一月が経ちました。やっと、ともまだ、とも思います。
今思っていることの一部を、楽しい話ではないけれどちょっとだけつらつらと。
[一月経って思うこと]
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気付いたら一ヶ月が過ぎていました。
感覚的には、まだ三月下旬のような気がしています。
最初の二週間程は良く分からないままに時間が過ぎていた気がしていたので、そのせいかもしれないです。
私個人は、職場に出勤し、普通に家で生活をし、ネットに接続することさえ出来ています。
ですがひとたび外を見回せば、崩れた建物や落ちそうな瓦を土嚢で押さえている家があちこちにあり、少し東に向かえば、津波が押し寄せた痕が広がっているようです。
昨日買い物に出掛けた時、4号線バイパスからほんの少し東側に行った田んぼに瓦礫が落ちていたり、道路にひび割れや陥没あるのが見受けられました。
津波の影響でバイパス側まで水が迫っていたそうです。
(仙台東部道路の合間合間にあるトンネルを抜けて、水が流れたようです)
その近隣の小学校の裏側には自衛隊のテントが張ってあり、洗濯物が干してありました。自衛隊の方々はずっとそこに寝泊りしながら支援活動をしているのだそうです。
一月経って、被害が少ない地域はだいぶ復旧してきています。
先週の余震でまた断水等が起きていますが、それ以前にはライフラインは復旧してきていました。
閉まっていた店が開き、ガラガラだった棚に商品が並ぶようになり、ものに寄っては品数は少ないですが、普通に買い物が出来るようになりました。
ガソリンだって、もう並ばずに入れることが出来ます。
郵便や宅配便も、ほぼ以前と変わらない速さで届くようになってきています。
それぞれがそれぞれの仕事を一生懸命に勤めた結果、なんだと思います。
余震が続く中、停電や断水の復旧を待ちながらじっとしている間に働いてくれた方が居て、今もそうやって動いている方々がいて、お店や流通だって、働いてくれる方々がいるおかげで動いていて、そうして元通りとはいわないまでも通常の生活が送れていることに本当に感謝してもしきれないです。
無事な場所と被災している場所の差が激しくて、時々、こんな暢気に生活していていいのか悩むこともあります。
でも悩んでいても何も生み出されないのだから、自分の仕事だったり募金だったり、とにかく今やれる事を少しずつやればいいのかな、と考えることにしてます。
宮城は魚介も野菜も果物も米も美味しい所だよ、遊びにおいで。
そう他の地方の友達に話したことがあります。
でも今は漁業も浜沿いの農業も多大な被害を受けて、どうなるか分からなくて、本当に切なくなります。
でもいつかまた、遊びにおいで、と言える日が来ることを信じたい。
そう思っています。
二次創作サイトなのに地震の話ばかりで申し訳ないです。
こんな話しか書かないなら日記書かない方がいいかとも思うんですが、今日だけは勘弁してもらえれば嬉しいです。
こんな事を書いてはいますが、おかげさまで本人至って元気です。
通販や本屋で新刊が買えたと喜んだりしてますので。
そろそろなにか描けたらと思ってるので、描けた時にはアップしに来ますー