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涙の温度

「船長! 西南の方向に記録指針がしめさない島が見えます!」
「おう勿論上陸する、お前ら準備だ!」
 見張りだった航海士の報告は、ロジャーが船員に向けて張り上げた声によって掻き消される。そんなやり取りは船上で日常茶飯事であり、思い思いに休憩中だった船員経ちは表情を一転させると慌しく上陸の準備を始めた。

 不治の病に侵されたロジャーに残された時間は多くない。彼の最終目標から考えれば先を急ぐ旅ではあるが、予定にない島を偶然見つけて素通りするなんてロジャー本人が許さない。船員の誰もが承知しており、無論、必要以上に長居はしないことが前提である。
 それから一時間後。船は島に到達した。島の大半は密林で占められ人の手が入っている気配は無く、周回してみても船はおろか人の姿も見えない。全く整備されていない無人島なのだろう。ただ生物の蠢く気配は感じられた。砂浜を見つけると沖で碇をおろした。少し距離があったので、手漕ぎの小船に乗り換える。船員の三分の一はオーロ・ジャクソン号で待機させ、残りで名も知らぬ島に上陸した。記録指針は書き換えられないよう、船に置いてきている。
「じゃあ手分けして探索だ!」
 ロジャーは砂浜に立つ船員に向け高らかに言い放つと、全開の笑顔で誰よりも先に一歩踏み出す。いつだってそうだ、危険があろうがなかろうが先頭を切るのは船長のロジャー。船員の誰もが広く頼もしい背中を追いかけるように歩き出す。逆に殿を務めるのは船長の右腕であるレイリーだった。
 砂浜に十数名分の足跡だけが残り、その姿は密林の中へと消えていった。じゃあ自分もと思ったレイリーは、二つの小さな背中が残っていることに気づき眉を顰めた。
「シャンクス、バギー、お前たちはいつまで喧嘩しているつもりだ」
 腕を組み苛立ちも露に溜息を一つすると、同じタイミングで二つの背中がびくっと震えた。
「この島での行動は今までどおり二人一緒にだ、いいな。それが嫌なら船にもどれ」
 船を降りて島で滞在する時や敵船との戦闘など、見習い組みは原則二人でいるように指示を出している。いままで変更されることのなかった決まりを、いま改めて口にするのは二人が離れて立っていたからだ。
「えー」
 見事に同じ不満の声をあげながら振り返った二人は、お互いが同じだった事が気に食わないのだろう、睨みあいはじめてしまう。
「マネすんなよ!」
「そっちこそ!」
 ぎゃーぎゃー喚き始めた二人を前に、レイリーのこめかみに青筋が浮く。ロジャー程短気ではないが気が長いほうでもない。そもそも、海賊は血の気が多いと相場が決まっている。だから同年の少年二人が衝突して喧嘩へと発展することは珍しくないし、レイリーも過度でなければ許容している。ただそれにも限度がある。ここ最近、二人は気づけばずっと喧嘩をし言いあっている、しかも本当にくだらないことで。今回の喧嘩の理由をレイリーは詳しく知らないが、どうせ些細でしょうもないことに決まっている。
 レイリーの身体から強い憤怒が滲み出る。頬をびりびりと振るわせるほどの痛みを含んだ威圧感。二人は同時に唇をぴたりと引き結ぶと、恐る恐るレイリーに視線を向けた。さっと二人の顔から血の気が引いていく。やべぇとの心の声が聞こえてきそうだ。
「喧嘩はするな、いいな?」
 声を荒げるでもなく、いつもの調子で言い含めるレイリー。声を荒げない普段のそれが、逆に恐ろしさを際立たせる。当然、二人が逆らえるはずもない。
「はいぃっ!」
 喧嘩中など嘘のように声を合わせ飛び上がった二人は、着地すると同時に密林の中へと駆けていく。ちゃんと同じ方向に、無意識だろう二人ひっつくようにして。
 見送ったレイリーは仕方のない奴らだと呆れ顔で頭を掻くと、年少二人とは違う場所から密林へ足を踏み入れた。

「……レイリーさんが言うから仕方なく一緒にいてやるけど、話しかけるな近寄るな分かったか」
 動物の鳴き声がどこかから聞こえてくる、草木が鬱蒼と生い茂るジャングルを無言のまま少し進むと、不意にバギーが立ち止まった。数歩差で同様にシャンクスが立ち止まり振りかえると、バギーは不機嫌な顔で言い放った。内容は酷く一方的で、シャンクスに対する強い怒りが表れていた。
 喧嘩の原因はシャンクスにあった。シャンクスも自覚している。だから最初責められた時、シャンクスはバギーに対してちゃんと謝っている。けれどバギーは謝罪を受け入れず突っぱね繰り返し何度も責めた。流石のシャンクスも腹が立って言い返し、結果、喧嘩に発展してしまい今にいたっている。
 このパターンの喧嘩は誰かが仲裁に入ってくれない限り長くなるぞ、ここ数ヶ月の経験から導き出した解答にシャンクスは内心げんなりする。バギーが機嫌を直すまで、一体どれだけの時間がかかるのか分からないのだ。
 ここ半年くらいだろうか、シャンクスとバギーは始終喧嘩していた。原因は日々の些細なことや他の人を巻き込んだものなど、大小さまざまであるが大半は取るに足らないものばかりだ。騒がしいとレイリーに怒りの雷を落とされたり、見かねた船員に諌められたりして、一旦は強制終了させられる。けれどすぐにまた別の要因にて言い合いが始ってしまうループ状態だ。仲直りをしている暇なんてないというように。
 どうしてこうなるんだろう。喧嘩していたいわけではないのに。シャンクスは不思議に思う。
 バギーのことが嫌いなわけじゃない、大切な仲間だし同い年で兄弟のようなものだからむしろ好きだ。喧嘩だってもっと幼い頃から数え切れないほどしてきたけれど、頻度は昔の方が確実に少なかった。今のバギーを見ていると、昔は気にならなかった些細な行動や何気ない言葉が気になって、引っかかりを覚えることが多くなった。そこで思ったままに突っ込めば反論されて喧嘩になってしまう。それはシャンクスに限ったことではなくバギーも同様であるようで、ここ最近の喧嘩の原因の発端はお互い五分五分だった。
 ちなみに今回の原因は”バギー個人所有の上着を、シャンクスがバギーの了解をえらずに勝手に借りて着用、傷ものにしてしまった”という、大人が聞けばそんなことで喧嘩しているのかと鼻で笑う些細なものだ。
 言い訳させてもらうならば、ここ暫く雨続きでシャンクスが保有する上着の在庫が底をついてしまったのだ。流石に上半身裸でいるわけにもいかず、着れるサイズの服を持っているといえば同い年のバギーしかいなかった。その時バギーは見習い部屋にいなかったから、シャンクスは衣装ケースを開けて一番上にのっていた一枚を借りたのだ。借りたと事後報告すればいいだろう、思ったところに敵船と接近の知らせが入り、戦闘が始まってしまい気づいた時には借り物のシャツは返り血に濡れて、裾を切られていた。戦況が落ち着いた頃になってシャンクスの服が自分のものだったと気付いたバギーが何勝手に着てやがんだと怒りだして。シャンクスは勝手に借りて不可抗力とはいえ傷物にしてしまった手前、己が悪いと自覚しちゃんと謝罪をした。それが、昨日の夕方、以降は喧嘩状態となってしまっている。
 自分が悪いのは百も承知で、バギーが怒るのも分かる。だからちゃんと謝ったというのに、それを受け入れないバギーだって悪い。だからシャンクスも流石に腹が立った。あんだけ謝ったというのに!
 折角未知の島に上陸して探検中だというのに、ワクワクもしなければ面白くもない。バギーと一緒にいればどんな小さな島だって期待に胸躍らせたというのに。二人でいる空気は酷く重い。
 シャンクスはバギーを軽く睨んだ。このまま一方的に言われ続けるなんて嫌だ。
「じゃあおれだって」
「おーい、二人ともここで喧嘩すんなよ。レイリーさんに止められてんだろ? そのまま続けると言いつけるぜ」
 二人の間に割り込んできた声、それは船内で二人に一番年齢が近い先輩船員の一人だった。近いといっても十歳は優に離れている。ロジャー海賊団の平均年齢は二人の三倍以上あり、船内で子どもとして扱われいるのも二人だけだ。
 シャンクスは咄嗟に口を閉じると続けようとしていた言葉を飲み込んだ。姿を見せた先輩は、両手を腰に当てると呆れ顔で二人のことを交互に見る。年齢が比較的に近いこともあってよく気にかけてくれる先輩も、ここ最近、二人の間に頻発する喧嘩に呆れ気味だ。それでも二人で解決できそうにないと気付いたときはふらりと現れては仲裁してくれる。話も良く聞いてくれてどうして喧嘩ばかりになってしまうのか一緒に考えてくれたけれど、結局は分からず仕舞いだ。なるほどなぁと苦笑いを浮かべると、麦わら帽子を取り上げて髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜるだけだ。何がなるほどなのか、シャンクスには分からない。
 今回はどうして喧嘩してんだ? 聞かれたので事の次第をシャンクスが話せば、うーんと少し考えこんで見せる。
「バギーはあんまり意固地になんな。確かに借りる時にシャンクスが先に了解を取っておけばよかったんだが、そんなの今さらだろ。今どんだけシャンクスを責めても、どうしようもねぇ。駄目になったシャツが戻ってくることはねぇし。シャンクスに新しいシャツでも買ってもらえ、そうすりゃ解決だろ?」
「バギーがそれでいいなら、おれはそうしたい」
 これ幸いとシャンクスは先輩の言葉に乗ることにした。ただし、こちらが下手に出ることは忘れない。
「な、それでいいだろ?」
「……」
 顔を覗き込まれながら念を押されてしまうと、バギーも逆らえない。気に入らないというように唇を尖らせるものの、それでもバギーは頷く。
「よーし、じゃあオッケーだな。ほら仲直り。ああ、そうだ、あっちの川沿いにコイツがなってる木があるからいくつかとっとけ」
 にっかリ笑顔を見せた先輩は、手に持っていた物をバギーの手に落とす。先輩の片手に隠れはするが、バキーの両手で丁度いいくらいの大きさをしたそれは見た目果物だった。淡いピンク色で、まるで桃のようだ。興味をひかれたのだろう、バギーは鼻を近づけるとくんくんと匂いをかいでいる。首を傾げているところを見るに想像していた匂いではなかったようだ。
「一人じゃ無理だろうから、協力しろよ? ああ、それと食うんじゃねぇぞ」
 二人の頭を続けてぽんぽん叩き、ひらり手をあげて去っていった先輩は、二人の喧嘩を気にして声をかけてくれたのだろう。手を煩わせて申し訳ないと思いはするが、喧嘩に関してはシャンクスにもどうしようもない。したくてしているわけではないのだから。
 その後、先輩の指示通りに進めば鬱蒼と頭上を覆っていた木々が不意に消えうせた。降り注ぐ日光の下には、向こう岸に渡るには船が必要なほどの川があり、それに沿って目的とする木が生えていた。協力しろよ、その言葉は仲良くしろよとの意味だと考えていたシャンクスだったが、実のなる木を見上げて本当の意味を理解した。
 青々とした葉の間に見える薄ピンク色の実は、ロジャーの背より少し高い所になっていた。即ち、シャンクスとバギーがどれだけ手を伸ばしても飛び上がっても届かない高さだということ。ならば木に登ってしまえばいいのだが、木の幹はもとより枝も驚くほど細い。木の枝は幹を中心に円状に広がっており、実はその先端に十数個なっているようだ。幹を登り天辺に到達することは簡単だが、そこから実まで手を一杯伸ばしても届くかどうか。あまり身を乗り出して枝に体重を乗せてしまうと間違いなく折れて落下してしまう。だから協力しろ、そういうことなんだ。
「バギーお前の方がおれより軽かったよな? おれが下で肩車するから取れよ」
 一人で届かないのであれば、二人分の身長を足して手を伸ばせばいい。十分届くはずだ。実が多くなっている箇所を確認し、一旦麦わら帽子を脱ぐと、その下でシャンクスは屈みこんだ。促すようにバギーを見れば、その表情は不機嫌なままだ。
「嫌だ」
 言ってバギーは顔を逸らす。
「何言ってんだよ、お前もおれも一人じゃ絶対届かないだろ。それに先輩の指示だから、採れませんでしたじゃ済まないんだぞ」
 先ほどまで喧嘩真っ最中だったのだから、すぐに馴れ合うのが難しいことくらいお互い分かっている。バギーの中ではいまだ怒りが燻っているに違いない。シャンクスだってすっきりしていない。けれど与えられた仕事は遂行しなければいけない、今はお互いの感情をどうこう言っている場合ではないのだ。そんなこと、シャンクスと同じ船で育ったバギーが分からないはずないのに。
「あれくらいなら登って採れる」
「いや駄目だって、あれ絶対折れるって。どう考えても危ないだろ、なに意地はってんだよバギー」
 どう考えてもシャンクスが正論なのに、シャンクスの指示に従いたくないのだろう。加えてシャンクスの方法だと二人協力する必要がある、それが尚更嫌なんだろう。
「! 意地なんてはってねぇよ!」
 声を荒げたバギーは、感情の高ぶりのままに手に持っていた物をシャンクスに向かって投げつけた。思いも寄らないバギーの攻撃に、ひゅんと飛んでくるそれを避ける暇などシャンクスにはなかった。見事、顔面に当たった薄ピンク色の果実は、ぐちゃっと潰れた音をたてた後に地面に転がり落ちた。熟していたからだろうか、果実は柔らかくあたったことによる痛みはなかった。ただ潰れた際に透明で少し粘着質な果汁が溢れ、シャンクスの顔面に飛び散ってしまう。鼻の頭付近にあたったので、閉じ損ねた目を果汁が襲う。
「つぅっ!!!!」
 以前、コックの手伝いをしている時に誤って果汁が目に飛んだことがあった。その時は柑橘系で痛いくらいに染みて涙を出しながら慌てて目を洗った記憶がある。
 それと比べるとどうだ、もっとずっと痛い。染みるではない痛い。果物だというのに辛み成分でも入っているのか焼けるような痛みがある。これはきつい、目を開けていられなくなったシャンクスは呻き声を上げるとその場に蹲った。異物を押し流そうとしてしてか涙が溢れてくる。無意識に両目を擦って痛みが更に悪化してしまい、痛いとシャンクスは泣き喚いた。あまりに痛みに意識が朦朧としていく。
「シャンクスッ!??」
 尋常ではないシャンクスの様子にバギーも流石に慌てて、川の綺麗な上澄みを掬い両目を洗わせる。痛い痛いと繰り返し、ぼろぼろと涙を流し続けるシャンクスを強引に背負い、死に物狂いの表情で一目散に浜辺へと走った。

 真水の流水で何度も洗浄、濡らして冷やされたタオルで目を覆ったシャンクスは医務室のベッドにぐったりと横たわっていた。焼けるような痛みは幾分和らいでいるが、泣きすぎたせいで目元がひりひりと痛んだ。
 船に残っていたクロッカスと、バギーの騒ぎ声を聞きつけて合流し船に戻ったレイリーの声が聞こえる。ただ小声で会話しているようで、内容までは聞き取れない。
「入って来い、バギー」
 廊下で治療が終わるのを待っていたのだろう。レイリーの声にドアが開き小さな足音が部屋に響く。音はシャンクスの横たわるベッド脇で止まった。
「二人とも落ち着いて聞くように」
 言って説明を始めたのはクロッカスだった。
 バギーがシャンクスに向かって投げた果実は食用ではあるが目に入れると危険なものである。涙の成分と果実の果汁とが交じり合った液体に少しでも光があたると急激な化学変化を起こし炎症、酷い痛みを与え眼球を攻撃、最悪の場合失明の恐れがある。
 そんなことが起こりうるのか、ぼんやりとした頭でシャンクスは思う。失明、聞き慣れない言葉ではなかった。
 船上は陸上と違い多くのリスクがある、その主となるのは医療、そして食料に関してだ。どれだけ山ほどの食材を積み込んでも、鮮度は日々落ちていき最悪腐って食べられなくなる、特に野菜や果物などの青果がそうだ。この船では定期的に島に寄航し食材の調達を行い、またコックがしっかり管理しているから栄養面での心配はないが、栄養が偏りすぎた結果失明する場合もあると聞いたことがある。それに海賊同士の海戦だってそうだ。命がけの戦いには、獲物に見合うだけのリスクが必ず存在する。
 海賊として生きている以上、様々なリスクは覚悟のうえだし、リスクを恐れて尻込みするなんて海賊とは言えない。けれど、今回の件は特異ケースすぎる。
「えっ、そんな、待ってください」
 部屋に入ってきてから沈黙していたバギーが、まるで当人であるように焦った声をだす。軽い足音に、バギーが二人に駆け寄る姿が見えるようだ。
「まだ説明は終わっておらん、聞きなさいバギー。今回のシャンクスのケースの場合、目に入った直後に川の水で一旦洗眼したことが功をそうしている。その後、すぐに船に戻り改めて洗浄しておるから、入り込んだ果汁の大半は涙と真水によって洗い流されておるだろう。ただし、もう大丈夫だとの安心はできない。目玉を取り出して洗えれば綺麗に洗い落とせ簡単なんだが、そんなことできる筈もない。少しでも、わずか一滴でも残っておればやはり危険なのだ。そこでこれから一週間、シャンクスには瞳を閉じて生活してもらう。一週間もすれば涙も全て入れ替わり、万が一残っていた成分も全て体外に出てしまうだろう」
 光を一切通さない布で目を覆い、そこを包帯でぐるぐる巻きにしてしまう。そして四六時中外してはいけない、寝るときでさえも。それを一週間。瞼越しに感じる光でも安心は出来ないという。
「何があろうと決して包帯をとって瞳は開けてはいけない。光を少しでも取り込んでしまえば再び同じ痛みを味わうこととなり、最悪おまえ自身が光を失うことになる。いいな」
 シャンクスは、己の身の上に降りかかった災難を、にわかには信じられなかった。けれどクロッカスの声は真剣そのものだ。こんな嘘をつく理由もない。それに目を襲った痛みは偽りではなく、言うとおり眼球が攻撃されていたのだろう。シャンクスは横たわったまま微かに頷くことしかできなかった。
「……分かりました」
「一週間の仕事は免除だ。その間何かと不便になるだろう、誰かを」
「おれが手伝います」
 レイリーの言葉を遮ったのはバギーだった。その声は固く、強い意思があった。
「元はといえば、おれが悪いんだし。一週間、シャンクスの身の回りの世話はおれがします」
「……シャンクスはそれでいいか?」
「バギーが良いなら」
 ならばバギーに頼もう、ただし喧嘩はするなよ。そう言い置いてレイリーは、不便になるシャンクスの世話をバギーに任せた。

 バギーの手によって包帯が巻かれていく。赤髪を巻き込まないよう、時おり髪を掻き揚げながらゆっくりと丁寧に。
 レイリーは一旦ロジャーに報告を入れてくると島に戻り、クロッカスは食べるのに時間がかかるだろうからと先に食事の準備をしてもらってくると医務室を後にしていた。今は見習い二人きりだ。
「……シャンクス……ごめん」
 包帯を巻き終えたバギーは、力なく震える声で謝罪の言葉を口にした。自分が原因の喧嘩だと自覚していても、基本的にバギーは謝らずに有耶無耶にしてしまうというのに。それだけ、事の重大さを感じているのだろう。
「こんなことになるなんて、おれ」
 ともすれば泣き出してしまいそうな、いや泣くのを堪えているような声だ。見えないのでバギーがどんな表情をしているのか分からないが、きっと唇を噛み締めて涙を堪えているのだろう。大変な泣き虫なのだ、この兄弟分は。怖くて泣いて、嬉しくて泣いて、悲しくて泣いて。今は怖くて苦しくて申し訳なくて涙が出そうになっているに違いない。なんといっても視力を失いかねないのだから。
 いつものシャンクスならば、気にしてないなんていってバギーを安心させていた。喜びならばまだしも悲しみや苦しみの涙を流すバギーは見ていて心が痛むことが多く、可能な限り避けたいとシャンクスは思っている。基本、笑っていて欲しいのだ、バギーには。
 けれど、今のシャンクスにはバギーを思いやる余裕はない。シャンクス自身だって現状に混乱しているからだ。クロッカスは決して光を取り込んではいけないといっていた。だから今、シャンクスの視界は真っ暗だ。黒一色で塗りつぶされている。期限は一週間、その間、シャンクスは青空を仰ぎ見ることも、バギーの赤鼻を見ることも叶わない。我慢のきかない子どもでもないのだから一週間視界が閉ざされたとしても大丈夫だと思う。住み慣れた船内だ、少しの不便もあるだろうが構造くらい覚えている。移動なんて簡単だ。そう、大丈夫だと思う。けれど。
「バギー」
 名前を呼んで声が聞こえてきた方に向けて両手を広げてみせる。シャンクスの意図が伝わったのだろう、空気が動き足音がして、広げた腕の中にバギーが飛び込んできた。シャンクスと大きさは変わらないけれど、少し細目の身体。キュッと背中に両手が回されたので、同じように抱きしめ返す。久しぶりの距離感だった。小さな頃は怖いこと悲しいこと、もしくは嬉しいことがあったときはよく抱き合っていた。今となっては成長して気恥ずかしさが強くなり、肩を組む程度になっていた。
 薄いシャツ越しにバギーの体温を、重なる鼓動を感じて、シャンクスは安堵に肩から力を抜きほっと息をつく。大丈夫だと思っていたが、やっぱり不安感は強かったのだ。最悪、視力を失ってしまう。この暗闇だけの世界が続いていく、永遠に。考えると背筋が寒くなった。怖かった。そんなシャンクスの恐れを消し去るほどの安心感を、腕の中のバギーが与えてくれた。誰よりもこの体温がシャンクスを安心させてくれるのだ。幼い頃から傍いた体温が。
「バギー、泣くなよ」
 耳の傍で鼻を啜る音が聞こえてくる。少しだけからかうように言ってやる。
「うっせぇ、泣いてねぇよ、ばーかっ!」
 時おり鼻をぐすぐすいわせながら、鼻声で叫ぶバギーに笑いが込み上げてきた。抱き合うことによりもたらされた安心感が、バギーが懸命に堪えていた涙腺を崩壊させたのだろう。バギーは口で悪態をつきながらも、シャンクスの背に回している手でシャツをぎゅっと握った。
「そうだよな、ごめん。ああそれと一週間よろしくな、バギー」
 言ってシャンクスは抱きしめる手にグッと力を込めた。

 しばらく抱きしめあった二人は、お互いが落ち着いたことを確認すると自然と身体を離した。
 視力を失う、やはり恐ろしくはあるけれど、一週間目を閉じておけば良いのだ。その不便になる間はバギーが手伝ってくれる。だから大丈夫だ、前向きに考えようとシャンクスは考えた。不安がっている時ほど良くないものを引き寄せてしまいそうだから。
 船内を動けるのかとのバギーの問いかけに、それくらいは一人でも大丈夫だとシャンクスはこともなげに答える。手伝ってもらうのは食事の時だったり着替えだったり、何かを取る時くらいでいいだろうとシャンクスは思っていた。だったら医務室から見習い部屋まで戻ってみろと言われたので、簡単だよといって立ち上がってものの数歩。まずは椅子に引っかかり、続いてはゴミ箱にぶち当たり、最後には少しの段差に転びそうになって慌てたバギーに抱きとめられた。壁を確認するために前に突き出した両手は役に立たなかった。頭で分かっているつもりでも、やはり目に頼っている部分は多い。医務室を出るまでにこれだけ障害があるならば、間違いなく一人で歩くと転びまくる。まじか、バギーに支えられたシャンクスは困惑の色を隠せない。冷や汗が額を伝い落ちた。
「一週間だろ、お前の傍にいる」
「いや、いいって。バギーにだって仕事あるだろ。細かい仕事とかお前がいないとって」
 手先が器用で細かいことが得意なバギーは、ここ最近シャンクスとは別の仕事を振られることが多くなっていた。互いの適正にあわせた割り振りで、無論、シャンクスにも同様にバギーとは別の仕事が振られている。大砲や武器の整備や保守点検、それに改良なんかもしているようで、戦闘力や体力が主となっている船内において手先の器用なバギーは重宝されているようだった。だから結構忙しそうなのも知っている。
「レイリーさんに相談してくるッ」
「ま、バギー!」
 シャンクスの静止は飛び出していったバギーに届かない。追いかけようにも先ほどのことを思い出せば動かない方がいい。
 それから数分後、極力一緒にいて良いって許可を貰ったと言ったので、レイリーが許可したのであれば良いのだろうと、素直に受け入れることにした。

 目を開けることを禁じられているが健康体であり治療の必要もないシャンクスが、これ以上医務室に用事はない。そのため見習い部屋に戻ることにした。ベッド脇においてあった麦わら帽子をバギーが取り上げてシャンクスの頭に被せる。
「おれが引いて歩くから、後に続け。段差とかあるときは言うから」
 先ほどシャンクスが見せた障害物にあたりまくる歩き方から考えたのだろう、バギーはシャンクスの手首を掴んで言った。そして実際に歩いてみれば、不安定さはあるものの、先ほどのように障害物にぶつかることも段差に引っかかることもなく、部屋に戻ることが出来た。ただ時間はかかりはしたが。
「ちょっと立って待ってろ、座る場所作る」
 ドアの前にシャンクスを立たせたまま、バギーはばたばたと動き始める。元は物置だった見習い部屋は、そう広くない。寝床にしているハンモックの下にはお互いの荷物が散らかって座る場所もなかったはずだ。
「っと、これでいいか。シャンクスこっちだ……って、おれが手を引くから勝手に動くな! またこけるぞ!」
 誘導されて腰を下ろせば何か布を敷き詰めているのだろうか、柔らかな感覚。そういえばバギーがいくつかクッションを持っていたなと思い出していると、傍らに座る気配がした。見えはしないけれど一応そちらに顔を向ける。
「とりあえず、これから一週間どうするか考えようぜ。食事、風呂、トイレ、移動が主になるだろうし、ずっと部屋に篭ってばかりってのも嫌だろ」
「風呂は一週間くらい入らなくてもなんとかなるだろ? 濡らさない方がいいだろうし。そうなると食事とトイレ、それに移動か」
「いやそこは身体を拭くくらいしろよ。ちゃんと手伝うから。一週間も身体を洗いもせず拭きもせずにいてみろ、ぜってぇくせぇぞ。おれが一緒にいる以上、そんなの絶対に嫌だからな!」
 バギーは悲鳴混じりに叫んだ。要するにシャンクスのためというより、一緒にいるバギーのための意味が強いようだ。そんなに気になるもんかなと、シャンクスは口に出さず内心思う。今までだって長期間風呂に入れないことが何度かあった。においなんてさほど気にならなかった気もするが、そういった場合は危機迫った状況が大半で己の体臭になんて気が回らなかったのも事実だ。今とは状況がまるきり違う。
 シャンクスとしてはあまりバギーの手を煩わせるのもどうかと思っての発言だったのだが、バギーが言うのならば従ったほうがよさそうだ。
「分かった、バギーの言う通りにするよ。風呂のことも食事も全部。おれが部屋に戻るのにもお前大分気を使ってくれてただろ? 今のおれはバギーが居ないと何もできないようなもんだから、お前がやり易いようにしてくれた方がいい、おれがそっちに合わせるから。一週間もあるんだ、お前の負担は出来るだけ軽い方がいいんだ」
 見習い部屋に戻る間、バギーはシャンクスの手を引きつつ何度も指示を出していた。段差があるぞ、一旦止まれ、ここは右に曲がるから、なんて。最後には背負って移動した方が早いななんて呟いていて、それもその通りだとは思ったけれど丁重に断った。背負われることが嫌というより、バギーの体力を心配してである。船に戻る時は火事場の馬鹿力で乗り切ったのだろうが、もともとバギーはシャンクスより体力は無いし力も無い。体重だってシャンクスの方が重いので、シャンクスがバギーを背負うのならまだしも、逆はバギーの体力的に厳しいと思われた。
「でもシャンクス、お前がそうなったのは元はといえばおれが原因だし、お前がおれに合わせて我慢する必要なんてないだろ。おれの方がお前に合わせるから」
 根本的な原因を作ってしまいシャンクスを苦しめている罪悪感があるせいか、バギーはシャンクスが驚くほど献身的にあろうとしていた。それだけシャンクスが見せた苦しむ姿と、万が一にも視力を失ってしまうとの事実がバギーに重く圧し掛かっているのだろう。シャンクスが不便となるこの一週間、出来る限りのことをしてやりたい、そんな思いが意図して冷静であろうとする声からも窺い知れた。
 バギーの思いは理解できるしあり難い、けれどシャンクスはそこまで望んではいない。ただそれを伝えてしまうと言い争いに発展しそうだったので、一旦バギーの思いを受け入れることにした。そうしておいて上手くバギーの負担が少ない方へ誘導してやればいい。単純なバギーはきっと気付かない。
「分かったよバギー。じゃあ早速、昼飯を食べないか? クロッカスさんが準備を頼んでくれてるって言ってたし、お前だって腹減ってるだろ?」
 言って右手を持ち上げて見せると、さっきと同じように手首を掴まれた。

「なぁバギー」
「なんだよ」
「釣りを……」
「駄目に決まってんだろ、何言ってんだお前」
「いや本当に今度は気をつけるから」
「なんと言われようと駄目だ、いいかげん諦めやがれ」
 きっぱりと却下されてシャンクスはしゅんっと肩を落とす。ただまあ仕方ないと、シャンクスも分かっている。視界が閉ざされて四日目の正午、シャンクスとバギーは見習い部屋にいた。閉じ篭っていたといった方がいいだろう。昨日の朝まではちょこちょこ部屋を出てはいたのだ、目が見えない以上できることがないものの、だからといって部屋に閉じこもるばかりでは気が滅入るだろうと言って。
 視界を閉ざされた日の次の日、バギーはシャンクスの手を引いて甲板へと向かった。
 光を全く感じないことを確認して甲板に踏み出ると、海の匂いと頬をなでる風、今は穏やかな波の音にシャンクスはホッとする。真っ暗闇の中にもどこまでも青く広い海原が見えるようだ。
 船はいつの間にか航行を始めており、島には物珍しいものやお宝はなかったと言う。
 島にいたレイリー、船にいたクロッカスそれぞれからシャンクスの状況を聞いていたのだろう、船員は一同に災難だったなと口にした。ただその度にバギーが横で罪悪感に打ちひしがれていたらしく、以降は気を使ってか何も言わなくなった。果物を取るようにと二人に指示を出した先輩は、おれが言わなきゃよかったのにごめんなと言ってどうやら頭を下げたようで、バギーが止めてくださいと慌てて言えば、やり取りで察したシャンクスも慌てたのは言うまでもない。
 一週間の間仕事が免除されたことによって、二人は暇をもてあますようになっていた。そこでシャンクスは釣りをしようと思いついた。食材の調達は勿論、暇つぶしにもなるので一石二鳥だった。
 餌はバギーにつけてもらい、二人並んで釣り糸を垂らす。先に当たりが来たのはシャンクスだった。視界が閉ざされているためか、いつもなら見落としてしまう程のほんの小さな引きでも感じ取り、シャンクスはにっと笑う。そのまま両手に力を入れ引き上げようとした刹那、先程よりも何十倍も強い引きが一気に来て逆に引っ張られる。最初にかかった小さな魚を餌に、大きな魚が喰いついたのだろう。
 いつもだったら足を踏ん張って堪えるところだが、今日は勝手が違った。見えないせいで状況の確認が上手くいかず、数秒間まごついている間にシャンクスの身体は引っ張られるままに宙に浮いた。
 あ、やばい海に落ちる、思ったがシャンクスの身体は固まって動かない。
『シャンクス!!?』
 慌てふためいたバギーの声。引っ張られるまま頭から落ちていくシャンクスの足をバギーが掴んだようだが、重力に引っ張られる身体を止めるには、バギーの力では不可能だった。数秒後、二人は水飛沫を立てほぼ同時に海に落ちた。海賊である以上、海に落ちたことなんて数え切れないほどあるし、二人とも泳ぎは得意だ。しかし今は視覚というハンディキャップがある以上いつもとは違い上手く受身が取れず、流石のシャンクスもパニック状態になりかけた。鼻から水が入り痛み、開け放った口からはごぼごぼと泡が逃げていく。見えないせいで上下が分からず海面も分からない。こういうときこそ落ち着かなければいけないのに、上手くいかない。息苦しさに水中で足掻くシャンクスを背中から抱き締め水面へと引き上げたのは他の誰でもないバギーだった。
『んの馬鹿野郎が!!』
 激しく咳き込み飲み込んだ海水を吐き出すと、ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返すシャンクスに、バギーは怒号を頭から浴びせかけた。
『大丈夫か、二人とも!』
『シャンクスを先に引き上げたいんで、浮き輪投げてもらっていいですか! おい、包帯とれかけてんぞ! 両手で目を押さえとけ分かったか!』
 バギーの指摘に包帯が緩んでいることに気付いたシャンクスは慌てて言われるままに両手で目を覆う。心臓がバクバクと鳴って煩い。
 それから投げ込まれた縄付きの浮き輪で助け出されたシャンクスは、待ち構えていた先輩船員にずぶ濡れのまま船内へ運ばれる。
『バギーがすぐに来るだろうから、ここで待っておけ』
 言うが早いかばたばたとけたたましい足音が聞えてきて。
『はぁ……、後は、おれがっ、しますから……はぁっ、』
 全力疾走してきたことが分かる荒い呼吸で途切れ途切れに言うバギーに、先輩はじゃあ後は頼んだぞと言い残して去っていった。
 一旦包帯は取るけど、絶対に目を開けんなよ。あとシャワー浴びるから先に服脱いどけ。海水まみれでいるわけにもいかず、シャンクスは言われるまま濡れた服を脱いだ。そういえば落ちた時に被っていた麦わら帽子がどこかに飛んで行ってしまっていた、思わず尋ねればちゃんと拾い上げてるわと怒鳴られ、ほっとした。
 真っ裸。濡れたままの布を両手で押さえた状態で突っ立っていると、いくぞといわれて二の腕を掴まれる。浴場にはいるとバギーは一旦離れて行き、頭からシャワーがかけられた。
『おれが動くから、お前は動くな』
 有無を言わせない声。言われたままに立っていると、シャワーは頭から背中、尻から足に移動すると次に正面に回り同様に上から下へと流れていく。足の甲まで辿り着くとシャワーは離れていき栓の閉じられる音が響く。
『出て身体を拭くぞ』
 再び二の腕を掴まれ脱衣所に戻ると全身を拭かれそうになって流石にそれくらいは自分ですると辞退しようとした。
『目を覆うのに両手塞がってんだろーが、黙っておれに任せとけッ!』
 またもや怒鳴られてバギーに任せたほうがいいと判断したシャンクスは、濡れた身体を拭っていくタオルにむず痒さを感じながら、ずっと目を覆い続けた。途中、目を覆っていた布が乾いた別のものに変えられる。
『バギー、ごめんな』
 流石に真っ裸でいるわけにもいかず、身体を拭き終え髪を乾かす前に下だけは身につけた。ただそれもバギーの手によってだ。目の見えない状況下で両手が塞がっているから仕方がないといえど、誰かの手によって下着などを履かされるなんて、記憶の限りでは初めてだと思う。しかも相手は兄弟分のバギー、少しの気恥ずかしさと、申し訳なさ、加えて居た堪れなさがシャンクスの心を過ぎる。それにバギーはまだ濡れ鼠のようだ、時おり水の滴る音がする。何よりシャンクスを優先させ、自分は二の次になっているのだ。
『はぁ? 何言ってんだよ。……大本の原因はおれだろ、お前が悪いわけじゃねぇから、謝んな』
 タオルで赤髪をわしわし乾かしていたバギーは、手を止めぬままに言う。ぶっきら棒な物言いの中に、シャンクスへの罪悪感が滲んでいた。多分、バギーは心底気を使ってシャンクスの傍にいるのだ。自分のせいでシャンクスが光を失うことなどさせない、強い思いを持って。
 だったらそうだ、謝るよりもいい言葉があるではないか。
『ありがとう、バギー。凄く助かる』
『……おう』
 謝罪ではなく感謝の言葉を口にすれば、シャンクスの髪の乾き具合を確認していた指先が不意に止まり、短く小さな声が返ってくる。表情が分からないけれど、間違いなく照れている。声で分かる。
 喧嘩続きでバギーに対する感謝の言葉なんていつ振りだろう、思いながらもほんのり心が温かくなる。相手を責めたり謝ったり、その時の状況によっては仕方がないけれど、やっぱり感謝の言葉の方が言う方も受けとめる方も心地よいものだ。こんな状況で実感するなんてなんだかおかしいなと思いながら、巻かれ始めた包帯にシャンクスはずっと掲げていた両手をようやく下ろした。

「バギぃー」
「なんだよ。釣りは駄目だからな」
 シャンクス、釣竿ごと海に引き摺り落とされ、あわや溺れかける! の一件があってからバギーはシャンクスを連れ出さなくなった。食事やトイレは勿論連れて行くけれど、基本は見習い部屋にいることにした。だったら別に傍にいる必要はないし、バギーは仕事にいってもいいぞとシャンクスはいうけれど、お前は目を放すと何をしでかすか分からないからと期限一杯は一緒にいると主張した。どうも、海に落ちた一件は当然のようにレイリーの耳に入っていたようで、見張っておけとの命令が下されたようだ。ただ、レイリーの命令だけではなく、何もできないシャンクスを一人残していくことが気にかかるのだろう。目が見えない一人ぼっちの部屋、寂しかったり心細いに違いないと。だからバギーは良く喋り、お前の傍にいるんだぞというように体温が感じられるほどの近さにいた。手を伸ばせば肩が抱け、足を動かせば膝が触れる距離だ。
「どうしておれ達ってしょっちゅう喧嘩してたんだろ」
 二人一緒にいればこんなにも心地よいのに。この心地よさはずっと前からだし、無くなってしまった訳ではないのに。どうしてお互い喧嘩をして突き放すようなことをしてしまっていたのだろう。
「そんなことおれに言われてもわかんねぇし。ただ、あの頃はお前の顔を見るとなんだかイラついてた気がする。今は違うけど」
「うーん、どうしてなんだろうな」
 二人して頭を悩ませたけれど、結局は分からなかった。

 そして六日目の朝。釣り中に海に落ちて以降、大きな問題もなくあと少しの辛抱だと思った矢先のことだった。
「敵襲だー!!」
 見張りの船員が声を張り上げ号鐘を打ち鳴らした。それまでは日常だった船内が戦闘準備だと一気に騒がしくなる。その時もやっぱり二人は見習い部屋におり、弾かれたように立ち上がったバギーが通路へのドアを開け放った。
「ロジャー船長!」
 どうやら丁度ロジャーが通りかかったようだ。
「バギーか、シャンクスもいるな? 今回、お前たちは部屋にいろ、いいな。そう手こずる相手じゃなさそうだからな」
「え、いや、おれも出ます!」
「シャンクスがいないのに、か? お前たちは必ず二人で一セットだっただろ、だから駄目だ。まだ一人では出せない」
「でも! おれ、一人だって出来ます大丈夫です!」
 食い下がるバギー。すると二人の会話に第三者の声が割って入った。
「ロジャーにバギーか、何を言い合っているんだ」
「いいところに来たレイリー、実は……」
 そこで両者の主張を簡潔にロジャーが説明した。
「そうか。シャンクス! お前はどう思う、バギーは一人で戦えるのか、それともお前と一緒じゃないと駄目なのか、どっちだ!」
 不意に自分の方に話が振られシャンクスは驚いた。見えない自分が戦場に立てるわけがないので、ロジャーとバギーの話しに口出しせずに黙っていたのだ。しかしレイリーに話を振られた以上、会話に入らざる得ない。
 決まりを守るのであればロジャーが正しいし、そもそも船長なのだからその主張が通るのが道理である。それに他の仲間がいるといってもバギーを一人で行かせるのは不安でしかない。今までの戦歴を思い出せば、その多くでシャンクスのフォローが入っており、それゆえに大きな怪我もなかった。だから最初シャンクスはロジャーに同意しようと思っていた。けれど。
「なんだよシャンクス、お前もおれひとりじゃ駄目だって言うのか!? 何でだよ!! おれだって強くなってんだって!」
 一人で出来るのだと必死に訴えるバギー。本心では引き止めたほうがいいとわかっていた、けれどここで反対してしまえば、再び喧嘩の状態に戻ってしまうと直感した。バギーの思いを尊重した方が良い。それにバギーは危険だと分かったらちゃんと逃げる、無理に立ち向かおうとはしない、己の能力を弁えている。強くなり戦場を上手く動けるようになっていることも事実だ。だから。
「おれは、バギー一人でも大丈夫だと思います」
 シャンクスは本心を隠し、嘘をついた。

 送り出しはしたものの、やっぱり心配だった。戦闘の時はいつも一緒だったから、一人での戦いは不慣れなのだお互いに。船内は静かになり、逆に甲板が騒がしくなったのを澄ました耳で確認すると、シャンクスは動き出した。まずは壁にかけてある己が刀を探し当て、いつものように帯刀すると細心の注意を払いながら足を運び手探りでドアまで辿り着く。開けながら船内の地図を頭に浮かべ、壁伝いにゆっくりと一歩一歩確認しながら甲板に向かい歩いた。
 現状の自分が役立たずであり、万が一にも敵に見つかって人質にでも捕られてしまったら目も当てられない。だから戦場に出るつもりはなかった。ただバギー一人を送り込んで自分だけがのうのうとしていられるはずもなく、せめて戦況くらいは確認したいと思った。武器は万が一のため、ロジャーの言葉を信じるならば今回の敵は簡単に蹴散らされるだろうし、オーロ・ジャクソン号の船内まで侵入なんてできないはずだ。敵船とこちらの船の甲板だけで、戦いは終わる、シャンクスはそう考えていた。
 甲板が近づくともう戦いは始っているようで、激しい金属音や連発する銃声が聞えてくる。甲板に続く通路の途中で立ち止まったシャンクスは、争い声の中に交じるバギーの声を聞き分けていた。
 それは声というより悲鳴だった、間違いない逃げ回っている。追い詰められている振りをして相手を騙すではない、完璧に逃げ回っている声だ。そんな時はいつもシャンクスがフォローに入って事無きをえていたというのに。今はそれが出来ないのだ、シャンクスは悔しさに唇を噛み締める。誰かバギーに気付いて欲しい、するとシャンクスの願いが届いたのか、バギーお前は引っ込んどけ! との怒号が聞えてくる。そうだ、そうしろ心の中でバギーに訴えかけるものの、こちらは届く気配がない。すると突然、バギーの声が聞こえなくなる。え、とシャンクスが思うと同時に悲鳴とは違う雄叫びが聞えた。これは逃げ回っているんじゃない、相手に向かっていっている、しかも冷静さをすっかり欠いている、間違いなかった。
 危ないと思った。助けに行かなければいけないと。ただ、目を覆ったままで助けるなんて不可能だ。シャンクスは一瞬躊躇したが、すぐに頭を振った。己とバギーを天秤にかけそうになっていたからだ。比べる必要もない。
 シャンクスは迷いのない手つきで包帯を取り払った。同時に両目を覆っていた布がはらりと落ちていく。瞼越しでも光があたっているのが分かった。シャンクスは久しぶりの光によって目が眩むことを恐れ、瞼は伏せたまま甲板へ続く扉から飛び出した。

 どこからか誰かの泣き声が聞える。
 見て確認しなくても分かる、バギーだ。シャンクスが知る中でサイレンのような大声をあげて泣く相手なんて、バギーしかいないのだ。
 しかし、一体どうして泣いているのだろうか。一向に泣き止む気配がないところから考えるに、酷い怪我でもして痛くて泣いているのだろうか。ああ、だったら医務室に連れて行かないと。やっと戦闘に出る許可をもらったばかりの頃、敵の攻撃で手の甲に一直線の刀傷を受けてしまい、消毒後に縫合することになって酷く泣き喚いていたっけ。勿論、部分麻酔はかけていたけれど、それでも痛かったようでバギーは疲れ果てて眠るまでずっと泣いていた。でもそうだ、急がないと傷口からばい菌が侵入し膿んでしまう、それは駄目だ。
 だから、そう早く。
 そこで不意に目の前が開けた。同時に飛び込んできた光の眩しさに目がくらみ、それは痛みさえも伴ってシャンクスは呻くと咄嗟に瞼を伏せ両目を覆った。
「シャンクス!?」
 両手を強い力で掴まれる。そのまま強引に引き剥がされた。
「シャンクス!」
 再び名前を呼ばれ、シャンクスは恐る恐る瞼を開けた。窺うように先ずは薄目で。
「……バギー?」
 先の失敗を思い出し少しずつ光を取り入れようと何度か瞬いた後、ようやく通常程度に目を開いたシャンクスの視界に真っ先に飛び込んできたのは、涙をボロボロ流すバギーの顔だった。ああ、やっぱりさっきの泣き声はバギーだったのかと覚醒後のぼんやりした頭で思う。これだけ泣いているということはそれだけ酷い怪我を負っているということなのだろう、大丈夫なのだろうか。思って確認しようと口を開きかけたところ、今度は両肩を強い力で掴まれた。
「お前、おれが見えるのか! シャンクス!!」
 なあ、見えるのか!? 同じことを何度も必死に聞いてくるバギーに面食らいながらも、シャンクスは反射的に頷いた。
「……うッ、えッ、よがったあぁ……! ばっがやろ゛う!! どうして言い゛つけまもらねぇんだよ!! こっちは心臓止まるかと思ったわ゛!!!」
 顔面をぐしゃっと歪めると、先ほどとは比にならないくらい大声でわんわんと泣き始めた。このままでは脱水症状になってしまうのではないかと思うほどの涙が、バギーの両目から後から後から零れ落ちていく。
 ここでやっとシャンクは己の置かれた状況の整理を始めた。ぐるり見回してみれば、自分は医務室のベッドに寝かされており、他には幼子のように泣き続けるバギーだけ。どうしてバギーは泣いているのか、自分はどうしてベッドにいるのか。こうなった理由を考えようとして、シャンクスは最後の記憶を辿る。バギーを助けようとして包帯を取っ払い甲板へ向かった記憶はある。ただ以降の記憶は混濁しており曖昧でよく分からない。
 そこでバギーにそのまま尋ねてみれば、彼は呆然とした表情になると、震える声で教えてくれた。
 曰く、バギーが丁度敵に切りかかられているタイミングでシャンクスが甲板に飛び出してきて、刀を抜くと切りかかりそのまま阻止。ただ敵の身体がシャンクスより大分大きく、見上げるようにして切りつけたため相手が崩れ落ちると共に太陽光を真っ向から受け目が眩んだように倒れこみ、その拍子に頭を打って気絶したとのことだった。なるほど頭に少し鈍痛を感じていたのはそう言うことだったのか。
「バギー、じゃあお前怪我はしてないのか」
 丁度間に合ったということか。一番、気になっていたことだった。身体起こした後、良かったと胸を撫で下ろすシャンクスに、バギーは信じられないと口をあんぐり開けた。
「お前はッ!! おれのことより自分のことを心配しやがれ! このアホ馬鹿野郎が!! 危うく、視力を無くすところだったんだぞ!?? この馬鹿がッ!!」
 ギャーギャーと喚き散らすバギーだが、不意に口を真一文字に閉じるとじぃっとシャンクスの瞳を見つめた。
「……ただ、ありがとう、助かった」
 瞳を鼻と同じくらい真っ赤に充血させたバギーの涙は、心からの感謝の言葉を口にしてもなお止まる様子はない。湧き出る泉のようぽろぽろと止め処なく。
 そこでシャンクスは理解した、バギーがこんなにも泣いている理由を。

 バギーはおれを思って泣いているんだ。おれの行動に怒り、喜び、心配し、そして安堵して。
 胸の奥にじんわりとした暖かさが広がった。

 お互いの泣き顔なんて見慣れているけれど、シャンクスのための涙なんて初めてだった。どうしてか、それが嬉しく感じられた。バギーの両目から溢れ落ちていく涙全てが、己を思い流れているのだという事実が。
 シャンクスはバギーの肩に手を伸ばし引き寄せ、同時に身体を乗り出す。そして眦にたまり、今まさに頬を伝い落ちようとしていた涙を舌先で掬い舐めた。
 ひくっと肩が震え、潤んだ瞳がめ一杯に見開かれシャンクスを凝視した。吃驚した拍子にバギーの涙はようやく止まり、最後の一滴がポロリと零れて頬を伝い落ちる。シャンクスはそのままバギーを腕の中に引き込み、ぎゅーっと抱き締めた。
「シャンクス、お前、どう」
「んー、なんかバギーのこと好きだなって。思ったら抱き締めたくてたまんなくなった。それに、お前の体温すごく落ちつくんだ」
 嫌がられるだろうか、思いながらもそのまま抱き締め続けると、どこか迷いを見せながらもバギーの両手がシャンクスの背に回った。
「……おれをこんなに心配させやがって。お前なんか嫌いだよ、ばーか」
 捻くれたことを言いながら抱き締め返してくれるバギーに嬉しくなって、シャンクスはいいかげん放せとバギーが叫び暴れだすまで、彼の身体を抱き締めた。

 目が覚めたならクロッカスさんを呼んでこないと、言ってバギーは顔をぞんざいに拭うと慌てて医務室を飛び出していく。
 一応、目に異常はなく以前のように見えているので大丈夫だろう。痛みもなくなっている。クロッカスの言う涙の入れ替わりが一週間かからずに済んだのだろう。
 ただ一週間は包帯を取るなと強くいわれていた以上、さぞや怒られるに違いない。
 覚悟を決めてベッドから降りたと同時にバギーがクロッカスを伴って現れたが、その表情はちょっと困っているように見えた。怒っている様子は全く見られない。どういことだとバギーを見れば、分からないと困惑の表情で首を捻っている。
 クロッカスは二人をベッドに座らせ、自分は椅子を引っ張り出してきて座ると、苦笑いを見せた。
「失明する可能性があるとの話だったが、あれは嘘だ」
「……え?」
 嘘? 失明が嘘だった? クロッカスからの爆弾発言に、見習い二人は唖然とし言葉もない。
「いや、でも、凄く痛くて涙がボロボロ出たんですよ」
 にわかに信じられなかった話を受け入れた理由の一つが、あの強烈な痛みだった。果汁が目に入っただけで、あれほど痛みを感じるだろうか?
「あれは桃に似ているが全く違ったもので、乾燥させて粉末にすると香辛料になる果物だ。とるときに食べるなと言われなかったか? あんな甘そうな見た目はしているが生のままでは舌が焼け食べられないほど辛味が強い。その汁が目に入ったんだ、それは痛いに決まっている。ただきちんと流水で洗浄すれば、少しは痛みが残る程度でなんら問題はない。涙と反応など起こすことなどない」
「……美味そうだけどつまみ食いするなってことかと思ってました。だったらどうして失明するなんて嘘をついたんですか?」
 珍しく声に少しの怒気を含ませながら、シャンクスはクロッカスに問いかけた。
 そういわれ信じた故に、シャンクスは一週間視覚のない不便な生活を強いられた。全てが全く無意味だったなんて、シャンクスが怒りを覚えるのも当然だった。
「そうだぜクロッカスさん! なんで嘘なんてついたんすか!?」
 バギーにいたっては感情も露だ。真っ向からクロッカスに怒りを見せている。
 何か訳があって嘘をついたのだろうことは、クロッカスの様子から想像できた。それに船医であるクロッカスが、冗談や遊びであんな嘘をつくなんて到底思えない。だからそれが知りたいのに、クロッカスは苦笑いのままに何も言わない。
「クロッカスさん!」
 痺れを切らしたバギーが叫ぶと同時に、医務室のドアが開きレイリーが顔を見せた。
「遅いぞレイリー。約束どおり説明はお前がしてくれ、そもそもの発端はお前なんだから」
 溜息混じりに立ち上がったクロッカスは交代だというようにレイリーの肩を叩いて出て行ってしまう。レイリーは医務室に入っては来たものの座りはせず、腕を組み二人を見下ろした。
「大方のところ、クロッカスにどうして視力を失うかもしれないとの嘘をついたのかと聞いていたんだろうが、あれはな私が頼んだものだ」
「え!!」
「レイリーさんがですか、どうして!?」
 再びもたらされた衝撃の事実に、見習い二人は立ち上がるとレイリーに詰め寄った。しかし見下ろしてくるレイリーが、それはそれは恐ろしいくらいの笑顔だったので二人は息を呑むと顔を見合わせ、強張った表情でベッドに座りなおした。
「昔から喧嘩はしていたが、ここ最近は特に多くなっている。自分たちでも分かるだろう?」
 淡々としたレイリーの声、二人は叱られているように身を寄せて縮こまる。
「……はい」
「喧嘩をするなとは言わない、ただ頻繁すぎる。どうしたものかと思っていた矢先に今回の件だ、そこでクロッカスに頼んで嘘をついてもらった」
 バギーがシャンクスの世話を自分から申し出なければ、レイリーが命令する予定だったという。
「目の見えないシャンクスと、原因を作ってしまったバギー、そして一週間という期間。流石にその間に喧嘩はしないだろうし、強制的に一緒にいる期間を作ることによって少しくらい喧嘩の件が改善されないものかと思ったわけだ。無論、期間を終えた後もネタ晴らしはしないでいようと思っていたんだが……全く、想定外の行動にでおって」
 溜息をついたレイリーは表情を一転させると、シャンクスに視線を向けた。眼鏡の奥の眼差しは鋭くシャンクスを見据えた。
「シャンクス、なぜお前はバギーを助けに出た。ロジャーは待機を命じ大した相手ではないと話していたはずだ、バギーの周りには他の仲間だっていた。それに、お前は言っていたはずだ、バギー一人でも大丈夫だと。あれは嘘だったのか。……今回の件は嘘であり、結果としてお前が本当に失明することはなかったが、もしこれが本当だったらお前は軽率な行動をしたことになるのだぞ」
 視力を失う嘘が本当であったならば、クロッカスの言いつけを守らずに瞳を開け光を取り入れた時点で取り返しのつかないことになっていた。例えバギーを助けるためとはいえ。
 シャンクスはレイリーからの眼差しを逃げることなく受けとめた。
「バギー一人でも大丈夫だって言ったのは、バギー自身の思いを尊重したいと思ったし、おれが否定するとまた喧嘩になるって考えたからです。……だから本当は、バギー一人で戦いの場に立たせるのは不安でした、いつもおれたちは二人で一セットでお互いにフォローしあっていたから、一人の戦いに慣れていなかったし。バギーの弱さも知っていたから。戦況を確認しようと甲板近くまで行ったらバギーの声が聞こえて、しかも追い詰められてるみたいでいても立ってもいられませんでした。助けに出ようと思った瞬間に、少しだけ躊躇しました、助けに行くならどうしたって見えないと難しいし、でもここで目を開いてしまうと失明してしまうかもしれなって。でも、例えおれが失明したとしても、ここでバギーを助けずに大怪我なんてさせたら、きっと後悔するって思いました。後悔したくない、だからおれは動きました」
 バギーが居る手前言いにくいこともあった。けれどシャンクスは包み隠さず素直に言葉にした。
「……そうか。バギーはどう思った」
 振られたバギーは少し考えるように視線をさ迷わせた。
「おれは……正直、シャンクスが一緒にいなくて不安でした。でもずっと頼ってばっかりじゃ駄目だし、一人前にならなきゃと思って。シャンクスが戦えない、こんな時くらいおれが一人でもしっかりして戦わないとって。でもおれはやっぱり半人前で、なかなか上手く動けなくて、見かねた先輩が下がれって指示をくれたから下がろうとしたら見つかって、馬鹿みたいにパニックになって追い込まれて。シャンクスの背中を見たときは心から安心したけど、すぐに目のことを思い出して一気に血の気が引きました。しかも倒れやがって……意識が戻って見えることを確認するまで、生きた心地がしませんでした。凄く怖かった……おれのせいでこいつの目が見えなくなったらどうしようって、ずっとそればっかり考えてました」
 最後の方になるとバギーの声は震えて、顔はくしゃりと歪んでいる。その時感じた恐怖を思い出しているかのように。
「と、いうことだ」
 言って二人を交互に見たレイリーに、当人たちは意味が分からず困惑する。
「ここ一週間、バギーがシャンクスを手助けしている様子を見ていても分かっていたが、お前たちはお互いを大切に思いあっている。今、二人が言った言葉からしてそうだ。なのに最近のお前たちは、ほんの些細なことでも見ていては突っかかって無意味に喧嘩していたようだな。お互い別の仕事が増えただろうに、よくもまあそんなに相手を見ているものだと感心するくらいにな。それを何度だって繰り返す、馬鹿みたいに。これだけお互い大切に思いあっているというのに。どうしてだろうな? 少し考えなさい」

 レイリーが出て行って再び、医務室に二人っきりになった。ベッドに並んで座ったままだ。
 シャンクスはレイリーの言葉を考える。クロッカスが嘘をついたのはレイリーからの依頼であり、それはシャンクスとバギーの間で頻発する喧嘩をどうにかしようとしてのことだった。それだけ二人の喧嘩が目に余るほどの頻度だったのだろう。
「お前、やっぱ馬鹿だろ。怪我は治療したら治るけど失明はどうしたって無理だろ、なんでそこでおれを優先してんだよ」
 責めるというよりは独り言のようにバギーは言う。涙は拭っているけれど、泣き腫らした目はまだ赤い。多分熱を持っているだろう。シャンクスはそんなバギーを横目で窺った。
「おれがそうしたいから、そうしたまでだ。おれの考えはお前にだって曲げられないよ」
「……本当に馬鹿だよお前」
 そこまで言うとバギーは俯いて口を閉ざした。それから少しのだけ二人の間に沈黙が落ちる。それを破ったのはシャンクスだった。
「なあバギー、おれたちの喧嘩が増えた理由、何となく分かった気がする」
「え」
 顔を上げて視線を向けてきたバギーに、シャンクスは顔を向けるとちょっと笑って見せた。
「レイリーさんのさっきの話と最近のおれたちのことを改めて考え直してみたんだけど……多分、おれたちの距離が関係してるんだと思う」
「距離?」
 鸚鵡返ししてきたバギーにシャンクスは頷く。
「おれたちの仕事って基本雑用で一緒にすることが多かったよな。でもここしばらくかな、バギーとおれに振られる仕事が別々になりだしただろ。バギーは器用だから細かい仕事とか、おれは体力とか持久力が必要になるやつとか。お互いの得意不得意があるのは当然だから割り振られる仕事が適材適所になっていた。当然な事だと思う。多分それでさ、お互いに距離ができたんだと思う。ていっても部屋は一緒だし、それ以外の雑務は基本一緒なんだけどさ、それでも別々の時間が増えて、一緒じゃなくなって、その距離を無意識に埋めたくなったんじゃないかと思う、お互いが。多分寂しいとかで。そう言うときにお互い見てて、こっちを見ろといわんばかりについ喧嘩をふっかけちまうんじゃないかと……」
 だからずっと一緒に居たこの一週間、喧嘩は発生しなかった。もとより、喧嘩できるような状況ではなかったのではあるが。確かに視覚を失ってしまうかもしれない恐怖と不便さはあったが、ストレスや苛立ちも特になく、逆にバギーと一緒にいられた時間はとても心地よかった。
「……そういわれればそんな気もするな。割り振られる仕事が別々になったあたりから、お前を見ててイラついて喧嘩ふっかけてたような気がするわ。やべぇ、すっげえ恥ずかしい……」
 言ってバギーは逃げるように両手で覆ってしまう。
 要するに、お互いが相手の注意を引きたいから喧嘩をふっかけていたわけだ。幼い頃から最も近い兄弟のように育ったのだ、別々の仕事をすることは当然だと理解していても、心の中のいまだ子どもの部分が一緒にいたいと騒ぐのだろう。
 ただそうやって喧嘩をしても一緒に居られる時間が増えるわけでもないのでイライラして、さらに喧嘩をふっかけての悪循環が出来上がっていたわけだ。
 本当ならば”一緒にいたい”とどちらかが真正面から言えればよかったのだが、幼い頃なら簡単に口に出来る言葉も、成長しすぎていた二人には伝えることは難しい。要するに気恥ずかしいのだ。
 回りの大人たちは二人の心情に気付いていたんだろうなとシャンクスは思う。だから最初こそ放っておいたのだろうが、呆れてしまうほど喧嘩の頻度が高くなったので、今回の一件に関して嘘をついた。種明かしをされないままだったら日常に戻った段階でどうなっていたのだろうか。また元に戻っていたかもしれない。ただ、レイリーのことだ、種明かしはせずとも上手く言いくるめて、良い方向に導いたかもしれない。
 そもそも、種明かしされる前にシャンクスもバギーも、二人一緒にいる時間が心地よいと自覚していたから、今更喧嘩して頻繁に衝突して苛立つようなことをするなんてしない可能性も高かった。
「それでさ、バギー。お互い喧嘩するってのは何のメリットもないし、やめるようにしたほうがいいと思うんだ」
「我慢するしかなくねぇか」
 ゆるゆると顔を上げたバギーは、しかめっ面で断言した。
「うーん、それが一番簡単だと思うけど、いつか爆発する気がするから。それでちょっと考えたんだけど、さっきみたいにぎゅって抱き合うのは駄目かな」
「はぁ?」
「目が見えなくなるかもってときにお前と抱き合って、すごく安心して落ち着いたんだ。だから、喧嘩をふっかけそうになった時に同じように抱き合えば、そこで落ち着いて喧嘩に発展しなくなると思うんだよな、おれ」
 真面目腐った顔で提案するシャンクスに、バギーは顔を顰めた。抱き合ったことにより安心した件を否定はしないけれど、今後もそれお続けていくとなると、ちょっとそれはどうなのかと思わずにいられない。上陸した際の街中で見かけた男女の抱擁や子ども同士の友愛はなんとも思わないけれど、おれたち二人が頻繁に抱き合うなんてそれは厳しいものがあるのではないか。
「……いや、それはどうかと」
「嫌なのか?」
 シャンクスは食い下がる。
「別にずっとってわけじゃない、おれたちがお互いの距離に慣れるまでだって。そんな悪い考えでもないと思うんだけどなーおれ、ちっちゃな頃みたいで嬉しかったし、バギーの体温心地よかったし。バギーは嫌だったか?」
「嫌じゃなかったけどよ……」
「じゃあ、そうしようよ、な?」
 裏表のない真っ向からの笑顔を伴って言われてしまえば、バギーもこれ以上拒みきれない。こういうときに強く押してくるシャンクスに、バギーが勝てたためしがない。
 迷いながらも頷いたバギーに、シャンクスはじゃあヨロシクなといって抱きついて。いや、今は違うだろと言って押し返そうとするものの、泣き疲れた身体にはシャンクスの体温がひどく心地よくて、ああもういいやと投げやりに考えながらバギーは瞳を伏せた。

「本質的な原因にまではまだ気づかないか」
「やはり、まだまだ子どもだな。そう上手くはいかない」
 立ち去らずに医務室の前にいた大人二人は、漏れ聞えてくる中の会話に顔を見合わせ苦笑いを浮かべると、やれやれと首を振ったのだった。

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