317.黒翼の刺客
「リシュ、みんな! 久しぶり! 差し入れだよ!」
大量の焼肉弁当を持ってサヤとローが訪れたのは23番GRにある廃教会だった。
孤児たちのねぐらであり、初めてシャボンディ諸島に来たとき、ローとサヤは彼らのトラブルに巻き込まれた──もとい、サヤが首を突っ込んだ。
「サヤちゃん!」
サヤと焼肉弁当を歓迎して、子どもたちは群がった。ローのそばには誰も近寄ろうとしなかったので、大量の弁当が入った紙袋を下ろすと、ローは礼拝用のベンチに座った。
「なんかサヤちゃん、感じ変わった?」
メンズのパーカーを着て髪も帽子に押し込み、いつになくボーイッシュな格好のサヤを見てリシュは言った。
リシュは廃教会のスリで、ローの財布も盗んだスルスルの実のすり抜け人間。元はジャンバールの船で見習いをしており、天竜人から船長を取り戻すため、ローと取引してヒューマンショップにも忍び込み、情報を取ってきた。
「似合うでしょ。いま男の子だから!」
「は?」
ローはリシュにメモ書きを渡した。
「その件で来た。この島である女を探してる。弁当食ったらガキどもを動かせ」
オーハの特徴が書かれたメモ書きを受け取り、赤毛のリシュはまじまじとサヤを見た。
「本当に男の子なの? 下も付いてる?」
「うん。見る?」
ローは能力でサヤを取り寄せた。
「サヤ。むやみに見せるもんじゃねぇだろ」
「男の子同士ならいいかなって」
「中身は女の子だろうが……」
いいから弁当食ってろと、ローはサヤを隣に座らせて焼肉弁当を渡した。
空腹だったサヤはもぐもぐ食べ始めて大人しくなった。
「すっごく美味しいよ! キャプテンも食べて!」
「ああ」
美味しいものを見つけると、サヤはローが食べるまで勧めてくる。サヤの隣で、ローも弁当の蓋を開けた。
「このオーハって、サロン・キティの姉ちゃんだよね?」
ローとサヤの前にリシュは座って、弁当を食べながらメモ書きのことを尋ねた。
「リシュ、知ってるの?」
「サロン・キティの姉ちゃんたちは、たまにここに様子見に来てくれるよ。働きたい子がいれば世話するって。俺らは自由気ままな生活が気に入ってるから、わざわざ客取って働きたいって奴はあんまりいないけど」
だがオーハのことはあまり知らないとリシュは語った。
「サロン・キティに来て、まだ一年になってないんじゃないかな。他の姉ちゃんにくっついて来ても、ほとんど話さないし暗いイメージだった。サヤちゃんに何かするようなタイプには見えなかったけど」
「キャプテンが意地悪したから怒って、私が意地悪されたの……」
「旦那のせいじゃん」
リシュに白い目で見られても、ローは無視した。サヤにも改めて非難の目を向けられて、ローは食べ終わった箸を置いた。
「俺に腹立ててるなら俺にやり返せばいいだろ。サヤに変な薬飲ませて性別変えるとか、やり方が陰険なんだよ」
「キャプテンが言う……?」
「旦那だってわりと性格陰険だろ」
サヤとリシュにそろって言われてローは憮然とした。
「とにかく。船は二日後に出港する。それまでにオーハを見つけて解毒剤を手に入れなきゃサヤは男の子のままだ。バイト代は弾むから、ガキども使って死ぬ気で探せ」
「いいけどさー。向こうも旦那が切れ散らかしてるの知ったら死ぬ気で隠れるんじゃないの?」
サヤはこくこく頷き「私でも隠れる……」と完全同意だ。
「……俺ならサヤがどこに隠れてても見つける。てめぇらも探せ」
はいはい、とリシュは頷いた。
サヤは不服そうにローに抗議した。
「私が本気で隠れたらキャプテンは見つけられないよ?」
着ぐるみで隠れていたときのことらしい。確かにサヤに本気で隠れられたらものすごく面倒ではあるが。
「俺は見つかるまで絶対諦めないから、早いか遅いかだけの違いだろ」
隠れるだけ無駄だと笑って、ローはサヤの口元に付いていた米粒を口で取った。サヤはドギマギしていて、ちょっといい気味である。
◇◆◇
サロン・キティに戻ると店がぶった切られていてオーハは呆然とした。
「トラファルガー・ローよ。怒り狂って大変だったの」
コルダに経緯を説明されて、オーハは立ち尽くした。まさか自分のせいだとは。
「さすが億超えの海賊はスケールが違うわ」
諦めた様子でコルダは箒をかけている。他の娼婦たちも片付けに回っていた。しばらく営業は出来ないが、幸い人的被害はなかったので悲壮感はない。
「あの、その……」
どう謝っていいかわからず、オーハは自分の服を握りしめた。
ちらりと見やって「安心しなさい」とコルダは言った。
「責任とらせてあなたを追い出したりはしないから。ただまあ……今は彼も怒り狂ってるでしょうから厄介ね。マダムにも相談したけど、『あの子に手を出したら怒って当然』って言われちゃったわ」
あの子を特別扱いしてるのは周知の事実だったと知らされて、オーハはなんだかとても惨めな気持ちだった。
オーハだって最初からあんな意地悪をするつもりはなかった。
ローと一緒にクロスワードをしたのが楽しくて、あれから専門のパズル雑誌も買ったし、らしくないなと思いながら辞書も読んだりした。
次の機会があるかどうかわからないが、楽しみに待つ自分に気づいたとき、好きなんだと知ってドキドキして舞い上がりそうだった。
船乗りは次にいつ来るかわからないから、積極的にホテルに誘った。好きだから、うんと尽くして気持ちよくしてあげようと思った。そうしたらまた会いに来てくれるかもしれないと思って。
でも彼はオーハのことなんか眼中になくて、一人で置いていかれた。振られるなら仕方ないけど、何も言わずに、面倒を避けるように置き去りにされたのだ。
ちょっとくらい仕返ししたって許されると思う。
(まあ、あの子にやったのは悪いと思わなくもないけど……)
気に入らなかった。
せっかくホテルに誘っているところを邪魔されて、しかも彼はオーハのことは置いて行っても、あの子のことは連れて行った。ホテルに行くのを了承したのも、あの子が行くと言ったからだ。
オーハは彼女のためにダシにされたのだ。
それが腹立たしかったのもあるし、彼に仕返ししたところで歯牙にもかけないだろうから、よりダメージを与える相手を選んだのもある。
単純にローが怖かったのも事実だ。クロスワードをしていたときは良い人に見えたのに、実際はそうでもないようで、でも仕返しはしたいし、つい弱そうな相手を狙ってしまった。
(別に実害のある薬じゃないし……)
その気になったらもっとえぐい効果の薬もたくさんあるが、さすがにオーハにも最低限の良識はあった。
トラファルガー・ローがまたやってきて店にさらなる危害を加えられたらたまらないので、オーハは解毒剤を用意しようと自分の部屋に向かった。
「うそ……」
大量の鉢植えやプランターが置かれたオーハの部屋は、店ごとぶった切られた余波でめちゃくちゃになっていた。
オーハは真っ先にジェンダの鉢植えに駆け寄ったが、鉢は棚から転がり落ちて、実はすべて潰れていた。
(これがなきゃ性別転換薬は作れないのに……!)
予備を作っておくんだった。実を摘んでしまうと処理が面倒なので、つい後回しにしていたオーハの怠慢だ。
オーハは鉢を起こして土を戻し、ジェンダの木を植え直した。希少な木だが、生命力は強い。これでダメになることはないだろう。
問題は怒り狂ったトラファルガー・ローが再度店に来る前に、実が取れるかどうかだ。たぶん無理だと思う。
(……失踪するべき?)
迷惑をかけた店の姉さんたちには悪いが、ジェンダの実が取れない以上オーハにできることはない。
ここにいてもトラファルガー・ローを激昂させるだけだと思う。
それより解毒薬を持って逃亡したと証言してもらうほうが、彼の目は店から逸れるだろう。オーハの危険はより増すが、店のためにはそのほうがいい。
(私の人生……逃げてばっかり)
それが最善手だとわかっていても、体が重くて動かなかった。
オーハは太古の森を守り祀るジュレイ族。一族の者は森から出ることなく一生を終える。慣わしに従い、オーハもそうなるはずだった。
一族は今、滅びかけている。最高術師のみが精製法を知る、ある薬を狙って、外の人間たちからの襲撃を受けたのだ。一族に伝わる薬の製法を残すため、戦いの中でオーハだけが逃された。
マダムの手を借りてシャボンディ諸島に潜伏しているが、帰れる目処はないし、これからどうしていいかもわからない。
一族は死に絶えているかもしれないし、奴隷にされているかもしれない。こんなところで腐っている場合ではないのだが、オーハには一人で戦う才覚もない。
マダムに相談したらあまり気に病まず、気分転換に男と寝てみるといいと言われ、トラファルガー・ローを勧められた。オーハも彼のことは好きだったから、いい気分転換になると思ったのに、結果はこれだ。
(すごくみじめ……)
オーハには一族の命運を背負って戦うほどの強さもないし、女の子としても相手にされない。
自分にはなんの価値もないんじゃないかと思えて、とても辛かった。
だが嘆いたところで何も変わらないし、トラファルガー・ローもオーハに同情はしてくれないだろう。今はとにかく、彼から逃げるしかない。
起き上がろうとして、オーハは音もなく背後に人が立っていたことに気づいた。
「祈れ。黒翼のために」
それは、森を焼いた奴らの言葉。その手には鈍く光るナイフがあった。
それが突き刺さった後のことは、オーハにはわからなかった。