2014年 1月
・日本全体でプロレス界そのものが地盤沈下し、NCWPでも観客数の低下が再び深刻になっていた。
改善の見通しが立たない事から、塚間社長は人員の削減を宣言。トップレスラーを含む数名の選手に来年度の契約更新を行わないと宣言した。
・昨年度、仁村会長が「出て行ってもらう」と言った言葉通りにリストラを強行するという決断だった。
・放出リストの中には、世界王座を二度獲得し、NCWP東洋王座、新王杯に加え、インターナショナルカップを二度制覇した一草弾の名前も含まれていた。
・塚間社長は、新年の挨拶で『NCWPの破壊と創生』という過激なキャッチコピーを掲げた。
・塚間社長の発言では、「去年は諸君らの奮起を期待していた」「だが団体創立史上、最大の低迷期だったといわざるを得ない」「同じプロレスを今年も繰り返すつもりはない!」と激を飛ばし、「リングの上に闘争がない」「NCWPはいつから三流レスラーの巣窟になった!」と社長自ら団体批判を展開するも、それに噛み付く者が一人もいないのが問題の深刻さを象徴していた。
・これまで事あるごとに体制に反発してきた刈馬も、塚間社長には何も言わず、その理由を「狼は犬と同じ土俵で吠え合うことはしない」と説明した。
刈馬にとって、いまのNCWPは噛み付く相手がいないつまらないリングになってしまったのかも知れない。
・正規軍トップの桧山はいつものように反省を口にし、「社長の言葉にお客さん全員が頷いている。危機感を持ってなんとかしないと」と話した。
・『自由のプロレス』を掲げる内藤は、「オレと渡り合えるレスラーが一人もいない事が、オレにとってもっとも不幸なことだ」と、師匠の発言から自分は除外して受け取ったと思えるコメントを残した。
・外様組の山縣や佐倉はそれぞれ、「怪我で欠場していた自分には何も言い返せません…。これからです」「自分はまだ戻ってきたばっかだしね。これからオレと吉田でなんとかしますよ」と揃って現在ではなく未来に目を向けた。
2月
・今年度最初の統一王座戦では、内藤が佐倉の挑戦を退け、二十四回目の防衛に成功。
期待されていた佐倉だが、新フィニッシュホールドの回転導入式裏アキレス腱固めで決めきれず、旧フィニッシュホールドのワンハンドクラッチ式キャプチュードは相手に決める事さえできなかった。
佐倉は総合格闘技に専念していた頃の名残でプロレスのムーブメントにぎこちなさが生じ、タッグマッチはこなせるものの、シングル戦においては深刻なブランクを感じさせるパフォーマンスだった。
3月
・ゆるキャラと呼ばれるマスコットキャラブームに乗っかり、サバを模した兜を被り、赤い顔をした着ぐるみ『イクサバ(戦場)くん』がNCWPならびに戸田川市の公式マスコットに認定される。
・塚間社長が以前から温めていたアイディアで、キャラクターグッズだけで数千万円の売り上げが見込めるという。
・イクサバくんの中身はクルーザー級の井上であるとの噂だ。
・3月31日付けでレスラーの大量解雇が行われた。
・残ったメンバーは以下の通り。
最年長の清水剣次は契約を更新し、年齢順に刈馬雅史、桧山饗一、内藤隆広、野村信一、伊武鷹晴、加宮みつる、那須善春、井上義純の八名に加えて、ヤングタイゴン三名の計十一名が所属レスラー。ファイヤーSはスポット契約、残りはフリー契約に。桧山は取締役との兼任。野村や井上もスタッフ兼任のレスラーとなった。
現在派遣契約の佐倉涼介、吉田満、ファイヤーSらは、準所属選手として、参戦の有無を別にして、年間を通じてパンフレットに記載されることが決定した。
・長年NCWPのトップ戦線を支えてきた一草へは、他のレスラーとは別格の退団セレモニーが行われ、弾は複雑な表情を浮かべながらも刈馬から渡されたガウンと花束を受け取ってリングを後にした。
・NCWPを契約満了により退団した一草は、鈴軒らとともに元NCWPの式島和也率いるレスリングネットワーク(WN.JP)へ加入。
・一方で、怪我が多くトップ戦線に食い込めなかった山縣は、この二ヶ月で満足な移籍先が見つからなかった事もあり、現役続行を断念して引退を決意。
今後はマッサージ師の資格を生かして、四月付けでNCWPグループのボディケア部門へと再就職する。
・そのほか数名のヤングタイゴン契約の選手はフリーに。何名かはレスラーの現役続行を決意し、レスリングネットワークに加入する地方団体などで再デビューを目指すことになった。
4月
・4月に行われた今年の新皇杯では、佐倉涼介がツームストンパイルドライバーで内藤隆広を破り、初優勝。
シングル戦が続いた事で、ブランクを完全に克服し、芸術的なサブミッションや新必殺技のラ・グリザイユ(半身になった相手へのハードシュート)を披露。WN.JPや総合進出で進化した自分を成長させ、先月の王座戦の敗退からわずか一ヶ月で驚異的なパフォーマンスを周囲に見せ付けた。
・佐倉というレスラーはバスケに明け暮れた大学時代、自殺した父親が残した一億円の借金が原因で大学を中退。コネでNCWP入りを果たし、当時の仁村社長に負債を肩代わりしてもらっている。
その後式島とともにレスリングネットワークを立ち上げ、レスリングネットワークに所属したまま単身総合格闘技に転向。日米の総合マットで活躍し、最高ワンマッチ五千万円の勝利報酬を獲得。借金を全て返済した佐倉は、2013年10月に5年ぶりのプロレスの世界へと戻ってきた。
新皇杯優勝はそれからわずか五ヶ月での快挙だった。
・NCWPのニューエンペラーとなった佐倉は、賛否両論入り混じった反応を見せるファンの前で大いに語り、「オレの目指すプロレスは、格闘技のグリザイユだ。だから自分は日本チャンピオンシップレスリングに戻ってきた!」「少し前、オレは総合格闘家と呼ばれていた! プロレスラーだと見られなくなった時期さえあった!」「この五年間、オレの所属は日本レスリングネットワークだった。でも、心はずっとここ、日本チャンピオンシップレスリングにあった! その気持ちは皆にも認めて欲しい」と珍しく声を荒げて吠えた。
自分は借金を返すために総合格闘技の舞台に出た。その為にはレスラーの総合進出を禁じているNCWPをどうしても辞める必要があったと言い、自分の心は五年前と何も変わっていない。それだけをわかって欲しいと勝利者インタビューでも熱弁を振るった。
・翌日のインタビューでも佐倉は饒舌だった。
・佐倉曰く、「プロレスの世界に入ってから十年が過ぎました」「色んな人生経験を積んで、俺はようやく理解したんです」「プロレスも総合格闘技も本当に難しくて、ずっと悩みまくってました」「バスケの経験は役に立ちましたよ。身体で覚えていたんでね」「最初に俺がプロレスで評価されたのは、速いスピードでフェイクを仕掛けるスタイルが新鮮で、それがファンにウケたんだと思います」
「その後進出した総合格闘技は、お客さんにも気を配るプロレスと違い、限りなくリアルに近いファイトでなくてはいけなかった」「ただし、リアルを超えるファイトでなくてはならない。これが本当に難しい」「何年か前、刈馬さんから『タダのケンカには客は金を払わない。そんなものは見苦しいだけだ』って言われました。刈馬さん……若かりし頃、試合に負けた後にイスで先輩を殴ってた人の台詞ですよ、これ(笑)」
以前の口下手な佐倉とは違い、冗談を飛ばす余裕を見せる佐倉。総合格闘技については、さらに熱く続けた。
「総合格闘技はファイトへのモチベーションの維持がものすごく難しいんです」「総合で一番難しかったのは、殺したいわけでもない相手を全身全霊を賭けて狩りにいく。その準備を徹底的にやることでした」「ちょうどその頃ニューヨークに行く機会があって、気分転換のために美術館へ絵画を観にいくようになりました。今まで一度も行ったことなかったのにね…」「それから自分でも絵を描きはじめるようになりました」「総合で一番難しいのはモチベーションの問題じゃないですかね、たぶん多くの人がそう言うと思います」「そこで俺は、総合の試合はケンカではなくアートとして取り組むことにして、そこに活路を見出しました」「勝つためには身体能力だけじゃダメなんです。アートの要素は絶対に必要だったんです」
「そう、たとえば……後輩にもいるんですが、コーチに試合のプランを丸投げして、脚本家が書いた舞台に立つ役者のようなタイプがいます。でもそれじゃ勝てないんです。勝つためには産みの苦しみを経て、イマジネーションをカタチにしなくてはならない」「そうでなければ、相手の上へはいけないんです」「自分があのプレッシャーの中で勝ってこられたのは、この事に気づけたからに違いありません。アーティストの次の作品は誰にもわからない。俺はアートなファイトをする事で、本能で戦う脳筋や、コーチの言いなりを相手に勝ってきたんです」
佐倉は、総合格闘技家として語るとき、眉間の皺がより苦渋の表情を浮かべるようになる。日本人ファイターの歴史に残る勝利者が、メンタル面で苦しみ、総合格闘家として満ち足りた生活を送れなかったのは悲劇といえる。
佐倉がプロレスに戻ってきた理由もその辺りにあるのかも知れない。
「アートとしてのリアルファイトを追求する度に、俺の中ではプロレスラーとしての、NCWPのレスラーとしての日々が蘇ってくるようになりました」
佐倉は涙をにじませながら情熱的に語る。
「総合格闘技は一瞬の花火です。弱ければ全てを失う。勝ち続けるために、常に弱い自分と戦っていかなくてはいけない」「でもプロレスは、デビュー当時の弱かった俺でさえ、多くのものを得る事ができました。不思議ですよね」「そう考えるうちに、オレはどうしても、もう一度プロレスに戻ってきたくなったんです」「今度は自分の意思でプロレスを始めたいと思いました」「プロレスの舞台でいまの俺のアートファイトは一体どんな作品になるんだろうって。そう考えると、夜も眠れないくらい興奮しましたよ」
佐倉はさらに力を込め、「趣味で絵画を見たり描いたりしているうち、自分のプロレスは写実画のグレースケールなんだって気づきました」「それがグリザイユです」「これは天啓ですよ」「わずか一ヶ月で俺が変わったのはそのおかげです。借金を返済する目的で始めた総合格闘技は、オレのプロレスを完成させるための"必然"だったワケです」
「最初にオレがプロレスラーになったのは他に選択肢のない運命だったんですけど、プロレスに戻ったのは、数多くの選択肢がある中でのオレ自身が選んだ運命でした」「別にこのまま引退してバスケのコーチだって目指せましたし、次は画家としての成功を目指したっていいんですからね」「それがプロレスに戻って、『新皇杯』を取る事ができた。これは偶然では片付けられませんよ」
続いて佐倉は『格闘技のグリザイユ』の意味について尋ねられると、「グリザイユは絵画の技法のひとつです。有名な作品の多くは写実画ですね」「写実画というのは、カメラで撮った写真とはまったく違うものなんです」「実は、有名画家の写実画にはたくさんの目に見えない技法が用いられていて、そこには現実を超えた超現実世界が描かれているんです」「NCWPのキャッチコピーは『夢よりも熱い現実を』でしょ。つまりそれはプロレスはアートだって事なんですよ」
「自分のプロレスは、リアルファイト以上のものだって自信をもって言えます。リアルファイターはオレのプロレスの前では手も足も出ませんよ」「総合格闘技のダイヤモンドが、オレの前じゃ石ころ同然になるでしょう。アマチュアメダリストの内藤さんはオレの前でもメダリストでいられましたか? いえ、銅メダリストでさえ、オレの前じゃ、ただの石ころでしたでした」
佐倉はプロレスの話に戻し、決勝戦の死闘に触れ、「内藤さんはオレから見たらアーティストじゃないんです。昔の焼きまわしでなんとか保ってる一発屋タレントのなれの果てですね」「元々がすごい上に一生懸命頑張ってますから死ぬほど強いとは思いますよ。ファンの支持も安定しています。でも強いだけ、格好つけてるだけなんです。今となってはそんな格好よくも見えないですけどね」と辛らつ。
NCWPでは仁村賢利のフィニッシュホールドであったツームストンドライバー(仁村式)を使った事については、「フィニッシュのアレ(ツームストンパイルドライバー)は仁村会長の了承を得ています」と、自分が正式に技を受けついだ事を告白。「本人がこれを聞いたら怒るかも知れないけど、オレから見て、仁村会長は間違いなくアーティストでした」「あっ、今でも現役でしたっけ。じゃあ、仁村さんは現役バリバリのアーティストですね、訂正しときます」
仁村会長の話となると佐倉もさすがにおどおどしながら、「仁村会長のプロレスを見ると、相手が引き立ってますよね」「自分が思うに、石ころを輝かせるのがアートなんです」「写実画で描かれた石ころの絵画は、実際の石ころの数百倍から数万倍の価値を生み出すでしょ」「有名画家が石ころを描いたとすれば、誰もがその価値を認めるはずですよ。道端の石ころを見ても誰も感動しやしないのに、優れたアーティストがその石ころを主役に情景を描けば、多くの人が感動するはずです。不思議だと思いませんか? 実は、そこには優れた技法と、芸術家ならではの視点やアイディアがあるからなんです」「仁村会長や俺のプロレスもそれと同じ」「会長の場合、武道の精神が技法にあたるんでしょうけど、オレにとってその技法はグリザイユという描き方だって事です」
佐倉の哲学について、なんとなく空気は伝わるものの、他人にはよくわからない。そんな記者が突き詰めた質問をすると、「つまり、刈馬さん曰く、街中で起こるケンカは石ころ同然って事です。そのグレードが上がったのが宝石である総合格闘技だといえます。宝石は磨かないと光りませんよね。総合格闘技もそれと同じで、街中の素人には到底真似できません。見よう見まねじゃオクタゴンでは2分も持たない。アメリカにはその程度のファイターもたくさんいましたけど」
佐倉は総合格闘技を続けていればまだまだ勝てるといわんばかりの自信を覗かせるが、心は完全にプロレスに向いているようで、
「しかし、です。プロレスは磨きあえげた宝石を、さらにアートとして掘り起こしたものなんです」「もちろん素人がただ宝石の絵を描くわけじゃないですよ。絵画に描かれた宝石には背景があり、実物のような奥行きやリアリティが存在します。宝石に光が差し、反射で人の顔が映っていたりするかも知れません。光を放つ宝石はまるで何かを訴えているように見えます。ではその宝石は何を訴えているのか? そもそも作者は何を思ってこの宝石を描いたのか? 深いですよね」「総合格闘技は宝石、プロレスは宝石の絵画。もちろん宝石そのものに価値を見出す人が多いこともわかっています」「でもアートとしてのプロレスは、時として宝石を超えるんです。宝石をいつまでも見つめている趣味はありませんが、宝石の絵画なら、俺は目を凝らして長い事見つめてしまいますね」
こんがらがった話の奥に、佐倉イズムのプロレスが垣間見えたような気がした。
その後、『では、一番価値があるのはプロレスなのか。いまプロレスはかなり低迷しているが?』という問いをかけると、「物質的な価値は宝石でしょう。でも精神的な価値はアートの方だと思います」「ただ、時価数億円のダイヤを超えるアートはなかなか難しいのでしょうね」「プロレス界はいま人材が不足しているのだと思います」「プロレスをアートとして見る事のできるレスラーはごくわずかで、アクターだと思っているやつもいれば、ファイターだと思っているやつもいます。同期の石和なんかはプロレスラーはスターなんだと思ってて、星なわけですから、自分とはまったく違う考えで、いまレスリングネットワークでチャンピオンをやっていますね」と、笑った。
「でもね。アートは、時価数千円の真珠を数百万円にまで引き上げますよ。いまのプロレスが石ころ並みに価値が落ちているならば、その石ころをアーティストの俺が素晴らしい価値のある名画にする。そうするのが俺のこれからの仕事だと思ってます」と付け加えた。
最後に、『もう総合格闘技には戻らないのか?』という質問をぶつけたところ、
「可能性はゼロではありません」と答えつつも、「いま現在、俺のプロレスを極めることだけに気持ちが向いています」「もし再び総合を見据える頃には、佐倉涼介の宝石としての自分の価値はかなり下がっているかも知れません。年齢的にね」と早期の復帰を考えていないことを示唆した。
32歳という総合格闘技における肉体的ピークはいま。しかし、佐倉はプロレスに専念するつもりのようだ。
「総合格闘家として、いま一番脂が乗っている時期なのはわかっています」「ワンマッチ五千万円はもう無理でも、二千万くらいの話は来ていますよ」「プロレスのピークは総合のピークの少し後に来ることも知っています」「もう少し我慢した方が稼げるのかもしれません」「でも俺はプロレスがしたいんです。こればっかりはどうしようもないですね」と笑ってしめくくった。
プロレス界の希望を一身に背負う佐倉の戦いが、いま再び始まったようだ。
5月
・GW興行の後、台湾、韓国、香港を回る東アジアツアーを敢行。
海外人気の高い一草が退団してしまったが、国際経験豊かな内藤や野村が躍動した。
・行われた六大会の全てでメインを努め、統一王座二十六回目の防衛に成功した内藤は、「海外は日本とは反応が違って面白い」「日本のプロレスの底力を見た気がしました」と海外ファンの感触に満足していた。
・同じくメインイベントの三試合に出場した野村は、「次に内藤とやる時、今度はタイトルマッチでしょ」とファンの反応だけでなく試合内容への手ごたえも口にした。
・めずらしく地方や海外へ参戦した仁村会長は、今月はなんと8試合に出場。若手を半分指導するような試合が多かったが、仁村イズムの伝道をファンの前で行う事ができた。
6月
・一昨年のインターナショナルカップ以来、アメリカに流出したままになっているWWC無差別級タッグベルトを取り戻すべく、内藤がオクソンと組み、米国へと出発した。
・PPVに向けてのシリーズを戦いつつ、現チャンピオンのハーデストガイズに挑戦する。
・2005年にAWEと揉め、米国マットを半ば追放される形になった内藤だが、既に訴訟は和解しており、今回の米国遠征中にはAWEとの関係修復も計画しているのだという。
・内藤抜きで開幕したシリーズにはレスリングネットワークインジャパンの佐倉と吉田が参戦。
・シリーズの主役を新皇杯王者として奪った佐倉は、シングルで初の刈馬超えを果たす。
・わずか13分でかつての付き人に敗れた刈馬は、「何もいう事はねえ…次は勝つ」と静かな闘志をみなぎらせた。
・一方、勝利した佐倉は「刈馬さんいくつでしたっけ? いま四十二? 今年で四十三?」「まだまだね、あの人には高い壁で居てもらわないと困るんですよ」「ハッキリ言って、今はウチの式島さんの方が全然上なんじゃないですか? あの人はいま四六歳ですけど、今の刈馬さんより全然手ごわいですよ」と刈馬のライバルであった式島を引き合いに出し、「昔の刈馬さんで一番恐ろしかったのは絞め技でした。巻きつかれたら地獄行きでしたから」「いまの刈馬さんはただの中年パワーファイターですね。全然アートじゃない」「野村さんや桧山さんの方がまだ強いと感じますね、あの二人はややアーティストです」と、他のレスラーと比較して、徹底的にこき下ろした。
・コケにされた刈馬は反論せず、取材にも応じず、ただもくもくとトレーニングに打ち込んでいた。
7月
・世界タッグのタイトル奪取に失敗した内藤が帰国。
手ごたえを口にしながらも、「いまや日本とアメリカのプロレスレベルの差はかつてないほど開きつつある」「ウチにはAWEのリングに上がって生き残れるレスラーはひとりも居ないかも知れない」「野村だけはそこそこやれるかも知れないが、向こうじゃ身長が足りない」「みんな危機感を持たないといけない」「このままじゃ一生ベルトを取り戻せないかも知れない」と、珍しく弱気を口にした。
・NCWPでは無敵のチャンピオンの名を欲しいままにしている内藤だが、知らないうちに居の中の蛙に成り下がっていたことを自覚したようだ。現在の集客力の低下は内藤のファイトに原因があると言うファンも少なくない。
・7月の東北遠征最終戦で、野村が内藤の持つ統一王座に挑戦する事が決まった。
・内藤はこの試合に勝てば、氷上龍斗の連続防衛記録を抜き、シングルタイトル防衛回数歴代トップとなる。
・このビッグマッチで野村は試合時間20分を超える熱戦を演じるも、悲願のタイトル奪取はならなかった。しかし王者内藤をして、「これまでで一番やばかった試合」と言わしめるほど、野村の存在感は増していた。
8月
・大雨の影響で集客が伸びない中、サマーブレイクに突入。
・ファン感謝イベントが続いた後、大阪・四国遠征へ出発するも、大雨の影響で四国の試合は中止。チケットは払い戻しで、その後災害支援のための募金活動が行われた。
・国内での試合数低下に伴い、今年は海外遠征の数が増えている。
・中国の上海と昆明市での遠征に加え、一部のレスラーはインドのベンガル市へ出発した。
・海外での興行は概ね好評だったものの、直接的な収益には繋がらず。課題を残しての帰国となった。
9月
・NCWPグループ会長仁村賢利が、デビュー四〇周年を機にプロレスラーとしての引退を決めた。公式な試合ではないエキジビションマッチへの出場可能性を残しながら、10月のシリーズ最終戦を最後に、現役を引退すると発表した。
日本プロレス界の偉大なるレジェンドのひとりである仁村は、「肉体的な衰えが実感としてある」「もう長い事トレーニングの維持が困難になっていた」「数名の選手を解雇したいま、自分もリングから去るべきだと判断した」と、引退の背後に会長としての責任感をにおわせた。
・毎年恒例の創立記念大会が開催。今年は19周年。前身のNWCから数えると34周年になる。
・大会は記念大会初の横浜カルチャー体育館で行われ、二階席に空席が目立つ中、王者内藤が今年二度目の佐倉の挑戦を退けて二十八回目の王座防衛に成功した。
・前回の野村戦以降、内藤には動きにキレが戻っており、「防衛は当然。だけど、変わらず危機感を覚えている」とだけ話し、試合で受けたダメージから、念のため、病院へ直行した。
・敗れた佐倉は言葉少なく、「この半年で、内藤さんは思った以上に成長していた。三ヶ月前の内藤さんになら問題なく勝てたはずだ。7月に挑戦できなかったのが不運だった」とレスリングネットワークとの日程調整が上手くいかなったスケジュールを恨んだ。
10月
・統一王者内藤が、王座戦で軽度の脊椎損傷と足首の軟骨を粉砕骨折していた事が判明。開幕戦を欠場するも、仁村会長の引退試合に合わせて復帰を果たした。
・仁村賢利=NCWPグループ会長の引退試合では、「最後にもう一度あのジジイをブン殴る」と息巻いていた刈馬と内藤が最後のパートナーとして決定した。対戦相手には清水、桧山、佐倉の三人が選ばれた。
パートナーに選ばれたことに驚いた刈馬は「結局、俺にビビッって味方に加えたんだろ…」「ジジイの最後の活躍は俺とのタッグだったからな! 引退試合もいい試合でいい思い出にしたいんだろうよ」と少しさびしそうに話した。
もうひとりのパートナーである統一王者内藤は、「まあ当然の人選というか、おれはチャンピオンだしね」「おれが仁村社長の立場でもそうしたと思いますよ」と淡々とした表情。自分が選ばれるのは当然だと言わんばかりだが、脊椎のケガを押してまでこの試合に臨む内藤には秘めたる思いがありそうだ。
一方、対戦相手としてここ最近で最大のビックマッチに臨む桧山は、「会長の最後の試合で、自分を隣に置かなかった事には大きな意味があるんだと思います」「恥ずかしい試合はできないので気合を入れていきます」と神妙にコメント。
パートナーの清水は、「対戦相手に選ばれたのはオレが桧山と同じくらい認められているからだよ。わかるだろ?」「会長の引退試合だろうが、最後に笑うのはオレだから!」と不適な笑みを浮かべていた。
所属外の選手として唯一この舞台に立つことを許された佐倉は、「会長からのメッセージを考えたらキリがないです」「俺の転機は仁村会長とのシングルマッチでしたし、ケガを負わせた内藤さんが反対側にいますし、それでも選ばれたという事は後を託されたんだ…とかね」「試合でもたくさんのメッセージを受け取れると思います。会長は俺が認めるアーティストですから、引退試合をどんな試合にするつもりなのか、いまから本当に愉しみです」と恩師にプレッシャーをかけかねないようなコメントを残した。
試合当日、聖地戸田川市民体育館では、同体育館の入場者記録を更新。入りきれなかったお客さんのために場外では大型ビジョンによるパブリックビューイングが行われた。
試合では、ケガを感じさせない内藤の奮起もあり、序盤から激しい攻防が続く。
交代で入った仁村会長には大歓声。仁村会長が桧山とのクラシックな攻防を続けていると、仲間を裏切った清水が、いきなり桧山を強襲。さらに、佐倉を刈馬、内藤、清水が三人がかりで一方的に暴行し、最後は仲間のアシストを受けながら仁村が現役最後のツームストンドライバーで新皇杯優勝の佐倉をしとめ3カウントを奪った。
なお、引退試合に水を差しかねないマッチングとなった清水と刈馬の両者による絡みはなかった。
・大いに盛り上がった引退試合を終えた仁村は、マイクを取ると、「最高の試合で引退できる事に満足しています」「プロレスってものを自分に問い続けて、はや四十年が経ちました。いつか答えは出るんじゃないかと。引退するときには、追い続けてきたプロレスの答えが出るんじゃないかと、ずっとそう思ってやってきました……」と感慨深げに息を吐いた。
インタビュワーからの「答えは出ましたか?」の質問に、「デビュー五〇周年までやりたかったって気持ちが出てきたよ。それが答えなんじゃないかな」「つまり、どこまでも続いていく道だってことだよ。プロレス……『プロレス道』。それが俺が出したプロレスの答えだね」「道をず〜っと行くと、何度も壁にぶち当たる。山があったり、崖があったり、行き止まりにだって遭遇する。そんときゃ一回戻ってまた進む。そうしていると、いつか海に出るんだよ。広い広〜い大海原にさ……。そこまで来てみて、さあどうする? 見たところ船はない。じゃあこの先は泳いでいくのか、それともまた戻るべきか……って、迷う日々が始まるんだよ。まあここまで来たらさ、船を捜してもいいし、泳いで先を目指すもよし、来た道を引き返したって別にいいんだよ。ぐるっと一回転すればそこにはまた道が続いているんだからさ」
ここまで一気に語った仁村は、一呼吸置いて、
「俺は、随分前から海に出ていた。海へ出て、そこでず〜っと海を眺めてたんだ。時々波に押し返されたりしながら、『ナニクソ』ってやって、そこに留まり続けた。そうやって毎日毎日、ずーっと道の終着点を行ったりきたりしながら、ず〜〜っとず〜〜っと海を見てたんだ。それを今日、海を見納めにする事に決めました。いままでありがとう。楽しかったよって一言告げて、さ」
プロレス道の終着点にあるという、『海』。
それは肉体的なピークなのか、プロレスラーとしてのピークなのか。仁村賢利は五十歳を越えるまで進化を続けた稀有なレスラーであるが、その偉大なレジェンドが最後にひとこと『海にありがとう』と言って、果てしなく続くプロレス道に別れを告げた。
仁村社長は、メインを戦った五人に声をかけ、「内藤と刈馬、清水はもう海にまで来ているな」「ここからどうするかは、お前たち自身で決めろ!」と言い、一人ひとりに問いかけた。
「清水、お前ははしっこいから、他人の船を盗むかもしれねぇな」場内が笑いに包まれる中、清水も笑って「会長の命令なら、ちょっくら盗んできますよ」と返した。「おう、盗めるもんなら盗んでみろ。俺の先までいけるもんなら行って来い」「いやいや、あっしには会長は超えられませんて」と、会長の突っ込みをのらりくらりかわしながら清水は笑顔でお手上げのポーズ。
「刈馬、お前はバカだから海に飛び込んでいくだろう。途中で溺れるんじゃねえぞ?」「うるせえよジジイ。死に損ないはとっととくたばりやがれ!」刈馬は悪態をつきながらも、「アンタがいねえぇと、張り合いがねえ。いつでも戻って来い。そん時ぁ今度こそブン殴ってやる…」と少し淋しさをにじませて言った。
「内藤、お前はどうする?」「オレですか? オレだったら空を飛んで海の向こうまで行きますよ。仁村会長のたどり着いたずっとずっと先までね。なんてったってオレはフリーバードですから」と、自信満々に言う内藤に対して、「ま、調子に乗って空から落っこちんなよ」と仁村は優しく肩を叩いた。
今にも泣き出しそうな桧山には、「桧山。お前には何を言ってもしょうがねえから、今日は何も言わんでおく」と冷たく突き放し、「そんなぁ、会長。俺にも何か言ってくださいよぉ」と食い下がってきた桧山に対して、「ま、前より上手くはなったな……その調子で頑張れ」と控えめに褒めた。
最後に、試合のダメージで頭を押える佐倉の前に立つと、「佐倉。ここは、俺が三十四年もかけて創ってきたリングだ。その意味は、わかるな?」と脅すような目で迫った。
それに対して、佐倉の反応は淡々としたものだった。「オレはこのリングを守る気も壊す気もありませんよ」とかつての式島と刈馬のやりとりを引き合いに出し、「そうですね、自分としては、このリングに描くだけですよ。オレのアートを!」と、いつもの調子で言いきった。
「お前は変な奴だ」仁村会長は理解に苦しむと言った顔をしながら、「ま、しっかりやれよ」と少し強めに佐倉の肩を叩いた。
最後に塚間社長を呼び出すと、がっちりと握手をかわし、「後の事は任せたぞ」と言って握る手に力をこめた。
塚間社長は、「はい。必ず会長の理想を実現してみせます」そう言って深く頭を下げた。
・聖地戸田川市民体育館に鳴り響くテンカウントゴング。名レスラーの代名詞とも呼ばれる仁村賢利の、四〇年に渡る現役生活はここに幕を閉じた。
11月
・年末のタッグリーグに向け、チーム登録の受付がはじまった。
・ディフェンディングチャンピオンの佐倉・吉田組を筆頭に、桧山・清水組、野村・加宮組、刈馬・伊武組のチームが発表された。
・統一王者内藤は那須善春と組み、ヤングタイゴン組、ファイヤーS組を加えた全7チームが発表された。
・過去最小規模とも言われる今回のリーグ戦だが、NCWPの主要大会のひとつである事に変わりはない。アメリカへ里帰りしたまま取り戻せずにいるWWC世界タッグのベルトを取り戻すために、強力なチームへの登場が期待される。
・前回優勝の佐倉・吉田組だが、初戦で桧山・清水組に敗れると、続く刈馬・伊武組にも破れ、痛恨の二連敗。最終的な勝ち点は8。
・内藤・那須組は桧山・清水組に土をつけるが、野村・加宮組、刈馬・伊武組、佐倉・吉田組に敗れて三連敗。勝ち点6に終わった。
・桧山・清水組は意外な健闘を見せ、一敗一分け勝ち点9で優勝決定戦一番乗りを決める。
・野村・加宮はリーグ最終日に刈馬・伊武組を破り、一敗で勝ち点10で優勝決定戦の進出を決めた。
・最終日に敗れた刈馬・伊武組は二敗の勝ち点8となり、惜しくも決勝進出を逃した。
12月
・NCWPタッグリーグ2014の優勝決定戦では、有利と思われた野村・加宮組の野村が、清水の丸め込みに遭い、まさかの3カウント。この結果、ベテランの桧山・清水組の優勝が決まった。
・清水にとっては、この日が48回目の誕生日。旧ロイヤルファミリー時代以来のタイトル獲得に、「世の中わかんねぇもんだなぁ。勝てるとしたらナーフをやってた頃だと思ってたのによ」と両腕を組みながら何度も頷いた。
清水は1966年生まれの48歳で、現在のNCWPでは現役最年長を誇る。「そういや、仁村会長も、氷上さんも、永原も川渕も、荻原も式島もみんな居なくなったなぁ。あ、塚間さんもか。そんな中こうして俺だけが残ってんだから世の中不思議なモンだよなぁ」「あのメンツん中じゃ俺が一番弱かったのに、いまじゃ俺が最強タッグときたもんだ」
来年一月に日本でWWC世界無差別級タッグ選手権試合が行われると聞くと「あのベルトって、日本にない事の方が多いよな――21世紀に入ってから巻いた日本人は、荻原・野村と内藤・塚間、桧山・石和と刈馬・一草だけ? ほぉぉぉ〜!」そう言うと、清水は、薄気味悪い笑みを浮かべる。仁村会長の引退試合での裏切りに続き、また何かたくらんでいるようだ。
・2012年新皇杯以来のタイトル獲得となった桧山は、「仁村会長から俺や清水さんに託されたものはとても大きいんですよ」「『プロレス・道』です、会長の言葉。それを成し遂げるためにね、俺は本気でやりますよ」と、意欲を口にした。
・優勝した桧山は、クリスマスに一般女性との結婚を発表。
・統一王者内藤隆広も一般女性との婚約をカミングアウト。来年一月に結婚する事を発表し、暖かいニュースでこの年を締めくくった。
2013年
・新年の挨拶で、塚間社長は『新しいプロレス時代を築く』と宣言。
弟子である内藤の提唱する『オレと、オレたちで、新しいプロレスしよーぜ!』のキャッチにあるような新しいプロレスの形が完成の域に達しつつあることを示唆した。
・続いて、昨年11月に還暦を迎えた仁村会長がリングに上がると、赤いちゃんちゃんこを受け取り、還暦の挨拶を終えてから、『武道としてのプロレス』の重要性をあらためて説いた。
・NCWPの歴史は、『武道としてのプロレス』を追い求めた仁村と、圧倒的な力で世界に君臨した氷上の『豪傑児のプロレス』、そして技術を芸術にまで高めた式島の『美で魅了するプロレス』といったプロレスイオロギー対立の歴史である。
仁村会長は、『豪傑児のプロレス』を受け継いだ刈馬、そして新しい『自由のプロレス』を提唱している内藤らに、いま一度イデオロギーを主張するように求めた。
・だが、仁村の提言はそこで終わらず、続けて、「団体低迷の原因は闘争を失ったことにある」と、震災以降なかなか観客が戻らない現状に怒りをにじませながら力説。「一般社会が厳しさを増す中、レスラー達は逆に緩んでいるように見える」「そんなプロレスはお客様に失礼だ」「チャレンジをしない者はNCWPには必要ない!」「腑抜けたヤツは、明日にでもこの団体から出て行ってもらう!」と怒鳴り散らした。
・しかし、そんな仁村会長に異を唱えるものはいなかった。
何か腹案を持っていたらしい塚間社長もそのことには触れず、リングサイドで淡々と職務をこなし、仁村に対して常に反発してきた刈馬もこの日は口をつぐんだ。
・その後。ひさびさに試合を行った仁村会長は、「還暦を迎えてもまだやれるという自信がついた」「これが仁村のプロレスだよ」とにこやかに話し、タイトル挑戦について聞かれると、「その時が来ればやる。次は本当の本当に、命がけの試合になるけどな」とレスラー人生最後のタイトル挑戦もにおわせた。
・NCWPの観客動員がなかなか改善しない中、目玉シリーズのひとつである春の新皇杯では、内藤が一草を下して六度目の優勝。優勝後は「この大会、もう答えが出たんじゃない? オレがプロレスの新皇で、オレがプロレスの統治者だ! オレ以外に新皇に相応しいヤツなんて誰もいない! なあそうでしょ?」と語り、以前から話していた通り、団体の王者がこの大会に出る必要性にあらためて疑問を投げかけた。
・ヒートバーリーに加入後、試合に気持ちが入り、徐々に人気を上げてきた山縣だが、新皇杯では準決勝で一草に破れベスト4。6月からは再び故障が相次ぎ、シリーズ中盤から眼底骨折を理由に長期欠場に突入する。
・王者内藤は9月の両国大会で野村を破り、二十三回目の防衛に成功。かつてアマレス時代にオリンピックで敗れたパトリック・オクソンへのリベンジマッチや加宮や伊武の王座初挑戦もあり、それなりの刺激はあったが、新勢力の台頭も内藤の一強時代を揺るがすには至らなかった。
・しかし、十月の開幕戦で変化が起きる。黒尽くめの男がリングに上がり、入場してきた相手選手を蹴散らすと、スイングを交えての裏アキレス腱固めで王者内藤を捕縛。その後、フードを脱ぎ捨てた佐倉の姿に観客は大いに沸き上がった。
・佐倉はマイクを取り、王者内藤を挑発。それからNCWPから受けた恩を語ると、「自分は仁村会長とNCWPにずいぶんと助けてもらいました」「今度は自分がNCWPを助ける番だと思ったんで…」とアピール。大歓声を受けながら、「だけど勘違いしないで欲しい。俺はあくまでWN.JPの人間……移籍するつもりはない。これはそう、レスリングネットワークからの殴りこみだー!」と、NCWP復帰ではなく、スポット参戦であると断言。歓声の半分がブーイングに変わる中、指を一本上げて頭上の国旗を指すと、「レスリングネットワークと日本チャンピオンシップレスリング。日本一を決めようじゃないか」そう言い残し、会場を後にした。
・襲撃を受け、リングサイドで治療を受ける内藤は、「アイツ、ずいぶんバカになって帰ってきたんで驚きましたよ」と足首を冷やしながらも余裕の笑み。
「タッグリーグ戦、出るんでしょ」「NCWPにクソぶっ掛けて出て行った人間が、リーグ戦やって無事に帰れると思ってんの?」と内藤は鋭い目つきで笑った。
・ICがあった昨年に引き続き、唯一動員数の改善が見られたタッグリーグ戦は、前回優勝チームの内藤・野村組が解散。内藤・オクソン組、野村・伊武組がそれぞれ出場することが決まった。
・十月シリーズの間に、タッグリーグに出場する全チームの登録が終了。
優勝候補に一草・加宮組。続いて、野村・伊武組、内藤・オクソン組、刈馬・曽我(ファイヤーS)組、桧山・瀬賀(ファイヤーS)組、清水・那須組、鈴軒・エルレイダ組。それにWN.JPから参戦する佐倉・吉田組を加えた全8チームが二つのブロックに分かれてリーグ戦を行う。
・佐倉のタッグパートナーが、期待されていた式島でも石和でもなかった事にファンは失望したが、そんな不満の声を背に、プロレス関ヶ原所属の吉田満は、「26年間生きてきた中で、NCWPタッグリーグは俺にとっての最高の舞台のひとつだと思っています!」「小さい頃からずっとNCWPのレスラーにあこがれてきました」「そんな俺が、偉大なレスラーたちと肩を並べられる瞬間にめっちゃ興奮しています!」「そしてこのリーグ戦が終わったあと、自分が偉大なるレスラーたちを見下ろしているかと思うと……、もーぉ、堪らないッ!」とNCWPのリングに上がれた喜びに打ち震えながらも優勝宣言を行い、ブーイングを一身に浴びた。
・そんな吉田に佐倉は、「吉田はオレが戦ってきた中でも特に骨のあるやつです」「パートナーとして何も問題ないですよ。むしろ、これと言った対抗馬が居ない事の方が残念ですね」「刈馬さん、レッスルエンペラーズ、もう一度復活しないんですか?」と佐倉はあくまでビッグマウスでの余裕を貫いた。
・佐倉はもともとつかみどころがない性格をしていたが、WN.JP所属として過ごした5年間で完全にレスラーとしての人格を確立したらしい。
常に平常心を保ち、ビッグマウス。それでいて態度はクールでスタイリッシュという、今までにないレスラー像を創り上げている。
・佐倉・吉田組は、初戦で優勝候補の一草・加宮を破り、さらに清水・那須組を順当に撃破。一次リーグ最終日では野村・伊武組を破り、全勝で決勝トーナメントへ進出した。
二位の座を争う野村・伊武組と一草・加宮組は、勝ち点4で並び、トーナメント進出決定戦を行うことになった。
・対するBブロックでは、永遠のライバルとも言えるオクソンと組んだ内藤が全勝で決勝トーナメント進出。二位で終えたのは桧山・瀬賀組で、対抗馬と思われていた刈馬・曽我組は鈴軒組にまで破れ、まさかの全敗に終わった。
・佐倉・吉田組の勢いは最終日でも止まらず、桧山・瀬賀組を相手に観客を沸かせる好勝負の末、最後は余裕すら漂わせてフォール。
・内藤・オクソン組は決定戦を勝ち抜いた一草・加宮戦に難なく勝利を収め、共に決勝進出を決めた。
・年間最終試合となる横浜大会メインイベントは、内藤組対佐倉組の世代を賭けた対決となった。
しかし、シリーズ中に腰のケガを負ったオクソンの不調が目立ち、決勝の内藤組は精彩を欠いて、13分42秒という短いタイムで佐倉組が勝利。
電光石火の裏アキレス腱固めで勝利した佐倉は、「成功の鍵はスピード」「来年最初の世界戦、オレがもらいます」と早くも来年のベルト挑戦をアピール。パートナーの吉田は「やる前は、見下ろすなんて偉そうなこと言ってたンですけど……いざ優勝してみると、涙で下なんか見えません!」と男泣き。他団体のチームが優勝したとは思えないほど、表彰式は爽やかに終わった。
(ファイプロリターンズ)