戻る

 

 

 


選手紹介


 

 


第一世代(NWC初期世代)


_
_



所属陣営
"正規軍"

得意:テクニック 9、絞め 9
弱点:首、腰、足

 NCWPの初代社長であり、同グループのCEOも担う。
 アメリカのプロレスラー"ハーレー・デイビット"のもとで米国マットでプロレスデビュー。帰国後に同志達と理想のプロレスを目指し、“日本レスリングチャンピオンシップ”を旗上げした。
 身長180cmそこそこと、レスラーとしては小柄だが、腕っ節が強く、若い頃は道場では敵なしだった。当時「仁村にはシュートを仕掛けるな」と外国人選手に影で囁かれていたという逸話も残っている。
 NWC時代より全てのタイトルを獲得し、“プロレスの達人”の異名を持つ名レスラーであると同時に、世界中にネットワークを持つ国内屈指のプロモーターでもある。
 最近では子会社の警備会社を業界第3位にまで押し上げ、ビジネス面での成功も収めているが、内臓を患いレスラーとしての引退は時間の問題と言われている。
 現在は階級を下げ、クルーザ級ギリギリの体重となっている。

 仁村の趣味は、本人が言うには仕事との事。刈馬に言わせれば『趣味はプロレス』で『仕事は会社経営』。付き人の佐倉に言わせれば『趣味はお説教』だそうだ。


_


所属陣営
"TEAM VICIOUS"

得意:テクニック防御 10
弱点:腰

 日本レスリングチャンピオンシップ初期のメンバー。当時は仁村越えを目指す選手の一人だったが、後にNCWPの絶対的なエースとなる氷上龍斗の移籍の件で仁村と対立。2年後にNWCを退団する。
 NWCの退団後、いくつもの団体を渡り歩き、過激なデスマッチも経験し、インディートップの実力者と称される選手にまでなっていた。
 数多くのデスマッチを経験してきたが、"人間解体屋デスマッチ"と題されたノールールの有刺鉄線デスマッチは伝説となるほどの壮絶な試合であった。
 不景気の煽りで所属団体が次々に倒産したのを受け、約15年ぶりに仁村と話をつけてNCWPに参戦。仁村とのシングルマッチで22分を越える死闘を展開し、最終的に和解が成立した。
 晴れて新生NCWPの一員となったが、02年10月には心境の変化か、無言のまま再びNCWPのリングを離れた。
 04年、NCWPで骨をうずめる覚悟で再び参戦した坂田は、翌年には刈馬らとチーム ヴィシャスを結成、仁村社長に反旗を翻した。

 坂田は勝負事が好きな事で有名。若手レスラーとも気さくに勝負したりしている。以前、プロレス雑誌の編集長との賭け麻雀でボロ勝ちし、紙面を牛耳った事もあるとか。

_

_


所属陣営
"正規軍"

得意能力:エルボー 6、
 パワー 6、瞬発 7
弱点:腰、膝

 氷上全盛期の時代に、ジュニアという世界で生まれたスター選手。
 NWCジュニアの初代王者であり、三度に渡り、統一クルーザー級王者にも輝いている。
 NCWPのジュニアの歴史にはどのページにも塚間がおり、サヴァーグ、赤城らとの戦いの歴史はいまだ色あせてはいない。
 体格差に泣いた若手時代、なりふり構わず全力でぶつかっていくファイトで独自のスタイルを確立し、抜群のスタミナと豊富な運動量でヘビー級とも闘ってきた。
 破壊力抜群のサンダーファイヤーパワーボムはいまだ健在。引退も近いと言われているが、引退を迎えるその日まで、特攻魂の炎は輝き続けるだろう。

 塚間はこう見えてお笑い好き。芸人の友達も多く、寄席のライブでも何度か姿を目撃されている。

_

 NCWPの歴史を語る上で、第一世代に当たるのは、NWC創設から氷上龍斗全盛の時代に活躍した選手たちである。
 この時代の中心的レスラーと言えば、氷上龍斗以外にはいない。氷上は絶対的なエースで、仁村社長を含め、他の日本人レスラーは氷上に比べれば格下の存在であった。そう考えると、NWCでの出世を早々に見切りをつけ、外のリングに戦いの場を求めた坂田の判断は誤っていなかったのかも知れない。
 当時は、WGAのスタック・ジーガルをはじめとした強力な外国人勢と、氷上・仁村ら日本人の対決がメインであり、まさに世界に名だたる氷上龍斗、世界に冠たる日本レスリングチャンピオンシップという時代であった。
 なお、塚間道正や弾の兄である一草和秀などは第二世代との分類が難しいが、第二世代の主力選手が活躍する前にも活躍した選手という事で、ここでは第一世代に入れた。新世代革命軍を立ち上げた川渕も第一世代に入る。

 

 


第二世代(NWC後期世代)


_


所属陣営
"正規軍"

得意能力:テクニック 9、
 テク防御 9、叩きつけ 10
 受け身
弱点:特になし
 (強いて挙げればラフ防御)

 NWCの時代から10年以上、正規軍のエースとして活躍し続ける式島。
 三つ巴の次期エース争い、革命政権時代、チーム乱立の日本チャンピオンシップレスリング戦国時代を経て、刈馬・式島時代と言われる現在に至るまで、常にNCWPの中心にいた。
 細やかなテクニックと大胆な大技、安定した受け身の上手さは並ぶ者がなく、2004年に見せた凄みと深みはNCWPの歴史に残る王者と言って良い。
 ただ、2004年10月に起きた事故の影響で、式島の全盛期はその年の武道館で終わったという声もある。
 05年、その声を跳ね返すかのように、NCWPに戻ってきた内藤を破り、NWWC世界王座を防衛。鬼門と言われた年末のタッグトーナメントでも初優勝を飾った。
 天敵刈馬に敗れてベルトは失ったが、式島の輝きはまだ色あせる事を知らない。

 式島は読書家として有名。バスでの移動中は常に読書をしているとか。ただ、読む本の50%は漫画だと言う説もある。
 2005年6月に、某舞台女優との婚約を発表。ジューンブライドにはならず、挙式は8月に行われた。

_

_



所属陣営
"フリー"

得意能力:エルボー 8、反撃
弱点:膝

 氷上龍斗の引退後、式島・永原と並び、日本チャンピオンシップレスリングの次期エース候補として凌ぎを削った選手。
 レスリングの下地はあるものの、体格面で恵まれなかった荻原は、イギリスで学んだランカシャースタイルを軸にエルボーを多用する当時としては革新的なスタイルをNCWPに持ち込んだ。
 カナダ遠征からの帰国後、新世代革命軍に身を置いた荻原は、革命軍荻原派として刈馬らと共に活躍。その後はNCWPを離れ、イギリス・カナダでレスリングスクールを開くなど次代の育成に心血を注ぐ。
 しかしレスラーとしてやり残した事があると語り、2004年の9月にNCWPに帰ってきた。
 現在ではやや古臭く感じられる荻原のレスリングだが、ノーザンライトブレイクことリバースのノーザンライトボムはいまだ絶大な破壊力を誇っている。

 荻原は今も家族と共にカナダで暮らしている。日本へ戻る予定はないそうだ。

_

_


所属陣営
"NELF HERDER"

得意能力:ラフ 8、テク 7
弱点:特になし
 (首をやや痛めている)

 式島や荻原、永原、スロフト兄弟らと同じ第2世代を代表するレスラー。
 90年代の日本レスリングチャンピオンシップ寮の寮長として有名で、若手いびりの清水としてヤングタイゴンからは嫌われていた。
 長く中堅に埋もれてたが、1998年に“ロイヤルファミリー”を結成した事で大きく飛躍を果たす。伊藤、永原、東条と組んだロイヤルファミリーはいまでは伝説となっている。
 NCWPが活動休止してからは、アメリカのAWF、関西の西海上プロレスを渡り歩き経験を積み、2003年にNCWPに復帰。西海上プロレスの仁志多や月原と共に"ナーフ・ハーダー"を結成。ナーフで再びNCWPを席巻した。
 体格差のハンデをラフ&テクニックと頭脳で補う清水。必殺技のロイヤルストレッチには、ロイヤルストレッチSS(スタンディングスリーパー)、ロイヤルストレッチS(中腰状態で決めるタイプ)、ロイヤルストレッチR(リバース)と3パターンがある。

 時代の移り変わりと共に、イギリス人のベッ○ムヘアーから韓国人のヨ○様ヘアーへと変えた清水。今回の髪型はあまり似合っているとは言いがたい。
 清水はよく、こうすれば女にモテると説き、若手の心を巧みに操るが、清水のおかげで上手く行ったという話は聞いた事がない。

_

 日本レスリングチャンピオンシップの歴史は、94年の氷上の長期欠場によって大きく変動する。
 それまで絶対的な存在であった氷上だが、それゆえに肉体・精神両面で激しく疲弊し、もはやレスラーとしての限界を迎えていた。
 だが、氷上の次のエースとして期待された一草和秀は、格闘家としての夢を追い求めNWCを離脱。次期エース不在のまま、NWCの未来は3人の若いレスラーに託される事となる。
 永原、式島、荻原、それにスロフト兄弟の兄サヴァーグ晃を加えた四選手が第二世代を代表するトップレスラーである。
 しかし、次期エース争いは永原のリードのまま決着がつかず、次の世代の台頭を迎える。

 

 


第三世代(NCWP初期世代)


_


所属陣営
"TEAM VICIOUS"

得意:チョップ 8、パワー 8、
 絞め 9、叩きつけ 9、タフ
弱点:テクニック防御、肩

 伝説のレスラー氷上龍斗の一番弟子。
 かつては一草弾とレッスルエンペラーズを結成し、勝てない相手には凶器を使って向かっていくなど、NCWPでは異質な暴れん坊だった。
 とにかく反骨精神が強く、若手の頃から「負けん気だけなら師匠以上」と言われ、一度暴れ出すと誰の手にも負えなかった。
 96年のインターナショナルカップ優勝の後、革命軍入りしてからは周りに押され、やや目立たなくなっていたが、その間にも着実に力をつけ、99年には新皇杯優勝とNWC王者獲得、師匠氷上越えを果たし、NCWPの中心的レスラーにまで成長した。
 2002年には初代WWC/NWC統一世界王者に輝き、日本人として初めてWWC世界王座を獲得。
 2002年以降、現在は刈馬・式島時代と言われ、NCWPを代表する2大メインイベンターとして団体に君臨している。
 なお、刈馬には若手時代の黒タイツ時代や、サヴァーグと組みマスクマンとなっていた頃のX(エックス)カリバー時代、荻原とのタッグで黒タイツに戻した時代など、まだまだ語られていないエピソードも多い。

 刈馬の趣味はスポーツ。観戦するスポーツと自分でやるスポーツで色々と拘りがあるようだ。師匠の氷上龍斗と同じくスキーやスノボーは大好きだが、球技はちょっと苦手らしい。当たり前だが女子テニスは見る専門。

_

_

所属陣営
"G-UNIT"

得意能力:蹴り 9、関節 8
弱点:飛び技防御、ラリ防御

 NCWPのトップレスラーでアジアの格闘王と呼ばれた一草和英の実弟。デビュー後すぐに実績を残し、デビューからわずか3年でインターナショナルカップ優勝、WWC世界無差別級タッグ王者となった。
 王座陥落後は永原の付き人となり、4年に渡って道を共にする。
 学生時代から兄のスパーリングパートナーを務めており、格闘家しての技術力は高い。
 NCWPの選手で総合格闘技でもっとも活躍できるのは間違いなく一草だと言われてきた。
 プロレスではインターナショナルカップに3大会連続で出場し、2大会連続制覇の記録を持つ。
 長くシングルでは目が出なかった弾だが、世界の強豪との戦いでは実力を示し、2003年にはNWWC世界王者に。20005年には新皇杯のタイトルも獲得し、覇者の栄光を手にした。
 NCWP最強のチームG-UNITで活躍を続ける弾だが、かつて最強タッグといわれた刈馬との再結成を望む声もいまだに多い。果たしてその日は来るのだろうか?

 一草の趣味は意外にもTVゲーム。だが、これまで趣味のあう人間がおらず、一人寂しく遊ぶ姿が何度も目撃されている。

_

_


所属陣営
"正規軍"

得意能力:腕力 8、絞め 9
弱点:首、ラフ防御

 若手時代から類稀なるグランドの巧さを見せ、体格面でも優れていた事から仁村プロレスの後継者と目されてきた。
 首の負傷で前座と中堅の間を往復していたが、元UMFの瀬田とコンビを組んだ事でトップまで浮上。ひとつ下の世代のフリーバーズと激しい生存競争を繰り広げた。
 だが、内藤らフリーバーズに追い抜かれた形となった2000年以降、桧山の株は急落。
 メインイベンターの中では最も魅力のない選手とまで言われ、スランプに陥ってしまった。
 2004年には、髪を剃り肌を焼いてイメージチェンジを図り、苦労に苦労を重ね、ようやく後輩の野村から東洋王座を手に入れたが、今後も野村・佐倉ら若い世代との抗争は避けられないだろう。

 桧山に関してはリング上よりもリング外での方が面白いエピソードが多い。
 話のタネになるほどの人の良さは桧山にとって長所なのか欠点なのか。

_

_


所属陣営
"G-UNIT"

得意能力:パンチ 10、蹴り 7
弱点:頭、叩きつけ、ラリ防御
 、飛び技防御、テク防御

 瀬田は、18歳でNCWPの入門テストに合格するも、デビューを迎える前に夜逃げ。その後、格闘技に転向し、再びプロレスへ戻ってきたという変わり者。
 旧UMF時代は強烈なパンチで大器の片鱗を見せていた若手の有望株。
 川渕にスカウトされ、新世代革命軍の一員として、須藤、南雲らと同期でNCWP入り。
 1999年に海外遠征から戻ってきた桧山とタッグを結成し、トップ戦線へ。
 だが、2000年8月に参加したUMFトーナメント1回戦で空手出身の高木と2時間を超える凄絶な打撃戦を繰り広げ敗退。格闘技史上に残る熱戦の代償は大きく、2年にわたる長期欠場、シングルマッチの不振、ロングマッチでのスタミナ不足とその後の瀬田の運命を大きく変えてしまった。
 必殺技はダイナマイトパンチラッシュ。193cmの長身から振り下ろされるパンチは強力無比。

 瀬田の趣味は競馬。最近言われている一草との距離が離れた原因も、趣味の競馬にあるようだ。

_

 1996年は激動の年であった。95年を最後に日本レスリングチャンピオンシップ(NWC)の社名は日本チャンピオンシップレスリングプロフェッショナルズ(NCWP)と変更となり、荻原が英国へと旅立ち、絶対的なエースであった氷上が引退し、そして史上初となるタッグマッチによるプロレスインターナショナルカップが開催された年である。
 そのインターナショナルカップ予選で、圧倒的有利と見られた仁村・式島組を破って、本戦出場を果たしたのは、ヤングタイゴンの刈馬雅史と一草弾であった。刈馬と一草は本戦トーナメントでも奇跡の優勝を果たし、世界最強のタッグチームとして凱旋。しかし、帰国した彼らを待ち受けていたのは川渕の反乱だった。
 97年の川渕の反乱以降、仁村・式島らの正規軍と川渕・赤城・刈馬らの新世代革命軍の抗争で、NCWPマットは荒れに荒れた。
 混沌とした状態に嫌気がさした永原は一草弾を連れヨーロッパへ。代わりに帰国した荻原、桧山らを加え、激動の世紀末を迎える。
 この激動の時代に頭角を現す第三世代に当たるのは、刈馬、一草、桧山、瀬田、南雲、須藤、東条ら。革命軍の川渕が行ったスカウト活動の成果もあり、最も粒が揃っていた世代と言える。

 

 


第四世代(NCWP初期最後の世代)


_


所属陣営
"フリーバーズ"

得意能力:投げ 10
 スーパースター
弱点:打撃防御、蹴り防御

 内藤は'96年のアメリカオリンピック レスリングフリースタイルの銅メダリスト。
 オリンピックのすぐ後にNCWPのスカウトを受けてプロ入りを宣言。あまりにも早い決断に業界内外で驚きの声が上がった。
 仁村社長の方針により、他の練習生と同格の扱いで下積み生活を送り、新人時代は塚間の付き人を勤める。
 ヤングタイゴン時代はダブルアームスープレックスの破壊力には見るものがあったが、アマレスからの転向の代償として打撃に極端に弱く、得手不得手の多い選手だった。
 デビュー2年目の後半に海外修行に出発し、アメリカWWCに参戦。
 ヤマトタケルというイロモノキャラから何度もキャラクターを変え、最終的には和洋折衷コスプレのタカ・ナイト(TAKA KNIGHT)に落ち着いた。
 海外での活躍を経て、凱旋試合ではサンダーファイヤーパワーボムを初披露。塚間から盗んだフィニッシュホールドでスターの本能が完全に覚醒。
 受けきって勝つスタイルとアメリカ仕込みの派手なパフォーマンスやマイクアピールで人気を独占し、新皇杯では初出場初優勝の快挙を成し遂げる。
 氷上以来20年に一人の逸材と言われた内藤だが、NWC王座を持ったまま2000年に団体を離脱。西海上の最強トーナメントを制した後に再びアメリカマットへと戦いの場を移した。
 2005年、AWEとの騒動を機会に事実上アメリカマットを追放され、日本のリングへ戻ってきた。
 マット界の鍵は内藤が握っていると言っても過言ではない。
_

_


所属陣営
"G-UNIT"

得意能力:投げ 7、関節 7
 投げ受け身 9、根性
弱点:首、腰、打撃防御

 兄である加藤レフェリーのコネとアマレスインターカレッジでの実績と根性を買われてNCWP入りしたレスラー。
 内藤の影で注目されなかったり、海外修行ではとんだ目にあったり、遠征中にNCWPが活動停止に陥ったり、帰ってきたら刈馬に良いように遊ばれたり、G-UNIT入りを果たせばG-UNITの穴だと叩かれたり狙われたりと、本当に雑草のような扱いを受けてきた。
 しかしながらタッグではそこそこの実績を残してきており、2004年のインターナショナルカップ予選では、事故の影響を受けた瀬田に代わり一草の正パートナーに。予選を優勝し、怪我を押して出場した本大会でも世界ベスト4の結果を残した。
 だが、世間は冷たく、瀬田と野村が怪我した時点で刈馬と一草が組むべきだったと批判され、加藤の健闘はあまり評価されていない。
 加藤の根性ならぬ魂性が実を結ぶ日は来るのだろうかはないが、G-UNITの雑用係もしている。特に趣味はないようだが、よくパチンコで暇を潰している。最近は競馬も始めたが結果は芳しくないようだ。
_

_


所属陣営
"フリー"

得意能力:腕力 8、ラフ 8
弱点:関節防御、テク防御

 NCWPで生まれWGAで開花した次代のトップ選手。
 派手さはなかったが、ヤングタイゴン時代からファン・関係者の評価は高く、野村を巡る派閥争いも度々起きていた。
 自ら望んだ海外遠征でWGAへ参戦し、スナイパーらとの抗争を経てWGA世界タッグ王者まで上りつめた。
 帰国後は25歳という若さでNCWP東洋ヘビー級王者に。NWCヘビー級王座時代も含めて史上最年少の王者となった。
 派手な外見に似合わず、玄人受けする試合運びは、NCWPとアメリカンプロレスを上手く融合していて、仁村社長からも「NCWPが胸を張って誇れる王者」と評されるほど。
 身長181cmと決して大型ファイターとは言えない野村だが、必殺技のアルゼンチン・バックブリーカー・スープレックス・ホールドの豪快さは、野村ならでは。

 野村は意外と派手好きである。休みの日はビシッとにキメた恰好で真っ赤なボディカラーの車やバイクを乗り回し、関越道をドライブするのが趣味だとか。

_

 第二、第三世代は優秀な選手が数多く揃っていた世代であった。
 しかし、氷上龍斗という絶対的なエースに続くカリスマと実力を兼ね備えたレスラーはついに生まれなかった。
 また、革命軍と正規軍という組織対組織の対立構造の中で、個が潰されていた時代でもあった。1998年に大成功した清水のロイヤルファミリーを見ても、"誰が"という時代ではなく、"誰と誰のチームが"という時代であった。
 そして、ロイヤルファミリーが終息し、革命軍が崩壊寸前となった2000年に、ひとつのチームが誕生した。内藤・赤城・東条の3名による”フリーバーズ”である。
 96年のオリンピックレスリング銅メダリストで、97年に鳴り物入りでデビューを果たした内藤だが、最初からスターロードを歩んでいたわけではなく、デビューからの3年間はスープレックスがずば抜けているだけのただの若手選手であった。
 だが、WWCでの海外修行から帰国した内藤は、実力とカリスマを兼ね備えたレスラーとなり、圧倒的な存在感でNCWPを席巻。氷上龍斗以来、20年に1人の偉大なレスラーがここに誕生する。
 第四世代とは、NCWPが活動停止に陥るまでにデビューした最後のヤングタイゴン達を示す。代表選手は内藤だが、後に活躍する野村も第四世代に入る。

 

 


第五世代(新生NCWP世代)


_



所属陣営
"TEAM VICIOUS"

得意能力:瞬発 7、ラフ 7
弱点:叩きつけ、ラリ防御

 新生NCWPデビュー第一号の新人である鈴木。
 不良グループの頭であった鈴木は、デビュー前からトンパチぶりを語るエピソードに事欠かない。
 だが、海外修行を境に同じヤングタイゴンであった"年下の先輩"野村とは大きな差がついてしまった。
 2005年、佐倉と組んで巻き返しを図る鈴木。今年で存在感を残せなければファイヤーS入りする事を公言。
 道着にグリーンタイツといったサンボ風の新コスチュームは覚悟の現れか。自ら崖っぷちに立って勝負をかけてきた

 桧山の付き人を勤めていたが、桧山いわく全然役に立たなかったらしい。自分が付き人だった頃を見せてやりたいと言うのは桧山談。

_

_


所属陣営
"TEAM VICIOUS"

得意能力:投げ 7、瞬発 7
弱点:特になし

 プロレスラー佐倉了の甥。
 会社の社長であった父が倒産を苦に自殺し、借金の返済と残された弟と妹を養うために大学をやめて叔父の紹介でNCWPに入団した。
 189cmという高身長と高い瞬発力、圧倒的な当たりの強さで、将来を有望視されている若手レスラー。
 だが、デビュー1年で仁村社長を破った事で、他の新人レスラーとは比較にならないプレッシャーを背負う事になった。
 佐倉はこのプレッシャーをはねのけてキングスロードを歩む事ができるのか、それとも試合内容の伴わない未完の大器で終わってしまうのか。未来は誰にも予知できない。

 式島の付き人を務めた後、2004年末から一年ほど仁村社長の付き人となり、時々お説教を食らう日々を送った。
 その後、刈馬の元へ走り、TEAM VICIOUS入り。
 NCWPの名だたる名選手達の下で、様々な事を学んでいる。

_

_


所属陣営
"正規軍"

得意能力:パンチ 6、瞬発 7
 打撃防御 7
弱点:叩きつけ、ラリ防御

 同期の佐倉と共に新生NCWPの入門一期生となった石和。
 プロボクサーを目指していたが、プロレスに一目ぼれ。ボクシングを辞めレスリングへの転向を果たした。
 NCWPでは邪道と言われたタシュアルに憧れていたため、石和のファイトはややルチャかぶれした印象を受ける。
 NCWPイチの練習好きでもあるが、石和と同じ練習量を平然とこなす佐倉にはなかなか追いつけず苦悩している。
 石和には新時代のジュニアを背負って欲しいというのが皆の願いだが、本人は打倒佐倉の為にヘビー級への転向を考えているかも知れない。

 04年から式島の付き人を務める。読書家の式島にたまに買いに行かされる少女漫画が死ぬほど恥ずかしいが、それさえなければ勉強になって嬉しいとの事。

_

_



所属陣営
"NELF HERDER"

得意能力:パワー 9、腕力 8
 スタートダッシュ
弱点:蹴り防御、
 投げ受け身他

 2004年デビューの新人レスラー。
 ハンマー投げを得意とする元陸上競技の選手で、日本屈指のアスリート。
 入団からデビューまで4ヶ月というNCWP10年の歴史上最速の記録でデビューを飾った。
 試合の荒さは如何ともしがたいが、先輩である石和や佐倉が新人らしくないため、加宮のファイトは新鮮で良いというファンも多い。
 性格面でやや積極性に欠けるのが将来問題となってしまうかも知れない。

 そのパワーを買われて清水のナーフ・ハーダー入り。清水の付き人として早くも苦労させられている。「プロレスやめようかな」と時々相談される鈴軒も困り顔。

_

_

所属陣営
"正規軍"

得意:瞬発 6、飛び防御 5
弱点:打撃防御、ラリ防御
 投げ受け身、叩きつけ他

 身長163cm。NCWP史上最小の新人レスラー。
 石和や佐倉と同年に入門しつつも、デビューは加宮と同じというのが本人にとっては負い目になっている。
 小柄な体格を活かした動きは鋭くトリッキーだが、技の威力に欠け、ヘビー級の相手には通用していない。

 05年7月、デビューから1年半で統一クルーザー級王座を獲得。
 このタイトル獲得は、当時の王者塚間が肉体面で限界に来ていた為で、幸運によるものというのが周囲の評価だが、デビューから最短で同王座を獲得したこの記録は語り継がれるだろう。

 デビュー前から塚間の付き人を勤めているが、話し上手の塚間から苦労話を聞かされると、最近はいつも泣いてしまうそうだ。
 ファイトスタイルは違えど、鈴軒が塚間の後継者と呼ばれる日も来るのかも知れない。

_

 内藤の登場と共にNCWPは変化を余儀なくされた。それまで『自分こそが次代のエース』と信じてきたレスラー達は、全てが内藤にとっての越えるべき壁へと変わり、正規軍を含め全てのチームはフリーバーズにとっての敵、ファンにとっての敵となった。
 このシチュエーションに最も闘志を燃やしたのが刈馬だったが、他の選手も内心快くは思っておらず、彼らのモチベーションの低下が団体やファンのフリーバーズ依存を強める結果となった。
 しかし、内藤の時代はあっけなく終わりを迎える。2001年のドーム大会を最後にNCWPは活動を停止。内藤を含め、数多くの選手が団体を離脱した。
 残った選手は仁村社長の経営する警備会社の契約社員となるか、あるいは各自にアルバイトで生計を立てつつ、NCWPの道場に通う日々を送る事となった。
 そして2002年、残ったわずかな選手と海外の選手で再出発を果たしたNCWPは、正道派のプロレス団体として新たな闘いの歴史をつむいでいく。
 第五世代と言われるこの世代は、新生NCWPデビュー第一号の鈴木から、2002年入門の石和、佐倉、鈴軒、そして2003年入門の加宮ほかの選手達を示す。第四世代から長く間が空いた為、この第五世代がNCWPを背負って立つのはまだまだ先の事かも知れない。しかし、その時は必ず来る。その時、NCWPのチャンピオンとして団体の顔となるのは、果たしてどの選手か。

 

 

 


無世代枠(他団体出身選手ほか)


_


所属陣営
"TEAM VICIOUS"

得意能力:投げ 6、瞬発力 7
 飛び技防御 8
弱点:特になし

 2001年に2度目の不渡りを出し倒産した南日プロレスの元社長。
 父から受け継いだホテルを経営する傍ら巡業を行っていたが、不況の煽りを受け。借金返済のためにホテルも人手に渡ってしまった。
 以後、フリーとなった佐藤は、2002年6月、トップレスラーになるという夢を叶えるべくNCWPへ入団。慣れないヘビー級の相手に苦戦しつつも、徐々に実力を発揮、翌2003年3月には統一クルーザー級王座へ挑戦。初挑戦にして、見事ベルトを奪取した。
 必殺技はバックドロップホールド。長年使い続けているだけあって、彼の投げには独特の華がある。
_

_




S

所属陣営
"フリー"

得意:特になし(ALL 5)
弱点:特になし

 NCWPの中堅レスラー。
 イニシャルがSの中堅選手をひとまとめにしてファイヤーSと呼ぶ。
 あまりぱっとしない選手がファイヤーS入りする事は良くある。
 前座からメインまで幅広くこなすが、トップ戦線から見放された選手達が殆ど。
 外国人のファイヤーS以外で唯一ベルトを取ったのがF須賀。
_

_





所属陣営
"フリー"

得意能力:瞬発力 5
弱点:打撃防御、蹴り防御、
 投げ受け身、叩きつけ他

 NCWPの若手レスラー。
 タイゴンというのは虎と獅子の混血児で、「虎の子として生まれ獅子に育てられたプロレスラー」としてこの呼び名がついた。
 ヤングタイゴン同士の試合は技の攻防というよりは気持ちのぶつかり合いが見どころになる。
 ヤングタイゴンにはNCWP3年目のジンクスと言って、デビュー3年目に急成長する傾向があり、実際のライオンと同じく4年で一人前と見なされる。
_

 南日プロレスで生まれ育った佐藤は、NCWPの世代の枠には当てはまらない。ファイヤーSやヤングタイゴンも複数の選手の総称の為、特定の世代というものは存在しない。