318.そうそう死なないだろ
「旦那! 大変だよ!!」
朝。リシュはローとサヤの泊まっているホテルに駆け込んだ。
「……ああ?」
上半身裸でドアを開けたトラファルガー・ローは超絶不機嫌だった。
リシュは余命を悟った。まだ子供だけど残りの寿命は3秒しかない。親には恵まれなかったが、いい船長に会えてそこそこ幸せだった。ありがとう──。そんな回想をしていたら、ため息をついたトラファルガー・ローに中に招かれた。
「え、いいの? 日課の朝の人殺し中だったんじゃないの?」
「なんだそのクソみてぇな日課は……」
人殺しじゃなくて拷問だろうか。次の獲物に自分がなるのか──そんなことを考えていたら、奥からサヤが顔を出した。
「リシュ?」
(うっわサヤちゃん……エッロ!!)
ぶかぶかの男物のパーカーだけを着て、白い足はむき出し。しかも太ももや首には無数のキスマーク。
日課を完全に取り違えていたことにリシュは気づいた。邪魔されて機嫌も悪くなるわけである。
(えー……でもサヤちゃん今、男の子なんじゃなかったっけ?)
そっちの趣味もあったのかとトラファルガー・ローを見ると、後ろめたい部分はあるのか、睨まれた。
「なんか文句あんのか」
「ないです何も思ってません!」
文句でもつけようものなら朝の日課の人殺しの餌食にされそうである。
ローの眼光に気づいていないサヤは「キャプテン、裸だと風邪引いちゃうよ?」とローのパーカーを持ってきた。
とたんにトラファルガー・ローの態度は軟化した。
「俺よりサヤがもっとちゃんと着ないとだろ」
声は楽しそうにからかうようで、目は限りなく優しかった。この変わり身はもはや詐欺師のレベルだとリシュは思う。
むーとサヤは口をとがらせた。
「キャプテンが脱がせたのに」
「俺は見てもいいけど他の奴に見せちゃダメだろ」
ローの心配はもっともだったが、サヤはいまいちよくわかっていないようだ。女の子のときもこれではローの気苦労が忍ばれる。
(サヤちゃんってなんか隙だらけだからなぁ……その分旦那が猛獣みたいに威嚇警戒してるけど)
半裸の彼はサヤにパーカーを着せてもらって、お礼とばかりにキスしまくっている。
忙しいから帰れ、とリシュは手を振られた。
「別に邪魔なら帰るけどさぁ……俺らに人探しさせたの旦那だろ? 見つかったよ。……昨夜刺されて、いま病院だって」
サヤがローを見上げた。
「俺じゃない」
ローは否定したが、リシュはここに来るまでちょっと疑っていた。
彼が犯人じゃないなら何よりだ。リシュは仕事を果たして、報酬はきっちりもらえるだろう。
◇◆◇
「あいつどんだけ恨み買ってんだよ……」
「キャプテン、そういう言い方はよくないよ」
病院に向かう道すがら、ローはサヤにたしなめられた。
確かに女を刺すのはやりすぎだとローも思わないではないのだが。
「刺したくなる気持ちはよくわかる」
「……本当にキャプテンじゃないよね?」
不安そうに疑いの目を向けられて、ローはサヤの頭を帽子ごとぐしゃぐしゃにした。
「昨日は一日中一緒にいただろ」
アリバイ証人に疑われては困る。
昨日、リシュにオーハ探しを依頼したあと、ローはホテルに戻ってサヤといちゃつくつもりだったが、ホテルに戻るなりサヤは「キャプテン、遊園地で夜もパレードやってるよ!」と窓に張り付いて、離れなくなってしまった。
キラキラした目でずっと行きたそうにしているので、ローはサヤを遊園地に連れて行った。サヤはパレードと花火に大興奮で、歌と踊りを10曲近く暗記して、帰る道すがらもローに歌と踊りを披露して、ホテルに戻ったらそのまま寝てしまった。
(まあ、昨夜いちゃつけなかった分は朝に取り返したけどな……)
ローとおそろいの大きめメンズパーカーを着たサヤをちらりと見ると、ゆるんだ胸元から綺麗な鎖骨が見えて、ローが付けたキスマークも一緒に覗いていた。
自分のものだという印を確認できて顔がゆるみそうになったがこらえ、ローはサヤのパーカーのジッパーを上まできちんと引き上げた。サヤの鎖骨は誰にも見せたくない。
「寒くないよ?」
サヤは不思議そうだが、「そのほうが可愛い」とローは丸め込んだ。
サヤは一瞬嬉しそうな顔をしたものの、ハッとして頬をふくらませた。
「どうした?」
「今は男の子だから『可愛い』は嬉しくないもん。カッコいいって言われたいの!」
あれだけ普段『可愛いと言われたい症候群』のサヤからそんなセリフが出る日が来るとは。
「カッコいいって言われたい奴は頬をふくらませないだろ」
ローが指摘すると、サヤは焦って頬を引っ込めた。
「そ、そんなことないよ。リスさんとか!」
「リスってカッコいいか?」
「可愛い!」
「じゃあサヤも可愛いだろ」
「……あれ?」
サヤは目を瞬き、ローは大笑いしそうになるのをこらえた。本当に可愛くて面白くて困る。
「もー。これからお見舞い行くのに。キャプテンふざけてばっかり。心配じゃないの?」
サヤが女の子に戻れるかどうかはとても心配しているが、オーハのことはそれほど。しかしそれを正直に言ったらサヤに嫌われそうなので、ローは適当に濁した。
「サヤこそ意地悪した相手をよく心配するな?」
「だって痛いことされたわけじゃないし……意地悪されたのはキャプテンが悪いし。刺されて欲しいなんて全然思ってなかったよ」
「サヤは優しいな」
本心から言って、ローはまだ乱れたままのサヤの頭髪と帽子を整え直した。
「……本当にキャプテンじゃないよね?」
「……サヤの中で俺って相当陰険なイメージなんだな」
昔、コラさんのことは刺したからそういう気性だと言われれば反論できないのだが。
「バラバラにしても刺すのはやらないかなぁとも思うんだけど……頭に血が上ったらわからないかなって」
サヤはひたすら心配そうだった。口にこそしないが、また吸血鬼状態になったらわからないと不安なのだろう。
あれぐらい追い詰められたら、確かに人ぐらい刺すと自分でも思う。
「……オーハのことは刺してない」
はっきり言い切ると、サヤは安心したようだった。ローの腕に抱きついて「心配だね」とささやく。
ローの考えはサヤとは逆だった。
「ああいう奴は早々死なねぇだろ」
◇◆◇
ローの予想は大きく外れた。
病院でオーハの病室を尋ねると、集中治療室だと言われたのだ。
中には入れなかったが、ガラス越しの廊下の前にベンチが置かれており、そこには心配そうな顔で付き添うコルダがいた。
「意識不明の重体?」
コルダからオーハの容態を聞いて、ローはうめいた。
サヤはガラス越しにベッドに横たわるオーハを心配そうに見つめている。
「どこのどいつだ、刺したのは……」
低い声で言うローにコルダは「わからないの」と答えた。
「店はあなたに切られた後片付け中で、営業はしてなかった。外から部外者は入って来てないはずなのよ。なのに気づいたときにはオーハは部屋で倒れてて……」
ローと険悪になっても気にしなかったコルダが涙ぐんでいる。店の代表者として責任を感じているんだろう。
「やったやつを誰も見てねぇのか」
悔しそうにオーハは頷いた。
「心当たりは?」
「一番疑わしいのはあなたなんだけど」
「俺じゃねぇよ」
まったくどいつもこいつも。
「サヤを戻させる前に刺すわけねぇだろ」
男の子のままのサヤをちらりと見やって、それもそうかとコルダは頷いた。ローの信用はゼロである。
「……でも、頭にきたら人間って結構やらかすものでしょ?」
上目遣いで見てくるコルダは疑り深かった。今まさにローが頭にきたらどうする気なのか。
サヤまで心配そうにこっちを見てくる。間違いなくローは第一容疑者にされていた。
「……あいつの島のいざこざは?」
本当は出来ればその話には触れたくなかった。
娼館を取り仕切るマダム・シュミットは、国の問題を抱える娘をローに関わらせて、強制的に巻き込んだ前科がある。今回もあの性格の悪いマダムが裏で糸を引いているような気がしてならなかった。
「よくは知らないのよね。もしオーハを狙う人間がやったなら、私たちじゃ守りきれないわ」
(俺を見るな俺を)
ローにはまったくその気はないのに、サヤは『大変!守ってあげなきゃ!』となっている。
キャプテンも当然守ってあげるよね?という目をサヤを向けられて、天井を仰いでローはいろいろ諦めた。
「……俺たちは明日出航する。それまでにオーハが目を覚まして、サヤを女の子に戻すのが条件だ。それが出来たら、オーハを襲った人間は俺が始末してやる」
コルダの目がキランと輝いた。ローは嵌められたことを悟った。
「言質取ったわよ、オーハ!」
集中治療室のオーハがむくりと起き上がり、サヤが飛び上がってローの後ろに隠れた。びっくりしたのと、まだオーハが怖いらしい。
痛そうに腹を押さえながらオーハは集中治療室から出てきた。
(歩けるんじゃねぇかよ……!!)
「じゃ、そういうことでよろしく」
「よろしくじゃねぇ……!」
オーハの頭をむんずと掴んで、ローは「まずサヤに謝れ」と強制した。
オーハはものすごく不満そうに、腕を組んで、小さな声で「悪かったわよ」と言った。
謝罪の雰囲気は微塵もなく、サヤは困惑している。
「ちゃんと謝れ」
ローがぎりぎりと頭を掴む手に力をこめると、オーハは「ごめんなさい、悪かったです!」とやっと謝った。
「いいよ」
サヤは優しいのでオーハの謝罪を受け入れて許した。
「でも女の子には戻してほしい。男の子でいると、キャプテン意地悪ばっかりするの」
何したの?とジト目でローはコルダに見られた。
男の子でも可愛いから犯しまくって、男の子なのにやらしいなと散々煽った件は他人には言えないのでローは黙秘を通した。