母、ミレイから見せられたトゥエラーシュ家、そのはじまりとなった過去。
それはあまりに信じ難くも、運命的な縁で繋がってしまった思い当たる仲間。
思い当たってしまった彼女を思い、ミカは毛色を紅に染めて声を上げた。
「どうして…!ナルがそんな…!?」
普段はあまり感情を見せない娘、その実直な反応にもミレイは沈黙を貫く。
ゲフェニアでの一件、ミカからその中心人物になったというプリーストの名前を聞いたとき、ミレイはこの未来を覚悟していた。
「真実を受け止める時がきたのです、ミカ」
母の言葉に重い責任を感じ、ミカは大きく深呼吸をして冷静さを取り戻す。
髪はすぐに萌黄色の淡さとなり、感情を制御し始めたのが見て取れた。
(さすが私の娘ね、それでいいのよ…)
そして、あることに気付いたミカは改めて母に問う。
「お母様、そのランタンは…今…?」
ミレイはため息を付くと、頭を横に振った。
「あなたが生まれるずっと前に、ミョルニールの宝物庫より盗まれたのです」
すこし躊躇いがちに答えた母の様子に、ミカの中でなにかが引っ掛かった。
母が簡単に答えられない理由に幾ばくか心当たりもあり、ミカは立ち上がる。
「ごめんなさい、私、どうしても行かなくてはならなくなりました」
その表情は曇ったものなどではない。
なにか大きな決意を感じさせる強い眼差しであった。
そんな様子のミカを制することはせず、ミレイは空間の出口に向かって一直線に手を払う。
呪文を唱えた様子はなかったが、草木はミカが唱えた魔法よりもずっと素早く道を作ってくれた。
母にそっと一礼をし、ミカは出口へ向かって歩き始める。
ドアまで辿り着いたとき、後ろからミレイの声が耳に届く。
「…この件、あまり深入りはよろしくないかもしれないわよ?」
含みのある言葉は聞こえなかったように、ミカは部屋から出た。
ストレイキャットのキッチン。
そこでは牛乳と卵のやさしい香りがあふれていた。
ユグがトーストを三角に切り分け、大きめのボウルにやさしく浸す。
牛乳と卵が絶妙に混ざり合った卵液は、トーストにたっぷりと染み込んでいく。
その間に熱していたフライパンにバターを転がせば、芳ばしい香りが立ち上る。
鼻をスンスンと鳴らしながらステアがキッチンを覗くと、ちょうどフライパンに黄色く染められたトーストが滑り込むタイミングであった。
じゅう…という音と共に辺りに漂う甘い香りに誘われ、ステアから待ちきれない様子のため息が洩れるのも当然だ。
「あー、いい香りだなぁ…!」
ステアの一言にユグはくすりと笑うと、手馴れた仕草でトーストをひっくり返してみせる。
「ふふ!ステア、フレンチトースト大好きだもんね!」
こんがりと焼けたトーストを皿に盛り付け、メイプルシロップをたっぷり回し掛ける。
ステアは用意されていたバターを篭に詰め、渡された皿を片手にテーブルへ急ぐ。
チクタクと時を刻む時計を見れば、ちょうど昼の12時を指し示すところであった。
「んー…ナル、遅いなぁ…?」
キッチンから出てきたユグは「あれ?」とステアの顔を見る。
「今日は外でお昼済ませてくるみたいだよ、ファルさんと」
「…ふぅん、珍しいな」
自分のフレンチトーストにバターを乗せ、ステアは惜し気もなく頬張る。
幸せそうな笑顔を浮かばせるステアの様子に満足し、ユグも「いただきます」と幸せそうに頬張った。
もっちりとしたトーストの食感に舌鼓を打っていると、玄関の扉が開かれた音がする。
溜まり場の鍵を預けているメンバーは把握しているので、呑気に食事を続けていると久しく見ていなかったミカが顔を覗かせた。
「お、めずらしい顔が…学校は一段落したのか?」
ステアの第一声に不満そうな表情を見せたミカは、テーブルを見渡すと二階へ続く階段へ身体を向けた。
階段に足を踏み入れる直前、ユグに視線を送る。
「…ナル、いないの?」
食卓に姿が見えないので部屋だと思ったらしいが、どうにも二階に人の気配がしなかったのに気付いたらしい。
ユグは口をもごもごさせながら、大振りな動作でコクリと頷いて見せた。
「ファルさんとゲフェンタワーでデートって言ってたよ」
「そう…、どうしようかしら…」
ナルの居場所を聞き出したはいいが、ミカのなかで不安と葛藤が争いを始める。
生い立ちは孤児院であると、以前、ナル本人から聞いたことがある。
そこへ伝説上の存在であるエルフの血を引いているなど、にわかに信じ難い話を告げて良いのだろうか。
母に見せられた記憶、そこでは確かに同名であった。
しかし、それをナルが本名として名乗ること、それには非常に疑問がある。
仮に本人だとして、産まれたばかりの赤子がどうやって自分の名前を知ることが出来るのか。
どう考えても、人為的に教えられたとしか考えられない。
ランタンを奪った者の入れ知恵なのだろうか。
もしくは、偶然が重なった同姓同名というだけなのか。
(…急いで結論を出す必要はないけど、確かめる必要はあるわね…)
人違いであるならそれに越したことはない。
しかしナルがそうなのであれば、何かしらの対応が必要になるのは必然。
もしそうだとして、それが世間に広まりでもすれば、国をあげて実験動物のように扱われるであろう。
人間は探究の為なら残酷になれること、それをミカはよく知っていた。
「…私、ちょっとナルに会ってくるわ」
ミカの発言に肝を冷やしたのはユグだった。
「ええぇぇ…?…ファルさんの怒りを買うにプロンテラを賭けてもいいよ?」
数ヶ月振りにまとまった休暇を貰ったファル。
その彼が意気揚々とナルを食事に誘った様子、その姿が鮮明に思い出されたのだ。
ナルが普段、ストレイキャットのメンバーか、ゲフェニアの悪魔とばかり過ごしているのをファルはよく知っている。
つまり、めずらしくファルの都合のみで、ナルの予定を埋めた貴重な一日。
そんな事情背景があるなか、邪魔などすれば不愉快な気持ちにさせるのは確実。
「ナルが帰ってくるまで待てんのか?」
ステアの問いにミカはあっさり「待てない」と返す。
「じゃあ、私行くから」
「ん、気を付けてなー」
あっさり見送ってしまったステアに反論をしたかったが、なにより居場所を喋ってしまったのは自分である。
ミカがどうにかそれを黙っていてくれることを祈りつつ、ユグは額に浮かんだ汗を拭う。
「ふぅ…、命あってのモノダネってやつだね…」
ユグの呟きに同意であると頷きながら苦笑したステアは、最後のトーストにフォークを伸ばした。
その頃、ゲフェンタワーの師弟はランチを楽しんでいる最中であった。
タワー最上部にはウィザードギルドがあるが、その途中の階に新しく喫茶店ができたのだ。
店は小さいながら窓から見える美しい景色、それと珍しい紅茶が話題を呼んでいた。
青を基調とした店内は清潔感が漂い、各席からはそれぞれ華やかな紅茶の香りが溢れる。
優しい香りに包まれながら、ナルはスコーンを頬張った。
「美味しい…!」
幸せそうに軽食を楽しむ弟子の姿に、満足そうに見とれつつファルも紅茶をゆっくりと嗜む。
「こうやってナルの顔を落ち着いて見れたの、ひさしぶりな気がするよ」
ファルの言葉にナルも頷く。
「私、お師匠様と一緒に食事するのを、ずっと楽しみにしてました!」
「おや、本当かい?うれしいなぁ!」
弟子の屈託のない笑顔と言葉。
それはファルのここ最近、多忙ですっかりたまりきった疲れを吹き飛ばしてくれた。
「近場のお出かけは、いつもシオンと一緒だったから、…ね?」
ナルの言葉に無言で頷くと、シオンと呼ばれた彼はしずかに紅茶を嗜む。
そこに座っているのは本来ならばこの場に居るはずのない、ゲフェニアの悪魔の姿があった。
(あぁ…!ナルがコイツも一緒になんて言わなければ…!)
ファルがタワー内の喫茶店に誘った際、ナルから用事があるから一緒にというので、渋々ながら同行を承知したのだ。
色素の薄い、月光のような金の髪。
ナル以外の人間を映そうとしない紫電の瞳。
そして、自分よりもナルと共有する時間の多さ。
その全てがファルの神経を逆撫でしていく。
溺愛する弟子からの「師匠」という特別な呼び掛けが救いであるが、いつまでも冷静で振る舞い続ける自信はなかった。
隙在らば間違えたふりをし、退魔魔法を執行してやりたいとまで思う。
(それはよくない、よくないお師匠様だぞ、うん…!)
自分自身で己に言い聞かせ、紅茶を飲んで心を落ち着ける。
「お師匠様、いつも忙しくて大変なのに…今日は時間を作ってくれて、どうもありがとうございます」
弟子からの感謝と労いの言葉。
彼女のため、いつでも優しくてかっこいい師で居られるように、ファルは努めて余裕そうに微笑んだ。
「いいんだよ、また一緒に来ようね」
「はい!楽しみにしてます!」
彼女が笑う、それだけで世界は薔薇色に染まっていくのだから恋とは不思議だ。
そう、ファルはナルに恋焦がれていた。
思い返せば、ゲフェニアの件の頃にはすでに意識していたように思う。
しかし、肝心の想い人は己が好意を持っているなど想像しておらず、いつも羨望の眼差しを向けてくる。
その眼差しはとても心地良く、自ら壊してしまう選択はしたくない。
出来ればナルの方から…など、つい夢見がちになってしまうのは、ファルがロマンチストゆえだった。
「うん、肝心なところは臆病なんだよねぇ…」
「えっ、何の話ですか?」
つい口から飛び出してしまった言葉を誤魔化し、三人は穏やかな昼時に別れを告げ店を後にした。
これからはナルの用事の済ませる時間である。
その為に階段を上ろうとした、その時だった。
「やっと見つけたわ!」
鈴の音かと間違うくらい凛と響いた声に振り向けば、そこには見間違えることのないミカの姿。
「あれ!ミカ、学校だったんじゃ…!?」
当分は学業で顔を出せないと聞いていたナルは驚きを隠せない様子。
そんなナルの表情にフフンと楽しげに鼻を鳴らし、ミカは声高らかに告げた。
「学校は当分さぼりよ!」
「えぇ?!」
「またなの!?」
彼女の発言に師弟は同時に声を上げたが、よく考えればミカは本気を出せば飛び級で卒業できるほどの才の持ち主。
その実力を以てすれば、さぼり程度は大した問題ではないのかもしれないと、本人の手前、師弟は顔を見合わせるとそう納得することにした。
師弟の心持ちなど察することなく、ミカはナルの傍らに佇む悪魔を見上げ、その目を細める。
「お久し振りね、二重の君」
「…あぁ」
ストレイキャットのメンバーでも、ミカは特別にゲフェニアの悪魔を「二重の君(にじゅうのきみ)」と呼んでいる。
ナルに至っては、本来の呼び名では人の世では都合が悪いことと、彼の特別な紫電色の瞳から「シオン」と呼んでいた。
悪魔としてではなく、個として扱ってくれる彼女らの呼び方に、彼も嫌悪感はなかった。
「三者面談みたいなデートだけど…何か上にでも用事があるの?」
ミカの問いに「あ!」と声をあげたナルが、そっとミカに耳打ちをする。
「シオンと最後の嘆きのレプリカの封印を解こうと…」
理由を最後まで聞くことなく、ミカはため息をついてナルの手を握った。
「それをしてどうするの?」
一応トゥエラーシュ家の人間として、快くその行為を許すわけにはいかない。
ナルが嘆きのオリジナルとなった今、彼女の意思次第でゲフェニアの悪魔を封印することは容易であろう。
むしろ、最近では世間慣れしてきた悪魔と、その生活を楽しんでいるナルに封印は不必要そうだが。
なぜ今になってレプリカの封印を破壊することが必要なのか、これがどうしても分からない。
「レプリカが残っているといけないの?」
ミカの率直な質問にナルは力なく「うん」と答えると、その理由を明らかにした。
「タワーにシオンの魂が縛られているから、どうしても遠い地へ行くと消耗するみたいで…」
尻すぼみな言葉と胸に手を当て、切なげな表情を浮かべるナル。
その様子に、ミカは思い当たるものがあった。
今までは悪魔だけに負担がいっていると思っていたが、それは嘆きとなったナルも同じなのだ。
「…そう、ナルにも負担が掛かっているのね?」
「うん…シオンは耐えられるみたいだけど、私にはすこしつらくって…」
ミカが目配せすれば、ナルの後ろでファルが心配そうな表情を浮かべている。
ゲフェニアの悪魔が関係することなのに、ファルが反対している素振りが見られなかったのはこれの為だったのだ。
妙に納得したミカはナルの肩にそっと手を置く。
「もう…事情が事情ね、仕方ないわ」
最後に「本当は応援しちゃいけないのだけどね」と付け足すと、素直に感謝の言葉を述べたナルと共に上へ続く階段へと向かった。
ウィザードギルド、その活動は限定的なものだ。
転職試験を受けるにはゲフェン魔法学校に試験の申請をしなくてならないし、何より表立って活動するような職業ではないことも関係していた。
そもそもウィザードになってしまえば、各々で知識力と魔法力を高めるのが一般的。
ギルドはいわば「免許認定」だけを行っているといっても過言ではない。
その為、タワー上部にウィザードが訪れるのはその試験を目的とする一度きりであり、ほとんどの期間は無人なのだ。
今日ももれなく転職希望者はいないようで、喫茶店を過ぎれば上の階は静かなものであった。
辺りに響くのは四人の足音だけで、永遠と続くと思われるような階段を踏みしめて行く。
「ふぅ、随分な数の階段だねぇ…」
ナルの口から体力の限界が伺える言葉が洩れる。
確かにかなりの階段を上ってきた気がするが、その段が終わる気配は一向に無い。
「疲れさせるような錯覚の魔法が掛かっているから、こればかりは仕方ないのよ…」
苦しそうに言葉を搾り出したミカは、顔色一つ変えない男二人に嫌そうな顔をする。
(…私、タフな男って好きじゃないかも…)
ようやく辿り着いた踊り場でナルが足を止める。
天井には見た覚えのある巨大なクリスタルのモニュメントがあり、それが一際目を引く。
よく見てみれば、ゲフェンダンジョンの地下三階に設置されている装置と酷似している気もした。
「…ねえシオン?もしかして、コレなのかな?」
ナルの問いに、シオンは迷う様子もなく頷いた。
「正解だ、…どうする?」
破壊しようにも天井にぶら下がっている装飾を物理的に壊すとなれば、その代償はかなり大きいだろう。
今までのレプリカのように小さく加工されていれば、いとも容易かったのだが。
各自悩みながらクリスタルを見上げていると、ナルが両手を掲げてその真下に立った。
ファルがクリスタルを見た、その瞬間だった。
辺りに強い光が発せられ、突然のことに目がくらんだ。
「なっ?!」
次に目にした光景ではナルはぐったりと床に倒れこみ、彼女の名を呼びながら慌てた様子で駆け寄るシオンの姿だった。
今もチカチカする視界に遅れを取りながら、ファルも弟子の傍らへと向かう。
「今のは一体…?!」
下手をすれば意識まで飛びそうな、そんな強い光だった。
ファルは気を失ったナルに回復魔法を施してみる。
物理的に怪我を負った訳ではない故に魔法に期待を持てなかったが、気休めでも構わなかった。
「大丈夫なの?!」
いまだぼやける視界に、額を押さえながらミカが安否を問う。
「…分からない、呼吸は正常だけど…昏睡してるように反応が無いんだ…」
弟子の腕を取り脈を確認してみるが、正常に力強く動いている。
ただ誰の声にも反応しない弟子の姿に、心は不安でいっぱいになってゆく。
シオンも今一度、囁くように彼女の名を呼んだ。
「…ナル…」
その呼び掛けにナルの右腕がかすかに震えた。
「戻った!」
「ナル、しっかりするんだ!」
シオンとファルに交互に呼ばれ、ナルの瞼がゆっくりと持ち上がる。
ようやく視界が戻ったミカが見たのはシオンに抱えられ、腕をファルに取られ、ぼんやりと呆けているナルの姿。
その視線はどこか遠くを見ており、まるで心をどこかに置いて来てしまったような、そんな様子だった。
「ちょっと、ナル…大丈夫なの?」
ミカの声にビクリと反応したナルは、ゆっくりと視線をミカへと向ける。
やはり、どうみてもおかしい。
「…ナル?」
異変を感じたミカが名を呼ぶと、ナルは首を傾げて呟いた。
「…あなた達は、ダレ?」
■シオン キク科シオン属(アスター属)
花言葉は 「追憶」 「君を忘れない」 「遠方にある人を思う」
別名、鬼の醜草(オニノシコグサ) ・ 十五夜草(ジュウゴヤソウ)
属名の学名「Aster(アスター)」(日本語ではシオン属)は、ギリシア語の「aster(星)」が語源。
放射状に伸びる星のような花びらが主な由来。
「紫苑」は、この花の薄紫色を指す色名としても使われる。