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第21話 声

結局、あの日からドッペルゲンガーはアスターと名乗ると退魔師の師弟に付いてまわるという、なんとも不思議な日々が始まりを告げた。
あの時に否定しきれなかった自分を責めつつ、ナルはアルベルタの森を共に歩む悪魔を見上げた。
 (…ぜんぜん悪魔に見えない…)
アスターのまとう雰囲気は人間のそれだと疑いようのないもので、いくど街を訪れたとて誰一人、彼が人ならざる者だと見抜ける者はいなかった。
悪魔だから人間の食べ物を苦手とする訳でもなく、祝福された場所や物なども得意ではないようだが祓われるような事もなく、極めつけは足の悪い老婆を助けた時には彼の細やかな気遣いに目が飛び出るかと思ったほど。
 (私なんかよりずっと人間っぽいんだよね、アスター)
素直に彼を良いところを認めるのは彼女の長所であるものの、人間社会における的確かつ非常に高い順応性に、ナルはただただ驚かされた。
三人でいるときには傲慢な喋り方をするにも関わらず、人里に下りれば途端に和やかな口振りに変わる。
その姿は、まさにドッペルゲンガーに相応しい立ち振る舞いといえよう。
 「…ん?どうした?」
ナルの視線に気付いたアスターは目を細め、その紫電の瞳に力を込めて見つめる。
反射的に顔を反らしながら、ナルは悲鳴に近い抵抗の言葉を吐き出す。
 「そ、それダメっ!禁止っ!」
 「なぜ?弱まったとて、だいぶ心地良いだろう?」
 「おーっと、そこまでにしてもらおうかな?」
二人の間にアークワンドを滑り込ませ、ファルが強引に身体を割り込ませてきた。
相変わらず手厳しいファルの陰にすっぽりと隠れてしまった眷族を残念そうに見つめ、アスターは何事もなかったかのように視線を戻す。
 「これから港町を定期的に荒らす狼退治なんだよ?分かってるのか、アスター?」
 「貴様よりは理解している、問題ない」
隙あらばナルにちょっかいを出すアスターに釘を刺し、今も頬を染めて紺碧の瞳を蕩けさせるナルを見てファルはため息をつく。
 「もう…ナルもほら、しっかりして?」
 「…わ、わかってるよぅ…!」
思い通りにならない自分の身体を持て余すナルは、反発心でファルに返事をする。
三人はアルベルタへ巡礼の用事にて滞在中であったのだが、食事処で聞捨てならない内容を耳にしてしまったため、今こうしてアルベルタの森を進んでいる。
森の中に住まう狼の群れがここ数日に渡り、港町まで侵入をしては荒らしてゆくのだと住民は震えながら語り、今はまだ人間を襲うようなことはないものの、いつそうなってもおかしくない状況に怯える様子は気の毒で、気を利かせたファルが町長へ解決の糸口になるよう狼退治を申し出たのだ。
 「もー!アスターが変なことするから、喉が乾いちゃったよ!」
八つ当たり気味にアスターに苛立ちをぶつけたナルは、手荷物からブドウジュースを取り出すとストローを口に咥えた。
 「…また甘い果実の汁を飲んでいるのか、よく飽きないな?」
 「んもう!言い方に気を付けてほしいの!ジュースだよ!」
 「ふふ!悪かった…ナルを見てると、からかってみたくなるんだ」
 「あー、それは分かる、ぼくもそうだなぁ」
 「師匠まで、そんなぁ…!」
協調性のない三人を崖上から見下ろす鋭い視線。
それは一頭の狼の魔物により放たれているものであった。
荒れた風貌のそれは天高く遠吠えをし、ようやく気付いた三人が周囲へと視線を向ければ、そこはあっという間に周囲を狼の群れで囲まれていた。
 「刺激しちゃだめだよ、ナル」
 「う、うん…」
ファルの声に反応しつつも、牙をむいて威嚇する狼の姿は恐ろしく、ナルは思わず喉を鳴らした。
すっかり逃げ場がなくなってしまった三人は、身体を寄せ合うようにして状況を把握する。
そんな三人の前に群れの中でもひときわ身体が大きく、立派な尾をもつ荒れた風貌の個体が姿を現した。
 「師匠、もしかして…あれが?」
ナルの問いにファルは頷く。
 「さすらい狼だね、今回のターゲットだ」
アルベルタの森に住まう狼たち、その群れのリーダーは特殊な個体で統率されることで有名であり、さすらい狼と呼ばれていた。
狼達を見事に操るその姿は群れのトップであろう威厳にあふれ、あの大きな個体こそがリーダーであると見て分かる。
今日は討伐ではなく、町へこれ以上は近付かないようにさせるのが目的であり、出来る限り殺傷するような道は選びたくないものの状況は非常に厳しい事態であることを物語っていた。
 (痛い目に合わせるのも一つの手ではあるんだけど、それじゃあ抑止力にならないだろうし…)
ファルは思考を巡らす。
変に脅して報復として港町を襲撃されては困るし、かといって相手は狼、とても話が通じるようには見えない。
ましてやここまで統率の取れた群れともなると、下手に刺激してはならない。
想定よりも厄介な相手にどうしたものかと考えていると、ナルが恐れのない顔付きでゆっくり前に出る。
 「ナル、危ない!」
そうファルが声を上げて制止させようとしたが、すかさずアスターがファルの肩を掴むとナルから引き剥がす。
思いもよらぬ事態にファルが何事かとアスターを見れば、彼はナルから視線を逸らさず、ただ何かを待っているように見えた。
退魔師としての勘が「悪魔の邪魔をしてはならない」と囁いたのだろうか、ファルはなぜか気持ちを抑えねばならない気がして、共にナルの小さな背中を見つめた。
 「…どうして、町を襲うの?」
ナルの声にさすらい狼は耳をピクリと動かす。
しばらく互いを見つめ合うような様子であったものの、とうとうさすらい狼は牙をしまうと淋しげな声で遠吠えをした。
それに呼応するかのようにナルは頷き、両手を広げ狼達に告げる。
 「あなた達のこと、街の人に伝えておくわ!」
ナルの言葉に反応した群れのリーダーである狼が森へと駆け出してゆけば、それに続くようにして周囲を取り囲んでいた統率された狼達も森の奥深くへ走り去ってしまった。
非常につかれた様子で安堵のため息をつくナルを見て、ファルは驚きながら息を呑む。
 「ねえナル、まさかと思うけど…魔物と意志の疎通が出来るの…?」
師の言葉にすこし顔色を悪くするナルは、苦笑混じりに首を横に振る。
 「はっきりとは分からないよ…本当にちょっとだけ、なんとなく…だけど…」
顔色の悪さは魔をふくむ合いの子である特殊な能力を隠しておきたかったように見え、ファルは弟子の新たな不安要素に触れてしまったことを少なからず後悔した。
 「…なんだファル…おまえ、ずっと一緒に暮らしていたのに知らなかったのか?」
 「んぐっ…!」
アスターの挑発は相変わらず的確で腹が立つが言い返す言葉も見つからず、ひとまず良い方向に傾いた状況にファルは目を瞑ることにした。
深呼吸をして心を落ち着かせると、まずはナルに笑みを向ける。
 「すごいねナル、大手柄だよ!ちなみに狼達はなんて?」
肝心のナルはちらちらとアスターに視線を送りながら、なんとも自信なさげにおずおずと口を開く。
 「ここから先は狼たちの縄張りだから、人間は森の奥深くへ侵入するのをやめてくれって…かんじ?」
まるで答え合わせをしてと言わんばかりの仕草に、アスターは大きく頷く。
それに確信を得たナルは、自身あり気な表情を浮かべるとようやく笑顔を見せたのだった。
 「なるほど、じゃあ街の人に伝えないといけないね」
乗り気のしなかった仕事であったが、ナルの活躍でなんとか解決の目星がついたこと安堵することができた。
心軽やかに元来た道をしばらく歩いていると、アスターから「あ」と小さな声があがる。
何事かと振り返れば、彼から続いた言葉に退魔師は耳を疑った。
 「アルベルタへついたら我とナルとの二人だけの時間をくれ、頼んだぞ」
 「な…!バカいうなよ、なにする気なんだよ!?」
敵対心を顕にするファルを見た悪魔は、それはもう心底疲れたように深く息を吐き出す。
これ以上ファルを刺激しても良い事がないのは経験上よく理解しているため、彼はゆっくり静かに告げる。
 「ナルは魔を宿すものとして今生では未熟だからな…その力の使い道を話す、その間の人払いという意味だ」
それはつまり、先ほど彼女がみせた「人ならざる力」のこと。
確かにファルの分野ではないため指導することなど出来るはずもなく、ここは仕方ないと不承不承で頷く。
現に今までナルが魔物の言葉を聞くことが出来ることを知らなかったのは紛れもない事実であり、なにより、そのことでゲフェニアの悪魔に思う所があるならば、それはきっとナルにとって必要なことなのだろう。
それを考慮すれば、今のファルは引き下がるしか選択はなかった。



三人がアルベルタへと帰還したのは昼も過ぎ、港も穏やかな定期船が出入りする頃だった。
ファルは宿屋へと二人を見送り、まずは依頼主である町長へと説明に向かった。
 「どうやら彼らの縄張りをさきに荒らしてしまったようです」
 「まさか、…いや確かにそうかもしれん…」
その一言に思い当たる節があったのだろう、町長は納得すると森へ深く侵入することをやめるに落ち着いたようで仕事を完遂することが出来た。
町長とのやり取り後、巡礼の礼拝を追えて宿屋に向かうファルは潮風にあそばれる髪を抑えつつ、今日の出来事に想いを馳せていた。
 (魔物の声を理解するだなんて…)
前世からの奇妙な導きは思いもよらぬ形で今の弟子を形作っており、人間とは一線をまたぐ様子は過去生を思い出しては心を揺さぶるのだから困ったものだ。
ましてや自分では師事することのできない、考えた事すらない彼女の秘された能力は、いつかのゲフェニアにて人の道をすてたあの出来事を暗示させる。
 (大丈夫、この為にぼくは冥府王の取り立てに応えたんだからね!)
最愛の弟子の悪魔祓いは超級といっても過言でないほど厄介なものであったが、自分の過去生をひっくるめて冥府の王に清算を依頼すればなんのことはない、気が遠くなる程度の時間を割くことで可能となったのだ。
弟子の魂は半分だけとなったが、それでも悪魔からの呪いのような愛からは解き放つことができたし、こうして再び自分の声で導くこともできた。
また引き会わせてしまったものの、隠し通せることでもない。
不安に思うことは多々あるが、今生では出遅れたつもりもないし、負けるつもりもなかった。
 (たとえどれだけ魔に傾いてても、ぼくが祓ってあげるだけさ!)
つよい意志を秘めながら宿屋に戻れば日は落ちきるまで数刻ばかりで、借りた部屋にはやや強い夕日が射し込んでいた。
 「もどったよ」
 「ああ、遅かったな」
部屋にひびくファルの声に反応したのは意外にもアスターで、ファルはすこしばかり複雑な表情を浮かべる。
 「…ナルは?」
 「この通り、ぐっすりだ」
必要最低限の言葉のやりとりに弟子の疲労を感じ取り、ファルはドアの音をなるべく立てぬよう、ゆっくり閉じる。
なるたけ足音を立てずに寝室を覗けば、ファルが用事を済ませている間にぐっすり寝入ってしまったナルと、そんな彼女を愛おしむかのようにして紺碧の髪を優しく撫でるアスターがくつろいでいた。
二人の穏やかな空気とは裏腹に、不服そうな顔をするファルの様子を紫電の瞳で捉え、アスターはひとつ欠伸をする。
なんとも呑気な悪魔の姿にいら立ちの矛先を向けても仕方ないとばかりに、ファルはベッドサイドの椅子へと腰を下ろす。
 「それで、君がしたいと言っていた話は終わったのかい?」
 「まぁ、一通りはな…まだ開花しない部分が多いゆえ、これからの課題がとにかく多いな…」
すこし悩まし気なアスターの姿は悪魔寄りながらも、しっかりナルという稀有な存在を理解しようとしている様子が伺える。
愛弟子を大事にしてくれる所は相変わらずで、ファルもそこには一目置いているゆえに「よかった」と心の底から返事をすることができた。
 「…して、本題に入るぞ」
 「うん?本題って…なに、ぼくに?」
 (…この師弟、やはり昔からこういうところがあるな…)
重要な出来事は自分に降りかからないだろうと高を括っている、そんな師弟の似通う部分には嫉妬にもよく似た呆れを感じたものの、ややこしくならぬようにアスターは気にしないように言葉を選ぶ。
 「お前はナルが本当にほしいもの、それを知っているか?」
突然の質問にファルはすこし考えた素振りを見せたものの、首を横に振った。
 「君の事だ、物欲とかそういう事じゃないんだろう?」
 「ああ、そういう事じゃない…これを見ろ」
悪魔に呼ばれるままベッドに近付くと、アスターは迷いなくナルの口元に指を差し込んだではないか。
突然のことに声をあげそうになったものの、露呈させられた彼女の歯列は美しくも恐ろしさを以て姿を現した。
そこには人間では考えられぬほど鋭利な歯が顔を覗かせ、アスターもまたファルの表情を伺うように視線を投げかけている。
 「…小さい頃からだよ、それ」
特別驚いた様子もないファルの言葉に、悪魔は「ふむ」と頷く。
 「やはり生まれつきか…」
 「魔に傾いてるのは知っていたから、今まで疑問に思わなかったけど…その牙、もしかしてまずいのかい?」
ファルの問いにナルの口から指を外したアスターは、穏やかに眠るかつての眷族に視線を落とす。
 「人喰いたる我ですらこんな牙は持たない、これは…ファミリアのような吸血種の類いだろう」
アスターの言葉にファルは表情を曇らせる。
 「なんだよそれ…古代ゲフェニアに居たっていう、ドラキュラの血縁者ってこと?」
噂は絶えてひさしく、それの話が囁かれていたのはドッペルゲンガーが生まれた時代の話。
かつての彼の地には血により命を繋ぐ、魔物とも人間とも一線置いた一族がいたという。
ファミリアを飼いならし、人をさらうこともあったとも。
 「直系ということはないだろう、しかし体液を通して魔力を補う可能性は否定できない」
 「…魔力を補うだって?」
聞き逃すにはあまりに重い言葉にファルは表情を曇らせる。
 「まだ確信はもっていない、可能性の話だ」
 「悪いけど、ぼくはナルを魔力切れになんかさせたことないんだけど?」
 「先刻も言っただろう、そういう話ではないと」
苛立ちを隠す余裕もなく感情のまま詰め寄ろうとするファルを切り捨て、アスターは気怠さそうに目をつぶる。
 「…我もまさかとは思っている…、しかし確かめてみる必要はあるだろう」