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ファイプロニュース


 

 

ファイプロDのエディットレスラー達のストーリー
2010-2012年度版
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◇NCWP

  

 

2015年 1月
・昨年の戦いにより、観客動員数の低下は下げ止まりをみせていた。
・新年の挨拶で闘病中の仁村会長がリングへ上がると、語りだした。
「いまは誰もが明日が見えなくなっている時代です」「一寸先は闇かも知れない」「しかし、闇の向こうには朝日が差し込んでくるかも知れない」「見えない時代だからこそ、みんな必死に生きて欲しい」「NCWPは『明日のためのプロレス』をしてもらいたい」「若いファンは今でもプロレスラーの強さに憧れを抱いている…」「大人のファンは自分達の日常を忘れるような華やかな闘いの世界を求めている…」「目の肥えたファンは自分たちを感動させる卓越したパフォーマンスを期待している…」「プロレスラーはファンの期待に応えなければならない。それが闘う者に課せられた使命だ…」「プロレスを突き詰めた先に、その答えはある…」と演説した。
 これまでよりも弱々しい口調で、深みはあるが少しネガティブとも取れる言葉に会場が微妙な空気になる中、塚間社長は「えー、明日のない年寄りからの言葉でした」と締めると、仁村からチョップされて会場を笑わせた。

・新年のセレモニーは昨年に比べて明るい雰囲気で、塚間社長は今年のキャッチコピーを 『ありのままでは終わらないプロレス』 と掲げ、常に現状打破の姿勢を示すことが明日の成功に繋がるのだと説明した。

・新婚となった内藤は、新年の抱負で「今年六月にはパパになります」と奥さんが妊娠している事を報告。続けて「宿り木が出来ちまったんで、フリーバードのニックネームは本日を持って返上します」「プロレスの統治者(ソブリン)のニックネームも今の状況にあっていないので、新しいニックネームを募集したいと思います。皆さんいいアイディアがあったら是非ツィッターに送ってください」と告げた。

・内藤の発言に対してその場ですぐに反応した佐倉は、マイクを取り、「だったら『てっぺんぼっち』とかどうですか? 見渡す限り敵も無し、友達も無し、の内藤さんにピッタリでしょう」と提案すると、内藤から「友達がいないのはお前の方だろ」とすぐに反撃を受けていた。

・WWC無差別級タッグ選手権試合が開催。
 昨年末のタッグリーグを制した桧山と清水は、タイトルマッチでも好連携を連発。しかし昨年12月に新王者となったデル・サントス、スペル・プロフェッタ組の空中殺法に翻弄され、桧山がフロッグスプラッシュの前に沈んだ。
・タッグタイトルの獲得ができなかった清水は「解散だ、解散」「アメリカン相手なら自信あったのによ。メキシカンは無理!」「桧山とのタッグは初めてだったけどよ。まあまあ楽しかったぜ。もう二度と組む気はないけどな!」とチームの解散を一方的に宣言。
 桧山の方は「清水さんからは色々勉強になる所がありました」「式島さんの脱退以降、年上と組む機会がなかったのでね」「清水さん、お世話になりました」と謙虚に握手を求め、清水も「おう」と握手に応じた。
 

2月
・今年度最初のNWWC王座戦では、ファンの支持を受けて48歳の清水剣次が初挑戦。のらりくらりとした独特のペースからスイッチの入った内藤の猛攻を受けるが、仁村会長がフィニッシュホールドにしていたグレープパイン(バナナスプレッド)=グラウンドコブラツイストからグラウンドロイヤルストレッチなる新技で固め、世界王者内藤からまさかの勝利。
・会場が大爆発する中、頭を抱えながら飛び跳ねた清水は、勝利者インタビューでセコンドについていた佐々木に「夢かも知れない。オレを殴ってくれ」と要求。強烈な佐々木の一撃でマットに突っ伏してしまい、王座奪取と同時にあやうく担架で運ばれかけた。

・一夜明け、まさかの世界王者となった清水は「会長は一寸先は闇かも知れないとか言ってたけどよ、どこが闇なんだよ。パラダイスじゃねーか!」とデビュー二十九年目にしてようやくたどり着いたシングル王座に感極まった様子。
「まあ勝因は単純に内藤の油断だよな。アイツの怪我を理由にするファンもいるかもしんねーけど、怪我したところを攻めるのはプロレスの常道だから。それは負けた理由にはならねーよ」「防衛戦の相手? ああ、オレがベルト巻いた日に早速KOパンチをくれた奴がいたよな。借りは返さねーとなんねえ、アイツだアイツ、佐々木だよ」と最初の防衛戦に自らの付き人でまだヤングタイゴンの佐々木を指名。

・後日塚間社長から正式にダメだしをされると、「なんでだよ! 祝勝セレモニーで殴ってきたやつと防衛戦すンのはプロレスの常識だろ?」「え? 『ありのままでは終わらないプロレス』だからダメだって? くそっ、社長のヤロー……あっ、すんません、塚間さん! ウソですすみません……」と会見に乗り込んできた塚間社長に謝りつつ、「最初の防衛戦は新皇杯の優勝者になるだろう」と告げられ、がっくりと肩を落としていた。
  

3月
・一月に参戦したWWC世界タッグ王者のデル・サントス、スペル・プロフェッタ組が再来日。
・今年の契約更新では、退団の噂もあった刈馬が大幅な減俸で合意。
・刈馬曰く『納得できるギリギリの数字』とのことだった。関係者によると、刈馬は手術費や治療費が団体の経費としてかさんでいるため、その額を考慮した年俸になったとのこと。グッズ販売の収益は一部が選手に渡る為、副業をするほどではないとの事。

・レフェリーの三嶋が引退のため退団。それ以外は大きな変動はなく、レスラーは新たにデビューした五十鈴信宏(いすずのぶひろ)と牧野修平(まきのしゅうへい)を加えた計十三名に。正式入団の噂のあった佐倉は海外団体への出場を理由に入団契約が流れる事となった。

4月
・NCWPの未来を担うレスラーを決めるためのトーナメント戦、新皇杯が開幕。
 前世界王者の内藤が初戦で野村に敗れる波乱に続き、NWWC世界王者清水が前回優勝の佐倉を破って一回戦を突破。内藤と佐倉の優勝候補二人が一回戦で消え、混迷したトーナメント戦が予想される。

・活躍が期待される野村は、二回戦で那須を、準決勝では刈馬を破りいち早く決勝進出を決める。
・もうひとりのファイナリストの座を賭け、加宮を破った清水と桧山を破った伊部が対戦。両者リングアウトの末の再試合で、王者清水が反則負け。現王者のプライドを守るために、試合を捨てて逃げ帰る結果となった。

・決勝戦は野村と伊武の組み合わせに。伊武は今回が初めての決勝進出。
・野村有利が囁かれる中、鍛え上げられた筋肉美を見せた伊武が野村を圧倒。世界王者清水がちん入する中、劣勢を盛り返した野村が伊武をアルゼンチンバックブリーカーで仕留め、09年、11年に続き三度目の優勝を果たした。

・優勝した野村は、「今年こそ、てっぺんを取る!」「みんなが期待している。やれない理由はない!」と宣言。
 野村には東洋王座時代の戴冠はあるものの、シングルの世界王座の戴冠はない。それを今年こそやり遂げると胸を張った。

5月
・ふるさと感謝際の興行を終え、GW興行前のわずかな休みの間にNCWPグループ全体に衝撃が走った。
・グループ会長で元社長の仁村賢利が、五月一日未明に逝去。63歳だった。
・昨年のレスラー引退以来、ファンも関係者も闘病中とは聞かされていたが、詳しい事情は伏せられてきた。死因は腎臓ガンによる心不全だが、昨年四月の定期健診ではそこまで深刻だったとは診断されておらず、詳しい事情を調べている所だという。

・GW興行では追悼のテンカウントゴングと共に、仁村が遺したメッセージがファンに伝えられた。
「人生には多くの戦いがあると思う」「自分の病気もその一つだ」「レスラーは日々闘っている。いや戦わなければならない」「それは自分のためであるし、皆のためでもある」
「もし、プロレスを通じてファンの皆様に少しでも闘う勇気が届けられるなら、私はこの団体を作り、皆に『プロレス道』を示してきた意味があったのだと思える」「皆様からの熱い声援に心から感謝しています。皆様のご多幸と健康をお祈りしています」
 おそらくはまだ深刻ではなかった頃に、万が一を考えて残したコメントだったのだろう。ビデオに写る仁村会長は、今年一月の時に比べて元気そうな表情をしている。

・また関係者へ向けてのメッセージではこんな言葉も遺されていた。「もし向こうで逢えたら、氷上と板井に謝ってきたいと思う」
 板井に関しては、NCWPのリング上で死なせてしまった苦しみがあったのだと理解できるが、2006年1月に他界した氷上龍斗との間に謝罪しなくてはならない事実があったのか、マスコミ関係者の間でも意見が分かれている。

・08年に退団した式島和也が約7年ぶりにNCWPのリングに足を踏み入れ、昨年退団した一草弾やその兄の和秀らと共に天国の仁村にメッセージを送った。
「月並みな言葉かも知れませんけど、仁村さんはオレの恩師であり偉大なレスラーであり、優れた経営者でした」「時には家族のように感じた事もあります。上司と部下ですし、共に闘った戦友でもあります、仲間であって、時にはライバルでもありました」「仁村さんとの関係は筆舌にできないほど大事な絆でした」「オレは七年前、このリングを去りましたが、噂されていたような不仲が原因ではありません。ただ、自分が社長になったときオレはオレのやり方でプロレスを広めたい。その思いが抑えきれなかったんです」「いつかオレもそちらへ行く日が来るでしょう。その時はまた一緒に酒でも飲みましょう。でもきっと、あっちでも仁村さんはオレが奢るといっても、頑として払わせてくれないんでしょうね……」

・式島のメッセージに続き、一草兄弟も亡き社長へのそれぞれ思いを語った。
・先に氷上龍斗のパートナーであり、NWCを支えた人気レスラーでもあった一草和秀がマイクを取り、「仁村賢利という男に出会えた事は人生の幸運だったと思う」「俺も理由あってNCWPのリングを離れたが、仁村さんはしっかりと理解を示してくれた。それがビジネスだって言って」「あの頃は、団体に居た頃は社長が理解できない事が何度かあった」「ただ、仁村社長……俺にとってはいまでも社長ですよ。社長は誰よりもプロレスを愛していたのはよくわかります」「川渕と一緒になって偏屈オヤジだなんて罵った事もあったけど、社長にとっては仁村賢利のプロレスをやって、人々に伝えてゆくことが何よりも大事だったんですね」「こうして振り返ってみると、仁村社長はやはり道を往く人だったんだって思います」「俺も俺の道を行って生きてきました。式島くんや川渕もそうでしょう」「いつか対等な立場で話ができる日を夢みて、頑張ってきました」「伝えられなかった言葉を今日伝えたいと思います」「ありがとうございました。あなたは俺にとってかけがえのない立派なセンセイでした!」

・つづいて一草弾は、「仁村会長、自分は所属レスラーの中でも、会長とは少し遠い存在だったのかなって思います」「式島さんや桧山は会長にベッタリでしたね。刈馬は会長と対等にやり合っていましたし」「でも俺や瀬田はあまり会長と接する機会もなく、新年の挨拶で激励された思い出ばかりが残っています」「そんな中で唯一激励されたのは、'96年に初めてインターナショナルカップに出場した時の事です」
「あの時は、自分と刈馬が会長と式島さんを破って出場権を手に入れました」「グリーンボーイだった自分は責任の大きさに潰れそうになっていました」「そんな時に仁村さんに声をかけてもらったんです」
「普通は『お前ならできる』とか『プレッシャーを感じずに闘って来い』とか言うのでしょう」「でも会長は『お前たちは日本中の期待を背負っている』『NCWPの一因として恥ずかしい試合はできないぞ』とか『もし無様に負けてきたら日本にお前達の居場所はないと思え!』とか、鬼のようなプレッシャーをかけてきたんですよね」
「俺は思わず泣きそうになりました。でも仁村さんはさらにこんな事を言ってくれたんです。『自分を信じなくてもいい、刈馬を信じろ』『アイツならやってくれる、ダメだと思ったら刈馬に丸投げしておけ』って!」「俺はそんときはカッチーンて来ましたよ。会長は自分に期待しないで刈馬に期待しているんだって思ってね」「もうそれで戦闘モードに入りましたよ、刈馬になんか負けられるかってね!」「結果的にそれで上手くいったわけで、優勝した時に世間の評判は刈馬と自分で二分されていました」「その時は素直に嬉しかったですね」「あの時、自分を焚きつけるために言ってくれたあの言葉、あれはいつまでも俺のハートに火をつける言葉になってますね」「思い出したらまた熱くなってきましたよ」
 興奮してきた弾が兄の和秀にたしなめられると、「まあ、そういう具合に、俺と仁村会長は、社長とレスラーとしてね、ちゃんとコントロールしてもらっていたし、日々の努力に対して十分報われたと思っています」「仁村会長、生前はお世話になりました。ご恩は一生忘れません!」

・この日は式島や一草弾は試合を行うことなくリングを後にしたが、後日開催される仁村賢利追悼興行への出場については「もちろん出ますよ」と二つ返事でOKした。
・表向きは「今日はビジネスの話はしない」と公言していた式島だが、裏ではNCWP塚間社長と本格的な提携の話も持ち出されていたようだ。
 なお、一草和秀は引退しているため試合の出場はなく、話題に上がった川渕ら『川渕ジム』所属のメンバーたちも「故人の意思を尊重し、NCWPのリングで我々の試合を行う事はしない」「追悼には別の機会を設ける」とのコメントを託されていると明かした。

・来月、六月六日に聖地戸田川市民センターならびに戸田川市民公園にて追悼興行が行われると発表。会場へ収まりきれない数のファンを予想し、外ではパブリックビューイングと昭和六十三年以来となる戸田川市民センター場外試合を行う。

 
6月

・戸田川市民センターならびに戸田川市民公園にて、NCWP仁村賢利追悼興行が行われる。
・元WGAのスタック・ジーガルをはじめとしたゆかりのある選手が集結した。
・会場には収まりきれないおよそ二万人のファンが詰めかけ、ライブビューイングに加え、市民公園の屋外リングでも試合が行われた。

・かつて所属した多くの選手が訪れ、その中には十七年前に引退した永原幸秀の姿もあった。

・メインイベントではスタック・ジーガル、ブルックJr、アーサー・ケイマン、ジョニー・ディープ組対、桧山響一、式島和也、内藤隆弘、石和圭一組の8人タッグが行われ、17分51秒内藤の隆弘のイングラムプラントから桧山のグレープパインでジョニー・ディープを仕留め、天国の仁村会長に捧げた。
・屋外のリングでは、メインイベントのセレモニー後に刈馬や伊武ら、ヒートバーリーがリングを占拠。『俺たちの魂振試合(たまふりじあい)』として、革命時代の盟友、現川渕ジム所属の須藤、南雲と約5分間のスパーリング試合を行った。

・十七年ぶりにNCWPの会場に足を踏み入れた須藤は、「故人のご冥福をお祈り致します」「俺たち革命軍生まれの革命軍育ちにとってはね、複雑な存在でしたよ」「あの時の感情はまだ整理がついていないけども、今思うとね、給料はあの人から出ていたわけだし、恩はあったのかなって思います」
・かつてデビュー三年足らずでWWC世界タッグ王者に輝いた南雲は「おれも須藤と同じ気持ちですよ」「あの頃はね、本当に川渕さんが次期社長になれると信じてました」「今思うとバカみたいですけどね。NCWPは仁村社長の団体で、おれらが革命軍って言って奮起してても契約は社長が握っていたわけで…」「最後はあっさり放出されて終わってしまいましたけど、あの時代はおれの青春でしたよ」
 と刈馬と共に昔を懐かしんだ。

・新世代革命軍は、世間に総合格闘技が台頭する中、NCWP従来のプロレスを打ち破って新しいプロレスを興そうとする新時代の潮流だった。引退した氷上龍斗の代わりが誰にも務まらない中、エース候補とみなされなかった川渕が起こした必死のムーブメントだった。
・人気の絶頂期は、当時エース候補だった荻原が加入し、南雲が西海上プロレスの月原ひろを引き入れた1998年。
・しかし、その荻原が方向性の違いから川渕と対立し、革命軍荻原派が生まれた事で崩壊へと向かっていく。
・2000年1月に起きた板井選手の事故により、総合格闘技に傾倒していた川渕派は一掃され、その後リングに上がる機会は与えられなかった。

・スパーリングのみとは言え、十七年ぶりに古巣へ帰ってきた須藤と南雲は、今後の可能性について「既にコーチの職にあり、総合格闘技の第一線からも退いている。おそらくはない」としつつも、「あの頃、あんなに熱かったNCWPのリングが近年冷めてしまっているのは非常に残念」「ただ今日だけは別だった。この熱気をこれからも持ち続けて欲しい」と古巣にエールを送った。

  

7月
・今年の九州遠征では、世界王者清水と新皇杯優勝の野村の対決が連日組まれた。
・内藤、刈馬がスポット参戦となり、佐倉涼介の参戦もない中、会場を盛り上げていたのは関ヶ原プロレスの吉田と加宮の対決だった。
・世界王座前哨戦を超える盛り上がりに、早くも次期挑戦者はこの二人のどちらかだろうと囁かれはじめた。
・今年は福岡で行われたNWWC/NCWP統一世界王者戦では、激戦の末、清水が王座を防衛。
・9月の旗揚げ記念大会で行われる次の防衛戦の相手には以前のパートナーである加宮を指名した。

8月
・新体制に移行してからのNCWPは、お盆休みもなく、シリーズは続いてゆく。
・関東と東北で行われた8月シリーズでは、前世界タッグ王者となったデル・サントス、スペル・プロフェッタ組がフル参戦。東北の地を賑わせた。

・8月後半には海外遠征に出発。療養を理由に刈馬は欠席するが、内藤は復帰し遠征試合全てにフル出場。
・海外でも、レジェンド・仁村の死を悼む声が多く、自他ともに認める後継者桧山の一挙手一投足に大きな歓声が上がった。
・一躍ヒーローに躍り出た桧山は、「仁村会長の最後の贈り物だと思っています」「まだまだ頑張らないといけない」「ベテランと呼ばれる中にあって、自分だけ“海”にまでたどり着いていない」「まずはそこを目指したい」と、仁村プロレスを継承しつつ、自分のスタイルを完全に確立させる事を目標にした。

・海外で行われたNWWC世界王座戦に、プロフェッサー・ナカタが挑戦。清水は荒いファイトにてこずるも、得意のラフファイトでナカタを黙らせると、場外で椅子を乱打。最後はナカタをグランドロイヤルストレッチに捕らえ、ギブアップを奪った。

  

9月
・今年は目だった動きのなかった刈馬が、ここに来て活動を再開。曰く「本当は引退を考えていたが、仁村の逝去で引退するわけにはいかなくなった」との事だった。

・詳しく話を聞くと、首から肩にかけて、五度の手術で両腕は肩から上に上がらなくなっており、以前のような腕力を活かしたパワフルなファイトはもうできないという事だった。
「俺は激しく悩んでいた」「レスラー人生でこれだけ悩んだのははじめてだよ。革命軍の時も相当悩んだし、三冠取ったときも死ぬほど悩んだが、今回がそれ以上だ」と激白した。
・昨年から全身にメスを入れて身体を休ませてきたが、45歳という年齢もあって全盛期のようなファイトはもうできる気がしないのだという。

「本当はこの9月で引退するつもりだった。佐倉たちに後を託してな」「低年俸での契約更新を受け入れたのはそれが理由だった」「だが、佐倉はアメリカに行ったまま帰ってこねぇし、内藤も万全とはいえねぇ」「仁村会長の逝去で、『俺がやるしかねえじゃないか』と思うようになったんだ」「だがこの身体だ」「旗揚げ記念試合で、俺は牧野と戦う事になっちまった」「昔、仁村会長が佐倉の相手をしただろう? 佐倉もそれが転機と言っている試合だ」「俺はそん時の会長より十年若いのに、いまはそのポジションに居るんだ」「佐倉はあの試合で人生が変わった。俺もそれだけの試合をしないと、仁村会長には勝てねぇって事になる」
・刈馬は「だからよ…」と前置きした後でこう続けた。
「牧野との試合、俺にとってもデビュー戦にする。刈馬雅史の再デビュー戦だよ」

・刈馬はこれまでの自分を捨てて一からやり直すと決めたらしく、使う技もスタイルも一新するとの事だった。
「俺はレスラーとして生まれ変わる」「これでもキャリアは長い。俺はいろいろやってきた」「有名なヤングタイゴン時代の試合後の暴れっぷりもそうだし、テンプル刈馬を名乗っていたWE時代もそう」「そして、革命軍でサヴァーグさんと組んでいたときにヒントがあった」「そう、X刈馬(エックス・カリバ)だよ」
・かつて川渕が起こした革命軍時代の混迷の最中、刈馬は弟の欠場でパートナーがいなかったサヴァーグ晃のパートナーを務めていた。そしてマスクを被り、『ルチャの真似事』と酷評されたX刈馬のスタイルに、これからの新しいプロレスラー像を見出したのだという。

「あん時の俺は、荻原さんに拾ってもらう前で、革命軍に嫌気が差していた」「総合のリングにも上がることになっていたし、やりたい事とやってる事のギャップに苦しんでいた」「革命軍じゃ龍斗さんから受け継いだプロレスはしづらくなっていた」「とにかく普通のプロレスがしたくてアキラさんのパートナーにしてもらったんだ」「確かに酷評はされた。スーパーヘビーを目指していた俺がルチャの真似事…。本当にただの真似事をしていたわけだから当然だ」「俺はそん時の迷走が原因で、桧山や内藤に抜かれたって意見も認めている」「荻原さんに拾ってもらった後もしばらく迷走が続いたくらい、その時の無理が祟っていたからな」

・その時の刈馬はそれまでの自分を壊してでもルチャの動きをしようとし、120kgクラスの身体を生かせずにいた。
「だが人生とは不思議なもんでな」「その後、必死になって創りあげた自分が全部なくなって、引退を迫られたときに、唯一残っていたのがそん時の経験なんだよ」「俺にはまだ引き出しが残ってる。もうひとりの刈馬雅史がいる」「それが今の俺には必要だったんだよ」

・刈馬は再デビューに向けてさらに心境を語る。
「今更マスクを被るつもりはねえよ」「でも、あん時アキラさんとしていた練習をもう一度やり直してる」「再デビュー戦で見せてやるよ、45歳新人レスラー刈馬雅史の姿をな!」
・そして、24歳になるヤングタイゴンの牧野修平と45歳"新人"刈馬雅史の試合が近づいてきた。

・NWWC世界王者に加宮が挑戦。三ヶ月連続のタイトルマッチとなった清水は、苦戦するもレフェリーの死角をついた金的で流れを一変。最後には余裕すら浮かべてロイヤルストレッチSSでかつての付き人であった加宮を下した。
・10月には新皇杯優勝の野村の挑戦を受ける。
・過去最強の挑戦者を前に、清水は「この年で四ヶ月連続はきちーな」「みんなもそろそろチャンピオン交代かと思ってるんだろ?」「けどな、オレは負けねェーよ!」「野村なんか、オレから見たらグリーンボーイだ、グリーンボーイ!」「いいか、見てろよ。誰がチャンピオンに相応しいか証明してやるぜ!」と息巻いた。

10月
・10月3日に原宿の国立競技場体育館で創立記念大会が行われる。NCWP20周年。NWC時代から数えれば創立35周年になるこの節目の大会では多くのカードが注目されている。

・ひとつは今年度から加入したレスリングネットワークの公式試合。
 式島和也が立ち上げたWN.JPでは、全国の団体からエントリーしたレスラーによる公式試合が各団体間で行われる。団体の大小を問わず、レスリングネットワークのコミッショナーの下、平等に競わされる公式戦だ。

・シングル、タッグのほかに、キャプテンイリミネーション方式で行われる6人タッグがあり、6人タッグリーグは9月からシーズンが開幕。全18団体によるホームアンドアウェイ方式の長い長いリーグ戦だ。
・NCWPからは桧山率いる正規軍の参加が決まり、既に他団体で開幕戦が行われている。桧山、加宮、井上の三人がレギュラー登録で、デビュー一年目の五十鈴が他のレスラーが他の試合などで欠場する際代わりに出場するサブメンバーとして選ばれた。

・初戦はWN.JP直轄の川崎プレミアムジムに所属する加藤勇作らのチーム。石和はシングルのトップリーグに出場するチャンピオンのため、旧NCWPのメンバーでは加藤勇作のみが同大会にエントリーしている。
 またWN公式戦ではアウェイ遠征などで人数が足りなくなる場合は、式島率いるAチームと、元NCWPの鈴木タカシ率いるBチーム、元西海上プロレスのレジェンド真崎直道率いるCチームが交代で穴埋めに参戦してくる。世界で頂点を極めた式島、現在日本一の団体西海上で長年トップを務めた真崎ら、国内屈指の知名度を誇るトップ選手が地方団体へも足を運び、興行の手伝いをしてくれる。
・超有名選手の参戦により大きな利益を上げられ、公式戦のテレビ中継などを通じて選手の名前を売る事が出来る。試合内容がよければメディアにも取り上げられ、所属レスラーの地位向上につながる事が、WN.JPに加盟するメリットだといわれている。

・所属選手が大幅減となったNCWPにおいても、WN.JPへの参加は目玉カードを増やすために大いに役立っている。
・ホームでの初戦となった国立体育館では、凱旋した加藤勇作が変貌振りを発揮。
・ビジュアル面でクールになったほか、もともとのキレ、経験を積んだ事で生まれる余裕から、注目を独占した。試合は桧山が意地を見せてかろうじて勝利を収めたものの、リングの主役は間違いなく加藤だった。
・久方ぶりのNCWP参戦になった加藤は、「仁村会長の引退試合にも追悼興行にも出られなかった分、ここで会長への思いをぶつけさせていただきました」「上半期のケガでトップリーグへの参戦はなりませんでしたがこのイリミネーションリーグではタッグリーグに続いて二年ぶりの優勝を目指したいと思います」と、ところどころに相変わらずの報われなさをにじませていた。

・第四試合では、新生刈馬の初お披露目となった。
 試合前からめずらしく弱気な態度が目立った刈馬だったが、試合では牧野修平を圧倒。従来の技が殆ど見られず、国内最強と呼ばれたナイフエッジチョップも殆ど使わない状態だったが、新必殺技の“クロスキャリバー”(ブロークキック)で牧野の顎を粉砕し、今年一番のパフォーマンスで再デビュー戦を飾った。
・試合後敗れた牧野は、「…トップレスラーとの力の差を思い知らされました」「この力の差をいい経験にしていかないといけないと思います」と悔しさを噛み締め、勝利した刈馬は「思った以上に上手くやれた」「まあなんだ、新人のつもりで臨んだのは確かだけどよ。積み重ねたキャリアは無駄じゃなかったって事だな」と力の差を見せ付けての完勝を認めた。

・WWC世界王座戦ではアメリカの新王者フューチャーデイズが世界レベルのスピードとパワー、パフォーマンスの高さを見せつけて完勝。再び世界との対決に屈した内藤は、「この一年で自分も成長したつもりだったが、これまで以上の壁を感じた」「世界には新しい波が次々と来ている」「タッグタイトルの挑戦は当分諦める…おそらくはNWWCも……。俺にはその資格がない」と、弱気な態度を見せた。
 プロレスの統治者=ソブリンと呼ばれ、不可能を可能にし続けてきた内藤が初めて自分の限界を知ったような、そんな雰囲気だった。

・第三試合からがセミファイナルまでの対外試合が続いた後、メインイベントに組まれたのは、NCWP所属レスラー同士によるNWWC統一世界戦。
・チャンピオン清水剣次が、新皇杯優勝の野村を迎えるこの一戦は、NCWPらしい玄人好みの攻防が期待される。
 案の定、両者は手の探りあいから、相手の裏をかく攻防を繰り返し、まさに頭脳戦という様相を呈してきた。清水は攻め込むも決め手を欠いて攻めきれず、野村の逆転勝利かと思われたその瞬間、野村の甘い手を清水が切り返し、丸め込みで3カウント。今年最後の防衛戦でもまさかの勝利を収め、この年をチャンピオンとして乗り切った。

・敗れた野村は、「今回こそはいけると思っていた…」「仁村会長の引退試合でもメインに出れず、追悼試合でもメインからはずされてしまった」「今日こそは、という思いで…」「勝って、会長に報告したかった。NCWPは俺が支えるんだと…」と目に涙を浮かべ、「腐らない様に…ここで腐ったらおしまいだから…明日からまた頑張っていきます…ええーい! クソッ!!」と悔しさを爆発させた。

・勝利に大満足の清水は、「存外、野村も敵じゃねーな」「オレの土俵で試合すりゃこうなるって事だ」と余裕すら漂わせて会見に臨み、「内藤は王座挑戦を諦めてる? 佐倉は帰ってこねーし、次は桧山あたりになンの?」記者から『桧山選手の挑戦を受けるつもりはありますか?』と質問されると、「ねェーよ! いや、なくはないけどな」「オレな、今調子がいいンだよ」「正直誰が相手でも負ける気がしねェ。だからこそやってみたい相手がいる」「誰かって? 式島だよ!」「レスリングなんちゃらとかの決まりで、こっちのリングにも上がってくるんだろ?」「だったらそン時タイトルマッチやろーぜ」「近年なかった最高級のビッグマッチになるだろ?」と、2007年以来となる式島のNWWC挑戦に期待を込めた。

    

10月
・日本レスリングネットワークコミッショナーズ(通称WN.JP)の式島代表が、NWWC統一王座の挑戦者として迎えたいとする王者清水の発言に反応した。
・式島曰く「以前は出向先でベルトに挑戦する事もあったが、いまは断ることにしている」と前置きした上で、「それでも、NWWCのベルトはオレにとっても特別なベルト、少し考えたい」と返答を保留した。

・式島は2011年に、当時リーグに加入していた複数のプロレス団体からタイトルの挑戦者を求められ、一時は六冠を保持していた。
・しかし、王座戦のスケジュールをこなすのが困難な事から、一部の王座を返上。残る王座も真崎や石和や鈴木タカシなどに敗れて失っている。
・式島はその当時の事を、「震災による影響で観客が激減していた」「どこも苦しかったので、仕方なく先方の希望を受け入れる事にした」としている。当時の式島はコンディション的に完璧な状態になく、防衛戦を重ねるのは難しい状況だった。それから3〜4年が経過して、コンディションもよくなってきているが、古巣とはいえ、タイトル挑戦に対する例外を認めることに躊躇いがあるようだ。

・来月開幕する年末のタッグリーグに向け、チームの受付が始まった。
・正規軍トップの桧山は、昨年チームを組んだ清水に再びタッグ結成を呼びかけるも、清水から「アホか! 解散だって言っただろ!」と一蹴されてしまう。当の清水は加宮を再び陣営に引き入れたい考えだったが、加宮はいい顔をせず、桧山が加宮を勧誘。清水と組みたくなかったらしい加宮は桧山の誘いに飛びつき、正規軍からは桧山・加宮組がエントリーされた。
・第一候補のパートナーを逃した清水は、「“ロイヤルファミリーF”の“F”は、プロレスリング・フェンリルの“F”だ!」と言い、元プロレスリングフェンリルの伊武を誘うも、伊武は二番手指名である事に難色を示し、ロイヤルファミリーFからの離脱を宣言。刈馬に弟子入りしたいと言い、ヒートバーリーに加入する事を本人に直訴した。

・刈馬は「デジャビュを感じるな」と、かつて同じプロレスリングフェンリル出身の山縣が直訴したのを思い出して苦笑しつつ、「俺はオマエを山縣ほど認めていない。だが、物になるまで三年を覚悟するなら弟子入りを認めてやる!」と三年は自分の下にいるよう条件をつけた。それに対して、「これまで十年間、一生懸命やってきたけどダメでした。三年でトップになれるんなら喜んでやりますよ!」と伊武は前向きな姿勢を見せ、今大会二チーム目のエントリーが決定した。

・加宮だけでなく、伊武にも嫌われた清水は、元プロレスリング・フェンリルの那須善宗をパートナーに指名。「向こうが三年ならこっちは二年で那須と佐々木をトップにしてやる。競争だよ、競争!」と、同門の那須のライバル心を煽り、戦力の向上を図った。

・世界王座戦で敗れた野村は、内藤とのタッグ再結成を模索するも、内藤は首の状態が思わしくないため、今年のタッグリーグの欠場を発表。公式戦には欠場するが、シリーズの試合には参戦すると発表した。
 野村は代わりに牧野を指名。牧野は佐々木とのタッグを考えていたが、思わぬ大物からの誘いに飛びついた。

・優勝候補の一角として、二年前のチャンピオンチームである佐倉・吉田組の参戦に期待がかかるが、佐倉は米国マットとのスケジュールが折り合わない事を理由に大会の出場を辞退。内藤と共に解説席のゲストとして参加が決まった。
・プロレス関ヶ原の吉田満は、「この大会は俺の夢の舞台」として参戦に意欲を示し、パートナーには関ヶ原のレスラーではなく、「かなりの大物選手を連れてくる」として、パートナーXとの登録で参戦が決定した。

・10月シリーズでは他にメイン級のカードがなかった事から、日本レスリングネットワークコミッショナーズの公式戦が初のメインに抜擢された。南九州を主体にする阿蘇国際プロレスリングと四国の丸亀プロレス2がNCWPに初参戦した。

  

11月
・タッグリーグの参加受付が終了し、今年のタッグリーグを戦うチームが出揃った。
 正規軍からは、桧山・加宮組野村・牧野組。ヒートバーリーは刈馬・伊武組。ロイヤルファミリーFからは清水・那須組。他団体からは、阿蘇国際プロレスより、志藤・池田組。プロレス関ヶ原から吉田・一草弾組。海外からは大物ケリィ・ロジャースが久々の来日。アメリカンJと組み、ロジャース・J組の出場が発表された。最後にパートナー不在の佐々木が同じく内藤の欠場で宙に浮いていたオクソンと組む事になり、佐々木・オクソンの出場が決まった。
 今年は8チーム1ブロックでの総当り戦。勝ち点上位2チームが最終戦での優勝決定戦に望む。
 なお、WN.JPの公式戦もあるため、日程の都合上、イリミーネションチームのメンバーである井上は大会の参加が見送られた。

・今大会は8チームの総当りで勝ち点を競い、上位二名が最終戦に行われる決勝大会に進出。リーグでの勝ち点に関わらず、決勝で勝利したチームが優勝チームとなる。
・今年はどのチームも戦力が拮抗しており、優勝候補と呼べるチームは存在しない。しかし、戦前の印象では、桧山・加宮組とロジャース・J組、関ヶ原の吉田・一草組が少し抜き出ている印象。中でも昨年退団して以来、公式カップ戦初参戦となる一草弾の動向に注目が集まっている。

・初戦のメインでは、再デビューを果たして少しスタイルの変わった刈馬と、同期の一草組との対戦が組まれた。
・キックをメインにする刈馬の新しいスタイルに面食らった一草だが、「刈馬の蹴りは力任せ。自分の方が遥かに上」と訓練された蹴り技で刈馬を圧倒。刈馬のパートナーである伊武が奮闘するも、最後は吉田のパワーに力尽きた。

・初戦を落とした刈馬組は不調が続き、清水・那須組、志藤・池田組に勝利しただけで二勝の勝ち点4に終わる。
・野村・牧野組も、牧野が足を引っ張る形となり、刈馬・伊武組と佐々木・オクソン組に勝利しただけの勝ち点4。
・その他、志藤・池田組、佐々木・オクソン組も勝ち点4に終わり、下位チームが星を分け合う形となった。

・吉田・一草組は戦前の予想を超える活躍で1敗の勝ち点12。大会最多優勝回数を誇り、前人未踏の4連覇を果たすなど、タッグに強い一草弾が居る以上は、このチームが優勝候補とされるべきだったかも知れない。

・NWWC世界王者であり、昨年度優勝の清水・那須組は、今大会でダークホース的な活躍をみせるが勝ち点は7。
・桧山・加宮組は2敗で勝ち点10。
・ロジャース・J組は最終戦で清水組と引き分けた事で勝ち点9。わずか1差で決勝進出を逃した。

   

12月
・NCWPタッグリーグの優勝決定戦のカードが決定。
・WN.JP公式戦との日程の都合があり、桧山・加宮組はシリーズ最終日には一日二試合を戦う事になってしまった。
・第4試合に行われたWN.JP公式戦では、タッグリーグにエントリーしなかった井上が奮闘するも、チームは敗退。
・NCWPの桧山・加宮組は、不安を抱えながらの決勝戦に臨んだ。

・絶対に負けられない覚悟で臨んだ桧山たちは、吉田・一草の連携に圧倒されるも、これまで大一番に弱かった加宮が大活躍。並々ならぬ闘士をみせるも、最後は一草の蹴りで半失神状態に。
 そのまま加宮がフォールされ、リーグ勝ち点1位の吉田・一草組が今大会の優勝を収めた。

・仁村賢利が他界したこの年のイヤー最終戦。この日二敗で終えた桧山は、加宮と共に涙に暮れ、「絶対に勝たなきゃいけない試合で自分は勝てなかった」「氷上龍斗さんのとき、刈馬は勝ってた…」「自分が情けないです…」と落ち込み、感化されたのか加宮も大泣きで「プロレスに入団してから初めての気分…」「こんな気持ちになった事はないですよ」と言葉にできないほどの悔しさを味わっていた。

・優勝した吉田は「この勝利を偉大なレスラー、仁村賢利に捧げます」とトロフィーを頭上高く掲げ、会場に置かれた遺影に手を合わせた。
・NCWPを退団しながらも、今日この日を優勝で終えた一草弾は、「本当に人生というのはわからない」「去年退団セレモニーを迎えたときには想像もできなかったような事が今起きている」「自分が再びこの大会を制した事には何か特別な意味があると思う」と感慨深げに話した。

・大会最終日に、式島和也がリングに登場。この年四度目となるNCWPのリング上で、清水剣次の提案どおり、NWWC世界王座の次の防衛戦に挑戦する意向を表明した。
・『世紀のビッグマッチ』と喜び勇む清水だったが、話はそう簡単には終わらず、試合はWN.JPのリングであること、日時は来年1月頭に行われるWN.JPの武道館大会で、現チャンピオンの石和圭一の前の試合、つまりセミファイナルであることを条件に付け加えた。

・世界王座のタイトル管理委員会は「世界王座の権威が軽視されている」と難色を示したが、王者清水は俄然乗り気で「俺が勝てば世界王座の権威は守られる」「万が一負けても、式島和也が世界王者としてNCWPのリングに帰ってくる。どっちに転んでもおいしい話」「この提案を受けない話はない」と快諾した。
・最終的にはタイトル管理委員の決定に委ねられるが、既にファンはこの対戦に期待を膨らませており、実現は決定的だと思われている。

・心変わりして挑戦する事にきめた式島は、取材に対して、「仁村会長への恩義と、清水の思い、自分の意地を秤にかけた妥協点」と今回の決定を説明しつつ、「自分の意思で出て行った以上、NCWPには戻らないという気持ちがあります」「もちろん仁村会長の追悼試合には協力しましたが、それとこれとは別です」「ただ、清水の思いには応えたかったし、武道館大会を成功させたいという主催者としての気持ちもある」「タイトル管理委員会が許可しなかったら、それはそれで運命」「もし、今度のタイトルマッチに勝利してチャンピオンになるようだったら、その運命を受け入れてNCWPのリングで防衛戦に臨むつもりです」「それはお約束します」「NCWPへは戻らない気持ちがあると言っても、もちろん試合には全力で臨みますし、準備も一切手を抜きません」「NWWCの防衛戦では、一度後悔しているのでね。いまのチャンピオン以上の気持ちをもって挑戦したいし、そうしなかったら自分のプロレスに対して真摯ではなくなります」「おそらくこれが最後の世界王座…シングル王座への挑戦になるかと思います」「それぐらいの気持ちを持ってね、臨みますよ」と決意を口にした。

・翌日、正式に式島和也がNWWC世界王座の挑戦者として決定した。試合は来年2016年頭のWN.JP武道館大会で行われる。

  

    

2014年 1月
・日本全体でプロレス界そのものが地盤沈下し、NCWPでも観客数の低下が再び深刻になっていた。
 改善の見通しが立たない事から、塚間社長は人員の削減を宣言。トップレスラーを含む数名の選手に来年度の契約更新を行わないと宣言した。
・昨年度、仁村会長が「出て行ってもらう」と言った言葉通りにリストラを強行するという決断だった。
・放出リストの中には、世界王座を二度獲得し、NCWP東洋王座、新王杯に加え、インターナショナルカップ二度制覇した一草弾の名前も含まれていた。

・塚間社長は、新年の挨拶で『NCWPの破壊と創生』という過激なキャッチコピーを掲げた。
・塚間社長の発言では、「去年は諸君らの奮起を期待していた」「だが団体創立史上、最低の出来だったといわざるを得ない」「同じプロレスを今年も繰り返すことはない!」と激を飛ばし、「リングの上に闘争がない」「NCWPはいつから三流レスラーの巣窟になった!」と社長自ら団体批判を展開するも、それに噛み付く者が一人もいないのが問題の深刻さを象徴していた。
・これまで事あるごとに体制に反発してきた刈馬も、塚間社長には何も言わず、その理由を「狼は犬と同じ土俵で吠え合うことはしない」と説明した。
 刈馬にとって、いまのNCWPは噛み付く相手がいないリングになってしまったのかも知れない。

・正規軍トップの桧山はいつものように反省を口にし、「社長の言葉にお客さんが全員頷いている。危機感を持ってなんとかしないと」と話した。
・『自由のプロレス』を掲げる内藤は、「オレと渡り合えるレスラーが一人もいない事はオレにとっても不幸なことだ」と、師匠の発言から自分は除外して受け取ったと思えるコメントを残した。
・外様組の山縣や佐倉はそれぞれ、「怪我で欠場していた自分には何も言い返せません…。これからです」「自分はまだ戻ってきたばっかだしね。これからオレと吉田でなんとかしますよ」と揃って現在ではなく未来に目を向けた。
  

2月
・今年度最初の統一王座戦では、内藤が佐倉の挑戦を退け、二十四回目の防衛に成功。
 期待されていた佐倉だが、新フィニッシュホールドの裏アキレス腱固めで決めきれず、旧フィニッシュホールドのワンハンドクラッチ式キャプチュードは決める事さえできなかった。
 佐倉は総合格闘技に専念していた頃の名残でプロレスのムーブメントにぎこちなさが生じ、タッグマッチはこなせるものの、シングル戦においては深刻なブランクを感じさせるパフォーマンスだった。
  

3月
・ゆるキャラと呼ばれるマスコットキャラブームに乗っかり、サバを模した兜を被り、赤い顔をした着ぐるみ『戦場(イクサバ)くん』がNCWPならびに戸田川市の公式マスコットに認定される。
・塚間社長が以前から温めていたアイディアで、キャラクターグッズだけで数千万円の売り上げが見込めるという。
・イクサバくんの中身はジュニアヘビー級の井上であるとの噂がある。

・3月31日付けでレスラーの大量解雇が行われた。
・残ったメンバーは以下の通り。
 最年長の清水剣次は契約を更新し、年齢順に刈馬雅史、桧山饗一、内藤隆広、野村信一、伊武鷹晴、加宮みつる、那須善春、井上義純の八名に加えて、ヤングタイゴン三名の計十一名が所属レスラー。ファイヤーSはスポット契約、残りはフリー契約に。桧山は取締役との兼任。野村や井上もスタッフ兼任のレスラーとなった。
 現在派遣契約の佐倉涼介、吉田満、ファイヤーSらは、準所属選手として、参戦の有無を別にして、年間を通じてパンフレットに記載されることが決定した。

・長年NCWPのトップ戦線を支えてきた一草へは、他のレスラーとは別格の退団セレモニーが行われ、弾は複雑な表情を浮かべながらも刈馬から渡されたガウンと花束を受け取ってリングを後にした。
・NCWPを契約満了により退団した一草は、鈴軒らとともに元NCWPの式島和也率いるレスリングネットワーク(WN.JP)へ加入。

・一方で、怪我が多くトップ戦線に食い込めなかった山縣は、この二ヶ月で満足な移籍先が見つからなかった事もあり、現役続行を断念して引退を決意。
 今後はマッサージ師の資格を生かして、四月付けでNCWPグループのボディケア部門へと再就職する。

・そのほか数名のヤングタイゴン契約の選手はフリーに。何名かはレスラーの現役続行を決意し、レスリングネットワークに加入する地方団体などで再デビューを目指すことになった。

  

4月
・4月に行われた今年の新王杯では、佐倉涼介がツームストンパイルドライバーで内藤隆弘を破り、初優勝。
 シングル戦が続いた事で、ブランクを完全に克服し、芸術的なサブミッションや新必殺技のラ・グリザイユ(半身になった相手へのハードシュート)を披露。WN.JPや総合進出で進化した自分を成長させ、先月の王座戦の敗退からわずか一ヶ月で驚異的なパフォーマンスを周囲に見せ付けた。

・佐倉というレスラーはバスケに明け暮れた大学時代、自殺した父親が残した一億円の借金が原因で大学を中退。コネでNCWP入りを果たし、当時の仁村社長に負債を肩代わりしてもらっている。
 その後式島とともにレスリングネットワークを立ち上げ、レスリングネットワークに所属したまま単身総合格闘技に転向。日米の総合マットで活躍し、最高でワンマッチ五千万円の勝利報酬を獲得。借金を全て返済した佐倉は、2013年10月に5年ぶりのプロレスの世界へと戻ってきた。
 新皇杯優勝はそれからわずか五ヶ月での快挙だった。

・NCWPのニューエンペラーとなった佐倉は、賛否両論入り混じった反応を見せるファンの前で大いに語り、「オレの目指すプロレスは、格闘技のグリザイユだ。だから自分は日本チャンピオンシップレスリングに戻ってきた!」「少し前、オレは総合格闘家と呼ばれていた! プロレスラーだと見られなくなった時期さえあった!」「この五年間、オレの所属は日本レスリングネットワークだった。でも、心はずっとここ、日本チャンピオンシップレスリングにあった! その気持ちは皆にも認めて欲しい」と珍しく声を荒げて吠えた。
 自分は借金を返すために総合格闘技の舞台に出た。その為にはレスラーの総合進出を禁じているNCWPをどうしても辞める必要があったと言い、自分の心は五年前と何も変わっていない。それだけをわかって欲しいと勝利者インタビューでも熱弁を振るった。

・翌日のインタビューでも佐倉は饒舌だった。
・佐倉曰く、「プロレスの世界に入ってから十年が過ぎました」「色んな人生経験を積んで、俺はようやく理解したんです。バスケもプロレスも総合格闘技も、俺にとっては全てがアートだったんだって事に」「プロレスも総合格闘技も本当に難しくて、ずっと悩みまくってました」「バスケの経験は役に立ちましたよ。どうすればフェイクで相手を騙せるか、身体で覚えていたんでね」「最初に俺がプロレスで評価されたのは、速いスピードでフェイクを仕掛けるスタイルが新鮮で、ファンにウケたんだと思います」
「その後進出した総合格闘技は、お客さんにも気を配るプロレスと違い、限りなくリアルに近いファイトでなくてはいけなかった」「ただし、リアルを超えるファイトでなくてはならない。これが本当に難しい」「何年か前、刈馬さんから『タダのケンカには客は金を払わない。そんなものは見苦しいだけだ』って言われました。刈馬さん……若かりし頃、試合に負けた後にイスで先輩を殴ってた人の台詞ですよ、これ(笑)」
 以前の口下手な佐倉とは違い、冗談を飛ばす余裕を見せる佐倉。総合格闘技については、さらに熱く続けた。
「総合格闘技はファイトへのモチベーションの維持がものすごく難しいんです」「総合で一番難しかったのは、殺したいわけでもない相手を全力で狩りにいく。その準備を徹底的にやることでした」「ちょうどその頃ニューヨークに行く機会があって、気分転換のために美術館へ絵画を観にいくようになりました。今まで一度も行ったことなかったのにね…」「それから自分でも絵を描きはじめるようになりました」「総合で一番難しいのはモチベーションの問題じゃないですかね、たぶん多くの人がそう言うと思います」「そこで俺は、総合の試合はケンカではなくアートとして取り組むことにして、そこに活路を開こうとしました」「勝つためには身体能力だけじゃダメですから。アートの要素は絶対に必要だったんです」
「そう、たとえば……後輩にもいるんですが、コーチにプランを丸投げして、脚本家が書いた舞台に立つ役者もようなタイプがいます。でもそれじゃ勝てないんです。勝つためには産みの苦しみを経て、イマジネーションをカタチにしなくてはならない」「そうでなければ、相手の上へはいけないんです」「自分があのプレッシャーの中で勝ってこられたのは、この事に気づけたからに違いありません。アーティストの次の作品は誰にもわからない。俺はアートなファイトをする事で、本能で戦う脳筋や、コーチの言いなりを相手に勝っていたんです」

 佐倉は、総合格闘技家として語るとき、眉間の皺がより苦渋の表情を浮かべるようになる。日本人ファイターの歴史に残る勝利者が、メンタル面で苦しみ、総合格闘家として満ち足りた生活を送れなかった事は悲劇だといえる。
 佐倉がプロレスに戻ってきた理由もその辺りにあるのかも知れない。
「アートとしてのリアルファイトを追求する度に、俺の中ではプロレスラーとしての、NCWPのレスラーとしての日々が蘇ってくるようになりました」
 佐倉は涙をにじませながら情熱的に語る。
「総合格闘技は一瞬の花火です。弱ければ全てを失う。勝ち続けるために、常に弱い自分と戦っていかなくてはいけない」「でもプロレスは、デビュー当時の弱かった俺でさえ、多くのものを得る事ができました。不思議ですよね」「そう考えるうちに、オレはどうしても、もう一度プロレスに戻ってきたくなったんです」「今度は自分の意思でプロレスを始めたいと思いました。叔父の勧めではなくてね」「プロレスの舞台でいまの俺のアートファイトは一体どんな作品になるんだろうって。そう考えると、夜も眠れないくらい興奮しましたよ」
 佐倉はさらに力を込め、「趣味で絵画を見たり描いたりしているうち、自分のプロレスは写実画のグレースケールなんだって気づきました」「それがグリザイユです」「これは天啓ですよ」「わずか一ヶ月で俺が変わったのはそのおかげです。借金を返済する目的で始めた総合格闘技は、オレのプロレスを完成させるための必然だったワケです」「
最初にオレがプロレスラーになったのは他に選択肢のない運命だったんですけど、プロレスに戻ったのは、数多くの選択肢がある中でのオレ自身が選んだ運命でした。自分は別にこのまま引退してプロバスケリーグのコーチだって目指せましたし、次は画家としての成功を目指したっていいんですからね」「それがプロレスに戻って、『新皇杯』を取る事ができた。これは偶然では片付けられません」

 続いて佐倉は『格闘技のグリザイユ』の意味について尋ねられると、「グリザイユは絵画の技法のひとつです。有名な作品の多くは写実画ですね」「写実画というのは、カメラで撮る写真とはまったく違うものなんです」「実は、有名画家の写実画にはたくさんの目に見えない技法が用いられていて、そこには現実を超えた現実世界が描かれているんです」「NCWPのキャッチコピーも『夢よりも熱い現実を』でしょ。つまりそれはプロレスはアートって事なんですよ」
「自分のプロレスは、リアルファイト以上のものだって自信をもって言えます。リアルファイターはオレのプロレスの前では手も足も出ませんよ」「総合格闘技のダイヤモンドが、オレの前じゃ石ころ同然になるでしょう。アマチュアメダリストの内藤さんはオレの前でもメダリストでいられましたか? いえ、銅メダルもオレの前じゃ、ただの石ころでしたでした」

 佐倉はプロレスの話に戻し、決勝戦の死闘に触れ、「内藤さんはオレから見たらアーティストじゃないんです。昔の焼きまわしで持ってる一発屋タレントのなれの果てですね」「元々がすごい上に一生懸命頑張ってますから死ぬほど強いとは思いますよ。ファンの支持も安定しています。でも強いだけ、格好つけてるだけなんです。今となってはそんな格好よくも見えないですけどね」と辛らつ。
 NCWPでは仁村賢利のフィニッシュホールドであったツームストンドライバーを使った事については、「フィニッシュのアレ(ツームストンパイルドライバー)は仁村会長の了承を得ています」を自分が正式に受けついだ事を告白。「本人はこれを聞いたら怒るかも知れないけど、オレから見て、仁村会長は間違いなくアーティストでした」「あっ、今でも現役でしたっけ。じゃあ、仁村さんは現役バリバリのアーティストですね、訂正します」

「仁村会長のプロレスを見ると、相手が引き立ってますよね」「自分が思うに、石ころを輝かせるのがアートなんです」「写実画で描かれた石ころの絵画は、実際の石ころの数百倍から数万倍の価値を生み出すでしょ」「有名画家が石ころを描いたとすれば、誰もがその価値を認めるはずですよ。道端の石ころを見ても誰も感動しやしないのに、優れたアーティストがその石ころを主役に情景を描けば、多くの人が感動するはずです。不思議だと思いませんか? 実は、そこには優れた技法と、芸術家ならではの視点やアイディアがあるからなんです」「仁村会長や俺のプロレスもそれと同じですよ」「会長は武道の精神が、俺の思う技法にあたるんでしょうけど、俺にとってその技法はグリザイユという描き方だって事です」

 佐倉の哲学について、なんとなく空気は伝わるものの、他人にはよくわからない。そんな記者が突き詰めた質問をすると、「つまり、刈馬さん曰く、街中で起こるケンカは石ころ同然って事です。そのグレードが上がったのが宝石である総合格闘技だといえます。宝石は磨かないと光りませんよね。総合格闘技もそれと同じで、街中の素人には到底真似できません。見よう見まねじゃオクタゴンでは5分も持たない。アメリカにはその程度のファイターもたくさんいましたよ」
 佐倉は総合格闘技を続けていればまだまだ勝てたといわんばかりの自信を覗かせるが、心は完全にプロレスに向いているようで、「しかし、です。プロレスは磨きあえげた宝石を、さらにアートとして掘り起こしたものなんです。もちろん素人がただ宝石の絵を描くわけじゃないですよ。絵画に描かれた宝石には背景があり、実物のような奥行きやリアリティが存在します。宝石に光が差し、反射で人の顔が映っていたりするかも知れません。光を放つ宝石はまるで何かを訴えているように見えます。ではその宝石は何を訴えているのか? そもそも作者は何を思ってこの宝石を描いたのか? 深いですよね」「総合格闘技は宝石、プロレスは宝石の絵画。もちろん宝石そのものに価値を見出す人が多いこともわかっています」「でもアートとしてのプロレスは、宝石を超えるんです。宝石をいつまでも見つめている趣味はありませんが、宝石の絵画なら、俺は目を凝らしてみてしまいますね」
 こんがらがった話の奥に、佐倉イズムのプロレスが垣間見えたような気がした。

 その後、『では、一番価値があるのはプロレスなのか』『いまプロレスはかなり低迷しているが?』という問いをかけると、「物質的な価値は宝石でしょう。でも精神的な価値はアートの方だと思います」「ただ、時価数億円のダイヤを超えるアートはなかなか難しいのでしょうね」「プロレス界はいま人材が不足しているのだと思います」「プロレスをアートとして見る事のできるレスラーはごくわずかで、アクターだと思っているやつもいれば、ファイターだと思っているやつもいます。同期の石和なんかはプロレスラーはスターなんだと思ってて、星なわけですから、自分とはまったく違う考えで、いまレスリングネットワークでチャンピオンをやっていますね」と、笑った。、
「でもね。アートは、時価数千円の真珠を数百万円にまで引き上げますよ。いまのプロレスが石ころ並みに価値が落ちているなら、その石ころをアーティストの俺が素晴らしい価値のある名画にする。そうするのが俺のこれからの仕事だと思ってます」と付け加えた。

 最後に、『もう総合格闘技には戻らないのか?』という質問をぶつけたところ、
「可能性はゼロではありません」と答えつつも、「いまは俺のプロレスを極めることだけに気持ちが向いています」「もし再び総合を見据える頃には、佐倉涼介の宝石としての自分の価値はかなり下がっているかも知れません。年齢的にね」と早期の復帰を考えていないことを示唆した。
 32歳という総合格闘技における肉体的ピークのいま、佐倉はプロレスに専念するつもりのようだ。
「総合格闘家として、いま一番脂が乗っている時期なのはわかっています」「ワンマッチ五千万円はもう無理でも、二千万くらいの話は来てますよ」「プロレスのピークは総合のピークの少し後に来ることも知っています」「もう少し我慢した方が稼げるのかもしれません」「でも俺はプロレスがしたいんです。こればっかりはどうしようもないですね」と笑ってしめくくった。
 プロレス界の希望を一身に背負う佐倉の戦いが再び始まったようだ。

5月
・GW興行の後、台湾、韓国、香港を回る東アジアツアーを敢行。
 海外人気の高い一草が退団してしまったが、国際経験豊かな内藤や野村がイキイキと躍動する。六大会の全てでメインを努め統一王座二十六回目の防衛に成功した内藤は、「海外は日本とは反応が違って面白い」「日本のプロレスの底力を見た気がした」と海外ファンの好感触に満足していた。
・同じくメインイベントの三試合に出場した野村は、「次に内藤とやる時、今度はタイトルマッチでしょ」とファンの反応だけでなく試合内容への手ごたえも口にした。

・めずらしく地方や海外へ参戦した仁村会長は、今月はなんと8試合に出場。若手を相手に半分指導するような試合が多かったが、仁村イズムの伝道をファンの前で行う事ができた。
 

6月
・一昨年のインターナショナルカップ以来、アメリカに流出したままになっているWWC無差別級タッグベルトを取り戻すべく、内藤がオクソンと組み、米国へと出発した。
・PPVに向けてのシリーズを戦いつつ、現チャンピオンのハーデストガイズに挑戦する。
・2005年にAWEと揉め、米国マットを半ば追放される形になった内藤だが、既に訴訟は和解しており、今回の米国遠征中にはAWEとの関係修復も計画しているのだという。

・内藤抜きで開幕したシリーズにはレスリングネットワークドットジェイピーの佐倉と吉田が参戦。
・シリーズの主役を新皇杯王者として奪った佐倉は、シングルで初の刈馬超えを果たす。

・わずか13分でかつての付き人に敗れた刈馬は、「何もいう事はねえ…次は勝つ」と静かな闘志をみなぎらせた。
・一方、勝利した佐倉は「刈馬さんいくつでしたっけ? いま四十二? 今年で四十三?」「まだまだね、あの人には高い壁で居てもらわないと困るんですよ」「ハッキリ言って、今はウチの式島さんの方が全然上なんじゃないですか? あの人はいま四六歳ですけど、今の刈馬さんより全然手ごわいですよ」と刈馬のライバルであった式島を引き合いに出し、「昔の刈馬さんで一番恐ろしかったのは絞め技でした。巻きつかれたら地獄行きでしたから」「いまの刈馬さんはただの中年パワーファイターですね。全然アートじゃない」「野村さんや桧山さんの方がまだ強いと感じますね、あの二人はややアーティストです」と、他のレスラーと比較して、徹底的にこき下ろした。

・コケにされた刈馬は反論せず、取材にも応じず、もくもくとトレーニングに打ち込んでいた。
   

7月
・世界タッグのタイトル奪取に失敗した内藤が帰国。
 手ごたえを口にしながらも、「いまや日本とアメリカのプロレスレベルの差はかつてないほど開きつつある」「ウチにはAWEのリングに上がって生き残れるレスラーはひとりも居ないかも知れない」「野村だけはそこそこやれるかも知れないが、向こうじゃ身長が足りない」「みんな危機感を持たないといけない」「このままじゃ一生ベルトを取り戻せないかも知れない」と、珍しく弱気を口にした。

・NCWPでは無敵のチャンピオンの名を欲しいままにしている内藤だが、知らないうちに居の中の蛙に成り下がっていたことを自覚したようだ。現在の集客力の低下は内藤のファイトに原因があると言うファンも少なくない。
・7月の東北遠征最終戦で、野村が内藤の持つ統一王座に挑戦する事が決まった。
・内藤はこの試合に勝てば、氷上龍斗の連続防衛記録を抜き、シングルタイトル防衛回数歴代トップとなる。

・このビッグマッチで、野村は試合時間20分を超える熱戦を演じるも惜しくも破れ、悲願のタイトル奪取はならなかった。しかし、王者内藤をして、「これまでで一番やばかった試合」と言わしめたほど、野村の存在感は増していた。
 

8月
・大雨の影響で集客が伸びない中、サマーブレイクに突入。
・ファン感謝イベントが続いた後、大阪・四国遠征へ出発するも、大雨の影響で四国の試合は中止。チケットは払い戻しで、その後災害支援のための募金活動が行われた。

9月
・NCWPグループ会長仁村賢利が、デビュー四〇周年を機にプロレスラーとしての引退を決めた。公式な試合ではないエキジビションマッチへの出場可能性を残しながら、10月のシリーズ最終戦を最後に、現役を引退すると発表した。
 日本プロレス界の偉大なるレジェンドのひとりである仁村は、「肉体的な衰えが実感としてある」「もう長い事トレーニングの維持が困難になっていた」「数名の選手を解雇したいま、自分もリングから去るべきだと判断した」と、引退の背後に会長としての責任感をにおわせた。

・毎年恒例の創立記念大会が開催。今年は19周年。前身のNWCから数えると34周年になる。
・大会は記念大会初の横浜カルチャー体育館で行われ、二階席に空席が目立つ中、王者内藤が今年二度目の佐倉の挑戦を退けて二十八回目の王座防衛に成功した。
・前回の野村戦以降、内藤には動きにキレが戻っており、「防衛は当然。だけど、変わらず危機感を覚えている」とだけ話し、試合で受けたダメージから、念のため、病院へ直行した。
・敗れた佐倉は言葉少なく、「この半年で、内藤さんは思った以上に成長していた。三ヶ月前の内藤さんになら問題なく勝てたはずだ。7月に挑戦できなかったのが不運だった」とレスリングネットワークとの日程調整が上手くいかなったスケジュールを恨んだ。
      

10月
・統一王者内藤が、王座戦で軽度の脊椎損傷と足首の軟骨を負傷していた事が判明。開幕戦を欠場するも、仁村会長の引退試合に合わせて復帰を果たした。

・仁村賢利=NCWPグループ会長の引退試合では、「最後にもう一度あのジジイをブン殴る」と息巻いていた刈馬と内藤が最後のパートナーに決定した。対戦相手には清水、桧山、佐倉の三人が選ばれた。

 パートナーに選ばれたことに驚いた刈馬は「結局、俺にビビッって味方に加えたんだろ…」「ジジイの最後の活躍は俺とのタッグだったからな。いい試合で、いい思い出にしたいんだろうよ」と少しさびしそうに話した。
 もうひとりのパートナーである統一王者内藤は、「まあ当然の人選というか、おれはチャンピオンだしね」「おれが仁村社長の立場でもそうしたと思いますよ」と淡々とした表情。自分が選ばれるのは当然だと言わんばかりだが、脊椎のケガを押してまでこの試合に臨む以上は内藤にも秘めたる思いがありそうだ。

 一方、対戦相手としてここ最近で最大のビックマッチに臨む桧山は、「会長の最後の試合で、自分を隣に置かなかった事には大きな意味があるんだと思います」「恥ずかしい試合はできないので気合を入れていきます」と神妙にコメント。
 パートナーの清水は、「対戦相手に選ばれたのはオレが桧山と同じくらい認められているからだよ。わかるだろ?」「会長の引退試合だろうが、最後に笑うのはオレだから!」と不適な笑みを浮かべていた。
 所属外の選手として唯一この舞台に立つことを許された佐倉は、「会長からのメッセージを考えたらキリがないです」「俺の転機は仁村会長とのシングルマッチでしたし、ケガを負わせた内藤さんが反対側にいますし、それでも選ばれたという事は後を託されたんだ…とかね」「試合でもたくさんのメッセージを受け取れると思います。会長は俺が認めるアーティストですから、引退試合をどんな試合にするつもりなのか、いまから本当に愉しみです」と恩師にプレッシャーをかけかねないようなコメントを残した。

 試合当日、聖地戸田川市民体育館では、同体育館の入場者記録を更新。入りきれなかったお客さんのために場外では大型ビジョンによるパブリックビューイングが行われた。

 試合では、ケガを感じさせない内藤の奮起もあり、序盤から激しい攻防が続く。
 交代で入った仁村会長には大歓声。仁村会長が桧山とのクラシックな攻防を続けていると、仲間を裏切った清水が、いきなり桧山を強襲。さらに、佐倉を刈馬、内藤、清水が三人がかりで一方的に暴行し、最後は仲間のアシストを受けながら仁村が現役最後のツームストンドライバーで新皇杯優勝の佐倉をしとめ3カウントを奪った。
 なお、引退試合に水を差しかねないマッチングとなった清水と刈馬の両者による絡みはなかった。

・大いに盛り上がった引退試合を終えた仁村は、マイクを取ると、「最高の試合で引退できる事に満足しています」「プロレスってものを自分に問い続けて、はや四十年が経ちました。いつか答えは出るんじゃないかと。引退するときには、追い続けてきたプロレスの答えが出るんじゃないかと、ずっとそう思ってやってきました……」と感慨深げに息を吐いた。
 インタビュワーからの「答えは出ましたか?」の質問に、「デビュー五〇周年までやりたかったって気持ちが出てきたよ。それが答えなんじゃないかな」「つまり、どこまでも続いていく道だってことだよ。プロレス……『プロレス道』。それが俺が出したプロレスの答えだね」「道をず〜っと行くと、何度も壁にぶち当たる。山があったり、崖があったり、行き止まりにだって遭遇する。そんときゃ一回戻ってまた進む。そうしていると、いつか海に出るんだよ。広い広〜い大海原にさ……。そこまで来てみて、さあどうする? 見たところ船はない。じゃあこの先は泳いでいくのか、それともまた戻るべきか……って、迷う日々が始まるんだよ。まあここまで来たらさ、船を捜してもいいし、泳いで先を目指すもよし、来た道を引き返したって別にいいんだよ。ぐるっと一回転すればまだまだそこには道が続いているんだからさ」

 ここまで一気に語った仁村は、一呼吸置いて、
「俺は、随分前から海に出ていた。海へ出て、そこでず〜っと海を眺めてたんだ。時々波に押し返されたりしながら、『ナニクソ』ってやって、そこに留まり続けた。そうやって毎日毎日、ずーっと道の終着点を行ったりきたりしながら、ず〜〜っとず〜〜っと海を見てたんだ。それを今日、海を見納めにする事に決めました。いままでありがとう。楽しかったよって一言告げて、さ」
 プロレス道の終着点にあるという、『海』。
 それは肉体的なピークなのか、プロレスラーとしてのピークなのか。仁村賢利は五十歳を越えるまで進化を続けた稀有なレスラーであるが、その偉大なレジェンドが最後にひとこと『海にありがとう』と言って、果てしなく続くプロレス道に別れを告げた。

 仁村社長は、メインを戦った五人に声をかけ、「内藤と刈馬、清水はもう海にまで来ているな」「ここからどうするかは、お前たち自身で決めろ!」と言い、一人ひとりに問いかけた。
「清水、お前ははしっこいから、他人の船を盗むかもしれねぇな」場内が笑いに包まれる中、清水も笑って「会長の命令なら、ちょっくら盗んできますよ」と返した。「おう、盗めるもんなら盗んでみろ。俺の先までいけるもんなら行って来い」「いやいや、あっしには会長は超えられませんて」と、会長の突っ込みをのらりくらりかわしながら清水は笑顔でお手上げのポーズ。

「刈馬、お前はバカだから海に飛び込んでいくだろう。途中で溺れるんじゃねえぞ?」「うるせえよジジイ。死に損ないはとっととくたばりやがれ!」刈馬は悪態をつきながらも、「アンタがいねえぇと、張り合いがねえ。いつでも戻って来い。そん時ぁ今度こそブン殴ってやる…」と少し淋しさをにじませて言った。

「内藤、お前はどうする?」「オレですか? オレだったら空を飛んで海の向こうまで行きますよ。仁村会長のたどり着いたずっと先までね。なんてったってオレはフリーバードですから」と、自信満々に言う内藤に対して、「ま、調子に乗って空から落っこちんなよ」と仁村は優しく肩を叩いた。

 今にも泣き出しそうな桧山には、「桧山。お前には何を言ってもしょうがねえから、今日は何も言わんでおく」と冷たく突き放し、「そんなぁ、会長。俺にも何か言ってくださいよぉ」と食い下がってきた桧山に対して、「ま、前より上手くはなったな……その調子で頑張れ」と控えめに褒めた。

 最後に、試合のダメージで頭を押える佐倉の前に立つと、「佐倉。ここは、俺が三十四年もかけて創ってきたリングだ。その意味は、わかるな?」と脅すような目で迫った。
 それに対して、佐倉の反応は淡々としたものだった。「オレはこのリングを守る気も壊す気もありませんよ」とかつての式島と刈馬のやりとりを引き合いに出し、「そうですね、自分としては、このリングに描くだけですよ。オレのアートを!」と、いつもの調子で言いきった。
 「お前は変な奴だ」仁村会長は理解に苦しむと言った顔をしながら、「ま、しっかりやれよ」と少し強めに佐倉の肩を叩いた。

 最後に塚間社長を呼び出すと、がっちりと握手をかわし、「後の事は任せたぞ」と言って握る手に力をこめた。
 塚間社長は、「はい。必ず会長の理想を実現してみせます」そう言って深く頭を下げた。

・聖地戸田川市民体育館に鳴り響くテンカウントゴングと共に、名レスラーの代名詞ともなった仁村賢利の四〇年に渡る現役生活は幕を閉じた。
   

            

11月
・年末のタッグリーグに向け、チーム登録の受付がはじまった。
・ディフェンディングチャンピオンの佐倉・吉田組を筆頭に、桧山・清水組、野村・加宮組、刈馬・伊武組のチームが発表された。
・統一王者内藤は那須善宗と組み、ヤングタイゴン組、ファイヤーS組を加えた全7チームが発表された。

・過去最小規模とも言われる今回のリーグ戦だが、NCWPの主要大会のひとつである事に変わりはない。アメリカへ里帰りしたまま取り戻せないWWC世界タッグのベルトを取り戻すために、強力なチームへの登場が期待される。
・前回優勝の佐倉・吉田組だが、初戦で桧山・清水組に敗れると、続く刈馬・伊武組にも破れ、痛恨の二連敗。最終的な勝ち点は8。
・内藤・那須組は桧山・清水組に土をつけるが、野村・加宮組、刈馬・伊武組、佐倉・吉田組に敗れて三連敗。勝ち点6に終わった。

・桧山・清水組は意外な健闘を見せ、一敗一分け勝ち点9で優勝決定戦一番乗りを決める。
・野村・加宮はリーグ最終日に刈馬・伊武組を破り、一敗で勝ち点10で優勝決定戦の進出を決めた。
・最終日に敗れた刈馬・伊武組は二敗の勝ち点8となり、惜しくも決勝進出を逃した。

   
   
12月

・NCWPタッグリーグ2014の優勝決定戦では、有利と思われた野村・加宮組の野村が、清水の丸め込みに遭い、まさかの3カウント。この結果、ベテランの桧山・清水組の優勝が決まった。
・清水にとっては、この日が48回目の誕生日。旧ロイヤルファミリー時代以来のタイトル獲得に、「世の中わかんねぇもんだなぁ。勝てるとしたらナーフをやってた頃だと思ってたのによ」と両腕を組みながら何度も頷いた。
 清水は1966年生まれの48歳で、現在のNCWPでは現役最年長を誇る。「そういや、仁村会長も、氷上さんも、永原も川渕も、荻原も式島もみんな居なくなったなぁ。あ、塚間さんもか。そんな中こうして俺だけが残ってんだから世の中不思議なモンだよなぁ」「あのメンツん中じゃ俺が一番弱かったのに、いまじゃ俺が最強タッグときたもんだ」
 来年一月に日本でWWC世界無差別級タッグ選手権試合が行われると聞くと「あのベルトって、日本にない事の方が多いよな――21世紀に入ってから巻いた日本人は、荻原・野村と内藤・塚間、桧山・石和と刈馬・一草だけ? ほぉぉぉ〜!」そう言うと、清水は、薄気味悪い笑みを浮かべる。仁村会長の引退試合での裏切りに続き、また何かたくらんでいるようだ。

・2012年新皇杯以来のタイトル獲得となった桧山は、「仁村会長から俺や清水さんに託されたものはとても大きいんですよ」「『プロレス・道』です、会長の言葉。それを成し遂げるためにね、俺は本気でやりますよ」と、意欲を口にした。
・優勝した桧山は、クリスマスに一般女性との結婚を発表。
・統一王者内藤隆広も一般女性との婚約をカミングアウト。来年一月に結婚する事を発表し、暖かいニュースでこの年を締めくくった。
  

           

2013年
・新年の挨拶で、塚間社長は『新しいプロレス時代を築く』と宣言。
 弟子である内藤の提唱する『オレと、オレたちで、新しいプロレスしよーぜ!』のキャッチにあるような新しいプロレスの形が完成の域に達しつつあることを示唆した。
・続いて、昨年11月に還暦を迎えた仁村会長がリングに上がると、赤いちゃんちゃんこを受け取り、還暦の挨拶を終えてから、『武道としてのプロレス』の重要性をあらためて説いた。
・NCWPの歴史は、『武道としてのプロレス』を追い求めた仁村と、圧倒的な力で世界に君臨した氷上の『豪傑児のプロレス』、そして技術を芸術にまで高めた式島の『美で魅了するプロレス』といったプロレスイオロギー対立の歴史である。
 仁村会長は、『豪傑児のプロレス』を受け継いだ刈馬、そして新しい『自由のプロレス』を提唱している内藤らに、いま一度イデオロギーを主張するように求めた。

・だが、仁村の提言はそこで終わらず、続けて、「団体低迷の原因は闘争を失ったことにある」と、震災以後なかなか観客が戻らない現状に怒りをにじませながら力説。「一般社会が厳しさを増す中、レスラー達は逆に緩んでいるように見える」「そんなプロレスはお客様に失礼だ」「チャレンジしない者はNCWPには必要ない!」「腑抜けやヤツは、明日にでもこの団体から出て行ってもらうぞ!」と怒鳴り散らした。

・しかし、そんな仁村会長に異を唱えるものはいなかった。
 何か腹案を持っていたらしい塚間社長もそのことには触れず、リングサイドで淡々と職務をこなし、仁村に対して常に反発してきた刈馬もこの日は口をつぐんでいた。
・その後。ひさびさに試合を行った仁村会長は、「還暦を迎えてもまだやれるという自信がついた」「これが仁村のプロレスだよ」とにこやかに話し、タイトル挑戦について聞かれると、「その時が来ればやる。本当の本当に、今度は命がけの試合になるけどな」とレスラー人生最後のタイトル挑戦もにおわせた。

・NCWPの観客動員がなかなか改善しない中、目玉シリーズのひとつである春の新皇杯では、内藤が一草を下して六度目の優勝。優勝後は「この大会、もう答えが出たんじゃない? オレがプロレスの新皇で、オレがプロレスの統治者だ! オレ以外に新皇に相応しいヤツなんて誰もいない! なあそうでしょ?」と語り、以前から話していた通り、団体の王者がこの大会に出る必要性にあらためて疑問を投げかけた。

・ヒートバーリーに加入後、試合に気持ちが入り、徐々に人気を上げてきた山縣だが、新皇杯では準決勝で一草に破れベスト4。6月からは再び故障が相次ぎ、シリーズ中盤から眼底骨折を理由に長期欠場に突入する。

・王者内藤は9月の両国大会で野村を破り、二十三回目の防衛に成功。かつてアマレス時代にオリンピックで敗れたパトリック・オクソンへのリベンジマッチや加宮や伊武の王座初挑戦もあり、それなりの刺激はあったが、新勢力の台頭も内藤の一強時代を揺るがすには至らなかった。
・しかし、十月の開幕戦で変化が起きる。黒尽くめの男がリングに上がり、入場してきた相手選手を蹴散らすと、スイングを交えての裏アキレス腱固めで王者内藤を捕縛。その後、フードを脱ぎ捨てた佐倉の姿に観客は大いに沸き上がった。

・佐倉はマイクを取り、王者内藤を挑発。それからNCWPから受けた恩を語ると、「自分は仁村会長とNCWPにずいぶんと助けてもらいました」「今度は自分がNCWPを助ける番だと思ったんで…」とアピール。大歓声を受けながら、「だけど勘違いしないで欲しい。俺はあくまでWN.JPの人間……移籍するつもりはない。これはそう、レスリングネットワークからの殴りこみだー!」と、NCWP復帰ではなく、スポット参戦であると断言。歓声の半分がブーイングに変わる中、指を一本上げて頭上の国旗を指すと、「レスリングネットワークと日本チャンピオンシップレスリング。日本一を決めようじゃないか」そう言い残し、会場を後にした。

・襲撃を受け、リングサイドで治療を受ける内藤は、「アイツ、ずいぶんバカになって帰ってきたんで驚きましたよ」と足首を冷やしながらも余裕の笑み。
「タッグリーグ戦、出るんでしょ」「NCWPにクソぶっ掛けて出て行った人間が、リーグ戦やって無事に帰れると思ってんの?」と内藤は鋭い目つきで笑った。

・ICがあった昨年に引き続き、唯一動員数の改善が見られたタッグリーグ戦は、前回優勝チームの内藤・野村組が解散。内藤・オクソン組、野村・伊武組がそれぞれ出場することが決まった。
・十月シリーズの間に、タッグリーグに出場する全チームの登録が終了。
 優勝候補に一草・加宮組。続いて、野村・伊武組、内藤・オクソン組、刈馬・曽我(ファイヤーS)組、桧山・瀬賀(ファイヤーS)組、清水・那須組、鈴軒・エルレイダ組。それにWN.JPから参戦する佐倉・吉田組を加えた全8チームが二つのブロックに分かれてリーグ戦を行う。

・佐倉のタッグパートナーが、期待されていた式島でも石和でもなかった事にファンは失望したが、そんな不満の声を背に、プロレス関ヶ原所属の吉田満は、「26年間生きてきた中で、NCWPタッグリーグは俺にとっての最高の舞台のひとつだと思っています!」「小さい頃からずっとNCWPのレスラーにあこがれてきました」「そんな俺が、偉大なレスラーたちと肩を並べられる瞬間にめっちゃ興奮しています!」「そしてこのリーグ戦が終わったあと、自分が偉大なるレスラーたちを見下ろしているかと思うと……、もーぉ、堪らないッ!」とNCWPのリングに上がれた喜びに打ち震えながらも優勝宣言を行い、ブーイングを一身に浴びた。

・そんな吉田に佐倉は、「吉田はオレが戦ってきた中でも特に骨のあるやつです」「パートナーとして何も問題ないですよ。むしろ、これと言った対抗馬が居ない事の方が残念ですね」「刈馬さん、レッスルエンペラーズ、もう一度復活しないんですか?」と佐倉はあくまでビッグマウスで余裕を貫いた。
・佐倉はもともとつかみどころがない性格をしていたが、WN.JP所属として過ごした5年間で完全にレスラーとしての人格を確立したらしい。
 常に平常心を保ち、ビッグマウス。それでいて態度はクールでスタイリッシュという、今までにないレスラー像を創り上げている。

・佐倉・吉田組は、初戦で優勝候補の一草・加宮を破り、さらに清水・那須組を順当に撃破。一次リーグ最終日では野村・伊武組を破り、全勝で決勝トーナメントへ進出した。
 二位の座を争う野村・伊武組と一草・加宮組は、勝ち点4で並び、トーナメント進出決定戦を行うことになった。
・対するBブロックでは、永遠のライバルとも言えるオクソンと組んだ内藤が全勝で決勝トーナメント進出。二位で終えたのは桧山・瀬賀組で、対抗馬と思われていた刈馬・曽我組は鈴軒組にまで破れ、まさかの全敗に終わった。

・佐倉・吉田組の勢いは最終日でも止まらず、桧山・瀬賀組を相手に観客を沸かせる好勝負の末、最後は余裕すら漂わせてフォール。
・内藤・オクソン組は決定戦を勝ち抜いた一草・加宮戦に難なく勝利を収め、共に決勝進出を決めた。

・年間最終試合となる横浜大会メインイベントは、内藤組対佐倉組の世代を賭けた対決となった。
 しかし、シリーズ中に腰のケガを負ったオクソンの不調が目立ち、決勝の内藤組は精彩を欠いて、13分42秒という短いタイムで佐倉組が勝利。
 電光石火の裏アキレス腱固めで勝利した佐倉は、「成功の鍵はスピード」「来年最初の世界戦、オレがもらいます」と早くも来年のベルト挑戦をアピール。パートナーの吉田は「やる前は、見下ろすなんて偉そうなこと言ってたンですけど……いざ優勝してみると、涙で下なんか見えません!」と男泣き。他団体のチームが優勝したとは思えないほど、表彰式は爽やかに終わった。
 

  

(ファイプロリターンズ)