ハッピーエンドを願っている


 


 カフェ・ドゥ・マゴの席から見える風景もあの頃とは少し変わった。
 過ぎ去った時間を思い返して承太郎は目を細める。今夜、杜王グランドホテルで仗助に会う約束になっている。承太郎はコーヒーに口をつける。美味しいはずのその味も今は苦く口内に残るだけだ。
 昼間であるせいかカフェ・ド・マゴは比較的に空いていた。ウェイトレスのひとりと目が合う。彼女はお盆で口を隠すと顔を赤くして目を逸らした。
「相変わらずですね。あなたは」
 聞き覚えのある声に顔を上げる。漫画家の岸辺露伴がスケッチブックを携えて立っていた。
「やはり取材には行くものだ。珍しい人物に会えた」
 露伴は承太郎の了承を得ないまま、向かいに座る。すかさず近寄ってきたウェイトレスに「アイスコーヒー」と告げた。
 ウェイトレスが去ったのを見届けて承太郎は口を開いた。
「その取材とやらはヘブンザドアーを使ったものか」
「ご想像にお任せします」
 露伴は涼しい顔で言った後、眉をひそめた。
「と言いたいところですが、あのクソッタレ……。失礼、仗助がうるさいでね」
 露伴の口から出た名に承太郎は気付かれないように奥歯を噛んだ。
 ウェイターがコーヒーを運んできた。露伴はそれを口に含むと思案するように承太郎を見た。
「先生は何か言いたいことがあるようだ」
「ここで会ったのも偶然ではないかもしれないな」
 独り言のように露伴は呟くと見るんですよ、言った。
「見る?」
「あいつが杜王町を徘徊している姿ですよ」
 それくらい、と言いかけた承太郎を露伴は目で制す。
「確かにあいつがこの町をひとりでぶらぶらしていても変ではない」
 露伴は肩を竦める。
「でもね、承太郎さん。おかしな場所ばかりだ」
「おかしな場所」
「ええ。人気のない田舎です。場所は」
 露伴の告げた場所は以前、仗助とネズミスタンド使いを仕留めた現場だった。
 数年前のことなのに鮮明に承太郎の中で、学生服を着て笑う仗助の姿が映し出される。
「杜王グランドホテルの一室の前に佇んでいたり」
 露伴は承太郎はチラリと見た。承太郎はそのルームナンバーを訊かなかった。
 耳の中で声がよみがえる。
――承太郎さん、勉強教えて欲しいっス。
――連絡すれば来ていいんスね。
「極め付けはこの前、海の岩場の上に立ってぼーっとして海を眺めていた」
 付き合っていられないから途中で帰りましたがね、と露伴は言った。
「岩場」
 数年前に仗助を抱きとめたことを不意に思い出した。潮風と雨の匂いと共に。
――今日、海に行ってきました。浅瀬には相変わらずカニしかいなかったっス。でもそこで見た夕日は綺麗でした。承太郎さんにも見せたかったっス。
 そう仗助が手紙に書いていたのはいつ頃だったのだろう。手書きで丁寧で書かれた文字に心が温かくなったことを覚えている。
――この前、クリスマスパーティをやりました。男三人で。てっきり康一は由花子と過ごすのかと思ったら、みんなでパーティーがしたいからって億泰の家でやりました。来年こそ彼女作ってやるって億泰のヤロー泣いてましたよ。承太郎さんは仕事でしたか。アメリカのクリスマスってすごそうっスね。
――オレ、もうすぐ卒業します。結局、成績はそこそこでしたけど。せっかく色々教えてもらったていうのにスミマセン。でも、やりたいことを見つけました。それで、いつかですけど。いつかあんたの住んでいるアメリカに行ってみたい。
 気まぐれに送られてくる手紙。残らず全てに目を通した。留守中に届いたものも必ず読んだ。杜王町で暮らす彼らの日常に想いを馳せた。
 懐かしくもあり、微笑ましくもあり、淋しくもあった。
 会いたい、と。
 仗助は一度も承太郎にそれを要求することはなかった。何故だろう。もし仗助がそう書いたのならば。
――わたしは。
 承太郎は息をのむ。
 今、正しく自分の感情を理解した。
 承太郎は待っていたのだ。仗助が「会いたい」と言ってくるのを。自分の定めた戒めを破るきっかけを。
――会いたかったのは、わたしの方か。
 承太郎は苦笑する。
「先生、今何時だ」
 露伴は奇妙なものを見るような目で承太郎の袖口を見たが、すぐに答えてくれた。
「ありがとう、先生」
 承太郎は伝票を持って立ち上がった。
「どういうことですか」
 承太郎は無言で首を振った。
 カフェの外に出たところで今日発のアメリカ航空チケットを取り出す。今すぐに杜王町を発たなければ間に合わない時間が刻まれていた。
 承太郎はしばらくそれを見つめた後、綺麗に手で二つに裂く。
 紙切れと化したチケットはひらひらと舞いながらゴミ箱の上へと落ちていった。

◇◆◇◆◇

 杜王町グランドホテル125号室。懐かしいこの部屋で承太郎は仗助を待っていた。
 この場所を希望したのは仗助だった。二十歳でせっかく飲酒が解禁されるのだから、思いっきり飲みたいという理由だ。承太郎としてはもっと良いレストランのディナーでも食べさせてやりたかったのだが。外であればおかしな雰囲気にはならないだろうとも思っていた。
 だが、問題はないはずだ。この話をした時、仗助の声色はとても落ち着いていた。もし仮に仗助の想いが変わっていなくとも、それを口にすることはないだろう。
 大丈夫だ。
 承太郎は机の上に所狭しと並べられたごちそうを眺める。サラダに、チキンに、そしてケーキ。高いワインもある。これを無駄にするようなことは仗助もしないはずだ。
 もし、妙な雰囲気になったら、卑怯だが、時を止めてしまえばいい。告白などさせない。そして、元の奇妙な叔父と甥の関係に戻ればいい。それだけが承太郎の望みだった。
 身に着けた腕時計を撫でる。少しだけ胸が痛んだ。
 その時、ノックの音が部屋に響いた。仗助が着いたようだ。承太郎は逸る気持ちを落ち着けてドアの前に立つ。
 不思議な気持ちだった。仗助はこの向こうにいる。
 ドアを開ける。仗助は昔と同じように立っていた。背が高くなっただろうか。身体つきも良くなった。顔は幼い印象が薄れて、しかし愛嬌のある甘い顔立ちは昔のままだ。
 承太郎は言葉を発することも忘れて仗助を眺めた。記憶の中にある仗助と現在の仗助との距離を縮めようとして。
 だから、反応が遅れた。
「好きです。承太郎さん」
 仗助のくちびるが言葉を紡ぐ。残酷なまでにゆっくりと。その音は承太郎の耳へと届いた。




2017/07/15