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Nihon Championship Wrestling Professionals

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入場客数 (人)
ページ開設日1999年7月1日

*以下のNEWS等はファイヤープロレスリングのゲーム上で行われているオリジナルエディット団体でのお話です。実在する選手・団体とは、ほぼ一切関係ありません。
 

 
  ■ NEWS

★このサイトについて
○ 長い歴史を誇る架空ファイプロ団体です。
  リング外の出来事と、ロジック対戦による試合結果などを記録しています。

〇 ベースが古いので、ISDN程度の通信速度で快適に閲覧できます。

〇 団体交流に関しては相談の上での招待制となっております。他団体に出場したのも今のところ一度だけ。(唯一の出場がこちら
 

★更新情報
○ 年表を更新。
 ・管理人がソーシャルとかやりたがらない人なので、いろいろ難航中。
 ・YOUTUBEでWN.JPの試合を一部配信中。

★お知らせ
○ メールフォームの故障で長い事音信不通になっていたようですみません。ファイプロワールドへの参加に伴い"Stream"のコミュニティにて、"AS TERU"で連絡できるかと思います。
○ 更新は年単位です。開設当初のペースで末永くやっていきたいと思います。
        

 
 
■ロングインタビュー

○仁村賢利ゆかりのNCWPの選手達が 2015年6月 週間リング誌上にて語った。

――天国の仁村賢利さんに伝えたいこと

 
  ■ HISTORY

2023年
・ウイルス禍からの脱却が期待される2023年がスタート。

・仁村浩代会長から二年間の猶予期間を与えられ、限定的ながらも結果を残した塚間社長だったが、
収益の一部は引退した内藤関連の売り上げだった事から、任期満了による退任を発表。

・後任に清水剣次取締役が選ばれ、清水は同時にレスラー業からのセミリタイアを宣言した。

・塚間前社長は取締役として引き続き会社に残り、上級レフェリーとして、マッチメークの一部を担う事が発表された。

・清水が社長になった事で、2020年に退団した刈馬の復帰は絶望的と思われたが、清水は社長業の第一手として、ウイルス禍の契約更改で退団した刈馬ら5人の復帰を依頼。
 しかし、既にプロレスリングValueS(バリウス)所属となっている刈馬、伊武、牧野の三人は復帰を拒否。NCWPに戻ったのは清水のお気に入りである佐々木雪都ただひとりとなった。

・予想通りの結果となったが、清水は「数年後にあいつらが後悔するのが楽しみだ」と意地の悪い笑顔を浮かべ、
「(復帰要請は)前社長が約束していた事だから仕方なく行った」「いまさらあいつらを団体に戻してもしょうがねーだろ」と刈馬が要請に応じず、伊武や牧野が刈馬を義理立てて戻ってこないと見越していたと明らかにした。

・清水は古い慣習を良しとせず、昨年塚間前社長が復活させた新皇杯を今年限りで凍結すると発表。
 ファンに向けて最後の新皇杯への期待をあおった。

・ラストエンペラーカップと称された2023年の新皇杯の優勝は、ベテランの加宮みつる。

・野々上、仲野、三嶋、イクサバマスク、ジークファルトら新時代のレスラーたちを抑えて、第五世代の加宮が優勝した事にファンからは驚き声が上がった。

・実際、加宮の試合内容は昔より大幅に良くなっており、好勝負を連発するも評価されない日々が続いていた。

・新皇杯を優勝した事で、NWWC統一王座への挑戦を得た加宮だが、権利の行使は9月の旗揚げ記念大会で行うと発表。
 しかし、ファンが試合の組み合わせを決めるファン感謝デーで、王者三嶋との王座戦が決まってしまった。

・加宮は苦笑いをしながら、「ここで負けても旗揚げ記念大会で再度挑戦する」と表明するも、王者三嶋が異論を唱え、結局、王座挑戦権の行使はファン感謝デーで行われる事に決まった。
・加宮は新皇杯優勝の勢いのままNWWC統一王座を奪取。旗揚げ記念大会の挑戦者に桧山を指名するも「段階を踏め」と清水社長が拒否。清水社長の息子景虎と仲野、桧山の三人で王座挑戦者決定戦を行うと発表した。

 

    

2022年
・仁村浩代会長時代の二年目。

・元西海上プロレスで活躍した城嶋優の息子、城嶋海人が入団。妹の女子プロレスラー城嶋香苗と共に、二世レスラーとしてデビューした。
・父親が西海上プロレスのレスラーであるにも関わらず、西海上プロレスではなくNCWPを選んだ理由を尋ねると、「昔からNCWPの方が恰好いいと思っていた」との事。
 好きなレスラーに『内藤隆広』の名を挙げた城嶋だが、憧れのレスラーの所属する団体とは別の団体を選んだ。

・その内藤隆広がレスラーからの引退を表明。
 現在は西海上プロレスに所属する内藤だが、NCWPが「引退までに一試合でも行ってもらえないか」と依頼し、5月のファン感謝デーで、NCWPにおけるラストマッチが決まった。

・NCWPで永く"ソブリン"として君臨し、タイトルの最多獲得数、最長防衛回数、最長防衛期間を記録する内藤は、2020年に行われたファン投票で、最強部門、人気部門で氷上龍斗に続く歴代二位を記録。
 作られたスターではなく、混迷の時代に地力で魅せてくれたレスラーとして、長く記憶に残るレスラーであった。

・一方で、世界王者として君臨していたソブリン時代には敵が居なく、一強時代となった事が不幸だったと言うファンもいる。
 刈馬・式島時代に代表されるように、プロレスにはスターが最低二人必要であり、ひとりエースの場合は外国人レスラーなど刺激的な外敵が必要不可欠であった。

・唯一対抗馬になり得た佐倉涼介は海外に拠点を移し、石和が内藤の地位を奪う頃には既にボロボロで満足なファイトはできない状態だった。
・内藤を放出した浅木元会長は当時猛批判を受けたが、いまとなっては「もっと早く西海上プロレスへ移籍させてあげるべきだった」というファンの声も大きくなっている。

・NCWPラストマッチとなった5月のビッグマッチでは、6人タッグながら、全盛期を彷彿とさせるファイトをみせるが、その試合で足を負傷。西海上プロレスでの引退試合は当初の予定だった7月から12月に延期された。

・内藤のラストマッチとなった春のビッグマッチでは、入場制限つきでありながら、武道館での大会が実現。
「これを最後の武道館にはしないように」との決意を込めて、大会名は『THE SEED OF BEGINING』と名付けられた。

・NCWPで最後の試合を終えた内藤隆広は、年間最大のビッグマッチである旗揚げ記念大会にもサプライズ登場。「俺が残した種の中から、みんなが認めるソブリンが育つ事を期待している」とのラストメッセージを残した。

・この試合のメインで行われたのは、野々上と三嶋によるNWWC/NCWP統一世界王座戦。
・身長192p体重145sとスーパーヘビー級に生まれ変わった三嶋が勝利を収めたが、この試合を最後に、NCWP王座は封印され、NWWC(新世界)統一王座となる事が発表された。

(ファイプロワールド)

  

2021年
・昨年ウイルス禍での不振を受け、浅木会長が退任。
・新たに仁村浩代会長を迎え、NCWPグループは再出発を図る。

・仁村浩代は、NCWP創業者仁村賢利の長女。
・前々会長の佐藤聡とは母親が異なっており、仁村賢利の後妻の娘となる。

・女子プロレスラーの道を歩まず、グループ内のアパレル事業社長を経て、会長に推薦された。

・仁村浩代会長は、会長としては現場に介入しない意向を宣言し、塚間社長への支持を表明。
 業績の黒字回復を目指し現場に判断を委ねるが、今後二年間で成果を出せない場合は塚間に社長を勇退してもらうと宣言。

・前浅木会長時代にこれまでの慣習を全て壊された上での現場委任は、厳しい舵取りを予想させるものだった。

・塚間は、2021年は前会長の提案したTTT(トップチームトーナメント)を行うが、来年は新皇杯を復活させると発表。
 『ふるさと感謝祭』に関しては、浅木前会長の提案した『ファン感謝デー』としてやっていくとした。

・7月には日本国内で一年遅れのオリンピックが開催。NCWPは、毎回、オリンピックイヤーに便乗する形で収益を伸ばしていたが、ウイルス禍の収束が見込めない事もあって、業績は低迷。
・浅木前会長が人件費を大幅に削減したにも関わらず、黒字化は見込めず、スポンサーの募集も振るわないまま終わった。

・浅木前会長の功罪を求める意見がネットに溢れた。

・功績としては 『業績の改善』 『世代交代の促進』 『若手を優遇・ベテランを削減』 『古い慣習の一蹴』 が挙げられ、

 罪としては、『伝統の破壊』 『団体の顔とも言える人気選手の放出』 『仁村会長時代より試合内容が劣る』 事などが挙げられた。

 NCWPの重鎮である清水は、「古きを壊し新しきを作り出すも、熱、過去に及ばず」と変化の大きかった浅木前会長時代をまとめた。

  (ファイプロワールド)

 

2020年
・浅木会長体制における四年目。
 日本国内でのオリンピックを間近に控えた春、未曾有のウイルス禍が世界を襲った。

・WN.JPでは、加盟団体全てに一時的な興行自粛を推奨。
 損失分は不動産の売却等で一部補填すると通知した。

・浅木会長のもとWN.JPに完全同調を発表したNCWPは先陣を切って自粛を発表。夏までに予定されていた全ての大会を中止し、チケット代の全額払い戻しが行われた。

・第二回TTT(トップチームトーナメント)は途中終了となり、ファンからの賛否が殺到。SNSは大荒れとなった。
・代替え措置として、NCWPでは、ファンを巻き込んだオンラインでの企画を実施。

 『NCWPで歴代最強と思うレスラーは誰か?』 NCWPで『歴代最強のタッグチームは誰か?』といったアンケートをはじめ、様々なクイズ企画で会場に来られないファンの気持ちを盛り上げた。
   

・しかしながら、その盛り上がりに水を差すように、、前NWWC/NCWP統一世界王者刈馬雅史をはじめ、伊武鷹晴、牧野修平ら選手5人が3月で契約を満了。


・塚間社長は、契約交渉の難航を理由に、「ウイルス禍が収束した後に改めてオファーする」と公式見解を述べたが、NCWPの顔のひとりである刈馬の退団に衝撃が走った。

・夏までに収束されると期待されたウイルス禍だったが、オリンピックは一年延期。
 プロレス界はリモート化や観客席の距離をあける事で感染を抑えながらの観戦スタイルが模索されたが、声だし応援ができない事もあり、日本のプロレスの歴史上もっとも異質な一年となった。

・NCWPを退団した刈馬らが、8月、リモート配信とアウトソーシング中心の団体『プロレスリングValueS(バリウス)』を設立。NCWPも全面協力を申し出るが、手探り状態を理由に拒絶される。

・年間最大のビッグマッチとなる9月大会では、ウイルス感染のピークが収まった事もあり、一部声だし応援を可能として行われた。
 しかし、近年最高の盛り上がりを見せた昨年と異なり、低調な大会となった。

・オリンピックイヤーに行われたインターナショナルカップも今年は中止。延期ではなく中止となり、次回の開催も不透明な状況となった。

(ファイプロリターンズ/ファイプロワールド)

    

2019年
・浅木会長体制における三年目。
・浅木会長は昨年一年間における収益の動向から、年間スケジュールの見直しを発表。

・もっとも大きな変更は、新皇杯を中止し、代わりに春のビッグマッチを設定。
 そのビッグマッチの後、WN.JPが主催する天頂杯の団体内予選を行い、加えて、年間最大のビッグマッチである9月末の創立記念大会のメイン戦出場を賭けた試合を行うというものだった。

・再びファンの間では批判が殺到したが、内藤ソブリン時代から新皇杯は疑問視されていたイベントで、勝者がどのタイミングでNWWC世界王座に挑戦するのかも定かではなかった。
・思い切った改革を行ってきた浅木会長だが、一年以上に渡るファンからのパッシングにうんざりした様子で、創立記念大会で自らが会長に就任する前の年の観客動員数を超えなければ、自身が退任するか、NCWPをNCWPグループから手放すと発表。

・NCWPグループにとって、プロレス団体は基幹ビジネスではあるが、一昨年まで長らくグループのお荷物部門であった。
・改善をみせたのはここ二年間であり、それが無に還るようであれば、会長の退任やグループからの追放は止む無しとも言える。

・春のビッグマッチでは、ヒートバーリーの刈馬雅史が一年ぶりに世界王座へ挑戦。新技のブラッディボルグを初披露し、世界王者に返り咲きを果たした。

・天頂杯の予選となった第一回のトップチーム・トーナメント(TTT)では、加宮みつるが優勝。
 しかし、WN.JP側とのスケジュールが合わず、天頂杯出場ではなく、WN.JPのグランド王座に挑戦する事になった。

・グランド王座戦では王者一草弾に惜敗。結果だけが伴わなかった形だが、加宮は「一草さんに恩は返せた」と大先輩への健闘に胸を張った。

・浅木会長と、NCWPの運命を賭けた創立記念大会。
・メインイベントは、王者 刈馬雅史 VS 挑戦者イ クサバマスク。
・原宿の国立体育館は満員といって差しさわりのない盛況ぶりを発揮し、NCWPの人気浮上を見せつけるものとなった。

・今年の飛躍を決定づけたのが、これまで部分的に接触してきたWN.JPへの完全賛同と、刈馬の再生。そして、野々上、仲野、三嶋の第七世代の躍動と言える。
・中でも、高校生時代にアマレス国体ベスト4入りを果たし、天才と持ち上げられた野々上の人気がすさまじく、昨年までのバッシングから一転、かつての石和・佐倉以上のファンの加熱ぶりが活気に繋がった。

・だが、オールドファンからは第七世代を賞賛する一方で、NCWPのスタイルが若手に受け継がれていないとの危機感も示されている。
・第六世代の佐々木、牧野は飛躍の四年目を迎えても大きな活躍を示せず、第七世代の野々上、仲野は基本をおろそかにして、人気取りに走っているとの批判が繰り返された。
・大型ファイターの三嶋はかつての加宮となぞらえてデクの坊と揶揄されていて、若手が総じて批判の矢面に立たされている状態。
・10年前の佐倉・石和・加宮が若手だった頃、ヤングタイゴンの佐倉がひとり批判される中、ファンは加宮の成長を静観して見守り、石和は常に賞賛され続けた。

・しかし、いまは人気のある若手が揃って批判されている状態で、成長を暖かく見守るファンが減り、若手であっても早期に結果が求められるようになってしまった。
・塚間社長はこの事態に頭を抱え、「ビジネス面での成果を求め続けた結果、我々とファンの間にあった、大切な何かが失われた…」と、会場の雰囲気がかつてのそれと変わってしまった事に大きな失望感を示した。

(ファイプロリターンズ/ファイプロワールド)

    

2018年
・浅木会長での二年目が始まり、影響がリングの闘いにも影響を及ぼしていく。
・浅木は長期欠場中の内藤隆広に対し、選手として以外の役割を要求。
 内藤に対して、団体副社長となるか、営業部門への配属を求めた。

・内藤本人はコーチを希望するが、浅木会長は裏方ではなく、表に出るポジションを要求。
 両者の間に生まれた溝は埋まる事はなく、塚間社長も二人の仲を取り持つことができないまま、3月31日付で内藤が退団。西海上プロレスへの移籍となった。

・内藤退団の余波は大きく、ファンから無能の烙印を押された浅木会長は「長期欠場中の内藤は、団体の収益には繋がっていない。表に出る機会を提案した事や、契約更新に向けて提示した金額は妥当だった」と反論。

・しかし、団体歴史上最高のスター選手の放出という決断はファンに理解される事はなく、一部のファンの間では会長の辞任を求める声が拡がり、ボイコット運動にまで発展してしまう。

・責任問題は塚間社長にも飛び火し、「ファンの皆から支持されるプロレス」をしていないとの批判が紛糾する。
・事態を重く見た浅木会長と塚間社長は、5月のファン感謝デーにて、ファンがマッチメークを決める企画を提案。インターネットを通じ、投票された試合カードで興行を行うと発表した。
・大会自体は成功に終わったものの、仁村会長時代に提起された『ふるさと感謝祭』を『ファン感謝デー』に置き換えた事にも批判は相次ぎ、ネット社会では一度火がついたファン心理は容易には鎮静化できない事が明らかになった。

・実際、西海上プロレスに移籍した内藤はまだ試合ができる状態にはなく、コーチと解説者、セコンドとしての役割しか果たしていない。
 しかし、話題の提供に加え、自らの後継者とも言える選手を育てるなど、13年ぶりに復帰した西海上プロレスに大きく貢献していた。
 その点では、最善の選択は、内藤をコーチとして団体に残しておく事だったと言えるが、それがビジネス的に正しかったのかどうかには疑問が残る。

・内藤の穴を埋めるべく新エースとなった石和は、新皇杯を連覇。
・石和は世界王座の防衛戦では、昨年のオクソン、伊武に加え、刈馬、佐々木、那須を破るも、旗揚げ記念大会では野村に敗れ王座転落。
 内藤のソブリンような絶対王者体制を構築するには至らなかった。

           

(ファイプロリターンズ/ファイプロワールド)

 

2017年
・仁村賢利前会長の長男である佐藤聡氏が任期満了を理由に代表取締役を退任。
・後任に浅木輝人(あさぎ てるひと)氏が就任した。
・新年の挨拶では、塚間社長の話の前に、NCWPグループの新会長となった浅木氏より自己紹介と今後の方針が語られた。

・NWC時代に営業担当であった浅木会長は、プロレス事業は今でもNCWPグループの根幹であること。顧客はファンでありファンの皆から支持されるプロレスを続けていくこと。塚間社長が推し進める“スタービジネスとしてのプロレス”をより発展させていくこと。亡き仁村元会長の意思を引き継ぎ“武道としてのプロレス”も同時に追及していくこと、などを宣言した。

・挨拶を引き継いだNCWPの塚間社長は、「仁村元会長の意思は守りたいと考えています」「昨年から、ビジネス路線での改革が進んではいるが、NCWPのプロレスをただのエンターテインメントと定義してはいけない」「精神面も重視し、その上でファンを満足させる真のプロレスを目指したい」と話し、武道としてのプロレスとスペクテーター・スポーツの二つの理念を併せ持ったものこそが、NCWPのプロレスであると再定義した。
・今年のキャッチコピーは『リバイバル・エボリューション(再生と進化)』と発表された。

・NCWPの好調はオールドファンが戻ってきたことが大きいとされる。彼らを継続して呼び込み、さらに新規のファンを増やすことができるかどうかが今後の成長の鍵と言える。

・1月10日に行われたWN.JPの武道館興行にNCWP勢が参戦。
・この大会では、日本レスリングネットワークのコミッショナーが認定するタイトルマッチのほか、チャンピオンズカップと呼ばれる各団体のチャンピオン同士のトーナメントの決勝戦が行われる。

・式島和也は「プロレスファンは深化を求め、変化を嫌う」「日本チャンピオンシップレスリングと交わったことで、その事を思い出した」「懐かしい感覚でしたよ」と語った。

・2017年の新皇杯では、昨年惜しくも優勝を逃した石和圭一が初優勝。名実ともに、新時代の象徴となった。
 

・石和は5月のふるさと感謝祭でNWWC世界王者式島和矢に挑戦。一年と4ヶ月続いた式島政権に終止符を打った。
・創立記念大会では、元プロレスリング・フェンリルの伊武が初のメインイベントに出場。王者石和に敗れはしたものの、入団11年目にして、ようやくトップイベンターにまでたどり着いた。

・しかしその大会で元世界王者内藤隆広が、頚椎の損傷を発表。ドクターストップとなり、長期欠場が発表された。

           

(ファイプロリターンズ)

過去の記録はこちら

 
     
  ■ TOPICS

■式島 和也自伝 南船北馬の旅 〜式島和也。世界でもっとも愛されたプロレスラー〜が発売
NCWPでトップレスラーとして過ごした二十五年間。第二代社長就任の裏事情。そして見果てぬ夢を追い立ち上げたWN.JP。式島の全てがここにある!!

―プロレスラーになるキッカケについて
「親に連れられて初めて観戦したプロレスが日本チャンピオンシップレスリングでした」「決断したのは高校入学したときですね」「ふと自分の人生を思って、『オレはこれからどうやって生きていくのだろう』と考えたとき、プロレスラーのように強くなりたいなと」「当時は学生が荒れてた時代で、この中では強くなければ生き残れないとそう思ったんです」「刈馬やタカシみたいなのがいっぱい居た時代だったんですよ(笑い)」「その直後、偶然に……学校でレスリング部の勧誘が行われていまして、オレは背が大きかったもんで声を掛けられましてね。二つ返事で入部を決めました」「あの時、先輩はオレが即答した事に驚いてましたね。いま思えばあれも運命だったのかなと思います」

―アマレス時代について
「プロレスラーになろうと思ってアマレス部に入ったんですが、アマレスはそんなに甘い世界じゃなくてですね。初めてすぐに大怪我をしてしまったんです」「それで部活を休んでいる間に初めての彼女が出来たもので、その時はもう彼女に夢中でね……」「結局、最初の一年はロクに部活に顔も出さないで、二年生になってから本格的に体を作り始めていく有様でした」
「ただ、彼女に『オレはプロレスラーになる!』って見栄を張ったもので。愛する彼女にウソをつくわけには行かないでしょう。だから、どんなに辛くてもレスリングをやめようなんて事は一度も考えなかったんです」
「高校の三年で初めて試合に出してもらえて、いきなり三回戦まで勝ち進んだんです」「だけど試合慣れしていなかった気がします」「二回戦を勝ってからは混乱してしまって。自分のレスリングはこれでいいのかと自問自答している内に負けてしまいました」
「それがあまりに悔しくてね。もっと試合慣れしていれば絶対に負けない相手だった……そう思うんです。そこでプロレス挑戦ではなく、まずはアマレスをやるために大学進学を決めたんです」
「大学へ行くために必死で勉強して、現役で合格しました。当時の森大はすごい選手が揃っていて、練習場に行くだけで気が引き締まりました」「あの空気を四年間吸えたことが、プロのリング上でも今みたいな雰囲気を出せる力になったと思うんです」「レスラーが真剣にやってるかどうかは、いかに真剣に練習したかで決まりますから」
「大学で四年間一生懸命頑張っていたら、同世代では一番になってました」「特別な事はあまりしていないんですが、オレは高一の頃にひどい怪我をしたもんで、体のケアだけは人一倍気を遣っていましたね」「みんなとにかく怪我が多かったんで、差がついたのはそこじゃないかなと思います」
「インカレで準優勝したときは、その前の試合で足首の靭帯をやってしまいましてね」「あの時は、勝っても負けても最後だと思ったんで、決勝戦は棄権しないで必死に隠し通しましたよ」「でも勝てなかった」「(加藤)勇作は同じような状況で優勝しているですんだから、そこは根性の差だと思います」「あいつはすごいなと、今でも思いますよ」「当時の試合は、三十台後半になるまで夢に見てましたね。うなされるって程でもないんですが。目が覚めたとき、それで気を引き締めるっていう感じですかね」

―若手時代について
「プロレス行きは最初から決めていたことなので、迷いはありませんでした」「入団テストを受けるつもりで居たら、川渕さん達がスカウトに来ていてね。トントン拍子で話が進んでいって…」
「入門してからしばらくは地獄の日々でした」「寮生活で朝起きてから夜眠りにつくまで、常に動いている感じです」「本を読んでいたら怒られましたね」「当時は練習というより完全にシゴキでしたから、それで怪我をしたら、やめようと思わない人はまず居ないんじゃないですかね」「今思えば甘ちゃんだったんですよ。プロの華やかな世界しか見ていなくて、自分は運命に導かれてこの世界に入ったんだから大丈夫だ……ってね」「ただね、当時の少女マンガを読んでそういう厳しい世界は頭の中に知識として入っていたんですよ。それでなんとか『世の中こういうもんだ。強くなくちゃ生き残れない』と納得できていたんですね」「少女マンガは、高校時代の彼女が沢山持っていたんで借りて読みました」「ほら、怪我をしてるとデートにもいけないじゃないですか。それで彼女の家にお邪魔することが多くて、その時に読み始めて……それで読書が趣味になったんです」
「オレの入団の二日後に永原と荻原が入ってきたんですが、オレはこれも運命だったんじゃないかって思ってます」「ほんの少しオレが先に入ったおかげで、オレは仁村社長の付け人になることができました」「もし、荻原が社長の付け人になっていたら、オレのプロレス人生は大きく変わったと思うんですよね」「オレ達は三人ともアマレスの実績があったから、入門時に差はなかったんですよ」「でも二人は地方の出なので、引越しに時間がかかった。二日違ったのは単純にこの差ですよね」
「仁村社長には随分可愛がられましたよ。散々怒られましたけどね」「社長は普段は厳しい人で、道場ではコワイ人です。試合では……やっぱり厳しい人だったなぁ」
「でも社長の厳しさがあったから、NCWPはストイックにやってこれたんで」「特有のピリピリした緊張感と、試合が動いたときのカタルシス。これがNCWPの魅力でしたね」
「ヤングタイゴンって言葉は、オレたちの世代にはまだなかったんですが、デビューしてからは世界が一変しました」「毎日の仕事は変わらないんですが、夜には試合がある。当然、試合に向けてテンションが上がるわけです」「地獄から楽園でもないんですけど、スポットライトを浴びた瞬間、本当に自分の世界が変わったように感じるんですよ」
「デビューしてから数年間、毎日その繰り返しでした」「充実していたといえばそうなのですが、雑用と練習と試合しかなかったといえばそれまでで、先のビジョンとか試合の見せ方とか、今の若手が考えなきゃいけないようなものは自分にはありませんでしたね」「お客のノリも今とは全然違いましたし。どこか家庭的だったというか。やっぱり昭和っていいですね」

―氷上龍斗について
「オレ達がデビューした頃は氷上さんが全盛期に突入する前後でした」「社長以上にピリピリした雰囲気を持った人で、あの頃のオレたちなんかじゃまず話しかけられなかったです」「ああ、ヤクザの親分もこんな感じなのかなぁって思いましたね。もっとも氷上さんはドス黒いって雰囲気はなかったですけど、氷のような冷たさというか、冷酷に見えるというか、そういう感じはしました」「永原は途中から一年ほど氷上さんの付け人になりましたけど、それ以来だと思いますよ、永原があんな風にダークな雰囲気になったのは」
「氷上さんの時代は、日本人対決はスパイスみたいなものでしたね」「あの人は世界のテッペンで戦っている人で、やっぱり他の人とはどこか違う。そういう雰囲気がありました」
「オレたちは背中じゃなくて、あの人の足元を見て過ごしてきました」「それが腰くらいまで見えるようになったとき、氷上さんの長期欠場が決まってしまって……」
「ファンのみんなは、オレをあの人と肩を並べる存在に見てくれていますけど、お互いが全盛期の状態で向かいあっていたら、どうなったんだろうなとは思いますよ」「もちろん、強力なファンの後押しがあれば、オレは絶対に負けません(笑い)」

―荻原光太郎と永原幸秀について
「実は同期の二人とはそんなにたくさん話したことないんですよ」「荻原とは何度も飲みに行きましたし、永原ともたまに話したりしてましたけど…。でもお互いにお互いの事はよく知らないんです」「まず若手時代にはそんなにヒマがなかったから」「デビューしてからは時間がない上にお互い意識する存在でしたからね」「荻原のヤツはね、オレに隠れてトレーニングするんですよ。負けたくなかったんだと思います」「永原の方は絶対にオレより後まで残ってトレーニングするって感じで。オレは体のケアを優先して、あえて先に切り上げたりね」「練習中から駆け引きしてたって言えばそうなのかも知れません」
「オレは割と先輩に可愛がられていた方なので、二人とも嫉妬していたと思いますよ」「普段から絶対にオレには負けたくないって気迫が伝わってきて。オレも内心では対抗しつつもわざと余裕ぶったりもしてね」「外から見ててもオレたちの関係が面白かったんでしょう。日常の駆け引きをそのままリングの上にまで持ち出した…みたいな感覚で、オレたちが主役の三つ巴時代ができたんですね」
「ただ、オレたちのライバル心はかなり健全だったと思いますよ」「悪質な嫌がらせや足の引っ張り合いはなかったんです」「だからオレたち三人のイメージって、全員がクリーンでしょ。永原はちょっとダークだったけど、それでもプロ意識が高いってだけで悪いイメージはないです」「永原は、いまドイツでフィジカルトレーナーの資格を取って、私立学校ではレスリングを教えています。それも当時のクリーンなイメージがあったからだと思いますよ」

―川渕と革命軍について
「川渕さんはね……オレをこの世界に入れてくれた恩人でもあるし、リングをめちゃめちゃにした大敵でもあるわけですよ」
「常にそうですが、いつの時代もプロレスは変化を求められます。最初は格闘技が流行になりそうだからと、川渕さんや関谷さん達が異種格闘技戦をやりはじめた」「それ自体は悪くなかったと思うんです。プロレスラーの強さに懐疑的な風潮もありましたし、なによりマッチメークが刺激的になって、お客さんの期待感も伝わってきましたから」
「だけど、レスラーの本業はプロレスなんです。その本業を捨てて、異種格闘技路線を主軸にするのは違うんじゃないかって、徐々に反感を抱くようになりましたね」
「あの当時、オレの上には仁村社長しか居なかったんです」「必然的にオレが正規軍の一番上で、正規軍として革命軍に対してどうするかは全てオレに委ねられていた状態だったわけです」
「オレは、最終的にはお客さんが決めることだと思っていました。自分の意見を主張して、川渕さんの話を聴いて、どっちに賛同するかお客さんに決めてもらうのが一番かなと」「だからオレは言いたいことを言って、川渕さんに正面から戦いを挑みました」「時には社長の意見を代弁したりもしましたよ」「社長は立場上、言いたくても言えない事もあったんで、オレが代わりに言うしかなかったんですね」「結局は社長も迷っていたんですよ」「社長はレスラーの強さを証明したいと誰よりも思っていた人でしたから」「だから川渕さんのやり方を全否定できなかったんです」
「最後は、リングの上で決着を付けるしかなかった」「川渕さんは上手かったですよね。南雲や須藤、瀬田なんかをたった一年で戦力にして、こちらと同等以上の人気を築きましたから」
「荻原を引き入れられた時は、正直マズイかなと思いましたよ」「観客の支持は六割が革命軍に移ってましたからね」
「ただ、それを内藤がそれを全部ぶち壊して持っていきましたよね」「お客さんは革命軍を支持しつつも、NCWPが大好きだったんです」「だから正規軍でも革命軍でもなく、内藤が持ち込んだ新しいプロレスに飛びついた」「従来のプロレスよりもスピーディ。かつ観客へのアピールに熱心で、アマレスや格闘技のムーブも積極的に取り入れる。全部取りですよ」「それでいてクールでスタイリッシュ。それが完全に上手くいってたんで、今思い出してもあの頃の内藤には勝てるかどうか…」「あの時代が出した答えは、ただひとつ。絶対的なエースである内藤だったんです」

―刈馬と一草弾について
「清水の後、しばらく(世代に)間が空いたんですよね。赤城やスロフト達がいましたけど、みんなクルーザー級でしたし、ヘビー級のレスラーは刈馬と弾がその後になるのかな」「まあそれで寮長清水の悪いイメージが定着してしまいましたよね」
「刈馬はね、本当の不良でしたね」「世代が開いたのは清水のイジメの所為とよく言われてますけど、刈馬はそれと真っ向からやりあったわけで…」「清水が包丁を持ち出したなんて話もあって、本当に二人ともよく生きてるな、と(笑い)。いや笑い事じゃないんですが」
「刈馬は本当によくデビューできたなと思うくらいの悪童で、デビュー当時はオレたちと関わる事はないだろうと思っていました」「逃げ出すか、すぐに干されると思っていたんです」

「弾の方は、一草(和英)さんの弟で、タッパもあったんでエース候補の雰囲気はありましたね」「一草さんがNCWPをやめて格闘技の方に行っちゃったんで、若い弟の方に期待がかかってました」「一草さんが『道場では俺より強い』って言ったのもインパクトありましたしね」
「初対決は、第一回インターナショナルカップの予選の決勝でした」「仁村さんとオレが日本代表としてイギリスに行くだろうと思っていたのですが、まさか最初の対決でアイツらに負けてしまうとはね…」「お客さんも大層ビックリしたと思いますが、一番ビックリしたのはオレですよ(笑い)」
「レスリング発祥の地イギリスで優勝を飾った時は、日本ではファンが大歓喜していました」「内心ちょっと嫉妬してましたよ」「ただ、ビデオを観たら、刈馬がホラー映画みたいなものすごい形相で外国人を絞めてるんです」「試合後に文句を言ってきたガイジンに対して、『強いヤツは泣き言を言わない、俺は同じ事をされても一切泣き言を言わねーよ』と言った時、コイツは格好いいと思いましたね」「永原と同じく、刈馬も氷上さんの下に居て、人が変わった人間のひとりでしょう」「でも、刈馬の場合は、良い方向に行きましたね」
「ICの後は、弾は永原とドイツに行ったし、刈馬も元のポジションで埋もれていましたから接点はそう多くなかったんですが、刈馬はタッグでよく突っかかってきましたね」
「最初は上から目線で相手をしていたんですが、すぐにそうも言っていられなくなってきて焦りました」「下の世代相手に本気になったのは刈馬が最初だったと思いますよ」
「刈馬もオレも長期海外遠征の経験がない。いわばNCWP叩き上げの選手」「それでいて刈馬はインターナショナルカップの優勝経験があるし、総合格闘技のUMFにも出場して、世界を相手に王座を奪ったりもしている。同じようで、オレとは実績が全然違ってきたわけです」「苦手意識があるわけじゃないけど、戦っていて一番難しかった相手は間違いなく刈馬でした」「オレたちの試合は本当のプロレスだったと胸を張って言えます」「彼は年下だけど、そんな善きライバルに出会えたことはこの上なく幸運に思っていますよ」

「(刈馬が、団体離脱の際に直接声を掛けてもらえなかったことを恨んでいるという話を聞いて) オレはNCWPを潰したくて飛び出したわけじゃないんです。だからあえて刈馬には声を掛けなかったんですよ」「でも電話の一本はしました。その時信じてくれなかったので、『じゃあいいか』と」「誤解されたままでは困るので、ひとつ。WN.JPの発展を願うなら、本当は誰よりも刈馬を連れて行きたかったと、そう本人には伝えておいてください」

―桧山と第三世代について
「刈馬たち第三世代の中では、桧山と東条が一番接点が多かったですね」「須藤や南雲も面白かったですけど、やっぱり一過性でしたし、瀬田は芽が出たと思ったら不幸な出来事がありましたからね」
「桧山はオレの次の次に仁村さんの付け人になった若手でした」「正規軍の一員として必然的によく話しましたし、当時オレの付け人だった東条よりも仲良かったですよ」「体もすぐに出来て、割と器用だったんで、みるみるうちに伸びていきましたね」
「海外遠征が決まった時は桧山は泣いて喜んでいました。涙もろいんですよね」「桧山は海外から戻ってきて、瀬田とのタッグで活躍したまでは良かったんですが、その後伸び悩んでました」「正直なところ、オレが上に居た影響だったと感じています」「桧山はどうしてもオレに遠慮する部分があったもので。義理堅くて礼儀正しいのは良いんですが、どうしても押しが弱かったんです」「オレが団体を離れることなんてちょっと前まで夢にも思わなかったわけだから、桧山は目の前のオレを超えていく気持ちがなければ駄目だったんですよ」「ただ、怪我を隠してやっているのも知ってましたし、仁村プロレスの後継者と呼ばれて苦労していたのも知っています」「結局、あの世代で一番損をしたのが桧山だったと思いますね」「ただ、本当にいいヤツですよ。NCWPで一番いいヤツです。それは間違いない」

―内藤と第四世代
「内藤は、何から何まで破格の存在でしたね」「オリンピックのメダリストというのがまずオレたちとは全然違います」「アマレスをびっちりやればやるほど、プロへの順応性には支障が出るものなんですが、内藤はアマでトップに立ちながらプロレスの世界でもいち早く馴染んでたイメージですね」「そこが加藤との決定的な違いで、加藤はアマレスの動きは一級品だけど、プロとしての見せ方は足りなかった」「内藤はプロとして立ち振る舞った上で、アマレスのトップクラスの技術をお客さんに見せられるんです」「これはオレや荻原、永原にも出来なかったことで、'99−'00年の内藤は、オレでさえカルチャーショックを受けるほどでしたよ」
「内藤に対抗するには、プロの技術をより高めるしかないと頑張った結果が内藤の二度目の帰国後の試合で、アイツのプロレスが目新しさを失っている間に、オレの技術はホンモノになっていたわけです」「'05年9月25日の試合はプロのインサイドワークを見せ付けることができました。オレのレスラー人生における生涯ベストバウトだと思っています」
「内藤より少し下の野村は、内藤以上に自分を魅せる事の出来るレスラーでした」「技術の水準は仁村社長に匹敵するほどだと思います」「アイツとの試合は毎回楽しかった。アイツは若くて頭が柔らかいから、咄嗟の機転が利く。アイツに勝つのは大変でしたよ」

―佐倉、石和と第五世代
「まず誤解してもらいたくないのは、オレは団体を困らせたくて佐倉を連れ出したんじゃないということです」「佐倉はオレの付き人をやっていた頃から総合格闘技に興味を示していたんです」「オレを裏切って刈馬の元へ移ったのも、刈馬にはUMFトーナメントの出場経験があったからです」「WN.JPに佐倉を連れて行ったのは、彼に総合格闘技への挑戦をさせるキッカケを与えてやりたかったからです」「もし本人がNCWPに戻りたいと言えば、オレは止めないつもりでいます」
「(石和)圭一に関しては、言い訳の余地はありません。オレがNCWPを辞めようと思ったとき、最初に相談を持ちかけたのは圭一だったんです」「最初は俺たち二人でWN.JPを始めるつもりでいました。そこにタカシでも加わってくれれば、三人でなんとかなると思っていました」
「圭一は塚間さんをも超える逸材です」「WN.JPで全国の強豪と戦うに当たって、階級的にジュニアヘビー級でのスターは不可でした」「圭一を失ったことでNCWPの受ける損害は計り知れなかったと思います」「でも、残った鈴軒たちに頑張ってもらいたいと。それはそれでチャンスなわけですから」
「(鈴木)タカシは、どうしても連れていきたかったヤツのひとりです」「NCWP時代は刈馬以来の問題児でした」「ただ、不幸だったのは、時代が彼に合っていなかったことです」「もし革命軍の混沌とした時代なら須藤や刈馬たちに混ざって存在感を示せたんじゃないかと思います」「それでもNW.JPに連れてきたのは、実力を認めているからです」「NCWP時代は噛み付かれて色々悩まされたけど、可能性があるレスラーだと感じています」「あのまま腐らせるのは勿体無いと思って声を掛けたんです」

―仁村会長と塚間氏について
「仁村社長には返せないくらいの恩義があります」「あの人とは入門当時からベッタリでしたから、叔父のような存在でしたね」「とにかく厳しい人でした」「社会人としての常識を教えてもらったり、食事奢ってもらったり。思い出はたくさんあります」「ずっと世話になりっぱしで…。恩を返そうとしているうちに、それがいつの間にか二人三脚のような関係になってしまいまして……」「けど、オレが社長に就任して、NCWPのトップ戦線から退く話が出てからは、レスラーとして自分はいらない人間かも知れないと思うようになってしまって…」「もし、未来が見出せなくなったとき、人はやめるしかないでしょう?」「オレの場合、やめるのはプロレスではなくてNCWPだったわけですが」
「会長との不仲説が流れましたが、そんな事はありません」「それは送別試合でわかってもらえたと思います」「オレにとって仁村会長は永遠の師であり、切っても切れない家族のような存在ですよ」
「塚間さんに関しては、共に正規軍として戦ってきた盟友で、偉大な先輩でした」「尊敬していますし、本当に大切な仲間でした」「先輩たちよりも待遇が良かったオレですが、レスラー人生で本当に辛いときに助けてくれた先輩は仁村さん以外には塚間さんだけでした」「今は彼が社長業をついでくれていますからね」「人望も厚い人ですし、オレよりも上手くやってくれると信じています」

―恋愛と趣味について
「高校時代にできた彼女はオレの人生を変えてくれた人だったと思います」「お互いに夢を追う過程で一緒に居られなかったんですが、彼女と過ごした日々は青春だったかなと(照)」「いまの奥さんとはNCWPの活動休止期に出会いました」「当時のオレは事務方の仕事が忙しかったんで、ジムで体を鍛え直す必要がありました」「その時、偶然知り合ったんですね」「最初に声を掛けられた時はファンの子かと思ったんですが、彼女はオレのことをまったく知らなかったらしいです」「女優を目指している彼女に共感して色々話しているうちに……ですね」「仕事柄、女性を紹介されることも多いのですが、あれ以降は丁重にお断りさせていただいていますよ」
「趣味は読書ですね」「移動が多かったもので、バスの中での暇つぶしは必要でした」「高校時代の彼女の影響で少女マンガもたまに読みますが、活字が多いです」「いや本当に……」

―レスラー人生を振り返って
「振り返ってみると辛いことばかりですが、幸せなレスラー人生だったと思います」「後悔は何もありません」「何事も最初は報われないものだと思います」「だけど、やり続けるうちに、ある日突然大きなプレゼントが届くんです」「たぶん、登っている山っていうのは、ずっと登っているように錯覚するんだと思います」「でも知らないうちに峠を越していたりするんでしょうね」「人生って、諦めないで頑張っていれば自分でも気が付かないうちに山の頂上に辿りついているものだと思います」「中には、内藤のようにすぐに登りきってしまう人もいますが、結局は同じことなんです」「特別な人なんて誰も居ません。皆、一歩一歩山を登っていくしかないんですね」
「大舞台のプレッシャーに弱いとは、よく言われてきました」「それは高校時代もそうだし、大学四年生のインカレ決勝戦でもそう」「オレは結局克服しきれなかったのかも知れません」「だけど、ファンの皆の後押しがあれば、プラスアルファの力が加わります」「その時はオレは決して負けないですよ」「でも実は、そんなファンが怖くなったことが一度だけあります」
「'99年前後から、ネットを使ってファンの声を確かめるようになりました」「それまでもファンレターで厳しい言葉はもらっていたんですけど、オレたちの試合を悪意の目でみているファンが居るとは思わなかったですね」「ファンを信じられなくなったとき、オレはファンが怖くなりました」「だけど、悪意を持っているのはオレのファンではない事に気づいて、オレは変わりました」「世の中にはいろんな立場、考え、思想を持った人たちがいます。中には悪意を持ってオレの試合を観ている人もいるかも知れないけど、オレは応援してくれるみんなを信じるだけなんです」「ファンはオレたちに大きな力を与えてくれます」「ファンと共に歩く未来が、レスラーの生きる道だとオレは気付いたんです」
「これからもオレは信じる道を突き進んでいきます。そこにファンの皆の喜べる明日があることを、信じて進んでいきますよ」

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―NCWP会長 仁村 賢利(印)

 

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NCWP復帰後初の武道館大会のメインイベントをキンコロで再現!

日本チャンピオンシップレスリング頂上決戦
NWWCヘビー級選手権試合
式島 和也
(挑戦者)
VS 刈馬 雅史
(王者)

 

ファイプロだと地味〜な攻防も、キンコロだとダイナミック!

式島のスタイルはキンコロの方が映えるかも…。

でも、ロジックの不十分な式島は弱すぎた・・・

イングラムプラントも出せぬまま、早々に玉3つを消耗。

先に作った刈馬は比較的完成度も高く、じっくり攻めてから魂技へ。

終盤の魂技で刈馬が逆転勝利。

 

 

 

 

 

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*当ページでは(株)スパイクのファイヤープロレスリングシリーズの画像を使用させていただいてます。

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