街の灯が群青の空を焦がす。飛空艇事件によってふいにされた昼間を取り戻すかのように、今宵の盛り場は一段と賑やかだ。 
 双子を自室に寝かせたカインは、最後の荷物を客間のベッドに転がした。随分ぞんざいに放り出したのだが、余程疲れているのだろう、エッジは瞼ぴくりとも動かさない。大の字で高いびきをかく大きな子供の傍らに腰掛けたカインは、一日分の疲労を吐き出した。固く結んだ飾紐を解き、腰までかかる長い髪を下ろす。湿気を含み重くなった髪は、束になって背中に垂れた。 
 目を瞑ると飛空艇の中で見た奇妙な生物の姿が浮かんでくる。他の生物に寄生する生命体はいくつか知っているが、ああまで宿主の外形を大きく変貌させてしまうものは見たことがない。獣に喰い裂かれた死体にも動ぜぬ自分が、完全寄生体のおぞましさには吐き気を覚えた。 
「バロンに一体何が……」 
 故郷と離れている分、寄せる想いは強くなる。飛空艇に搭乗していた異様な生物。その飛空艇を派遣した国と、まさか無関係ではあるまい。 
 深いため息を両手に沈めたカインは、髪を強く引かれ自然顔を上げた。 
「まぁた沈んでやがる。」 
 どこか人を食ったような印象を与える口調。肩越しに顔を振り向けると、組んだ両腕を枕に薄笑いを浮かべたエッジが瞳をこちらに真っ直ぐ向けていた。 
「起きたのか。」 
「ぶつぶつうるせぇんだよ。ったく、どうしてそう次から次へと悩みの種を拾ってくるかねぇ。」 
 一言投げると二言返る。大欠伸しいしい上体を起こしたエッジは、軽く前屈した。寝ている間に凝った筋肉が堅い音を立てる。 
「起こしてすまなかった。」 
 疑念を引きずったままのカインは※型通りの謝罪を述べた。一通り体を解し終えたエッジは、毛布を除け裸足を床に下ろす。 
「生真面目に謝んじゃねぇや。一人で悩んでも仕方ねぇだろってんだ。」 
 エッジは寝癖の付いた髪を更にかき混ぜながら立ち上がった。広げた膝に肘を付いたカインは、無造作に投げられた台詞につい微笑を漏らす。※ぶっきらぼうな態度の下に、覆い隠せぬ人の好さが透けて見える。 
 月明かりの元地上に蒔かれた星の輝きを見下ろし、エッジはめいっぱい両腕を伸ばした。寝起きの体に吹き寄せる颯かな風が心地良い。 
「あー、あ、変な時間に目ぇ覚ましちまったな。仕方ねぇ――」 
「言っておくが酒は飲むなよ。」 
「……分ぁったよ。茶でも飲んでくらぁ。」 
 先手を打たれ、エッジは渋々予定を変更した。大袈裟に床を鳴らして扉に歩み寄り、ノブに手を掛けたところで振り返る。 
「よぅ、お前も来いや。まだ眠くねぇだろ?」 
「そうだな。監視しておかんと心配だ。」 
 誘いを受け、カインは立ち上がった。それとほぼ同時に、扉が外からノックされる。 
「ハイウィンド殿、ジェラルダイン殿、お寝みですか?」 
 昼間塔の案内をしてくれた白魔導師と思しき女性の声。エッジは扉を引く。 
「待ってたぜお嬢さん! 俺様に――」 
「何か御用ですか?」 
 白魔導師の手を固く握るエッジの後頭部に手刀を喰わせ、カインは用向きを尋ねた。白魔導師は安堵の表情で一礼する。 
「長老がお二人に是非お話したいことがあると。蔵書室までお越し下さい。」 
「了解しました。支度が済み次第すぐに向かいます。」 
「はい、それでは。」 
 再び頭を下げた白魔導師は、華奢な後ろ姿を残し、廊下の向こうへ消える。 
 客室備え付けの軽装に着替えた二人は、薄暗い中壁伝いに緩やかな階段を降り、塔の最地下に向かった。下へ行くに従い、ひやりとした空気と古いインク臭が強まってくる。最後の一段を踏み、細い廊下の突き当たりにある小さな扉を開けると、溢れ出た温かい光が濃霧のように頬を撫でた。 
「大使殿、エブラーナ王殿、ご足労すまなんだのぅ。」 
 見上げるほど巨大な本棚の林の中央に据えられた樫の円卓。その上にうず高く積み上げられた本の間から枯れ枝のような指が覗き、視界を遮る壁を二つに分けた。 
「こちらにお掛けなされ。今茶を煎れるでな。」 
 並んで腰掛ける二人と入れ違いに長老は席を立つ。 
「いえ、お気遣い無――」 
「俺はそのまま、こいつはミルク入り砂糖抜きで。」 
 カインの言葉を遮り、エッジはそれぞれの好みを告げた。注文通りに香茶を煎れ、長老は髭を震わせ笑う。 
「ホッホッホッ、素直が一番じゃて。」 
「そーそ、好意は有り難くいただかにゃあ。」 
 異口同意義の忠告を受けたカインは、無言で湯気を吹いた。 
「さて、バロンの船の件、心より感謝いたす。本来ならばこちらで魔導師を派遣すべきだったのじゃが……」 
 長老は瞑目し、青磁の茶碗をゆっくりと回す。背もたれに反り返ったエッジは手を上げ、冗長な挨拶を打ち切らせた。 
「よせよ、じぃさん。あの船に魔物がいるって分かってたんだろ? 俺らもあの魔物の正体を知りたいわけよ、ちゃちゃっといこうぜ。」 
「うむ……エブラーナ王殿の言うとおりじゃな。すまんが、船の中におった魔物を描いていただけるかの?」 
 長く垂れ下がった白眉毛に瞳を隠した長老は、本の山から数枚の羊皮紙を抜き、ペンを添えて二人の前に置いた。エッジは目の前に横たわるペンの腹をつつき、カインの方へ転がす。指の長い手に握られたペンは紙の上を滑るように、おぞましい生物を描いた。思い出し描きのため輪郭が散らかっているが、幾重にも線を重ねて現した陰影が映える秀作だ。 
 船室で見た死体、操舵室で戦った操舵士、その操舵士から離れ襲ってきた血膿と、三体描き終えたカインは、エッジの鼻先にペンを突き出した。が、エッジはそれを押し戻す。 
「いや、俺様絵描くの苦手なんだよね。特徴言うから代わりに描いてくれや。」 
「ニンジャーのくせに何を言う。」 
「お前何でも忍者に託けんのやめろ! ったく……じゃ、言うからな。」 
 気を取り直し、エッジは機関室で遭遇した敵の詳細を伝えた。感覚で告げられる情報を繋ぎあわせ、カインは何とか変形砂虫の画を完成させる。 
「これでいいのか?」 
「おー、そうそう、こんなんこんなん!」 
「初めから砂虫と言えば良いものを……”しょげしょげもばもばってカンジ”じゃさっぱり分からん。」 
「まぁ、ちゃんと描けたんだからオッケーだろ? 出来たぜ、じぃさん。」 
 危うくペンをへし折る寸前だったカインを宥めたエッジは、本を読みに入っていた長老にお絵描きセット一式を返す。カイン画の魔物図を見た長老は、細滝のような眉毛の下から見開く瞳を覗かせた。 
「これは……何という事じゃ……!」 
 紙を挟む指が震える演出付きで、溜めを取り言葉を紡ぐ。エッジとカインは自然身を乗り出した。 
「なんだ? 随分と大仰じゃねぇ。」 
「長老、その魔物は……?」 
 青年二人の注視を浴びた長老は、魔物図を並べて机に置き深いため息を漏らす。 
「これは……ステュクスという魔物の本体と種子じゃ。」 
 不気味な砂虫と血膿に名が与えられた。二人は息を顰め、長老の次の言葉を待つ。 
「種子は大地に根を伸ばし、成長すると大地から離れ新たな地へ移動する。少々変わった繁殖方法の植物じゃが……」 
 長老は船員の死体、操舵士と順に指でなぞった。 
「まさか人を襲うなど……。」 
「なぁ、こりゃあ一体どこから湧いて出たんだ?」 
 渋面を頬杖に乗せたエッジは出自を問う。長老は頭を垂れ、深く長い息を吐き出した。 
「どこにでもいたのじゃよ…………二千年前はな。」 
「「二千年!?」」 
 長老の口から飛び出した途方もない歳月に青年二人は耳を疑った。通常教育で習う最古の歴史を優に二倍は上回っている。 
 長老は一番上に積まれていた分厚い本を開き、ページを繰った。真ん中ほどで指を止め、二人に示す。 
「学者が残した古代植物に関する文献じゃ。これによると、バロンでの目撃例を最後に絶滅したとなっておる。」 
 見開きの左ページを丸々使い、色褪せたインクが砂虫の姿を描く。その右隅に付された地図には、現在バロン城がある場所に赤く印があった。ここが最後の目撃場所なのだろう。 
 エッジは横目にカインを盗み見た。冷静を装う竜騎士の顔は陶器のように白い。 
 しばしの沈黙を経て、カインは口を開いた。 
「……明日、バロンへ調査に向かいます。デビルロード使用の許可を願いたい。」 
「うむ……。では、パロムとポロムを供になされよ。」 
「いえ、私一人で――」 
 単身乗り込む覚悟のカインを、長老は厳しい目で見つめる。 
「先週からバロンにいる魔導師達と連絡が付かんのじゃ。子供達の力は存じておろう? 大使殿が一緒であれば、万が一はあるまいて。」 
 カインは口を噤んだ。何が起こるか分からない場所へ幼い子供を同行させることに対する抵抗と、心強い味方を得ることが出来た安心とがごちゃごちゃと頭を巡る。 
 本を閉じ山に積み上げた長老は、思案顔で腕を組む一国の王に視線を向けた。 
「エブラーナ王殿、貴殿はどうなされる?」 
「俺かい? そうだなぁ――」 
 エッジは足を突っ張り、椅子を揺らす。 
「一回国へ戻るわ。悪ぃけど出発は昼にしてくれや。」 
「エッジ……!」 
 あくまで乗り気のエッジに、カインは眉を顰めた。エッジは口端を吊り上げ、糾弾者を覗き込む。 
「おいおい、野暮は言うなよ? 首突っ込んじまったら、最後まで乗るのがスジってもんだ。」 
「……勝手にしろ。」 
「じゃ、決まりだな♪」 
 一礼して席を立つ二人に、長老は懐から取り出した小さなガラス瓶の首飾りをそれぞれの首にかけた。見事な細工の施された小瓶の中には、ほのかに光を放つ薄氷色の液体が入っている。 
「クリスタルで浄めた水じゃ。幸運を呼び寄せると言われておる。持ってゆきなされ。」 
「ありがとうございます。」 
「お守りってヤツだな。」 
 蔵書室を後にし、客間へ戻った二人は明日に備えて眠りについた。心は逸るが、体を休めておかなければならない。 
 しばらく続いていた衣擦れの音もやがて絶え、静かな寝息が夜闇に溶けた。 
 
 翌朝。 
 少しだけ早起きしたポロムは、寝着のまま自室を出た。光に慣れぬ目をこすりこすり洗面所へ向かう。顔を洗ってしっかり目を覚まし、食堂の手伝いに行かなければならない。 
 窓から差し込む朝焼けに染まった祈りの塔内は、荘厳な静寂に支配されている。編み靴をつま先に引っかけ渡り廊下に出たポロムは、ふと視界の隅に人影を捕らえた。 
 薄靄のかかった中庭は肌寒い。新緑色の柔らかい朝日が降りる中、風を纏い長い手足を振り子のようにして踊る長身の影。数羽の小鳥を憩わせるその肩に、白金の弱光が掛かって見える。 
「……カインさん?」 
 ポロムが声をかけると、小鳥がふわりと空に舞った。長身の影が振り返り、程無くして靄の中から左肩に緩く髪を纏めたカインが現れる。※普段は凛と高く髪を結わえ、豪槍を軽々と振るう勇壮な騎士が、今は、楽琴の音に乗せ古い物語を口遊む詩人のようだ。昨日読み終えたばかりの絵本から抜け出してきたかのような青年の姿を前に、少女の瞼から眠気が吹き飛ぶ。 
 見知りの顔を見留め、青年の顔に笑みが浮かんだ。少女の頬にうっすらと紅が差す。 
「やあ、お早う。よく眠れたか?」 
「あ……おはようございます。お早いんですね。」 
 ぎこちなく笑み返し、ポロムは一歩引いた。 
「もう少しゆっくりしようと思ったんだが、どうも目が冴えてしまってな……。」 
 カインは頭の上で腕を交差させ体を反らす。 
「仕方がないから体を動かしていた。ポロムは何処へ?」 
「あの、顔を洗いに行きますの。」 
 寝着の前をきつく合わせ、ポロムは視線を外した。着替えを面倒に思った事が悔やまれてならない――と、ポロムの頭に昨日の記憶が甦る。 
「わ、私っ……いつ着替えたんでしょうかっ!?」 
 飛空艇の魔物を退治した後、着のみ着のまま眠ってしまったのだ。自分で着替えたのではないとすると、当然誰かが着替えさせてくれたのだろうが――。 
「え? ああ、お手伝いさんが着替えさせたようだが。」 
「良かったぁ……!!」 
 カインの答えに、ポロムは安堵の涙を浮かべた。もし着替えさせてくれたのが目の前に立つ男だったら――彼とは金輪際顔を合わせられない。 
「そ、それではっ……!」 
 七転八倒する表情に戸惑い顔のカインを残し、ポロムはそそくさとその場を去った。 
 
 朝焼けのヴェールを脱いだ太陽が世界を明るく彩る。カインにたたき起こされたエッジは、のべつまくなし文句を垂れ流しつつ着替えを済ませ、食堂へ向かった。 
「大体なぁ、毎朝毎朝訳分かんねぇ変な体操でバカみてーな時間に起こされてんだから、たまにゃゆっくり寝かせてくれたっていいじゃねぇか。」 
「変な体操じゃない。バロン国民第一健康体操だ。」 
 カインが毎朝日課としているバロン国民第一健康体操は、その名の通りバロン国民ならば遍く知っている一揃いの柔軟運動だ。特に士官学校の生徒は、夏期休暇中一日も欠かさず朝の六時に中央広場へ集合し、全員でこの体操を行う事を義務づけられている。士官学校時代、一日も欠かすことなく体操会に出席していたカインは、卒業してからも毎朝の習慣として続けていた。別段、意識して課しているわけではなく、その時間になると自然と目が覚めてしまうからだ。 
 そんなカインの事情はともかく、朝日の訪れと共に朗々と響く”バロン国民第一健康体操の歌”で叩き起こされるエッジは、たまったものではない。 
「名前なんてどうでもいいだろうが! 足をぉ交互に蹴り上げてェ〜なんつー愉快なかけ声を目覚ましにすんじゃねぇよ! 大体、足を交互に蹴り上げてんのに、どう解釈したら背伸びの運動になるんだよ?」 
「俺が知るか。」 
 矛盾した歌詞に対する突っ込みをぞんざいにはねのけたカインは、食堂の扉を開けた。 
 祈りの塔の入り口脇に設けられた食堂は、塔の職員と、隣接する魔法学院に通う生徒とが共同で使用しているため、中央広場が優々収まるほど広い。登塔した職員でごった返す食堂内を見回すと、窓際の席に長老の姿が見えた。カインとエッジは料理の注文を後にし、そちらへ足を向ける。 
「おっはよー!!」 
 と、背中に威勢の良い挨拶が飛んできた。 
「おはようございます。エッジさん、良く眠れましたか?」 
 木製の選択式朝食用トレーに各種惣菜の麺麭包みを山と盛ったパロムと、生鮮菜サラダ・根菜汁・焼き麺麭の惣菜乗せ三点セットを二つ重ね持ったポロムが、上手に人混みをすり抜け二人の元に走り寄ってきた。 
「隊長、挽肉パン取っといたぜっ!」 
 隊長と慕う男の好物を確保したパロムは小さな指で大きな勝利を示す。 
 絶妙のバランスで食料がそびえ立つトレーを受け取り、エッジは少年の頭をぐりぐり撫でた。一番上で不気味に揺れる麺麭の端をつまみ、香ばしく焼き上げられた挽肉炒めごと一口で頬張る。 
「んめー。えかひたろ、ふぁろむ。」 
 一方、ポロムは長身を見上げ、二段重ねのトレーを差しだした。 
「他に欲しい物がありましたら、遠慮なさらず言って下さいね。」 
「重かったろう? すまないな、ポロム。」 
 上のトレーを受け取り、カインは眉を寄せる。 
 それぞれ朝食を手にして席へ向かう途中、パロムがカインの横腹をつついた。 
「ニィちゃん、ニィちゃん、そのサラダの味付け、ポロムが――」 
「こ、こら! 余計な事言わないの!」 
 少年の密告は耳敏く聞きつけた姉によって打ち切られる。カインはサラダにかかる薄紫のソースに目を近付けた。 
「これは紫蘇葉か……懐かしい、ここの食堂にはあるんだな。」 
 紫蘇は、独特の色と香りが特徴の一年草である。バロンでは雑草と言っても差し支えないほどありふれた植物だが、気候の違いもあってか、ミシディアにはほとんど自生しないはずだ。紫蘇葉のドレッシングは好物の一つだったが、市場で見かける紫蘇は高額なので諦めていた。 
「ちがーうよニィちゃん、ポロムがさー賄いのおば――」 
「やめてったら!!」 
 悲鳴に近い声を上げたポロムは、おしゃべりの足を踏みつける。一連の騒動を見ていたエッジは、横から口を出した。 
「それ、ポロムが作ったんだろ?」 
「そうなのか!?」 
 驚いたカインは少女を凝視した。ポロムはちぎれんばかりに首を振る。 
「ち、違いますわ! 私はお手伝いしただけでっ……!」 
 失言に気付くが最早遅い。耳まで赤くなったポロムは、床に沈み込んでしまいそうな程俯いた。 
「なんでハズカシがるのさあ。いつもお世話になってるお礼なんだろ? 素直に言えばいいじゃん……。」 
 あまりの落ち込みように、パロムはおそるおそる声を掛ける。 
「そうそう、こいつ鈍いから言わなきゃ気付かねぇって。」 
 悪戯心からかまを掛けたエッジも、パロムの援護に入った。 
「何をやっておるのじゃね。」 
 一行の背後から響く重厚な声。待てど暮らせど戻らない双子と、姿を見せない二人組を探しに来た長老は、朝食用トレーの数を確認し、口を開いた。 
「……儂の分はどれじゃな?」 
「「あっ!」」 
 双子は顔を見合わせる。 
「じっちゃんごめん!」 
「すぐお持ちしますわ! カインさん、お願いします!」 
「あ、ああ……」 
 カインに自分のトレーを預けたポロムは、パロムと連れだって料理皿を並べた棚へ駆け戻った。 
 
 朝食の後、バロンへの同行を告げられた双子は二つ返事で快諾した。カインは最後まで難色を示したが、口の達者なエッジに長老まで加わっては反論する余地がない。 
 正午に祈りの塔前広場で集合を約束し、カインとエッジは一旦試練の山へ戻った。 
「んじゃ、行ってくら。」 
「ああ。……本当にいいのか?」 
 詰責の色を含んだ注視に、放蕩国王は肩を竦めた。 
「じいやはうっせぇだろうけどな。正午までに戻れるたぁ思うが、ま、ちっとぐらい遅れても待っててくれよ。」 
 彼曰く”事故”によってカイン宅裏に空いたデビルロード。濃白の靄をたたえる小さな泉は、そこに身を投じた者を遥か海を越えエブラーナの地へ送る。 
 エッジを見送ったカインは、まず大使館内の掃除を始めた。床を一掃きするごとに、漠然と漂っていた生活の匂いが消えていく。 
 やがて、大使館がうら寂れた廃虚のように片付いた頃、異常な量の荷物を抱えたエッジが戻ってきた。家財道具の一切合切だとでも言われなければ到底納得できない量の荷は、二時間かけて掃除した大使館を再び元通り――いや、それ以上に散らかしてくれる。 
「何なんだこの荷物は!!」 
「ああ、全部持ってくワケじゃねーから。」 
「当たり前だ……。」 
 あまりのことに怒りを通り越し脱力するカインを後目に、エッジは手早く携帯用荷物を選り分ける。 
「ほれ、ガキども待ってんぜ。」 
 整理整頓する努力を放棄したカインは、がらくたの山から己の荷物を掘り出した。マントの上から背嚢を背負い、壁に掛けておいた長槍を取る。携帯するには少々重くかさばるが、その分威力が高く用途が広い。 
「これを使うようなことにならなければいいがな……。」 
 鞘をしたまま槍を振り、胸を占める暗い予感を斬り払う。長く使っていなかった槍の重みを確かめたカインは、背嚢と斜め十字を描くようにして背に差した。 
「準備出来たかぁ?」 
「完了だ。」 
 エッジは腰の巾着から煙玉を取り出す。天頂にかかる太陽を覆い、白い煙が立ち上った。 
 
 ミシディア。祈りの塔前広場では、既に用意を終えた双子が、引率者の到着を待ちかねていた。 
 広場内で最も古い楡の大木の真上に登場したカインとエッジは、浮遊魔法の助けを借りて地面に降りる。 
「ねねねニィちゃん、フネフネ船乗せてくれるよなっ! ヤクソクしたもんね!」 
 よそ行き衣装に身を固めたパロムは、竜鱗を縫い合わせた帷子の裾にしがみついた。 
「シドが了解してくれたら、の話だぞ?」 
「おっちゃんならダイジョブだい! オイラ、マブダチなんだぜ!」 
「パロム! 遊びに行くんじゃないんだから!」 
 金糸で襟を飾ったワンピースを纏うポロムは、まるで遠足気分の弟を叱る。 
「まぁそう怒るなや。深刻な顔してたっておもしれぇ事ぁねんだからさ。」 
「エッジさん、そうやってパロムを甘やかしちゃダメです!」 
「うひょぉ、おっかね……。」 
 薮をつついて蛇を出した。エッジは大仰に肩を竦める。 
 大通りの南端に建つ石造りの小屋。入り口を警備する黒魔導師に敬礼を受け、四人は祭壇に足を踏み入れた。 
 大使館裏の急造デビルロードと違い、由緒正しきこちらの転送泉には、より確実な転送を補助するための魔法陣が泉を囲んで描かれている。 
「帰ったらさ、エブラーナ行きのやつにもこういう祭壇作ってくれよ。」 
「とっとと塞いでバロンに繋ぎ直せ!」 
 一番にエッジ、その後にカインが続いて転送泉に身を投じた。 
「ひゃっほーーー」 
 パロムの歓声を合図に、双子は手を繋ぎ飛び込む。 
 
 四人の出発を悟った長老は、窓を開け、光溢れる空を見上げた。彼らの行く手に待ち受けるものが何であろうと、祈り信じて待つより他にない。 
 バロンに吹く風が穏やかである事を願い、長老は瞑目した。 
 
 一方その頃。 
 粘り付く闇が瞼を離れない。夢と現の狭間に打ち寄せる意識を手繰り寄せると、世界が目映い光で二分された。 
 蝋燭の煙で煤けた壁が見える。カインは緩い浮遊感に支えられた足を一歩前に踏み出した。靴底が小石を噛み、じゃり、と音を立てる。 
 石床に降りたカインは、転送泉を振り返った。水面に燐光が現れ、幼い影絵を現す。八重彩の紗を纏うその姿は、祭の樹上に掲げられた大御光が使いのようだ。 
 双子の転送が無事完了した事を見届けたカインは、真っ先に到着したはずのエッジを探した。室内にいないところを見ると、先に外へ出て行ったのだろうか。 
「全く勝手な事を……」 
 仲間の身勝手を嘆きながら部屋を出たカインは、すぐ外の廊下でへたるエッジを発見した。 
「よぉ〜着いたかぁ……」 
 ふだん血色が良い分、青ざめた顔がより痛々しい。壁に凭れたエッジは、力無く手を振った。 
「大丈夫か?」 
「あ〜……ちっと調子に乗りすぎたわ……」 
 デビルロードは、大陸間の物資輸送を円滑にするため、古代ミシディアで開発された転送装置だ。開発の志こそ高かったものの、蓋を開けてみれば、時間短縮のみに※重点を置きすぎ、転送物・転送者にかかる負担が大きく、海上交通機関の発達に伴い封印された代物だ。 
 体力、精神力ともに充実していたカイン、魔力の防護膜を張る事で体にかかる負担を軽減していたパロム・ポロムと違い、休む時間を設けずに連続転送を行ったエッジの疲労は激しい。 
「少し休んでいこう。」 
 カインの提案に、エッジはがくりと頭を倒した。 
「すまねぇな。」 
「もうバロンに着いているんだ、急ぐ事はない。」 
 そう、急ぐ事はない。最後の行を自分自身に言い聞かせる。急ぐような事はない――なければ良い。 
 エッジの体力が回復するのを待つ間、パロムはそわそわと辺りを歩き回った。 
「ねねねねニィちゃん、町いろいろ見て回っていい? そうだ、ニィちゃんの家族に会わせてよ! ズバリ、ニィちゃんのお母さんって美人だろ!」 
「あ、私もぜひカインさんのご両親にお会いしたいですわ! 日頃のお礼を申し上げなければ。」 
 無邪気な言葉を受け、カインは静かに微笑する。 
「両親は俺が子供の頃に死んだんだ。」 
「「えっ……」」 
 カインの間近に迫った顔が、揃って驚きを浮かべる。 
「に、ニィちゃん、ごめん……。」 
「た、たいへん失礼な事を……。」 
「お前らが謝るようなこっちゃねぇさ。」 
 恐縮する双子に、後ろから声が飛んだ。 
「具合は?」 
 減らず口を叩いた相手に声を掛ける。相棒の気遣いを受け、エッジは片手を挙げて応えた。 
「バッチリよ……とはいかねぇが、待たせたな。」 
 蒼白だった顔に生気が戻っている。エッジは弾みを付け、長く暖めていた壁を離れた。 
「よし、行こう。」 
 転送室を取り囲む細い外廊を抜け、表通りへ通じる扉を開ける。 
 次の瞬間――カインの目に映ったのは、見慣れたバロンの町並みではなかった。こちらに敵意を向け、一列に咲いた十数本の真白い刃。群青に塗られた鎧は、バロン陸兵団警邏隊のものだ。 
「お出迎えご苦労……って感じじゃねぇなあ。」 
 カインは胸を潰す溜息を細く長く吐き下ろした。裏切りの罪を清算せず、過去に背を向けた自分は、この国に拒絶されて当然だろう――※しかし、思い直す。今、刃を向けられているのは自分だけではない。身元照合すらなくいきなり包囲――これではまるで、この国の土を踏むことが罪であるといわんばかりだ。デビルロードを使った出入国は禁止されていたが、それはミシディアとの平和約定締結以前の話であり、現在は出入国管理局での手続きが多少面倒になる程度のはずだ。 
「武器を置け。」 
 バロンの紋を白く染め抜いた緋色のマントを翻し、隊長が四人に武装解除を命ずる。 
「大人しく従えば危害は加えない。もう一度言う、武器を置け。」 
 カインは横に立つエッジの様子を窺った。エッジは目を伏せ、舌打ち一つ吐き捨てる。 
 驚くべき事に、最も抵抗を懸念された彼が誰よりも早く武器を手放した。腰の小刀、腕の苦無、その他、体のいたるところから不思議な形をした刃物が出てくる。 
「これで全部だ。」 
 足元に小山を築き、エッジは嘯いた。本当はもう一つ武器を隠しているのだが、身体検査を受けても杳とは知られぬ場所であるし、何より外すのが面倒だ。 
 エッジに倣い、カインも武装を解いた。父の形見である槍を地面に横たえ、両手を挙げる。続いて、双子もそれぞれの得物を地面に寝かせた。 
 隊長が腕を振り、命を下す。数人の兵士が四人の体に張り付き、腕から足まで入念に叩く。 
「武装解除、確認しました!」 
 身体検査を終えた兵士は、踵を打ち付け敬礼する。兵を列に戻し、隊長は一歩進み出た。 
「これより貴殿らの身柄を拘束する。大人しく従うなら捕縛はしない。同行願えるか。」 
「陛下にお目通り願いたい。」 
 刃に身を晒し、カインは一縷の望みにかける。だが、隊長は力無く頭を垂れた。 
「全ては陛下の御命です、ハイウィンド殿。」 
 固く握られていた竜騎士の拳が解け、長い指がポロムの目の前に落ちる。少女は手を伸ばし、その手にそっと触れた。 
 ふと指先を包んだ温もりを、カインはやんわりと握りしめる。 
 隊長が挙手で兵に指示を投げると、右端から見事な波を打って白刃が煌めき鞘に収まった。カインとエッジの両脇に二人ずつ、子供達の背後に一人ずつ、計六人の兵士が一行を取り囲む。 
 隊長に率いられ、兵士を引き連れて城までの道のりを行く間、カインが伏せた瞳を上げることはなかった。 
 
 外壁に添って植えられた無数の小さな花弁が、日に焼けた赤煉瓦を霞ませる。隊長と門番が敬礼を交わし、王城を閉ざす石門が砂を噛み口を開けた。 
 中庭で兵を解散させた隊長は、侵入者四人を連れ玉座の間へ向かう。 
 柔らかい毛足を踏みつけるように大股で歩くエッジは、観光者よろしくあちらこちら視線を巡らせた。世界随一の規模を誇る王国の象徴だけあって、天井の高さからしてエブラーナ城とは比べ物にならない。 
「でっけぇなあー……。一体誰が作ったんだろな?」 
「史記では建国王と言うことになっているが、はるか前世代からの遺物だと言う噂もある。」 
 慣れた廊下を複雑な面もちで歩くカインは、エッジの無邪気な問いに答えを返した。 
「噂って、お前住んでたんじゃねぇんかよ?」 
「住んでいたからと言って隅々まで知っているわけじゃない。歴代の王にしか立ち入りを許されない場所もあるし、それ以前に何度も改修工事を経ているから元の姿とは大分違ってしまったろう。」 
「へぇ……。」 
 近代的に見えるこの城のどこかに、途方もつかない過去への扉がひっそりと埋もれている――そんな幻想の色眼鏡を掛け、改めて城の中を見回したエッジは、右脇の扉に掛かる表札を目にし歩みを緩めた。神妙な面もちを並べて歩いていた双子の片方がそれに気付き、小さな声を上げる。 
「ねねね、竜き――」 
「しっ。」 
 弟を素早く諌めたポロムの目が、窺うように視野の隅を掠める。カインも気付かなかったわけではない。だが、意識的にそれを無視した。槍を打ち合う紋を掲げた扉の向こうに誰がいようと、今は関わりないのだ。 
 謁見の間と廊下を隔てる重厚な扉の前で、隊長は足を止めた。入り口を固める近衛兵に二、三言何かを告げ、扉を開く。 
 寸分の狂いもなく真っ直ぐに敷かれた赤い絨毯。その先に、掌ほどの玉座が見える。装飾刀を捧げ持った近衛兵の林を抜け、隊長は膝を折った。それに倣い、四人も順に膝を折る。 
「侵入者を捕らえました。」 
 近衛兵を脇に従えたバロン王は、眼下に五つの頭を見おろし、静かに口を開いた。 
「ご苦労。彼らと話をしたい、下がっていてくれ。」 
「ハッ。」 
 隊長は片膝をついたまま御前から一歩退いてから、立ち上がり敬礼をする。きっちり三つ足で廻れ右をした隊長は、警備の最後列に着いた。 
「皆、顔を上げてくれ。」 
 王の命に従い、四人は顔を上げる。カインが目にする親友の微笑は、紫銀色の前髪が覆う額に、翡翠を埋めた宝飾冠がはめられていることを除けば、共に旅をしていた頃と何も変わらなかった。そう、何時でも何かに心を痛め、どことなく曇のかかったあの笑みと。 
 一年ぶりに再会した親友の注視を避けるように、セシルは視線を僅か足下へ反らす。 
「懐かしい友人に再会できて本当に嬉しいよ。皆変わりなくて何よりだ。」 
「セシル……!」 
 選んだ挨拶をつぎはぐセシルに、カインは腰を浮かせた。エッジは、勢い前のめるカインの首根を掴んで引き戻す。 
「御託はいらねえよ。侵入者だなんつって引っ張って来たんだ、さぞやご大層な理由があんだろう、なあ?」 
 挑発的な言葉を微笑の仮面で跳ね、若き王は玉座を空けた。胸を張り、半ば天を仰ぐようにして口を開く。 
「如何なる者であろうと、現在この国への出入りは禁じられている。だが、君たちが即刻この国を去ってくれるのならば、今回だけは特例を認めよう。」 
 それぞれに驚きを浮かべる一行を見おろし、セシルはあくまで冷ややかに言葉を続けた。 
「もしこの申し出を受け入れず抵抗するならば、君達は反逆と同等の罪を犯したものとして扱われる。どちらの選択が賢明か、言うまでもないだろう?」 
 夢の中に放り出されたような気分で、カインは瞳を何とか動かし、隣の男の様子を窺った。冷静に努めようにも思考が停滞し、自分が向かうべき座標すら浮かんでこない。こんな時、常に行動指標が逆を向いているエッジならばどうするのだろう。 
 カインと視線をあわせたエッジは、その耳に呟きを滑らせた。 
「信じてやらにゃあ、なァ。」 
 言い終わると同時に立ち上がる。不敬を姿勢に現したエッジの背後で、近衛兵達が携えた剣の柄を鳴らした。 
 無言の威嚇を苦もなく背負い、エッジは真っ向から玉座に収まった馴染みの顔を見据える。 
「納得いかねえな。侵攻の次は国境封鎖だと? 礼儀知らずな手前勝手に従う義理なんざねえんだよ。」 
 懸念通りの展開を迎えたセシルは、きりと引いていた眉を僅かに曇らせた。あからさまに不服従を唱えたエッジは、近衛兵に取り囲まれる。 
「……それが君達の総意か。」 
 エッジに続き、カイン、双子の両肩にも冷光りする白刃が当てられた。罪人を引き立たせた近衛兵は、王の次なる命を待つ。 
「連れて行け。」 
「セシル、正気なのか!?」 
 親友の悲痛な叫びを黙殺し、セシルは片手を挙げた。踵を打ち鳴らして王に答えた近衛兵は、罪人を引き連れ玉座の間を後にする。 
 謁見を終えた王は、肘掛けに両の腕を張り長くため息を吐き出した。 
「皆、しばらく退室してくれ。私が呼ぶまで誰もここには立ち入らぬよう。」 
 人払いの命に戸惑うざわめきも、しばらくせぬうちに絶える。彼を王と認識する者がいなくなった謁見の間で、セシルは額冠を外した。 




LastModify : April/14/2015.