No.21

DB

僕のことだけ見ていて欲しい
 酷いや名前さん……。
 悟飯はその大きな図体を縮こまらせて、建物の影で静かにしくしく泣いていた。
 その場に名前はいない。
 ざく、と草を踏む音がして、悟飯の頭が力いっぱい殴られた。勿論悟飯は痛くなどないが。
 腫れた目で見上げると、ばつの悪そうな顔がそこにあった。
 
 
 
 ふわりと風に靡く白いバンダナ。
 その下から見慣れた髪型が見えた時、名前は硬直して動けなかった。
 しかしその手がサングラスにもかけられていると気付いた時。
 右手が勝手に動いていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「この馬鹿たれぇえええええ!!」
「ぶぎゃっ!!」
 
 
 素早く伸びた名前の手が、今まさに外されようとする悟飯のサングラスを思いっきり押さえつけた。
 悟飯を襲ったのは、眼鏡をかけている人間には良く分かる痛みである。鼻に接するパッドの部分が両目の鼻により近い部分を圧迫し、しかも掌を広げて押し付けてくれたものだからフレームが眼球の周りを直撃である。
 痛みには慣れている悟飯であるが、流石に目やその周辺部、神経の通っている部分はそう鍛えられるものではない。
 地に倒れ附し、痙攣を繰り返す悟飯に名前は焦った。
 何処に人目があるのか分からない場所で秘密を暴露しようとする阿呆も阿呆だが、これはちょっとやりすぎたかもしれない。いやしかし正体がバレるよりはマシかとも思うわけで。
 とりあえず今はサングラスの奥で白目をむいているであろう悟飯を何とかすることだ。
「そこにいろよ!」とだけ捨て置いて、そのままどこぞへ駆け出して。
「もっと影行け」
 こん、と悟飯の背中を膝で蹴る。
 悟飯が微かに腰を浮かせ、名前へと向き直ってその背を壁に預けたのを見届けて、名前も悟飯の前へしゃがみこんだ。
「ハンカチ濡らしてきたから当ててろ」
 差し出されたのは何度か見たことのあるハンカチ。しっとり濡れているのは、名前の言葉通りだ。
 名前の指がサングラスのフレームを掴み、悟飯の瞳が露わになる。それに驚いた様子も無く目を閉じさせると、その瞼にそっとハンカチを当てた。
 ひんやりと冷たいハンカチが、目の周りの熱を奪っていく。それが気持いい。
 ふわ、と髪に何か触れた気がするが、目を瞑っている悟飯は見えない。だからそれが。
「悪かったな」
 名前の手だと気付くのに数秒かかった。
 一気に頬が赤くなる。名前に変に思われないだろうか、と顔を俯かせるが、「ハンカチが落ちる」と頭を優しくはたかれてしまった。
「あの……もう、知ってますよね……?」
 悟飯は手にしたバンダナを握り締めながら確認する。この状態で、何も聞かないということはつまりそうなのだろう。
 現実を目の前にしてまで疑ってかかるほど、悟飯は鈍くも無い。
 苦笑する気配を感じ、名前の「うん」という声が聞こえた。
 その返事にがくりと肩を落としてため息を吐く。そんなあっさり。
「えーと、参考までに。何時から?」
「あの銀行強盗の事件の次の日」
「早っ!」
 驚いて身を起こした拍子にハンカチが落ちる。が、それどころじゃない。
「……そんなに、あの……」
「いやまあ、誰もお前に演技力求めてないから」
 どっかの誰かと同じこと言われた。しかも同じ日に。
 実際は悟飯の変身シーンを見てしまったからなのだが、がくりと首を下げて落ち込む悟飯の姿が面白いので言わないでやる。
「うー……でも、ありがとうございます」
 言わないでくれて。いつもと同じ接し方をしてくれて。
 二つの思いを込めて礼を言う。
 名前は少しの間首を傾げていたが、いつもの通り「まあいいか」で済ませた。それが少し寂しいと思うのは悟飯の我が侭だ。
 嫌われたいわけでも怒られたいわけでもないけれど。名前にとってもっと重い存在であったなら、また違った反応が返って来るのだろうか、とちょっと思った。
「それで、あの、もしかして僕の応援に来てくれたんですか?」
「あぁ、まあ、一応。あとビーデルも」
 嘘だ。本当は、悟飯がビーデルと一緒に大会に参加するのが嫌で、せめてからかってやれと思ってだ。
 しかしそんなことをわざわざ言う必要も無い。そんな部分、悟飯には見せたくないのだ。
「まあ、知り合いも増えたしお前の親父さんと……クリリンさん? あと知り合い連中も応援するさ。
 さっきは悟天君とブルマさんの息子さんも応援してたし」
 名前としては完全なる好意だ。悟飯の知り合いでもなければ応援どころか試合も見なかったであろう。
 けれど悟飯にとってはあまり嬉しくなかった。そんなことを言っては罰が当たるのかもしれないが、素直に有難う御座いますと言うには何となく癪だった。
「僕とお父さんが当たったらどっち応援してくれます?」
「そりゃお前だろ」
 余り褒められたものではない感情から出た言葉だ。それでも聞きたいと思ってしまった。
 しかし名前は聞かなくても分かることを何故わざわざ聞くのかと首を傾げた。
「お前の応援に来たっつったろ」
 ずびし、と軽くチョップをかます。
 痛くも無いそれがとても嬉しくて、悟飯はついつい眉を下げて頬を緩めた。その言葉だけで大会に参加してよかったと思う。どんな応援を貰うよりも嬉しいと思ってしまう。
「で、いつものヘルメットどうした」
「大会規定で、著しく防御を上げる装備の着用は認められてないんですよ」
「だから、バンダナとグラサン」
「はい。格好いいでしょ」
 ンなわけあるかい。
 思うが、あのヘルメットよりはマシかもしれないと考え直す。当社比で、という前提はあるが。
 しかしだな。名前は手の中のサングラスを弄ぶ。
「お前グラサン似合わないのな」
 くすりと笑ってそれを自分の耳にかける。一瞬で視界が薄暗くなるそれは、戦うには不利だろうに。しかも眼鏡なのだから戦っている最中に外れないとも限らない。
 誰が考えたのか知らないが、間抜けなことだ。
 ブルマの提案とは知らぬ名前は頭の中で間抜けな誰かを想像して苦笑する。知らぬが仏とはこのことだ。
「目はもう大丈夫か?」
「はい、あ、これ、ありがとうございました」
 言ってハンカチを差し出す。
 胸に落ちた所為でその部分が湿っていたが、この陽気ならばすぐに乾くだろう。
 名前がハンカチを受け取り、そのまま何となく会話が途切れる。
 これが学校で、昼休みだったりしたら屋上で昼寝でもするのだけれど。生憎ここは学校でもなければ昼休みでもない。後二〇分もすれば試合が始まる。
 悟飯もそう思ったのだろう。
「ビーデルさんが待ってますから」
 微笑んで、立ち上がろうとする。
 トイレに行くといって来たのだからそろそろ戻らなければ怪しまれると思ってだろう。そんなことくらい、名前にも分かっている。いるがしかし、理性と感情はまた違うものなわけで。
 悟飯がどこかに行くのが嫌で、もう少しここにいて欲しくて、ビーデルよりも自分を選んで欲しくて。
 
 
 
 行くなと言う代わりに腕が伸びた。
 
 
 
 名前の手が悟飯のマントをしっかと掴み、その勢いで悟飯は浮かしかけた尻を再び地面につけた。
名前さん……?」
 不思議そうに名を呼ばれ、名前はひぎゃぁ、と心の中で悲鳴をあげた。顔には全くといっていいほど出ていないが。
 勝手に出たのだ。この右手が。そんで掴んだ。
「グラサン忘れてるぞ」
 何とか言い訳を見つけたはいいが、右手は離れてくれやしない。
 悟飯に変に思われる前に離すべきだと分かっているのに、離せばここからいなくなってしまうと思えばどうにもこうにも。
 まさかこんなに制御の利かない感情が自分にあるとは思わなかった。いや、こうなるかもしれないから必死で避けようと気付かないままでいようとしていたのに。
 気付いてしまった。いやまさか、などと言えない程に確実な答えに。
「あっ、そうですね。……バンダナも忘れてました」
 えへへ、と笑う姿。
 溢れ出る愛しさが怒涛の勢いで心臓に雪崩れ込む。お陰で一気に血が回って血管が破裂しそうだ。
「お前こそ若年性痴呆だろ」
「違いますよ。多分」
「多分って何だ」
 軽口の応酬に乾いた笑いを洩らす。さっきまでどうやって笑っていたのか一瞬で忘れてしまった。
 その間も悟飯はバンダナを何とか後ろ手で結ぼうと四苦八苦している。自分で結べないらしい。
 縋るような目を向けられ、名前は深くため息を吐いた。
 この男は人の気も知らんと。
「後ろ向け」
「ありがとうございます」
 照れ笑いを浮かべながら名前に背を向ける。悟飯からバンダナを受け取ると、額にそっと布を当て、ゆっくりと髪を覆っていった。
 耳に指が当たってくすぐったいのか、こめかみの辺りを布が滑ると肩をすくめた。
 最後にきゅっと結んで一丁上がりである。
「あとサングラス……」
「はい、失礼します」
 何。
 先ほどから自分の耳にかけっぱなしのサングラスを渡そうとしたら、それより先に悟飯の腕が伸びてきた。
 何事だと身構えるより速く手袋に覆われた指が名前の両耳に触れ、静かにサングラスを抜き取っていく。
 名前の髪を数本絡め取りながら離れていくサングラスを見つめていたら、気付いた悟飯がピタリとその動きを止めた。
「あっ、もしかして髪の毛引っ張っちゃいました!?」
「いや、大丈夫」
 見当はずれなことで焦る悟飯に否定の言葉を告げる。それに安心したのか悟飯はそのままサングラスをかけて再びグレートサイヤマンになる。
「あ、そうだ、名前さん」
「あん?」
「フルーツケーキって、どんな果物でも入れていいんですか?」
「どんなっつーか……まあ相性はあるだろうけど、ベリーとかなら大体ぶち込んでもいいんじゃないか」
 何でいきなりこんな話題だよ。首を傾げつつ、律儀に悟飯の質問に答える。
 悟飯は悟飯でなるほどそうかと一人で頷いている。
「あのですね、僕パオズ山に住んでるんですよ」
「知ってる」
「もう少ししたら、パオズ山って果物が一杯取れるんですよ」
 だからですね。
「僕が優勝したら、その果物でフルーツケーキ作ってくれませんか?」
 キラキラと輝く瞳。断られるかもしれないということよりも、望む先の腹の虫に勝てないといった風情だ。
 そして名前もその『おねだり』を断る理由などポケットの中にさえ無く。
「好きなだけ」
 サイヤ人の胃袋の真の恐ろしさを未だ完全には理解せぬままに史上最悪の約定を結んだ。
 
 
 けれど例え知っていたとしても頷いてしまっただろう、と名前は後に述懐する。

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