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◇◆ Alphard ◇◆
 学校帰りの駅前で、鞄の中からゴソゴソと定期を取り出しながら考える。
 最近は、寝ても寝ても、疲れが取れるどころが、より疲労感が増している気がする。
 もう頭の中はゴチャゴチャで、夢と現実の境目が、分からなくなってきている今日この頃?
 だからもしここに、ハープが現れたとしても、「あ、久しぶり!」だなんて、言いだしかねない自分が怖い。

 アイちゃんに出会ってからというもの、私の全てがおかしくなっている。
 私は数日前、アイちゃんに抱かれた。これは絶対に、現実での出来事なはずだ。
 なのに友達が話していたような、恐ろしい痛みには出くわしていない。
 そんな痛みを体験したのは、アイちゃんと初めて出会った日に、お店で見た夢の中でだ。

 坂東さんとバンバンが同一人物だとすれば、アイちゃんとエースも、同一人物だということになる。
 だけどそんなことは有り得ない。だってあれは私の夢なのだから。
 よく、その日に見た強烈な印象が、夢になって表れるというけれど、私の場合もきっとそれだ。
 だから不可思議なことは全部、夢のせいに決まっているはず……

 自分自身を納得させようと、ゴチャゴチャの頭で考えるけれど、結局は、より一層ゴチャゴチャになるだけで、 一向に疑問解決の糸口など掴めそうに無い。
 誰かに全てを話してしまいたいけれど、こんなことを話した瞬間、病院に連れていかれそうだ。
 だから悶々としたまま時間だけが過ぎて、いつの間にか電車から降りていた私は、苛々しながら家路を急ぐ。

 夕暮れ前の我が家の近所。
 いつものように、鈴木さんちのチロは尻尾をフリフリ寄ってくるし、高橋さんちのダイヤは、私に向かってギャンギャンと吠え立てる。
 ところが家の前まで差し掛かったとき、いつもとは違う不思議な光景を目の当たりにして、思わずピタっと立ち止まった。
 白地に青のフリーダイヤルが描かれた大きなトラックが、私の家の前に停まっていて、 そのトラックに次々と荷物が積み込まれている。
 そんな作業をする人たちにブツブツと命令しているのはパパで、どうやら二台のトラックに荷物を分別しているようだ。

 明らかに、どこをどう見てもこれは引越しだ。でも私は、そんな話を一言も聞いていない。
「パパ! 一体、何があったの?」
 ようやく事の次第を把握して、パパのところまで走り寄れば
「す、鈴……いや、そ、そのだな?」
 なぜだか急にオドオドしはじめたパパが、辺りをチラチラ窺いながら切り出した。
「パ、パパとママは、外国で暮らそうと思うんだ」
「えぇ? なんで突然? わ、私はどうなるの?」
「お、お前はほら、学校があるしな? ここに残れ」

 両親はいつも仕事で忙しかった。だから家族で、どこかへ出かけたなんて記憶もほとんどない。
 小学校高学年になった頃は、食事の用意こそしてあったけれど、ほとんどすれ違いの生活を送っていた。
 兄弟もいないし、とても淋しかったけれど、仕方が無いことだと諦めていた。
 だけどこれは余りにもひどい。親に捨てられたも同然だ……

「パパ、私は一緒に行っちゃいけないの……?」
 泣きそうになるのを堪えながら、パパの腕を掴んで懇願するけれど、パパは私の手を振りほどき、にべもなく言い放つ。
「鈴、パパは急いでいるんだ。邪魔をしないでくれないか」
「で、でも、私は……」
 そこまで言いかけたとき、私の真後ろを見つめるパパの顔から、一気に血の気が引いていく。
 そして私の後ろから、聞き覚えのある声が響き渡った――

「ベル、この者に、媚びることも、頭を垂れる必要も無い」

 言葉の内容よりも何よりも、その声の主がここに居ることに驚いて振り向いた。
 予想通り、振り向いた先には、肩まで真っ直ぐ伸びた綺麗なココア色の髪を風に靡かせて、 エースのように怖い顔をした男性が立ちはだかっている。
「アル!」
 思わずその名を叫ぶけれど、私の言葉には反応せずに、アルはパパの顔だけを睨み続けていた。
 パパが、ゴクリと唾を飲み込む。けれど絶対に、アルの方を見ようとはしない。
 そこに、家の中からママが現れた。けれど、ママもアルを見た途端に固まって、あからさまに震え始めた。

 確実に、この三人は顔見知りだ。でも私には、どんな繋がりなのかが分からない。
 大体、アルは私のおかしな妄想世界の住人だ。
 だからこうやって、現実の世界に居ること自体が既に分からない。
 それでもこれは夢じゃなく現実で、だからこそ頭が余計に混乱する。

 分からないことだらけでも、聞かずにはいられない。
 ましてアルが両親のことを、とても怒っているように感じるこの状況なら尚更だ。
「ア、アル、パパとママを知っているの?」
「それは違う。お前の両親は、このような者たちではない」
「アル、何を言って……」
 アルの言葉が更なる混乱を招く。けれどそんな私の耳に、車のドアが閉まる音が届いた。

「じゃ、じゃあ、パパとママは行くから……鈴音、元気でね」
 車の窓を、ほんの少しだけ開けたママが、しどろもどろにつぶやいた。
「ママ、待って!」
 慌てて車へ走り寄ろうとするけれど、アルの腕が私の行く手を阻んでそれを止める。
 そして顎を高く持ち上げながら、私の両親へ向かって、最後の言葉を吐き捨てた。
「くれぐれも、このアルファードが宜しく言っていたとお伝えください」

 両親の乗った車が遥か彼方に消え失せて、それでも呆然とその場に立ち尽くす私にアルが囁いた。
「家の中へ入ろう。ここに居ても、何も解決してはくれないよ?」
 アルの言う通りだ。ここでずっと待っていても、両親が引き返してくるとは思えない。
 だから小さく肯いて、アルに支えられながら、トボトボと家に向かって歩き出す。

 ガランとした家の中を見渡して、やりきれない思いがこみ上げた。
「好かれている自信はなかったけれど、こうも簡単に親に捨てられちゃうとは……」
 情けなさにそうつぶやくと、アルがまた念を押す。
「ベル、何度も言うようだが、あの者たちはお前の両親ではない」
 そんなことを言われても、はいそうですかなんて、納得できるはずがない。
 それでも反論する気力も失せて、ただその場にへたり込んだ。

「記憶のないお前には、戸惑うことの連続だろうな……」
 アルが私の隣に腰を下ろし、優しく頭を撫でながら囁いた。
「お前が悲しむと分かっていても、見て見ぬフリはできなかった。これは全て俺が仕組んだことだ」
 その台詞に反応し、咄嗟にアルを見上げて聞き返す。
「アルが仕組んだこと?」
 けれどアルは悲しげに微笑むと、私の問いに答えることなく優しく告げる。
「全てを話してやりたいが、お前が自力で思い出さねば意味がない。俺にできることは、こういう形でお前を守ることだけだ……」

 なにもかもが分からない。それでもアルの話は続く。
「辛いだろうが、やがてこの家は処分されるだろう。だが今のお前を、バールに連れて帰るわけにはいかない」
「バールって……夢の中での出来事は、夢じゃないってことなの?」
 咄嗟にまた聞き返してしまったけれど、きっとこの質問にも、アルは答えてくれないだろう。
 アイちゃんと一緒だ。アイちゃんもこうやって、肝心なことは何一つ私に教えてくれずに笑って誤魔化す。
 一体、私は何を忘れてしまったの? これから私は、どうしたらいいの……

「ベル、それでもこれだけは忘れないでくれ。俺はどんなときでも、お前の兄貴だ」
 私よりも泣きそうな顔をしたアルが、私の髪にキスをしながら囁いた。
 優しくて強くて、いつだって自慢のお兄ちゃんだったアル。
 一瞬そんな想いが頭を過ぎったけれど、トラックのエンジンがかかる音に、その想いは跡形もなくかき消された。

 私の荷物を載せたまま、勝手に走り出すトラック。
「あ、え、あ? わ、私の荷物が……」
 慌てて立ち上がり、トラックを追いかけようと玄関に向かって振り返る。
 けれどそんな私の視界に、これまた予想外の人物が飛び込んできた。

「ア、アイちゃん?」
 お店の制服にコートを羽織ったアイちゃんが、ようやく気づいたかとばかりに、壁に凭れ掛かった姿勢から身を起こす。
 それでも貼り付けた笑顔は、いつものように超一流だ。
「鈴ちゃんの荷物は、僕の部屋に運んでもらうよう手はずしたからね」
 そうやって、首を傾げながら可愛く言っているけれど、一体いつからここに居たのかなどを、なんだか怖くて聞けないのはなぜだろう。

「僕の部屋は広いし、学校からも近いし、一石二鳥ね」
「い、いや、アイちゃん、あのね?」
 いつものように、勝手に話を進めてしまうアイちゃんに、両手を振りながら反論しようと試みるけれど、 アイちゃんの目線は、既に私ではなくアルに注がれている。

 なぜか呆れたように目をクルッと回してから、アルが渋々立ち上がると
「あ、鈴ちゃんのお兄様ですか? 初めまして、相坂と申します」
 そんなアルに向かって片手を差し出し、それはもう極上の笑みを浮かべて、尚もサラっと言い放つ。
「やっぱり兄弟だ。その綺麗なココア色の髪や瞳の色が、鈴ちゃんとそっくりですね」

 アイちゃんの言葉を聞いて、アルの体がグラっと仰け反り、片方の眉毛だけがギュンと持ち上がる。
 けれど気を取り直したのか、差し出された手を握り返しながら、アイちゃんに負けず劣らずな笑顔を浮かべて言い返した。
「ご挨拶が遅れました。我が妹が、いつもお世話になっております」
 それ以後は、まるで夢の中のエースとアルのように、無言のままアイコンタクトで会話をする二人。
 いや正確には、どちらも気持ち悪いほどの笑顔で、眉毛だけをピクピク動かす、眉毛コンタクトをしているって感じだ。

 初めましてと言い合う割りに、それっぽく見えないのはどうしてだろう。
 というよりも、私はこれからどうなるの?
 ま、まさか本当に、アイちゃんの家へ引越しちゃったりなんかしないよね?
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photo by ©Four seasons