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第1話 祖への旅路

カーテンの隙間から射し込む朝日。
さながら光の柱のような陽光に目が慣れるにはすこしばかりの時間が必要で、ミカはゆっくりと目をこすり時計へ視線を向ける。
時刻は朝七時をすこし回った頃。
決まった時間、決まった回数、それは本日もなにひとつ変わることなく、ただ当たり前のように扉がノックされた。
 「どうぞ」
ミカが許可すればメイドが数人しずかに入室し、凛とした声を発する。
 「おはようございます、お嬢様」
 「おはよう…」
一糸乱れぬ挨拶。
この機械じみた動きを幼少より見てきたミカは、真新しさなど感じることもなく、ただ繰り返される日常に退屈さを感じていた。
ミカの気など知らぬメイド達はてきぱきとカーテンを開き、ベッドのサイドテーブルに真新しい水を用意する。
大き目の水入れの中には輪切りにされたレモンが三枚。
ミカが身体を起こせば、メイドたちは当然のように背中には支えとなるクッションを宛がう。
そのまま手を差し出せば、ミカが欲するのが最初から分かっていたかのようにレモン水のコップを渡された。
 「ありがとう」
コップを手渡したメイドは微笑むと、深々と頭を下げる。
 「恐れ入ります、お嬢様」
中身を飲み干したコップはそれを下げるためだけの役を持ったメイドが受け取り、ミカがベッドから足を出せばあらかじめ用意されていたスリッパがそこにあり、もちろん寸分の狂いもなくぴたりと足にはまる。
ローブ一枚のままのミカの動きに添うよう、慣れた手付きのメイドがカーディガンを羽織らせてくれた。
 「朝のメニューは?」
その問いには年長者のメイドはメニュー表を開き、ゆっくりと読み上げを始める。
 「トースト、ペイザンヌスープ、サラダ、フルーツでございます」
ミカは小さく「そう」と呟くと、ゆっくりとした動作で自室を後にした。
その後姿にメイド達は背筋を伸ばし深く礼をし、トゥエラーシュ家次期当主の部屋を整える仕事に取り掛かるのであった。



ここは魔法都市ゲフェンの中で、最も地位のあるトゥエラーシュ家。
強大な魔力とプロンテラ王族からの代々の信頼により栄え、想像を絶するほどの富を有し、貴族に匹敵するほどの家柄でもある。
その血筋は古く、ゲフェンを今の魔法都市の姿にまで成長させた輝かしい歴史はあまりにも有名だ。
真白の天井によく映える赤い絨毯、そこを音もなく歩きながらミカは食堂へと足を向けていた。
廊下の途中ですれ違う使用人たちは、ミカを目に写すと敬うように深く礼をする。
 (…ほんとうに面倒な家…)
ストレイキャットで自由気ままに過ごしてきたミカは、この息が詰まるような窮屈さを家を飛び出したころよりも強く感じていた。
しかし二年も魔法学校を無断欠席していたツケは大きく、今はようやく学校の合同合宿から戻ったばかりの身、そうやすやすと外出するわけにはいかない。
家は元より学校でももちろん、合宿先でも自分を「令嬢扱い」する周囲の態度は変わることなどなく、もはや家なのか学校なのかすら区別がなくなるほどだ。
 (…求められるコトは、ただの形式なのよね…)
ため息を付きながら食堂への扉の前に佇めば、ここでもメイドがミカの為だけに扉を開いてくれる。
小さくありがとうと伝え、中へと足を踏み入れた。
気が遠くなりそうな程に長い机の端に腰掛ければ、その向かいには新緑色の長い髪の女性が紅茶をゆっくり嗜んでいるのが見える。
 「おはようございます、お母様」
ミカの母と呼ばれた女性は、ゆっくりと笑顔を作った。
 「おはよう、ミカ」
繊細で艶のある声が部屋に流れる。
その美声により、ミカが生まれる前は「セイレーン」の二つ名で名を馳せていたというミカの母親、そしてトゥエラーシュ家の現当主。
名前はミレイ。
本人は「ネコの名前のようでイヤだ」というが、ミカはそんな母の当主だとて決して飾らない一面が可愛らしく好きだ。
 「どう?久しぶりの自分のお部屋は寛げたかしら?」
問われたミカは首を横に振る。
 「この家はどこも窮屈です、私はここが嫌い…」
元気なく項垂れるミカの前に、朝食が運ばれてくる。
紅茶を入れる素振りをした執事を手で制し、まずはその茶葉の香りを確かめた。
 「ごめんなさい、今日はレモンティーにして?」
 「かしこまりました、お嬢様」
ミカからのオーダーを承った執事はすぐさま紅茶セットがのったトレイを下げ、その彼とは入れ違いに別の執事がミカの隣に立つと新たに別の紅茶を準備してくれた。
ふんわりと立ち上る湯気、そこに華やかさをブレンドするのはレモンの爽やかで甘酸っぱい香り。
ミカは納得した様子で、ようやくカップに手を伸ばした。
 「うふふ!窮屈でしょうけれど、それも今日まででしょう?あとすこしよ、頑張りなさいな?」
ようやっと朝食に手を伸ばしたミカの姿に安心したのか、ミレイは優雅な手つきで席を立つ。
 「はい、お母様」
母が部屋を出るのを見送ると、色とりどりの野菜スープをスプーンで口に運びながら執事に今日の予定を読み上げてもらいつつ、上から順に目を通してゆく。
学校こそ休みではあるが、今日はミレイから直々に家に伝わる特殊な魔法を学ぶ特別な日。
トゥエラーシュ家にのみ伝わる魔法の数は膨大で、ミカが十六歳になるまでに覚えた物を足しても、まだ半分も覚えていないのだと母は語っていた。
通常のウィザードが取得する魔法などとっくに全て扱えるほど優秀なミカにとっても、ミレイから授けられる魔法はあまりに特殊で奇抜なものであった。
人の記憶を読むもの。
相手の意志なく操るもの。
どれも公に広められる類ではなく、効果も強力なものばかりであり、むしろ禁術と呼ばれてもおかくない類のものばかり。
母であるミレイは千里眼の術が得意であり、よく本を読んでいる振りをしては、世界のあちこちの出来事を覗いているのだと聞いた。
ミカはこちらに戻ってきてから教わった風を読む術と相性がよいらしく、窓を開けては風が運ぶ話を聞いていた。
それは天気のことを教えてくれたり、また遠い異国の話のときもあった。
つい先日もシュバルツバルド共和国で不穏な動きがあるのもそれにより知ったが、今は気に掛けることではないだろうと忘れることにしたばかり。
 「あ…」
ふと先ほどミレイが口にしていた「窮屈も今日まで」という言葉に引っ掛かりを感じ、隣の執事に声を掛ける。
 「ねぇ、今日のレッスンって…?」
 「はい、次期当主になられる為の儀式だと伺っております」
執事の使った「儀式」という単語にミカはピンときた。
 「そう、当主達を背負うのね…」
力なくサラダを口に頬張り、ミカはもやもやと思考を巡らせる。
窓の外では白い羽の鳥達が、朝の囀りを絶え間なく楽しそうに歌っていた。



朝食もそこそこに済ませると数人のメイド達に連れられ、正装を纏うための準備に取り掛かることとなった。
袖を通すそれはウィザードの正装でありながら荘厳さが漂う礼装であり、生地そして留め具に至るまでが魔力の巡りを想定された特別な一着。
着用するにも順序があるため、ミカもメイド長にすべてを委ね、まるで人形のように任せっきりだ。
 (…正装宝具って、重ったらしいわね…)
この特別な正装には魔力を制御する術や、潜在的な力を増幅させるような術式が編み込まれていた。
装飾具に至っては見た目こそアクセサリーの類ではあるが、その質たるや平凡な人生であれば曾孫の代まで遊んで暮らせるほどの価値があるものばかり。
そのほんの一部である髪飾りには小さな鈴が付いており、ミカの身体が揺れる度にチリンと控えめで涼やかな音を立て、なんとも可愛らしかった。
 「お待たせしました、どうぞいってらっしゃいませ」
最後に真紅色の宝石の指輪を付けられ、それを合図にしていたのだろうメイドたちが一斉にミカより距離をおく。
指輪の宝石、その炎のような赤はギルドマスターであるステアの髪と瞳を思い浮かばせ、起床時より窮屈だったミカの心に穏やかさを取り戻させる。
 「今日は地下を使うのね…では、ごきげんよう」
ミカの言葉の意味を悟り、メイド達は深く頷き令嬢を送り出す。
トゥエラーシュ家の地下は秘密の通路によって行き来が可能で、それの行き方を知っているのは代々の血縁の者だけ。
大広間にある時計の前に佇ずみ、目を閉じ、秘密の呪文を口にする。
みるみるミカの身体は透明度を増し、その場より夢のように消えてしまった。
次にミカが目を開けば、真っ暗な空間。
そこは紛う事なく、秘密の通路。
落ち着いた様子で手にしていた杖に魔法をかければ先端より淡い光が溢れ、それは足元を照らすに十分な明るさへ調整されるとミカは螺旋階段を下り始めた。
降る途中、横道へと続く通路が何本か目に止まるが決して気を逸らす事なく、目的である最下層をただひたすらに目指す。
気が遠くなりそうな階段はいつしか終わりを告げ、一人には広すぎる広間へと到着した。
目を凝らせば突き当たりには扉。
その扉をぐいと押せば、驚くべき光景が広がっていた。
中はまるで地上のように明るく、あちらこちらには草木が自生し、その様子は例えるのであれば小さな森のようだ。
広さは魔法都市ほどはあるかもしれない。
杖をしまい、耳を澄ますと、すこし離れた所からまるで誘うように微かながら歌が聞こえる。
 (…お母様?)
ミカが聞き間違えようもない。
それはたしかにミレイの歌声。
誘われるまま声がする方向へ進みたいのは山々であるが、足下に生い茂る草が行く手を阻み思うように進めないのだ。
 「んもぅ…、ゴミゴミしてて邪魔ね!」
ミカはミレイから習った呪文のひとつを行使しする。
足元にふんわりとした淡い新緑色の魔方陣が展開され、やがてその眩い光は強さを主張し始めた。
 「我を導けっ!」
光は一陣の道となり、ミカが命ずるままに草や生い茂る木々はしなると、やがて一本のトンネルを作った。
その先には楽しそうに歌うミレイの姿。
ミカは行使した魔法の効果が切れぬうちにと、足早にトンネルへ駆け込んだ。
 「まあ、随分早かったのね!母はまだかかるかと思っていたわ」
辿り着いたミカの手を取ると、ミレイはなんとも楽しげに「ご苦労様」と笑顔で労ってくれた。
二人の後ろではミカが作ったトンネルが元に戻ろうと、またざわめき始めている。
 「お母様、地下を使うだなんて…今日は一体?」
この広い空間は魔法により作られた擬似世界。
いわゆる、閉ざされた空間である。
全てが嘘で、全てが虚無。
生きる人間が入ってはいけない、禁じられた空間。
この空間の外と中、そこに流れる時間は異なる。
中の一日は外の一分であり、ここに留まることは恐ろしい時間の消費量となる。
本来はここにゲフェニアの悪魔を封印するという思惑も合ったらしいが、彼をゲフェニアから引き摺り出すこと、それがなにより容易ではなかった。
それにより結果、ここは永いこと放置され続けることとなり、今では目的の朽ち果てた一つの世界として成り立ってしまったのだ。
ミカの問いにミレイは微笑み、その場へと腰を下ろす。
 「お座りなさいな、今日はお話しましょう?」
よくよくミレイの服装を見ればウィザードの正装ではあるが、装飾具は一切付けていない。
どうやら大型の魔法を行使する気はない様子である。
ミカは言われた通り、ちょこんと母の隣へと座り込んでみると、そこは鼻をくすぐる植物の香りがなんとも心地良かった。
ミレイの長い深緑の髪も自然に溶け込み、その光景たるや草木の女神のようでミカの目に優しく映る。
 「今日はトゥエラーシュ家創設、いわゆる歴史のお勉強よ」
そう告げたミレイは両手を差し出し呪文を紡いでゆく。
すると大きな水晶玉に似た球体が現れ、その中になにかを映し出し始める。
 「次代当主へ、必要な記憶の贈り物よ…」
促されるまま、ミカは球体の中の映像をよく見ようと身を乗り出して覗けば、ぼんやりとした人影が写り、やがてそれは輪郭をしっかりしたものへと形作られていくではないか。
よく目を凝らすと人影は女性であることご分かり、その顔も家系図で見たことのある、凛とした顔立ち。
トゥエラーシュの者は決して忘れてはならない始祖。
それは初代当主、エノクであった。