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第17話 襲撃と再会、そして

ゲフェンダンジョン四階。
ひどく憔悴した様子のファルは息を殺し、すこしでも体力の回復を期待し身を隠していた。
あれほど恐れていた魔力は枯渇状態となり、尽きた魔力では足に負った傷を治すことすらできず、額に滲む血の混ざった汗を拭いながらマリアに受け取ってもらう事のできなかった蝶の羽を引き裂いてみる。
しかし、発動するはずの帰還魔法は効果を発揮せず、ファルは諦めたように肺の空気をゆっくり吐き出す。
 (…絶望的だな…)
魔力を継続的に失うこの場所では、いくら待てど魔力が自然回復することはなく、衰弱してゆく一方。
また、身を潜めている現在地も四階のどこであるか、もはや見当すらつかない。
 (…ナル、どうしてるかな…)
弟子の顔を思い出しつつ、ファルは先ほど首の皮一枚で離脱した戦線を思い出す。


共に調査を進めていたファルとマリアは、とうとう転送装置まで辿り着くことはできた。
そう、辿り着いたのだ。
しかしそこはもはや帰還できるような状況ではなく、マリアは剣を抜き今から己に降り掛かるであろう災厄に向け、生き残るために全神経を研ぎ澄ませる。
そこには合流するはずであったもうひとつのパーティが決壊する瞬間で、目の前にいるたった一人の剣士により手練れの騎士が絶命する瞬間でもあった。
 「ファル殿、行きます!」
マリアに呼ばれたファルはありったけの祝福魔法を唱え、強化状態となったマリアは愛用のツーハンドソードを操り剣士に斬りかかった。
しかしそれは届くことなく、相手の大きな両手剣により阻まれ弾き返されてしまった。
 「…また人間がきたのか…」
よくとおる青年の声だった。
剣士の男は生気のない目つきでマリアを見ると、ゆっくりと息を吐き出す。
喉がヒュッと音を立て、マリアは全力で防御の構えをとる。
 「キリエエレイソン!」
ファルの判断は正しかった。
マリアは相手の攻撃を受け止め切れず、間一髪のところでキリエエレイソンの防御により一命をとりとめたものの、身体は叩き潰されるように地面へ落とされる事となった。
 (なんて重い一撃!!)
息が詰まるような一撃だった。
もう疑いようない強さの相手、それはつまり、この剣士がゲフェニアの悪魔である証明でもあった。
魔力の枯渇など懸念して戦える相手ではないと判断し、ファルは退魔魔法のマグヌスエクソシズムを詠唱する。
 「ほう…退魔師がいるのか、厄介だな」
ゲフェニアの悪魔は見たことのない速さでファルの元へ駆け寄り、その喉元を狙い研ぎ澄まされた一閃を放つべく剣を握る。
 (縮地を使うのか、こいつ!)
詠唱しながら冷静に相手の足運びを見たファルは、やはり一筋縄ではいかない相手であると確信する。
剣士の剣先が届く間際、まさに間一髪といえる僅かな差でファルの退魔魔法は完成し、地面からは聖なる光が十字となり顕現した。
目の前が真っ白になるほどの煙が立ち上り、悪魔の身体は火傷を伴い浄化される。
 「ちっ!」
口惜しそうに舌打ちした悪魔は後方に飛びのき、態勢を整えようとした隙を見出したマリアが、すかさず追撃のため剣を向ける。
 「終わりだ!ドッペルゲンガー!」
 「貴様がな」
それは一瞬だった。
マリアの剣は届くことなくその腕ごと切り落とされ、目を見開いたまま首は落とされた。
彼女の身体を守っていた鎧は意味などなさず、今を生きていたはずの人間の身体がいとも簡単に分断される。
 「おまえ、なんてことを…!」
リザレクションなど届かぬほどに失われた命を見たファルは、全身の血が逆流するような怒りを感じた。
 「我に剣を向けるとは、そういう事だ…さあ次はお前の番だ、退魔師よ」
手に付いた返り血を舐めとり紫電の瞳をゆらすドッペルゲンガーはあまりに強く、ファルの前に大きな壁として立ちはだかった。
もはやファルに残された選択肢は少なく、呼吸を落ち着かせながら悪魔の足運びに注意を払う。
 「随分強いけど、君を封印してる力が弱まってるってことなのかい?」
少しでも相手の気を逸らせるため、わざと会話を試みる。
これだけ知能が高く会話も可能なら、油断も隙も誘うことができる事を、ファルは退魔師の経験上よく知っていた。
しかし相手は答える事なくニヤリとした笑みを浮かべ、ゆらりと身体を揺らすとふたたび縮地を用いてファルの喉を切り裂くため剣を振るう。
まともに食らってはキリエエレイソンとて危ういと判断したファルは、アサシン時代の頃の名残であるバックステップを用いて相手から距離を取る。
斬りかかってくるタイミングを予測し、紙一重で回避をする。
ファルの独特の足運びは捕らえるのに苦労するようで、ドッペルゲンガーの表情からは余裕がなくなっているようにも見えた。
 (かわし切れないことはないな、よし!)
回避行動をとりつつ器用に退魔魔法を詠唱し、ふたたびマグヌスエクソシズムを顕現させる。
しかしそれは見切られていた行動であり、ドッペルゲンガーは聖域を飛び越えると落ち着き払った穏やかな表情でファルの足を切り落とすべく剣を振るう。
 「同じ手は二度と喰らうものではないからな」
 「その通りだよ!」
しかしそれを見越していたのはファルも同じで、足を浅く切られたものの生き続ける回避行動により致命傷は避けることができ、一瞬の隙をついて全力のホーリーライトを叩き込んだ。
聖なる光は悪魔の顔を焼き、その場に生き物が焼ける嫌な匂いが立ち込める。
 「おのれ!貴様!」
ドッペルゲンガーの紫電の瞳は怒りに染まり、悪魔は退魔師を殺すために星の瞬きを身体に宿した。
 (ツーハンドクイッケン!?)
間違いなく両手騎士が好んで使う集中魔法であり、今以上の猛攻が始まる合図のそれにさすがのファルも動揺した。
縮地と相まって、もはや肉眼でその動きを捉えるのが困難になってしまった本気の相手に、ファルは己へ甘く忍び寄る死の気配を感じた。
 (もうだめだ、ああ!ナル!)
走馬灯のように弟子の顔が脳裏によぎったその時、ファルの懐より魔王の嘆きのレプリカが転げ落ち、ドッペルゲンガーの意識はそちらへ釘付けになった。
 「そうか、お前が持っていたのか!」
剣の軌道はファルから反れ、一直線にレプリカに振り下ろされる。
たたき割られたレプリカは役目を終え、花火のように弾け飛び、とうとうこの世から失われてしまった。
 (しまった!帰還できない!)
ファルの心の内など知らぬドッペルゲンガーはなにかを確かめるように手を何度も握っては開きを繰り返し、歯を食いしばるように吐き捨てた。
 「…まだ足りぬ、これではない!…まだここから出られぬ…!」
再び紫電の瞳に怒りを宿す姿は絶望に染まっており、なんとも恨めしそうにファルを睨みつける。
 「テレポート!」
この隙を利用する手立てはないと、ファルは戦線より離脱するためテレポートを唱えた。
瞬時に姿をくらました退魔師がいた場所に視線を投げ、悪魔は口惜しそうに舌打ちしたのだった。
かろうじて残っていた魔力で発動したテレポートはゲフェンダンジョン四階のどこかにファルを瞬間移動させ、なんとか命拾いができた。
これがつい先ほどまでファルに降りかかっていた災難で、見付かれば命はないこの絶望的なかくれんぼにファルは目を閉じ、心を落ち着かせるためゆっくりと静かに息をする。
 (しかしあの強さ、いくらぼくが完璧な状態だとしても一人じゃ無理だ…)
先ほどは魔力も万全とは言えず、恐らく全力のつもりであったマグヌスエクソシズムもホーリーライトも出力不足であったと思う。
だからといって一人で消耗しながら戦う相手ではなく、むしろ人の手を借り、なおかつ総力戦のつもりで挑まねばならない程の相手であると感じた。
元アサシンであるファルでも相手の縮地に対応するのがやっとであり、ツーハンドクイッケンの使用を許してしまってからの太刀筋はもはや人では敵わぬ相手であることを物語っていた。
 (そういえば、出れないとか言っていたな…)
魔王の嘆きのレプリカを見た瞬間、まっさきにそちらへ意識を向けたドッペルゲンガーの行動と言動は魔王の嘆きこそ封印そのものであると語っているかのようで、ファルはレプリカの数を朦朧としてきた意識で数え始める。
 (最初の先遣隊が一個、今回含めた調査で四個、大聖堂に一個…そして、ゲフェンタワーそのもの、か…)
残るは大聖堂とタワーであり、このまま道が閉ざされてしまえば恐らく封印が綻ぶまでは安全が保たれるはずである。
 (きっと本物を壊してしまえば、ここから悪魔は解き放たれるんだ…)
本物をナルに預けてきて正解であったという気持ちと、ナルであれば恐らくミカを通じてトゥエラーシュ家に本物の嘆きを渡す事もできるであろう未来に希望を見出す。
ファルには魔王の嘆きのレプリカがなにゆえ存在するのか、その答えに辿り着くことはできなかったが、自分がこのまま力尽きるのだけは分かる。
ドッペルゲンガーに見つかり命を奪われるのかもしれないし、魔力の枯渇による消耗で衰弱死を迎えるのかもしれない。
ゆっくりと近づく死の気配に、ファルは空色の瞳を閉じた。
 (昔、悪い事いっぱいしちゃったもんな…)
思い出されるのはアサシン時代の仕事の数々で、今も毒の耐性を持つ身体は当時の呪いのように心を蝕んでいる。
さらに今日のこの状況は過去の精算をするための天罰に違いないと思わせるには十分なもので、ファルは懺悔するようにロザリオを握りしめる。
 (ナル、ちゃんと大聖堂いけたのかな…ご飯食べれてるのかな…)
弟子を案じ、ため息をゆっくりとはきだした、その時。
 「きゃぁ!」
 「うわぁ!?」
ファルの目の前に瞬間移動をしたかのようなナルが姿を現し、ナルもまた目の前に現れたファルの姿に驚き、思わず互いに悲鳴を上げてしまった。
 「ナル!?」
信じられないといった表情を浮かべる師の無事な姿を見たナルは瞳を震わせ、その弱った身体に抱き着いた。
 「師匠!よかった、無事だった!」
なにやら服は湿っているし髪も濡れそぼっているが、温かな体温で自分に縋る弟子の姿は夢のようで、ファルは彼女を抱き止めるとその息遣いをめいっぱい感じ、ただ喜びに震えた。
 「ふふ!魔力はすっからかんだけど、なんとか生きているよ」
 「まあ!大変!」
ファルの言葉に顔をよく見れば目の下には真っ黒なクマが出来ているし、顔色は睡眠不足のときのように絶不調、さらに足には怪我を負っている師の姿に、ナルは朝市で購入しておいた青ポーションを差し出し、傷に沿って指を這わせるとヒールを施してゆく。
魔力を一時的に回復する青ポーションを有難く受け取ったファルは迷うことなく飲み干し、弟子と共にマグニフィカートの祝福をする。
これでいくらかは互いの魔力を維持でき、無駄遣いさえしなければしばらくはなんとかなりそうだ。
 「ナルが来てくれて助かったよ、ありがとう」
みるみる顔色を良くする師からの感謝の言葉はくすぐったく、ナルは嬉しそうに顔を綻ばせる。
 「ずっとずっと心配してたんです、お師匠様のこと…!」
 「そっか、ごめんね…でも…ナルはどうやってここへ?」
ファルの疑問はもっともであり、ナルは手紙を読んで大聖堂へ向かったあたりから説明をはじめることにした。
ミカから聞いたレプリカの話、そしてゲフェンの噴水で起きたこと。
そのすべてを話し終えると、ファルは心配そうにナルの手の平を確認してくれたが光の模様は跡形もなく消えている。
 「大変だったね…」
 「でも師匠にこうして会えたから、私はうれしいです!」
素直に再会を喜ぶ弟子の姿は愛しく、ファルは心から彼女を弟子にしてよかったと幸せを噛みしめた。
そんな大事な弟子をこんな場所に長居させる訳にはいかず、ファルは帰還の為にワープポータルを詠唱した。
 「…あれ?」
しかし現れるはずの魔法陣は顕現せず、師弟は首をかしげる。
ナルも同じくワープポータルを唱えるが結果はやはり同じで、二人は閉じ込められてしまったことを改めて認識すると口が渇きはじめる。
 「お師匠様…ここ、悪魔がいるんですよね…?」
 「うん、かなり強いやつがいるよ…」
ファルは転送装置の先にひろがるゲフェニア遺跡まで降りてしまえば、恐らくワープポータルの類いが使えるのではないかと、不安そうなナルに伝えた。
魔力を削る呪いがかけられたこの四階は恐らくドッペルゲンガーを閉じ込めるためのものであり、先ほどの様子から見るに、悪魔は転送装置の先にあるゲフェニア遺跡にも降りられない様子。
レプリカを用いれば転送装置から直通で三階へ戻れるというが、レプリカがなくともなにかしら抜け道となるものはあるはずとファルは語った。
 「師匠はどうしてそう思うの?」
 「ここを作った人が何らかの事情で出れなくなった時、緊急の脱出手段は残してあると思うんだよ」
 「なるほど…流石、お師匠様!」
その為にはまず転送装置まで行かねばならず、それは運悪くドッペルゲンガーと鉢合わせする可能性もある。
 (運を天に任せる、か…)
ファルは弟子の手を取り、先ほどの戦闘でも壊れていなかったコンパスを見つつ、転送装置がある方角へと慎重に歩き出す。
自分が斥候を務められるよう、神経を尖らせながら進むゲフェンダンジョン四階は、どんな小さな可能性でも死の気配を漂わせている。
師に手を引かれながら、ナルはぼんやりと胸騒ぎのような感覚を持て余しながら歩みを進める。
 (…私、ここに来てから予感がする…)



その頃、ストレイキャットの邸宅へ戻ったステアはユグとミカを騒がしく叩き起こしていた。
ユグはノックもせず部屋に入られたおかげで驚きのあまりスモーキーの姿のままであるし、低血圧のミカは眠そうな顔付きでリビングへと降りてきてくれた。
 「…もう…いったい、なんの騒ぎなの…」
 「ナルが大変なことになっちまったんだよ!」
眠そうなミカに濡れた衣服から着替え終わったステアが、噴水で起きたことを順序良く説明してゆく。
話が進むにつれミカはその目を丸くし、ユグも緊急を要する事態に人型へと変化する。
 「なんとかしねぇと!」
 「まあまあステア、いったん落ち着こうよ?ね?」
一人焦るステアをユグが宥めているが、ミカはひとり視線を険しくさせ窓の外を見やる。
まだ深い霧に包まれるゲフェンの街並みは静かさに包まれており、高鳴る鼓動はミカに信じられないような現実を知らせる鐘のようだった。
 (…ナルが選ばれた…?)
今すぐにでも確かめねばならない緊急事態に、ミカは杖を握りしめると狼狽えるステアに告げる。
 「急いで行くわよ、噴水まで!」