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◇◆ BARLU ◇◆
 今度こそは本当にお日柄も良く、お天気にも恵まれちゃった今日、とうとう私の卒業式がやってきた。
 小学校から通算して、十二年間に渡る、長かったようで短かかった学校生活。
 試験で徹夜してみたり、修学旅行でお土産を選んだり……
 嫌なことだって沢山あったはずなのに、思い出すことは、全て楽しかったことばかりだ。

 みんながみんなで、それぞれの健闘を祈り、今までの思い出と別れの辛さで泣いている。
 私も一緒に泣きたかったけれど、エースとの約束を破るわけにはいかない。
 だからニコニコと一人で笑って、そんな約束を忠実に守っている私は確実に偉い。
 しかも、当の本人の居ないところで守っているんだから、律儀レディーとして表彰されてもおかしくないはずだ。

 これからみんな、別々の道を行く。
 一番中の良かった聡子は都内の美大に進み、真紀ちゃんは福祉の専門学校に。
 香奈ちゃんは車会社へ就職し、そして私は……

「鈴姫さま、ご卒業おめでとうございます。只今、車の手配を致しましたので」
 保護者代理として式典に出席してくれた豊田さんが、艶やかな深いグレーのスーツを優雅に着こなして、ゆっくりと 頭を下げながら私にそう告げる。
 既にみんなとの写真撮影も終え、後は家路につくだけなのだけれど、やっぱりどこか名残惜しい。
 だから校門から足を踏み出す瞬間に、わざとらしく響く私の声。
「あ、部室に忘れ物をしちゃった! すぐ取って来ます!」

 思わず嘘を吐いちゃった。三年の二学期で既に引退している部活に、忘れ物などありはしない。
 だけどこの先の未来がとても不安で、マンションにこのまま戻るのが、なんだか怖かったのだから仕方がない。
 ということで、人並みを逆走しながら校内へ戻り、姿が見えなくなっただろう付近で走ることを止めた。

 絵が好きだから美大に進めばいっか? だなんて、自分の未来を結構安易に考えていたと思う。
 だけど昨年の暮れあたりから、私の未来が急激に変わった。
 おかげさまで、誰もが驚いちゃうほど楽天的な性格だから、眠れなくなるほどショックを受けたり、いつまでもクヨクヨと 悩んでいるわけでもない。
 それでもやっぱり、現実離れした現実と、中途半端にしか思い出せない前世の記憶に胸が痛い。

 訳もなく部室に入り込んで物思いに耽り、意味もなく石像の頭を撫でてこれからのことを考える。
 けれど考えたところで、『どうしよう……』としか浮かばない。
 だから大きくて長い溜息を、素敵な俯き加減で放ったところに降りかかる声――

「そして化け物染みた力を失った姫様は、心優しき戦士に助けを求めるのでした……」

 突然の声に驚いて、体が直立不動で固まった。
 というよりも、その声のトーンと、エースよりも直球な罵倒の言葉で、振り向かなくても誰だか分かるから、固まっちゃったというのが正解か?
 それでもこの相手に、いつまでも背中を向けている訳にはいかない。
 だから意を決して振り向いて、相手の顔を確認してから、ちょっと震えてつぶやいた。
「グ、グランド……」

 ゴルフボールほどの銀色の球を二つ、器用に手の中で転がしながら、とうとう現れた最後の王子さまが、 優雅や気品とはほど遠い笑顔で言い放つ。
「折角転生できたのに、その容姿はそのままかよ? 可哀想にな」
 そして今度は、その銀色の球をお手玉のように片手で宙に放り投げて、自分の台詞にウケて愉快に笑う。
「バールからわざわざ迎えに来たエースも、それじゃガッカリだったろうよ?」

 グランドは、冷酷無情のプリンスとして名を馳せている。
 微笑みを絶やさないアルと、能面のように無表情の仮面を被り続けるグランド。
 南の国と北の国。反義する国の王子だけに、その性格も両極端だ。
 それでもこうしてグランドは、私の前では特に平然と、その無表情仮面を外しまくる。
 気心が知れているだとか、心を許せる相手だからなどという、穏やかな理由ではない。
 とにかく私の存在自体がグランドには許せないらしく、ありとあらゆる罵詈を浴びせ続けることが、 彼の生き甲斐だと言っても大袈裟じゃない。

「しかもだよ? 唯一必要だった『化け物力』が、ウッカリ消えちゃってるんだから最悪だよな?  それなのに、そんな必要のなくなったお前を、バールに連れ戻さねばカプチーノの名が廃る……」
 そこまで言い終えてから部室の椅子を引っ張り出し、そこにドカっと腰を下ろしたグランドの、罵詈雑言はまだまだ続く。
「きっとエースは、こんなことなら、お前なんか見つからなければ良かったのにって、心の底から思ってるだろうよ」

「エ、エースは、ただ傍に居ればいいって……」
 ここでようやく反論を唱えてみたけれど、そんな話は有り得ないとばかりに、失笑を漏らすグランドが言い放つ。
「心底哀れな女だね? いい加減気付けよ。化け物染みた力もない今は、ゴミと言う名のお荷物だろうが?」
 気がついていなかった訳じゃない。
 だからその気持ちをエースに伝えたけれど、それを聞いて尚、エースはそう言ってくれたんだ。
 けれど、確信めいたグランドの続く言葉が、強引に閉じていた私の蓋を抉じ開けた。

「お前だって薄々は感づいていただろ? エースどころか、実の兄貴にまで嫌われていたことによ」
「そ、そんなこと……」
 そこまで反論して、最後まで言い切ることなく言葉を止めた。
 そうなんだ。グランドの言う通りなんだ。私は多分、アルに好かれていなかった。
 アルはいつも、表面上は私を守り、助け、優しく接してくれた。
 だけど幾度となく、私を見ながら重く深い溜息を吐いていたことを知っている。

 出来の悪い妹。足手まといな妹。
 アルにそう思われていることが苦しくて、いつの間にか背中を丸める癖がついた。
 けれど、そんな私をエースが窘めた。
「虚勢を張れよ。皆の前では、背筋を伸ばして微笑み続けろ。それに疲れたら俺の前で泣けばいい」
 そうやって優しく微笑みながら、私に言い聞かせてくれたんだ。
 だから私はいつも、エースの前だけで泣いた。馬鹿みたいに、声を上げて泣いたりもした。

 けれど、いつ頃からだろう? そんなエースから、優しさが笑顔と共に消えてなくなった。
 いつかは、昔のように笑ってくれるのではないか……
 そんな叶うことのない期待を抱き続け、振り返ることのなくなったエースの背中ばかりを見つめていた。
 そして私は、誰の前でも泣けなくなった。ヘラヘラと笑うことしか出来なくなった。
 だからあの時、私が消えても悲しがる人は、ハープしか居ないと言ったんだ。
 ハープ以外には、好かれていないことを知っていたから……

 けれどそんな私の想いを、打ち砕く言葉がグランドから投げられた。
「いいことを教えてやろう。親友だと思ってた女にも、お前は嫌われていたことを知っているか?」
 その言葉に、後先など考えることなく、グランドへ向かって強く言い返す。
「そ、そんなことない! ハープだけは! ハープだけは!」
 すると眉毛を八の字に下げて、同情しているといった表情をわざとらしく浮かべたグランドが、 表情とは裏腹な言葉を紡ぐ。

「馬鹿だねお前、親友にも裏切られていたことに気がつかないんだから」
「な、なんのことを言って……」
 咄嗟にそこまで言いかけた私を手のひらで制して、グランドが自分の考えを押し付ける。
「要は、お前の存在が邪魔で、お前が消えてくれることを、誰もが願っていたってこった。 ま、除外王子キャラバンだけは、そうは思っていなかったようだが?」
 そこで、乾いた笑い声を、愉快で仕方ないといった具合に上げた。

 自分が、みっともなくブルブルと震えているのが分かる。
 グランドとの会話は、いつも最後にはこうなると相場が決まっていることだけれど、 何度経験しても、この怖さには心も身体も慣れてはくれない。
 グランドの言葉は、いつも私の琴線に触れる。
 出来ることなら、蓋をしていたかった思いを引き起こさせて、その動揺を感じ取って喜ぶんだ。
 そして今回もまた、そんな動揺する私を嘲笑うように、グランドが最後の言葉を投げつけた。
「俺の話が嘘だと思うなら、自分で確かめてみろよ。四階へ行けば分かるだろうさ」
「四階? マンションの四階?」

 けれどそこで、グランドが忽然と姿を消した。
 それと入れ違うように、ドアマンの本田さんが現れ、私を確認すると安堵の溜息を零す。
「鈴さま、いかがなされましたか? お戻りが遅いので、皆が心配しておりますが」
 だから私はまた、いつものようにヘラヘラと笑いながら、適当に思いついた言い訳を試みた。
「あ、ご、ごめんなさい。つい、思い出に浸っちゃって……」

               ◆◇◆◇◆◇◆

「豊田さん、私、まだ四階を訪れたことがないんですけど、四階には何があるんですか?」
 後部座席から身を乗り出して、助手席に座る豊田さんへ声を掛けた。
 すると、ゆっくりと顔だけを振り向かせた豊田さんが、いつものように穏やかに話し出す。
「四階(シカイ)でございますね? あちらには大きな鏡が置かれておりまして、夜中の十二時にその鏡を覗き込むと、 未来の旦那様が見えるという摩訶不思議な言い伝えがあるのですが、実はその鏡と言うのが……」

 ところがそこで、一旦話を切った豊田さんが、ゴクっという音を立てて唾を大きく飲み込むから、 たまらず私も唾を飲み込みながら聞き返す。
「な、な、なにかな?」
 そしてようやく、どこぞの司会者のように答えを溜めに溜めてから、真剣な面持ちで豊田さんが囁いた。
「紫色をした、老婆の化身だと言われているのでございます……」

「そ、そうなんだ……」
 是非覗き込んで見たいと思う内容なのに、妖怪チックな豊田さんの口調がやけに怖い。
 大体、紫色の老婆っていう件が既に物々しい。
 さらに『ヨンカイ』を『シカイ』と呼び、それが『樹海』に聴こえるのはなぜだろう……
 きっとそのお婆さんは、病気だっただけなんじゃないのかと思いつつも、 紫色の『砂かけババア』を想像し、その姿にブルッと身震いが起きた。

 部屋に着いてからも、グランドが告げた言葉を考え続ける。
 ハープが私を嫌っていた。私の存在が邪魔で、消えて欲しいと願っていた……
「そんなことは、絶対に有り得ない!」
 二度と着ることはないであろう制服を苛々しながら脱ぎ捨てて、大きな声でそう叫んでみるものの、 どうして絶対だと言い切れるのかが分からなくなっていく。

 グランドは、自分の考えを正当化する節はあっても、現実に起きた出来事に対しての嘘は言わない。
 現にグランドは、さっきの会話で何度も事実を述べている。
 私の容姿は、昔のままだと言うこと。化け物力がなくなっていると言うこと。
 そして、アルに嫌われていたと言うこと……
 だから私は、きっとハープに何かを裏切られたのだろう。それだけは事実なんだ。

 グランドは、自分で確かめろと言った。四階に行けば、分かるとも言った。
 私には、知らないことが多すぎる。
 のんびりしすぎて、いや、のんびりしているフリをして、臭いものには蓋をして、心にはガッチリと鍵を掛けて、 わざと気がつかないようにしていた自分を思い出す。
 でも今は、全てを知りたい。全てを確かめたい。
 たとえ『紫ババア』が待ち受けているとしても、私は四階へ行くべきなんだ!

 コソコソと泥棒のように辺りの気配を伺いながら、四階までの道のりを考える。
 とにかくアチコチに防犯カメラが設置されているから、どこをどう行っても警備員さんに見つかってしまうだろう。
 こんなことをする位なら、真実を豊田さんに話して、ちゃんと案内をしてもらったほうがいいのではないかと思うのだけれど、 なぜか体はスパイになりきっていて、コソコソスリルを味わいたがるのだから仕方がない。
 そんなこんなで、決行された冒険の旅。
 けれど、非常階段のドアノブに手を掛けた瞬間、逆に誰かが私の肩に手を掛けた。

 声にならない声で叫び声を上げてから、見つかったときに言おうと決めていた言い訳台詞を、 しどろもどろになりながらつぶやき振り向いた。
「こ、こちらの扉は、安全かどうかと確かめるべく、わ、私はこのように……」
 けれど、振り向いた先に佇んでいたのは、数回ほど顔を合わせたことのある、名前の知らないメイドさんだった。
 気が動転している私をよそに、そんな彼女が人差し指を唇に当てて、目配せしながら囁く。
「鈴さま、こちらですよ……」

 なぜか訳知り顔の彼女は、自室に私を導いて、自分の制服を私に差し出した。
「こ、き、わ? あ、いえ、あの……」
 まさか、これを私に着ろと言うのではないかと思い、恐ろしい短縮語を吐き出してみたけれど
「変装しなければ、あちらに到達することは不可能です」
 そうやって、彼女にアッサリと言い返された。
 なんとなく自分の中で、メイド服というものは可愛い子しか着ちゃいけない気がしていたから、 私が着たら、メイド好きな方々をゲンナリさせてしまうようで肩身が狭い。
 それでも四階への好奇心は捨てきれず、結局その制服に袖を通した。

 真っ黒な、いわゆる『おかっぱ』のかつらまで被っちゃって、その滑稽さに顔が歪む。
 それなのに、ニンマリと笑いたくなるのはなぜだろう……
 そんな感じで、清掃用具が積み込まれた銀色のワゴンをガラガラと押し歩き、堂々と使用人エレベーターに乗り込んで、 ようやく目的の部屋までたどり着いた私たち。
 気分はまるで、CIAだ。いや、裏組織のエージェントかも。

 紫ババアの化身が置かれているという、妖怪部屋の扉が開け放たれて、とりあえず習ったことなど一度もない、 空手の形を見よう見真似で作り出す。
 妖怪に空手が通用するのかどうか分からないけれど、何もしないよりはまだマシだ。……と思う。
 けれどそこに待ち構えていたものは、妖怪でも敵でもなくて、高級絵画の額縁のような金色の網目形装飾が施された、 ドアほどの大きさな鏡が一枚。

 呆気にとられ、口をあんぐりと大きく開けて佇み続ける私に、彼女の声が背後から放たれた。
「この大きな鏡に、行きたい国の鏡を向かい合わせにするんです」
 慌てて振り返れば、『紫ババア鏡』よりも、一回り小さい鏡が四枚。
 そしてその四枚の鏡には、一枚一枚色の違う、分厚い布が掛けられている。

 赤、青、緑、白。その色たちが、何を意味するのかすぐに分かった。
 バールだ。バールの四つの国を表しているんだ。そして、その布に刺繍された大きな紋章……
 王冠や複雑な模様が刻まれた盾を、ライオンの盾持二頭が両脇から支える紋章。
 青い布に描かれたその紋章は、南の国ココアのものだ。
 同様に、赤い布にイーグルの盾持が東の国カプチーノ。緑に月桂樹の盾持が西の国マキアート。
 そして、真っ白な布に、真っ白な蛇の盾持が、北の国エスプレッソだ。

 ココア城にも、これと同様の鏡が、置かれていたのを覚えている。
 危ないから絶対に近寄ってはならないと、何度も誰かに注意されたことを思い出し、ようやく我に返ったけれど時は既に遅かった。
 突然ガチャンという音がフロアに鳴り響くから、驚いて振り向けば、蛇の紋章入りな白い布が取り外されていて、 冷たく笑う彼女がこれみよがしなアクセントで言い放つ。
「こうして、鏡をスライドさせるのですよ」
 どうして今まで気がつかなかったのだろう。彼女の訛りは、エスプレッソ特有のものだ。
 さっきグランドと話したばかりだと言うのに、すっかり忘れていた私はうっかりの称号が相応しい。

 合わせ鏡のど真ん中に、思い切り立ちはだかっちゃっている私。
 これはマズイと急いで脱出を試みるけれど、透明な見えない壁がそんな私を阻んだ。
「え? なんで? なんで出られないの?」
 そこから抜け出すことができず、そんな慌てふためく私へ、彼女が最後の言葉を掛ける。
「鈴さま、良い旅を――」

 まるで分身の術でも使ったかのように、鏡の中に無限と思われるほどの私が幾重にも現れる。
 その瞬間、時計や鏡、そんな目に見える物全てがグニャグニャと歪み始め、鏡に映った何十体もの私の姿も、 ムンクの叫びみたいになっていく。
 そしてそれと同時に、夢の中へ沈んでいくように、体も意識も軽くなった――

               ◆◇◆◇◆◇◆

 気がつけば、さっきと同じような大きな鏡の前に佇んでいた。
 けれど鏡の中には、私ではなく、彼女が笑顔で手を振っている姿が映し出されるからビックリだ。
「えぇ? おお? なにこれ! なんだこれ!」
 そうやって鏡に両手をくっつけて、食い入るように覗き込みながら驚きの言葉を叫ぶ私に、多分今、一番聴きたくなかった声が、 背後から嫌味ったらしく囁かれた――

「待ちくたびれたよベル。バールへようこそ。あ、お帰りと言うべきかな?」
「……グランド」
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photo by ©戦場に猫