RegionBlue


第11話 序曲

雨足も弱まり、濡れたプリーストの服と代わりのワンピース、そして傘を借りたナルは宿屋へと戻っていた。
室内はほどよい暖かさで、雨で冷えた身体にはとても心地よい。
濡れた服をバスルームに干し、ソファに身体を沈めながらストレイキャットでの出来事に思いを馳せれば、ステアの真紅の髪が鮮明に蘇る。
 (ステア様の髪、とても綺麗な色だった…)
赤毛といえば茶色寄りの色合いはよく見かけるものの、あそこまで発色の良い赤毛をみるのははじめてだった。
燃え盛る炎のような、夜を祓う朝日のような、生命の力強さを感じさせるルビー色のハンターは、ナルの中でとても印象深い存在となっていた。
ふわふわと夢見心地で時計に視線を移せばそろそろ夕飯時で、経験則からファルが帰還するのもあとわずかだろう。
 (ギルドの体験、師匠ゆるしてくれるかな…)
借りたままのワンピース姿でどう伝えるようか考えていると、やがて瞼は重くなり、ゆっくりと瞳を閉じれば疲れた身体は穏やかに眠りへ落ちてゆく。
 「ただいまーって、おや…?」
そしてタイミングよく部屋へと戻ったファルが無防備な弟子の姿をうっかり見てしまうのは必然であり、自分を待てずに安心して眠りに落ちているナルの姿は保護欲を駆り立てるには十分な姿であった。
 「ふふ、今日はだいぶ疲れてるみたいだね…」
プリーストになってからというもの、ナルが自分の背中に追い付こうと必死に指導に付いてきているのをファルはよく分かっていた。
焦る必要などないのにひたむきに頑張る姿は、いつか隣に並ぶことができる退魔師に成長してくれる様を期待させ、ファルは未来へと想いを馳せる。
 (ワンピース、買ってきたのかな…)
見慣れぬ服装を気に掛けつつ、弟子を起こしたくないファルは夕飯をルームサービスに切り替え、部屋にこもれる準備が整ったところで改めてナルの隣へ腰を下ろす。
やさしく額を撫でてやると浅い睡眠だったのだろう、ナルは気怠さそうにその瞳を開いた。
 「おはよう、まだ眠りたかったかい?」
 「いえ…だいじょうぶです、おかえりなさい、お師匠さま…」
ふにゃふにゃと子猫のような声でゆっくりと身体を起こしたナルは、それはなんとも眠そうに欠伸をし身体をめいっぱい伸ばしてみせる。
その微笑ましい様子に笑みを浮かべたファルは、向かいのソファに腰を下ろした。
 「ちょっと大事な話をしなくちゃいけなくてね、お話ししてもいいかな?」
眠そうながらもナルもソファに座り直し、頷き答える。
 「はい、私も大事なお話があるので…」
 「それはそのかわいいワンピースと関係があるのかな?」
察しの良さは相変わらずで、ナルは否定することなく頷く。
 「実は今日、ギルドに体験でいいから入ってみないかって誘われて…いいでしょうか?」
意外な内容に嫌な顔ひとつせず事情を聞いてくれるファルに話しをはじめると、なんだか嬉しそうに相槌をうちながら耳を貸してくれ、ナルは心の内をすべて伝える事ができた。
親切にしてもらえて嬉しかったのだと、ナルは語った。
弟子の熱心に話をする姿は今まで見たことのない満ち足りたもので、ファルはそこがナルの居場所になるだろうと感じずにはいられず、感慨深い気持ちに心は染まった。
自分の手から離れてゆく姿に妹の姿を重ねつつ、今度は慎重に送り出せるように、ファルは弟子が悲しむことが無いよう穏やかな笑顔を浮かべる。
 「うん、いいんじゃないかな?なんでも体験してみるのは大事だと思うよ」
 「本当ですか!?」
ファルの言葉に目を輝かせる様子にまだ幼さを感じさせるものがあったが、嬉しそうに声を弾ませる姿はがんばる背中を押してやりたくなるほど愛おしい。
自分に遠慮をしてせっかくの出会いを台無しにさせるなど師として選択してはならぬ道であり、ナルの話から伺うに危ない雰囲気はなさそうである。
ナルの人を見る目は確かである事を、ファルも信じているのだ。
そして、背中を押してやりたくなる理由を、もう一度だけ確認してみる。
 「萌黄色の髪の女の子のウィザードがいるっていったね、名前をもう一度教えてくれるかい?」
 「はい、ミカと名乗っていました」
魔法都市ゲフェンで萌黄色の髪を持つウィザードといえば、心当たりがあるのは名高い名家。
しかも名前までも一致するのだから、もう疑いようがない。
 (ミカ・トゥエラーシュがいるギルド、ね…)
なんという巡り合わせだろうかと、ファルは悟られぬように驚く心臓を落ち着かせるため、冷静に話を続けていた。
トゥエラーシュ家は代々ゲフェンタワーの守り人としてゲフェンに住まい続ける家であり、力あるウィザードばかり生まれる不思議な家柄でもある。
 (なんだかすごい事になってきてるけど、悪くない条件ではあるね)
運命の歯車が回り始めた、ファルはそう思った。
一通り話を終え、明日からギルド体験の許可をもらったナルは嬉しそうに師に問う。
 「あの、それからお師匠さまのお話って、なんですか?」
瞳を輝かせ、師の言葉を待つ弟子に届けられたルームサービスを勧めつつ、ファルはここ数日の動向を話し始めた。
 「実はね、明日ゲフェニア遺跡にいくことに決まったんだ」
 「!」
それは次の討伐隊にファルが選ばれたことを示しており、ナルは手にしていたサンドイッチを思わず落としそうになる。
ゲフェニアの一件を調べているとは聞いていたが、今日付けで正式なメンバーに選ばれ、明日の昼過ぎにはゲフェニア遺跡へ向かうのだとファルは告げた。
 「そんな…だって、あそこには悪魔がいるって…!」
 「だからだよ、ぼくが強いのナルが一番よく知ってるでしょ?」
退魔師としての力を買われたことを示す言葉になにもいう事ができなくなってしまったナルは、もう黙って頷くことしかできなかった。
それでも死地へ赴くことに変わりはなく、やはり納得するには至れないのも事実。
 「…行かないで、師匠…」
呟かれた言葉に込められた思いは覚悟していたよりずっと重く、不安そうに懇願する姿はファルを居た堪れない気持ちにさせた。
不安がるナルにファルは懐から手のひらに収まるほどのなにかを手渡すと、子どもをあやすような優しい声で囁く。
 「お守りだよ、持っていてくれるかい?」
渡されたものを見やると、それは淡く青白い光を放つ宝石だった。
台座のような金の装飾は特別ななにかであることを示していたし、なにより宝石から感じられる魔力は今まで体験したことのない懐かしさに溢れている。
 「これは…?」
 「魔王の嘆きだよ」
ファルの言葉にプリーストになる直前、プロンテラの図書館で見た本に描かれていた挿絵を思い出す。
それはゲフェニアにあるエルフの秘宝へ導く道となる宝石であり、ゲフェニアが封じられた今では世界から失われた宝石だとも書かれていた。
ゆらめく淡い光は息をしているようで、ナルは不思議な魅力を感じずにはいられなかった。
 「エルフの秘宝も、魔王の嘆きも、空想のものだと思っていました…」
 「正真正銘、これこそが魔王の嘆きだよ」
ファルの言葉を噛みしめていると、ナルはあることに気付く。
 「…私に預けてしまったら、師匠はどうやってゲフェニアにいくの?」
 「おや?ぼくの弟子はずいぶんと賢いみたいだね」
そしてファルはゲフェニアの事件から順を追って説明を始めた。
この世界には魔王の嘆きの他に、それを模した偽物の魔王の嘆きが何個か存在しているのだという。
記憶に新しいゲフェニアでの事件が起きる前、どうやって手に入れたのか出所不明であるが模造の魔王の嘆きをゲフェンダンジョンの地下三階にある台座に設置したところ、封じられた地下四階への道が開かれたというのだ。
 「四階?ゲフェニア遺跡ではないの?」
 「どうやら四階と遺跡は違うみたいでね、ゲフェニアの悪魔が封じられていたのは四階ってわけなんだけど…」
ファルはナルの手にある魔王の嘆きを指差し、話を続ける。
 「ナルに預けるその本物では、四階への道は開かなかったんだよね」
その言葉にプリースト転職試験で出会った、ドッペルゲンガーの影から聞いた言葉が蘇る。
 「手順がちがう…」
ナルの言葉にファルは頷く。
 「そう、そしてタワーの封印が弱まったとも言ってたね」
ファルなりに下調べをしていたのだが、真実に辿り着く前に討伐隊へと選ばれてしまい、これ以上の詮索はできなくなってしまったのだと告げた。
不穏な空気を感じつつ、ナルは疑問をぶつける。
 「あの、どうして…師匠は本物の魔王の嘆きを持っているの…?」
その問いにファルは目を細め、ナルの頬に手を添える。
近付く師の顔に口付けの予感を感じ、経験のないナルは目をつぶる事しかできなかった。
しかしファルは弟子の口元についていたサンドイッチのクリームチーズを手で拭っただけで、静かに笑うとナルの頭を撫でてやる。
 「ふふ!それはね、君の師匠が悪い事をしたから…なんてね?」
はぐらかすファルに頬を膨らませて抗議しようとしたが、きっと話せない事情があるのだろう。
ナルは深追いせず、しぶしぶ納得することにした。
 「あと、これも持っててほしい」
渡されたのは一通の封筒。
 「ぼくが今日中に戻ることができなかったら読んでほしい…頼めるかい?」
 「はい、もちろんです」
帰還を危ぶむほどの危機をファルなりに感じているのを察し、ナルは師から託されたことをかならず実行すると決意の眼差しで応える。
ゲフェンでの師弟の夜は、静かにゆっくりと更けていくのだった。