身支度を素早く済ませ、ステア達は霧に包まれる夜の街中へと駆け出した。
三人の頬を撫でる風は冷たく、まだ体温の戻り切らぬステアにはひどく寒く感じられた。
寝起きながらも体の動くミカとユグが先行する形で、野良猫は噴水を目指し駆ける。
「ねえ、ミカ」
ミカと横並びに走っていたユグが声を掛けた。
「噴水までいってどうするの?魔王の嘆きはなくなっちゃったんだよ?」
「…もし本当にナルが既に要石として選ばれたのなら、私でも扉を開けられるはず…」
ミカから返ってきた聞き慣れない言葉にステアが反応する。
「なんだって?かなめいし?」
二人よりすこし後れを取っていたステアも体が温まってきたのだろう、走る速度を上げ、ちょうど三人並んで走る形になったところでミカは話を続けた。
「私の家は封印をする、ただそれだけの為に続いているの」
はるか昔、ミッドガルド大陸には人間とは異なる少数種族が存在していた。
人間に害なす存在であり、ときに生活圏を脅かすこともあるモンスターたちの他、異世界からの来訪者とされ、人間にやや友好的であり一部の識者よりエルフとも呼ばれていたラフィネ族、そのラフィネ族と敵対していた巨人族とも呼ばれるサファ族がいたと記録には残されている。
異能なる技術により異世界とされる場所から来訪していたエルフと巨人たちの文明は、当時の人間たちからは比較にならないほど高位のものであり、また互いに共通言語をもたない間柄ゆえ友好関係にはなり得なかった。
三種族が火種を孕みつつ牽制し合う中、突如、モンスターのなかより強力な力をもつ個体が現れ、力の均衡は破られる事になる。
今まで人間とエルフは協力関係という形で巨人族の侵攻を阻んでいたものの、突然変異のモンスターたちに力を削がれる形で戦況は変わった。
「有名なおとぎばなしだよね、最後は巨人族が倒されてエルフ族も消えてしまうってやつ」
スモーキーながら人間の歴史の一部分を学んだ事のあるユグは、さして珍しくもないように結末を答えてみせた。
今でもグラストヘイムと呼ばれる廃城にて、大きさこそ違えど人骨に酷似しながら大きさが異なる骨や、人類史では記録にない遺留品などが見付かるが史実は霧のように曖昧で、それこそ遺物などは伝記のなかの存在に近く、人によっては都合のよいおとぎばなしだと思われている。
道中よりミカが語り続ける真実味に欠ける歴史の話に耳を傾けていた三人は、とうとう目的である噴水前へと辿り着いた。
「確かに脚色されてる部分が多いみたいだから、どうしても嘘っぽいわよね…」
ミカはなにやら準備があるようで、噴水前で魔導書を開くと各色ジェムストーンをその上に置く。
「ナルと私の波長のタイミングを探るわ、しばらく話を続けるわね」
ミカは目を閉じ、杖を噴水に向けながら言葉を紡ぎはじめる。
巨人族が滅ぼされたのち、世界に残されたのは今では古代種とも悪魔とも呼ばれる強力なモンスターたちであった。
それを封じるべく、一部のエルフと人間が協力しあい、その土地に魂を縫い付ける技術を作り上げた。
ピラミッドダンジョンにはオシリス、フェイヨンダンジョンには月夜花など、各地に封じられた悪魔たちがいるが、ここ、魔法都市ゲフェンの前身であるゲフェニアは魔力に恵まれた環境であり、この地に姿を現した悪魔は土地の強い魔力に引き寄せられたのか、非常に狡猾で強大な力を備えていた。
「…それがゲフェニアの悪魔…」
ステアの声に目をつぶったままのミカは頷く。
「そう、ドッペルゲンガーね」
やがてジェムストーンはそれぞれ光を灯し始めると、わずかながら震え始めた。
「私の血筋であるトゥエラーシュは、ゲフェニアの悪魔を封印した者の血を引いてるの」
ミカの萌黄色の美しく切りそろえられた髪がゆっくりと翡翠色に染まり、集中力と魔力の高まりを知らせる。
「本来、魔王の嘆きに選ばれた当主が要石になり、悪魔の力を削り、その命を監視するはずだったのだけど…」
開かれたミカの瞳は茶色から赤色へと変化しており、その髪もとうとう燃える様な赤色へと変化してゆく。
その光景にステアが堪らずその口を開く。
「その要石って、いったい何なんだ?」
「魔王の嘆きに選ばれ、ゲフェニアの悪魔に封印と解放を与える者の事よ」
魔導書から溢れた光はやがて巨大な魔法陣となり、噴水そのものが魔法陣の一部となり顕現した。
七色に輝く光の粒子を放つ魔法陣は収束し、ミカのあやつる杖に応えるように形を変えてゆく。
「さあ…ナルの波長を捉えたわ、やるわよ?」
光の粒子はあっという間に光のアーチとなり、役目を終えた魔導書とジェムストーンを回収したミカは「すぐ消えると思うわよ」と言い残し、先にアーチをくぐり抜けてしまった。
まるでシャボン玉が弾けるように消えたミカを追いかけ、残された二人も慌ててアーチへと飛び込む。
ステアとユグの視界は天地をひっくり返されたかのように暗転し、それはまるで暗い穴の中に放り込まれたかのようだった。
足元に踏みしめる地面はなく、体は重力に従い落下を始める。
「わー!!ちょっとミカ?!おいら死んじゃうよ!!」
「落ち着け、タヌキ!!」
パニックを起こしたユグを相手にすること無く、ステアは落下先である下へと視線を向けた。
もはや本当に落ちてるのかさえ分からぬほど永遠と続く闇だけの空間は、悪夢のような光景として瞳に映る。
いまも魔法を行使し続けているのだろう、淡い光につつまれるミカ自身が闇を照らす灯りの代わりとなるほど、そこは光のない世界であった。
落下しながらも先ほどの話で疑問を持ったステアは、ミカの様子を伺いつつ声を掛けた。
「なあ、その要石って…ミカの家の人じゃないとなれないんじゃないのか?」
ステアやユグと違い、自乗落下を感じさせず、まるで漂うように穏やかな姿のミカは悩ましそうな表情を浮かべていた。
それこそミカも疑問に思っていた件であり、どうにもおかしい。
「…でも、封印に携わった血筋なら選ばれる可能性があるとも聞いた事があるわ」
たとえばトゥエラーシュ家の分家となるような、どこかで血を分けた家が今も存続しているのであれば可能性はゼロではない。
しかし分家など聞いた事のないミカは、あくまで可能性だと付け加え、口を結ぶ。
「じゃあ、ナルもなんらかの血を持ってるってことか?」
ステアの問いにすぐには答えず、ミカは言い憚るかのように口を開く。
「…もしくは、古代種の血が混じっているか、とかね…」
ミカの言葉にステアは背中に走り抜ける冷たい感覚に目を見開いた。
人ならざる者の血を受け継ぐ者。
冗談にしては笑うことなど出来ず、さらに今日の昼間にはナル本人の口からカピトリーナ孤児院育ちであると聞いたばかりだ。
「…ナルが人間じゃないって言うのか?」
「選ばれる条件と可能性の一つよ、そんな訳ないに決まってるわ」
ステア自らが聞き出した選ばれる条件を伝えただけのミカは、僅かばかりも思ってもいない事だと強い瞳で否定する。
ミカの反応はこの異常事態のなか、自らがどれほど冷静さを失っているのかと気付かされる結果となり、ステアは肩の力を抜くと心荒れる自分を猛省した。
「…着くわ…」
より一層強く光を放ったミカが呟くと同時に、闇だけが続いていた異質な空間は巨大な洞窟内へと景観を移す。
三人は広大な洞窟の天井から落下するようにして姿を現したため、足をつけるべき地面までかなりの距離があった。
「あああ!落ちたら痛い!!ミカ何とかしてよぉおう!!」
「暴れんなよ!受身取れないだろうがっ!!」
再びパニックに陥ったユグはとうとうステアに縋りつき、情けない声で助けを乞う。
先ほどのミカとのやり取りで冷静さを取り戻していたステアは地面への着地を考えていたようだったが、ユグのせいでそれが台無しになりそうだと怒りを顕わにする。
「大丈夫、二人とも落ち着いて」
騒がしいユグとステアに対し、ミカが落ち着いた声色で何か呪文を唱えたその直後、三人の体は落下速度を落とし、やがて空中の階段を歩くかのように軽やかな足取りへと変わる。
足先が地面に着くころには身体は空に舞う羽毛のように軽く、なんとも緩やかな動作のみで地へと足をつくことが出来た。
とうとうミカの髪は萌黄色へと戻り、瞳も茶色へと染まり、大きく深呼吸する様子から魔法の行使を終えたことを示している。
「ここのどこかにナルがいるわ、私はもう疲れたから…あとはユグに任せるわね」
それだけ告げたミカはその場に腰を下ろし、戦線離脱の意思表示をする。
「ええ?!」
命の危機をなんども乗り越えたユグが脅えた目でステアの顔色を伺えば、その目は「早くしろ」と言わんばかりの意思を示しており、ユグは仕方なく杖を構えると目を閉じ、野生の勘を総動員して洞窟内の気配を探り始めた。
大まかな隆起や障害物などの地形を感じ取り、丁寧にスモーキーとして辺りの匂いを嗅ぎ分けてゆく。
やがて禍々しく、尻尾の先が恐怖で膨れ上がりそうな気配が伝わる。
「…右のずっと先…嫌な感じがするね…」
集中するユグの頬を一筋の汗が伝う。
「それがゲフェニアの悪魔ね、間違いないわ」
断言したミカの言葉にステアは確信を持ち、背中に装着しておいた弓を手にした。
万が一の遭遇に備えた足止め用の罠の準備も怠らず、ステアは慎重に辺りを探り続けるユグを見守る。
「…でも、その先…ナルと誰かが居る…」
「悪魔とナルは鉢合わせしそうなのか?」
ステアの問いに首を横に振り、ユグは押し黙る。
「どっちとも別方向に移動してるから、距離は開いてるかな…」
「じゃあうちらの方が遭遇の危機ってわけか」
「うん、そうなる…」
ユグが精神集中をやめて杖を下ろし、疲れ切った様子でため息をはきだす。
「道が分かったよ、遠回りだけど行こう!」
その言葉を合図にミカも立ち上がり、ゲフェニアの悪魔とは鉢合わせにならぬようにと、三人はナルを目指して駆け出したのであった。
その頃、まさかステア達が来ているとは知らない師弟は、行けどもおなじ景色が広がる洞窟の姿に疲れを見せていた。
それは魔力を少しずつ失うことによる疲労での表れで、ファルに至っては戦闘後という状況もあり、その疲れは確実に身体に現れていた。
普段からは考えられないほど荒い息遣いを繰り返す姿があまりにつらそうで、ナルは堪らず声を掛ける。
「師匠、ちょっと休みますか…?」
息をするのもやっとであるのに、ファルは得意の笑顔を浮かべ「大丈夫だよ」と答えた。
(顔色が悪い…このままじゃ師匠、きっと倒れちゃうよ…!)
もはやこのまま進むのは無理だと判断したナルは、自らが疲れたのだと強制的に腰を下ろすことにした。
その場に座り込む弟子の姿に気を使わせたことを反省したファルであったが、共にその場に腰を下ろすと堪らずため息がもれてしまう。
もはや疲れを隠し通すことなど出来ない己の状態に、ファルはつらそうに表情をゆがめた。
「魔力の枯渇なんて、久しぶりで…いやあ、これはつらいね…」
それだけ口にして項垂れる師の姿に、魔力を吸い取るほかにも回復能力を減退させるこの洞窟の特徴をナルは憎く思う。
(もっと青ポーション、持ってくればよかった…)
先ほどの青ポーションで回復した魔力などファルにとっては微々たるもので、自身の備えの悪さを呪った。
そして、いつかのピラミッドにて自身でも体感した魔力の枯渇を思い出していた。
それは貧血によく似た症状で、目の前はチカチカと光が舞い、意識は悪夢の向こう側に置いてきたように遠く、冷たくなってゆく手足は不安を煽り、とても今のファルのように歩き回れる気力など起きなかったのをナルはしっかり覚えていた。
「さて…あまりゆっくり出来ないからね、そろそろ行こうか」
「そんな…」
まだ数分も経ってもいないのに立ち上がる師に、ナルは不安そうな表情を浮かべる。
「…悪魔さんが来たら、どうしようもなくなっちゃうからね」
余裕なさげにウインクをしたファルは、諦めることなくふたたび転送装置を目指し歩み始める。
その言葉に含まれた警告はまちがいなく命を脅かす最悪の状況であり、それを覆えすことの出来ないナルは黙って師の後に続いた。
(胸騒ぎ…強くなってる…)
ファルが歩みを進めれば進めるほど、ナルがこの洞窟にきてから感じる予感は大きくなっていく。
動悸にも似た心臓の高鳴りは期待を含むものではなく、不安を感じる時とよく似ていた。
訪れるかもしれない最悪の事態に心を砕きながらも、今はただ前に進むしかない。
(はやくゲフェンに帰りたい…ステア様…みんな…)
あの噴水前、視界が暗転する間際のステアの顔を思い出すと、ストレイキャットで過ごした短い時間が愛しくてたまらなくなる。
帰路を望む心はさらに心臓を苦しめ、ナルは弱った師の背中を力なく見つめた。
そんな状況下において、後方より慌しい複数の足音が聞こえ始める。
明らかにゲフェニアの悪魔ではないそれに、流石にファルも歩みを止めると後ろを振り返る。
「…何の音だろう…?」
ナルを引き寄せ庇うように背後に守る形で音がする方向に集中してみると、足音は段々と大きくなり、次第に近付いてくるのが分かる。
すこしばかり距離があったが、真紅の髪色をナルが見逃すなどなかった。
「まさか…!」
師の背中より這い出る様にして前に立ったナルは、喜びで身体が身震いしたのを感じた。
「おーし!見つけたぞ!」
足音の主から発せられたその声は間違いなくステアで、ユグとミカもナルを確認すると嬉しそうに顔を綻ばせながら走る速度を上げた。
「みんな!どうして!!」
「にしし!これがストレイキャットだからな!」
ステアとの再会にナルは抱擁で喜び、そんなナルの無事を喜んだミカも続いてお互いを確かめ合う様に抱き合った。
ユグはその様子をただただ嬉しそうに見守り、ほんの少しだけ涙を浮かべている。
「もしかして、ナルが言っていたギルドの…?」
「はい、ステア様です!」
元気そうに表情を綻ばせた弟子の姿に合点がいったファルは丁寧に挨拶をし合ったあと、互いに現状の経緯を説明し合うことにした。
ステアとファルのやり取りの中、ミカはナルの手を取りその瞳を覗き込む。
「ナル、ごめんなさいね…私のせいで大変なことになってしまった…」
それは次期当主として嘆きに選ばれなかったこと、また、そのせいでナルに迷惑を掛けてしまったことへの謝罪であり、ナルはミカを気遣いながら首を横に振る。
「ミカのせいだなんて事ない、私は大丈夫!なんともないよ!」
ナルの心配りにこれ以上は失礼であると思ったミカは、これが最後だといわんばかりに深々と頭を下げた。
「…本当にごめんなさい…、それですこし手を見せてくれるかしら?」
「うん、かまわないけど…」
そしてミカはナルの手を取ると、噴水の前で使ったのとは別の不思議な呪文を唱え始める。
「…じゃあ、ナルがその…要石になったの?」
考えられぬ状況を素直に飲み込めないファルは改めてステアに尋ねるが、彼女はただ頷くだけ。
マルシス神父立ち会いのもと、ミカからトゥエラーシュ家の話があったことも伝えると、ようやく現実味を帯びてきたのだろう。
ファルは納得し、ステアを信じると答えたのであった。
その傍ら、呪文を唱え続けていたミカがその手を止め、ナルの手を解放すると眉をひそめてしまった。
「どうしたの、ミカ?」
「だめね…私に役割を移そうと思ったけど、もう深く刻まれてるわ…」
どうやら要石の役目を自らに移そうとしていたようだが、魔王の嘆きに選ばれなかったことも手伝ってのことだろう、それは叶わぬ結果となりミカは肩を落とした。
まだその役目とやらが飲み込めないナルは不思議そうに首を傾げており、その無垢な姿はミカの罪悪感を煽るものでもあった。
「あのね、ナルは今、魔王の嘆きそのものになってしまったの」
「そのもの…?」
頷いたミカは説明を続けようとするが、マントの下よりスモーキーの尻尾を余すことなく出したユグは、自らが走り抜けてきた方角を見ると声を上げた。
「だめだ、ミカ!近くなってきてる!!」
ユグの言葉に悪魔の接近を感じ、五人はファルが目指すゲフェニア遺跡への転送装置へと急いだ。