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◇◆ Highest JN ◇◆
「シヴァ、うまく抜け出せたのか?」
「あぁ、全て予定通りに進行している」
「こっちは問題発生だ」
「何があった?」
「堀内が、ハイエストを使った」
「……最期まで余計な真似を……呉埜は?」
「大丈夫だ。JNは有り得ない」
「ネーシャ、油断するな。解っているとは思うが、JNは尋常じゃない――」


◆ セーフハウス正面玄関前――

「これより、セーフハウス内の捜索を開始する。犯人が潜む確立も高いが、セーフハウス入居者の女性も 間違いなく犯人と一緒に居る。よって、発砲は見極めるまで許可できない。以上だ」
 緊急班・機動部隊を率いる山崎主任の声が、セーフハウスの壁にぶつかりこだまする。
 人質と見られる女性の、安全確保が優先なこの任務。
 銃は装備しても、発砲は極限まで許されないという難しい内容だった。

 守りの機動班と、攻めのエージェント。
 同じ戦闘を要する部署だけれど、方向性は真逆だ。
 それでも呉埜司令官は、俺を機動班に参入させた。
 それがどんな意味を持つのかなど、この時の俺には解らなかった――

 機動班の山崎主任は、死んだ望月指揮官の同期であり、俺の先輩でもある。
 俺にとって、この二人の先輩は、憧れでもあり誇りでもあった。
 そんな尊敬し続ける先輩が、冷静さを装いながら震えた声を出す。
 だからこそ胸騒ぎが止まず、我慢ができずに山崎主任へと声を掛けた。

「どうしたんですか? 山崎先輩らしくないですね」
 イヤホンマイクを耳に設置しながら、一瞬躊躇った後、俺を振り返ることなく山崎主任が切り出した。
「窪野、お前は岩間司令官と現場に赴いたことがあるか?」
「いえ、俺が組織に入ったときには、既に望月先輩がトップでしたから」
「では、望月を強いと思ったか?」
「えぇ。望月先輩ほど強い人はいないと、今でも思っています……」
 けれど俺の答えに、なぜか失笑を漏らす山崎主任が
「あそこに木があるだろ? お前は、どのくらいであの木を折ることができる?」
 そう言いながら、セーフハウス玄関に植えられた、さほど太くない木を指差し俺に問う。
 その木を蹴り込む自分を想像した後、妥当と思われる回数を告げた。
「五回ほど蹴り込めば、余裕だと」
 けれど山崎主任の解答は、明らかに笑いを誘うものだった。
「望月ならば、一蹴りで倒すだろう。けれど岩間司令官は、一殴りで折る」

 望月先輩は、本当に強かった。
 傍に居て、何度も任務を共にして、その凄さを痛感していただけに、先輩が一蹴りで折るという話は解る。
 けれど、一殴りは有り得ない。それはもう、人間業じゃない。
「先輩、脅かさないでくださいよ」
 笑い飛ばす俺をよそに、ライフジャケットを着込み、ファスナーを上げる山崎主任の話は続く。
「大袈裟な話ではない。あの人が本当に俺の目の前でやったことだ。 そしてあの人は、そこら辺にあるもの全てを凶器に変える。だから銃を持っていたとしても、 あの人の前では無に過ぎない……」
 そう聞いても納得がいかなかった。だから、山崎主任に食って掛かる。
「武装した山崎先輩や望月先輩でも、岩間さんを止めることができないってことですか?」
 不意に手の動きを止めた山崎主任が、先に指差した木へ鋭い視線を向けて言い放つ。
「本気の岩間司令官を止められるとしたら、呉埜司令官しかいないだろう。だがそれでも、無傷というわけにはいかない」

 何かの冗談だと思った。なぜそこに、呉埜司令官の名がでてくるのかが解らなかった。
 確かに、呉埜司令官は切れ者だ。それは誰もが疑いようのない事実だと思う。
 けれど彼が銃を手にしていることも、自ら動くなどということも、目の当たりにしたことがない。いや、想像すらできない。
「呉埜さんは、エージェント経験などないはずです!」
 自分でもなぜだか分からない憤りを感じ、縋りつくように山崎主任を問い詰める。
 そんな俺に、山崎主任が更なる追い討ちを掛けて行く。
「あの人だけに許された特例だ。エージェント経験などなくても、管理職につくことができる器だったんだ」

「呉埜司令官も岩間司令官も、元は医者だ。それがどんな意味を表すかわかるか?」
「いえ……」
「人間の急所を、的確に突いてくる……さらに呉埜司令官には頭脳が。岩間司令官には破壊力が……どんな言葉で説明しても、それを味わったことのある者にしか、あの恐怖は解らない」
 その時の恐怖を、心の中で思い描いたのだろう。
 未だかつて見たことのない歪んだ表情を、山崎主任が浮かべた。
 そして、大きく息を吸い込んだ後、ゆっくりと吐き出される息に乗せて言った。
「望月にでさえ敵わないと思うお前が、あの人を相手にすることなど愚かな極みだ」
 その言葉で、ようやく理解した。
 山崎主任が震えた声を出した訳も、俺が部隊に参入させられた訳も。
「岩間さんが、ここに居るんですね。だから呉埜さんは、迷わず撃てと言ったんだ」

「そうだ。迷ったら最後、お前も俺も瞬殺されるだろう……」
 それを最後に、山崎主任は口を噤んだ。
 山崎主任の言う通り、俺はその恐怖を味わったことがない。
 きっとそれがどんなものなのか、半分も理解していないだろう。
 だからその時までは、自信があった。
 望月先輩がいない今、TOPエージェントは俺なのだから――

「A班は、俺と共に正面から。B班は、日向を先頭に裏から回れ。では、行くぞ!」
 覚悟を決めたように勢い付いた、山崎主任の指令が掛かる。
 アサルトライフルを肩に掛けた隊員が、何一つ知らされないまま頷き、一斉に散っていく。
 そして俺は、山崎主任の後を追いながら、セーフハウスに踏み込んだ。

「1−Jクリアです!」
 無線特有のひび割れた音が、肩口に取り付けられた受信機から流れる。
「1−Bクリア! 1−Cクリア!」
 左右のドアを確認する隊員の声も、後方から聞こえた。
「よし、B班はそのまま一階を。A班はこれから二階に回る!」
 俺の数歩先を行く、山崎主任の指示が飛ぶ。

 分厚い絨毯が敷き詰められた階段を駆け上がり、左に折れた瞬間、一箇所だけ開くドアが目に入る。
 用心深く進んでドアの脇に立ち、山崎主任と無言で頷き合った後、銃を構えて飛び込んだ。
 銃を左右に構え直し確認するが、何一つ不審な点はない。
「2−Fクリア!」
 大きく息を吐き出した後、無線に向かって叫んだ。

 その部屋から、出ようとした時だった。
 蒸気のような、蛇の威嚇のような湿った音が、廊下から一瞬だけ聴こえた。
 銃を構えながら咄嗟に振り返れば、後方に続くはずの部隊全員が、意識を失い床に臥せっている。
「窪野っ!」
 目の前に広がる光景に唖然とする俺に、山崎主任の怒鳴り声が響く。
 我に返った瞬間、目の前を白い紐が通り過ぎ、千切れる痛みが首に走る。
 そしてそれと同時に、凄みのある低くザラついた声が、耳元で発せられた。
「堀内はどうした」

「くっ……い、岩間さん……」
 声の主を悟り、苦痛に歪みながらも声を搾り出した。
 首に食い込む細長い物体を、力の限り振りほどこうともがくけれど、その力は弱まることなく俺の首を締め上げる。
「答えろ山崎、堀内はどうした」
 霞む目に、銃を握り締めながら狼狽する山崎主任の顔が映る。
 岩間司令官が俺を盾にしている状態では、発砲することができないのだろう。
 アサルトライフルを強く握りしめ、標準を逸らすことなく構えてはいるものの、明らかにいつもの山崎主任ではなかった。

「な、亡くなりました……」
 大きく唾を飲み込み、躊躇を消せないまま、上ずった声で山崎主任が答えた。
 けれどそんな山崎主任の一言だけで、瞬時に現状を判断し
「なるほど。そして俺は、堀内殺しで囚われる寸法か」
 乾いた笑いを漏らしながら、岩間司令官が言い放つ。

 一瞬の隙をつき、力任せに右肘を振り下ろした。
 けれど岩間司令官は、片手で俺の首を絞めたまま、俺の振り下ろした肘をいとも簡単に止め、逆に鷲づかみに握りつぶす。
 肘の骨が砕けていく余りの激痛に絶叫を上げるけれど、気道を塞がれた状態ではただの掠れ声にしかならない。
 山崎主任の声が、頭の中を駆け巡る。
「それを味わったことのある者にしか、あの恐怖は解らない……迷ったら最後、お前も俺も瞬殺されるだろう……」
 昔、一度だけ聞いた望月指揮官の言葉が、それに雑ざる。
「俺は、どう足掻いてもハイエストにはなれない。上には上がいるんだよ……」
 今、全てを理解した。けれどそれには遅すぎた。
 殺られる……この人にとって、俺は尾にたかる蝿に過ぎない――

 全てを諦めたその時だった。
「呉埜か……」
 微動だにしないまま、岩間司令官がつぶやいた。
「そうだ」
 背後から、朦朧とする俺にも解る、決然とした声が響く。
 その声と同時に突き飛ばされ、ようやく岩間司令官から解放された俺は、無我夢中で銃を構え直して振り向いた。

 振り向いた先には、丸腰の呉埜司令官がたった一人で立ちはだかり、 崩れることない能面のような表情で、岩間司令官の背中を見据えていた。
 手を一度だけ横に振り、銃を下げろと無言で制する呉埜司令官の指示通り、 山崎主任が目を逸らすことなくゆっくりと腕を下ろしていく。
 けれど俺は、腕を下げることができなかった。
 小刻みに震えながら、激痛の走る右腕を垂れ下げたまま、左手は岩間司令官を狙い続けた。
「窪野、銃を下ろせ」
 前方脇から、山崎主任の声が耳に届く。
 それでも身体は恐怖で固まったまま、依然として指は引き金に掛かっていた。

「麻酔銃か」
 岩間司令官の首筋を見つめて、呉埜司令官が言葉を放つ。
 その言葉で、岩間司令官が自分の首筋にゆっくりと手を翳した。
 けれどその後は、誰も何も言わない。気持ち悪いほどの静寂さが辺りを包む。

 内臓が耐え切れず、思わず吐き気がこみ上げる。
 息をしただけで、殺されると思えるほどの殺気と隙のなさ。
 幾度も任務をこなしてきた。何度も危険な場面に遭遇した。
 けれど、こんな緊迫感と恐怖を強いられる現場は初めてだ。
 指一本動かせない。動かした瞬間、どちらかが動く――

「呉埜、場合によってはお前を殺す」
 岩間司令官が、呉埜司令官に背を向けたまま不気味な静寂を破る。
 目を閉じたままの呉埜司令官が、半歩だけ前に進みながら静かに答えた。
「構わない――」

 一息飲む間の、一瞬の出来事だった。
 瞬きをしたつもりはない。目を逸らしたわけでもない。
 なのに俺は、完全に二人の動きを捉えることができなかった。
 何が起きたのか把握することができないまま、呉埜司令官が壁に弾き飛ばされ、岩間司令官が床に片膝を着く。

 迷えない。迷わない。今を逃せば勝機はない。
 だから俺は、大声で叫びながら、体勢の崩れた岩間司令官に向けて発砲した――

 けれど、たった今その場に居たはずの岩間司令官の姿は既になく、代わりに俺の耳元で囁かれる言葉。
「いい判断だ。だが甘い……」
 その声と同時に手首に激痛が走り、俺の銃が床を滑る。
 回転しながら滑る俺の銃を、呉埜司令官が素早く優雅に拾い上げ、感情の宿らない機械のような声でつぶやいた。
「ご苦労だったな、窪野」

 そして、たった一度だけ引き金を引いた――
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photo by ©かぼんや