青マリン

2023/04/02
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319.箱の中身はなくなっていない




「女の子に戻すのは今は無理」
「じゃあ取引不成立だな」

 サヤを抱き上げてその場をさっさと去ろうとしたローの服を後ろから掴んで、オーハは「でもそれ自業自得だから!」と言い募った。

「はぁ?」
「性転換薬を作るジェンダの鉢植えが倒れて、実がダメになっちゃったの! どっかの海賊が店をぶった切ったせいで!」

 サヤに「ほら」と言わんばかりの目を向けられて、ローは気まずさから横を向いた。

「八つ当たりで暴れちゃダメだよ、キャプテン」
「……反省してる」

 まさか自分がサヤを女の子に戻す機会を潰していたとは思わなかった。
 オーハは満足げだ。それにイラッとして、ローはサヤを下ろすと再び彼女の頭をギリギリ片手で握った。

「元はと言えばお前のせいだろうが」
「それだって元はあんたが置いてくからでしょー!」

 コルダが呆れた様子で「仲良しさんねぇ」とつぶやき、「どこが!」とローとオーハは見事にハモった。

「そう思うわよね?」

 コルダに振られて、サヤは口をとがらせて頷いた。

「キャプテン、女の子とケンカするほど本気で好きになっちゃうの」
「なるわけねぇだろ!」

 ローは全力で否定したが、サヤは信じていないようだ。もともと女子とケンカなんて面倒くさいので、サヤとしかしたことがない。

「可哀想に。お姉さんが慰めてあげるわ」

 コルダはかがんでサヤにキスした。唇である。
 ローはサヤを能力で取り寄せたが一瞬間に合わず、やられた。

「ぶっ殺すって言っただろうが!!」

 袖でサヤの唇をごしごし拭いてローは切れ散らかした。

「美少年だからつい」

 ぺろりと唇を舐めてコルダは悪びれなかった。現在男の子のサヤはどぎまぎしていた。悪い兆候である。

「何なら男の子の愉しさ、お姉さんが手とり足とり教えてあげるわ」
「引っ込め、エロ女!!」

 刀を抜く一歩手前までブチ切れてローはサヤを囲い込んだ。あんなのの毒牙にかかったらサヤが汚れる。

「せっかく男の子になったんだもの。女の子じゃ出来ないこと体験してみたくない?」

 蠱惑的にコルダは誘い、なんでもやってみたがるサヤはちょっと興味を引かれている。

「引かれんなよサヤ。骨までしゃぶり尽くされるぞ」

 ふらふらサヤがコルダに近づかないように抱き上げて、がっちり拘束しながらローは言い聞かせた。

「でも……教えてもらったらキャプテンが浮気する心理がわかるかも」
「わかんなくていい!!」

 サヤは不満そうだ。八つ当たりで物を壊しまくるのはよくないと言われたので、ローはサヤを下ろすと壁に押しつけてキスしまくった。
 オーハとコルダに見られているのでサヤは抵抗したが、力ずくで押さえつけて貪った。そうでもしないと頭が沸騰しそうだった。

「きらい……!!」

 ようやく手を離すと、泣きながらサヤに責められた。やりすぎたと自覚したときにはもう遅く、謝る前に逃げられた。
 あーあ、という目でオーハとコルダには見られた。

「なんだよ、文句あんのか!?」
「ないわけないじゃん。さすがに可哀想だよ、あれ」
「眼の前で暴力見せられて気持ちいいわけないでしょ」

 女たちの物言いは辛辣だった。
 自分が悪いとわかってるだけに言い返せず、顔を覆ってローはしゃがみこんだ。

「なんでこうなんだよ……」

 ひそひそとオーハとコルダは言い合った。

「意外とストレスに弱いっぽいね」
「構ってちゃんタイプなのね」

 好き放題の言われようだ。

(こいつら完全に俺をオモチャだと思ってやがるな……)

 とにかくサヤを探さないといけなかった。
 しばらく許してくれないかもしれないが、そうだとしても安全な場所にいてほしい。
 無言で歩き出したローを、慌ててオーハは追いかけた。

「待ってよ! 私を襲った人間を始末するって言ったじゃん!」

 オーハの方を見もせずにローは答えた。

「サヤを女の子に戻すのが条件って言ったろ」
「戻すよ! 約束する。でもジェンダの実が駄目になったのは船長のせいだろ!」
「船長って呼ぶな。お前の船長じゃない」
「そこ!?」

 病院から出て周囲をざっと見回しても、サヤの姿は見えなかった。

(ベポのところに泣きつきに行ったか……?)

 サヤのビブルカードを取り出すと、船を停泊させている位置とは逆方向に動いた。リシュたちがねぐらにしている廃教会に向かっているわけでもなさそうだ。

「ひ……っ」

 何かに気を取られてオーハが息を呑んだ。腕に抱きつかれてローは思わず振り払おうとしたが、肩を震わせて本当に怯えた様子に思いとどまる。

「……ただのカラスの羽だろ」

 オーハが怯えた黒い羽を拾い上げてローは言ったが、オーハは顔も上げられなかった。

「違う……黒い羽は奴らのシンボルなんだ。監視してるって証拠だよ。まだ終わってないって言ってる」

 黒い鳥が飛んだ。羽音にオーハが悲鳴を上げる。腕に抱きつかれて、ローはとっさに刀が抜けなかった。
 街路樹に止まったのはクロツグミだった。瞬きの間に、鳥は男の姿に変わった。

「刺したのはあいつか?」

 怯えて真っ青な顔でオーハは頷いた。
 刀に手をかけてローは男を見据えた。

 黒い服はどこかの民族衣装をうかがわせた。痩せた印象だが、筋肉はよくついている。
 目元まで覆う兜をかぶっているので目は見えない。口元は冷ややかに閉じられている。

 刀を抜きそびれたのは痛手だったとローは感じていた。鬼哭は刀身が長いので抜くのに時間がかかる。抜刀勝負になればローは不利だ。

(もたつけば、奴は鳥のスピードで動く)

 人間の目では追いきれない。
 男が手を開いた。ローは攻撃を警戒したが、男の目的は別だった。
 その手にあったのは大きな黒い羽。それが鏡のように反射して、意識のないサヤの姿が映った。

「サヤ……!?」

 反対の手を男が振ると、黒い羽が凶器のようにローたちを襲った。
 オーハを連れてローはその場を飛び退いた。
 黒い羽が刺さった地面や木は、織り込まれるようにして消え、あとには黒い羽だけが残った。

(あの羽、物を閉じ込めるのか……!)

 サヤも同じように閉じ込められた。それを示すために男は羽を放ったのだ。

「てめぇ……うちのクルーを攫ってただで済むと思うなよ」

 ローはブチギレ寸前だった。どんな理由があろうとサヤに手を出されて黙っている理由はない。
 それだけであの男はローの中の『殺すリスト』にランクインした。

「……慈悲だ」

 黒い手袋を嵌めた手でオーハを指差し、男は言った。

「なに?」

 震えて声の出ないオーハの代わりにローは詰問した。

「殺すのは簡単だったが生かしてやった。己の罪深さを悔いる機会を与えてやったのだ」

 冷たい声で彼はオーハを責め立てた。

「なぜ理解しない? なぜ考えようとしない? 黒翼はお前にさえも慈悲をかけているというのに。お前は逃げ回るだけで責任を果たそうとしない。行く先々で人々を不幸にしてもまだわからないのか?」

 ローは理解した。こいつは完全に話の通じないタイプだ。
 オーハには思い当たる節があるのか、ぎゅっとローの袖を握った。
 それを振り払ってローは刀を抜き、能力領域を広げた。

「てめぇらの事情なんかどうでもいい……!!」

 オーハのために戦う気もなければ、事情を知りたいとも思わない。サヤを取り戻したら、勝手にやってろというのがローの本音だ。
 入れ替えでサヤの羽を取り戻せたら一番だが、他の羽に混じってしまって見分けがつかなかった。羽から戻させるためにも、男を一度ぶちのめして言うことを聞かせる状況にしなくてはならない。

 男の立っていた街路樹をローは能力で切り刻んだ。足場を奪い、あわよくば直接切り刻むことを狙ったが、男はクロツグミの姿になるとひらりとローの斬撃をかわした。

(クソ……っ)

 こいつを見たとき嫌な予感がした。飛行島の青血至上主義者・アルタイルに雰囲気が似ていると思ったのだ。
 動きが精緻で素早く静か──戦い方が大雑把なローとは相性が悪い。しかも能力がある分、アルタイルより厄介だ。

(飛ばれたら逃げられる。それだけは防がねぇと……!)

 サヤを失いたくない。その焦りで冷静さを欠いている自覚があった。わかっていても焦燥感は消せない。

「シャンブルズ──!!」

 近くの小石とクロツグミを入れ替える。ローは鳥を踏みつけて刀を振り下ろした。
 鳥は人型に戻ると刀を持つローの手を下から蹴り飛ばした。刀が落ち、拾おうとしたローを鋭利化した羽が阻む。

 飛び起きた男をローは殴り飛ばした。なりふり構う余裕がない。サヤを早く取り返すことで頭がいっぱいだった。

 殴った瞬間、男は体を後ろに引いていた。ほとんどダメージはない。
 ローは追撃を入れようとしたが、男の足がローの顎を蹴りぬいた。

(クソ、こいつ体術……!)

 ケンカに慣れているという次元ではない。10年以上、ひたすらに武道の訓練を続けたような正確な動きだ。
 衝撃で脳まで揺らいで視界が歪む。それでも逃すまいと、ローは男の服を掴んだ。
 鋭利化した羽が全身に突き刺さる。それでもローは離さなかった。

「サヤを返せ……!!」

 男がムッとしたのが空気でわかった。思い切り腹を蹴られてローは吹っ飛んだ。

「てめぇ……」

 刀を拾ってローは睨みつけた。まだ頭がぐらぐらする。
 ローから距離を取って、クロツグミはひらりと街灯に止まった。

「……海賊風情がこの子に触るな」

 睨みつける冷たい眼差しに、ローは勘違いを知った。

「……お前、誰だ」

 オーハの敵で、ローやサヤには関係ないと思っていた。
 だが違う。こいつはサヤを知っている。それも──。
 鳥から人獣型に姿を変えて、男はローを見下ろした。

「シヴァール寺のトルド・ゾア。サヤが七つの年まで同じ島で一緒に育った。……人買いに拐われて、海賊に売られるまで」

 ゾアの目は怒りと憎しみに満ちていた。
 ローは何も言い返せなかった。自分が海賊なのはまぎれもない事実だ。
 だがそれよりも──。サヤのことを愛し、慈しみ、ずっと探して、身を案じていた人間がいたことにローはひどく動揺して、何も言えなくなってしまったのだ。
 海賊であるローなんかより、間違いなくサヤにふさわしい居場所だろうと思ってしまって──。

 冷ややかな目で、ゾアはオーハを見た。

「……バドガオンで待つ。逃げ続けたければ好きにしろ。逃げるならお前はジュレイの民ではない。誇りを地に落としても惨めな生にしがみつきたいのなら」

 鳥は飛び立った。
 かつてサヤと別れたように。

「ROOM──!!」

 失いたくない一心で、ローはサヤを取り戻そうとした。近くの小石や草と、ゾアの羽を片っ端から入れ替える。
 黒い羽が無数に飛び散った。だがどこにも、サヤの気配がない。

 クロツグミはうっとうしそうにローを見た。

「サヤを返せ……!!」

 ゾアは一枚の羽を投げ捨てた。
 サヤの姿が映った黒い羽にローは飛びついた。

「……執着は視野を狭くする」

 フェイクだと気づいたときには、ゾアはROOMの届かない遥か上空に飛び上がっていた。
 そしてあっという間に飛翔し、鳥の姿は見えなくなった。

「畜生……!!」

 サヤは連れ去られた。
 ローの目前で、ローの無力さ故に。

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