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第9話 危険な香り

海に面している聖カピトリーナ寺院。
沈みゆく夕日を浴びながら、ステアとファルはルセアンに連れられて孤児院へと招かれた。
そろそろ夕飯時なのだろう。
子供達は待ち兼ねた様子で浮足立ち、なんとも楽しそうに献立の予想をしているのが部屋から漏れ聞こえる。
そのはしゃぐ声に、ファルは今は記憶を無くした弟子のことを想う。
 (ナルもこうして過ごしていたのかな…)
心を馳せれば、ぼんやりと妹であるネスの顔も浮かぶ。
自分の妹も孤児院育ちであれば未来が拓けていたかもしれない可能性を思うと、心に刺さり続ける棘は奥深くへ後悔を運ぶ。
ファルが憂いている間に二人は孤児院内、ルセアンの自室へと案内された。
部屋に通された二人は勧められるままソファに腰を降ろし、まずは部屋の主人の出方を伺うことにした。
 「それで…ナルが記憶喪失とは、本当なのかね?」
尋ねられたステアは頷く。
ルセアンはため息をはき出すと、その大きな身体を執務用の椅子へと預ける。
 「あぁ…なんてことだ、かわいそうに…」
そう呟いたルセアンは、頭を抱えこむように肩を落とす。
 「本人も不安な様子で、はやく思い出したい、と…」
ファルの言葉に「そうだろう、そうだろう」と相槌を打つと、ルセアンはふたたびため息をつく。
ナルの育ての親である彼の心を痛める姿は、見ているこちらが心配になるほど気の毒に見える。
 「それで、君たちは…ナルのどんな思い出を知りたいのだね?」
ルセアンの言葉にステアとファルはここぞとばかりに反応する。
 「可能であれば、ナルがどのようにして孤児院に来たかを話してやりたいのですが…」
 「私も同意見で、特に幼少時の話はこちらでの暮らしを思い出すきっかけにもなるのではないかと」
二人の意見に押されたルセアンは頷くと、顎に手を添えつつ過去の記憶を辿り始めた。


それは雪の舞う、寒い冬の日だった。
孤児院の子供たちは雪に心踊らせ、中庭で息を白くさせながら遊びまわっている。
その様子を若いルセアンは、穏やかに見守っていた。
クリスマスの足音が迫るこの時期、大人も子供もどこか心が浮つくもの。
彼もそのうちの一人だった。
家族を持たず、その生涯を聖カピトリーナ孤児院に捧げるつもりの彼にとって、孤児達すべてが自分の子供。
子供たちのよろこび、それはすなわち自分のよろこびである。
子供たちが雪ではしゃいでいる姿、それだけでルセアンの心は喜び舞い上がるのだ。
 (ああ、今日も素晴らしい日だ)
穏やかに笑むルセアンの元へ、一人の女性モンク僧が声をかけた。
 「ルセアン様、ご来客が…」
その言葉に真剣な表情を浮かべたルセアンは「わかりました」と告げ、中庭とは逆の廊下へ向かう。
聖カピトリーナ孤児院、そこには様々な事情で孤児達が集まってくる。
両親を不幸で亡くした子もいれば、愛情を受けることが出来ずに捨てられた子。
事情により一次的に預かっている子もいる。
いかなる場合でも、付添人が院まで連れてくること、それが受け容れる最低条件。
そして孤児院をまとめるルセアンと面接し、彼の許可が降り、そこで始めて聖カピトリーナ孤児院に入ることが出来るのである。
門番を務めるモンク僧がルセアンを呼ぶ。
それはつまり、この孤児院での暮らしを希望する者が訪れたということ。
ルセアンは呼吸を整えると、希望者が待つ部屋の扉を開いた。
そこには赤ん坊を抱きかかえた男の騎士が、なんとも狼狽えた様子でソファに座っていた。
 「こ、こんにちは」
反射的に立ち上がりそうになった騎士に、そのまま座っているように指示した。
 「お待たせしましたね、この孤児院を預かるルセアンと申します」
赤ん坊の眠りを妨げぬよう、ルセアンは優しく小さな声で挨拶をした。
 「どうも、プロンテラ騎士団所属のトリトマと申します」
ルセアンが見る限り、どうもこのトリトマという男は子供慣れしていないように見える。
抱き方もなにやら危うく、肝心の赤ん坊も窮屈そうな表情で眠っていた。
 「…どれ、私が代わろう…」
見兼ねたルセアンは騎士から赤ん坊を抱き受ける。
呼吸をしやすいよう横向きに抱いてやれば、赤子はみるみる穏やかな表情を浮かべ眠りを深くした。
 「トリトマ殿…一体、どこでこの子を?」
明らかに親ではない騎士に、この子との出会いを尋ねる。
 「ミョルニール展望台へと続く道です、赤子の泣く声がするので立ち寄ったら…こちらと共に…」
トリトマはそう言うと、くたびれた揺り籠をルセアンの前に出した。
中には毛布がたっぷりと敷き詰められており、その中にキラリと光る物体が見える。
そこには古い造りのランタンがひとつ、顔を覗かせていた。
ルセアンは赤ん坊を片手で抱きつつ、そのランタンを手にとり観察してみる。
表面には見たことのない文字が刻まれている。
ランタン自体の装飾は見掛けたことはなく、相当古い物だと見当がついた。
そしてランタンの底、そこには新しい白い紙が貼り付けられ、文字が記されている。
 「ナル・リアス…?」
そしてそこには、決して見間違うことのない判が押されていた。
 「…リヒタルゼン…レッケンベル、ですか…」
ルセアンの言葉にトリトマは緊張した面持ちで頷く。
シュバルツバルド共和国、そこには企業都市リヒタルゼンがある。
富裕と貧困の差が有名であり、レッケンベル社によって支配された街だとも言われている。
レッケンベル社製品はプロンテラでも見掛けるほど世界的にも有名で、若者達にとっては着飾る上で必須といえるほどのブランドでもある。
ただ、企業の成功に伴うようにして、良くない噂も流れていた。
レッケンベル社の地下、そこには実験場があり、多種多様な生物実験を繰り返している、という噂である。
動物や植物由来の品なども手掛けているため、たしかに生物実験はされてはいるのだろう。
ただ、街の治安が良くなく、人攫いが多い街であるのも事実。
巷では攫った人間で実験をしているなどの噂まで流れているほどだ。
 「小さなお前さん、リヒタルゼンの人間なのかね?」
よほどルセアンの抱き方が気に入ったのだろう、赤ん坊は寝息をたてながら、それはなんとも幸せそうに眠っている。
 「この子を正式に預かりましょう、追って騎士団長にも手紙で事情を伝えます」
トリトマにはレッケンベル社の判は忘れるように口止めをし、騎士もまたその件については理解しているようで強く頷く。
 「ええ、もちろんです…!」
ようやく肩の荷がおりた騎士は、この件は誰にも言わず孤児も忘れるとしてカピトリーナを去った。
そしてルセアンは、揺り籠とともに記されていた名をそのまま赤子の名前として扱うことにしたのだった。



 「これがナルのここでの生活での始まりだよ」
ルセアンはそう語った。
ナルからリヒタルゼンの関することはおろか、名称すら聞いたことはなかった。
二人は驚く素振りは見せず、冷静に振る舞うことを努める。
 「カピトリーナから出るまで、ナルがリヒタルゼンに行くことはありましたか?本人からは孤児院の生活しか伺っていないので…」
息をするように嘘を付いたファルは、新たなリヒタルゼンというキーワードに手を延ばす。
 「いいや、ナルにこの話をした時ですら、あの子はリヒタルゼンに行きたいとは言わなかったよ」
ルセアンは一度だけ壁掛け時計に視線を泳がせ、言葉を続けた。
 「私の父はこのルセアンだけだ、と…」
とても愛おしそうに言葉を紡いだルセアンを見て、ファルは弟子が親を求めなかった理由を理解した。
きっとナルにとって親とは、唯一無比、このルセアンだけなのだろう、と。
 「なるほど、わかりました…ありがとうございます」
丁度頃合い良く、壁掛け時計の鐘の音が部屋に鳴り響く。
ルセアンは窮屈そうな椅子から立ち上がり、大きな背伸びをした。
 「さて、これから子供達とのディナータイムだ、良かったら一緒にどうだい?」
二人はユグから持たされた弁当を思い出し、ルセアンの申し出を丁重に断る。
記憶が戻ったナルを再び連れてくると約束をして、聖カピトリーナを後にしたのだった。



ファルのワープポータルでプロンテラまで戻り、二人は重い足取りで近くのベンチに腰掛けた。
夜になっても首都の活気は衰える様子はない。
食品を扱う店は客を呼ぶため、食欲をそそる薫りを撒きはじめる。
サンドイッチを頬張りながら、ステアがファルに言った。
 「うちとファルさんで来て正解だな、他の奴らには聞かせなくて良かったよ」
確かにリヒタルゼンのレッケンベル社の名前が出るとは思わなかった。
 「そうだね、ちょっと驚いたな…」
しかしファルの中では、すでに答えが見え隠れしていた。
生体研究所の人体実験の噂、それはファルが知り得る限り、事実と大きく異なってはいない。
アサシン時代から縁が続く情報屋の話からもするに、かの地での人体実験は間違いないだろう。
ナルがその被害者の一人と仮定しても、だれがどうしてトゥエラーシュ家の秘密を知ったのか。
また、だれがどんな理由でナルをルーンミッドガルドまで連れてきたのか。
考え始めれば、連れてきた騎士も匂う気がする。
そして、特にファルが感じていた違和感。
 「…ずいぶん、あっさりと教えてくれたよね…あの人…」
ステアにだけ聞こえるよう、声色を押さえて囁く。
 「だよな、やっぱりファルさんもそう思ってたか…」
ステアは、なぜファルが一度プロンテラに戻ったのか悟った。
まず、ステアがルセアンの違和感に気付いたかの確認。
そして、あそこから追っ手がかかるのなら、人混みの中では手を出せないという自信。
残りのサンドイッチを頬張り、ステアはすくっと立ち上がる。
 「急いでゲフェンに戻ろう、危険な匂いがする」



ステアとファルが去ったルセアンの自室。
そこにはルセアンともう一人、別の人影があった。
それは銀の長い髪をもつ女アサシンで、先程までステアが座っていたソファに腰を降ろしていた。
 「ヘタな演技、ヒヤヒヤしちゃったわ?」
彼女の生気のない瞳は、どこか死人を彷彿とさせる。
 「私ではあれが精一杯だよ…」
まるでアサシンは視界には写らない存在であるかのように、ルセアンはひたすら壁掛け時計を見つめている。
 「気付かれたかもしれないけど、まぁいいわ」
アサシンは立ち上がると、テーブルの上に乱暴に拳ほどの大きさの布袋を置いた。
あまりに乱雑に置かれたものだから、袋の口から金貨が数枚飛び出し、床へと転げ落ちる。
アサシンは落ちた金貨など気にする様子もなく、ルセアンの傍らへ赴くと耳元で囁いた。
 「魔王の娘、そんな物が居るだなんて…一度くらいは見てみたいものね?」
笑い声を残し、アサシンは夜の闇へと姿を消す。
ルセアンはふぅとため息をつくと、床に転がった金貨を拾い窓の外を見る。
空に浮かぶ満月は眩しいほどの輝きに満ち、辺りを照らしている。
 (あの若者達に希望を託すしかない、どうかナルを助けておくれ…)
そう願うとアサシンギルドから依頼された書類に視線を落とす。

”人質と引き換えに、ナル・リアスのことで訪ねてきた者にレッケンベルの情報を与えるべし。”
”見張りを報酬付きで配置する。”
”成功を確認後、子供は無事に送りとどける。”
”この事柄は全て他言無用とする。”

苦虫を噛み潰したような表情で書面を握り、ルセアンはふたたび椅子に腰を降ろした。
一体ナルの身に何が起こっているのか定かではない。
しかし、アサシンギルドからこのような書状が届くなど異常すぎる。
確かにトリトマという騎士がナルを連れてきた。
しかし、揺り籠に入っていたランタンに紙など貼り付けられてなどいない。
彫られていた文字を改めて調べたら、そこにナル・リアスと書かれていた、それだけなのだ。
真実はレッケンベルなど関係がなかった。
 (一体なぜ、ナルが…)
額に手を置きながら、ルセアンはもはや何回目かも分からないため息を吐き出した。