「ウソだろ…?」
ステアの言葉に寿は目を伏せる。
「そんなウソついて、オレが得なんかしないつーの…」
偽りのない態度。
それは彼がアサシンギルドに所属する、ただのアサシンだという現実だった。
寿は一通の書状を取り出し、ステアに開いて見せる。
特級と判を押されたそれは、間違いなく誘拐を行うための指令書。
狭まる視界に立ち眩みに似た感覚を覚えつつ、ステアは肩を落とす。
「…悪いけど、命令に従うしかないんだ」
寿はそう呟くと、書状をしまう。
ナルを誘拐するため寿に与えられた期限は、五日と書かれていた。
それより過ぎると失敗と見なされ、今度は寿の身に危害が及ぶ可能性が高まる。
寿に与えられた道、それはナルを捕らえるしかないのだ。
ステアはその現実に、狂おしそうに歯軋りする。
「だからって、なんで寿なんだ…!」
休んでいるユグとミカを気遣い、ステアは必死に感情を抑え問いただす。
寿は俯き、大きなため息を吐き出す。
「分かってんだろうが…」
舌打ちをして、改めてステアに向き合う。
「ナルに簡単に近付けて、なおかつ警戒されないアサシンなんて、オレしかいないだろ?」
「そんな事は分かってる!」
炎のような紅い瞳を揺らし、ステアは事実に抗う。
頭では効率の良さとしてアサシンギルドの選択を理解しているが、今はギルドマスターとしてナルを逃がしてる身。
事情をすべて理解しているからこそ、やり場のない気持ちは沸き起こる。
荒ぶるステアを宥めながら、寿は言葉を続ける。
「落ち着けよ、まぁオレだってバカじゃない…考えがある…」
寿の声に反応したのか、ユグのふわふわの耳がぱたりと動く。
その様子にステアと寿は黙り込み、互いを見合わせる。
ふわぁと大きな欠伸をしたユグは寝呆けながら目をこすり、寿を目のはじに捉えると小さく「おかえり」と言った。
どうやら寝ていて二人の会話は聞いていないようだ。
その様子にステアは胸を撫で下ろすが、運命はすでに動き出していた。
「あれ…フェイヨンにナルとシオンが来たみたいだよ…?」
「な、なんだって…」
寝ぼけ眼のユグから発せられた言葉、それにステアは心労を重ねることになった。
ユグのスモーキーとしての気配を察する能力は高く、街中程度であればよく知る人間がいるかどうか程度は察しがつく。
そして事実、グラストヘイム騎士団にて香翠のワープポータルで、ナル達はフェイヨンへ送り届けられていた。
それは香翠の「仲間の元にいる方が安全だろう」という判断によるものだった。
誘拐命令を受けている仲間がいるなど、それこそ想定の範囲外であろう。
「…わかった、オレが見てくるよ」
寿の言葉に、ステアの身体がビクリと反応する。
寿はウインクしてみせると、任せてくれと言わんばかりに、その強い瞳で物語った。
事情を知らぬユグは大きな欠伸をしつつ、疲労からかまた眠りへと落ちる。
寿の背中を見送り、ステアは額に手を当てるとぎゅっと目を瞑った。
(殴り合ってでも止めるべきだったのか…?うちは、いったいどうしたらいいんだ…)
考えはまとまることなく、ただ動き出した大きな流れに心は戸惑うだけだった。
送り届けられたナルとシオンは、森の中に広がるフェイヨンの街の広さに驚いていた。
中央には宮殿のような大きな建物があり、あちらこちらへと離宮らしきものまで伸びている。
とてもステア達がいる場所など検討がつきそうにない。
「みんな何処なのかな…」
ナルの問いに辺りを見渡せば庭園を抜けた先、こちらへ手を振る寿が目に止まった。
「心配せずとも、寿が迎えにきたようだぞ」
シオンは寿のいる方角を指差す。
しかし、記憶のないナルは「ひさしって?」と首をかしげるばかりで、懸命に探すが見当がつかない様子。
「ほら、手を振っているだろう?あのアサシンだ」
シオンはナルの手を取りつつ、寿の方へと導いた。
「いよぅ!相変わらず過保護にやってんな?」
二人の手を取り合う仲睦まじい様に、寿はニヒヒと笑い声をあげた。
「あ、あの…どうも…」
ナルの普段とは違う様子に寿は優し気な笑みを浮かべ、うんうんと頷く。
「聞いてるよ、記憶喪失になったんだってな」
特にそれを気にする様子もなく「災難だったな」と付け加え、ナルの頭を撫でてやった。
「さてと、シオンくんには…こっちの承諾を願いたいぜ」
例の書状をナルには見えぬようシオンへ渡せば想定通りの驚いた表情を浮かべ、また、書状をそっけなく返すとナルの手を握る手にさらに力を込めた様子。
その仕草に「ですよねー」と苦笑し、寿はナルに伝えた。
「んで、いきなりで悪いんだけど、一緒にリヒタルゼンへ来てほ…」
「だめだ、行かせはしない」
寿の言葉を遮り、シオンはナルと寿の間に割って入る。
いきり立つシオンを宥めつつ、寿は落ち着いた様子で話を続ける。
「オレにちょっくら考えがあるんだわ、あとファルが先にリヒタルゼン入りしてる」
書状を見なかったナルは状況を掴めなかったが、ファルの名前にぴくりと反応する。
「お師匠様も?」
「そうそう、君のお師匠様があっちで愛しいお弟子ちゃんを待ってるんだよ」
ファルの捕縛に成功したという情報、それはすでに寿の元へ届いていた。
リヒタルゼンのレッケンベル社を混乱させるには単身では叶わず、ファルの協力も必要であり、また自らも侵入しなくてはならない。
その為にも、ナルとシオンの両名を連れていくしか寿には手立てがないのだ。
「あの退魔師などどうとでもなるだろう、ナルはだめだ」
しかし事情が分からぬシオンは威圧的に牽制し、ナルを自らの後ろに下がらせてしまう。
「まぁまぁ、ちょっとシオンくんは耳を貸してくだされ…悪くはしませんて…」
そう言うと、寿はシオンの耳元でリヒタルゼンでの行動を伝える。
その内容に驚いた表情を見せたが、シオンはナルを見つめると改めて寿に問う。
「…それは、失敗しないだろうな?」
「むしろ任せとけって言える、大丈夫だ、うまくやるぜ」
寿は自信に溢れた笑顔を見せるが、なんとも信じ難い。
シオンは怪訝な顔をしつつも、ナルの手を握るとその瞳を見つめた。
「あの、私、どうしたらいいの…?」
「例えどんな状況になろうとも信じることをやめないでくれ、必ずそなたを守ってみせる」
何を指すのか分からないが、寿も「大丈夫」と笑顔を見せている。
選択肢の少ないナルは、もう彼らの言葉を信じるしかなった。
「…うん、分かった…リヒタルゼンへ行こう…!」
ナルの決心に頷くと、三人はフェイヨンを後にしたのであった。
先にリヒタルゼンへと連れてこられたファルは、レッケンベル社の研究施設の一室に監禁されていた。
ゲフェンから気絶したふりを通しっぱなしの身体は、そろそろ疲労を訴えている。
(…簡易ではあるけど牢屋みたいだし、そろそろ…かな)
ゆっくりと身体を起こし、辺りを見回す。
牢屋というよりは一時的に生物を監禁するような部屋のように見える。
とても狭く、窓すらない、ただの箱のような小部屋。
唯一の出入口であるドアは機械化されており、どうやら外からではないと開かない仕組みらしい。
丹念に扉を調べたファルはため息をつく。
(…うーん、脱出しようとなると時間が掛かりそうだな…)
シオンであれば、扉を真っ二つに切り裂いてでもして脱出するだろう。
おそらく自分にもそれは可能だが騒ぎになる可能性が高いためどうしたものかと考えていると、ドアの覗き窓が静かに開かれた。
「お、気が付いたな?」
ファルからは相手の目しか確認出来ないが、声から若い男だと判断出来た。
極力警戒している素振りを見せながらファルは問う。
「…ここは?君たちはいったい誰なんだ?」
ファルの様子に目元を歪ませ、相手の男は扉を開く。
独特なエアーの抜ける音と共に開かれた機械の扉、白衣の研究者が一人、ゆっくりと入ってきた。
後ろの廊下には赤い防護服に身を包んだ人影が三人、姿勢よく待機しているのが見えた。
顔をガスマスクで覆ってる異様な出で立ちに、ファルは特別な違和感を感じる。
生き物ではない、そんな気がした。
それは、ゲフェニアの悪魔のような人ならざぬ者の感覚ではない。
はっきりとした正体を掴むことは出来ないが、とにかく無機物のような感覚は拭えなかった。
自らが置かれている現状のすべてに気を張り巡らせていると、ようやく研究者が口を開いた。
「ここはリヒタルゼンのレッケンベル社内だ、まずは手荒な歓迎をしたことを謝りたい、すまなかった」
深々と頭を下げた研究者、彼からは独特な薬品の香りがした。
プロンテラの香水店を彷彿とする香りに咳払いをしつつ、ファルは怪しまれぬよう紳士に対応する。
「…ええ、とても驚きました…ご事情があるとお見受けします、どうぞ頭を上げて下さい」
その対応に研究者は頭を上げると、歯並びのよくない笑顔を見せた。
「君をここに連れてきたのは他でもない…、君の弟子!そう弟子に是非会いたいのだ!」
「…ぼくの弟子…ナルの事ですか?」
ファルの口から出たナルの名前に、研究者は嬉しそうになんども頭を縦に振った。
「そうそう!彼女の秘められた能力!それに弊社は目を付けているのだよ!」
興奮気味に迫る研究者の様子にファルは嫌悪を感じる。
表情こそ嬉しそうではあるが、淀んだ瞳からは欲望がひしひしと伝わってくるのだ。
(なんて嫌な奴なんだ…)
今すぐ蹴り倒してやりたい気持ちを押さえつつ、ここへきた目的を再確認する。
そう、流れているナルの情報が誤りであると誤認させるのだ。
「彼女の能力?それは、プリーストとしてのですか?」
冷静なファルの反応に研究者は一転、眉間に皺を寄せた。
「なにを今更とぼける必要がある?君だって知っているだろう?」
「なんのことでしょう…ぼくは聖職者としての師事しか携わっていませんよ?」
自分でもよく口から出たと思う嘘だった。
ナルとは衣食住のほとんどを共にしているし、いつぞやなど夫婦に間違えられ「そうです」とまんまと答えたら弟子から怒られたばかりだ。
(うぐ…だめだ、ナルのこと思い出したら気が散ってきたぞ…)
高揚感を押さえるファルの様子は異質のそれで、白衣の男は表情を曇らせた。
「とにかく!彼女はあの魔王シフェルに関わる、とても貴重で重要な人物なのだ!」
男にしては少し高めの声で荒ぶる研究者の男はファルに詰め寄り、一方のファルは一歩下がると驚いた表情で答えた。
「魔王シフェル?伝説上の人物と認識していますが、ナルと何の関係が?」
研究者はなんとも苛立った顔付きでその黒髪を掻き上げると、足を踏み鳴らして舌打つ。
強情にも知らぬ存ぜぬを通すファルの様子が、よほど気に障るらしい。
「いい加減にしてくれ!彼女は魔王の血縁の者だ!それもとても濃い間柄だ!」
(ふぅん…直系ってところまでは嗅ぎ付けてるわけか、なるほど…)
ファルは首を傾げつつ、あくまで迷惑そうな表情を浮かべて対話を続ける。
「そんな話は本人から聞いていません、そちらの間違いでは?」
とうとうファルの態度に限界を感じた研究者は、彼にとっての切り札である小さな試験管を取り出した。
「まったく、君はこれはなんだと思う?」
そこには淡い色をした緑の液体が入っていた。
少し粘着性があるのだろうか、それは試験管の側面にへばり付いており、よく観察すれば淡く光も含んでいるようにも見える不思議な液体であった。
研究者はニヤニヤと笑みを浮かべ、それを惜しげもなくファルの目の前に突き出す。
「これこそ彼女が魔王に関わる者の証!生まれる前の保存液の一部さ!」
(なんてものが残ってるんだ…!)
ここにきて情報操作だけではどうにもならない事が確定し、ファルは今後の動きを改める必要性が出てきた。
そしてまた、大きな点が真実へと繋がる。
(…やはりトゥエラーシュ家の宝物庫、そこから盗みだしたのはレッケンベル関係者か)
もちろん、おおよその検討はついていたのだが、ナルの記憶喪失に関することを優先していたため、ミカからの頼まれ事は後回しにしていたのが結果的には後手に回る形となってしまった。
(ここにきて順番を間違えたかもしれないな、なんて厄介なんだ…)
今このやりとりだけでも、ナルの出生にレッケンベルが関わったことが確定事項となった。
しかし何故そのままレッケンベルで育てなかったのか、そこにはやはり疑問が浮かぶ。
(まだだめだ、レッケンベル…もっと知らなくてはいけない…!)
気を取り直し、ファルは相変わらずの演技を続ける。
「なにを言ってるんだ…保存液?それがなんだっていうのです?」
要領を得ないファルの言葉に、怒り心頭の研究者は答える。
「彼女はこれに浸かり、生まれるまで長い時を過ごした!そしてレッケンベルへと運ばれてきた!」
「運ばれてきた?ならなぜ、今になってナルを探すのですか?」
どうやら感情的になると余計なことまで喋ってくれるらしい相手に、ファルは加減をしつつ藪をつつく。
もちろん研究者が冷静になる様子はなく、また乱暴にあたまを掻き毟ると軋むような声を上げる。
「研究所から裏切り者が出たからさ!ある女が連れ出して逃げたんだ!」
とうとうファルの胸ぐらに手をかけた研究者は、ひどく心が荒れた様子で言葉を投げ続ける。
「それからは生死不明!残されたのは羊水に酷似した、この液体だけだ!」
しかし彼のお陰で、ナルの出生の前後がようやく明らかとなった。
つまりレッケンベル社にはナルが生まれる直前に連れて逃げた女性がおり、その彼女は何とかプロンテラ近郊まで辿り着いたのだろう。
そこからどういった経緯があったかは分からないが、ナルは孤児院で育ち、そしてファルと出会った。
(ナルがここに来た事実、証明するモノ、それらをすべて消せば…!)
ようやく見えてきた一縷の光、これを逃してはならない。
自分の胸ぐらを掴む研究者を力任せに振り解き、ファルは強い眼差しで抵抗した。
「やめて下さい!ぼくには何のことなのかさっぱりです!」
ファルは息を切らす演技をし、慌てた様子で後ずさる。
そして研究者を青い瞳で睨み付けると宣言した。
「ぼくの弟子は普通の人間です!勘違いも大概にして下さい!」
強い意思で張り上げた声に、研究者はすこし怯えた様子を見せ、さも何か言いたげに口元を動かすが言葉が纏まらない様子。
「とにかくぼくは何も知らない!ナルにだって失礼だ!追い詰めるような真似はやめてくれ!」
ファルがそう抗議したと同時、防護服に身を包んだ人物が入室し、研究者へ何かを耳打ちした。
するとたちまち笑顔を取り戻した白衣の研究者は、自信に溢れた表情でファルを見る。
「ふふふ!獲物を捕らえたそうで、しかも二匹…!」
「!?」
その言葉がなにを指すのか、それはあまりに想像に容易く、ナルとシオンが捕縛された事はかくしてファルにも伝わることになった。
研究者はファルを残し、部屋から出ていってしまう。
次第に遠退く足音。
ファルは怒りを顕にし、壁に拳を叩きつけた。
「まったく!何をしてるんだ、ドッペルゲンガーは!」
弟子を守る行動を選ぶだろうと踏んでいたのに、まさか共に捕らえられるとは思ってもいなかった。
「やっぱりぼくじゃないと、ナルは守れない!」
聖職者のコートを翻すとそこには隠されたカタールが鈍く光り、ファルは慣れた手つきで死を告げる刃を身に着ける。
(ナルのところへ、すぐに行かなくちゃ!)
カタールを両手に装備したファルは、部屋を閉ざす扉を難なく一閃した。
滑らかに切り崩された扉から廊下に出れば防護服達が待機しており、手にした火炎放射器の照準をファルに合わせると容赦なく炎を浴びせてくる。
しかし、回避を司るウィスパーの加護を受けた法衣は風のように炎を避け、ファルにかわされた炎は別の防護服へ牙をむいた。
焼け焦げた服から覗くその顔は、やはり人間ではなかった。
そこに存在するは、鉄の塊。
それは人間によく似た出で立ちで、まるで人間のように動き回っていた。
精密な回路がそれを可能にさせているのだろうが、倒れた機械人間にカタールを突き立てれば、あっけなくそれは動きを止めた。
正体を現した機械人間達に、ファルは冷ややかな瞳で言い放つ。
「生き物でないのなら手加減はいらないね?覚悟しろ!」
ファルが動き出す、ほんのすこし前。
寿に連れられてきたナルとシオンは別々の部屋へと通されていた。
白で統一された診察室の独特の空気に、シオンはシフェルの研究室を思い出していた。
向かいに座った研究員と思しき女性は、機嫌よさそうに笑顔を振り撒く。
「私があなたの担当よ、よろしくね」
薄桃色の長い髪を揺らし、研究員の女性は足を組み替える。
白衣の下には身体のラインを強調する、丈の短いワンピース。
大きく開かれた胸元には細目の金のネックレスをしていた。
(ナルには縁がなさそうな服だな…)
ゲフェニアの夢魔を連想しそうな服を見つつ、今しがた暫しの別れをしたナルを思う。
(手荒なことはさせないと寿も言っていたが、さて…どうなるか…)
考え事をしていたら、くすくすと笑われてしまった。
「あらら…やっぱり男のコね、可愛いわ」
どうやら豊満な胸に目を奪われていると勘違いしたらしい。
しかし連想され頭に浮かぶのはサキュバスの姿と声で、シオンは胸焼けしそうになってしまった。
「くだらん…そんなことより、ナルはどうしたんだ?」
想定外の粗雑な反応に苛立つものを感じたが、研究員は悟られぬように和やかに答える。
「あなたと同じく採血などの検査をさせてもらうわ、しばらく部屋は別々だけど…」
探りたい情報など、これから山のようにある。
これから控える検査項目をひとつひとつ教えていたら、一日かかっても終わりそうにない。
研究員はシオンの腕を取り、手馴れた様子で篭手を外してゆくと準備してあった注射器を手に取る。
「さあ、ちょっとだけ大人しくしててね?」
言われずとも合図までは従順にするように、寿と約束をしたのだ。
自らの意志ではないが、シオンは採血を許した。
針の感覚は忘れて久しく、鋭利な痛みに懐かしさが込み上げる。
己の血が注射器の中へ吸い出される様子を見ていると、なにやら部屋の外が騒がしくなってきた。
「あら、なにかしら…?」
それは研究員が呟いたと同時だった。
部屋の扉は一瞬で裂かれ、シオンが最も苦手だとおもう人物が顔を覗かせた。
「ナル!ここにいるのかい?!」
金の髪を揺らしながら青い瞳で部屋を見渡したファルは、その瞳にシオンを映すと怪訝な顔をした。
「…何してるんだ、おまえ…?」
ファルに問われたシオンは強引に注射器を外すと放り投げ、不機嫌な表情を浮かべる。
「…貴様こそ寿の合図を待たずに、いったい何をしている?」
「え…?寿も来てるの?」
シオンから出て来た意外すぎる名前にファルは驚いた。
ただ捕らえられてきただけかと思ったのだが、まさか寿が絡んでいたとは。
「あちゃー、まずったかな…」
少し後悔したファルに、廊下より新手が襲い掛かってきた。
しかしファルは振り向かない。
「ごめんね寿、ややこしくしちゃったかも…?」
そう懺悔の言葉を口にすれば、襲い掛かるはずだった機械人間は崩れ落ち、さらにその背後には、ダマスカスを握った寿が立っていた。
「いや、ちょうど準備万端になった所だぜ?シオンくんに暴れてもらう寸前でした!」
そう屈託のない笑顔で答えた寿は、無事そうなシオンを見て一安心した。
「さて、お姫様のお迎えタイムだぜ!」
よくやく許可のおりた言葉に表情を柔らかくし、篭手を装着しなおしたシオンは立ち上がった。
予定ではナルの情報を寿が消滅させた後、シオンが暴れて騒ぎ立て、その間に撤退するはずだった。
しかしファルの単独行動のおかげで、充分に研究所内は混乱しているようで、この状況を予期していなかった研究員の女性は、今も身体を震わせ尻餅をついたままだ。
その狼狽える様子は殺す価値もなく、シオンはたった一つの重要なことを寿に問う。
「それで、ナルはどこに?」
すると寿は廊下の先を指し示す。
「ふむふむ、部屋は手前から二番目の右通路奥、今は身体の洗浄されてるはずでござるな」
「せ、洗浄だって?!」
寿の言葉に血相を変えたのはファルだった。
「そうそう、オレも帰ったらまずシャワーするタイプだから分かる」
「なにがだよ!?そういう個人的な情報はいらないよ!!」
寿の余計な情報のおかげでファルは混乱し、シオンに至っては颯爽と部屋から出ていってしまった。
「あ、あの、だからせめて洗浄が済んでからがいいかと!女性ですし!」
寿の変な気遣いに言葉を失いつつ、ファルもシオンが向かった方向へと走り出す。
「ちょ、待って!置いて行かないで!ひとりぼっちにしないで!」
ファルの後に慌てて続く寿が部屋から退去すれば、研究員の頭は冷静な思考へと切り替わる。
床に残された注射器、それを見つけると慌てて手に取る。
確認すれば中身は無事。
それを小さな移動用トランクケースにしまうと彼女は部屋を飛び出し、ファル達が向かった方向とは逆に走り出す。
「魔王の悪魔!その血!やっと手に入れたわ!」
そう力強く、言葉にしながら。