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それだけのこと*

 船上をフィールドにした追いかけっこの結末なんて、明日の天気より容易に分かってしまう。
 そもそも逃げる方が乗船している船の構造を全く知らない。間違いなくバギーは不利だった。だから当然、勝者はシャンクスとなる。
 赤髪海賊団の古株は、やんちゃとも言える船長の行動に苦笑いを浮かべ、比較的新しい船員は古馴染みを子どものように追いかける船長の姿に唖然としたとか。
 ちなみにバギーの部下たちは、四皇との追いかけっこなんてものをやってのけたバギーに対し、結果は負けたにしても再び深い敬服の念を抱いたとのことだ。

 食堂に入ってきたシャンクスを一目見て、あ、やべぇとバギーは直感した。バギーを捕らえた眼差しは真っ直ぐで、迷いが見えなかった。すなわち、バギーが放ってきた言葉の処理が終わったということ。時間にして僅か十分程度で。あの言葉を放置する男ではない。
 酷く嫌な予感がした、だからに逃げた。逃げながらバギーは己が軽率な行動を呪った。
 シャンクスに投げた言葉に対する返答はバギーは欲していない。純粋にシャンクスを困らせたかったからだ。
 自分がこの船に乗る期間は短く、その間で決着をつけられないだろうと予測した。己だったら何度も否定してそれでも考えて頭を抱え答えを出す、バギーはそう思いシャンクスも同様だろうと考えた。
 しかしバギーの読みは外れた。シャンクスはすこぶるスピーディーに迷いから抜け出し、あろうことかバギーに会いに来た。
 間違いない、答えを聞かされる。
 名前を呼んでくるシャンクスの左脇をすり抜けてバギーは一目散に逃げ出した。当然シャンクスは追いかけてくるので、結構本気で逃げた。インペルダウン並みに逃げた。ただ所詮は船上、構造を熟知したシャンクスに行き止まりに上手く誘導され、あえなく足を止めた。
 バギーは再び船長室に舞い戻っていた。機嫌は悪い。自分で蒔いた種ではあるが、まさか一気に育つとは予想していなかった。それに追いかけるシャンクスは始終余裕を滲ませていたので、結構本気だったバギーは苛立たしく感じていた。
「おれの部屋、シャワーが併設されてるんだ。インペルダウンに収監されてから風呂なんてはいってないだろ。使って良いぞ」
 言ってシャンクスは笑う。
「お、おう」
 すわ先ほどの答えを聞かされるのかと覚悟していたバギーは、予想外のことに拍子抜けしてしまう。ただ実際ありがたい申し出なので、素直に受け入れることにした。
 シャンクスの言うとおり、インペルダウンに収監されてからこちら風呂なんてはいっていない。脱獄し海軍の船を乗っ取った後、囚人服を着替える際に水で濡らしたタオルで拭くくらいはしていた。そもそも能力者であるバギーは全身が水に浸かることを嫌っていたので、シャワーで済ませてしまうことが多かった。
 海賊だから海に出ている時に頻繁に身体を洗ったりしない。手漕ぎの小さなボートなどとは違い、帆船には海水をろ過して真水にする装置があるのが普通だ。装置は船が運航していないと動かず、通常は溜め込むためのタンクが備わっている。海水は無限にあるのだから真水だって無限に作れそうなものだがそうはいかない、ろ過装置は数週間から数ヶ月に一度必ず点検・整備が必要だし、船が動かない時は人力になる。そのため、真水は常に潤沢にあるわけではない。食事、洗濯、掃除と多くの場面で使用する。だから、敵船との戦闘で傷を負ったり血を浴びたりしない限り、シャワーを浴びたり風呂に入ったりしない。基本は水で濡らしたタオルで拭くくらいだ。
 バギーの船、ビッグトップ号にもシャワー室はあったが使用頻度は低かった。真水の大切さというより、面倒だからが基本だ。その中でもバギーは比較的使用しているほうで、アルビダが乗るようになってからは専ら彼女が毎日のように使っていた。
 シャンクスが示す先のドアを開く。髭剃りにでも使うのだろう大きな鏡とタオルなどが入っている小さな棚のある脱衣所の先、これまた小さなシャワー室があった。シャワーノズルは高い位置にあって、その壁の右下に石鹸や身体を洗うためのスポンジを収納する戸棚が設置されている。水栓も右側にあるあたり、シャンクスのために作られたシャワールームなのだろうことが窺えた。
 愛されてんだなあいつ、さくっと服を脱ぎ捨てたバギーは、ハンドルを回しシャワーの強さを調整しながら思う。石鹸を拝借して頭の天辺から爪先まで洗い流していくと、体中にまとわりついていた汚れが一気に落ちていくように感じられた。身体が少し軽くなったような気がして心地よい。髪の中に砂が多く入っていたようで、タイルの間に詰まっていくが後でどうにかすんだろうとそのままに、シャワーを止めると背中や胸に張り付く髪を一まとめにして絞る。脱衣所に戻りタオルで全身を拭い、脱いだ服を軽く叩いて砂埃を落とすと再び身につけた。シャンクスから上着だけでも借りればよかったかと思いながらも、あいつのセンスが合うわけないなと思いなおす。
 可能な限り髪の水気を取ったあとは自然乾燥に任せるため、手櫛で簡単に整えると下ろしたままにした。
 船長室に戻るドアに向き合ったと同時にバギーは顔を顰めた。シャンクスにどんな思惑があってシャワーを勧めたのか分からないけれど、ありがたかったのは事実だ。己が船に戻るまでは我慢かと思っていたくらいなので、礼の一言くらい言っても良いけれど、話がこれだけで終わるはずがない。シャワー中は無心で洗っていたから良かったものの、今はどうしても考えてしまう、シャンクスが何を言うのかと。
 シャンクスは馬鹿ではないから、バギーの言いたいことは理解したはずだ。そして考えられる答えなんてそんなに多くない。そこまで考えて恐ろしくなったバギーは頭を振ると、ええいままよとドアを開け放った。

 シャンクスはベッドに腰掛けていた。手に持っている何かを眺めていたようで、ドアの開く音に顔を上げた。眼差しは穏やかにバギーを見る。
「髪のびたな」
「うっせぇ。何もってやがんだ、それ」
 コートや海賊帽子、それに手袋を勝手にテーブルの上に放る。
 咄嗟に然程興味もないことを聞いたのは、シャンクスの話を遮るためだ。上手く誘導すればはぐらかせるんじゃないか、そんな淡い期待を持って。
「ああ、香油だ。ほら」
 言ってシャンクスが差し出してきたので、バギーは近寄って受け取った。それは片手に納まるほどの小瓶だった。小瓶の表面には刃物で加工が施されており、美しい大輪の花が咲き誇っている。精巧な器だけで値の張るものだと分かり蓋をあけてみれば、強すぎない自然な花の香りが鼻をくすぐる。これは良い品に違いないと直感で分かった。お宝ではないけれど、高値のつく良い品には興味をひかれてしまうバギーだ。
「上等なやつじゃねぇか、これ。なんだお前、こんな洒落っ気のあるやつ使ってやがんのか?」
 とろりと動く液体が少し減っている以上使用したということだが、どうもバギーにはシャンクスに似合わないと思ってしまう。女へのプレゼントならまだしも、こんなものは己が見た目に無頓着な男には不釣合いだ。蓋を閉めつつシャンクスが持つには勿体ないと思う。
「まあな、お前に使うやつだから、それなりはな?」
「は?」
 使う? おれに? これを? どういうことだ? 疑問を言葉として外に出す前に、瓶を持っている方の手首を掴まれた。反射的にシャンクスを見れば、真剣でありながら静かな色をした瞳とぶち当たった。見習い時代には見たことのないそれは、けれど何かを髣髴させバギーに形容しようのない不安を抱かせる。
「今からお前のことを抱くから」
 これ使って。内容とは裏腹に、シャンクスの声は冷静だった。だから咄嗟に、バギーは言葉の意味を掴みかねた。だって本来、こういった類の言葉は興奮状態や色気を伴う。そうでなかったが故に、バギーの判断は数秒のタイムロスを要してしまう。そもそもそんな言葉がバギーに対して発せられるなんて思いもしなかった。
「……ッ、バラバラ緊急脱出!!!」
 ようやくシャンクスが自分に向けた言葉を理解したバギーは、青褪めると掴まれた腕を切り離して逃亡を図る。
 逃げ足の速さに関しては自負があったバギーだ。けれど相手は四皇で実力の差は埋めようもなくて、また判断に要した時間が致命的だった。
「遅い」
「!」
 脳が揺れ、視界がぶれた。バラバラの能力を発動できない。バギーは驚きに目を見開くと、その場に座り込んだ。身体全体に力が入らずにベッドに寄りかかる。同時に小瓶を落としてしまったが丈夫だったようでゴトリと音がして床に転がった、割れてはいない。
 何が起こったかなんてすぐに分かった。一気に重くなった部屋の空気、肌をびりびりと苛む圧、身体を起こしておくのも億劫で横たわってしまいたくなる。
 バギーの額を冷や汗が伝い落ちる。シャンクスはバギーの足元に転がった小瓶を拾い上げると、ベッドの枕横に置いた。動きに鈍さは見られない、異変はバギーにだけ起きていた。それも当然。部屋の中はシャンクスの覇気が満ちているからだ。それもバギーが気を失う手前ほどの威力に微調整されている。
「んの、野郎ッ!?」
 何してくれてんだ! 口はどうにか動き声は発することができたので、喚こうとしたバギーの身体が不意に浮き上がる。思わず口を閉ざすとシャンクスに担ぎ上げられていることに気づいた。器用にも片手でだ。
 はぁ? と声に出す前に今度は重力に従って落ちていく、柔らかく包み込む感触はベッドの上だと分かった。
「っ、お前何考えてんだぁ!? この、スットンキョーがー!!」
 今度こそバギーはあらん限りの大声で喚き散らすと、枕元に座り込み見下ろしてくるシャンクスを睨みつけた。
「何って言っただろ、お前を今からだ」
「やめろー!!! ハデに狂ったこといってんじゃねぇ!!」
 あんな言葉を二度と聞くまいと、青筋を立てたバギーはシャンクスの言葉を遮って怒鳴った。今すぐにでも腕を飛ばして、怒りを理解していない顔をぶん殴りたい、いっそ首を締上げたい。しかしバギーの身体は動かない、シャンクスの支配下にいる以上、バラバラになることすらできないでいた。
 そう、現状バギーの全てはシャンクスの思うがままだった。理解したバギーはぞっとした。
「何かおかしいか? どうして」
 不思議そうに首を傾げるシャンクスに、バギーは絶句した。
 性格の不一致は当然あって、相容れないと衝突したことは何度だってあった。けれどここまで理解不可能な奴ではなかったはずだ、シャンクスという男は。しかし今となってはどうだ、話が通じないときている。けれどここで折れるわけにはいかないのだ、バギーは。
「おかしいに決まってんだろがこのハデあほめ!!! どうしておれがお前に抱かれなきゃいけねぇんだ!!! おれは女でもなければお前の恋人でもねぇよ!!」
「だから、だろ?」
「はぁん?!」
 お前は女でもないしおれの恋人でもない、おれのモノにならないから抱くんだ。さらりと言われてバギーは再び絶句した。
 バギーというか世の一般常識として、肉体関係を持つのは情を通じた者同士だと相場が決まっている。それを生業にしている者や、望まざる関係でありながらなど、他にも理由はあるだろうが大半はそうなる。筈なのだが、シャンクスの主張は一体どいうことなのか。完璧、理解不可能だ。シャンクスの部下に聞かせて、理解できるか問い詰めたいくらいだ。
「そもそもの原因はお前だからな、バギー」
「はぁ!??」
 おれの何が悪い! 叫びたいけれど思い当たる節はあるので飲み込んでしまう。
 シャンクスは瞳を少し細めた。視線はずっとバギーに向けられている。
「お前から話を聞かなきゃ、おれはずっと気付かなかったよ。ロジャー船長の船に乗っていた兄弟分、お互いの立場がどれだけ変わっても、この関係性は変わらないと思ってた。ついさっきまではな」
「……」
 バギーは顔を歪めると唇を噛み締めた。数十分前に戻り余計なことを言うなと自分を殴り殺したくなった。
「言われて少し悩んだけど、すんなり受け入れられた。あの頃のことを思い起こせば、お前に向ける感情が少し特殊だったかなと思えたからな。それに、ローグタウンできっぱり断られた時には少し引き摺ったよ」
「そ、それも昔のことだろ? 今はお前もおれも立場が違うし、生きてきた環境も違うから、変わっていてもおかしくないだろ」
 だから変わっているはずだ、バギーは最もな意見を主張する。人の感情など時間の経過や過ごす環境によって容易に変化するものだ。
「なんだもう忘れたのか? あのころと同じ表情をしてたって言ったのはバギーお前だろ? お前がそう感じるんなら、おれがお前に無意識に向けていた感情に変わりはないってことだ。離れていた時間は長いけれど、お前はやっぱりお宝にがめついし、おれに遠慮なく掴みかかってくるし、変わってなくて嬉しかったよ。だからきっと、おれもお前に向ける感情に変わりはないんだ。その証明者はお前だバギー」
 お互いの接し方が変わっていないから、変わっていない筈だ。それに、変化していないことを証明してしまったのは不覚にもバギー本人なのだ。これ以上否定できるはずもなく、バギーは喉の奥でぐうと唸る。
「だとしても、だ。さっきみたいな考えにいたる意味が分からん!! どうして抱くなんて話になんだよ!!」
 第三者が聞いたとしてもおかしいと思えるだろう発言。
「そうだな……ここでおれが、”お前のことが好きだ、おれのものになれ”と言って、お前はおれを受け入れてくれるか?」
「ハデに断る」
 心底嫌そうな顔でバギーは間髪いれずに拒絶する。シャンクスは分かっていたというように苦笑いを浮かべて見せた。
「だろう? 答えは分かりきっている。おれもお前の返答は期待していないし、そもそも告白する気なんてない。……だからと言って、おれは自分の感情を無かったことにする気はない」
 いいか? お前は今、おれの船に乗っていて、それも後数日くらいで終わってしまい、また離れることになる。それ以降お前に会えるのか? そんなこと誰にだって分からない。お互い海賊だからな。当然のことだし嫌だなんて思いもしない。ただ。
「折角一緒にいるこのタイミング、有効活用しない手はない。だから、今やるべきだろうと」
 言ってにやりと楽しそうに笑うシャンクス。バギーはこれでもかと目を見開くと、唇をわなわなと震わせた。
「き、さまはとち狂ってやがんのか!??」
 つかみ掛かりたいのに動かない身体に歯噛みしながら、バギーは絶叫した。
 要するに、別に情を通じ合わせる気はしない。でもバギーが丁度傍にいるので抱いておきたい。そんなところだ。こんな訳の分からない主張をされて受け入れる人間などいるのだろうか、バギーの怒りが噴火したのも当然だった。
「おれもお前も海賊だろう? 欲しいものは奪い取る。何が悪いんだ?」
「悪いに気まってんだろうが!! っは、お前最初からそのつもりで、おれにシャワーを勧めたんだなこの野郎!!」
 という事は、食堂にバギーを探しに来た時点で抱くつもりだったわけだ。余裕綽々な面の下で、そんなことを考えていたのだ、この男は。そういう目で見ていたのだ。バギーの怒りは頂点に達していた。
「おれは別にそのままでも良かったけど、経験上、浴びたがった相手が多かったからな。一応」
「浴びようが浴びまいが、おれは絶対にやらせねぇからな!!!」
「バギー、そんなこと動けない状態で言っても説得力ゼロだと思うんだが?」
 最初の覇気に当てられてからずっと、バギーは動けずにいる。普通どおりに見えるがそれでも一定量の覇気をシャンクスが垂れ流しているからだ。はたから見れば拘束も何もされていないバギーがベッドの上に横たわっている、口では拒絶しているのにどうして大人しくしているのか、そう思われるだろう。
「お前、今までもこんなふうに誰かの自由奪ったことあんだろう!? 四皇なのに、最低だな!!」
 喋るギリギリを見極めて覇気の調整を行なっているシャンクスに、手馴れた様子を見出したバギーは激しく批判する。シャンクスに対する怒りが強すぎて、難癖つけてでも責めたくて仕方ないのだ。
「他にはいないよ、お前だけ」
 不意に声のトーンが変わる。更に責めの言葉を言おうとしていたバギーは、ヤバイと直感し口を閉ざした。
「こんなことしてまで抱きたいって思うのは、世界中探してもお前だけだ」
 そういったシャンクスの眼差しに、見たことのない熱を感じた。紛れもない本気を見せ付けられ、バギーの熱せられた怒りが急激に冷えていく。兄弟分である男を冗談抜きにして怖いと思った。こいつは本気だ、本気でおれを抱こうとしていると、思い知らされる。
「……おい、落ち着けシャンクス。おれはお前と同じ年のおっさんだぜ? 抱くんなら柔らかくて甘いにおいのする、色気むんむんなおねーちゃんがいいだろッ?」
 内心冷や汗をだらだら流しながら、とりあえず説得を試みることにした。
「バギーの好みか? 胸はでかい方が良いって言ってたな確か」
「まあそりゃそうだな、ぺったんこじゃ味気ねぇし……って、ちっがーう! だからなよく考えろシャンクス、こんなおっさん抱いても気持ちよくならねぇよ。柔らかくもなけりゃ胸もねえ、股間には余計なもんがついてるしよ。女の方がいいだろ? なぁ?? 考え直せよ」
 自分で言って空しくなる、そう思いながらもバギーは必死だった。だってここでシャンクスの考えを改めさせないと間違いなく抱かれる、なんとしても避けたい。
「おれはずっと冷静だって、バギー。そうじゃなかったらお前のこと昏倒させて犯してるよ」
「……ひッ」
 バギーは小さな悲鳴をあげた。想像したくはないが、今までの流れで冗談として受け取れなかったのだ。だってシャンクスには実行できるだけの力がある。
 そんなバギーの様子に、違う違うとシャンクスは困り顔で首を振る。
「あくまで例えだって、そんなことするわけないだろう? 折角さっき敵対しないって約束を取り付けたんだ、取消されたくない」
 流石にそんなことをすれば、バギーから絶縁状を叩きつけられると理解しているようだ。
「そ、そうだ。これ以上おれを抱くなんていうなら、さっきの話を撤回するからな!? だからもう止めろッ」
 逃げたい一心で、その場しのぎになんだって口にする。
「はい分かりました、でおれが頷くと思うか? それにお前にとっても悪い話じゃなかったはずだ」
「……それはそうだが、嫌なもんは嫌だッ!」
 どれだけ考えたって男に抱かれるなんて嫌だった。ぎりぎり抱く方なら何とかなるかもしれないが、そもそも勃起すらしないだろうから、役に立たないに違いない。バギーの性的欲求は異性にしか向いていなかった。
 必死に訴えるバギーに、シャンクスは困り顔で溜息をついた。
「バギー、おれは今後何度もと言っているわけじゃない、今回の一度だけだ」
「一度だけ」
「そう、この部屋のおれのベッドの上で、一度だけ。女も男も経験があるから手順は分かるし、痛い思いはさせないつもりだ」
 一回だろうが複数回だろうが大差はない気がしたが、一度だけ堪えれば良いと考えれば楽なのかもしれない。けれど。
「……おれがどれだけ拒否しても、お前の中ではおれを抱くって決まってるのか」 
「そうだな、手に入れたいものが傍らにあるってのに手を伸ばさないのは馬鹿だろう? おれは欲しいものがあれば我慢はしないし、相手が海賊ならば躊躇い無く奪う。ただ相手はお前だし、無理やりってのは極力避けたいから説得中なわけだ」
 要するにお互いが説得しあっていたわけだ。バギーとしてはもう説得は諦めモードだ、多分無理。
「……じゃあおれがずっと拒否し続けたらどうする」
「それじゃあいつまで経ってもきりがつかないからな、説得にかけられる時間は有限だし。バギーには納得いかないかもしれないが説得は諦めて強引にでも抱くよ」
 抱かない選択肢はなく、抱くときっぱり言い放つ。バギーは頭を抱えたくなった。身体は動かないというのに。
「抱くって、決定事項かよ……」
「さっきから言ってるだろう? 欲しいものに容赦はしないって。でもこれでも譲歩してるつもりだけどな。この一度のみ、それにお前の気持ちが欲しいとは言わない、こうやって説得をしている、触れもせずにな」
 言われてみればそうだった、ベッドに移動させられたとき以降、シャンクスは指一本触れていない。状況的にベッドに横たわった時点で覆い被されていてもおかしくなかったというのに、誠意を見せているつもりなのだろうか、海賊なのに。
 ここまで来てやっと、どれだけ拒絶しても抱かれるのは間違いないとバギーは実感した。微かに残っていた希望はシャンクスの言葉で粉砕されてしまっている。もう受け入れるしかないのだろう。だって死に物狂いで逃げようとも、現状シャンクスの覇気からすら逃れられていない。説得も不可能。正直積んでいる。
「そもそも、お前おれで立つのかよ」
 乾いた笑いで揶揄するように問いかける。やけっぱちだった、けれどすぐに後悔する。
「大丈夫、さっき想像してみたら立ったから。じゃなきゃ抱くなんて言わない」
 抱きたいではなく、抱くと言いつづけるシャンクスに、ああもう無理だとバギーは理解する。希望ではなく強い意志で抱くと決めているのだから、これ以上抗いようもない。バギーは観念したように瞳を伏せた。
「……わかった、とりあえず覇気を止めてくれ」
 言えば部屋の空気が一気に軽くなる。圧が一気になくなり、バギーは深呼吸を数度行なうと身体を起こした。シャンクスは同じ体勢で座ったまま、そんなバギーを眺めている。
 逃げる抵抗する、そんな考えが頭の片隅にあったがバギーは思いとどまる。ここが例えば陸地ならばそうした、けれどここは船上、そしてシャンクスの部屋。ここで散々暴れたとしても再び覇気で押さえ込まれるだろうし、無駄に体力を消費するのも馬鹿げてる。
 どうしてこんなことになってしまったのだろうと、バギーは泣きたくなった。涙腺がじわっと熱くなる。時間を巻き戻したい、そして余計なことを言う己の口を塞いでしまいたい。
「バギー、そんな不安そうな顔するな。初めてなんだろう? 大丈夫優しくする」
 女性が初めての日に言われたらホッとして頬を赤らめたりするのだろう台詞を、気遣うような笑顔でシャンクスに言われ、嬉しくもないバギーは逆に腹を立てた。思わず胸倉を掴みあげて吼える。
「あったりまえだろうがこんちくしょーが!! 男にケツを掘らせる趣味なんざおれにはないわ!! いいか、少しでも痛くしてみろ、蹴り上げてやるからな股間を! 再起不能にしてやる!」
 それにおれは絶対協力しないからな! ムキーッと叫びながらバギーが言い放つと、シャンクスは呆気にとられたようにぽかーんとするものの、すぐに苦笑いをうかべた。一連の言葉がバギーの恐怖から発生する虚勢と強がりだと分かったのだろう。
「再起不能は困るからな、肝に銘じておくよ」
 そう言いながらも余裕を見せるシャンクスに、バギーの苛立ちが更に増したのは言うまでもないことだった。

***

 それから約二時間後。
 真っ裸のバギーは荒い呼吸を繰り返しながらベッドにうつ伏せで横たわっていた。身を起こし座り込むシャンクスは下着だけ身につけ、シーツに広がる青い髪に指を絡めて遊んでいる。その表情はとても幸せそうに見えた。
 結果から言ってしまえばシャンクスとのセックスは最高に気持ちよかった。全身は心地よい怠惰感に包まれ、下半身はじくじくと火照り、解されたアナルはぐずぐずに濡れている。痛みが全くなかったといえば嘘になる、けれどバギーはシャンクスの股間を蹴り上げるようなことはしなかった。己に触れる指先の優しさが、痛みなど気にしないようにしてくれたからだ。

 バギーは最初、固く目を瞑っていた。流石に顔を見る気にならなかったからだ。ただそうやって視覚を閉ざしてしまうと、その他の聴覚や触覚に意識が回ってしまう。遠くには波の音、船員のざわめき、それらを遮るのはシャンクスがバギーと名前を呼ぶ声。彼はずっと名前を呼び続けた、好きだの愛してるだのは一切言わずに。最初はなんとも感じなかった、それより全身の撫でていく指先に意識はとられていた。彫刻家が作品の形を確かめるように、シャンクスは余す所なく触れた。それも片腕しかないので、酷く時間をかけて。船乗りの指先は基本荒れているから、女性を抱く時は気を使う。類に漏れずシャンクスの指先も荒れていたが、それでも触れたいと思うのだろう、何かのクリームを塗り指先を整えて触れていた。男である自分相手にそんな気遣いをするシャンクスが、おかしくもあり複雑でもあった。
 顔の輪郭をなぞり、唇を何度か往復する。キスは嫌だと拒絶していたからだ、どこか未練のあるように触れる指先は、けれど顎を伝い落ち首筋を撫でる。
 顔から上半身、腰を通り足を抜けて爪先まで、真っ裸で勝手にしやがれとベッドに横たわるバギーの肌を、シャンクスの指先が滑っていく。それに舐めるという行動がプラスされたのは、指が腹を通り過ぎた辺りからか。指で触れた後を気まぐれに舌先が舐めて、そのぬめっとした感覚にバギーはひいっと思わず声をあげて目を開いてしまう。そのまま自分の腹に視線をやれば、舌を出したままに上目遣いで見つめてくるシャンクスの視線とかち合う。それはバギーが初めて見る、シャンクスの雄の一面だった。シャンクスは舌先で己が唇を舐めると、にやりと笑った。食われる、瞬間思った。同時にドクンッと心臓が高鳴って、慌てて目を閉じると両手で更に覆い隠す。頬にかあっと血が上った。シャンクスが意図的に醸し出した色気にあてられたのだ。こいつ、こんな顔しやがんのか、今日何度目かの初めて見るシャンクスの顔だった。
「バギー? どうした」
 不意に耳元で囁かれ息を呑む。鼓膜を震わせる低音は先ほどの表情と相まって腰砕けにするような色気があった。慌ててなんでもないと焦って言えば、それで納得したのか先ほどの位置まで戻っていく。それから時おり舐められては、あんな表情をしているのかと脳裏に浮かび、バギーは正直興奮し始めていた。そんな自分を否定したくて唇を噛んで痛みに意識を向けようとすると、少し芯を持ち始めていたペニスを柔らかく掴みあげられ腰が跳ねた。
「バギー、堪えようとするな。素直に受け入れた方が良い」
 香油を垂らしていたのだろう手の中で、そのまま何度か擦られて声がでてしまう。人との性的な触れ合いなんてここ何年していなくて、他者から与えられる刺激に酷く敏感になっていたようだ。
 その後、全身を撫でられ時おり舐められるうちに、バギーのペニスは完璧に勃起していた。先端には先走りが滲んでいた。
「バギー、一度いっておくか」
 再び耳元で囁かれると同時に、ペニスをグッと掴まれる。ぬちゅぬちゅと粘着質な音をさせながら扱かれ、情けない声が口をついて出る。気持ちいい、それだけが頭の中を支配して、射精感が高まってくる。引き金を引いたのはシャンクスだった、赤く染まったバギーの耳朶を柔らかく食んだ。
「……っ、あぁ」
 おとずれた絶頂にバギーの身体が跳ねる。閉じた眦にじわっと涙が滲んだ。ただただ気持ちよかった。
 それからのバギーは驚くほど素直に受け入れるようになった。這い蹲るような格好も嫌がらず、尻を撫でアナルに触れたときは震えはしたが何も言わない。香油を垂らし指先を侵入させると腕を折って頭を枕に埋めた。そして丁寧に解し十分だと判断できるようになった頃、シャンクスはバギーの背中に覆い被さると、青い髪を掻き分け首筋を露にすると、生え際ギリギリに痕を一つ残した。
「バギー、力を抜いて」
 くぱっと開かせたアナルに触れるのはどくどくと波打つ熱源。ぐぷっと先端が入り込み、そのままググッと押し入ってくる。そこ辺りからバギーの記憶は酷く曖昧になっている。何度も腰を打ち付けられたこと、吃驚するくらい奥までペニスが突き上げてきたことは何となく覚えているが、後はもう気持ちいいが記憶の大半を占めてしまっている。
 正直、奪うといっていたくらいだから、もっと手荒で性急かと思っていた。けれど全く違った、全身を丁寧に愛撫され、大切なものだというように優しく抱かれた。バギーが女を抱いていた時だってこれほど丁寧で優しくはなかったと思うほどに。そもそも女を抱いていたのは性欲を満たすためだ、そこに愛情は無いし相手だって割り切っている。
 終わった直後、シャンクスに尋ねてみれば、奪うとはいったけれど好きな相手を抱くんだから大切に丁寧になるのは当然だろ、と当たり前のように返されて、バギーは恥ずかしさに身悶えそうになった。
「……お前、本当におれのこと好きなんだな」
 伏せの上体でシーツに埋もれたまま独り言のように呟く。身体を起こしていたシャンクスは、そんな呟きを拾い上げた。
「そうみたいだな。お前に言われて気づいて抱きたいって思って、感情の程度をはかりかねていたんだが実際に抱いてみて分かった気がする。多分、バギーが引くくらいには好きかな」
「面にだすんじゃねぇぞ、一生内に隠しとけ」
「ははっ、酷いこというな。それはそうと感想は? 気持ちよかったか?」
 答え辛いことを容赦なくシャンクは聞いてくる。バギーの状態を見れば分かるだろうに意地が悪い。けれどバギーは素直に口を開く。
「あー、すっげぇ気持ちよかったわ」
 嘘もつけないくらいに。するとシャンクスは嬉しそうに笑う。
「そうか、良かったよ。……まあそのなんだ、経験はあるのは嘘じゃなかったんだが若い頃の数回程度だし。正直不安はあった、ちゃんとお前を気持ちよく出来るかってな」
 ホッと胸を撫で下ろすシャンクスに、けれどバギーは何も言わずに瞳を伏せた。
 予想をはるかに超えて心地よかったセックスは、それ以上にシャンクスからの愛を感じた。シャンクスは始終バギーを気遣い、己のことなど二の次だった。青二才の年齢ではないので自分の快楽だけを追いかけるようなことはないだろうが、それにしたって大分我慢を強いていたように感じた。挿入までに優に一時間はかかっていたと思うし、確認してはいないけれどバギーが何度か達したけれどシャンクスは挿入後の一度、しかも体外に出した分しかなかったはずだ。
 これだけ気遣われ、始終心地よかったセックスなんて初めてだったと思う。
 バギーの初めては身体を売る女性だったが、初めてで緊張し不慣れだったこともあり不完全燃焼だった。その後、頻繁ではないが回を重ねていき慣れていったが、その頃になると部下も増えバギーにも懸賞金がついて、一端の海賊団になっていた。そうなると当然、手配書は広く配布され、バギーが賞金首であるとの情報は商売敵の海賊は勿論、一般市民にも広がることとなる。
 大半の男が一番気を抜いて無防備になるのは、セックスの最中だと相場が決まっている。それで引っかかるお尋ね者も少なからずいる。類に漏れずバギーも襲われたことが何度かあった。相手の女が直接的にだったり、組んでいる男が別の部屋に潜んでいて気を抜いた時に乗り込んできてなど。しかしそこは賞金首のバギーだ、一般人にやられるような馬鹿ではない。巻き込まれる都度に処理してきたが、そういったことが何度か続けばセックス自体が面倒になってきた。折角気持ちよくなっていたのに、ナイフやピストルを突きつけられてしまっては全てが一気にぱあになるのだ。ああまたか、げんなりしてしまう。
 どうして自分ばかりこうなのか、酒場で品を作りながら擦り寄ってくる女をあしらいながら考えたことがある。懸賞金は東の海では高額な方だが、道化の格好に大したことないのではないかと勘違いされるのだろうか。だからと言ってスタンスを変えるつもりなどない。
 ルージュをひいた唇に笑みを貼り付けながら、その瞳の奥にぎらぎらした企みの色を見せる女を追いやったバギーは、勘定を終えると船に戻った。酔えそうにもなかった。
 以降、バギーは己が性欲を無視するようになった。そこに絡むこもごもが面倒になったからだ。ごくたまにムラッと来ることもあったが、時間をおけば消えていた。
 人と肌を触れ合わせることもなく、性欲の発散もなかった。そんな期間が長かったせいで久しぶりに触れた他人の熱が気持ちよかったのかもしれない。無論、シャンクスの手腕が上手かったのもあるが。

 ごろりと寝返りを打って仰向けになる。その拍子に髪が動き、触れていたシャンクスの手から零れ落ちた。シャンクスは再び青い髪を掬い上げると、指先に絡める。
 バギーはそんなシャンクスをぼんやりと見上げていた。
 明日なにがあるとも分からない海賊家業とも言え、こんなことになるなんて想定外だった。決死の脱獄からの政府との戦争、腐れ縁との再会を経てのまさかのセックスだなんて。それも心底嫌がったというのに実際身体を重ねてみれば、意外と悪くなかった。本当に訳が分からない。
「どうした? バギー」
 バギーの視線に気付いたのだろう、シャンクスは笑んだ。声があまりにも甘く響いてバギーは息を呑む。心臓が一度跳ねた。
 それは身体を重ねたからこそ感じるものだろうし、バギーにだけ向けられるものだ。一種の毒に違いない、与えられ続ければ身体の芯から蝕まれ雁字搦めになるのだ。バギーも、それにシャンクスだってそんなことは望んではいない。けれど少しだけ、その毒を飲み込んでみてもいいかなとバギーは思い始めていた。だって本当に心地よかったのだ。触れてくる手も、伝わる体温も、耳に囁かれる声も、何もかもが。
 シャンクス相手ならば身体を預けられるし、懸賞金狙いの女どものような面倒はない。惜しげもなく与えられる無条件の愛情は、バギーに対してのみ。バギーにとってなんとも都合が良いのだ、この男は。この一度きりで手放すのは惜しいと思う。
 だからバギーは手を伸ばした。
「お前、満足したのかよ」
「……本当はお前の顔を見ながら抱きたかったけど、まあ満足かな。余す所なく触れたし」
 バギーは不意に身体を起こした。頬にかかる髪がうっとおしくなって一つに結ぶ。そしてシャンクスの肩に両手を伸ばすと己の鼻に気をつけつつ、口付けた。驚きに目を見開いたシャンクスに向けて、にやりと笑ってみせる。
「散々触りやがって、おれはまだあっちこっちで燻ってたまんねぇんだよシャンクス」
「……どういう風の吹き回しだ? さっきは嫌がってただろ」
 誘われているのは分かっていながら、乗っていいものか迷っているのだろう。バギーは先ほどのシャンクスがしていたように耳元に顔を寄せると囁いた。
「気にすんなよ。もっかいしようぜ、おれはまだ足りねぇんだ」
 顔を離す前に押し倒される。見下ろしてくるシャンクスの顔には少しの焦りが見えた。
「……多分、さっきみたいにゆっくりと優しくはできない。先に謝っておく、すまん」
 煽るバギーの言葉はシャンクスの中に再度火を点したようだ。謝りながらも眼差しは熱を持ってバギーを見つめていた。
 望むところだ、言うようにバギーはシャンクスを引き寄せると再度口付けた。

 再び熱く固いモノが入り込んでくる。圧迫感はあるが、すぐに快楽を連れてきてくれることをバギーは身をもって知っていた。首を仰け反らせ衝撃を受け止めると、雄の色気を滲ませるシャンクスを見つめながら、その背に両手を回す。
 愛だの恋だの、バギーにとってはどうでもいいことだった。ただ、ひたすら心地よさを与えてくれる存在を手放すのは惜しいなと、少しだけ思った。
 ただ、それだけだ。

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