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ファイプロDのエディットレスラー達のストーリー
書籍&インタビュー記事

     
  ■ TOPICS

■式島 和也自伝 南船北馬の旅 〜式島和也。世界でもっとも愛されたプロレスラー〜が発売
NCWPでトップレスラーとして過ごした二十五年間。第二代社長就任の裏事情。そして見果てぬ夢を追い立ち上げたWN.JP。式島の全てがここにある!!

―プロレスラーになるキッカケについて
「親に連れられて初めて観戦したプロレスが日本チャンピオンシップレスリングでした」「決断したのは高校入学したとき」「ふと自分の人生を思って、『オレはこれからどうやって生きていくのだろう』と考えたとき、プロレスラーのように強くなりたいなと」「当時は学生が荒れてた時期で、強くなければ生き残れないとそう思ったんです」「刈馬やタカシみたいなのがいっぱい居た時代だったんですよ(笑い)」「その直後、偶然に……学校でレスリング部の勧誘が行われていまして、オレは背が大きかったもんで声を掛けられましてね。二つ返事で入部を決めました」「あの時、先輩は驚いてましたね。いま思えばあれも運命だったのかなぁと思います」

―アマレス時代について
「プロレスラーになろうと思ってアマレス部に入ったんですが、アマレスはそんなに甘い世界じゃなくてね。初めてすぐに大怪我をしてしまったんです」「それで部活を休んでいる間に初めての彼女が出来たもんで、その時はもう彼女に夢中でね……」「結局、最初の一年はロクに部活に顔も出さないで、二年生になってから本格的に体を作り始めていく有様でした」
「ただ、彼女に『オレはプロレスラーになる!』って見栄を張ったもので。愛する彼女にウソをつくわけには行かないでしょう。だから、どんなに辛くてもやめようなんて事は一度も考えなかったんですよ」
「高校の三年で初めて試合に出してもらえて、いきなり三回戦まで勝ち進んだんです」「だけど試合慣れしていなかった」「二回勝ってからは混乱してしまって。自分のレスリングはこれでいいのかと自問自答している内に負けてしまいました」
「それがあまりに悔しくてね。もっと試合慣れしていれば絶対に負けない相手だった……。そこでプロレスではなく、アマレスをやるために大学進学を決めたんです」
「大学へ行くために必死で勉強して、現役で合格しました。当時の森大はすごい選手が揃っていて、練習場に行くだけで気が引き締まりました」「あの空気を四年間吸えたことが、プロのリング上でも同じ雰囲気を出せる力になったと思うんです」「レスラーが真剣にやってるかどうかは、いかに真剣に練習したかで決まるから」
「大学で四年間一生懸命頑張っていたら、同世代では一番になってました」「特別な事はあまりしていないんですが、オレは高一の頃にひどい怪我をしたもんで、体のケアだけは人一倍気を遣っていましたね」「みんなとにかく怪我が多かったんで、差がついたのはそこじゃないかなと思います」
「インカレで準優勝したときは、その前の試合で足首の靭帯をやってしまいましてね」「あの時は、勝っても負けても最後だと思ったんで、決勝戦は棄権しないで必死に隠し通しましたよ」「でも勝てなかった」「(加藤)勇作は同じような状況で優勝したんだから、あいつはすごいなと」「その試合は三十台後半まで夢に見てましたね。目が覚めたとき、それで気を引き締めるっていう」

―若手時代について
「プロレス行きは最初から決めていたことなので、迷いはありませんでした」「入団テストを受けるつもりで居たら、川渕さん達がスカウトに来ていてね。トントン拍子で話が進んでいって…」
「入門してからしばらくは地獄の日々でした」「寮生活で朝起きてから夜眠りにつくまで、常に動いている」「本を読んでいたら怒られましたね」「当時は練習というよりシゴキでしたから、それで怪我をしたら、やめようと思わない人はまず居ないんじゃないですかね」「今思えば甘ちゃんだったんですよ。プロの華やかな世界しか見ていなくて、自分は運命に導かれてこの世界に入ったんだから大丈夫だって…ね」「ただね、当時の少女マンガを読んでそういう厳しい世界は頭の中には入っていたんで。それでなんとか『世の中こういうもんだ。強くなくちゃ生き残れない』と納得できていたんですね」「少女マンガは、高校時代の彼女が沢山持っていたんで借りて読みました」「ほら、怪我してるとデートにもいけないじゃないですか。それで彼女の家にお邪魔することが多くて、読書が趣味になったんです」
「オレの入団の二日後に永原と荻原が入ってきたんですが、オレはこれも運命だったんじゃないかと思ってます」「ほんの少しオレが先に入ったおかげで、オレは仁村社長の付け人になることができました」「もし、荻原が社長の付き人になっていたら、オレのプロレス人生は大きく変わったと思うんですよね」「オレ達は三人ともアマレスの実績があったから、入門時に差はなかったんですよ」「でも二人は地方の出なので、引越しに時間がかかった。二日違うのは単純にこの差ですよね」
「仁村社長には随分可愛がられましたよ。散々怒られましたけどね」「社長は普段は厳しい人で、道場ではコワイ人です。試合では……やっぱり厳しい人だったな」
「でも社長の厳しさがあったから、NCWPはストイックにやってこれたんで」「特有のピリピリした緊張感と、試合が動いたときのカタルシス。これがNCWPの魅力でしたね」
「ヤングタイゴンって言葉はオレたちの世代にはなかったんですが、デビューしてからは世界が一変しました」「毎日の仕事は変わらないんですが、夜には試合がある。当然、試合に向けてテンションが上がるわけで」「地獄から楽園でもないんですけど、スポットライトを浴びた瞬間に本当に自分の世界が変わるんですよ」
「デビューしてから数年間、毎日その繰り返しでした」「充実していたといえばそうなのですが、雑用と練習と試合しかなかったといえばそれまでで、先のビジョンとか試合の見せ方とか今の若手が考えなきゃいけないようなものはありませんでしたね」「お客のノリも今とは全然違いましたし。どこか家庭的だったというか。やっぱり昭和っていいですよね」

―氷上龍斗について
「オレ達がデビューした頃は氷上さんが全盛期に突入する前後でした」「社長以上にピリピリした雰囲気を持った人で、あの頃のオレたちなんかじゃまず話しかけられなかったんです」「ああ、ヤクザの親分もこんな感じなのかなぁって思いましたね。もっとも氷上さんはドス黒いって感じではなかったですけど」「永原は途中から一年ほど氷上さんの付け人になりましたけど、それ以来だと思いますよ、永原があんな風にダークになったのは」
「氷上さんの時代は、日本人対決はスパイスみたいなものでした」「あの人は世界のテッペンで戦っている人で、やっぱり他の人とはどこか違う。そういう雰囲気がありました」
「オレたちは背中じゃなくて、あの人の足元を見て過ごしてきました」「それで腰くらいまで見えるようになったとき、氷上さんの長期欠場が決まってしまって……」
「ファンのみんなは、オレをあの人と肩を並べる存在に見てくれていますけど、お互いが全盛期に向かいあっていたらどうなっていただろうなとは思いますよ」「もちろん、強力なファンの後押しがあれば、オレは絶対に負けませんよ(笑い)」

―荻原光太郎と永原幸秀について
「実は同期の二人とはそんなにたくさん話したことないんですよ」「荻原とは何度も飲みに行きましたし、永原ともたまに話したりしてましたけど…。でもお互いによく知らない」「まず若手時代にはそんなにヒマがなかった」「デビューしてからは時間がない上にお互い意識する存在だからね」「荻原のヤツはね、オレに隠れてトレーニングするんですよ。負けたくなかったんでしょう」「永原の方は絶対にオレより後まで残ってトレーニングする。オレは体のケアを優先して、あえて先に切り上げたりね」「練習中から駆け引きしてたって言えばそうなのかも知れません」
「オレは割と先輩に可愛がられていた方なので、二人とも嫉妬していたと思いますよ」「普段から絶対にオレには負けたくないって気迫が伝わってきて。オレも内心では対抗しつつもわざと余裕ぶったりしてね」「外から見ててもオレたちの関係が面白かったんでしょう。日常の駆け引きをそのままリングの上にまで持ち出した…みたいな感覚で、オレたちが主役の三つ巴時代ができたんですね」
「ただ、オレたちのライバル心はかなり健全だったと思いますよ」「悪質な嫌がらせや足の引っ張り合いはなかったんです」「だからオレたち三人のイメージって、全員クリーンでしょ。永原はちょっとダークだったけど、それでもプロ意識が高いってだけで悪いイメージはない」「永原は、いま私立学校でレスリングを教えています。それも当時のクリーンなイメージがあったからだと思いますよ」

―川渕と革命軍について
「川渕さんはね……オレをこの世界に入れてくれた恩人でもあるし、リングをめちゃめちゃにした大敵でもあるわけですよ」
「常にそうですが、いつの時代もプロレスは変化を求められます。最初は格闘技が流行になりそうだからと、川渕さんや関谷さん達が異種格闘技戦をやりはじめた」「それ自体は悪くなかったと思うんです。プロレスラーの強さに懐疑的な風潮もありましたし、なによりマッチメークが刺激的になって、お客さんの期待感も伝わってきましたから」
「だけど、レスラーの本業はプロレスなんです。その本業を捨てて、異種格闘技路線を主軸にするのは違うんじゃないかって、徐々に反感を抱くようになりましたね」
「あの当時、オレの上には仁村社長しか居なかった」「必然的にオレが正規軍の一番上で、正規軍として革命軍に対してどうするかは全てオレにゆだねられていたんです」
「オレは最終的にはお客さんが決めることだと思っていました。自分の意見を主張して、川渕さんの話を聴いて、どっちに賛同するかお客さんに決めてもらう」「だからオレは言いたいことを言って川渕さんに正面から戦いを挑みました」「時には社長の意見を代弁したりもしましたよ」「社長は立場上、言いたくても言えない事があったんで、オレが代わりに言うしかなかった」「結局は社長も迷っていたんですよ」「社長はレスラーの強さを証明したいと誰よりも思っていた人でした」「だから川渕さんのやり方を全否定できなかったんです」
「結局、リングの上で決着を付けるしかなかった」「川渕さんは上手かったですよね。南雲や須藤、瀬田なんかを、たった一年で戦力にして、こちらと同等以上の人気を築きましたから」
「荻原を引き入れられた時は、正直マズイかなと思いましたよ」「観客の支持は六割が革命軍に移ってましたからね」
「ただ、それを内藤がそれを全部ぶち壊して持っていきましたよね」「お客さんは革命軍を支持しつつも、NCWPが好きだったんです」「だから正規軍でも革命軍でもなく、内藤が持ち込んだ新しいプロレスに飛びついた」「従来のプロレスよりもスピーディかつ観客へのアピールに熱心で、アマレスや格闘技のムーブも取り入れる。それでいてクールでスタイリッシュ」「あの時代が出した答えは、内藤だったんです」

―刈馬と一草弾について
「清水の後、しばらく(世代に)間が空いたんですよね。赤城やスロフト達がいましたけど、みんなクルーザー級でしたし、ヘビー級のレスラーは刈馬と弾がその後になるのかな」
「刈馬はね、本当に不良でしたね」「世代が開いたのは清水のイジメの所為とよく言われてますけど、刈馬はそれと真っ向からやりあったわけで…」「清水が包丁を持ち出したなんて話もあって、本当に二人ともよく生きてるな、と(笑い)。いや笑い事じゃないんですが」
「刈馬は本当によくデビューできたなと思うくらいの悪童で、デビュー当時はオレたちと関わる事はないだろうと思っていました」「逃げ出すか、すぐに干されると思っていたんです」
「弾の方は、一草(和英)さんの弟で、タッパもあったんでエース候補の雰囲気はありましたね」「一草さんがNCWPをやめて格闘技の方に行っちゃったんで、若い弟の方に期待がかかってました」「一草さんが『道場では俺より強い』って言ったのもインパクトありましたしね」
「初対決は、第一回インターナショナルカップの予選でした」「仁村さんとオレが日本代表としてイギリスに行くだろうと思っていたのですが、まさか最初の対決でアイツらに負けるとはね…」「お客さんも大層ビックリしたと思いますが、一番ビックリしたのはオレですよ(笑い)」
「レスリング発祥の地イギリスで優勝を飾った時は、日本ではファンが大歓喜していた」「内心ちょっと嫉妬してましたよ」「ただ、ビデオを観たら、刈馬がホラー映画みたいなものすごい形相で外国人を絞め落としてる」「試合後に『なんてことをするんだ』と文句を言ったガイジンに『強いヤツは泣き言を言わない、俺は同じ事をされても一切泣き言を言わねーよ』と言った時、コイツは格好いいと思いましたね」「刈馬も氷上さんの下に居て、人が変わった人間のひとりでしょう」「刈馬の場合は、良い方に行きましたね」
「ICの後、弾は永原とドイツに行ったし、刈馬も元のポジションで埋もれていたから接点はそう多くなかったんですが、刈馬はタッグでよく突っかかってきましたね」
「最初は上から目線で相手をしていたんですが、すぐにそうも言っていられなくなってきて焦りました」「下の世代相手に本気になったのは刈馬が最初だと思いますよ」
「刈馬もオレも長期海外遠征の経験がない。いわばNCWP叩き上げ」「それでいて刈馬はインターナショナルカップの優勝経験があるし、総合格闘技のUMFにも出場して、世界を相手に王座を奪ったりもしている。同じようで、オレとは実績が全然違う」「苦手意識があるわけじゃないけど、戦っていて一番難しかった相手は間違いなく刈馬でしたよ」「オレたちの試合は本当のプロレスだったと胸を張って言えます」「年下だけど、そんな善きライバルに出会えたことはこの上なく幸運に思っていますよ」

「(刈馬が、団体離脱の際に声を掛けてもらえなかったことを恨んでいるという話を聞いて) オレはNCWPを潰したくて飛び出したわけじゃないんです。だからあえて刈馬には声を掛けなかったんですよ」「WN.JPの発展を願うなら、誰よりも刈馬を連れて行きたかったと、そう本人には伝えてください」

―桧山と第三世代について
「刈馬たち第三世代の中では、桧山と東条が一番接点が多かった」「須藤や南雲も面白かったですけど、やはり一過性でしたし、瀬田は芽が出たと思ったら不幸な出来事がありましたからね」
「桧山はオレの次の次に仁村さんの付き人になった若手でした」「正規軍の一員として必然的によく話しましたし、当時オレの付き人だった東条よりも仲は良かったですよ」「体もすぐに出来て、割と器用だったんで、みるみる伸びていきましたね」
「海外遠征が決まった時は桧山は泣いて喜んでいました。涙もろいんですよね」「桧山は海外から戻ってきて、瀬田とのタッグで活躍したまでは良かったんですが、その後伸び悩みましたね」「正直なところ、オレが上に居た影響だったと思っています」「桧山はどうしてもオレに遠慮する部分があって、義理堅くて礼儀正しいのは良いんですが、どうしても押しが弱かった」「オレが団体を離れることなんてちょっと前まで夢にも思わなかったわけだから、桧山は目の前のオレを越えていかなきゃ駄目だったんですよ」「ただ、怪我を隠してやっているのも知ってましたし、仁村プロレスの後継者として苦労していたのも知っています」「結局、あの世代で一番損をしたのが桧山だったと思いますね」「ただ、本当にいいヤツですよ。NCWPで一番いいヤツ。それは間違いない」

―内藤と第四世代
「内藤は、何から何まで破格でした」「オリンピックのメダリストというのがまずオレたちとは全然違う」「アマレスをびっちりやればやるほど、プロへの順応性に支障が出るものなんですが、内藤はアマでトップに立ちながらプロレスの世界でもいち早く馴染んだイメージですね」「そこが加藤との決定的な違いで、加藤はアマレスの動きは一級品だけど、プロとしての見せ方が足りなかった」「だけど内藤はプロとして立ち振る舞った上で、アマレスでもトップクラスの技術を客に見せられる」「これはオレや荻原、永原にも出来なかったことで、'99−'00年の内藤は、リングの上でもカルチャーショックを受けるほどでしたね」
「内藤に対抗するには、プロの技術をより高めるしかないと頑張った結果が、内藤帰国後の試合で、アイツのプロレスが目新しさを失っている間に、オレの技術はホンモノになっていたんです」「'05年9月25日のあの試合はプロのインサイドワークを見せ付けることができました。オレのレスラー人生における生涯ベストバウトだと思っています」
「野村は、内藤以上に自分を魅せる事の出来るレスラーでした」「技術の水準は仁村社長に匹敵するほど」「アイツとの試合は毎回楽しかったけど、アイツは若くて頭が柔らかいから、咄嗟の機転が利く分、試合するのは大変でした」

―佐倉、石和と第五世代
「まず誤解してもらいたくないのは、オレは団体を困らせたくて佐倉を連れ出したんじゃないということ」「佐倉はオレの付き人をやっていた頃から総合格闘技に興味を示していた」「オレを裏切って刈馬の元へ移ったのも、刈馬にはUMFトーナメントの出場経験があったから」「佐倉に総合格闘技への挑戦をさせるキッカケを与えてやりたかった」「もし本人がNCWPに戻りたいと言えば、オレは止めないつもりでいます」
「(石和)圭一に関しては、言い訳の余地はありません。オレがNCWPを辞めようと思ったとき、最初に相談を持ちかけたのは圭一だったからです」「最初は俺たち二人でWN.JPを始めるつもりでいた。そこにタカシが加わればなんとかなると思っていた」
「圭一は塚間をも超える逸材」「WN.JPで全国の強豪と戦うに当たってジュニアヘビー級のスターは不可欠だった」「圭一を失ったことでNCWPの受ける損害は計り知れないが、残った鈴軒たちに頑張ってもらいたいと思う」
「(鈴木)タカシは、どうしても連れていきたかったヤツのひとりだ」「NCWP時代には刈馬以来の問題児だった」「ただ、不幸だったのは、時代が彼に合っていなかったこと」「もし革命軍の混沌とした時代なら須藤や刈馬たちに混ざって存在感を示せたんじゃないかと思う」「それでもNW.JPに連れてきたのは実力を認めているからだ」「NCWP時代は散々悩まされたけど、それだけ可能性があるレスラーだった」「あのまま腐らせるのは勿体無いと思って声を掛けたんだ」

―仁村会長と塚間氏について
「仁村社長には返せないくらいの恩義があります」「あの人とは入門当時からベッタリでしたから、叔父のような存在でしたね」「とにかく厳しい人だった」「社会人としての常識を教えてもらったり、食事奢ってもらったり。思い出はたくさんあります」「ずっと世話になりっぱしで」「恩を返そうとしているうちに、それがいつの間にか二人三脚のような関係になっていて…」「だけど、オレがNCWPのトップ戦線から退いた後は、レスラーとして自分はいらない人間かも知れないと思うようになった」「もし、未来が見出せなくなったとき、人はやめるしかないでしょう」「オレの場合、やめるのはプロレスではなくてNCWPだったわけですが」
「会長との不仲説が流れましたが、そんな事はありません」「それは送別試合でわかってもらえたと思います」「オレにとって仁村会長は永遠の師であり、切っても切れない家族のような存在ですよ」
「塚間に関しては、共に正規軍として戦ってきた盟友で、偉大な先輩でした」「尊敬していますし、本当に大切な仲間でした」「先輩たちから待遇が良かったオレですが、レスラー人生にで本当に辛いときに助けてくれた選手は彼だけでした」「今は彼が社長業をついでくれていますからね」「人望も厚い人ですし、オレよりも上手くやってくれると思います」

―恋愛と趣味について
「高校時代にできた彼女はオレの人生を変えてくれた人だったと思います」「お互いに夢を追う過程で一緒に居られなかったんですが、彼女と過ごした日々は青春だったと思います」「いまの奥さんとはNCWPの活動休止期に出会いました」「当時は事務方の仕事が多かったんで、ジムで体を鍛え直す必要がありました」「その時、偶然知り合ったんですね」「最初はファンの子かと思ったんですが、彼女はオレのことをまったく知らなかったらしいです」「女優を目指している彼女に共感して色々話しているうちに……ですね」「仕事柄、女性を紹介されることも多いのですが、あれ以来は丁重にお断りさせていただいていますよ」
「趣味は読書ですね」「移動が多かったもので、バスの中での暇つぶしは必要でした」「高校時代の彼女の影響で少女マンガもたまに読みますが、活字が多いです」「いや本当に……」

―レスラー人生を振り返って
「振り返ってみると辛いことばかりですが、幸せなレスラー人生だったと思います」「後悔は何もありません」「何事も最初は報われないものだと思います」「だけど、やり続けるうちに、ある日突然大きなプレゼントが届くんです」「たぶん、登っていた山は、知らないうちに峠を越しているんでしょうね」「人生って、諦めないで頑張っていれば自分でも気が付かないうちに山の頂上に辿りついているものだと思います」「中には、内藤のようにすぐに登りきってしまう人もいますが、結局は同じことです」「特別な人なんて誰も居ません。皆、一歩一歩山を登っていくしかないんですね」
「大舞台のプレッシャーに弱いとは、よく言われてきました」「それは高校時代もそうだし、大学四年生のインカレ決勝戦でもそう」「オレは結局克服しきれなかったのかも知れない」「だけど、ファンの皆の後押しがあれば、プラスアルファの力が加わる」「その時はオレは決して負けない」「実は、ファンが怖くなったことが一度だけある」
「'99年前後から、ネットを使ってファンの声を確かめるようになった」「それまでもファンレターで厳しい言葉はもらっていたけれど、オレたちの試合に悪意でみているファンが居るとは思わなかった」「ファンを信じられなくなったとき、オレはファンが怖くなりました」「だけど、悪意を持っているのはオレのファンでない事に気づいて、オレは変わりました」「世の中にはいろんな立場、考え、想いを持った人たちがいる。中には悪意を持ってオレの試合を観ている人もいるかも知れないけど、オレは応援してくれるみんなを信じるだけ」「ファンは大きな力をオレたちに与えてくれる」「ファンと共に歩く未来が、レスラーの生きる道だとオレは気付いたんです」
「これからもオレは信じる道を突き進んでいく。そこにファンの皆の喜べる明日があることを、信じて進んでいきます」

■NCWPのムック本が発売

 今年(2003年)、デビュー11周年を迎えた一草弾がNCWPムック本の取材を受ける。自らのレスラー人生を振り返った。
「この世界には兄貴の影響で入るべくして入った気がします」「兄貴は偉大ですよ。地方に行くと、いまだに一草 和英の弟って呼ばれたりしますから」「でも兄貴は『アジアの格闘王』、俺は『世界チャンピオン』ですからもう兄貴を越えたと思いたいですね」

――尊敬する人
「尊敬する人は兄貴よりも、やっぱり永原さんです」「チャンピオンになってからは、永原さんの一言一言が身にしみてました」「でも、もう一度闘いたいとは言いません。あの事件の事は俺も当事者の一人ですからよく知ってますし…。でも復帰されるのなら俺はいつでも待ってます」

――元レッスルエンペラーズのパートナー刈馬との関係は?
「刈馬ですか? アイツは永遠に、良いライバルですよ」「しばらく相手にされてない時期もありましたけどね」「自分で言うのもなんですけど、俺はエリート扱いで入ってきて、アイツはたまたま俺の同期になったもんだから雑草みたいに見られて…」「でもアイツの方が先に(シングルの)ベルト巻いたんだから心中穏やかじゃなかったですよ」「雑草だけに伸びるのが早かったのかな?(笑い)」「でも、俺は俺でデビュー10年目で世界王者にたどり着いた」「これもエリートコースと言われればそうなのかも知れないですね」「お互い良い師匠に恵まれたのが良かったと思います。俺がここまで来れたのは、いい師匠といいライバルがいてくれたおかげですよ」

――G-UNITについて
「瀬田とのタッグは今のNCWPでは『反則』とまで言われてますよね。俺もそう思います(笑い)」「瀬田はすごいヤツですよ。スパーで気抜いたらすぐにやられますからね」「それに俺よりも口が達者だし…。刈馬もそうなんだけど、旧革命軍の人はみんな自己アピール上手いですよね」
「話はズレるけど、内藤達のフリーバーズが成功したのだって、やっぱり赤城さんの力が大きいでしょ?」「まぁ、マイクは瀬田にほとんど任せてね、俺はなるべくストイックに行きますよ」

――ライバルは?
「そうですね。まずはG-UNITとして、ビート・ランサーからベルトを奪いたいですよ。一年以上も無敗を誇るすごいチームですけど、俺と瀬田もチームとして大分慣れてきましたからね。次は勝ちますよ」
「それと刈馬にも勝たないといけない。アイツがチャンピオンになってからは一度も勝ってないですからね。たぶんアイツに勝って初めてNCWPのチャンピオンだって言えるんだと思います」

■関谷 努著 プロレスの真実〜NCWPの歴史〜が発売
団体のみならず業界全体に影響を及ぼした衝撃のNCWP暴露本!!

―板井VS永原戦の事故について
「もしNCWPが総合格闘技のリングであったのなら、たとえあの事故が起きた後でも選手の離脱などと言う事態にはなっていなかっただろう」「あの事故が問題なのは、プロレスのリングで起こってしまったことにある」「内藤らの離脱選手を悪く言う風潮があるが、問題なのはマッチメイカーの深溝が永原と板井に無理な事をさせたことが原因だ」「その事を書くために私はペンを取った」

―総合格闘技について
「総合格闘技はNCWPの行ってきた異種格闘技戦とは違う」「我々の異種格闘技戦は、通常の試合と同様にワークシップで行われていた」「総合格闘技は異種格闘技戦を望むファンのニーズには合わない競技だ」「格闘技でチケットを捌くなら“看板”は必要不可欠。割に合わないし、別に脅威だとも思わなかった」
「現在のNCWPの選手で、誰が総合で通用するかと言えば、やはり一草(弾)だろう。永原も通用したと思う」「だが瀬田のUMFからの出戻りや、南雲と川渕のUMFトーナメント一回戦敗退などを見るように、大抵の選手が通用しないのが現実だ」「アマレスオリンピック出場経験のある内藤ですら、いまの総合のレベルから考えれば微妙なところだろう」
「プロレスラーは強いと言うが、所詮プロレスと総合格闘技はまったく別のもの。プロレスラーが総合格闘技に挑んだ所でタダの素人に過ぎない」「サーカスの空中ブランコがオリンピックの体操競技に出るようなものだ」

―WWC世界無差別級タッグ選手権について
「氷上の引退後は客足が低迷していた」「私は新しいエースにはタッグが相応しいと判断した」「当時マッチメイカーであった私は、デビュー3年目の刈馬と一草(弾)を優勝させようと考えた」「刈馬を氷上の弟子にすべく手配したのは私だ」「氷上の弟子となった刈馬を一草和英の弟である一草弾と組ませ、氷上&一草(和英)の“エンペラーズ”の復活を目指した」
「NWCのベルトには氷上のイメージがついてしまっている」「WWCの権威は必要だったが、WWCに無差別級のベルトを認定させ、インターナショナルカップ開催のために多くの外国人を招聘するのには莫大な資金がかかった」「世間の反応は概ね好評だったが、結果的に大赤字だった事は認めざるを得ない」

―仁村賢利について
「仁村は道場でも群を抜いて強かった」「だがそれも昔の話だ。'97年以降の仁村は体力の衰えが明らか」「トップ戦線を退いた以上はもう引退すべきだ」
「社長としての仁村は上下関係にうるさいワンマン社長だった」「もっと社員の意見を聞いていれば西海上に抜かれる事もなかっただろう。大量離脱も全て仁村の責任だ」「仁村の誤った判断の数々がNCWPの未来を潰してきたかと思うと、いちファンとして我慢ならないものがある」
「自らをハーレー・デイビットの愛弟子などと言い、さもアメリカで成功したかのように話しているが、デイビットはアメリカでは一時人気を集めただけの男で、プロレスの歴史に名を残す程の選手ではなかった」「日本のファンが抱いているデイビットの幻想は仁村によって作られたまやかしに過ぎないものだ」

―氷上龍斗について
「私は氷上の引きぬきには反対だったが、この時ばかりは仁村の判断が正しかったと思う」「氷上が六年間タイトルを保持したおかげで多くの選手達は全盛期を無冠で終えたが、当時はあまり文句はでなかった」「今後、氷上ほど完全なエースは登場しないだろう」「氷上は、『スペクテーター・スポーツ』を体言した真のレスラーだった」

―WE解散後の刈馬と一草について
「会社が一草を売り出したかったのは判る」「だがプロレスラーとしては、当時から刈馬の方が一草よりも数段優れていた」「強さを競い合うのは格闘家の仕事。強さを売るのがプロレスラーだ」「一草に足りないのは強くなるための技術ではなく、プロレスの勉強とアマチュア臭さを取り除くことだった」

―新世代革命軍について
「私がマッチメイカーの座から降りてからは問題が続出した」「川渕らが『新世代革命軍』などと名乗り、仁村社長らに反旗を翻した理由は、仁村社長と当時のマッチメイカーである深溝に問題があったからだ」「式島を氷上の代わりにしようとしたのは浅はか」「氷上の引退後、ようやく光の当たるようになったベテランには一時とはいえチャンスを与えてやるべきだった」「シングルでは川渕らに光を当て、タッグで新しいスターを作る。それが私のプランだった」

▽この本に対する団体の見解

「あの事故に関しては、会社として然るべき責任の取り方をした。だが、関谷はその事件とは関係がない裏の事情を書き綴っている。私に対する個人的な感情はあったかも知れないが、そのためだけにNCWPに携わったプロレス関係者の地位を落とすような表現は許せるものではない。もしこの本を読み、傷ついた関係者やファンがいたとしたら、当事者の一人として深くお詫び申し上げる」

―NCWP社長 仁村 賢利

 
     

■ロングインタビュー

○荻原光太郎 2006年11月 週間リング誌上にて。
  今月引退したばかりの荻原が、これまでのレスラー人生を振り返る。

――引退後の心境の変化は?

「まだ引退の実感はないんだけどね」「俺のレスラー人生は、夢と青春と情熱だったかな」「俺の自伝は面白いと思うよ。結局チャンピンにはなれなかったから、売れないかなぁ(笑)」

――仁村プロレスの後継者と目された若手時代

「デビュー当初はね、氷上さんの全盛期だったから、レスラーとして自分はどうすればいいのかわからなかったね」「そんな中で常に迷いがあった」「デビューから三年後に、急に仁村社長の後継者とか言われ始めたけど、俺自身は仁村社長とは全然タイプが違うと思ってたんだ」「結果は見ての通り。確かにレスラーとして通じる部分もあるけど、俺の方がクールアンドスタイリッシュでしょ(笑)」
「俺の次に後継者に指名された桧山も、本当はタイプ違うのにさ。あいつは後継者として成功を目指してるから、苦労してると思うよ」

――楽しかった海外修行時代と予想していなかった人気爆発

「なんとなく、ランカシャースタイルが自分にあうんじゃないかって感じで、修行先はイギリスにしてもらった」「イギリスにいた頃は、先の事なんて全く考えてなかったのに、いつのまにか日本ではエース候補とか呼ばれるようになっていてさ」「氷上さんの引退後、ちょっと帰ってきた時も、まさか自分がそこまで期待されているなんて気づかなかったから、びっくりしてね。逃げたわけじゃないけど期待がすごすぎてね、すぐにカルガリー行きを決めたんだ」

「海外ではあまり儲からなかったけど、楽しかったね。水が合ったというか。イギリスやカナダの空気は、自分にあっていたんじゃないかな」「海外で一生懸命やってたら、知らない内に日本での評価はやたらと高くなってて…」「あれって、たまに来ていたマスコミの影響だよね」
「TVで特集やってたのを見て、地元のファンに受けていたのが感化されちゃったみたいで…海外の俺に急にファンレターとか来るようになったんだよ」「特に向こうでやっていた恋愛ストーリーとかが受けたらしい(笑)。レスラーとしても、『汗は掻いてもスタイリッシュに』 というのは考えていたけど、遠く離れた日本であんなに人気が出たのは予想外だったよ」

――次期エース争いの中心として、そして革命軍荻原派で見た青春

「現地でも評価されてたとは思うけど、日本じゃ帰って早々トップ扱いでね。正直戸惑ったというか、『あれ? 俺ってエース候補なの?』っていう感じ(笑)」

「永原や式島のライバルって事にされてたけどさ、実際、永原や式島にはかなりの部分で及ばなかったと思う。主に体格でだけど(笑)」
「だからってわけじゃないけど、あの二人とバチバチやりあうんじゃなくて、対等な立場でデンと構えながら、埋もれてた刈馬を伸ばそうかと考えていた」「実際、シングルタイトルがどうのこうのよりも、刈馬や須藤と組んで90年代最後の"(NCWP)戦国時代"を勝ち抜いてやろうって、そういうイメージのが強いでしょ? で、試合じゃいつも刈馬が足を引っ張って負ける(笑)」

「刈馬はね、俺とは逆に、日本よりも海外で有名だったんだよ。一草弾もね。第一回インターナショナルカップでの優勝ってのはすごいインパクトがあったんだよ、あの二人。日本でもそうらしいね。俺もTVでみてたけど、まさかあの二人があんな若い奴らとは思わなくて。25歳くらいかなと思ったら、当時刈馬は21歳だったもんな。こいつ何者だよって思ったよ」

「刈馬とだったら、NCWPのトップに立てると思った。だから名指しして組んだんだ。あの頃上手くいってたかどうかは難しいけど、続けていれば成功したと思うよ」「あん時苦労したから、刈馬だって今があるんだと思うね」「少し長い道のりだったけど、道は間違えてなかったはずだよ」

「マスコミが勝手に名づけたんだけど、いつの間にか"革命軍"に"荻原派"ってのが出来ていた」「川渕さんはそれが気に入らなかったらしくて」「もともと、俺や刈馬はあの人とは目指すものが少し違ってて、ただ、目的は一緒で、仁村社長の古臭い考えを改めさせる。式島や永原をトップにはさせないって事で一致してた。だから俺は川渕さんは組する事に決めたんだ」
「でも、俺はともかく、一緒にいた若い連中は不幸だったと思うね。刈馬や須藤に、瀬田とか南雲とか」「あいつらは、まだ右も左もわからなくてどうしていいのかわからないって感じでリングで戦ってた」「須藤は俺や刈馬に近かったけど、俺が刈馬を押してたのが引っかかって、刈馬とはすごい仲良かったのに、最後は川渕さんについていってね…」「あの辺の裏切りとか、好きだの嫌いだのの話でもないけど、認められたい感情とか、結構リアルでドロドロした感情が渦巻いてて…、若い連中にとっては、青春だったなって。 やっぱり青春って、そういうもんでしょ? 嫉妬とか(笑)」

――NCWPの活動休止を受けて

「板井選手の事故のあと、俺はカナダへ戻ったんだ」
「カナダでプロモーターになりたかったんだけど、成り行きでジムの方を任されちゃって。最終的には経営権も買い取って、WGAとも契約して選手送り込んだりね」「AWEのファーム団体とも提携の話はあったんだけど、地元団体が反AWEでさ。金より義理を優先したっていえば格好いいけど、あの時のAWEとのオファーは、金銭面でも日本と比べたらね、大して魅力的な話じゃなかったんだ」

「NCWPが活動再開してからは、もっと早く日本に戻ってくるつもりだったんだよ。清水なんかよりも全然先にね」「ただ、その頃は、丁度日本のいくつかの団体から何人ものレスラーが修行に来ててさ。それがビジネスチャンスだったんだよ」「北米での日本ブームも徐々に来てて、日本人の人気も注目度も上がっている頃で、なんやかんやで忙しくやってるうちに、2004年になっちゃって、自分の身体を考えてもね、最後のチャンスだろうなと思って、NCWPに戻ってきたんだ」

――最後と決めたNCWPへの復帰

「戻ってきたNCWPはね…。浦島太郎気分とか散々言っているけど、出て行く前の90年代の最後はみんな仲悪くて、すごい殺伐としてたんだよ」「新世代革命軍だけでも、荻原派と川渕派とか言われてたけど、ホントはもっと複雑でドロドロだった」
「ファンも保守派が強くてさ、ものすごいパワーでブーブー言ってくるんだよ。革命軍なんて凄く野次られてた」
「それがさ、戻ってきたら若いファンが多くて、レスラーもどこかアットホームな雰囲気があるんだよ。本当拍子抜けしたね」「刈馬だって、前はケンカだかプロレスだかわかんないぐらいの雰囲気でやってたのが、熱いプロレスラーってイメージになってるし。仁村社長との関係も、頑固親父と不良息子みたいになってるし、笑っちゃったよ」「それでも、中身は刈馬だったんで、ほっとしたけどさ」

「アットホームな雰囲気が悪いって事でもないけど、帰って来てからは、これからどうするってビジョンが描きづらくてさ」「ベルトが目標ではあったんだけど、そこへ向かうまでの道筋が描けなかった」
「刈馬と式島が二強で、その山のテッペンを一草や野村あたりが狙ってるのはわかったけど、『じゃあ俺は?』っていう感じ。 あの当時の俺のポジションがよくわからなかった」「ファンも俺のこと知らない風だったし、前みたいに刈馬と組めればよかったんだけど、それも断わられちゃうしさ」「デンと構えているんじゃなくて、俺も中へ割って入っていくべきなんだろうって言うのはすぐに感じたよ」「でも結局、俺はNCWPの中心には入っていかないで、ファンに溶け込む方を優先したんだ。北米流にね」
「たぶん話題を作るなら、刈馬とケンカしたら良かったんじゃないかとは思うよ」「でも刈馬とはケンカしたくなかったんだ。これは俺の素直な感情だよ」

――内藤の復帰と刈馬・式島時代

「去年、内藤が帰ってきたときも、俺と似たような環境だったね」「今のファンは内藤の事もよく知らないんだよ」「それなのに、スター面したから反感を買って…、内藤は今になってようやくファンに実力を認められつつあるって所だよな」「内藤のやり方も悪いとは言わないけど、俺はそうしようとは思わなかった」「この二年間、後悔するような事は何もないけど、逆に言えば後悔も何もなかったのがマズかったかなと。内藤の方が短時間で評価を上げたのは確かだしね」

「あとは、今のファンがね。俺からしてみれば、もっとブーブー要求を突きつけた方がいいと思うんだよ」「今のファンは、受け身になって、レスラーがする事にただ期待しているって感じで。ファンが何を期待しているのかわからない分、少しやり辛かったね」
「俺が思うに、ファンは具体的に期待しているものがないんだよ。刈馬式島時代って言うのは、そういうファンにとって心地良い時代なんだろうな。あの二人が別のコーナーに分かれて激しくぶつかり合うのを見て、"おーっプロレスってすげーな"って言う」「ファンとレスラーの間に絆みたいなモンができてて、にらみ合う式島と刈馬の背中をファンがぐるっとまわって手を繋いで結んでいるんだよ」「式島と刈馬は背中からファンの鎖絆で繋がってる」
「俺が見た刈馬・式島時代を表現するとそうなるね。氷上さんの時代から今までで、そんなプロレスはなかったよ」「なんでそうなったかはわからないけど、あの二人の間に入っていくのは難しいし、飛び越えるのはもっと難しいと思ったよ」
「ただ、その輪っかを飛び越える事が出来るのが、内藤なんじゃないかとは思う」「まあすぐには無理だろうけどね」

――仁村社長と氷上龍斗

「今年、氷上さんが亡くなられたのはすごいショックだったよ」「もともとプロレスファンじゃなかったし、プロレスに入ってからもそんなに付き合いがあったわけじゃないから、他の奴よりはダメージは少ないだろうけど、氷上龍斗って言うのはNCWPの全選手にとって特別な存在だったから。あの人が死んだって聞いた時は、一瞬目の前が真っ暗になったもん」「ただ、俺が引退を決めたのは氷上さんとは関係ないよ」

「仁村社長は、若手時代に目をかけてもらって、海外修行でも我が儘聞いてもらったからね。感謝してる部分は大きいよ」「だけど、革命軍に身を置いた身としてはさ、あの人と本気でケンカしてたわけだし、遺恨が残っているわけじゃないけど、反発する部分はいまでもすごく残ってる」
「ただしね、板井選手の事故も瀬田の事故も、もとはと言えば革命軍の方針が原因で招いた事なんだよ。あの闘争に関しちゃ社長の方が正しかったかも知れないという思いもあるんだ」「これからはビジネスパートナーとして付き合っていく事になると思うけど、そういう意味では信頼できる人だとは思うね」

 
     

 

■ロングインタビュー

○仁村賢利ゆかりのNCWPの選手達が 2015年6月 週間リング誌上にて語った。

――天国の仁村賢利さんに伝えたいこと

・内藤「俺がいるんで、NCWPは大丈夫です! という事。自由の翼は誰にも折れやしない。その事を熱く届けたいと、そういう気持ちです。社長とは他の人よりもドライな関係だったと思います。特別扱いをされていたという気持ちはすごくありますよ。仁村社長は俺の事を他の誰よりもリスペクトしてくれていたんじゃないかな」

・佐倉「器の大きな方でした。受けた恩を返しきれなかった事が心残りです。おれにとって一番の恩人は仁村社長で、世界一のプロレスラーは他の誰でもない仁村賢利であったことをいまここで言っておきます。自分の事を恩知らずという人もいるでしょう。自分の取った道が間違いだとは思っていませんが、孝行したいときに親はなし、今はそんな気分です。寂しいですね」

・桧山「いまだに信じられません。自分にとって社長はいつまでも社長でしたし、唯一の師匠でもありました。リング内外でどんなに辛かったり痛い思いをしても、社長は必ず笑顔を取り戻させてくれました。自分だって痛みを抱えているのに、その姿勢は本当にすごいなと思いました。いつまでも尊敬してやまない人物です」

・刈馬「氷上さんに続いて惜しい人を失くした。氷上さんは俺にとって師匠であり寡黙な父親のような存在でした。でも仁村会長はただのオヤジですね。超えなければならない頑固オヤジ。実の父親の顔をロクに覚えていない俺にとって、嫌なオヤジ像そのものと言えるのが会長でした。心に持っている感情は言葉に言い尽くせないほど沢山あります。伝えるとしたら、そうっすね……俺は負けねーぞ、このクソオヤジ! って所でしょうか」

・清水(NWWC/NCWP統一世界王者)「アニキ、天国で待っていてくだせえ…って感じかな。アニキなんて呼んだことなかったけどさ…。おれにはね、あの人には感謝の気持ちしかないわけですよ。身体が大きくないおれをアマレスの実績だけでプロレスラーにしてくれてね、それが今じゃこうやって世界のベルトを持っている。全部仁村会長のおかげですよ。感謝してます。感謝の気持ち、それがすべてですね」

・塚間(NCWP社長)「このNCWPを創り、育て、ここまでのものにした偉大な人でした。夢を持って、それを生涯をかけて実現したヒーローのような人だったと思います。僕にとっては、どんな映画のスターより格好いいヒーローですよ…本当にね。リングの外では、僕は仁村会長の片腕だったと思っていた時期がありました。団体の方針についてもよくいろんな相談を受けたものです。レスラーでここまで相談されたのはおれくらいだと思いますよ。式島に席を譲ったときもね、『NCWPはオマエに託したんだ』と言ってくれてね。ああ、表向き式島をトップに置いたけども、実際に団体の内部を仕切るのはおれなんだなと、そういう信頼を感じていました」「ハードワークが続いていますけど、託された以上はね、この仕事を全力でやり遂げたいと思っています」

・式島(レスリングネットワークドットジェイピー代表取締役社長)「恩人であり、偉大な先輩でもありました。受けた恩を返せぬまま、この日を迎えてしまったのが残念でなりません。オレにとっては社長とか師匠とか恩人とか、ひとつの言葉では言い表せん。実はライバル視していた時期もありましたし、刈馬じゃないけど反発したいと思っていた時期もありました。永原や荻原のように団体を離れたいと思っていた時期もありましたし、社長一派と言われた正規軍でもね、そういう感情を持っている人間がいたわけです。そういうネガティブな感情を包み込むだけの度量が仁村さんにはあって、同じ道を行こうと思ったら、結局ね最後まで付き従うしかなかったわけですよ。誰よりも正しい道を行っていましたから余計にね、あの人が正しいのを知っていたからこそ、オレはこうやって別の道を選ぶしかなかったわけです。仁村さんはね、生前オレに一度も酒を奢らせてくれなかったんですよ。記念日のために提案していたんですけどね。本当に頑固な人でした……」
   

――仁村氏の思いを受け継ぎ、これからの活動について

・内藤「プロレスをもっともっと盛り上げてたい。仁村社長がもう自分が戻ってこなくても大丈夫だと思わせるくらいにしないといけない。そういう気持ちですよ、はい」

・佐倉「恩返しをしたいという気持ちは強く持っています。ただまだ自分の足で歩けていないんでね。自分の人生を自分の足で歩けるようになってから、仁村さんの為に何ができるのか考えるつもりです」

・桧山「自分が仁村会長の一番弟子ですから! 誰がなんと言おうとね。仁村会長が後継者と認めた自分ですから、仁村プロレスを受け継ぎ、発展させ、次の世代に繋げていきたい。それが自分の使命だと思っています」

・刈馬「俺の中では仁村会長はいつまでもライバルだよ。だからこれからも会長と闘っていく。これから先もずっとな」

・清水(NWWC/NCWP統一世界王者)「NCWPの現役レスラーではおれが最年長なわけでね。これからも影響力を持ってリングを支配していくつもりでいるよ。それに歯向かう若手が出てこないと困るし、おれはおれでそいつらを返り討ちにするっていう王者としての気概を持ってやっていきたいね」

・塚間(NCWP社長)「NCWPは僕に託されたんだという自覚を持っていますよ。もう困ったときにもアドバイスしてもらえないわけですから、自分自身で考えて、会長の時以上の団体にしていけるように、頭を使って精一杯やっていきますよ」