「まさか本当にソウルリンカーとして独り立ちしてるなんて、すごく驚いたよ」
「…うん…」
「衣装も似合っていていいね、ぼくとしてはプリーストの姿が印象深いからナルの違う一面が見れてうれしいなぁ」
「…うん…」
湯殿を目指して長い廊下を歩くファルは久しぶりに再会したナルの機嫌を伺うため他愛のない話で気を引こうとするが、どうにも先ほどから反応が悪い。
話をするのはファルだけで、とうのナルは死んだはずの師の顔を不思議そうに見つめ続けているのだ。
「…ナル?」
「…うん…」
ようやっとナルの生返事に気付いたファルは意識してナルと目を合わそうとするが、目が合ったとてぼんやりとした視線を寄越すだけ。
まるで夢の中にいるように呆ける彼女にとって今の自分は一瞬も見逃せぬ存在らしく、かたくなにファルへの視線を外すことはなかった。
(ちょっと!これは…!)
その様子があまりに嬉しく、ファルの表情は自然と綻ぶ。
師の笑みにようやく心が戻った様子で、ナルは頬を染めると俯いてしまった。
(なんだよもう、すっごくいい感じじゃないか!心配して損したよ!)
ファルが上機嫌となったところで、ようやく辿り着いたのは目的の湯殿であり、冥府王の執事は手慣れた様子で大きなドアを開いてくれた。
「わ、ひろい…!」
ナルの言葉通り開かれた部屋はあまりに広く、そこが脱衣をするだけの部屋であると気付くまで時間が掛かるほど、ナルにとって立派な造りの湯殿であった。
洋館に合わせた茶色を基調とした壁はモザイク画のように濃淡の小さなタイルで彩られ、椎の木で作られたこれまた大きなクローゼットが二つ、部屋の角に設けられている。
(まるで師匠と仕事で寄った、リヒタルゼンのホテルみたい…)
豪華さに呆けているナルを余所に、ファルはクローゼットからタオルを取り出し、手馴れた様子で弟子の支度を整える準備を始めた。
椎の木製のサイドテーブルには様々な色の液体が詰まった小瓶が何個も置かれており、おそらく香油なのであろうそれらは、どれもとろみある宝石のように輝きを放っている。
「湯を張ってくるね、香油はどれがいいかな…うーん…」
ファルはその小瓶達を交互に手に取りしばらく悩んでいたが、緑色の香油が入った瓶を選択するとすこし待つようにナルに告げ、ステンドグラスのような磨りガラスの嵌められた引き戸の向こう側へと姿を消す。
(お湯って言ってた…)
これから敬愛する師より世話を焼かれながら、自分は風呂に入れられるのだと改めて認識すると、それは生前の懐かしいあの頃のようで心は暖かくゆれた。
ナルはソウルリンカーの衣装を脱ぎ捨てるため、改めて今の姿を大きな鏡に写してみる。
可憐な花のような衣装は主の剣により見る影もなく、あちこちが血で茶黒く変色しており、この衣装を気に入っていたナルは残念そうに眉を下げ、特に損傷が激しい脇腹あたりに指を這わせてみると、そこでようやくある事に気付いてしまった。
「…ここ、傷と一緒になってる…」
戦いの最中、自動回復にしておいた傷は衣服を巻き込み、そのまま癒してしまっていたのだ。
水音がする浴室から出てきたファルは、鏡の前で戸惑うナルの姿に気付き、これはと思うと先に声を掛けてくれた。
「あ…ぼく、部屋の外に出てようか?」
恥ずかしがって脱がないのだと思ったのだが、それは違うというようにナルは師に向けて首を横に振った。
「違うの、あの…傷が…」
「…なに、傷だって?ぼくが見てもいいかい?」
戸惑いつつも許可してくれたナルの指し示すまま、腹部に残る痛ましい傷痕を見ればその具合にファルは顔をしかめた。
表情を曇らせた理由のおおくは傷の程度によるものでもあったが、それを与えたのがあの憎い悪魔だということがなにより気に入らなかった。
「ここ、ちょっと引っ張るよ?いいね?」
許可は頷くことで了承とされ、さっそく癒着してしまった部分を優しく引っ張ってみるがビクリともせず、ナル本人にもそれを痛がる様子すらない。
つまり傷口と一体化した服を無理に引き抜かねば治癒もままならない状態で、明らかに痛みを与える嫌な仕事にファルは向き合う勇気を出す。
「これはもう厳しいね…ぼくが治癒しながら剥がしてしまうけど、今のぼくが身体を見ても平気?」
師の言葉に裸体を晒す覚悟の出来ない弟子は押し黙り、顔を赤くすると逡巡の後にようやく口を開いてくれた。
「あ、あんまり見られると…怒られちゃうわ…?」
ここまで痛め付けられたとて、やはり彼女は主を気遣うのだ。
それが眷族ゆえなのか、ナル本来の優しさからなのか、それはファルも分からないが、ただその健気な姿に、彼女が自分の唯一の弟子であるということを誇りに思う。
ナルの気持ちを最大限に尊重し、ファルは先程外した仮面を再びつけなおす。
「これならどうかな?」
師の空色の瞳が遮断されたことで気恥ずかしさを無くしたナルは、それならばと許可をした。
ファルはブルージェムストーンを取り出し、癒しの聖域であるサンクチュアリを弟子の下に呼び出す。
「かなり痛いだろうけど…我慢してね」
布ごと引き千切られた皮膚は鋭利な切り傷とは程遠く、荒々しい痛みと艶やかな血が溢れ出す。
「お、お師匠様!ちょっと止めてほしいの…っ!」
悲鳴のような声を上げつつ、引き剥がされる激しい痛みとで、ナルは涙をこらえ一度師の手を制すとナイトの魂を身に宿した。
彼女が使った耐え忍ぶ為のインデュアにファルは驚きながら口を開く。
「…すごいね、ソウルリンカー」
予期せぬ師の称賛に、呼吸を乱しながらも誇らし気に頷いたナルは制していた手を退ける。
「続けて大丈夫?」
師の問い掛けにどこか悪いことをしてるような気持ちを感じながら、訪れる痛みをあえて受ける心持ちで応えた。
「うん、いいよ、お師匠様…」
弟子の痛みを散らす集中力が切れぬ内にと、ファルは手早く彼女を取り巻く布切れとなった服を取り去り、再び開いた傷口に回復魔法を施してゆく。
傷痕一つ残らないよう治療すれば、ナルはすっかり白い肌を取り戻すことができた。
先ほどまでの痛々しかった様子とは程遠くなった弟子の姿にファルは満足すると、その身を隠すため白いタオルを渡し、バスタブにたっぷり溜まった湯の心地良い音を確認した。
「さて、そろそろお湯も溜まったから、入ってしまおうか?」
その言葉にナルは震える。
「し、師匠も入る、の…?」
「ふふ!心配しないで?入るけど服のままだよ、湯船につかってる間に髪を整えてあげるだけさ」
そう言いながらクローゼットから鋏を取り出し、ファルはすこしだけ苦笑いを浮かべた。
安堵のため息を吐き出した弟子を浴室に誘えば、ふわりと青いリンゴの香りが二人をくすぐる。
(だいぶ意識してくれてうれしいけど、今はまだダメなんだよなぁ…)
こんな機会は二度と訪れない奇跡だと理解しつつ、ファルは心に喝を入れる。
広い浴室に響くナルの足音に続くファルの靴音は、師弟のいまの対比のようにも聞こえた。
純白のバスタブにたっぷりの湯、そして雲のような細かな泡が山となり、清めるための準備は万端。
「身体を温めている間に整えちゃうよ、ぼくに背中を見せて入ってごらん」
「うん、わかった」
素直に返事したしたナルがゆっくりと足をいれるとバスタブからは泡が溢れ、自分の為だけにとふんだんに使われた泡に視線を落としつつ、ナルは頬を染めながら冥府王の執事に背を向けた。
「はい、お願いします…お師匠様」
どこか嬉しそうに答えた弟子の返事に気を良くしたファルは、手馴れた様子でざんばらに切られた毛先に鋏を入れてゆく。
相変わらずなにをやらせても手際が良い師に幸せを感じながら、ナルは泡の山を腕に乗せてみる。
まるでクリームのような泡はゆっくりと滑らかに腕を滑り落ちると、ふたたび泡の山へと消えてゆく様は贅沢の極みのように思えた。
ナルの髪を揃えながらファルは懐かしさに心を揺らし、生前の思い出に思いを広げる。
「ぼくの生前、こうやって髪の毛を揃えてあげてたこと、覚えているかい?」
「忘れるはずなんてないよ、師匠との思い出は全部覚えてるよ!」
直ぐさま答えたナルに感謝の言葉を向けながら、ファルは共に暮らしていた頃のように彼女の髪を揃えてゆく。
「師匠も髪の毛伸びたね、色も違うし…ビックリしちゃった」
ナルの言葉に穏やかに微笑みながら、ファルは答える。
「冥府王からは死人だから色がないんだって言われたよ、目の色だけは戻してくれたんだけどね…」
師の言葉にやはり死んでいる相手なのだと再認識させられながら、ナルは無言で小さく頷く。
「ここには床屋さんないから伸ばしっぱなしで…実は短くしたいんだけどね、自分だとなかなか難しくて…」
「じゃあ、私が切ってあげる?」
ナルから上がった提案に少し驚いたが、ファルはくすりと笑うと「やめとくよ」と答えた。
きっと自分の腕前では、ファル自身が切るよりも酷い有様になると思われたのだろうと察すると否定などとても出来ず、ナルも苦笑するしかなかった。
すっかり昔のように短く揃えられた弟子の首すじに覗く、先程から目に付いてならない愛の足跡に銀髪の執事は優しく指を乗せる。
「ぼくがいなくなってからも、随分と愛されてるみたいだね…安心したよ…」
意地の悪い言い回しに、そこにあるのはゲフェニアの悪魔に組み敷かれた時の痕だとナルは気付き息をのんだ。
てっきり薄くなっただろうなどと思っていたが、ファルの目は誤魔化せなかったのだ。
「お師匠様、あの…それは…!」
ファルは取り慌てる弟子の顔に外した己の仮面を重ねると、耳元に口を寄せる。
「…それを付けてる間は別人…彼のモノじゃないナルだよ、いいね?」
そう囁くと悪魔がしたと同じように、その痕が残る場所に吸い付くような口付けを落とす。
甘い声が上がりそれだけで充分だと言うように口を離すと、弟子に預けていた仮面を外し再び自分の顔に乗せる。
「…今のは二人だけの秘密だよ?さて、そろそろ戻らないと冥府王がお待ち兼ねだ…」
湯で温まったのとは別に頬を染めたナルは、恥ずかしそうに口を手で押さえ呼吸を整えることに集中した。
すっかり綺麗になった身体をタオルで拭かれながら、ナルは気になっていた事を師に問い掛けてみる。
「あの…どうして師匠はここにいるの?輪廻の環には戻らないの?」
ファルは微笑みながらタオルを動かす手を止めず、その口を開く。
「…その質問に答えるような命は受けていないんだ、ごめんね」
やはりなにか理由があるのだろうと思ったナルは頷き、師のしてくれるままに全てを任せる。
そして、もう着る事が困難になった服の代わりにとファルが用意した服にナルは驚かされた。
「え、これを着るの…?」
戸惑う様子のナルにファルは苦笑しながら、どこか照れくさそうに頷く。
「うん…ぼくの趣味って事で、どうかここは一つお願いするよ」
どうせ着る物がないのだから選択の余地は無く、ナルは師の望むままその服に手を通す事になった。
一方その頃、すっかり冥府王の思うままとなっている悪魔と騎士は、さきほど連れ出されたナルの戻りを待ちわびていた。
ナルがファルに連れられて退室したあと、冥府王の呪縛からは解き放たれたものの冥府王より赦されず、ただ椅子に座らされるだけの事態にゲフェニアの王は不機嫌を極めている。
恨みたらしく冥府王を見やれば、彼女は愉悦極まる恍惚とした表情で彼を見下ろし、その口を開く。
「…ふむ、そんなにアレが大事か?」
「当然だ、ようやく我だけのモノにしたのだからな」
即答する姿に冥府王は再び口元を吊り上げる。
「…なるほどそうか、それは残念だ」
彼女の独り言のような答えに眉をしかめると、死の神はとうとう恐ろしい言葉を言い放つべく唇を濡らす。
「だがしかし、お前はもうじき消えてしまう…それは分かっているな?」
思い当たる節のあった悪魔は表情を曇らせると押し黙り、冥府王を紫電の瞳で強く睨み続けた。
「人間たちに永いこと弱らされ、人喰いたる悪魔が人喰いをやめた結果だ…当然わかっているだろう?」
そう、本来の彼は人の命を吸い取り、それを糧に生き続けて徘徊する墓標。
永い間、ゲフェンのトゥエラーシュ家の隔離により魂もろとも弱まっていたが、ナルにより新たな肉体を貰うことで今日までなんとか誤魔化し続けてきたのだ。
しかし彼の魂の本質は変えることは出来ず、補充のできなくなった彼の命は静かにゆっくりと、だが確実に弱り続けていたのだ。
「私がアレに魂を戻してやるから安心しろ、独りで死ねるように計らってやる」
「慈悲などいらぬ、ここまで来たからには共に往くつもりだ」
真っ直ぐな瞳で答えた悪魔にヘルは表情を曇らせる。
それは彼の傲慢さに閉口したせいでもあったが、死をもたらす神としては聞き捨てならない言葉でもあり、またそれは彼女の怒りに触れる返答でもあった。
「共に往くとは…それはまた、ずいぶんと大きく出たな?」
「我とあの娘はこうなるべくしてこうなった、ただそれだけだ」
決して折れることのない紫電の瞳に、冥府王は沸き起こる怒りを逃がそうとため息をはきだす。
「共に消えゆくとは恐れ入るぞ、ゲフェニアの王よ」
悪魔が選ぶという塵芥となる覚悟を煽るように言葉にしたが、それでも悪魔の瞳のつよさは衰える様子など微塵も感じさせぬ輝きに満ちている。
(仕組まれただけはある忌々しさだ…)
苦笑するかのような諦めともとれる笑みを浮かべた冥府王は、ドッペルゲンガーとの交渉に見切りをつけるべく選択を変えることにした。
「私が介入すれば輪廻の環に組み込める…それは私とあの執事の契約のうち一つでもあるゆえ、約束を違えることは出来ん」
冥府王の出したキーワードに悪魔はさらに睨みを利かせ、その表情をさらに険しいものへと変化させる。
「…ファルが?」
「そうだ、己に近しい者を殺める呪いを繰り返す、罪なる星の運命を持った私の執事だ」
冥府王はため息を吐き出すと更に続ける。
「これより先、転生後の星がもつ運命の永久なる書き換えと、今までの罪人としての清算、さらにあの娘の魂を書き換える為の対価だ」
それぞれを説明したヘルは大きなため息をつく。
「それをここで死の神である私に使役されるという形で支払っているのだ、あと二百年ほど掛かるにも関わらずにな…」
これにはドッペルゲンガーも驚きが隠せなかった。
「なんだと…?」
「あの娘に出会って変わってしまったのだ、お前も執事もな」
ファルの選んだ大きな選択、それは縋り続けては手放すつもりなどなかった悪魔の心とは正反対の選択。
「そしてふたたび輪廻の環に戻った暁には、巡り会えるように…とな」
「ばかな、そんな先の未来など…!」
先を見通し、遠い未来を選び続ける永遠に追いつけぬ退魔師の後ろ姿にドッペルゲンガーは目が眩む思いがした。
辛抱強いなどという言葉到底は言い表せぬ、もはや執着ともいえる志のなんと眩しいことだろうか。
冥府王が明かしたファルとの約束は自分がナルを捕らえ続けてきた時間を否定するものであり、共に消えゆくつもりであった彼はそうならぬ未来に肩を落とし顔を手で覆う。
「…我には選択の余地すらもない、と?」
「ああ、独り朽ち果てる結末しかない」
迷いなくきっぱりと告げられ、ゲフェニアの悪魔は「そうか」と呟くと口を噤んでしまった。
そのすっかり落ち込んでしまった悪魔の姿を見兼ね、今度はセツナが口を開く。
「あの…この方がファスキー殿と生きることができる未来はないのですか?」
畏怖により震えた声であったが、それでも彼は臆する気持ちを抑え声を発した。
冥府王は厳しい眼差しで勇気を振り絞ったセツナを見ると、口角を吊り上げ視線をふたたび悪魔へと移す。
「あるぞ、だがそれはとても辛い選択だな?」
息を飲むセツナを指の隙間から見た悪魔は身体を震わせる。
「アレの前で人喰いをしろ、と…そういうコトだ…」
絶望に染まった鋭い紫電の眼光に、今度はセツナが身体を震わせた。
そして冥府王からは楽し気な笑い声が上がる。
それはとても愉快な様子で、彼女は笑い終えるまでに時間を要したが、ようやく落ち着き払った頃にヘルは再び口を開いた。
「人喰いを望まぬ下僕の前で人喰いをすれば、あっという間に心は離れるだろう…それでは意味がないな?」
それこそドッペルゲンガーが怖れる事態であり、彼は頷くと瞳を閉ざす。
「…それだけは…選ぶ事は、出来ない…」
永い年月の中で、ようやっと人間の味を忘れるに至れたのに、ふたたび味わってしまえば堕ちるのは容易いと自分でも分かっている。
己の生きる本質を見せ付け、わざわざ心を離れるようにすれば目的は生き延びることただ一つとなってしまう未来に、悪魔は頭を更に抱えてしまった。
「しかし、今のままではファスキー殿と心中になるのですよね?」
「うむ、だから私があの娘の魂を分離させる必要があるのだ」
そして再び冥府王は悪魔を見下ろす。
「娘の得た魔力を吸い取り、さらには身体を弄んで繋がりを保っていた悦楽の日々も終わりだ…さあ、取り出すぞ?」
「ま、待って下さい!」
再び上がったセツナの声に冥府王は眉をしかめる。
「む、なんだ?」
気怠そうな声で答える冥府王に対し、今一度だけ勇気を振り絞ったセツナは問う。
「この結末にファスキー殿の気持ちは何処に?彼女の答えを聞いてからでも遅くはないのでは?」
その提案にヘルは目を輝かせると頬を染めた。
悪知恵の浮かんだ子供のような仕草はかえってセツナの足をすくませた。
片やそんな事など思いもしなかった冥府王は、瞳を輝かせ声高らかに彼の選択のすべてである言葉を告げる。
「そうだな、アレの選択も大事だ!」
そしてセツナに視線を向けると微笑みかけた。
「あぁ、人間はやはり素晴らしい!慈愛を持つ者よ、礼を言わねばなるまいて!」
しかし悪魔はさらに頭を痛めていた。
ナルに再び人喰いをしてもいいか等、愚問を極める問いであり、否定されるに決まっている。
きっとファルの清算の話を聞けばナルは心の全てで彼を受け入れるだろうし、彼女の魂が離れてから人喰いをして生き延びたとしても二度と巡り会える保障などない。
どうあがいたところで、すべては彼を絶望の淵へと追い詰める未来だった。
これから訪れる結果に脅えていると、冥府王から声が掛かる。
「…む、いい契約を思い付いたぞ!」
そして彼女は彼等に告げる。
「あの娘が生きる選択をするのであれば、貴様ら二人だけで火の魔神を倒してこい!それを私への忠誠の誓いと見なし、手厚い温情を掛けよう!」
「ま、魔神ですか?!」
セツナの声に冥府王は目を細めて笑う。
「ああ、無事に倒せれば人喰いなどせずに生きれるよう、私がゲフェニアの王の魂の書き換えをしてやる」
二人は死の神が何を指し示しているのか理解に苦しんでいると、すこし困ったような表情を浮かべながら冥府王は告げた。
「大きな分かれ道ゆえ、それぞれの魂の書き換えも必要なのだが…さて、分かるだろうか?」
セツナは押し黙りながらも頷いて応える。
つまりドッペルゲンガーを救うにはナルが彼と自分の関係を選択し、尚且つ、自分達は魔神という相手を倒さなければいけない。
魂の書き換えなど難しい事は分からないが、それだけ理解すると悪魔の方をちらりと見遣る。
まだ諦めの色を浮かべる悪魔にニブルヘイムで見せた凶器のような強さを重ね、確信をしたセツナは冥府王へ宣言する。
「きっとファスキー殿は選択します!彼女は強い!」
その言葉に死の神が楽し気な表情をうかべたその時、再び扉は開かれた。
「さあ、人と魔の狭間をたゆたう者が戻った…私の裁きの刻が来たぞ!」