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ふたりの交点

 今日下船するのは、船長副船長に続いての古株。今より幼かった頃の見習い二人に沢山の冒険譚を話してくれた男だ。誰にでも気さくに話しかけ、慕われていた。
 残る船員全員と握手をした後、わずかばかりの荷物を持って男は下りていった。元気でな、そういった男の笑う眦には涙が滲んでいた。見送る船員皆がそうであるように。
 海賊団の解散が船長によって宣言されてから二ヶ月、オーロ・ジャクソン号の船員は半分以下に減っていた。最後まで残ると主張している副船長と航海士以外の船員は、島に到着するたびに一人ずつ下船していた。海賊王の船員だ、海軍のことを考えると一つの場所で解散するよりいい。白ひげに渡した後に宝物庫は一旦ゼロになっていたものの、その後の航海で手に入ったお宝は全て現金化され、航海が終わるまでの必要経費を除き全てが分配されていた。
 探したい海賊団がいるからと乗船していたクロッカスは、グランドラインで立ち寄ったいくつかの島で探していた海賊団に関する複数の話を聞き、一つの結末を導き出していた。それは彼が望んでいた結末ではなかった。クロッカスは酷く悲しそうにしながらも、結末が分からないままよりかは良いはずだといい、残してきたクジラに思いをはせているようだった。悲しい結末を胸に抱きながらも、ロジャー海賊団として過ごした数年間は一生に一度の素晴らしい時間だったと明るく言って、クロッカスは元いた岬へ帰っていった。

 バギーは次の島で降りることになった。船内で比較的に洒落っ気のあったバギーは多くの衣類を持っていた。大半は中古だったが、どれも彼のお目がねにかなったもので大切にしていた。けれどバギーが準備した荷物は然程多くない。着慣れていたり気に入りのもの以外は処分するとのことだ。荷物になるし買い集めるのは自分の船を持ってからでも遅くない、そういって。
 先に下船した船員がそうであったように、バギーも船内を歩き回る。ここで降りてしまえば二度と乗船の叶わない船は、彼らにとっての家だった。そこかしこに思い出があって、懐かしみながら記憶に刻み込む。バギーは同時に将来自分が手に入れる予定の船のことも考えていた。使い勝手の良かったところ悪かったところ、脳裏に留めた。
 船長室に入ろうとしたところで声が掛かる。声だけで分かる相手に確認の必要はないが、それでも視線だけ向ければ麦わら帽子を被った赤髪が見えた。そのままドアを開けて中に入れば、続いてくる足音。
 部屋の主が降りた時と変わらぬ状態だった、装飾も置物も備品も。必要最低限の物と薬のみを手にしたロジャーは、下船の際に部屋の物は好きにしてといっていたが、誰も手をつけようとしなかった。あたかも船長はいまだに乗船しているのだというように。
 けれどただ一箇所だけ、船長が降りた時と異なっている箇所がある。棚に並んだ多種多様な酒、ロジャーが訪れる島々で都度買い込んでいたものだ。東西南北海域のものや、グランドライン、はては新世界にいたるまで。ロジャーが実際に飲んで美味いと思ったものばかりだ。そんな棚には空白が目立つ。それは船員が下船時に一本ずつ持っていくからだ。バギーもまた一本持って行こうと思い、船長室を訪れたわけだ。
「こっそり忍び込んで勝手に持ち出して、飲んでたら怒られたよな」
 並んで棚を眺めていると、思い出したようにシャンクスが呟いた。
「あれは、おまえが選んだ酒が悪かったんだろ」
 深い群青色の瓶を手に取ったバギーは、横を見やると軽く睨む。
「なんだよ、バギーだって高そうなのがいいって言ってただろ? だからあれにしたら船長の秘蔵ですっげぇ高かったんだよな。確かにすごく美味かったけど」
 ロジャーはたいそう怒って、暫くの間二人へのこづかいがなくなった。まあその金も後でまとめて渡されはしたけれど、以降は勝手に酒に手を出してはいけないと学んだ二人である。特に希少種の高い酒は。
「あと、船長のベッドの寝心地が良すぎて潜り込んで眠っちまってて、目が覚めたら吊るされてたこともあったな」
 言ってバギーは壁際のベッドを振り返る。他の船員ものとは見るからに違う大きさと寝心地だ。
「それにあの戸棚、覚えてるか? まだすっげぇ小さかった頃、かくれんぼで隠れてる時にバギーそのまま寝ちまってて、全然探しても見つからないからって海に落ちたんじゃないかってひと騒動になったよな」
 小さな子どもがやっとは入れるくらいの戸棚を指差したシャンクスは、苦笑いを浮かべた。
「……あったか? そんなこと」
「まだ小さかったから、覚えてないのかもな。おれはぐーすかねてたバギーを見つけたとき、心底安心したの覚えてる」
 そらとぼけているのか本当に覚えていないのか、バギーは首を捻る。寝ていた当事者で子どもだったから覚えていないのも仕方がないかもしれない、逆にバギーが覚えていて己が覚えていないような記憶もあるんだろうなとシャンクスは思う。
 あまり入ることのなかった船長室でも、これだけの思い出があった。今思い出せないものもきっと沢山ある。これが船全体に広がれば、それはもう星の数ほどにのぼるだろう。お互い生きてきた半分以上はこの船上で生活していたのだから。
 楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、辛いこと、憤ったこと、語り尽くせぬくらい一杯あった。船長と、副船長と、航海士と、コックと、船医と、操舵手と、戦闘員と、全てを含めた船員と多くのものを、時間を共有してきた。その中でも一番近くにいて一番多くのものを共有していた相手は、バギーにとってはシャンクスであり、またシャンクスにとってもバギーだった。一緒に笑って泣いて喧嘩して競って、思い出せばきりがない。
「なあバギー、今日はここのベッド借りようぜ。小さい頃みたいに、一緒に寝よう」
 今使っている寝床は一人でも手狭であり、二人なんてもってのほか。けれど、船長のベッドは他よりも少し大きい。成長途中の二人ならば一緒に寝ても落ちることはない広さがある。それが分かっていたからシャンクスは提案した。
 年齢が一桁で海賊船との戦闘があった日など、戦闘に参加はしていなくても恐怖を感じてしまい二人同じ寝床に潜り込んでいた。嵐の夜で海が酷く荒れた日などもそうだ。二人寄り添って眠った。それも戦闘に出るようになってからは極端に減り、ここ数年は全くなくなっていた。もう怯える子供ではない、船員から見ればまだまだ幼いだろうが一人前の男なのだ。だから通常のバギーならば、冗談だと受け取り一笑しただろう。
「はぁ? ……まあいいぜ」
 訝しげな顔をした後、けれどバギーは素直に頷いた。
 船は明日にでも次の島に到着する。即ちバギーの下船を意味する。
 世界の半分以上を占める海は広大で、この別れが一生の別れになる可能性だってあるのだ。それに万が一出会ったとしても、お互いに海賊船の船長だ、刃を向け合うことになるだろう。兄弟分として同じ釜の飯を食ったといえ、一度別の船の船長になってしまえば敵になるのだ。
 それが分かっているから、素直に言葉が出た。この船で過ごす最後の夜くらい、幼い頃に戻っていいだろうと。
 提案したはいいものの一つ返事で受け入れてくれるとは思っていなかったシャンクスは吃驚したのだろう何度か瞬いた後、それでも嬉しそうに笑った。

「元気でな、バギー」
「自分の海賊団たちあげるつもりなんだろ、頑張れよ」
 船内で一番年が下だったということもあり、シャンクスともども皆に愛されていたバギーは残る船員にもみくちゃにされていた。帽子は取り上げられ、空色よりも明るい髪がぐしゃぐしゃになっていた。止めてくださいよ、そんなことを言うバギーの顔は嬉しそうだった。バラバラになって逃げずされるがまま、それがバギーの答えだ。
 レイリーや先輩船員から力一杯の見送りを一頻り受けたバギーは、取り戻した帽子を被りなおすとシャンクスの前にやってきた。
「じゃあな、シャンクス」
「ああ、次に会うことがあれば、お互いに船長同士だな」
 にやりと笑って見せたバギーは、そうして船を降りた。カモメが高く飛ぶ晴れやかな日のことだった。

 それから更に船員が減った後、シャンクスも船を降りた。こちらも同様に赤髪をぐしゃぐしゃにされてしまう。
「元気でな、シャンクス」
「はい、レイリーさんも。今まで本当にお世話になりました。またいつかどこかで」
 固い握手をした後、陸地に降り立ったシャンクスは船が水平線の彼方に吸い込まれていくまで見送っていた。泣くのを我慢するよう、唇を噛み締めて。そしてメインマストの先端すら見えなくなった頃、シャンクスは一礼し深々と頭を下げると踵を返し歩き始めた。己が道を見つけ、進んで行くために。

 一人ひとりに分けられたお金は、数ヶ月暮らしていくには十分あるが小型の船を準備したり仲間を見つけまわるほどには潤沢ではない。シャンクスは下り立った町の規模と繁栄状況を見て、今後の方針をたてることにしていた。小さな町しかないのであれば早めに大きな町のある島に移動したい、大きな町があるのならばしばし滞在し資金を貯めようと。
 島はなかなかに大きく、村がいくつか点在し海沿いには栄えている都市があった。人や物資の行き交いは活発なようで、ぶらり歩き回ったシャンクスはこの町を暫く拠点にしようと決めた。小さい規模だが海軍基地がある点だけが気にかかったが、騒動を起こしたり目立たなければ大丈夫だろうと結論付ける。もし、何かあったら海に出てしまえばいいのだ。
 シャンクスが最初に探したのは仕事だった。陸上で稼ぐには基本働く必要があり酒場か飯屋が良い。情報の収集ならば人々の集まる酒場か飯屋が一番だし、飯もまかないにありつける。船上では見習いで下っ端だったから、料理の手伝い、船内の掃除、船員の服の洗濯、必要物資の買出しなど、多くの雑務をバギーともどもこなしていた。だから働くことくらいわけない、シャンクスはそう考えていた。
 あたりをつけて入ったのは海に比較的近い中規模の酒場だった。昼時だったが満席に近く、一般人とは到底思えない海賊と思しき姿もちらほら見えた。カウンターの端に見つけた席に座ったシャンクスは、店主であろう男に声をかけた。酒と軽食を注文すると、男の方から旅の方かいと話しかけてくる。これ幸いと暫くこの島に滞在したいこと、ついでに仕事と住む場所を探していることを笑顔で話した。勿論、海賊であることは伏せて。その後、奥から料理を持って来た女性、女将さんだろう、に店主が話しかけて。なんとそのままうちで働かないかと提案を受けて、シャンクスは心から喜んだ。いわく、今までは娘が一緒に手伝っていたそうだがここ最近、どうしてか海賊と思しき客が増え始めており、他の理由も重なって娘を店に出すことを控えるようになった。何か問題が起こったわけではないが、逆に何かがあっては遅いのでとのことだ。
 海軍基地があるため上陸している間に問題を起こすような海賊は今のところいない。だから海賊相手にも商売ができるのである。
「あんた、海賊だね。今までうちで目にした海賊とは全然種類が違うけど、なんだか分かるんだよね」
 笑って言い当てられてシャンクスは内心どきりとした。陸で生きる者、海で生きる者に何か違うものがあるのだろうか。
 娘に任せていた仕事をして欲しい、あとは小競り合いなんかが発生した場合諌めて欲しい。できるのであれば使ってない部屋を貸してもいい。願ってもない提案だった。けれどあまりにも都合が良すぎる。そもそも海賊と承知して店に置いたり部屋を貸したりしていいのか。話す口ぶりから客として来るので対応はするが、別段海賊を好んでいるわけではないだろうに。墓穴を掘りそうだと思いながらも心配して聞いてみると、女将は盛大に笑う。
「こんな商売してるからね、人を見る目には自信があるんだよ。特に夫はね。物静かだけどいつだって人を注意深く観察している、あの人が良いって言ってんだ、私は反対しないよ。それに、うちの宝は手元にはないんでね、とられりゃしないさ」
「宝?」
「ああ、嫁にいっちまった娘さ」
 なるほどそれは捕られようもない。シャンクスはつられて笑った後、背筋を伸ばしてお世話になりますと頭を下げた。

 シャンクスは酒場で働き始めた。なかなかに繁盛しているようで、店が空になるのは閉店間際くらいだ。時間によって客層が異なり、午前中から昼過ぎまでは料理メインのためか島の住人が朝食や昼飯をとりにくる。夕方から夜にかけてはアルコールが中心になるので、島に滞在している商人や船乗り、海賊なんかが多くなる。
 仕事は簡単にいってしまえば雑用だった。注文をとったり運んだり片付けたりは勿論、掃除をしたり買出しに行ったり多種多様でなかなか忙しい。じっとしているより動き回っていた方が性に合うし、まかないもついて寝場所も与えてもらい、給与まで出るなんて本当にありがたい。それに動き回っていれば自然と色んな話が耳に入ってくる、大半は他愛のない世間話だが中には役に立ちそうな情報もあり、いい巡り会わせだと、この酒場との出会いに感謝したくらいだ。ただ一つだけ、女性客からのアプローチには困ってしまった。
 船は女っけ皆無の男所帯だったし、島に上陸した時だって女性と関わることはさほどなかった。物資の調達の時に話す女店主くらいだ。海賊たるもの女は経験しておいた方が良いと言われてはいたけれど、結局経験はない。見習いであるバギー共々に。一度どうしようかと話したところ、今は女に興味はないとばっさりと切り捨てられた。綺麗な女性より光り輝く宝石やお宝のほうが大好きだったからだ。それに女を買うよりも、寄って来た女を抱いてやるほうが良いだろ? なんて言い寄られることを前提で話していた。
 ただ本当はバギーも最初は女を買おうとしていたことをシャンクスは知っている。というか偶然見てしまった。その時、相手の女性から赤鼻を笑われて激怒、からかっただけの女性は冗談も通じない男なんて最悪だとバギーを蔑んだ。どうもそれがトラウマになったようで、バギーはそれから一切女絡みの話に乗ってこなくなった。そんなバギーを置いて先に経験するのもなんだか悪い気がして、シャンクスも自然と未経験のままだった。
 だから働き出して数日、一人の女性に言い寄られた時は固まってしまった。年上と思われる女性はくすくす笑いながら初心で可愛いわなんていって、シャンクスは恥ずかしさに顔が熱くなって、その場から逃げ出してしまった。
 やっぱり経験しておくべきだった、シャンクスは店の裏口に座り込むと頭を抱えた。ただこの島では駄目だ、暫く滞在する予定だから。
 レイリー曰く、相手は後腐れのない行きずりの女で、できればプロが良い。惚れられると厄介だから、短い滞在の島で相手は探した方が良い。情が移ると別れが辛くなるから、一夜限りの関係が良い。女を愛すなとは言わない、ただ海賊である以上、女を置いていく覚悟か船を降りる覚悟、どっちかが必要になる、と。
 シャンクスはレイリーや他の船員からの教えを思い出しつつ、アプローチをかわすようにした。シャンクスに自覚はなかったものの、爽やかな面立ちの彼はもてた。非常にもてて、女性の客が増えたくらいだ。とりあえず笑顔、笑顔、時には笑い声を出してみたり。そんなことを繰り返していけば次第に慣れていった。今では受け流しも簡単に出来る。
 一月、二月と時間が過ぎていくと、もう何年もこの酒場で働いているかのようにシャンクスの存在は馴染んでいた。基本人当たりもよく気さくなシャンクスである、女性にもてている点では男性人の嫉妬を買っているが、それでも大半の客はシャンクスを気に入っていた。
「シャンクス、こっちには酒二本追加な」
「ねえ、このあとちょっと付き合わない?」
 アルコールの入る夕方から夜にかけてが一番騒がしくて、忙しい。かけられる声に愛想よく返事をしつつ店内を駆け回る。
 働き始めてからこちら、時間を見つけて海を見に行ってはいるが船には一切乗っていない。少しだけ恋しいなと思う。陸上の日々に大きな変化は滅多に起こらない、基本的には毎日が同じことの繰り返しだ。海上は違う、特にグランドラインから新世界にかけては。常にドキドキとワクワクで一杯だった。そんな日々から見ればこの島での毎日は、欠伸したくなるほど穏やかだ。命の危機なんて滅多にないし、肌がひりつくような緊張に包まれた戦いなんてありえない。それでも味気ない、つまらないと思わないのは自分が見ていた世界とは全く違う世界が興味深くて、面白かったからだ。ただ、一生このままは無理だと思っている。根っからの海賊なのだ、陸上よりも海上にいたい、船上にいたい。期間限定と割り切っているからこそ、シャンクスは陸上での生活を思い切り楽しもうと思っていた。
 シャンクスは今の生活に満足していた。ただ時折、賑やかな酒場の喧騒の中に、いつも傍らにいた相手を探してしまうことがある。それは誰かが宝の地図の話だったり宝石の話だったりをしている時だ、船上でもバギーはそんな話が聞えてくると近寄っていって瞳をきらめかせると話を聞いていた。
『金塊だぁ? そんなもんちいせぇ、空島にあったのは凄かったぜ。あー持って帰りたかった!』
『……海中ねぇ、よしシャンクスお前がとりにいってこい! んだよ、お前がおれをこんな身体にしやがったんだ当然だろーが!!』
 そんな聞き慣れた声が時折酒場の喧騒に紛れているように感じられ、その度にシャンクスは手を止めると苦笑いを浮かべた。
 船内にいてもどこにいるのか一瞬で分かってしまうほどの騒々しい声。お宝を見つければ一際大きく高揚したものになるし、勝てそうな相手との戦闘では己を鼓舞するような咆哮に、逆にやばそうな相手だったら絶叫して逃げの一手だ。
 シャンクスに比べると大変煩いのではあるが、その声のボリュームを落とせという船員はいなかった。船長自体が何事にもハデ好きで、騒がしいことが大好きだったからだ。船長を筆頭に騒ぐのだから、バギーに静かにしろなんていえる筈もない。ただバギーの騒がしさは船内随一だったとシャンクスは思っている。特に喜怒哀楽の激しさと、リアクションの大きさなんて、凄かった。笑ったと思ったら怒って、ころころ変わる表情とテンションの差が凄まじく見ていて飽きない奴だなと思っていた。それが分かっているから大人たちは何かあればバギーをからかって遊んで、シャンクスも当然そうしていた。
 だからだろう、あの声が聞こえないことを寂しく感じてしまう。バギーが飛びつきそうな話に、彼の声が聞こえてくるんじゃないかと無意識に期待してしまうのだ。
 バギーが先に船を降りたときも、ロジャーにおでん、バギーと騒がしい代表が降りると静かになるもんだなと、笑いながらレイリーが言うくらいだ。特に一番一緒にいたシャンクスは身をもって理解していた。船に乗っているときは静かになったな程度だったが、いざ船を降りて一人になると、あの騒がしい声が聞きたいと寂しいなと思うようになっていた。無論、船を降りて仲間と別れたことも寂しかったけれど、兄弟のように育った相手の騒がしい声を聞かない日なんてなかったから。誰もいない隣が寂しいし、声が聞きたいと思ってしまう。
 ただそれも、自分がまだ船を降りて日も浅く、仲間がいないことが原因だとシャンクスには分かっていた。それは仕方がない、あの船は自分にとって家も同然でバギーは兄弟のように育った相手だから。急にいなくなればそれは寂しいだろう。きっと自分で船に乗り仲間を集めだせば、寂しさは消えていくはずだ。だから今はこのままでいい。寂しさはあって当然だ。
 そうやって一区切りをつけて半年を過ぎた頃。酒場で語らう海賊たちがロジャーについて話し込んでいるのを耳にした。海賊王となったロジャーを捕まえて名を上げたい、そんなところだ。お前たちじゃ無理だよ。酒を片手に話す海賊たちをちらり眺めて内心呟いたシャンクスは、そう言えば船長は今頃どうしているかなと考えて、不意に涙が込み上げてきて焦った。とりあえずトイレに駆け込むと両目を手のひらでグッと押さえる。前だけを見ることによって、ロジャーに関してのことから極力目を逸らしていた。
 クロッカスの見立てでは、半年は大丈夫だったはずだが今となっては分からない。それはロジャーが下船する直前の診断だし、容態が急に悪化することもある。
 現状が分からない、ならば生きていると思えばいい。前向きにそう思おうとした、けれどどうしてか上手くいかない。もしかして、既に。そんな方向に思考は動いてしまう。
『ばっか、誰よりも強いロジャー船長だぜ?元気してるにきまってんだろーが!』
 例えばここにバギーがいれば、そういってシャンクスの恐れを断ち切ってくれるだろう。ただそれはバギー自身も己に言い聞かせる言葉に違いない。二人とも船長が大好きだから、病に侵され先が長くないと明かされたときは驚いて恐れて号泣した。そうやって泣いたのは一度きり、最初に聞いたときだけだ。ロジャーは船内が暗くなることを嫌っていたし、二人とも分かっていたからだ。ただ時々無性に悲しくて苦しくて泣きたくなった時は、隠れて泣いては落ち着くまで黙って傍にいた。どちらがその状態になってもだ。からかいもせず、愚痴も言わずに傍にいる、静かに。大人たちは気付いていたようだが、何も言わなかった。
 唐突にバギーに会いたいなと思った。船上のように傍にいて欲しいと。けれどバギーは船員ではない、お互いに別の船に乗るのだ。一人で堪え乗り越えなければいけない。
 ドアの向こうからシャンクスを呼ぶ声がする。店内にはまだ客がいて仕事中だ。シャンクスは両手で頬を張り己を奮い立たせると、店内へと戻った。

 船を降りて一年ほど経った。
 予定していた資金額は達成したし、仲間に誘いたいと思う人間の目星も幾人かついている。居心地のいい場所だったけれど、もとよりずっと留まるつもりはなかった。今月末を目処にこの島を出立する。後任は先月より仕事を始めた後輩がいる。実は辞めるのを見越して、シャンクスが声をかけた青年だった。自分が辞めてしまうと店はまた二人に戻ってしまう、シャンクスが働き始めるよりも忙しくなった今では大変に違いない。
 引き止められる懸念もあったし、なによりとても世話になった二人をそのままに海に出るなんて仁義に欠けると思ったからだ。後輩の働きぶりは良さそうだし、二人にも馴染んでいたから大丈夫だろう。
 今日の仕事終わりにでも話を切り出そう、目覚めたシャンクスがそう思っていた矢先のことだ。ロジャーが海軍に捕まったと知ったのは。

 海賊王の捕縛と公開処刑の報道は、瞬く間に全世界中に広がった。
 おれが捕まえるはずだったのに、酔った海賊たちは残念そうに言う。やっと捕まったのか、人々は口々にいって安堵に胸を撫で下ろす。皆同じような反応を示す中でシャンクスだけは違った。彼は少ない荷物をかき集めると、その日のうちに島を出た。
 酒場の主人と女将さんは青年を雇ったらどうだろうとシャンクスが申し出た時点で、もうすぐ去っていくのだろうと想定していたようだ。ただ店の開店準備中、しかも今日の今すぐになんて言われれるとは流石に思っていなかったらしく、唐突過ぎるわけを聞きたがったが、シャンクスは答えない。酷く固い表情ですみません、その一点張りだ。一年の付き合いの中で初めて見たシャンクスの表情に、二人は顔を見合わせるとそれ以上は何も聞かなかった。厨房に引っ込んだ女将さんは、有り合わせで作ったサンドイッチをシャンクスに渡す。シャンクスはお世話になりましたと二人に向かって深々と頭を下げた。突然のことに不安がる青年の肩を叩くと、後はよろしく頼むと言い残してシャンクスは酒場を後にした。
 ローグタウンへの直行便なんてあるはずもない。航海術はオーロ・ジャクソン号に乗っている際に航海士に教えてもらっていたから、自分の船さえあればと思うけれど、今からでは準備できるはずもない。シャンクスは歯噛みししながらもいくつかの船を乗り継いでいくことに決めた。

 放たれた言葉。
 ゴトリと生命をたたれた音。
 息をひそめて見つめていた民衆に広がったどよめきは、広場を静寂から一転、歓声と興奮で埋め尽くした。海賊王となった男の残した宝、一体なんなのか、どれだけの価値があるのか、考えるだけで興奮し渦巻いたそれが人々に感染していったのだ。
 そんな人だかりの中、処刑台を見つめ続けるシャンクスの頬に熱い涙が伝い落ちる。止めどなく涙は溢れてきて、けれどシャンクスは拭うこともしなかった。
 本来ならば泣き顔は隠すべきだった。この場で泣いている者はロジャーの死を嘆いている者、ひいては彼の親しい者、関係者だと分かってしまうからだ。海軍に囲まれたこの場所で関係があるのだと明るみに出てしまったら、間違いなく捕縛される。酒場で働いている時に耳にしていた、海軍は霧のように消えたロジャー海賊団を血眼になって探しており、全く見つからないことに腹を立てその関係者までに捕縛の網を広げているのだと。だから間違いなく海軍は目を光らせている、この場にロジャー海賊団の一員もしくは関係者がいるに違いないと。
 危険性は理解していた、けれどシャンクスはそのまま泣き続ける。それは雨が降っていたからだ。誰もが皆ずぶ濡れで、頬を流れる雫が涙なのか雨なのかなんて誰も分かりはしない。
「船長……ッ」
 堪えられない。シャンクスは顔を伏せ唇を噛み締めると、込み上げてきた嗚咽を押し殺した。
 様々な感情が混じりあった心中は、言葉にできないほどぐちゃくぐちゃだった。ただ一つだけ、悲しみがシャンクスの身体を覆いつくしていた。大好きな人が目の前で死んだのだ。しかもこの広場に集まっている大多数の人間が、彼の死に対して悲しみもせずに歓声をあげているのだ。無論、自分たちの立場は十分理解しているつもりだし、世間一般に言えば海賊は犯罪者の部類だ。
 それでも己以外に悲しむ者が見つけられない、興奮というなの狂気に包まれた広場はシャンクスにとって地獄でしかなかった。それがロジャーの放った一言が原因だとしても。ロジャーが自身の死を受け入れていたとしてもだ。
「この世の全てだってよ、どんな財宝なんだろう、海賊王って言うくらいだから一生使い切れないくらいの金銀財宝かぁ?!」
「でも海賊王って言っても結局海軍に捕まって処刑されてんじゃん、意外としょぼいんじゃねぇの?」
「いやそんなことはないはずだ!」
「その根拠はなんだよ!!」
「だって誰もが辿り着けなかった島に辿り着いたんだぜ!」
 処刑が終了し海軍が民衆に解散を促しても、人々は動こうとせずロジャーの残した最後の言葉について激しい議論を始めていた。誰も雨に濡れることを厭わない。皆白熱していた。
 シャンクスは麦わら帽子のつばで顔を隠すと、人々の間を縫うようにして歩き広場を出ようとした。涙は止まり眼差しはしっかりしていたが、瞳は真っ赤で頬は濡れたままだ。もう少しで群集を抜ける、そんな時にシャンクスは不意に歩みを止めた。心臓がドクンッと高鳴る。喧騒の最中、耳に馴染んだ声が聞こえてきたからだ。あの声を聞き間違えることなんてありえない。辺りを見回したシャンクスの視界の端を水色の髪が掠めた。人を掻き分け迷わず近寄っていくと、記憶より大分長くなり高い位置で結ばれた髪が帽子の間から確認できた。間違いない、あと少しのところで気が急いて手を伸ばし肩を掴んだ。電流を流されたようにびくっと震えた身体、弾かれたように顔がシャンクスを振り向いた。
 顔面をびしょびしょに濡らし、赤鼻から鼻水も流しながらなおも泣き続けるのは見間違いようもないバギーだった。驚きに見開かれていく濡れた瞳、わななく唇がシャンクスと名前を形作る間もなく、シャンクスはバギーを引っ張って群衆の中から飛び出した。

「放しやがれ、シャンクス!!」
 広場を抜け出し大通りを少し行った先で腕を振り払われた。その声にハッとして立ち止まると、バギーは掴まれていた腕を痛そうに摩っていた。
「あ、ごめん」
 咄嗟に謝ると、バギーは小さな舌打ちをする。シャンクスの姿を見た所為だろうか、バギーは落ち着きを取り戻し涙も止まっていた。お互いに真っ向から向き合う。約一年ぶりのバギーは髪が伸びたくらいで大きな変化はなく、シャンクスは安堵を覚えていた。
「テメェも来てやがったんだなシャンクス」
 鼻をすすりながらバギーは言う。
「ああ。久しぶりだなバギー。……他に先輩たちが誰かいたか分かるか?」
「わかんねぇ、あんな人だかりの中見つけるのなんて不可能だろ。シャンクス、お前だけだわ。……しかし、お前よくおれが見つけられたな」
「声が聞こえたんだ、バギーの。お前の声を聞き間違えるわけないから、絶対にバギーがいるって探した」
 それは紛れもない事実だった。四六時中一緒にいたから、耳が覚えていて瞬時に聞き分けてしまう。
「……まあおれも、お前は来てんだろうなって思ってた。ただこうやって会っちまうとは流石に思わなかったけどな」
 そこで二人自然と口を閉ざすと、何もない処刑台に目をやった。お互いに泣いていたことを隠しもしないのは、見られて気恥ずかしく思う間柄ではないからだ。逆にこの場で悲しみを共有できる数少ない二人だった。
 広場の喧騒とは間逆の、静かな空気が二人の間には漂う。しかしバギーがその沈黙を早々に破った。
「用事はもうないんだろ、おれは先にずらかるぜ。この町は海軍がおおくてかなわねぇよ、長居は無用だ」
「お前、仲間はもういるのか」
 気になっていたシャンクスは立ち去ろうとしたバギーに尋ねた。周りにそれらしい姿は見えないけれど一年はあったのだ、いてもおかしくはない。
「組んだ奴は何人かいるが、仲間はまだいねーな。どうせお前もまだ一人なんだろ? てめぇの下につくやつねぇ、想像できねぇわッ」
 そうか、バギーはまだ一人なのか。シャンクスは己が鼓動のテンポが速まったのを感じた。バギーの姿を見つけたときから胸中で湧き上がっていた一つの思い。どうしようかと思っていたが、バギーがいまだに船長として部下を持っていないと分かった途端、シャンクスは迷いを断ち切った。
「おれと一緒にこいよ、バギー」
 勢い込んで言えば、バギーは訝しげな表情をみせた。
「……はぁ? この島から出るのに船に乗せてくれるってことか、それともお前の船の船員になれってことか?」
「船は、まだ準備中だけど」
「却下だ、島を出るのに乗せてってくれるなら良いけどよ、お前の部下にはぜってぇならねぇからな、おれは! おれとお前とじゃ目的が違うって知ってんだろ!」
 馬鹿馬鹿しい、そういって去ろうとしたバギーの手をシャンクスが慌てて掴んだ。
「それは分かってる! 聞いてくれバギー!……船を降りてお前と離れて寂しいと思うことが何度かあった。いつも一緒にいたから、急に一人になって寂しく思うのは当然だし、いつかは消えるって思ってた。けど、バギーに会ってお前がまだ一人だって分かったら、一緒にいたいって思いがわいてきて止められないんだ」
 ここ一年、何度か会いたいなと思っていた相手、しかも二人とも心が酷く落ち込んでダメージを受けているタイミング。そんなときに会ってしまったらもう駄目だった。もっと時間がたってシャンクスに仲間がいれば話は違っただろうが、今は駄目だった。一緒にいたいと心が叫んでいる。
 今までに見たことのない強い思いを秘めた熱い眼差しでシャンクスが見つめれば、バギーは呆気にとられた顔をする。シャンクスが弱いところをバギー相手に吐露するなんて、滅多になかったからだ。いつも快活で前向き、悩み事なんて作る前に解決してしまうような男だというのに。船を降りて変わったというのか、いやそうではない。シャンクスの中にはもともと他の人と同じように弱い部分があったけれど、彼は面に出さず隠しきっていた。
 これが仲間の時だったら悪態をつきながらでも受け入れていた可能性が高い。口ではなんだかんだいっても、根底ではシャンクスを大切な仲間だと思っていたからだ。それにシャンクスの強さは不本意ながら十分理解している。戦闘中、見習いは二人で行動するようにと指示を受けていた際、さり気なくフォローや守ってくれていたことも知っていた。ロジャーの関係者が捕縛されていくのを見るに、一緒にいた方が身の安全が確保できることも分かる。
 本人には絶対にいわないけれど、正直頼りになる男なのだ、シャンクスは。分かっているが故にバギーは抗った。頼りになるから部下になる、それでは男が廃るというものだ。己がマークの旗を掲げる船の行き先は、船長である自分が決める。誰かの指図なんて受けたくない。バギーはシャンクスを睨みつけた。
「寂しいからだと、あほかお前は! 何と言われようともおれはお前の船にはのらねぇ!! いいか、次に会った時は敵だからな!!」
「バギー!」
 再び腕を振り払われた。シャンクスはショックを受けたがこれ以上言ったとしてもバギーは決して譲らないだろうことは明らかたっだ。
 何も言えなくなり口を閉ざしたシャンクスを背に、バギーは去って行った。

「バギー少し話したいことがある、おれの船にこいよ」
 白ひげとエースの遺体が運ばれていく最中。インペルダウンから引き連れてきた元囚人共に指示を出し、脱出するための船を確保させようとしていたところシャンクスから声が掛かる。バギーは瞬時にこの戦場から脱出する最善の方法を導き出した。まず間違いなく四皇の船が一番の安全地帯に間違いない。
「お前の船におれの部下を乗せる余力はあんのか」
 あんたに一生ついていきますと、心酔しきった瞳を見せる部下たちを置いていくなど論外だ。
「人数は」
「あー、100いかねぇくらいだな」
「それくらいなら大丈夫だ。ただ船内を自由にはできない、それだけは了承してくれ」
 四皇の船だ、大それたことなんて誰もできやしない。きっと誰もが早く下ろして欲しい生きた心地がしないと言うに違いない。ただこの船に乗るのが最良だし、このマリンフォードから逃げるための短期間だ。どこかの孤島ででも降ろしてもらえばいい。無論、海軍から十分に距離はとってからだが。
 バギーはシャンクスの提案を呑むと、部下に対して指示を出しなおした。赤髪の船に乗る準備をしろと、少しの間世話になるのだ。シャンクスの後ろで副船長が苦い顔をしていたが、気にしないことにした。

 船は静かに出港する。二つあるうちの小さい方の食堂を、Mr.3を含めた部下たちが使うこととなった。予想通り四皇の船に戦々恐々で、部屋の隅に一塊になって座っている。そんな中でバギーだけがどこ吹く風だ。さすがキャプテンバギー、そんな声が聞こえてきて鼻高々だ。
 バギーにだけ船内を移動する許可が出ていたので、これ幸いと見て回ることにした。インペルダウンを脱獄し、マリンフォードで戦場に身を投じてからようやく手に入った自由であったが、自分の船ではないからか違和感があった。早く我がビッグトップ号に戻りたいとバギーは心底思う。部下や船はアルビダが乗船しているならば心配はないが、いかにして連絡を取ろうか。電伝虫の番号は分かっているが、ここから連絡して届くものか。いや、頂上戦争はシャボンティ諸島にて中継されていた。その中継を見るか、その後の報道を見ればバギーが生きて脱獄したことは自ずと分かるだろう。そうすれば奴らは動き出す、バギーを探しに近くの海域まで来る絶対に。だからその間、どこかの無人島に潜んでこちらから連絡をいれ、繋がるタイミングを待てばいい。
「バギー」
 振り返るとシャンクスが一人立っていた。
「食堂を覘いたらいなかったからな。おれの船、どう思う?」
「宝物庫教えてくれりゃ一発で分かるんだがな」
 半分本気で半分冗談で言ってみれば、シャンクスは眉を顰めた後苦笑いを浮かべた。
「空にされちゃかなわんからな、それは駄目だ。おれの部屋はこっちだバギー、そこで話そう」
 素直に後ろをついていけば、案内されたのは広さは十分にあるが以外に簡素な部屋だった。応接のテーブルとソファ、ベッド、棚、デスクくらいで、飾りや置物も特にない。少し上等な船室程度であり、四皇の部屋とは到底思えないだろう。ちなみにバギーはその間逆を行く男で、彼の船長室はさながら王様のように豪勢で色とりどりの物に溢れている。
「すこぶる地味だな」
「お前にとってはそうかもな、でもおれにはこれが一番使い勝手がいいんだよ」
 言いながらシャンクスはデスクを回り、バギーは促される前にソファに座った。
「なんだよ」
 デスクの引き出しから取り出した一本のボトルを手に向かい側に座ったシャンクスは、興味深げにバギーの顔を見つめる。
「いや、手配書を見たときから思ってたんだが、お前本当に奇抜になったなと思って。その化粧とか自分でしてるのか? 器用だな」
 悪気や煽る意思がないだけに苛立たしい。本心でそう思ったから口にしているのだ、この男は。マギー玉の一発でもお見舞いしてやりたい気がするが、軽くいなされるに決まっている。だてに四皇と呼ばれていない。
 先ほどは昔ののりで突っかかりはしたものの、当時とは比べ物にならないくらいの力を持っているのだろうことは、ひしひしと感じている。本気になればバギーなんて一発ノックアウトだ。それほどの力や能力の差が二人に間にはある。それでも恐怖を感じないのは相手がシャンクスだからだ。二十年のブランクはあれど、性格の本質は変わっていないようだし、バギーへの対応も昔とさほど変わらず親しみが感じられた。万が一にもバギーが寝首をかくなんて思ってもいないのだろう。仲間だったのだから。
 この船に乗っている間にそんなことをしようものなら、命がいくらあっても足りない。悔しいけれど、バギーはどう足掻いたってシャンクスに敵わない。
 なので手を出すことは止めることにした。
「化粧くらい自分でするわ。そう言うお前は若さがねぇな、おっさん」
「おっさんって……同い年に向かって何言うんだ。傷つくなぁ」
「けっ、言ってろ」
 軽口の応対を繰り返していると、シャンクスは片手ながら器用にボトルを開けた。そしてテーブルの上に置かれた二つのグラスに注ぐ。白い濁りのある酒と、瓶に貼り付けられているラベル。二十年以上前の記憶が不意に浮上する。
「ロジャー船長が好きだった酒か?」
 思わず尋ねればシャンクスは頷いた。
「ああそうだ。それにおれが船を降りるときに貰ったやつなんだ、これ」
「はぁ!? お前ずっと大事に持ってたのかよ。おれなんて下船してさっさと飲んじまったぜ」
 流石に驚いてしまうとシャンクスは困り顔になった。
「大事というか、飲むタイミングが全く無かったんだ。一人で飲むのもあれだし、仲間とってのも違う気がして。それで仕舞い込んじまって存在自体忘れてた。でも今日バギーにこうやって会って酒の存在を思い出した。今だと思ったんだ」
「……これが、お前がおれを船に呼んだ理由か?」
「そうでもあるし、それが全てでもないけど……まあ今は飲もう」
 言ってシャンクスがグラスを差し出してきたので、バギーはテーブルの上に残るグラスを手に取り軽く合わせた。

「バギーはずっと東の海にいたんだろう?」
「ああ、ロジャー船長の処刑後は基本ずっと。そういえば、グランドラインに入るとき双子岬でクロッカスさんに会ったぜ。船医にって誘ったら断られちまった」
「おれは船を降りて以降会ってないな。懐かしいな。クロッカスさん元気だったか」
「おう、元気も元気。ありゃもう一周位しても大丈夫だ」
「そうか、良かった。おれは十年位前にレイリーさんと会ったよ」
「レイリーさん……あー、麦わらがそんなこと言ってやがったな、会って話したって」
「シャボンディ諸島に住んでるようだったから、顔見せてきたらどうだ。きっと喜んでくれる」
「そうだな、うちの船に戻ったら考えるわ」
 二人飲みながら話すのは、かつて乗っていた船に関係することばかり。話していれば自然と記憶が蘇り懐かしさを覚えた。
「シャンクス、お前本当に左腕がないんだな」
 膨らみの全くない左部のマント。先ほどからずっと右手しか動かしていないシャンクスに気付いたバギーは、”赤髪のシャンクスの左腕を切り落とした奴は誰なのか”そんなゴシップが昔見た新聞に載っていたことを思い出した。その頃のシャンクスはまだ四皇と呼ばれてはいなかったが既に新世界にいて、爆発的な知名度を誇っていた。
「当時はどんなへまをやらかしやがったんだって思ってたがよぉ……もしかして麦わらが絡んでやがんのか、あのゴムのガキが。あいつ、お前から麦わら帽子を預かってるなんて言ってやがったしよ」
 最初の出会いを思い返すと恨み辛みしかない。好き嫌いで聞かれれば嫌いに分類される男だ、バギーにとってルフィは。ただ正確に言えば嫌いより苦手の方が近い。己を偽らず真っ直ぐに突き進んでいく姿勢はバギーにないもので彼の苦手とするところだ。
「確かにおれの麦わらはルフィに預けているけど、腕のことはどうかな。ただこうなったことに後悔はないな」
 最後の一滴を飲み干し空になったボトルを端に置くと、新しいボトルを持って来た。当時のことを思い出しているのだろう、シャンクスの表情は穏やかだ。
 やんわりとはぐらかされたもののやっぱり麦わら絡みなのか、シャンクスの反応から確信したがそれ以上追及する気はなかった。
「しっかし、お前と麦わらはクソみてぇに似てて、ハデにムカつくな!」
 開けようとしているボトルをバラバラの両手で取り上げ、代わりに開けてやる。そのまま指先でグラスを出すように指示を出し、差し出されたグラスに注いでやった。泡を含んだ琥珀色の液体がグラスを満たしていく。
「まあ、あいつが海賊になる切欠を作ったようなもんだし、似ててもおかしくはないと思う。でも流石におれだってインペルダウンへ入り込んで助けようなんてことは考えないさ」
 一口飲んだシャンクスが右手を差し出してきたからボトルを渡し、注いでもらう。
「言って、助けるのは決定事項なんだろ? 麦わらはとは別のやり方で。お前らは諦めがわるいんだよ、本当にッ」
「そうか?」
 不思議そうに首を捻るシャンクスを前に、バギーは悪態をついた。あの麦わら帽子を受け継ぐ奴は、皆性格までも受け継いじまうのかねと、げんなりする。
「でも、ルフィのことが心底嫌いなわけじゃないんだろ。インペルダウンで手を貸してやったんだし」
 口に含んだ酒を噴出しそうになったものの、バギーはなんとかこらえると強引に飲み込む。同時に信じられないものを見るような眼差しをシャンクスに向けた。
「……お前、それマジで言ってんのか。ローグタウンでのこと、しらねぇわけじゃねぇよな」
「ああ知ってる、ルフィに懸賞金がついた頃のことだから話題になっていたな」
「だったら! 処刑しかけた人間を! 嫌いじゃないなんてお前いえんのか!! インペルダウンは色々あって手を貸すしかない状況に陥っただけだ!」
 そもそも、お前はおれが麦わらを殺しかけたことになんとも思っていないのか! 気になっていたことだったがシャンクスが何も言わなかったため、バギーは自分からぶちまけた。むきーっと声を荒げたバギーとは反対に、シャンクスは至極冷静だ。
「ルフィにはルフィの選んで進む道があって、その間の行動はルフィやあいつの仲間で決めることでありおれが口出しすることじゃない。ただおれはあいつと約束をしているから、その約束を果たす一点だけ道が交差すればいいと思っている。だから、その一点以外のことに関しておれは基本的に何も言わないし力は貸さない。それでルフィが窮地に陥ったとしても、それを助けるのはあいつの仲間でおれじゃない。ローグタウンのことはお前ら二人の間のことだ、おれは口出しできる立場じゃねぇ」
 要するにルフィとの間に絆はあるが、海に出た以上、航海の責任はルフィ自身にある。色々な困難があろうが窮地に陥ろうが、それはルフィの人生であり助けるのは彼の仲間、シャンクスはただ約束が果たされる日だけを待っている。そう言うことだ。
 筋は通っているし、バギーにも理解できる。けれど。
「じゃあおれがローグタウンで麦わらをぶっ殺してたら、どうしたんだよ。お前、おれを殺すのか?」
 興味本位で尋ねれば、シャンクスはあっさり答える。
「言ったろ、お前ら間のことにおれは口出しはしない。だから何かするにしたって、ルフィの仲間たちがするだろう。例えば報復とかな。おれは何もしないよ」
「……お前、あの麦わらのこと気に入ってんだろ? 帽子預けたくらいだし」
 なのにそんなにドライでいられるのか。問いかけるとシャンクスは深く頷く。
「勿論、可愛いやつだと思ってるよ。でも同時にルフィは己で旗を掲げた海賊船の船長だ、奴らは自身で困難に立ち向かわなきゃいけない。ただ、ルフィがおれに助けを求めれば話は別だけど、あいつはそんなことしないよ。最終的に対等な海賊として真っ向から向き合いたいと思ってるだろうし。ただ仮に、あいつがおれの船の船員だったら、絶対に死なせない。ロジャー船長だってそうだっただろ?」
 思い返してみればそうだった。仲間であるうちは命がけで守っていても、いざ独り立ちすれば助けを請われない限り手助けはしていなかった。助けてもらっては独り立ちした意味がないし、プライドに傷がつく。
「でもまあ、おれはルフィが約束を守るって信じてるから、何があっても死ぬわけないだろって思ってる」 
 堂々と言ってのけたシャンクスに、バギーは心底嫌そうな顔をしながら手酌の酒を一気に呷った。

「”おれと一緒に来いよ、バギー”って、今言ったらどうする」
 空のボトルが増えていき、話す内容も取り留めのないものに変わっていった頃。新たに開けた青いボトルのワインをバギーのグラスに注ぎながら、シャンクスは尋ねた。バギーは口元に運んだグラスを一旦止めると、無言でシャンクスをしばし見つめた後、瞳を逸らしテーブルに落とした。
 二十年以上前、ローグタウンで喧嘩別れした時にシャンクスがバギーに言った言葉。当時を思い返してみればガキだったなとの感想しかない。シャンクスは自分の思いを伝えることに精一杯だったし、バギーはシャンクスの部下には絶対にならないとの意地があって結果激しく衝突してしまったのだ。
「……正直、四皇の傘下につくってのはハデにいい。海軍も簡単に手をだせねぇし、赤髪は比較的穏健派でトラブルも早々ないと専らの噂だ。……今回、四皇の一角が落とされちまったからな、今後その穴を誰が埋めるのか、そのままになるのかまではわからねぇ。確実なのは海は荒れるってことだけだ。そんなもろもろのことを考えての結論、今のところはお前についていくのはいい話しだ。けど、一つだけ問題がある」
 そこまで言ってバギーは一度口を閉ざす。シャンクスは続く言葉を想定しているのだろう、笑っていた。
「再三いっているが、おれは、お前の下につく気なんて全くねぇ」
 言って軽く睨みつける。
「やっぱりそうか」
「あたぼうよ、ただまあ貴様が勝手に助けてくれる分には大いに結構」
 船を降りてすぐのバギーであったら、シャンクスが一方的に助けでもしたら怒り狂うこと間違いなかった。しかし幾多の困難に揉まれたバギーの頭はだいぶ柔らかくなっており、今は矜持にさほど重きをおいていない。彼の優先順位のトップはお宝であり、僅差で命、そしてプライドだ。だからやばいと思ったら逃げ道を探すし、頼りたくないと頑なに反発していた頃とは違い、シャンクスを頼り利用する気満々である。ただそれも最終手段であり、基本はあまり頼りたくはないのが本音だ。けれど今回はそうも言っていられない状況だったので船に乗るにいたっている。
「仲間になるのは嫌だけど、用心棒ならいいってか。それは酷いなバギー」
 そんなことを言うけれどシャンクスはずっと笑ったままだ。楽しくてたまらないというように。
 マリンフォードで見せていた周囲を威圧する表情が嘘のように思える。逆にバギーにとっては冷静に威圧感を出すシャンクスの方に違和感があった。一緒に見習いをしていたとき、少年~青年期に見ていたシャンクスの無邪気なイメージがバギーにとっては色濃いからだ。
「それで? おれが断るのを分かってたのに、同じ台詞を言いやがった理由は? 懐かしんでじゃねぇだろう、何考えてやがんだ」
 先ほどまでとは様子を変えて言っていたシャンクスに気付いていたバギーは、なにか裏があるのだろうといぶかしむ。
「んー、そうだな。……なあバギー、ロジャー海賊団の仲間って今どうしてると思う? おれとお前以外で」
「おれが分かるのは直接会ったクロッカスさんくらいで、あとはレイリーさんか」
「お前とローグタウンで別れた後、おれは世界中を回って多くの島に上陸したつもりだ。そうしている間に所在が分かったのは二人以外に数人しかいなかった。今も船に乗って海賊やってるのは確認できた範囲ではおれ達だけだよ、バギー」
「そう、か……」
 当時の自分たちはまだ十代で、周りは大人ばかりだった。よくからかわれたし、怒られもして早く独り立ちしたいと思ったこともあるが、それでも楽しくて大好きな先輩たちだった。下船の時、ロジャーの船以外で海賊はしないという船員は多かったように思う。根っからの海賊ではない、ロジャーの船だから乗ったのだし海賊になったのだと言って。
 そうやって散らばっていった船員は、もう僅かばかり。シャンクスが見つけきれていないだけで、上手く隠れている人もいるかもしれないが、それも多くはないはずだ。
 時間の流れを実感し、もの悲しさがバギーの胸をよぎった。
「レイリーさんもそうだったけど、今回お前と再会して”シャンクス”って呼ばれてなんだかすごく懐かしくて嬉しかった。今となってはおれをそう気軽に呼んでくれる奴はあんまりいないんだ」
 残念そうに言うシャンクスに当然だろうなとバギーは思う。通り名である赤髪と呼ばれることが多いだろうし、面と向かい四皇を呼び捨てにできる肝の据わった奴はそうはいない。
「仲間は心から信頼している最高の奴らだけど、どうしても今のおれには色んなしがらみがあって、あんまり自由には動けない。……まあそれがおれの役割だから仕方ないと理解している。ただこうやってお前と話していると、ロジャー船長の船に乗っていた時の、自由だった頃の自分に戻れてた。レイリーさんと話している時もそうだったけど、バギーとは一番一緒にいたからかな、お前と話している時の方が記憶が色濃く蘇ってくる」
「なにか、おれと話していてガキの頃に戻れて嬉しかったから、今後も話し相手になれってか」
「簡単に言ってしまえばそうだな。別に頻繁に会いたいってわけじゃない、ただ今後会うことがあっても、敵対関係ではありたくない。別に、あの頃の関係にまで戻りたいって無茶を言うわけじゃない、会ったら軽く話す程度、それくらいの関係になれないか、バギー。ローグタウンで別れた時言ってただろ、次に会うときは敵としてだって。今一緒にいるのはイレギュラーで、お前がまた自分の船に戻ったら敵対するってのは勘弁してもらいたいんだ。それを話そうとして、お前を船に呼んだんだバギー」
 昔なじみのバギーと今更敵対したくはない、友達というほど近くはないが普通に話せるくらいの距離感でありたい。そういうことなのだろう。
 バギーにとって悪くない話だった。四皇との繋がりがあるのは役に立ちそうだし、それも上下関係がないのが良い。ただ、シャンクスも大変なんだなと少しだけ同情してしまう。今回の一件でロジャーやシャンクスとの繋がりが明るみに出てしまったが、それまでは本当に気楽にのびのびとお宝探しに精を出していたバギーだ。ルフィとの出会いで歯車は狂いグランドライン、インペルダウン、はてはマリンフォードにまで来てしまい、最終的には昔なじみと酒を酌み交わしている。東の海にいたままだったら、こんなことにはならなかっただろうし、シャンクスと再会することもなかっただろう。だって、あまりにも住む世界が違いすぎる。1500万ベリーの賞金首と新世界に座を据える四皇の一人。駆け上っていったかつての兄弟分に嫉妬しなかったといえば嘘になるが、シャンクスの姿が己の求めている姿と違っていたので、あまり羨ましいとは思わなかった。今僅かな時間だが話してみて色々と面倒ごとを背負いこんでるんだなと知り、シャンクスの立場には絶対になりたくないと思うほどだ。
 また同時にバギー自身もシャンクスと話すことによって懐かしい思い出を蘇らせ、楽しく感じたのもまた事実だ。世界中で二人の間でしか共有できない思い出たちを酒の肴に、語らう時間は悪くなかった。二十年の歳月が経ったからこそ、そう思えるのだろう。子どもの頃だったらこうはいかない。
「そんなに言うなら受け入れてやろうじゃないの。まあ今後そうそう会うこともないだろうがな」
「寂しいこというなよ、バギー。……まあ、敵対しないと、それだけ分かってくれてれば良い」
 言ってうれしそうにするシャンクスに、喧嘩別れの最後の言葉がずっと心のどこかに残っていたのかと思う。その言葉があったから、シャンクスもバギーに会い辛かったのかもしれない。同じ東の海にいて会える時期もあっただろうに。変なところで律儀な奴だと思った。

 ロジャーの船に乗っていた時もそうだし、互いの船を持つようになっても当然、酒はばかすか飲んでいたのでこれしきで酔うほどお互い弱くはない。けれど、ずっと飲んでいたら切がないのでこれを最後の一杯にしよう、言ってお互いに飲み干した後。寝るなら部屋を貸すぞとの申し出にいらねぇとバギーは首を振る。敵でも味方でもない奴らの中、一人で寝るのは気分が悪い。たとえ頭がシャンクスだとしても、船員がバギーたちを好意的に見ていないことは分かる。ならば雑魚寝になろうがMr.3たちの元にいた方がなんぼかましだ。
「なあシャンクス、おれ達が降りれそうな島には後どれくらいかかる」
「ここらの海域で無人島なら、順調に行けば数日くらいかな」
 これ幸いとバギーは胸を撫で下ろす。あまり長居するつもりはない。
 ならば良いだろう、バギーはグラスを置くとシャンクスに向き直った。実はシャンクスと別れてからバギーの胸に引っかかってたことがあった。二度と会うこともないだろうから確認のしようもないな、そう諦めていたけれど、今が絶好のチャンスだ。心地よいアルコールの勢いに任せてバギーは問いかけた。
「シャンクス、お前おれのこと好きなのか」
「……は?」
 それはそれは見事な間抜け面だった。彼の船員が見たら、どうしたお頭と慌てるような、滅多に見ることのない珍しい表情。まあ確かに可笑しな問いかけに間違いはないし、そんな顔をしてしまうことも理解できる。
「いや、うん、お前のことはかつての仲間だったし好きだけど……?」
 すぐに気を取り直したシャンクスだったが、疑問符で一杯の様子だった。そんな質問をされる意味が分からないようだ。しかもこんなタイミングで。
 シャンクスの反応にバギーは眉を顰めると、つまらないと言いたげに溜息をついた。暗にお前が思っているものとは違うと示す。
「なんだ無自覚かよ。ハデにたちがわりぃな。ああもういい、この話は無しで」
「待ってくれバギー。どういうことなんだ、一体」
 立ち上がり部屋を出て行こうとしたバギーを、シャンクスが慌てて引き止める。にたり、バギーが笑っていることに気付きもせずに。
 バギーはドアを背に振り返ると、シャンクスに対して指を突きつけた。
「んなもん自分で考えやがれと言いたいところだが、しょうがねぇからヒントをやる。ローグタウンで別れた時、お前はおれの知らない初めて見る顔をしていた。その時は離れた時間でお前も変わったのかと思ってたんだがそうじゃねぇ、多分あれはお前の中に元々あって、それが何の切欠か面に出てきちまっただけだ。さっきも出てやがったしよ。それが分かったのは、まあおんなじ様な表情をする野郎に遭遇したからだ。ハデに嬉しくもなかったがな」
 思い出したバギーは眉間に皺を寄せ心底不愉快だと主張する。
「顔……は?」
 この顔がどうしたというのか、シャンクスは右手で己が顔をぺたぺた触りながら呟く。よく分からないと表情は物語っていた。
「お前と同じ表情をする野郎共のおっ立った股間を、完膚なきまでに蹴り上げてやったぜ、おれ様はよ」
 本当は殺したかったけど、まだその時は一人きりで相手も身体が大きかったから精々蹴り上げるしかできなかった。それでも股間を押さえ悲痛な叫びを上げながら蹲る男にバギーの溜飲は少しだが下がった。
「けり? ……は?、え?」
 混乱の極みに陥ったシャンクスに、もっと悩みやがれと内心叫びながら。
「わからなけりゃそのままでいい、ただまあ分かったんなら……ちょっとは考えてやっても良いぜ。ただ正真正銘、お宝の地図を持ってくればな!」
 そう言い捨てると同時にバギーは部屋から飛び出した。呼び止める声が聞こえた気がするが、そんなものスルーに限る。

 バギー自身、別れた時のシャンクスの表情がずっと胸に引っかかっていた。そして意味が分かったと同時に頭を抱えた。意味が分からないと。何であいつはあんな表情でおれを見たのかと。だって、おれたちは兄弟分でよく喧嘩もして、そんな思いが生まれるはずもない関係だった。だから今の今まで思い違いだとしてバギーは己を納得させていた。だというのに、シャンクスは再び同じ表情を向けてきやがった、しかも無自覚で。それが非常に苛立たしい。こっちはお前に振り回されたっていうのに、無自覚で再び火種をぶち込もうとしているのか。だから巻き込んでやろうと思った、自覚させてやろうと思った。シャンクスの中に無自覚にあるのだろう思いを。
 おう、散々悩めや。
 聡いシャンクスのことだ、ここまで言えば理解するだろう。同時に頭を抱えるに違いない。信じられない、どういうことだと思って。その後、どう行動するかなんておれには関係ないことだ。
 ただ最後に一言付け加えてしまったのは、二十年以上離れていたというのに、変わらず表情を見せたシャンクスに少しだけ絆されたから、だった。いや面白がったからでもいい。
 まあ、そうはいっても受け入れてやるなんて言ってはいない。自覚した後の責任なんて知らない。後のことなんて全く考えていない、どうなろうが知ったことではないバギーだった。

「おれが悩まされたぐらいには、ハデに悩みやがれ」
「ん?  どうかしたかね?」
 少し迷いながらも食堂に戻ってきたバギー。分けてもらった食料で食事をしている荒くれ者の中に紛れると、ポツリと一言呟いて。聞えていたMr.3が問いかけてくる。バギーは笑ってなんでもないと受け流し食事を始めたが、すぐ止めることになる。シャンクスが食堂に飛び込んできて、誰もが目をむき絶句するまさかの追いかけっこが船内を舞台として始まってしまうから。無論、逃げるはバギーで追いかけるのはシャンクスだ。
 それは誰も知るはずのないほんの数分先の未来だった。

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