冥府王の邸宅へと戻ったドッペルゲンガーとセツナは、勝利の証としてレーヴァテインを差し出していた。
「ほう、これは上出来だ!」
スルトの秘密を暴いたことを評価するヘルは、さも楽しげにその刀身を見つめる。
操りの呪いは生きたままであり、傀儡の門番からこれを取り上げてきたのは間違いなく、彼等のつよさを侮っていた冥府王は自分に苦笑してしまった。
「ふふ…!よかろう、お前達との約束を果たしてやる」
冥府王は玉座から立ち上がり、悪魔の額にその細い指先を向け笑みを浮かべた。
「よろしい…ヴァルキリーも自らの仕事を果たしたようだ、よくぞ間に合った!」
やたら上機嫌であるヘルの様子に、ドッペルゲンガーは虫の知らせを感じた。
どうにもおかしい。
ナルの魂は己の中でたしかに感じるのに、その暖かさは失われつつあるように昨夜より弱々しいものへと変化している。
「…神よ、我の眷族はどこへ…?」
「あはは!まあ待て、まだ貴様の魂をいじるのが終わっておらぬ!」
今にも鼻歌でも歌い出しそうな死の神にはぐらかされ、その視線をファルへと向ければ執事の強い眼差しは沈黙を貫く。
空色の瞳にナルの気配の薄さを感じ、それは間違いなく消失であることを悪魔は確信した。
「事と次第によっては神とて恐れず剣を抜く、いま一度問う、ナルをどこへやった?」
セツナの前だというに彼女の真名を出すほど、ドッペルゲンガーはいまの状況に狼狽えていた。
こうしている間にも遠くへ行ってしまいそうな感覚は恐怖すら覚えるし、なにより昨夜から一目すら会えていない。
いらだつ悪魔の額から指を退けた冥府王は数歩ばかり下がり、口元を吊り上げて笑む。
「さあさあ、これで貴様の身体は其処らの生き物と遜色ないものとなったぞ、あとは自分で考えて生きるがいい」
「…ナルはどうした?」
答えとして返ってくることのない言葉に、ドッペルゲンガーはその呼吸が聞こえる程に息を荒げ、手に馴染んだ剣を形成するとつよく握りしめた。
血気盛んなその姿にさらに気を良くした死の神は、己の唇に指先を向け楽し気に告げる。
「そうだな…アレはヴァルキリーの元へゆき転生した、もうこの世界のどこにもありはしないよ?」
頬に鋭利な刃を掠められたような感覚、セツナはそれが悪魔の怒りで空気が震えたことに気付き、あまりの恐ろしさによろめくように下がった。
悪魔の紫電の瞳はヘルを捉え、荒ぶる様子に諫めるための掛ける言葉はない。
「転生だと?!ナルが側から離れる訳がない!!」
「そう思っているのは貴様だけで、あの娘はそうではなかったのだろうよ」
「おのれ、冥府王!」
わざと煽る冥府王の言葉に限界を迎えたドッペルゲンガーは、雷の如く迷わずに剣を向けた。
しかしそれは執事の絶対防壁魔法により届かぬものとなり、白銀の槍を手にした冥府王は声高らかに宣言する。
「おやまあ…神への反逆とはなんと罪深い、貴様には制裁が必要だな」
神の一閃、まさに神風。
ヘルの繰り出した突きは確実に悪魔の腹部を捉え、その身を派手に飛ばす。
セツナが気付いた時にはすでに自分の遥か後方で調度品の数々が破壊される音と、埃舞うその中に防御すら出来なかった悪魔が無惨に倒れていた。
「神への反逆は万死に値する…が、貴様の領地の半分を私のモノにすることで手を打とう」
白銀の槍は空に溶けるように姿を消し、冥府王は意識を朦朧とさせる悪魔を見つめると鼻で嘲笑う。
「流石に丈夫だな、加減したとは言え仕留めたと思ったが…」
吐血により息を咽ばせ、ドッペルゲンガーは冥府王を憎らし気にその瞳に映す。
「執事、癒しの魔法を施してやれ…今なら私の声にも耳を傾けるだろう」
「仰せのままに…」
ファルは表情を変えず、愛しい弟子を堕としめた悪魔に回復魔法を施す。
「…我に寄るな…!退魔師の癒しなぞ、いらぬ…っ!」
「ぼくだってしたい訳がない、このまま惨めに野垂れ死んでほしいくらいさ」
悪たれをつきながらも冥府王の命を忠実にこなすファルの背中越しに、死の神は髪を揺らしながら悪魔に告げる。
「少しは頭が冷えただろうか?私の話しを聞け、ゲフェニアの王よ」
冥府王からの話は信じたくないものだった。
まず、スタージュエルでナルが見たという未来にて自分が彼女の手を取らなかったということも驚いたが、その先が彼にとっての絶望であった。
「全てを忘れる…?」
「そうだ、完全な魔物ではないだろうが…転生することで忘却を繰り返すのだ」
今後のナルは人のように歳を重ねては死を迎え、また大気を巡ってふたたび生まれ落ちるのだと冥府王は説明した。
膨大な刻を生き続ける訳ではない故に憂う負担はなく、今のように過去に縛られ苦しみ続けることはない。
しかし、悪魔の手を取った命は人間の輪廻の輪に完全に乗ることは出来ず、魔を含みながら転生を繰り返すのだという。
「それでは意味がない…!その都度、我を忘れてしまうのでは意味がないのだ!」
愛しき日々は失われ、あの微睡みに帰ることが出来ないと思うと、自然と彼の心は悲しみに揺れる。
いくら巡り会えたとしても真っ新な場所から始めなくてならないというのは、とても恐ろしいことだと悪魔は思った。
名を呼べば振り返り、手を握れば握り返してくれる。
そんな当たり前のことすら出来ないのだ、と。
「必ず手を取る!離すことはない!だから今すぐ戻してくれ!」
ファルの回復魔法により動くようになった身体を引きずりながら、悪魔は冥府王に懇願する。
すっかり弱り切った様子は気の毒であるものの、それでも冥府王は首を横に振る。
「アレが過去に耐えきれなくなるように、その苦しむ様を見続けることで貴様も苦しむ…過去に捕らわれ続けるのが悠久の運命を背負ったアレの宿命…それでもいいと?」
転生はナルの運命を変えることが出来る。
告げられた内容を反芻しながら、悪魔は口を噤んだ。
彼女の魂、その半分は離れることなく、確かに自分と同化したままである。
自分はそれを支えに、いつかは分からぬ転生後のナルに巡り会えるのを待つしかない。
そう頭はわかっていても心は追い付かず、心は締め付けて切なさを訴える。
「貴様は己を信じることが出来ぬ、ゆえに立ち上がることすら出来ぬのだ」
項垂れたままの悪魔に言い放った冥府王は、更に続ける。
「この執事のように追い掛けることも出来ぬのなら、例えアレが人間に戻った所で巡り会えないのは当然だろう?」
その言葉にドッペルゲンガーは息を飲む。
確かに追い掛けたことなどなかった。
出会った頃から寂しいと伝えればナルの方から身を寄せてくれたし、最終的には彼女が自分を選ぶよう立ち回っていた。
それは安全で完全たる逃げ道を自ら作っていたのだと、今ようやく知った。
「ふむ…理解は出来たようだな?そろそろお前達の相手をするのも飽きたゆえ、このまま地上へ送ろう」
冥府王は執事に下がるように手を向ける。
治療を終えたファルは頭を下げ、彼女の傍らへと戻ると微笑みとともに宿敵に宣戦布告を宣言する。
「次は負けないよ?」
それはつまり転生したナルを射止める宣言であり、ドッペルゲンガーは迷惑そうに眉間にシワを寄せる。
「こちらとて負けるつもりなどない」
今も弱弱しくなりながら片割れとなった唯一無二の愛する魂の鼓動を感じつつ、ドッペルゲンガーは厄介な退魔師を視界から外しため息を吐き出した。
そんなやりとりを横目でみていた冥府王はセツナから受け取ったレーヴァテインを見つめたあと、改めてセツナに向けて手を差し出す。
意外な行動に不信そうに怯えながら両手を差し出したセツナに、冥府王は巨大な盾の破片を渡した。
それは彼女の白銀の盾の一部だと理解したセツナは首を傾げる。
「あ、あの、これは…?」
「人の世に戻ってから私の心を討った証だとでも言うがいい、そなたの働きはそれだけの価値に見合うものだったということだ」
穏やかな笑みを浮かべる冥府王の厚意に感謝を述べ、今も険しい表情の悪魔を心配そうにみつめる。
「そんなに心配してやるな、そなたが転生を経たとて、あの娘はまだ蘇ることは出来ん」
「転生とはそんなに掛かるのですか…」
セツナの言葉に冥府王は一度だけ頷いてみせる。
「あの娘は人と魔の狭間にいる者だからな、天界の使者といえど新たな転生に時間は掛かろう」
不思議な縁で出会ったソウルリンカーは神風の如く消えてしまった。
どうせなら最後に一目会いたかったと思いつつ、セツナはその手に持たされた証を強く握る。
「さあ人の世へ送ろう、また死を迎えた時には再び顔を見にくるがいいぞ?」
なんとも意地悪そうな笑みを浮かべた冥府王は彼らの返事を待たず、彼らを地上へと転送した。
残された執事は少し寂しそうに彼らがいた場所を見つめると、ゆっくり空色の瞳を閉じる。
そんなファルの心の寂しさに気付いた冥府王は楽し気に笑い声をあげた。
「あはは!そんなに寂しがることはないぞ、執事!貴様が転生した暁にはめいっぱい計らってやるからな?」
「それが唯一の楽しみですからね…大丈夫です、これから先も契約分しっかり仕えますので」
半ば諦めた様子で答えた執事に満足そうに頷く冥府王は、どこか子供染みた満足そうな笑顔を浮かべたのだった。
ニブルヘイムから帰還した先は魔法都市ゲフェンで、二人はちょうど花屋の手前にその姿を現した。
永遠の夜の都から久し振りに仰ぎ見た太陽の光に、身体は喜ぶように震えたのが分かる。
「ようやく戻れましたね!」
しかし今も曇った顔色の悪魔は心ここにあらずといった様子。
(やはりファスキー殿との別れが堪えているのですね…おや、あれは?)
自分と瓜二つの顔を持つ悪魔を案じていたセツナは花屋の軒先にてとある花を見付けると、悪魔にすこし待つようにと声を掛け迷い無くそれを購入した。
(ナル、どうして…)
セツナの言葉などほとんど届いていないゲフェニアの王は、傍らにいたはずの紺碧の色味に思いを募らせていた。
さよならの言葉すらなく姿を消してしまった彼の眷族は、もう命の気配もわずかしか感じることが出来ず、寂しさの去来する心は悪魔にとってあまりに重い。
「あの、これを…」
すっかり落としていた視界に小さな白い花が飛び込んできた。
それを差し出す同じ顔の騎士は優し気に微笑みながら、ドッペルゲンガーに語り掛けた。
「追憶、信じる恋、わたしを信じて下さい…そんな意味を持つ花です」
白く小さな花は魔法都市に流れる湖畔からの風をうけ、ゆらゆらと揺れながら紫電の瞳に映る。
「どうか信じてあげて下さい、ファスキー殿はあなたと共にいる為に転生の道を選んだのですから」
「…ああ、そうだな…」
まるで鏡の中の自分に励まされているような不思議な感覚に苦笑しつつ、悪魔は不思議そうに彼へと尋ねる。
「この花の名前は何という?」
「アスターと言います」
セツナから学んだ花の名前は心地良く耳に入り、悪魔の心に沁み渡りそれは穏やかなものとなる。
「そうか、良い名だ…」
自然と笑みが零れた様子を見たセツナも笑顔になり、アスターの花束は悪魔へと手渡された。
「私はプロンテラへと旅立ちます」
強い瞳で決別を告げた騎士にドッペルゲンガーは頷き、そびえるゲフェンタワーを見上げる。
「そうか、我も居城に戻ろう…再びゲフェンを訪れた際には寄れ、茶でも振舞ってやる」
少し元気になった悪魔は相変わらずの傲慢さで彼を歓迎すると笑み、それに安心したセツナは笑顔で「はい」と答えたのだった。