選手にK.O負け。瀬田は試合後に入院。骨折箇所多数に脳腫瘍のため、全治1年3ヶ月の大怪我をしていた。
9月
NCWP
・NWCヘビー級選手権試合。協議の結果、挑戦者はプロレスフェンリルの氷上龍斗選手に決定。第6代、第9代王者である氷上はこれが4度目の挑戦になる。元々、氷上はNCWPのエース選手で、引退後は刈馬を指導し、彼をWWC世界無差別級タッグ王者へ導いた。いわば師弟関係である。過去3回彼らの対戦があったが、勝敗は氷上の2勝1敗。だが、前回の対決ではNWCチャンピオン刈馬が氷上をくだし防衛に成功しており、今回の前哨戦タッグでも刈馬が勝利を収め、刈馬の3回目の防衛の可能性も大いに考えられていた。
しかし試合は7分49秒フェンリルドライバー2で氷上が圧勝。NWCヘビー第14代王者となった。試合時間以上に瞬殺に見えた試合で、氷上龍斗健在を満員の観衆に大いにアピールした。
10月
NCWP
・4年に1度の祭典、WWCタッグインターナショナルカップの予選リーグが開催。優勝チームが来月開催されるインターナショナルカップ決勝トーナメントにNCWP代表として出場できる。
参加8チームは永原・一草(弾)組、瀬田・桧山組、刈馬・荻原組、内藤・東条組、川渕・須藤組、サヴァーグ・タシュアル組、仁村・式島組、そしてWWCタッグチャンピオンの南雲(NCWP)・月原(西海上)組も本人達の意思により強行出場。例年と違い、ジュニアクラスの選手はジュニアタッグチャンピオンのサヴァーグ・タシュアル組のみである。
優勝候補は永原・一草(弾)組だが、大荒れが予想される。チャンピオンチームには酷なリーグ戦となった。
・刈馬組対弾組のレッスルエンペラーズ因縁の対決は永原がジャーマンで荻原をしとめ、弾組が勝利。
数年前、海外遠征中に永原はドイツのベルトを、荻原はイギリスでジュニアのベルトをほぼ同時期に巻いた実績があり、以前はライバル関係にあったのだが、現在は体格差が明確に出た感があった。
・同じく同期海外遠征組のサヴァーグ・タシュアルのフロスト兄弟と永原の対決は23分にも及ぶ死闘の末、永原がジャーマンスープレックスでタシュアルを撃破し、勝利を収めた。
・NWCジュニアタッグチャンプとWWC無差別級タッグチャンプの試合は、ジュニアのチャンピオンチームであるサヴァーグ・タシュアル組が勝利を収めた。もっともこの2チームでは体格差はあまりなく、互いにヘビー級の選手を相手に苦戦をしいられそうである。
・フリーバーズ対NCWP正規軍瀬田・桧山組の対決は元NWCチャンピオン東条のラリアットが炸裂し、フリーバーズが勝利を収めた。
・永原組対川渕組の対戦は3年前の準決勝と同カード。以前から永原に対して徹底的に敵意を持っていた川渕だが、13分09秒
一草弾をハイキックでK.O。3年前と同様に今回も永原組に土をつけた。試合後永原はノーコメント。
・NCWP正規軍である瀬田・桧山組と仁村・式島組の対決は20分を越える戦いになり、年齢のため、スタミナ不足が懸念されていた仁村社長が愛弟子である桧山の腕ひしぎ逆十字の前に破れた。
・川渕組と荻原組の旧革命軍同士の対決。以前は刈馬と須藤はタッグを組んでいたこともあった。去年は怪我でタッグリーグを欠場していた川渕だが、刈馬をK.Oし、今年は優勝戦線に残った。
・格闘路線の強い旧革命軍の川渕とUMF出身の元革命軍瀬田の対決は川渕が瀬田のパートナーの桧山から3カウントを奪い、優勝に王手をかけた。
10日の時点で、優勝の可能性があるのは、現在無敗の旧革命軍である川渕・須藤組、優勝候補の筆頭であった1敗の永原・一草弾組、やや厳しい2敗のフリーバーズ内藤・東条組、同じく2敗のチャンピオンチーム南雲・月原組の4チーム。
最も可能性が高いのが川渕・須藤組であるが、もし同着で優勝決定戦にもつれこめば永原・一草組が有利であるといえる。
・事実上、優勝決定戦となった、川渕・須藤組対チャンピオンチームの南雲・月原組。結果は南雲がチョークスリーパーで川渕を仕留め、今大会唯一の黒星をつける。
インターナショナルカップ予選リーグの順位は、
1位永原・一草組、川渕・須藤組(6勝1敗勝ち点30)
3位WWC無差別級タッグ王者南雲・月原組(5勝2敗勝ち点25)
4位内藤・東条組(4勝3敗勝ち点20)
5位瀬田・桧山組(3勝4敗勝ち点15)
6位刈馬・荻原組、NWCジュニアタッグ王者サヴァーグ・タシュアル組(2勝5敗勝ち点10)
8位仁村・式島組(0勝7敗勝ち点0)
となり、永原組と川渕組が再戦。今度は永原が勝利を収め、インターナショナルカップ本戦への出場を決めた。一草弾は96年以来ニ大会連続での出場となった。
11月
ブラジル NCWP−WWCほか合同興行
・4年に1度の祭典、WWCタッグインターナショナルカップ決勝トーナメントが開催。優勝チームは最終戦でWWCタッグの挑戦権が与えられる。
優勝は永原・一草組。決勝ではWWCのチーム『ハーレン・ビット』のザ・ブックの高い身体能力の前に苦しむも、永原がジャーマンで逆転勝利。一草弾は2大会連続2度目の優勝を飾った。
12月
NCWP
・空手家の板井がNCWPに挑戦状を叩きつける。永原がそれに呼応。来年1月の東京ドーム大会で決着戦がつけられる事となった。
その前哨タッグ戦2on2では板井が永原を圧倒。永原は試合には勝利したものの、板井の打撃の前に組み技にいけない永原は不利だという印象を与えた。
・プロレスリングフェンリルで行われたNWCシングル王座戦。チャンピオンの氷上がフリーバーズの内藤に敗れ王座転落。氷上はかつて6年間守り通したベルトを3ヶ月で手放す事になってしまった。

・内藤の王座奪取により、フリーバーズがNCWPのトップに君臨。人気・実力ともにナンバーワンをアピール。刈馬がそれに食らいつき、ドーム大会での対決が決まった。
・WWC世界無差別級タッグ選手権試合は、先日の板井戦でのダメージの大きい永原が西海上プロレスの月原ひろの非情な攻撃でタップ。王者組がNCWPと西海上あわせて6度目の防衛に成功した。
(ファイプロG)