IndexMainNovelCappuccino フォントサイズ変更   L M D S
◇◆ Pasta ◇◆
 平べったい金属が口の中に差し込まれ、私の舌をぺチョンと押さえつける。
 さらに、綿棒みたいなもので喉の奥をグリっとやられ、オエっとなったところで両方が口の中から引き抜かれた。
 その後はすぐに軽くて温かい上掛けが被せられたけれど、聞いたことがあるような年配の男性の声に、エースとアルの声が私の枕元で混ざる。
「殿下、姫さまは、インフルエンザという人間界の流行風邪でございます」
「は? ココアのお姫様が、インフルエンザで倒れるのかよ?」
「おいエース、仕方がないだろ、ここは人間界なんだから」

 四十度の熱があると聞かされてからというもの、耳の中に水が入っちゃったようなボワンボワンとした状態が続き、 余りにも息苦しくて、熱いものを食べたときみたいな浅い呼吸を繰り広げている私。
 そんな私の頬に、冷たくて気持ちのいい手が、アルの囁き声と同時に宛がわれる。
「バールに連れて帰れば、このくらいすぐに治してやれるんだが、ここでは熱を少し下げてやることしかできないな……」
 けれどその後に続く、嫌味ったらしいエースの声とともに、その手の感触が頬から消えた。
「アルファードくん、その穢れた手を早急に離して?」

「それはそうと、なぜベルが主寝室で寝ているのかね?」
「こっちのベッドのほうが、安らかに眠れると思った俺の優しさだろ?」
「その言い方では、ベルが死んでしまう様じゃないか!」
「全く、お前の態度と声だけはいつも大きいよね?」
「なっ……こ、こいつ、どの面を下げてそんなことを」

 エースとアルの仲良し喧嘩が、朦朧とする頭の中に流れてくる。
 それがなんだかとても懐かしくて、目を閉じたまま頬を緩めてクスっと笑った。
 けれどそこに、昔では考えられない人物の声が、ストッパーとして参入する。
「ちょっと二人とも、薬を調合するので、黙っていてください」
「アルお兄さん、お宅の弟さんが偉そうよ?」
「だからキャラバンは、俺の弟ではないと何度も言っているだろ!」
「ほら、二人がうるさいから、配合を間違えちゃったじゃないですかっ!」

 バンバンの台詞が吐かれた途端に、そんなものは俺たちのせいじゃないだとか、そんなことで配合を間違えるようじゃ、マキアートは滅亡するだとか、けたたましい二人のツッコミが入れられて、それに反論するバンバンの声がそこに加わったところで、豊田さんの エッヘン虫がまたもや響いた。
 そこから先は、気持ち悪いほどの静寂が辺りを包み、それに合わせて、私の意識も遥か彼方へ飛び去った――

 どれくらいの時間が流れたのかは分からない。けれど、甘くトロンとした何かが、喉を流れていくのは分かる。
 だからコクンとそれを飲み干して、もっと欲しいとばかりにゆっくりと目を開く。
 でも欲しいのは、そんな甘い液体じゃなくて、それを私の中へ流し込んだ唇の方だ。
「今のは、バンバンが作った薬だから気にするな」
 ぼやけた視界に飛び込んできたものは、優しいアイちゃんの笑顔じゃなくて、俺様エースの仏頂面。
 だから、気にするなと言われても、気にしないわけがない。
 同一人物だと気がついたとはいえ、エースがあんなに優しいキスをするだなんて……

 いい感じに私を見下ろしながら、ブスったれた顔のままエースが言葉を投げる。
「何か食べたいものは?」
 クリームパスタが死ぬほど食べたい。けれどエースにそんな戯けたことは言い出せない。
 だから渋々我慢して、首を何度も横に振るけれど、そんな私を鼻で笑うエースがさらりと言い放つ。
「クリームパスタなら、用意してあるけど?」
 なぜバレたのだと、口を開いて唖然としたところで、その疑問すら見透かしたようにエースが答えた。
「お前は昔から体調が悪くなると、決まってクリームパスタを食べたがっただろ」

 そう言われて初めて、そういえばそうだと気がついた。
 ベルだった頃の私は、病気という病気をしたことがない。
 癒しの国ココアに生まれ育ったのだから、自分の異変は自分自身の気で治すことが当然だったんだ。
 だけど稀に、自分では気付かない体調の変化が起きてしまうことがある。
 するとそこに必ずエースが現れて、なぜかいつも、クリームパスタが食べたいかどうかと私に聞いた。
 そして私が『食べたい』と答えると、やっぱりなぜかプリプリ怒りながら、私をアルの前に突き出して
「おい、こいつの具合が悪いぞ!」
 と、偉そうに言い放つんだ。

「エ、エース、今も昔も迷惑ばかり掛けちゃってごめんね……」
 部屋のドアノブに手を掛けたエースに向かってボソボソとつぶやくと、振り返らないままのエースが答える。
「本当にね」
 直球過ぎるその言葉にめり込みそうになりながら、決心した気持ちを告げようと口を開いた。
「で、でも、もう大丈夫。もう安心してね?」

 その一言でエースの動きが止まり、嫌悪感を露骨に浮かべた顔で振り返りざまに言い放つ。
「また転生するとか、誰かと駆け落ちするとか、そんな話なら怒るけど?」
「駆け落ちって……」
 余りの突飛な発想に、相手がエースだということも忘れて失笑を漏らしたけれど、 足音がこっちへ戻ってきたことに気がつき、口に手を当てて固まった。

 エースがベッドの端に腰を掛け、マットレスがその重みで沈む。
 そしてアイちゃんみたいにニョッキリと、けれどアイちゃんとは違う横柄な笑顔が目の前に現れた。
「だってお前は昨日、誰かのことを考えてただろ?」
「え? あ、アイちゃんが、エースだったらどうしようってやつ?」
「はっ?」
 やっぱりあの時、舌をちょん切っちゃえばよかったんだと後悔してももう遅い。
 だから目を細め続けるエースへ、誤魔化しという話題反らしを試みた。

「い、いや、その、力のない私は、正真正銘の邪魔者でしょ? だから……」
 ところが、人差し指を私の鼻に向けてビシっと指すエースが、なぜかキッパリと断言する。
「あのね、お前が何度転生しようが、どこへ消えようが、俺はお前を探し出すの」
「な、なんで? なんでそ……」
「何度も言わせるなよ、お前は俺のものだからだろ?」

 そんなのは、ちっとも答えになっていない。
 確かにエースとベルは、バールの仕来りで結ばれた婚約者だったかも知れない。
 だけど私は『物』じゃない。
 そんな扱い方をし続けられた記憶が鮮明に蘇り、侘しさと空しさと色々なものがこみ上げて、思わず大きな溜息をついた。

「なぁに、そのふて腐れた顔は? なんか生意気じゃない?」
 その台詞とともに、突然エースが私の上に覆いかぶさり、強引に冷たい唇を押し当ててきた。
 だから私も意地になり、絶対に屈するものかとばかりに固く唇を結んだけれど、エースの舌がいとも簡単にそれをこじ開けて、 それから先は、されるがままに翻弄されていく。
「あふっ…んっ……」
 簡単に屈して、声を出しちゃう自分が恥ずかしい。
 さらに、ちょっとのことで、すぐエースに反応しちゃう身体も恨めしい。

 そこに、してやったり顔で、唇を離したエースが言い切った。
「分かった? 何度生まれ変わろうが、お前は俺のものなの」
「ち、違うっ!」
 自分の情けなさに反射的に答えれば、それに反応したエースの眉毛が上がる。
「違うぅ?」

 瞬く間にパジャマのボタンが上二つだけ外されて、グイっと服を引き下ろされた途端に、左胸が露になった。
「あ、やめ、やめ、んんっ!」
 エースの次の行動が分かるから慌てて抵抗したけれど、そんな抵抗など諸ともせずに、エースが胸の先端を当然のごとく口に含んだ。
「やっ…やめ…いやっ…やめっ…」
 熱で身体が思うように動かない。でも、動いたところでどうにもならない。
 いつもは熱いエースの唇と舌が、今日は氷のように冷たく感じられて、もうそれだけで金縛りにあったように身体が動かない。

「認めろよ、違わないって言ったらやめてやるから」
 その言い方が悔しくて、思わず口ばっかりな抵抗が零れ出る。
「やっ…み、認めないっ! や、やめてってば!」
 途端にエースの動きがバッチリと止まるから、今回は私の勝利だとばかりに息を整えた。
 けれどそこに現れたのは、完全無欠の写真撮影用な王族スマイル……
「ふーん。後悔しても知らないよ」

 こ、この男は、キュラレスト化面を被った鬼だ。いや、悪魔だ。
 憎悪という名の気体がそこら中に迸り、それを嗅いだだけで、瀕死の状態に陥らせるに違いない。
 だから慌てて言い訳を試みるけれど、当然、悪魔には通用しなかった……
「えっと、その、ちょっとした言葉のあやでですね?」
「もう遅いね」

 その言葉を最後に、エースが私のパジャマを下着とともに引き摺り下ろす。
 やっぱり私は舌を切るべきなんだと泣きそうになったところで、足の間に滑り込んだエースの指がぬかるみをすくい上げ、 私にも聞こえるように、わざとピチョピチョと音を立ててその場を叩く。
「敏感な日は、こっちの方が感じるだろ?」
 さらに耳元でこれみよがしに囁きながら、粘液が絡みついた指をツプっと私の中に差し込んだ。

 訳のわからないことを囁かれ、当惑したのもつかの間。
 いつもとは違う場所をピンポイントで攻められて、思わず乾いた喘ぎ声が漏れる。
「ああっっ…いやっ…だめっ…あっ」
「だからさ、素直に認めたら? ダメじゃなくて、そこが感じちゃうって」
「いやっ…絶対っ…あっ…やめ、ああっ…いやぁぁっ!」

 例えこれがエースじゃなくても、図に乗っちゃうのが分かる気がする。
 なぜこうも簡単に、しかも熱があるにも関わらず、私は我を忘れてイっちゃうんだろ……
 なんだかもう、『物』として扱われてしまっても、仕方がない気すらする。
 そのくらい単純で、分かりやすい女なんだな私。でも、次こそは必ず……

 そんな叶うはずのない野望を胸に秘めてみたけれど、それはものの見事に数秒で打ち砕かれた。
「ん…んふっ……」
 信じられないような甘く優しいキスを、エースが私に降り注ぐ。
 だから、ずっとずっと恋焦がれ続けたそのキスに涙がこみ上げて、何かを懇願するようにその名を呼んだ。
「ん…エース…エース……」
「呼ぶなよ、抱きたくなるだろ……」

 エースのその言葉に、胸がキュンと締め付けられた。
 エースは別に、私を抱きたいと言ったわけじゃない。
 私じゃなくても、こんな状況に陥れば、そうやって思うのかも知れない。
 それなのに、つい今さっき胸に秘めたはずなのに、どうしようもない私の舌が勝手に動く。
「お願い…抱いて……」

 エースがそっと私を抱く。身体が揺れないように、傷つけないように、そっとそっと抱く。
 その優しい抱き方に、快楽よりも先に湧き上がる感情。
 繋がっているのは身体じゃなくて、心なのだと想いたい……
 それでも高ぶる感情は、どんなにゆっくりとした動きでも、確実に私を絶頂へと導いていく。
「んんっ! あっ、も、あっダメ…っ」
 そして私は、浅く短い吐息を繰り返しながら、いつもとは違う最後の言葉を吐いた。
「愛してるの…愛してるの……んんっ!」

 ヒクヒクと揺れ続ける身体を包み込むように、エースが私を抱きしめる。
 初めて抱かれた日のように、優しく優しく抱きしめてくれる。
 ただそれだけで嬉しかった。なのに、もっと泣きそうになる言葉をエースが囁いた。
「傍に居ろ、ただそれだけでいい。だから、二度と俺の前から消えないでくれ……」
 そして私は、その言葉に何度も頷きながら、夢の世界へ旅立った――

               ◆◇◆◇◆◇◆

 ジェーソンのマスクを被った男が、なぜが電動ドライバーを振りかざしながら私を襲う。
 追い詰められた私は必死の抵抗を試みるけれど、無残にもドリルの先端が耳に差し込まれた。
 世にも恐ろしい断末魔の叫び声を上げたところで、頭の中に響く『パスン』という音……

 心臓がバクバクしたまま飛び起きて、すぐ近くに居たアイちゃんとぶつかりそうになった。
 けれどアイちゃんはどこ吹く風で、とってもガッカリしたように唇を突き出して、ふて腐れながらつぶやいた。
「ああぁ、鈴ちゃんの熱が下がっちゃった」
 電動ドリルが体温計だと、気がつくまで数十秒。
 絶対に、確実に、私はあの体温計が苦手だ。昔ながらの、わきの下で測るやつにして欲しい……
 それでも、そんな私の気持ちなどおかまいなしに、アイちゃんの言葉は続く。

「まったく、ばんちゃんもオマヌケさんよね!」
「な、なんで?」
「普通は、熱だけは下げずに、頭痛とか菌とかだけ奪い去る媚薬を作るでしょ?」
「え?」
「だって、昨日の鈴ちゃんの中、すごく熱くて気持ちがよかったのに」
「お?」
「激しく動けなくて、僕だけ不完全燃焼でしょ?」

 な、なんかアイちゃんが、わがままアイちゃんになっちゃった気が……
 口調だけアイちゃんで、中身は確実にエースだ。
 ということは二人の間を取って、アース? だ、大地ってわがままなんだなきっと……
← BACK NEXT →

IndexMainNovelCappuccino
photo by ©かぼんや