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第2話 来訪者

突如として現れたエノクの姿。
その風貌にミカは驚き、目を丸くした。
やつれた様子は肖像画で見た彼女よりもずっと痩せて見え、顔色の悪さは病人のそれであり、彼女の身にただならぬ事態が起きているのがまざまざと見てとれたのだ。
 「…エノク様の、このご様子は一体…?」
ミレイは頷き、鋭い視線のまま口を開く。
 「エノク様に悪魔が封じられたこと、少し前にお話したわね?」
母の言葉にミカは頷く。
それは初代当主にゲフェニアの悪魔が封じられたという、トゥエラーシュ家の血筋であれば誰もが知る歴史の始まりの出来事。
ミカにおいてはエノクにまつわる話の一端として先のゲフェニアの悪魔の件にてナルより耳に入っていたこともあり、母からトゥエラーシュ家の悪魔を封印する事柄について話をされた時も、さほど動揺はしなかった。
むしろナルが「魔王の嘆き」より継いだ記憶は魔王と歴代の要石の記憶が混濁しており無駄となる情報も多かったが、母からの話は長い歴史を受け継ぐうえで洗練されており改めて理解できた情報も多く、ミカのとってエノクの歴史とは純度の高い情報として記憶に新しかったのだ。
 「この記憶は、封じられた当時のエノク様のものよ」
母の言葉にミカは静かに息を飲む。
話を続ける目は悲しさを湛え、悲痛な表情は憂いに満ちており、母がそれほどの感情を表に出す様子に体は震えた。
 「…それは今の私に、受け止めきれますか?」
不安げな娘に優しく微笑み、ミレイは告げる。
 「知ることは責任です…そう、我々のね」
まだ何やら含みのある口振りではあったが、ミレイは強い瞳で娘を見つめた。
 「最後まで見届けるのです、あなたの為にも…仲間の為にも…」






エノクがプロンテラ城からアルベルタへと帰還して、はや数ヶ月。
人間たちを巻き込んだエルフと巨人、そして魔王の悪魔たちに対抗する戦いもようやく終局の面を覗かせていた。
まだ時間は掛かるだろうが勢いを無くすそれぞれの勢力の様子に、各地からは既に終息の気配が漂っている。
城にて親戚であるジャックから呪いを受け、体に異変を来たしたエノクは戦線より退き、故郷である港町での療養を余儀なくされていた。
窓から流れ込む潮風を吸い込み、ソファへと腰を下ろす。
エノクは身体に宿している魔力が常人よりも多く、それはまさに不幸中の幸いだった。
ジャックのように魔力が枯渇する事で身体が枯れてしまうことはなく、変調を来たしつつも辛うじて生活が送れることは救いであった。
背もたれへ身体を預けると、電気のような衝撃が身体を突き抜ける。
 「くぅっ…!」
苦痛に耐え、エノクは体勢を変えソファへ沈む。
眠りは魔力の回復を促し、束の間の安らぎをもたらすはずなのだが、夜が近づくと身体はいつも悲鳴をあげた。
蝕むように這い寄る痛み。
ジリジリと焦げるような疼き。
その痛みはジャックの最期の姿、それを思い出させる。
 (私も永くはないのだろうな…)
プロンテラ女王はエノクの願いを叶えるべく、ありとあらゆる封印の技術を込めた巨大なタワーをゲフェニアに建設しており、日を追うごとに廃墟に積み上げられていく無機質の白磁の城、その完成をエノクはただ黙って待っていた。
それは命を散らしたジャックの記憶の一部を受け継ぎ、世界の裏に巣食う闇を見てしまったために複雑な気持ちには違いなかったが、もし女王の理想通りに悪魔を封印できるタワーが完成すれば、忌まわしい記憶とともに呪いごと封じることが可能かもしれない、そう期待したかった。
 (魔王の残した悪魔、なんとしても封印しなくては…)
自分の内へ閉じ込められた悪魔の力は今も衰える様子などなく、抗い続ける様子にエノクは額にうっすらと汗を浮かべた。
 (こいつも早い段階で縫い付けることが出来ればよかったのに…)
魔王が造った悪魔たち。
それは強力な封印術のお陰で、各地の土地そのものへと存在を縫い付けられ移動を制限しているのだが、それはつまり特定の場所へ封じることが可能ということであり、封印さえしてしまえばその地に近付かなければ被害は抑えられるということ。
ただ唯一残された魔王の悪魔、それはゲフェニアの悪魔だけとなっていた。
ふぅと短くため息をつき、サイドテーブルに用意された魔力の込められた飲料水を手に取る。
コクリと喉を鳴らせば、その水はエノクの身体を潤してくれた。
 (タワーに縫い付けることさえ出来れば…)
完成予定日を聞いて絶望もあった。
少しでもそれが早まるのを祈りつつ、エノクはまどろみの中へと落ちていった。



夜は更け、港町に波の音だけが響き渡る。
アルベルタの灯台は静かに漆黒の海を照らし、窓を開けて寝入ってしまったエノクは、海風による肌寒さで目を覚ました。
 「うぅ…さむい…」
身体を震わせ、傍にあった厚手のマントを羽織る。
潮風は夜ともなれば街の気温を下げるため、とても日中の格好などではいられないことをアルベルタ育ちのエノクはよく知っていた。
夜風の為にマントを用意したのは、いつからだったろうか。
感傷に似た思いに更けつつ、窓を閉めるため窓辺に立つ。
見える景色は白い石畳が続く町並み。
しかし異質なそれは、当然のように目に映る。
 (…あれは?)
人気のない港に佇む、一人の女性の姿。
それは夜の港町には、あまりにも不釣り合いだった。
2階のエノクの部屋からでも、服装でアルケミストだと判断ができ、潮風に女性の紺碧色の髪が弄ばれた、その時。
その耳が異様な尖り方をしているのが見えたのだ。
 (エルフ、ですって…?)
種族的には妖精の類に近いエルフ族。
それは人より小柄で、長い耳が特徴的な種族。
長命なため知識に富んでいる者がとても多く、植物を操るアルケミストが多いのも特徴であった。
エルフは2階のエノクの視線に気が付いたのか、ゆったりした動作でこちらへ手を振る。
それは自分を呼んでいるようにも見え、エノクは無意識にマントを握る手に力をこめた。
 (まさか…私に用があるとでも?)
アルベルタの魔法使いといえば、まず最初にエノクの名前があがるほど有名だった。
戦況の悪化に伴い、遠い地から彼女の力を求め、尋ね来る騎士団もいたほどの魔法の使い手であるためだった。
まさかとは思いつつ、テーブルの上のランタンを手に取ると、魔法で火を点し足早に玄関へと向かう。
エルフと人間は協定を結んでいるため、間違いなく闇討ちの類ではない。
しかも、相手は女性。
エノクは「大丈夫」だと自己暗示を掛けつつ、扉を開けた。
暗い部屋へ入り込む月明かりに目を細め、あのエルフがいた場所へと視線を向ける。
しかし目に飛び込んできたのは、いつもの町並み。
疲労していた自分の見間違いだったのかもしれない、そう油断した瞬間、エノクの口元に手が宛がわれた。
 「なっ?!」
小さな悲鳴は手の主の「しー」という声に消されてしまった。
紺碧の髪と瞳の先ほどのエルフ。
彼女はすでに扉の横におり、エノクの口塞ぎながら騒ぐなと指示していた。
相手の背丈が自分よりも低いこともあってか、なぜか不思議と敵意は感じられず、エノクは従順に頷けばエルフは微笑み、エノクの耳元で囁いた。
 「ここは呪いの香りがする、場所を変えて話がしたいのじゃ…」
その声は鳥のさえずりのようで、人間とは明らかに違う声帯を持っているのが窺える。
エルフが言う「呪い」に心当たりのあるエノクは手を取られるまま、アルベルタ郊外へと向かった。