※実際耳には聞こえているはずのプロペラ作動音が分からない 井戸の底にいるような閉塞感 
 船腹に取り付けられた丸窓の向こうに、日光を反射する深い青がきらめく。 
「バロンじゃ自由にヒクーテイに乗れるんだろ? いいなぁ~。」 
 背伸びして採光窓を覗き込むパロムの言葉に、カインはつい笑みを漏らす。祖国に深い傷を負わせたバロンの最先端技術を、屈託なく受け入れはしゃぐ少年の姿が眩しい。 
「機会があったらシドに頼んでみよう。旧型の飛空艇なら飛ばしてくれるかもしれん。」 
「ホント!? 絶対、ぜったい約束だぜニィちゃん!」 
「ああ。」 
 約束を取り付けたパロムは、手持ちの薬用酒を一気に飲み干し、正拳突きの構えを取る。 
「よっしゃー、やる気ぜんかーい!」 
 俄然張り切るパロムを壁に添わせ、カインは扉に近付いた。扉越しに中の様子を窺う。 
「あのさ、ニィちゃん。」 
「どうした?」 
 部屋の中で動く気配はない。カインは少年に顔を向けた。 
「えっとさぁ、ニィちゃんて、けっこう良い奴だよなっ。」 
 言いながら、パロムは平板張りの壁にぐりぐりと頭を押しつける。 
「あんちゃ……バロン王から聞いてたカンジだとさ、何か怖い奴ってカンジだったんだけどさ、でも、あんまり怒ったりとかしないしさ。」 
「そうか、ありがとう。」 
 これまでの評価を正反対に覆してしまうほど、少年にとって飛空艇は魅力的なものであったらしい。彼なりの恐らく最大の感謝を表そうと考え考え言葉を繋ぐ姿に笑みを返し、カインは扉を軽くノックした。 
「我々はミシディアの者だ。生存者がいるなら返事をしろ。」 
 声をかけると同時に扉を開ける。 
※瞬間、見えない鎚に顔面をひどく殴りつけられるような 頭が割れるほどの耳鳴り 体中から力が抜け、視界が波打つ。とっさに槍で床を突き転倒だけは避けたが、床に付いた片膝になかなか力が戻らない。 
「ニィちゃん!?」 
 パロムは慌てて構えを崩した竜騎士に駆けよる。その顔色は、傍目に十分分かるほど真っ青だ。 
「このおっ!!」 
 酷い挨拶を見舞った張本人を確かめるため、パロムは顔を上げる。 
 そして、見た。 
 舵輪の前に不自然な格好で直立し、こちらを恐らくは”見て”いる生物。形だけは辛うじて人間の姿を止めているが、※垂れ下がった神経から伸びる枯花色の筋が顔面を覆い尽くし、完全に解けた脳が頭蓋骨より溢れて皮膚を破り、到るところで露出した筋繊維と融合している。 
 これと較べてしまうなら、船室で見た屍すら幾分も増しだった。下腹に取り付いた巨大な血膿が鼓動する度、弓なりに反り返った指が断末魔のようにのたうつ。 
「……うぅっ……」 
※滲んだ涙が視界がぼやけさせ、醜悪な姿にモザイクを掛ける。パロムは、感電したように痺れる手を固く握り込んだ。逃げ出したい気持ちを堪え、精一杯に眉を引き上げ睨み付ける。 
「よくもニィちゃんを! このやろー!」 
 腹の底から大声を出し、パロムは怒りを奮い立たせた。依然体力の戻らないカインを背に庇い、両腕を顔の前で交差させる。怪物の周囲を取り巻くようにきらめく靄が湧いた。 
「凍えろっ、ブリザラ!」 
 号令一喝。靄が無数の氷牙と化し、怪物の表皮を切り裂く。破られた傷口から噴出す血が氷を溶かし薄煙に変えた。 
 空気中の水蒸気を集めて冷却し氷刃と化す黒魔法、ブリザラ。試練の山を閉ざす炎壁すら凍らしめた、少年が最も得意とする術だ。 
 しかし、上級魔法にも匹敵する威力のブリザラを受け、多量の体液を失ったにも関わらずそれは倒れなかった。みるみるうちに裂かれた皮膚が再生していく。 
「こいつー……」 
 程無く完全に再生した怪物は、ぎこちなく口を開げた。音もなく目にも見えないざわめきが起こる。 
「デジョンっ!」 
 間一髪、目の前に広がった闇が敵の放った力を打ち消した。本来目標を物質世界から消滅させる術だが、前方に効果を張れば簡易防御壁として機能するかもしれない――とっさの閃きがこれほど上手くいくとは思わなかった。 
 魔法大国ミシディアをして天才といわしめた所以を目の当たりにしたカインは、保護対象としか見ていなかった己を恥じる。様々な逸話を耳にしてはいたが、家に来る度エッジとつるんで悪戯を繰り返す姿と、ミシディア史上屈指の黒魔導師では感覚的に結びつかなかったのだ。 
 ※槍で床を突いて弾みを付け、カインは立ち上がる。体の端々に軽い痺れこそ残っているが、十分に戦えるだけの体力は戻った。 
「ニィちゃん、ダイジョブか?」 
「ああ。十分に休ませてもらった。」 
 パロムと並んだカインは槍を半型に構える。 
「切りつけたらバイオを頼む。」 
「りょーかい!」 
 指示と同時に竜騎士は床を蹴った。宙を滑って間合いを詰め、袈裟に斬り上げる。すかさずパロムは左手を掲げた。 
「蝕めバイオ!」 
 大きく裂けた傷口を猛毒の黴が嘗め尽くす。再生を阻まれた怪物は、舵輪に凭れかかるようにして崩折れた。指揮系統と思しき下腹部の血膿を潰すため、カインは再び槍を向ける。と、怪物の全体が大きく跳ね上がった。隈無く張り巡らせた触手を無理矢理に引き千切り、血膿が宿主の下腹部を離れる。床を這う血膿に引かれて顔面を覆っていた神経も剥がれ、神経に通じる臓物が開いた頭から溢れた。 
 カインは素早く至近距離から飛び退く。が、血膿から延びた新たな触手に引脚を捕らえられた。一本切り払う間に二本延び、それを足がかりにして見る間に太さを増す。 
「ニィちゃん!!」 
 パロムは小刀を抜き、触手切断に加担する。しかし、非力な斬撃では表面を傷つける事しかできない。 
 脈打つ管を伝い、血膿は新たな宿主の元へ移動する。 
「燃やせ!」 
※少年に最終手段行使を強いる 
「でもニィちゃんが――」 
「迷っている暇はない!」 
 進行を食い止めるため、カインは血膿を掴み押し止めた。その腕にまで触手が絡み付く。 
 パロムは目を閉じ、両手を胸の前で組み合わせた。 
「……フレア!」 
 悲鳴のような少年の声。灼熱の闇が視界を呑み込んだ。 
 
 
 地上から見た限りでは船酔い必至と思われたが、船内にいる分にはあまり揺れを感じない。 
 階段を降りきると熱気に顔を覆われた。廊下も天井も鋼鉄が張られているため、動力炉から放射される熱を逃がさないのだ。 
「あぢ~~……ちくしょう計りやがったなカインの野郎……」 
 すっかり根を上げたエッジは、額で流れを作る汗をマントで拭った。こんな場所に長居をしたら脱水症状を起こしてしまう。 
「とっとと終わらして脱出しよ~ぜぇ……」 
「ハイ……。」 
 応えるポロムもかなり参っているようだ。ローブの裾をまくし上げ、びっしりと汗滴に覆われた腕を外気に晒す。 
 エッジは頭をかき、しゃがんでポロムと目線を合わせた。 
「ちょっといいか?」 
「はい? 何か……」 
 一言断り、エッジはいきなり足元まで覆う長いローブの裾を膝下で裂いた。巾着から縫い針を取り出し、あまった布から糸を抜くと、解れないよう手早くまつり縫いを施す。 
「ほれ、袖も。」 
 丈詰めを終えたエッジは縫い針をくわえ、目を丸くしているポロムに手を伸べた。 
「えっ、あのっ……」 
 ポロムは言われるままにおずおずと手を差し出す。エッジは両袖を外し、端切れで小さな手甲を一式拵えた。腕を通させサイズを調節する。 
「一丁上がりっと。」 
 手際よく夏服を仕立てたエッジは、縫い針を巾着の内側に留め、一歩下がって出来具合を吟味した。 
「おー、なかなかイイじゃん。」 
 即興にしてはなかなかの出来である。重たげな感が随分和らいだ。 
「あのっ、あ、ありがとうございます。お裁縫、上手なんですね。」 
 顔を真っ赤にしたポロムは深々と頭を下げた。意外な特技を披露した忍者は屈託無く笑う。 
「驚れーたろ? 仏頂面の竜騎士がテメェの服くらいテメェで繕えっつってな、ヤロー二人ツラ突き合わせて毎夜毎夜ちくちくちくちく……」 
 エッジは大げさな手振りで不気味な裁縫講習会を再現する。やれ目が飛んだの縫い目が雑だのと小言が飛び交う様をリアルに想像し、ポロムは思わず吹きだした。 
「あいつホンットうっせぇーの。小姑だねまるで……と、盛り上がったところで参りましょーや!」 
「ハイ!」 
 横隔膜の痙攣を堪え、ポロムは元気よく応える。エッジはポロムを壁に添わせ、金属製の分厚い扉を靴のつま先でノックした。 
「ミシディアの者だ。生きてたら返事しな。」 
 声をかけ、応答を待つ。中で動いた気配はない。 
 エッジは袖を引き上げて手を覆い、そっとノブに触れる。瞬間、鑢を擦り合わせるような音が、袖から白煙を立ち上げた。 
「ぢぃっ!」 
 エッジは慌てて腕を振る。手首周りの布が吸っていた汗を全て蒸発させ、煙は程なく消えた。 
「大丈夫ですか?」 
「おう。」 
 心配するポロムに苦笑を返し、エッジは袖とマントで二重に手を覆った。ノブを下ろし、扉を開ける。 
 ※と、凄まじい蒸気が噴き出した。熱の洗礼を浴びたエッジは、背けた顔を両腕でかばう。 
「シェル!」 
 ポロムは素早く杖を振った。エッジの体を虹色にきらめく貝殻形の光が包み、熱に対する防御膜をなす。 
 機転の利く相棒に感謝の目配せを送り、エッジは改めて周囲を曇らせる靄をかき分け室内に足を踏み入れた。自らにも防護膜を張り、ポロムも後に続く。 
 機関室内は灼熱地獄と化していた。両脇の壁に沿って走る鋼管の表面が赤熱し、視界が歪んで見える。ポロムの守護膜がなければ五秒として中にいられまい。 
 最奥に置かれた巨大な動力炉は狂ったように燃えさかり、燃料供給管との接合部から薄い煙があがっている。 
「こ~りゃ見込みなしだわ……。」 
 周囲を見回し生存者無しを確信したエッジは、徒労を払うため勢いよく伸びをした。めいっぱいに伸ばした指の先が鋼管に触れる。 
「うわぢぃっ!」 
 派手な叫びを上げたエッジは慌てて飛び退く。と、背後の鋼管から今度は炎が吹き出した。 
「だあっ!?」 
 炎に飛び込む寸前で華麗なステップを踏み、後ろへ傾いた重心を無理矢理横にねじ曲げる。 
 助けようと駆け寄ったポロムだったが、緊迫した状況と滑稽な動きの落差にとうとう堪えきれず吹き出した。 
「エッジさん、かわいい……。」 
 ポロムの手を借り体勢を立て直したエッジは、思わぬ賛辞に苦笑する。他人に可愛いと言われるのはかれこれ十何年ぶりではないだろうか。 
 ひとしきり笑った後、ポロムはシェルの張り替えを行った。刻一刻と暑さが増してくる。守護膜ももうすぐ利かなくなるだろう。 
「脱出しましょうか?」 
「そうだな……」 
 エッジは汗まみれの顎に手を当てた。こんな場所には一秒たりとも長居したくはないが、このまま放っておけば程なく動力炉は臨界に達するだろう。その後に待つのは爆発だ。別行動を初めてまだ十分。操舵室組が何らかの事故に遭遇している可能性を鑑み、もうしばらく時間を稼いでおいてやりたい。 
「とりあえず、動力炉いじってみら。ちっとここで待ってな。」 
「はい。」 
 ポロムをその場に待機させ、エッジは動力炉に近付いた。 
「ちくしょう、暑ぃぞ……」 
 炉の内部で燃え滾る赤熱が顔皮を炙る。※首覆を鼻上まで引き上げる 大した効果はないがしないより幾分かマシ?気分的に 
 土台に取り付けられたプレートの型番を確認し、エッジはまず向かって右のハンドルを回した。ハンドルは熱伝導率の低いミスリル製だが、袖とマントで二重に覆っても肌を燻す熱を感じる。掌を冷まし冷まし燃料の供給弁を閉めたエッジは、次に反対側の調節盤を覗き込んだ。 
「んで、確か……こうだったかな?」 
 バロンの飛空艇オヤジことシドに、”ファルコン”の改造を手伝わされた経験が、思わぬところで役に立った。全ての作業を終えてスイッチを切り替えると、動力炉の運転音が低く変わる。 
「これでちったぁ保つだろ。後はあいつらと合流して――」 
 応急処置を済ませたエッジは踵を返した。暑さに打ちのめされそうになる体を杖で支えながら、作業の終了を待っていたポロムと手を繋ぐ。幼い白魔導師の手は、水を大量に吸った真綿のように重く冷たい。 
「もうちっとの辛抱だからよ。」 
 素っ気ない言葉と裏腹に、エッジは繋いだ指に力を込める。 
「大丈夫ですわ。」 
 ポロムは気丈な笑顔を浮かべた。エッジは無言でノブに手を掛ける。 
 二、三度ノブを上下させたエッジは、顔色を変えた。繋いでいた手を離し、扉に体当たりを始める。 
「どうしました?」 
「開かねぇ!」 
 金属の扉が熱で膨張してしまったのか。五度の体当たりで肩を痛めたエッジは、苛立ちを露わに扉を蹴りつける。 
「冗談じゃねぇぞ、おいッ!」 
 こんな事なら扉を開け放しておくべきだった――己の不手際を責めかけ、エッジはふと気付いた。 
「……なぁ、俺、ドア閉めたか?」 
「エッジさん!」 
 鋭い叫びが耳を打つ。振り向きざまポロムと同じ物を目にしたエッジは、口端をつり上げた。 
「なるほど……こうやって船員を喰いモンにしてやがったか……」 
 動力炉の背後から現れた巨大な砂虫に似た生物が、腹の下に生えた無数の触手で床を掃くようにゆっくりとこちらに近づいてくる。エッジは武具帯から飛蟲針を抜き構えた。 
 ※事情把握 上空で内部から襲われる可能性はほとんどない 警戒は船外へ向き、船内はどうしても手薄・迂闊?に 炉の異常を起こし、様子を見に来た船員を一人ずつ犠牲に 知能なさそうだし計画して行ったことだとは思い難いが とにかく、捕食はまんまとうまくいったわけだ 自分たちが乗ってくるまでは(エッジ様が現れるまでは) 自分たちと、船員たちとは異なる点がある。エブラーナ忍術の手練はそうそう簡単に餌食にならないという点だ 
「援護頼むぜ!」 
「ハイ! 汝れに守護をっプロテス、シェル!」 
 ポロムは手にした杖で四拍子を刻む。重心を低く取る痩身を、二重の守護膜が包み込んだ。 
 灼熱の炉を覆い尽くした巨大砂虫は、赤黒くぬめ光りする触手を新たな獲物に向かって伸ばした。エッジはすり足で慎重に間合いを計る。と、腹の中央部から伸びる一際太い触手の先端が十字に割れ、中から五体の血膿が飛び出した。三本の長い血管を垂らした血膿は、腹の中央を大きく開き、細かく生えそろった牙をむき出す。 
「喰うか!」 
 エッジの両腕が閃き、空中を斜め十字に切った。手から放たれた四本の飛蟲針が、標的の腹を貫き床にたたき落とす。蜘蛛飾りの内部に蓄えられた猛毒が、腹に大穴空けて尚蠢く血膿にとどめを刺した。 
「ざまぁ!」 
 最後の飛蟲針で残る一匹を切り払い、返す手で先端を開いたままの触手めがけて投げる。狙いは僅かに逸れ、触手の左端に長い蚯蚓腫れを引いた。 
「とどまりなさいっ、ホールド!」 
※ ポロムの呪文が砂虫の巨体を縛る。ミスリル刀を抜いたエッジは一気に間合いを詰め、張り出した鋼管を足場に跳躍した。熱された鋼管を蹴る靴底が白煙を上げる。 
「見よう見まねジャーンプ!」 
 適当に思いついた技名を叫び、落下速度で砂虫の体を縦一文字に割る。深く抉れた傷口から、腐った果実のような色をした粘液が吹き出した。 
 ※鋭い円月で汚れを振り落とした刃を鞘に収める。粘液が流れ出すに従い、砂虫は徐々にその形を崩していく。 
「案外大したことねぇ……バロンの飛空艇部隊がこんなモンにやられたのか?」 
 粘液とともに流れてきた飛蟲針を拾い、エッジは首を傾げた。※あまりに呆気なさすぎる。自分には及ばぬといえバロンの軍人をして、はるかに良好な環境下で、こんな砂虫もどきの退治に手こずるとは思えない。 
「エッジさん、まだ!」 
 ※ポロムの声で場に返ったエッジは、異変を目にして口を結んだ。 
 真二つに切り離された砂虫の体が、瞬きの追い付かぬ速度で元に戻っていく。失った粘液の分いくらか小さくなってはいるが、崩れかけていた外形が再生し、続いて傷口が癒着する。 
「マジかよ……どーしろってんだ……」 
 再び刀を抜いたエッジは、額を濡らす汗を拭った。暑さに曇る思考を懸命に回転させる。 
「再生させずに倒す方法……確かいたよな、こーいう……」 
 敵が再び主腕を伸ばした。※バカ正直に真正面から来た触手を刃の広い面で払い流す 触手の左側面に残る鮮血色の蚯蚓腫れが顔の横を流れて過ぎる。 
「……それだ!」 
 ※戻る触手をくぐってやり過ごし、エッジは飛蟲針を逆手に持ち換え 
 その瞬間。 
「パロム!?」 
 爆発音がポロムの声を薙ぎ払う。頭上から降り注いだ灼熱の光が視界の全てを白く塗り潰した。 
 小さな温もりが、刀を握るその手に触れる。胸の底が泡立つような感覚とともに、体が重力から解き放たれた。 
 
 蒼空を映す波間に閃光が生まれた。丸く膨れ上がった光は徐々に収束し、海面に向かいながら陽炎のように輝く。 
 恵みの陽光と並んで燃える破壊の炎が、空翔る船を巨大な松明と舐め尽くすまで、そう時間はかからなかった。 
 
 生い茂る緑が風に吹かれ、囁きながら揺れる。状況を把握できず、エッジは何度も瞬いた。 
 視界の下に祈りの塔の白い屋根がちらちら映る。顔を左にねじ曲げると、頬に軽い焼け焦げを負ったカインが、目を丸くしてこちらを見つめ返してきた。 
「気が付きましたか?」 
 ポロムの声に上体を起こすと、すぐ目の前でパロムが胡坐船の櫓を漕いでいる。弟の隣で、ポロムが小首を傾げた。※エッジはカインに目を戻す。 
「どーなってんだ……?」 
「さあ……。」 
 思考する努力を放棄し、カインは目を伏せる。疲労に遊蕩う相棒に肩を竦めたエッジは、問いの宛先を変えた。 
「なぁ、どうやって脱出したんだ?」 
 遊び疲れた子供を見守る母親のような穏やかな笑顔を浮かべ、ポロムは軽く屈伸する。 
「”ふたりがけ”ですわ。パロムと心を通じて、同時にテレポを唱えたんです。」 
 分かったような分からないような。そういえば、ミシディアの幼い双子魔導師は、精神共鳴によって魔法の効力を二倍にする特殊能力を持っているという話を、セシルから聞いた覚えがある。心を通じて、というのは、精神共鳴を使用した際の感覚を表した言葉か。 
「ま、とりあえず……助かったっつー事か……」 
 投げやりに結果を享受し、エッジは頭を後ろに倒した。風景が流れ、視界いっぱいに空が広がる。 
 大の字になり直してから物の数秒で熟睡に入ったエッジの鼾を聞きながら、カインは寝返りを打った。鼻先を小さな羽虫が行き過ぎる。 
 自分は何故助かったのだろうか。パロムが敵を焼き尽くすべくフレアを唱えるのを、この目で確かに見たのだが。 
「本当に驚かされる……。」 
 術者本人が寝てしまっている今、他の誰も疑問に答えられはすまい。カインは四肢から力を抜いた。大地に横たわる体に睡魔が寄り添う。 
 広場で雑魚寝を始めた男勢の無邪気な顔を覗き見、ポロムはしばしの安息に浸った。 
 そう――これはしばしの安息。 
「嫌な予感がしますわ……。」 
 呟きを膝に落とし、ポロムは杖を固く抱きしめる。魔法の連続使用からくる疲労が、間もなく少女の意識を夢へと誘った。 
 
 数時間後、他に先んじて目覚めたカインは、幼い二人とでかい図体一つ担いで祈りの塔を登る羽目になる。



LastModify : October/14/2022.