ハッピーエンドを願っている


 


 言うつもりなんてなかった。その時、その瞬間まで。全く。承太郎が離婚したと聞いていても。もし言うのだったら、もっとロマンティックなシチュエーションで。純愛派だから。そう決めていたはずなのに。
 驚きに見開かれた緑の瞳に言ってしまったのだと仗助は実感する。
 久しぶりに再会した甥は少しも変わっていなかった。そのことが嬉しくて、悔しかった。そうやって彼は誰にも弱みなんて見せずに傷を負っていく。 
 だから、ドアを開けた承太郎を見て、自分を見つめる目に優しさが灯るのを見て。息をするように自然とくちびるが動いた。
 呆然とする仗助の腕を承太郎が掴んだ。
「とりあえず中へ入れ」

 その部屋の中は最後に訪れた時と変わっていないようだった。違うのはテーブルの上に並んでいるごちそうくらいだ。承太郎が用意してくれたのだろう。
 仗助は腕を組んで厳しい顔をしている承太郎を見た。承太郎が口を開く。
「今のは聞かなかったことにしておく」
「承太郎さんっ」
「仗助」
 宥めるように名を呼ばれても、仗助はひるまなかった。正面から彼に向きあう。
「ずっとずっと前からあんたが好きです」
 二人はしばし睨み合った。目を逸らしてはいけない。仗助は強くそう思った。やがて 承太郎は大きくため息をついた。
「知っている」
 吐き出された言葉に仗助は驚かなかった。やはりあの時に承太郎に想いを吐露していたのかと思った。
「だが、それはただの勘違いってやつだ」
 続けて放たれた承太郎の言葉に仗助は息を止めた。
「え」
「稀に思春期にはそういうことがある」
 落ち着いた口調で承太郎は言った。
「近しい同性や年上の親戚。いわゆるイケナイ関係に憧れるを抱いたりする」
「妻子持ちにも?」
 付け足すと承太郎は仗助を睨んだ。
「わかっただろう。いい加減、目を覚ませ。おまえの感情は恋じゃあない」
「わかんねーっスよ」
 仗助は叫ぶように言った。
「そんなことは何度も何度も考えました」
 自分の感情はおかしいのだろうか。間違っているのだろうか。手紙を書く時だって、手が震えた。
 でも。それでも。
「おれは承太郎さんのことが好きです」
 もしできるならこの胸を割いて証明したい。どれだけ自分が承太郎の想いでいっぱいかを見せてしまいたい。
「おれの気持ちをなかった事にするのはやめて下さい」
 仗助の訴えを承太郎は黙って聞いていた。仗助は整った承太郎の顔を見つめる。険しいその表情に仗助は柔らかく笑いかけた。
「知ってますか、承太郎さん。おれって意外とモテるっスよ?」
 承太郎は何も言わない。
「だからっスかね。好意を持たれているかどうかってわかるんスよ」
 息を吸い込んで吐き出す。
「承太郎さん。仗助くんのこと好きっスよね」
 承太郎の眉間に深い皺ができる。
「そんな怖い顔しないで下さいよー」
 へらりと笑うと仗助は一歩踏み込んで承太郎の腕を取った。彼が振り払うよりも速く。その袖を捲り上げる。そこには見覚えのある腕時計があった。
「やっぱりあんたが持っていたんスね」
 手が振り払われる。承太郎の緑の目が仗助を睨む。
「何のことだ」
「露伴に訊いたんスよ」
――仗助、久しぶりじゃあないか。ずいぶんめかしこんでいるなぁ。
 杜王グランドホテルに向かう途中、ばったりとあった露伴は珍しい事に声をかけてきた。
 仗助は一刻も早く承太郎に会いたかったから、適当に愛想笑いを浮かべやり過ごそうとした。すると露伴が思い出したように言った。
――承太郎さんといえば随分安っぽい腕時計をしていたな
――腕時計? おい。それ、どこのメーカーだった。形は、色は。
――おいおいおいおい。どうしたんだ、急に。それよりももっとおかしいことにその腕時計は、
 露伴との会話を反芻しつつ仗助は問う。
「承太郎さん。あれはおれが用意したプレゼントっスよね」
 当時の気持ちを思い出して喉の奥が詰まる。
 この人に似合うものを必死に探した。でも、良いものは高くてまだ高校生だった仗助には手が出せなかった。
 くたくたになるまで歩き回って、雪までちらつき始めた頃、時計屋のディスプレイに飾られたひとつの腕時計が目に入った。シンプルだが、貧相に見えず落ち着いたデザイン。承太郎に似合うと思った。時を止めるというスタンドを持つ彼にぴったりだ。
 店員の人が包装する姿を見ながら仗助は思った。
 使ってくれなくても良い。ただ時々。彼が時計を見る何万回に一度でも。
 昔、年下の叔父からプレゼントをもらった事を思い出してくれれば。それだけで仗助の心は満たされる。それだけで良かった。それなのに。
「今も着けてくれてるんスね」
「使いやすいからだ」
 承太郎は視線を床に向けた。
「それだけだ」
 一片の希望さえない抱かせない声色で承太郎は言う。
――もっとおかしいことにその腕時計は、
 仗助の脳裏に露伴の声がよみがえる。
「じゃあ、その時計もう一度見せて下さいよ」
 努めて明るく仗助は言った。
「なんだと」
「いいじゃないスか。おれ、どんな時計を渡したか、忘れちゃって。そんなに使いやすいなら確かめてーっス」
 仗助は再び承太郎の腕を掴む。袖口から覗くその腕時計と久しぶりの対面を果たす。
 酷い状態だった。 文字盤にはヒビが入り、長針はひしゃげその動きを止めていた。
「なるほど。使いやすそうっスね」
「仗助」
 承太郎とやっと目が合った。目が潤みそうになる。
――あんたが悪い。
 壊れてるのに自分があげた腕時計をしてくれるなんて。都合よく解釈してしまう。勘違いしてしまう。
 仗助はクレイジーダイヤモンドを出現させる。クレイジーダイヤモンドの拳が腕時計へと降り注ぐ。瞬きする暇もなく、すぐに腕時計は時を刻む始めた。
「良かったー。部品は全部あったみたいっスね」
 明るい声で仗助は沈黙する承太郎に言った。
「承太郎さん、おれ――
 何度でも、何度でも。
「治します。あんたが傷付いたら、どこにでも飛んでいきます」
 だから。だから。
「ひとりで遠くになんて行かないで下さい」
 いつか見た夢を思い出す。海面に浮かぶ承太郎。届かない手。
 時々、不安になる。とんでもなく強い人だと知っているはずなのに。いつか仗助の手の届かない場所へ行ってしまうような。そんな気がするのだ。
「なんかスンマセン。せっかくの料理が冷めてしまいますね」
「仗助」
 聞こえないふりをして、ひたすら仗助はテーブルの料理へと視線を運ぶ。今、承太郎の顔を見たら泣いてしまいそうだった。
 けれど、強い力で引き寄せられて、気付いたら承太郎の腕の中にいた。
「え、ちょっと」
――泣くな」
 抵抗しようとする仗助を承太郎は抑えつける。
「泣いてなんてませんよ」
 しかし、承太郎は放してくれない。これはダメだ。心臓が破裂してしまう。
「オレの気持ち、知ってるんスよね。勘違いしちまいますよ」
「仗助」
 なのにますます力強く抱きしめられる。
「おまえの言う通りだ」
 仗助の耳元に承太郎は口を寄せる。
「この時計を見るたびに考えていた。おまえのことを。自分でも知らないうちに――
 耳に息が掠める。脳が沸騰しそうだ。
「愛していた」
 そう言って耳たぶにキス、された。
 するりと承太郎の気配が遠ざかる。仗助は顔を上げた。そして承太郎の表情に浮かぶ色を見て、胸を締めつけられる想いがした。
「だからおまえの気持ちに応えることはできない」
 幸せになれ、と彼は静かに言った。
 舞い上がっていた心に一筋の淋しさが差す。この人のわかりにくい優しさが愛おしくて憎い。
――そうやってあんたは大事なものから遠ざかる。
「なんで、あんたと一緒じゃ幸せになれねーって決めるつけるんスか」
 ふつふつと腹の奥から怒りが沸く
「仗助」
「承太郎さん、おれは」
――あんたに幸せにしてもらおうなんて思っちゃいない。
 仗助はまっすぐに彼の瞳を見つめる。
「おれが承太郎さんを幸せにします」
 精一杯の愛情を込めて言う。顔を見られたくなくて承太郎の胸に顔を埋めた。
 心臓が早鐘のように鳴っている。よく考えてらとんでもないことを言ったような気がする。まるでプロボースのような。
 ぐるぐると思考の渦に囚われていると頭上からクックックと笑う声がした。顔を上げた仗助は目を丸くする。承太郎が笑っている。
「ヒ、酷いっスよ。おれは真剣に」
「悪いな」
 馬鹿にしているわけじゃあないんだ。と彼は言った。
「ただガキだと思っていた奴が随分生意気なことを言うようになったもんだ」
「ガキじゃないっス」
 二十歳になったとすかさず主張する。
「そうだな」
不意に承太郎は笑いを収める。
「誕生日おめでとう」
 そう言って承太郎は仗助のくちびるに触れた。
「何するんスか」と抗議しようとして仗助はやめた。間近で見るその目は宝石そのものだった。
「いいのか」
 それだけだった。
 返事の代わりに承太郎にキスをする。柔らかい感触。ずっとこの感覚を覚えていようと仗助は思った。

 


2017/07/15