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君がいる日々に*

 人が十人も乗れば重みに沈んでしまうような小型の船。風を受ける白い帆には、まだ何のマークも描かれていない。
 話し込んでいた二人の頭上を突風がびゅうと吹き抜けていき、同時に麦わら帽子を奪っていく。赤髪が空を振り仰いだ。
「あっ!」
 咄嗟に手を伸ばしたシャンクスだったが、風の速さには追いつけない。気付けば、まるで神の手に拾われたように大分高いところまで飛ばされてしまう。
 強風は続いており、このままではもっと遠くまで飛ばされてしまう。シャンクスは助けを求める表情でバギーを見た。
「たっくよぉ」
 一連の光景を眺めていたバギーは、一まとめにした青髪を風に遊ばせたまま、仕方がないと己が手を放った。
「助かった、ありがとうバギー」
「次はねぇからな、シャンクス」
 そんなことを言いながら、同じようなことが起これば文句を言いながら動くんだろう。
 なにせ、新しい航海を始めたばかりである船の船員は、たった二人だけなのだから。助け合い補い合いながらでないと、この広大な海を進んでいくことは難しいと、海賊王の船員だった二人は身をもって知っていたのだ。

 海賊王の公開処刑後、人でごった返すローグタウンを二人は速やかに脱出した。そして今は海図を覗き込みながら東の海を航海中だ。
 食料はそう多く積んでいない、一旦どこか町に寄るべきだ。海を見渡してもずっと水平線が続くが、西南の方に進めば島がある。今はそこに向かおう。
 二人で始める航海、最初の目的地は簡単に決まった。
「……正直、お前がおれの誘いにのってくれるなんて思ってもいなかった」
 手元に戻ってきた麦わら帽子を被りなおしたシャンクスは、再び海図に視線を落としているバギーを眺めながら呟いた。赤鼻がぴくっと動く。
「誘っといて言うか? てめぇ」
 顔を上げたバギーは不機嫌な様子でシャンクスを睨んだ。
「いや、高確率で断られるだろうなって……お前だって船長として船を出したいって言ってただろ?」
 ロジャー海賊団の船を降りた後、一体どうするのか。見習いの二人は何度か語り合っていた。その時の話から自然と別の船に乗ることになるんだろうお互いに、と思っていた。
 二人とも相手の下につく気はなかったし、一つの船に船長は二人も要らないからだ。それに航海の理由が二人では異なっていた。
「……船長の言葉、間違いなく海は荒れるだろ? 今はお前について行った方が良いと思ったからだ。それにそもそも、お前の船に乗ったとしても、お前が船長である必要はねぇよな」
 言ってバギーはにやっと笑う。喧嘩を売るような物言い。今までの二人であればここで小さな小競り合いが勃発するところだが、今は違った。
 シャンクスは周囲の確認とばかりに視線をぐるりと回しながら言った。今のところ海軍も普通の船も見当たらない。
「まあ、そのことは後でじっくり話そう。そうだな、次の仲間が入るまでにどうすればいいか決めないか」
「なんだよ、お前は”おれが船長だって”主張しないのか」
 船の持ち主がシャンクスである以上、おれが船長だからな。そういわれるであろうと思っていたバギーは拍子抜けした。
「今のところおれはお前が一緒にいてくれるだけで嬉しいから……多分無理だろうなと思っていたから尚更な。だから正直言えばどっちでも良い」
 からりと笑い言い切ったシャンクスを、バギーは見開いた瞳でしばし凝視する。爽やかな面を見せるシャンクスの言葉にこれっぽっちも嘘偽りがないことは一目瞭然だった。
 バギーは不意に視線を逸らすと、額に手をあてはぁと溜息をついた。
「なに、甘っちょろいこといってんだか……」

 一人目の仲間を迎え入れる頃には船長はシャンクスに決まっていた。もうお前でいいわとバギーが投げたのだ。
 船員は段々増えていく、腕の立つ奴の噂を耳にしては勧誘しにいったり、戦闘を仕掛けてきた少人数の海賊たちを気に入って皆取り込んでみたり。航海を始めたばかりから乗っていた船はすぐに手狭になったので、中型の船を、それですら小さく思えるほどの大所帯になった時には今後の諸々を考えてオーダーメイドの大型船に決めた。現在乗っているレッド・フォース号がそれにあたる。
 多くの喜びと悲しみ、出会いと別れがあった。受け入れ乗り越え船は大海原を進み、シャンクスはいつしか四皇と呼ばれるようになった。
 ”一緒にいる必要がないと判断したら、おれはこの船を降りるぜ”
 最初こそそんなことを言っていたバギーだったが、降りると言い出す素振りも見せぬまま、気付けば二十年以上の月日が経っていた。

 四皇の名を恐れ逃げる者がいるのと同時に、その首を狙い戦闘を仕掛けてくる者もいる。特に白ひげの死後、世界の海は大いに荒れ、それに感化された恐れ知らずの海賊どもは一斉に強者へと挑みかかった。
 基本的に赤髪海賊団は自分から攻撃を仕掛けることはない。ただ売られた喧嘩ならば買う、そして戦いが嫌いではなかった。海賊なんて奴は、温和な見た目な奴がいても、血の気が多いものだ。
「粗方終わったな、引き上げるぞ」
「おお!」
 今も一つ戦闘が終わった。この程度の相手ならば朝飯前だ。
 刀を納めたシャンクスは、己が船へと運ばれてくるお宝にふと目を留めた。こういったとき敵船から奪うのは金品お宝だけだ。敵船の船員に興味はない。食料を残すのは僅かな情けからだ。ただ二度目はない。再び戦闘を仕掛けてこようものなら一切の情けはかけない。
「……こいつは」
「お頭、何かありましたか?」
 シャンクスの視線を感じた船員は足を止めた。船員が持つ箱の中には敵船の宝物庫から奪ったものが無造作に詰め込まれており、シャンクスは中から筒状に巻かれた紙を取り上げた。
 紐を解きぱらり開いてみれば予想通り宝の地図だった。小さな×印が、ここに宝が眠っているのだと主張するように書き込まれている。
 宝の地図なんていつぶりだろうか。もう十年を越えた年月見ていない気がする。もともとシャンクスが宝探しに然程興味がないからであり、宝探しは昔からバギーの領域だった。
 この地図を見てバギーは喜ぶだろう。不意に思い、すぐにでも見せたくなった。シャンクスの顔が綻ぶ。
「これはおれが預かるから、残りは引き続き運んでくれ」
「はい」
 指示を出したシャンクスは、そのままの足でバギーの部屋へと向かう。赤髪海賊団幹部であるバギーには個室が与えられており、今回のような小規模な戦いの際に彼は戦闘に参加しない。出る必要がないのだ。ただシャンクスはどんな時にだって戦場に出る、彼の存在が現場の士気を引き上げるからであり、なにより戦いを好んでいたからだ。
「お、バギーか。丁度良かった」
 部屋に向かっている途中で向かってくるバギーと鉢合わせした。
「どうしたよ、お頭」
 バギーの返しにシャンクスの表情が少し曇る。
 ある時から、バギーはシャンクスのことを名前で呼ばなくなった。
 仲間が増え続ける最中、副船長を含む幹部をどうするか、いいかげん決めた方がいい、そんな話が出た。誰もが一番の古株であるバギーが副船長だろうといったが、本人が嫌だと拒絶した。副船長といえば戦力を含めた多種な能力が高い人間が望ましい。バギーは冷静に己を鑑み適切ではない、加え古株だから副船長にとの考えは望ましくないと主張したのだ。同時に一人推薦者をあげた。
 シャンクス自身は長年一緒にいるバギーを副船長にする気満々だったが、本人の主張を切り捨ててまでは押し通せなかった。それから話し合いの結果、満場一致でベン・ベックマンに決定し、バギーは数名の古株と一緒に幹部へと納まった。
 それからだ、バギーが他の船員同様にシャンクスを”お頭”と呼ぶようになったのは。
 いつまでもロジャー船長の船に乗っていた時のような同格の扱いでは駄目だ、この船の船長はシャンクスであり、己は部下になるのだから。
 上下のけじめをつけておかないと、部下に示しがつかないだろ。ガキの遊びじゃない、皆お前に命をかけてるのだから。
 同じ船の見習い同士、船の上で学んだことだ。最もな意見に反論も出来ず、その後バギーは自分はシャンクスの部下であると、綺麗に線引いた。古参が知るシャンクスとバギーの関係を口外することを禁止させ、シャンクスには特別扱いすんなよと釘を刺した。
 こんだけでかい組織になっちまったからには、ちゃんと統制が取れていたほうがいい、そうだろ? そう言って。
 バギーは幼い頃からずっと傍にいて、シャンクスにとって特別な存在だった。それにバギーだけだ、シャンクスのことをずっと名前で呼んでくれたのは。
 理解して納得しているが、寂しいなとシャンクスは内心思う。
「……お前は一々表情変えんな、お頭だろ。納得したって言ってただろーが。それで用事はなんだよ」
 シャンクスの心情が分かっているだろうに。いっそ、シャンクス呼びに戻せと命令すればと思うけれど、そこまではしたくなかった。
「ああ、これだ。宝の地図が敵船から見つかったんだ」
 気持ちを切り替えて広げてみせると、よく見ようと顔が寄ってくる。
「で、どうすんだよ。今更宝探しか? 小隊でも作って確認にいかせんのか」
「え」
 喜びも感激も見せぬ、顎に手をやりながら普段どおりの表情で言うバギーの反応が予想外でシャンクスは困惑する。
「必ずしもあるともわからねぇ宝の地図に、全体を動かす必要はないだろ? 紙が新しいみたいだしうさんくせぇなぁ……まあおれが行ってもいいけどよ。そのつもりで見せたんだろ?」
 冷静に言うバギーの言葉は的を射ている。宝の地図の大半はガセネタで、お宝が無いだけならばまだしも、意図してばら撒いた地図を手にやってきた海賊を逆に狩る奴もいる。要するに罠だ。
 ロジャー海賊団の頃より遙かに大所帯になった赤髪海賊団だ、そんなあるとも知れない宝の地図の場所に全員で乗り込む必要はない。幹部一人に何人かの船員をつければ十分だろう。そう主張しているのだバギーは。それはすこぶる正しい。けれど。

 なんだろう、シャンクスは違和感を覚えた。

 見習いの頃なんかは目を輝かせて敵船から奪った宝の地図に見入っていたバギーだ。二人で海に出た頃は嬉しそうに笑い、ちょっと遠いけど確認しに行こうぜなんていっていた。
 それに最近だって。
 宝の地図があると伝えたらぱっと喜色を見せて、実は嘘だったと明かせば激しく怒り狂い掴みかかってきた。
 そこで再びシャンクスは違和感を覚えた。
 今、目の前にいるバギーは年相応に落ち着いているが、見習い時代とさほど変わりのないいでたちをしている。けれどシャンクスが思い出した怒り狂うバギーは、ロジャー船長と同じようにコートを羽織り、一目見たら忘れられないような度派手な衣装を身に纏っていた。顔にも独特なペイントをほどこしバギー特有の赤鼻も相まって、まるで道化師のようだった。
 今までバギーが一度もしたことのない格好のはずなのに、見たこともない格好のはずなのに、何故か記憶に残っていて、それはバギーにしっくり馴染んで似合っていた。
 目の前のバギーと記憶にあるバギーがぶれて重ならない。
 なんだ、どういうことなんだ、シャンクスは困惑に頭を振った。記憶の改ざんでもされているというのか? シャンクスの行動にバギーが訝しげな表情を見せ、口を開く。

「おい、こらシャンクス!!!」
 響き渡る怒声にハッとして目を開けた。
 視界に飛び込んできたのは、先ほどまで目の前にいたバギーとも道化の格好をしたバギーとも違う、まるでバカンスの最中だというようなシャツに短パンというラフな格好をしたバギーだった。不機嫌な面で見下ろしている。
 横たわっていた身体を起こし周囲を見渡したシャンクスは、船の上ではなく、海賊たちが隠れて羽を伸ばす略奪・喧嘩がご法度の島だと言うことを思い出した。
 気が向いたときに、少しゆっくりしたいなとぷらりと一人訪れていたシャンクスは、そこで偶然バギーと会った。どうやらバギーの方も骨休め目的で一人で来たらしく、折角だから一緒に飲まないかという話になって、シャンクスが気に入りの屋台に誘って飲んでいた。
 楽しく酒を飲み、美味いおでんをつついていた途中からシャンクスの記憶は曖昧になり、今に至るわけだ。どうやら途中で眠りこけて、屋台の椅子に転がされていたらしい。
「……夢か」
 横になっていた長椅子に座りなおしたシャンクスは、項垂れると頭を掻きつつ呟いた。今が地続きの現実で、直前までの現実が夢だったのだ。
「はぁ? 何言ってんだお前、寝ぼけてんのか。目ぇー覚ましやがれ」
 切り離されたバギーの手が飛んできて、シャンクスの額にでこぴんをかましたので、反動でシャンクスは顔を上げた。微かに痛む額を撫でていると、バギーは困り顔になった。
「……シャンクスお前疲れてんのか。飲んでる途中で船を漕ぎ出しやがって、気付きゃおねんね一直線だしよ。お前、この島の常連なんだろ、決まった宿とってあんだろうし、さっさと宿にいって寝ちまえよ」
 乱暴な口調ながら気遣いを見せるバギー。本当に変わらないなと思う。
「バギーはどうするんだ」
「あぁ? おれ様はもう少しここらで飲んでからとってる宿にいくわ」
 シャンクスは立ち上がるとバギーの腕を掴んだ。少し眠ったためだろう、眠気は綺麗に消えていた。
「少し眠ったからもう大丈夫だ。折角だ、ちょっと場所を変えないか? おれの部屋に来いよ、そこで続きと行こう。おやっさん勘定はつけで頼む」
 顔なじみの店主は心得たとばかりに手を振り二人を見送る。バギーは急すぎんだよと文句を言いながらも嫌がる素振りを見せずついてくる。ただし、掴んだ腕は振り払われてしまったが。
 屋台や飲み屋、はたまた通常の飲食店から値のはる高級店まで揃い踏みの通りを歩く。シャンクスには見慣れた町並みだが、初めてのバギーは珍しいらしくあたりを興味深そうに眺めていた。
 この島で働いているのは島民だけで、客は海賊だけだ。海軍も賞金稼ぎも島には入れない。だから道を行き交うのも食事をしているのも海賊で、彼らは悠々と歩く四皇と、軽口を叩きながら歩くバギーに畏怖の瞳を向けていた。
「シャンクス、お前どんな夢見てやがったんだよ」
 そんな最中、不意に横を歩くバギーが問いかけてくる。
「バギーがおれの船に乗ってる夢だった、船長はおれでな」
 悪くない夢だったと思う。正直、何度か考えたことがあった、もしバギーがあの時一緒に来ていたら? どうしてこんなタイミングで夢に見たのか、直前までバギーと話していたからに違いない。
「なんつー悪趣味な夢を見てやがんだてめぇは」
 眉間に深い皺を刻みつつ、苦虫を噛んだような表情できっぱりと言い捨てられてシャンクスは苦笑いを浮かべた。
「はっはっ、酷いこというな。ただまあ、それで分かったことが一つだけあるんだ。おれたちは別の船に乗って正解だったってな」
 言えば、どういうこったとバギーは首を捻った。
 夢の始まりは良かった。お互い気の知れた者同士の船出、夢の詳細までは流石に覚えていないけれど楽しかったことだけは間違いなかった。ただ目覚める直前に見ていた夢では夢と現実のバギーが入り混じり、どうしても夢の中のバギーに違和感しか抱けなかった。
 シャンクスの知るバギーはお宝大好きで、お宝の地図を見つければ大喜びし、なんとしてでも探しにいこうとする。そんな奴だ。
 そんなバギーが夢の中といえお宝に対して冷静で、然程興味がないような振る舞いをしていた。シャンクスは、こんなのはバギーじゃないと思った。
「まあ夢ではあったけど、おれと一緒に海に出て最終的にバギーを変えちまうのは嫌だなと思った。それに結構リアルな夢だったからな、起こりえた可能性だってある」
「だから、別の船で良かったと」
「そうだ。お宝を探しに興味のないバギーなんて、バギーじゃないだろ。世界中のお宝を手に入れたいって言ってたよな」
 ただそう実感したのはつい最近だ。
 マリンフォードでの頂上決戦。向かっている間、様子を見るためにジャックした電波で流れてきたのは、あまりにも酷い大根役者であるバギーの姿だった。仲間の大半は、何だコイツは……と呆然としていたが、シャンクスだけは可笑しくなって大笑いした。笑いすぎて涙さえ滲ませて。バギーが怒るだろうから伝える気はないけれど。
 シャンクス自身、手配書や新聞でしかバギーの生存を確認していなかった。袂を分かった相手だ、気にかかることもあったが、この広い世界のどこかで生きていればいい、それくらいだった。会ってしまえば敵として戦うことになるのだから、できれば会わない方が良いなとも。
 そんな中でもたらされた映像、分かれて二十年以上の年月が経っているのに変わっていないなと感じた。だから戦乱の最中に宝の地図なんて言葉がつるりと出たし、全く疑いもせずに突っ走っていったバギーに内心嬉しさを感じていた。
「それに、夢で見たバギーはおれを”お頭”と呼ぶようになっちまって嫌だった。お前にはシャンクスって呼んでもらいてぇからな」
「よし分かった今後お前のことは赤髪と呼ぶわ」
 お前を喜ばすことは気に食わんと言うように宣言するバギーに、それは勘弁してくれとシャンクスが笑う。
 四皇や七武海の一人としてではなく、ただの昔なじみのシャンクスとバギーとしていられる時間。楽しくて懐かしくて、心地よいなと感じた。

「バギー、今夜はここに泊まって行けよ」
 シャンクスの部屋について、そこから備え付けの酒をしこたま飲んで喋って。足元の覚束ないバギーにシャンクスは空いているベッドを勧めた。シャワーを浴びたバギーと入れ替わりに風呂場に行って汗を流す。部屋に戻れば既にバギーは眠っていた。仰向けでぐーすか気持ちよさそうに、想像通りの姿にシャンクスは苦笑する。
 タオル片手にバギーに近寄ったシャンクスは、ベッドに腰掛けると、濡れたままの青髪を拭ってやる。
 これだけ伸ばすのだ、きちんと手入しているのだろう髪は手触りもよく綺麗だった。遠い昔、赤髪と青髪で対照的な二人だなと言われたことを不意に思い出す。まだ、見習いのころのことだ。
 その時からシャンクスは、バギーの海のような青髪が好きだったし、今のポニーテールに結わえられた長髪が揺れている様を見るのも好きだ。でも触ったことはあまりなかった。
 手触りを楽しみつつ丁寧に拭ってやると、あの日のことを思い出してしまいシャンクスは笑ってしまう。
 期待しなかったといえば嘘になる。初めて抱いた時、最初こそ拒んだバギーだったが、どこで気が変わったのだろう二回目を誘ってきた。ひたすら気持ちよかったし、悪趣味かもしれないが涙を滲ませたバギーに興奮した。あの時、シャンクスの部屋での一回限りだと約束した以上、自分から約束をたがえることはできない。そもそも、この島でバギーを見たときは、何の期待もしていなかった。ただこうやって偶然にも会えて嬉しいなと、それだけだ。
 でも部屋に付いて来たのだ、抱かれた相手であり好意を寄せられてると分かっていながら、何の抵抗もなく。今だって無防備に寝顔を晒している。そこに少しの期待を見出してしまうのは、仕方ないことだと思う。
 少しだけ開いた唇に触れたいと思うが、実際の行動にはうつさずに眺めるに留まる。バギーを裏切るようなことはできなかった。

 そういえば、基本ずっと同じ船に乗っていた夢の中では、こういった関係にはならなかったなと思う。あれだけ傍にいたのに、どうしてだろうか。手を伸ばせば届く距離だったのに。考えてみたがよく分からない、ただ夢の中の関係が続いていっても、恋愛感情はおろか肉体関係すらなかったのではないか。夢の中のシャンクスは、バギーが同じ船に乗って中まで居るだけで満足し、それ以上何も望んでいなかった。そもそも、誘いを断られると思っていたのだから受け入れられて仲間でいられるだけで良かったのだ。
「長い期間、離れていたから、かな?」
 離れていた間に少しずつ心の底に折り重なっていた思いは、再会がなければ気付かれぬままに風化し消え去っていた可能性もある。その思いが再会によって無意識に表面化され、バギーに向けられたわけだ。それがどういった感情なのかを理解したバギーが無自覚のシャンクスに疑問として突きつけ、自覚させた。
 絶望の表情を見せたバギーを思い出すと、笑ってしまう。二十年以上ぶりに会う相手に抱くと宣言されてしまっては仕方ないことだろうが。
 それでも、欲しかったのだからしょうがない。あの時も言ったが、傍にいるのに我慢するなんて馬鹿げている。例えば相手が一般人ならば、流石にちゃんとした手順は踏む。でも相手はバギーで海賊で、このチャンスを逃すと今後会えるかどうかもわからない。だからシャンクスは己を偽らず、迷わなかった。
「……お前、いつまでそうやってるつもりなわけ」
 髪を拭いた後、そのまま放すのも勿体無くて、指先に絡めつつ考え込んでいたシャンクスは、不意にかけられた言葉に手を止めた。眠ったと思っていたバギーはいつの間にか目を開けて、じとりとした視線を向けてきていた。
 シャンクスはバギーの言葉にきょとりとする。
 これはもしや、そういうことなのか。だけども。
「いいのか?」
 約束している以上、シャンクスからは触れることは叶わない。
「最初は有無を言わせなかったくせに、何言ってやがる」
「あの時は一度きりだと言ったからな。バギーの許可がないと、そういった意味では触れない。だから、いいのか?」
 確認するように重ねて尋ねれば、バギーは拗ねたように顔を背ける。
「……触りたきゃ触ればいいし、その気がねぇならおれはこのまま寝るぜ、ッ」
 ならば、シャンクスの動きは速やかだった。
 露になっているバギーの耳に指先で触れ、輪郭に沿って動かしていく。ヒクッと息を呑んだ喉が震えて、シャンクスは笑むと前かがみになって耳の穴に舌先を突っ込んだ。そしてわざと音を立てて舐める。
「!?」
 顔と手を続けてパンッと弾かれた。身体を起こしたバギーは、舐められた耳を防御するように震える両手で覆っていた。その顔は薄っすら赤くなり、シャンクスの行動が想定の範囲を軽く超えていたことをうかがわせる。
「言っただろ? バギーが引くくらいには好きだって。この前は最初で最後だと思っていたから、できるだけお前が気持ちいいようにってしてたんだ。嫌な記憶にしたくなかったしな。まあ二回目はお前に誘われたから、ちょっとだけ暴走したけど、あれで大分抑えていたんだよ。本心ではお前が引くぐらいのこと、あれ以上のことをしたいと思ってた。……そこでもう一度聞くぞ、いいのか?」
 笑いながら再三尋ね判断を委ねた。
 これでバギーが拒絶してもシャンクスはちゃんと従うが、流石に部屋だけは別にしようと考えた。今のバギーは目に毒だし、同じ空間にいるのは少しだけ辛い。
「い、今更、発言を撤回するつもりはねぇよ!」
 ところどころ声を裏返らせながら言ってのけたバギーは、少し潤んだ瞳で睨み付けてくる。ここまで言われてしまえばシャンクスも己を押さえつける必要はない。それにバギーの瞳の奥に揺らめく熱を認めた。
「分かったバギー、じゃあ遠慮なくお前のこと貰うな」
 深い笑みを浮かべたシャンクスは、手始めに耳を覆ったままの手を舌先でなぞった。

 初めの時と同じように、受け入れるさせるための準備は丁寧に時間をかけた。無理やりに抉じ開けて傷を与えるなんて論外だ。ただ、指先の動きは前回と少し異なっている。
「う……ッ」
 下半身だけを持ち上げ、うつ伏せに横たわるバギー。覆い被さるシャンクスは、濡れた指先で髪を掻き分けると首筋を露にする。生え際に残した痕は当然ながら消えていて、シャンクスは残念だなと思いながらも再び口付けた。同じ痕を残す。
「うん?」
 唇を離すとバギーがシャンクスを振り返った。潤みを帯びた瞳が、苛立たしげにシャンクスを睨む。引き結ばれた唇と、赤らんだ頬にバギーの言いたいことは分かったけれど、シャンクスはそ知らぬふりで笑いかけた。間違いなくバギーは怒るだろうな、でもシャンクスは楽しくてたまらない。
「てめぇ、シャンクス……焦らしてんじゃねぇよ!!」
 シャンクスの態度にバギーは眦を吊り上げて怒鳴った。予想通りの反応に、シャンクスはますます楽しくなった。
「焦らしてる? 違うだろ、こうやって丁寧に開いてやらないと、痛い思いするのはお前なんだぞバギー」
 言って揃えていた二本の指を横に開いてみせると、バギーの両肩がヒクッと震えた。ああ、ちょっと触ってしまったかな、思いながら中指をちょいちょい動かすと、ハッと見開かれた目がすぐに力一杯に閉じられて、中が少し狭くなる。
「ッ~~」
 喉の奥で唸り、身体を震わせるバギーに、気持ちいいんだろうと思いながらもシャンクスは指の動きを一旦止めた。そして少し違った風に動かす。
「くっ、この」
 気に食わないのだろう、再び瞳を見せたバギーはシャンクスを睨み付けた。シャンクスは逆に笑いかけた。まだ、もっともっと。
 バギーの身体はすこぶる正直だ。気持ちいいところを触れれば反応を示す。だからいいところは前回の時に容易に見つかっていた。気持ちよくしてやりたい、前回はその一心で愛撫をほどこしていたし、極力痛みは与えないように気を配っていた。だって好いている相手なのだ、嫌な思い出にして欲しくなかった。
 正直に言えば押し殺していた感情がシャンクスにはあった。バギーのことを思えば表に出すわけにはいかず、鉄壁の理性で覆い隠していた。
 今ならば、それをバギーにぶつけても許される。シャンクスは嬉しくてたまらない。
「……ひッ」
 深くなるシャンクスの笑みに、不穏な何かを感じ取ったのだろう。バギーは表情を強張らせると、無意識にシャンクスの下から逃げようとした。
「駄目だ、バギー。ちゃんと慣らさないと、奥まで」
「!」
 三本目を不意打ちのように突っ込む。受け入れるには十分に慣らしていたから痛みはないはずなのに、バギーは息を呑んで硬直してしまう。その理由を分かっているシャンクスは、見開かれた瞳から零れた涙を舐め上げると、眦に軽いキスを落とす。
 さあ、少し本気を出そうか。それからシャンクスは指先を忙しなく動かし始めた。バギーの気持ちいいところに触れ、かと思えば全く見当違いの場所を愛撫、それを交互に繰り返していく。絶頂に達するであろう一歩手前を見極めながら。
 快楽を与えられた身体は高ぶるけれど、次の瞬間には刺激は消えて停滞する、それを何度も繰り返されると身体に快楽は蓄積されていくが、放出できない。高ぶった状態のまま刺激を与えられなければ、絶頂には辿り着けない。
 途中でシャンクスの意図を察したバギーは、半分溶けかけた頭で、先走りを滴らせる熱の頭をシーツに擦りつけようとした。このまま焦らされ続けると気が狂うと危惧したのだ。何より達したくてたまらなかった。そんなバギーの動きにシャンクスは気付いていた。
「駄目だろうバギー、そんな勝手にいこうとするなんて。おれを感じて、おれでいってくれ」
「う……ぅッ」
 落ち着いたシャンクスの声には人を従わせる何かがある。同時に、シャンクスの熱が尻に擦りつけられた。バギーは唇を噛み締めると、仕方なく腰を上げた。

「っ――!!」
 散々に愛撫されて焦らされて、一度も達することのできなかったバギーの身体を仰向けに転がした。ぐったりしたバギーの眼差しは力なく、熱は解放の時を待ち続けながら震えていた。
 熱い吐息を漏らす唇に軽く触れた後、片足を抱えたシャンクスはそのまま高ぶった己が熱でゆっくりと貫いていく。たっぷりと濡らされて広げられたアナルは抵抗もなく熱を飲み込んでいく。指先の愛撫により熟れた中は、奥へ奥へと侵入してくる熱に擦り上げられ、バギーを瞬く間に絶頂へと導いていく。
 先端が、ひどく感じてしまう箇所を力強く擦りあげ、暴力とも呼べるほどの快楽を与える。バギーは瞬間、怯えた子どもが泣きだす直前のような顔をした後に、とうとう絶頂に達した。
 待ちに待った解放に、バギーは目を見開くと首を仰け反らせて声にならない悲鳴をあげた。頬はのぼせたように赤くなりじっとり汗で濡れ、少し開かれた唇は苦しげな息をしている。腹の上には絶頂を吐き出したあとが、白く残っていた。
 そんなバギーの様子を、シャンクスは真上から余す所なく見つめていた。その一連の姿を脳裏に焼き付けるように。
 根元まで挿入を終えたシャンクスの下で、瞳を伏せたバギーは息も絶え絶えだった。一度達した後もシャンクスの熱が動き続け中を刺激するので、絶頂が尾をひいていた。その証拠にバギーの熱は、栓が壊れた蛇口のように少しずつ白濁を吐き出していた。
 多分、今のバギーはもう一杯なのだろうと判断したシャンクスは、ぺろりと唇を舐めた。バギーを思いやるならばここで止めるところだけど、シャンクスにとっては今からが始まりといってもいい。
 シャンクスは雄の匂いが色濃く香る、獰猛さをはらんだ笑みを見せた。
「今から、もっと気持ちよくしてやるからな」

「も、止めっ、はいってぐんなぁっ、!」
「なんで、まだいけるだろう? お前なら」
 泣き声交じりの拒絶の言葉を、バギーはいやいやと首を振り必死になってわめき散らす。シャンクスは汗をかきながらも笑顔でまだまだと首を振った。
 焦らされまくったあとに、ようやく与えられた痺れるほどの絶頂に脱力したのもつかの間。それ以降は断続的にいかされ続けていた。塞き止められ続けていた時も辛かったけど、吐き出し続けるのもきつい。吐き出し続ける間、ずっとアナルは受け入れ続けていて、しかも驚くほど奥まで開かれ挿入されており、バギーは恐怖を感じ始めていた。気持ち良いのは好きだし間違いないが、終わりが全く見えない。このままでは意識が飛んでしまう、それが怖かった。
「これいじょ、いらないがらッ」
 とうとうバギーは半狂乱になって泣き出した。力の入らない身体で、両手を持ち上げてシャンクスを押し返すことはおろか、ろくに抵抗するもできない。でも、これ以上は欲しくない。
「何も考えるな、全部をおれに委ねればいい。余す所なく全部見てるから。他の誰もが知らない、お前を見せてくれ」
「ぃっ!!!」
 気持ちのいいところをごりごりと刺激され、バギーの脳内に火花が散る。同時にそこでバギーの意識がふつりと途絶えた。

 数分後にバギーが目覚めた時には、まだ体内にシャンクスの熱が入ったままだった。バギーが気を失っている間、そのままで待っていたのだ。焦点の合わないバギーの瞳に、それでも覚醒を確認したシャンクスは、再び動き出す。半分意識が飛んだままのバギーは、揺さぶられるままに揺れ動く。
「バギー」
 名前を呼んでみても反応は悪い。少し考えたシャンクスは繋がったまま身体を起こし、ぐったりしたバギーの身体を片手で難なく抱え起こすと、胡坐をかいた自分の上に座らせた。自重で更に奥までくわえ込んだことによりバギーの身体は震えたが、それ以上の反応はない。
 当然、寄りかかってくるバギーの身体を抱きとめ、頭を己の肩に乗せさせると、シャンクスは目の前の肌に噛み付いた。バギーの意識を完璧に覚醒させるために。
「ッあ!!」
 肩に広がる痛みにバギーの身体が硬直し痙攣する。シャンクスが口を離すと、くっきりとした歯形がバギーの肩に残った。少し血が滲んで見える。
 強烈な痛みによって、意識の覚醒を強制されたバギーは、弛緩したもののいまだに身体の奥まで貫く熱に身じろいだ。バギーの意識が戻ったことを身体で感じたシャンクスは、嬉しそうに笑う。
「勝手に気を失うのは駄目だろ? お前が抱いていいと許可を出したんだから最後まで付き合ってくれよ」
 すると返答の変わりにバギーはシャンクスの首に噛み付いた。それもシャンクスのものと比べると痕も残らない、甘噛み程度にしかならない。バギーの本意ではないだろうことは分かるけれど、シャンクスを喜ばせるには十分だった。
「うぅッ!!」
 下から突き上げるとバギーの全身が再度硬直する。すると噛み付いたままの口に力が入り、シャンクスの首に微かな痛みが走る。僅かでも噛み痕が残るだろうか、それがとても嬉しくて、シャンクスはバギーの身体を抱き締めた。

 次の日、バギーは一人頭を抱えていた。
 昨夜の記憶は大半覚えている。意識が飛んだ時もシャンクスによって強制的に戻された。最後までちゃんと付き合え、そう言われて。
 この島でシャンクスと偶然再会し、部屋に誘われた時点で少しは予想し期待していたのも事実だ。そもそも性欲はさほど強くないし、一度抱かれたからといってもその後身体が疼いて抱かれたくなったなど思ったこともない。ただ再会した時点でもしかしたらとの思いがあって、シャンクスの部屋にといわれた時はあの日のことを思い出して、身体の奥のほうで小さな火種がついたのを感じた。
 男である以上抱かれる行為に違和感はある。けれどとても気持ちよかったし、相手は惚れてると言ってくるシャンクスだから身の危険はない。それに四皇と恐れられる男が、殊更丁寧に己を抱いたのだという事実は、誰にも公言できるわけではないがバギーの自尊心を擽った。
 ただ、バギーはシャンクスが向けてくる思いに応える気はない。簡単に言えば身体だけだが、お互い了承済みだ。どちらかが女だったら考えもしただろうが、お互い男同士の海賊だ、仕方がない。
 だからバギーは結構前向きに抱かれてもいいと思っていた。初めての時のように、たっぷりの心地よさを与えてくれるだろうと信じて疑わなかった。
 のだが。
 ひたすら焦らされて気が狂うかと思ったら、今度は断続的に絶頂を与えられ気絶からの覚醒を何度も繰り返した。正直、貴様何しやがったんだと殴りかかりたい心境だ。こんなの、先に分かっていれば全力で逃げた。
 ただ気持ちよかったのも事実だ、前回と比べ物にならないくらいには。何度も頭が真っ白になった。同時に、痛みも今回は一切無かった。だから実際、シャンクスを責められない面もある。そもそもシャンクスは最初にバギーの意思確認をした、警告をしていた。それを聞いて結局受け入れたのはバギーであり、シャンクスを責めるのはお門違いだろう。それに体力の消耗が激しくて、怒鳴ったりするのは辛い。
 だからといって何も言わないのはバギーの気が済まない。
 悶々考えていると風呂場へのドアが開き、シャンクスが顔を見せた。
「バギー、目が覚めたか。シャワーを浴びるなら支えようか、中も洗う必要があるだろうし」
 生き生きした表情を見せるシャンクスを一発ぶん殴ってやりたいと思いながらグッと堪えたバギーは、申し出を受けることにした。腰が使い物にならなくて立てないのだ。バラバラになって飛ぶのも心もとない。ただ今触れられるのは少し怖いなと思いもしたが、噛まれた箇所に水がしみた程度で特に何の問題も無くシャワーは終わりぐったり状態で部屋に戻ると、ベッドは綺麗にされていた。流石は四皇の泊まる部屋、そういったサービスもあったようだ。綺麗になっているとはいえセックスしたベッドは嫌だったので、もう一つのベッドにバギーは倒れこんだ。
 ベッドが少し軋み、シャンクスが端に座る。ちらりと視線をやれば、濡れた赤髪を拭っていた。ちなみにバギーの髪は備え付けのドライヤーを使い、シャンクスの手で乾燥済みだ。存外まめまめしい。
「バギー飯はどうする。ルームサービスもあるぞ」
 時計を確認すれば、朝食の時間を少し過ぎているくらいだった。
「食う気がしねぇ……シャンクス、一つ聞くが昨晩のあれは何なんだよ」
「何って……セックスだろ? お前相手にしたいと思ってたことを、少しだけ詰め込んでみた」
 楽しげな口調の中に、聞き捨てならない言葉を耳にした気がして、バギーは思わず聞き返した。
「少しだけ……?」
「ああ、全部は多すぎて詰め込みきれなかったからな。ほかは次の機会にでもな」
 優しい声、労わるように腰辺りを優しくさすられる。次の機会なんてあるかボケ、おれの現状を目に焼き付けやがれ。出かかった言葉は、結局飲み込んでしまう。
 多分、機会があればまた身体を明け渡すだろうことを、バギー自身が嫌でも理解している。どれだけ焦らされても、この男の腕の中は心地よいと、身体が覚えてしまったからだ。僅か数回の間に。
 忌々しい。バギーは唇を噛むと、もう一眠りしてやると瞳を閉じた。

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