No.22

DB

滑って転んで気付く前に落ちている
 天にも昇る気持とはこのことだろうか。
 悟飯は緩む頬を押さえきれず、コツコツとテーブルを人差し指で叩いてリズムをとる。が、その指先が先ほどからテーブルを突き抜けて木の屑を撒き散らしていることに気付いていない。
 ビーデルと合流し先に会場へと向かった悟空たちの後を追い食堂に入り腹ごしらえ。何故か食事をしないビーデルに首を傾げつつお腹一杯になれば思い出すのは名前のこと。
 学校ではいつも食事の後に名前のデザートが差し出され、それを二人で食べるのが習慣だった。
 喧嘩も殺し合いも大嫌いだけど、純粋に強くなるのは好きだった。だからこの大会も強制参加とはいえ、そう嫌なものではなかった。
 けれど、毎日当たり前に存在していたものが急に消えるというのはこんなに寂しいものだったのかとこの一ヶ月で痛感したのも確か。
 だけど優勝したら。
 悟空もベジータも参加する大会で、確かに難しいとは思うけれど、困難が多い冒険ほど宝物を手にした時の喜びは大きいであろうし。その宝物が宇宙一の宝と知っているのだから、現在の悟飯は鼻先に人参をぶら下げられた馬のようなものだ。
「悟飯落ち着け」
「はい、落ち着きます!」
 ピッコロの完全に引いたような視線にもにっこりにこにこ笑い返す。
「悟飯、メシもういいのか?」
「はい、充分食べました!」
 未だ頬袋を作りながらの悟空の質問にもにっこりにこにこ笑い返す。
 おかしい。悟飯がおかしい。
 その場にいる悟空以外の人間は悟飯の様子がおかしいことに気付いていた。いたがしかし。
「悟飯君、浮かれすぎよ。もうすぐ試合だって分かってるの?」
「そうですね、最初は誰と当たるんだろう」
「そんなのくじ引きしてみないと分からないわよ」
 ビーデルの不機嫌な様子で大体の察しはつくというもの。
 そも、悟飯をここまで浮かれさせることが出来る人物など限られている。そのうちの一人がここで疑問符を撒き散らしているのだから、となれば……と想像力で充分にフォロー可能だ。
 詳しいことを聞いてみたいが、ビーデルに話しかけるとあまりにも恐ろしい形相で睨まれるので誰も何も聞くことは出来ない。
 クリリンの物問いたげな視線を気力で無視し、ビーデルはぎりりと奥歯をかみ締めた。
 ビーデルとしても言い分はある。
 トイレに行ったにしては妙に遅い悟飯にやきもきしていた所、頭に花を咲かせた悟飯がスキップでやって来たのだからそりゃあもう。その場で怒鳴りつけなかっただけマシな筈だ。
 もしかしたら、と思うこともある。
 ビーデルとて今日イレーザたちが自分の応援に来ていることは知っている。何せ大々的に学校で応援団の参加者を募っていたのだから。そしてその中に名前はいなかった。つまり。
 ビーデルの自称鋭い推測では、悟飯はトイレに行ったふりをして、名前に電話でもかけていたに違いない。
 実際は電話どころか本人に会っていたのだが、神ならぬ身であるビーデルにそんなことが分かるはずもない。どちらにしても名前が原因だろうということはこれまでの悟飯の行動を見ていて分からないわけがないのだ。
 どうせ大会でいいところまでいったらお腹一杯ご飯を奢ってもらうとか、そんな約束でもしたのだろう。こんな時女の勘は妙に鋭くなるのだ。
 料理なら自分にだって出来るのに。
 ビーデルは手袋に覆われた手を見つめた。
 確かに幼い頃から武道を嗜んでいる所為で同世代の女子高生よりは無骨な手かもしれない。家で働いてくれているコックたちに比べたら劣るかもしれない。
 けれど悟飯が望んでくれるなら、そのお腹が一杯になるまでだって作り続けるのに。どうしても、何があっても真っ先に名前を望む悟飯が寂しく、そして悔しい。
 こんなことならばもっと本を読んでおくべきだったのだろうか。そうすれば、悟飯と名前の話にも入れたり、悟飯に頼られたりしたのかもしれない。
 だがもうビーデルの知らぬうちに勝負は始まっており、ビーデルはリング際に追い詰められている。ならば自分にやれること、相手に出来ない技で勝負をかけるしかないではないか。
 そして名前になくビーデルにあるものといえばこれしか思い浮かばなかった。
 地球を救った男の娘として、一人の男に恋する乙女として、何が何でも優勝してみせる。やけに武闘派な考え方ではあるが、それでも彼女は本気だった。幼い頃から染み付いた習慣とはそう簡単に変えられないものである。
 はしゃいだ様子で顔色が悪く背の高い男に話しかける悟飯を睨みつけ、ビーデルはぐぐぐっと力強く拳を握った。
 もう少し目付きが悪ければ悟飯の好みだったのに、と思いながら。
 
 
 
 
 
 
 悟飯が地球上の誰よりもはしゃぎまくり、ビーデルが地球上の誰よりも力強く握りこぶしを作っている頃、名前が何をしていたかというと。
 
「 死 ぬ 」
 
 会場の壁に張り付いて物騒な台詞を吐いていた。
 
 心配そうに声を掛けてくれる心優しい人や巡回の警備員に何でもないと首を振り、それでも日陰になって冷えた壁にその白い頬を引っ付けていた。
 それじゃあここで。
 あの後、選手控え室と観客席へと分かれる道で軽く手を上げる悟飯に頷いて、名前も来た道を逆戻った。ぽてぽて歩く名前の足元に、真昼の太陽が濃い影を作る。
 あの場所から会場の入り口まで、会話らしい会話が出来なかった。
 何だか悟飯がしきりに話しかけていたようだったけれど、何と言うか、心臓の音に気を取られすぎてそれどころじゃないというか。
 一年分の拍動を一日で使い切るんじゃないだろうか。そんな風に思えるほど、名前にとって今の心臓は異常だった。
 こんなに激しい動悸など、年に一度のマラソン大会か運動会の強制五〇Mリレーの時ぐらいだ。
 このまま席に戻ってもブルマ達に面白がられるのは目に見えている。名前は自分から猛獣の巣に入り込む程馬鹿でもクソ度胸の持ち主でもなかった。
 楽しみにしています。そう言われた。
 何度も聞いた言葉だった。その度に嬉しいと思った。だけど、今日は何か違った。
「やっべぇ……」
 掠れた声で呟く。体中が熱を持ち、うっかりすると意味もなく叫び出しそうになる。
 浮かれている。そう自覚していても、だからどうすればいいなどという答えを名前は持っていなかった。故にただ一人こうして壁と仲良くなっている。わけなのだが。
「あ、いましたよヤムチャ様。名前さんです」
「おーい、名前ちゃん、そろそろ戻らないと試合始まっちゃうぜ」
 間が悪いというか。お人よしではあるのだろうと思う。思うがしかし。
「うん? 何だー、オレが格好よくて見惚れちゃった?」
「いえ違います」
 ビシ、とポーズを取ってみせるヤムチャの言葉を軽く否定する。トイレにしては遅い名前を迎えに来てくれたらしい。
 名前の返答に苦笑しつつくしゃくしゃと頭を撫でる様子は完全に子ども扱いである。流石にマーロンとまではいかないだろうが、ヤムチャにとっては同じようなものなのだろう。
 何せ悟飯は生まれた時からの付き合いと言うし、ブルマに至っては悟飯と名前が生まれる前から付き合っていたらしい。それだけ長く付き合っていて何故別れたのかなど詮索はしないが、ヤムチャの様子を見ていれば大体理由は分かる。
 今も名前の頭を撫でながらその視線はミニスカートのお姉さんの脚に釘付けだ。心なしかプーアルの視線も呆れ気味な気がする。
「ヤムチャ様、名前さんも見つけたんですからそろそろ戻りましょう」
「え? あ、あぁ、そうだな。名前ちゃん立てるかい?」
「はぁ。……別に倒れこんでたわけじゃありませんが」
「そう? まあいいや、行こうか」
 笑って手を差し出してくれる姿はまるっきりの好青年。名前はその手を取りながら、何でこんないい人が結婚出来ないとぼやくのだろうとちょっと首を傾げてみた。
 世の中には「いい人」で終わる人間もいるということを、恋愛経験値の低い名前は知る由も無かったが。
 よっこらしょ、と立ち上がれば丁度ヤムチャの手が視界の正面に入る。悟飯の手と違うけれど似ているそれに、名前は先ほどのっことを思い出して危うく倒れこみそうになった。
 気力で大地を踏みしめたのは、どうしたと聞かれても答えるには恥ずかしすぎるからに他ならない。
「ヤムチャさんも武道されてたんですか?」
 赤くなった頬に気付かれる前にと話を逸らす。が、初対面の相手との話題がそうあるわけでもない。となれば共通の知人の顔が浮かぶのは道理というもの。
 仕方無しに目に付いたものの感想を言えば、ヤムチャは素直に頷いた。
「うん。悟飯に聞いたのか?」
「いえ、孫の手と似てたんで」
「ふーん……」
 逸らしたつもりが三六〇度回転して戻ってきたらしく。
 これってもしかして自爆スイッチ? なんて。
 楽しそうな笑みを見せるヤムチャに名前の頬が一瞬引き攣った。
「いや、指、節っぽいし、筋肉ついてるし、大きいし、結構傷あるから」
「へぇ~、詳しいねぇ~」
 自爆スイッチ、誘爆。
 墓穴を掘ったことに気付き、名前はこの世の終わりを迎えたような表情になる。この場にクラスメイトや名前を知っている人間がいたら腰を抜かして空から槍が降ってこないか疑うであろう。
 だがヤムチャは今日初めて名前に会ったわけで、その希少価値には微塵も気付いていない。
 それよりも一瞬で顔色を変えた名前があまりにも真っ青で逆に心配になる。やはり「いい人」ではあるのだ。
「誰にも言わないよ。こういうのは……まぁ、他人が口挟むことでもないし」
「……そう、して、いただけると……」
 有り難いです。
 今にも消えそうな声で謝意を述べる。その様子にヤムチャとプーアルは顔を見合わせた。
 何故こんなにも色を失くすのかが分からない。
 名前と悟飯が一緒にいたのは少しの時間だったけれど、その間だけでも悟飯が名前に好意を持っていると察するには充分だったのだ。と言うよりも、あれが痴話喧嘩以外の何かに見える人間がいたとしたら、是非どういった感想を抱くのかを聞いてみたいほどだ。
 岡目八目ということだろうか。ヤムチャは首を傾げる。
 確かに物事には当事者よりも一歩引いた方がどういう状況なのかは見える場合がある。しかも恋愛事ときたら、自分の気持にも戸惑っているのだろう。
 自称恋愛の達人はそう結論付け、自分の隣をよろよろ歩く少女を見た。そして思う。
 サイヤ人ってのはこういうのに弱いんだろうか……?
 友人と元恋敵の顔を思い浮かべる。どちらの嫁さんも毛色は違うがサイヤ人相手に怖気もつかずむしろ叱り飛ばしている。特に孫家の嫁さんはそれが日常茶飯事だった。
 この子もそうなるんだろうか。そんな未来にちょっと恐ろしくなったが、同時に結構幸せそうな両家庭の姿も思い出す。
 また仲間内での既婚者といえばクリリンだが、あそこの嫁さんもキツいながらにかなり幸せそうだった。というかクリリン自身の口から「オレ今幸せ」という言葉飛び出している。
 そこまで考えて、さて自分はどうだろうかとヤムチャは空を見上げた。
 まだやんちゃ坊主だった頃、結婚に憧れを抱いていた。けれど女の子を見るとどうも緊張してしまい、我ながら凛々しい顔をしていたと思うのだが恋愛とは少し遠い生活だった。……あんな荒野を通る女の子なんて滅多にいなかったし。
 そして今、ブルマと付き合って別れて、女の子の扱いにも慣れて結構な数の恋愛をしてきた。結婚には憧れつつも、ぶっちゃけ今の暮らしも悪くないかな、なんて思っている。
 だけどたまに、たま~に、だけど。
 ちら、ともう一度名前を見る。悟飯と同い年だから、現在一六、七歳。ブルマや悟空と出会って、そのはちゃめちゃな冒険に巻き込まれて、あの狭い荒野から抜け出したのと同じ頃だ。羨ましい。その若さが。
 もう一度やり直してみたいと思うこともある。
 リセットボタンを押して、一六の頃に戻って、今後悔していることを。
 でも例えもう一度やり直したとしても、同じことで後悔するんだろうなとも思う。
 結局人は自分の望んだ人生しか送れないのだ。そう定められている。
 それがいい事か悪いことかは分からないが、ヤムチャにとってはそれで満足なのだからいいことなのだろう。今の人生だって割かし悪くない。
名前ちゃんはさ、悟飯のどこがよかったわけ?」
「は!?」
 いきなり何だ、という顔で見つめられる。名前とヤムチャではヤムチャの方が背が高い。自然名前が見上げる形になり、ヤムチャからは太陽の加減もあってその目の色がよく分かった。
 上質な漆を水晶に溶かし込めばこんな色が出るのかもしれない。
「いやさ、悟飯はもう親子みたいなもんだし……好奇心、って言ったら悪いのかも知んないけど、何でアイツを好きになってくれたのかなって」
「……孫の良い所ならヤムチャさんの方が知ってるんじゃないですか?」
「知ってるけど、オレ悟飯に惚れてないし」
 そりゃそうだ。名前は頷いた。惚れられても困る。名前とて恋敵が増えて喜ぶほどお人よしではない。
「すっとこどっこいなとこですよ」
 半分誤魔化し、半分本気。
 突っ込まれるかな、と思ったけれどヤムチャは「なるほど」と微笑んで何も言わなかった。代わりに名前の頭に再び手を置いてくしゃくしゃ髪を荒らす。
「いいなぁ、恋。してーなぁ」
「すりゃいいでしょう」
 羨ましいと思うのは、最近恋をしていないからだ。
 昔は。そうブルマと出会って都へと移り住んだ頃はそんな気持ちでいたのだろうけれど。最近は恋ではなく恋に似たゲームばかりをして、それはそれで楽しいのだけれど、例えば好きな相手のことを知人に指摘されて度を失ったり、嫌われまいかと焦ってみたり、そんな楽しみを忘れていたような気がする。
「そうなんだけどね、中々」
 しようと思って出来るもんじゃない。ということを久しぶりに思い出した。
「ヤムチャさんなら掴み取り出来るんじゃないですか」
「それ恋じゃないだろ」
「……そういやそうですね」
 頷く。
 恋はするものではなく落ちるもの、と言ったのは誰だったか。名前もよくは覚えていない。
「上手く隠された落とし穴みたいなもんですよね」
「お、上手いこと言うねぇ」
「受け売りですけど。でも、だとしたらヤムチャさん気をつけた方がいいですよ」
「足元に?」
「はぁ。予想出来ませんから」
「出来たら楽しくないしね」
「楽しいだけじゃありませんけど」
 ぶすくれて呟く姿は立派な恋する乙女だ。それが嬉しくて、ヤムチャは未だ手を乗せたままの名前の頭を更にかき混ぜた。
 プーアルが「失礼ですよ!」と困った声を出す。名前は何も言わない。ヤムチャはまだ撫でている。
「無いかなぁ、落とし穴」
「予想できる所にはないでしょうよ」
 現在進行形で恋をしている人間に言われると実感が篭もっている。
 そうだよなぁ。ヤムチャは頷いて、そっちの方が楽しいよな、と笑った。

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