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第9話 エーリューズニルの館

闇に漂う死の王、その姿はまるで白銀の月が地上に降り立ったような佇まいであった。
まとう白銀の鎧の輝きは目を細めたくなるほどに美しく、さらに荘厳さを引き立てるのは真白の馬で、与えられた重厚な装飾具から高貴さが伺える。
死の王が侍らせる魂たちは鎮魂歌を奏で、街の至るところから溢れ出でる彷徨う魂を呼び寄せ、それらを純白のウィスパーへと変貌させると行進へ加えてゆく。
 (なんという威圧感…!)
セツナはそう思うのが精一杯で、炎の魔剣は動けぬ彼に呼応するように炎を納めた。
一方、ドッペルゲンガーはナルの前に庇い立つと、死の王であるロードオブデスの行進を止めるべく紫電の瞳を瞬かせる。
まるでそれを待ち望んでいたように、死者の王は槍を構えた。
大きく振りかぶるその構えは、過去に人間の騎士や同胞であるバフォメットが使用するのを見たことがある。
そう、ブランディッシュスピアに間違いない。
死を司る王の槍技、まさに絶技と言わしめるであろうその御業。
槍へと込められる力と魔力、想像を絶する桁違いのそれらにゲフェニアの王の身体は震えた。
王と共に行進していた純白のウィスパーたちは王の魔力に呼応するように、その身を光の花びらのように散らし消えてゆく。
 「これは…まるで、死の渦だな…!」
ゲフェニアの主は称賛と自傷を兼ね、せめてもの抵抗として大剣を構える。
自らが痛めつけた眷族を守る、彼が選んだ道はそれだけだった。
ツヴァイハンターを地面に打ち立て、悪夢の欠片であるナイトメアの群れを呼び出し、全身全霊を以て受け止めなくては活路は見いだせない。
 (ナルが助かるならば、我が魔力の欠片などいくらでもくれてやる!)
そして死の槍は一閃の瞬きとなり放たれた。
もはやそれは、バフォメットが扱った同技の比ではなかった。
空間そのものを引き裂くような一撃、それは無数の矢の如く身に襲い掛かるとナイトメアたちを飲み込み、彼の愛用している大剣を砕いたのだ。
死の神の力を見せ付けられ、一塊の悪魔は眉をしかめるも、もはや笑みを浮かべるしかなかった。
 「ふふ…なるほど、これは勝てんな…」
無駄な消耗を諦め、ドッペルゲンガーは大剣をあらためて魔力に変換し、死の王に懇願する。
 「どうか我が眷族を見逃してくれないだろうか?」
しかしロードオブデスは槍の切っ先を迷うことなく悪魔の心の臓腑に向ける。
赦しはしない、そういうことだろう。
それでも構わずドッペルゲンガーは続ける。
 「彼女無しでは我は息も出来ぬ、だからここまで連れ戻しに来たのだ…王よ、どうか赦してくれ…」
白い槍は悪魔をゆっくり退かすと、自らの前にナルの姿を露顕させる。
すっかり顔色を悪くしたセツナはそのやり取りを見つめるだけで、動けない身体で王の槍を防ぐことなど出来なかった。
今も止まらぬ涙と痛みで身体を震わせるナルは、純白の槍が己の身を貫くのを待った。
しかし王は槍先を器用に操ると、ナルを立ち上がらせたのだ。
 「…!?」
そして、そのままゆっくり傍まで引き寄せると、あろうことか抱き上げたのだ。
その行動に驚いたナルに顔を寄せ、王は優しい声色で囁く。
 「髪を落とされてしまったんだね、可哀想に…」
王の吐息は小さなウィスパーとなり、ナルの周りを一回りした後、王の死の行進へと混じってゆく。
あまりの出来事に涙の止まったナルから視線を外し、ロードオブデスは再び悪魔を見下ろす。
 「私は冥府王の使いでしかない、審判は王が下される…まずは君たちを招待しなくてはならない」
槍の先で純白の魔方陣を地に描き、ワープポータルらしき魔法を発動させセツナを指さす。
 「人間、キミもだ」
 「わ、私も?!」
ようやく出た声は奇妙な上擦りを奏でてしまった。
隣ですっかり諦めた悪魔の表情を見ると覚悟が出来たのか、セツナは致し方無くワープポータルへ乗り込む。
それを見送ったドッペルゲンガーもため息を吐き出し、魔方陣へ足を踏み入れる。
残された王の使いはナルを今一度抱きなおし、骸骨のような仮面のまま顔を寄せ囁く。
 「大丈夫、心配しないで…冥府王が欲しいものは命ではないから」
すっかり命の回収をされるものだと思っていたナルは驚きながら、骸骨によく似た歪んだ仮面を見つめる。
 (…どこか…懐かしい声な気がする…)
彼の吐息はまた小さなウィスパーを生み出しただけで、もうそれ以上語る様子はなかった。
自分を見つめ続ける弱り切ったソウルリンカーの涙の跡を無骨に撫で、ロードオブデスは転送魔法の光の中へ向かった。



転送先は赤黒く古ぼけた洋館の前だった。
漆黒の茨で出来た門にはエーリューズニルと古い言葉で書かれ、それがこの邸宅の名だとナルはぼんやりと思う。
玄関先にはボルドー色をした長い髪の美しい女性が一人、黄金の扇子を口元に当て佇んでいた。
ナルが女性と目が合った瞬間、彼女は扇子を小気味よい音をならして閉じると、使いに命令を下す。
 「おお、それか…こちらへ寄越すがいい」
王の使いは女性の意のままにナルを下に降ろし、まるで霧のようにロードオブデスの姿を散らすと元の執事の姿を取り戻した。
女性に手を取られて瞳を覗き込まれるナルは恐怖に身体を強張らせ、その口をつよく結ぶ。
死の香を纏った長い爪で顔をなぞり、何より暗闇のような目は爛々と自分を射るように見つめる。
 「や…やめてください…」
 「なんと!鈴を鳴らすような細い声だな、執事…!」
女性の行動を見守っていた執事はオペラ仮面のまま背筋を伸ばし、待機の姿勢を取る。
 「左様でございますね、冥府王」
 「触れることができるのに魂は本当にないのだな、よくこれで声が出せるものだ…なんと儚い…」
それを見ていたドッペルゲンガーは目を背けるようにして口を開いた。
 「我が眷族だ、できれば丁重に扱って頂きたい…」
その声に興が削がれたのか、女性は闇色の目でドッペルゲンガーを見ると問う。
 「ふふ、これが眷族だと?ばかばかしい…唯一の瞬きを取り上げておいて、よく言えたものだ」
ナルを掴んだまま冥府王と呼ばれた女性はセツナを振り返ると彼に問う。
 「人間よ、彼女をなんと見受ける?短い間であったが共にいたであろう?この者はおなじ人間だと言えるか?それとも悪魔か?」
狂気染みた冥府王の問いに絶句したセツナの前に、執事が立ちはだかり助け舟を出す。
 「王、どうか落ち着き下さい、茶会の用意を致しましょう」
執事の言葉に一瞬目を見開いた女性は穏やかな笑みを浮かべると、ようやくナルを手放して頷く。
 「そうだ、その通りだな…」
そして冥府王は玄関の扉の前に立ち、彼等を振り返ると声高らかに告げる。
 「我が名はヘル、死を統べる神だ」
開かれた扉からは生温い風が生まれ、招待を受けた三人の頬を撫でた。
ヘルが屋敷へと姿を消せば、そこから拒む選択などありもしない彼等も洋館の中へと足を踏み入れるしかない。
死の神の屋敷は薄暗い廊下が続いており、まるで終わりがないように口を開けていた。
すこし怖くなったナルはセツナのマントの端を握り、一度だけ身体を震わせる。
それに気付いたセツナは彼女がそれで安心するのならと好きなようにさせ、自分を睨む悪魔とは目を合わせないよう努める事にした。
 「部屋は…そうだな…玉座がいい、私が案内しよう」
 「畏まりました、直ぐさまご用意いたします、しばしお待ちを」
執事は頭を下げると左の廊下へと姿を消した。
ヘルは楽しそうにナルを一瞥し、中央の廊下を突き進む。
それは数々の鎧が飾られた広間に出るための通路で、広間の奥には巨大な階段が待ち構えていた。
広間を抜け階段に辿り着いた一行に向けヘルが口を開く。
 「これでも神なのでな、私の玉座までは面倒な造りにしたんだ、しばらく歩くが辛抱してくれ」
洋館自体は木製なのか歩く度に独特の軋む音がして、ナルはその音に気分を沈める。
傷は癒えたものの、肌に張り付く乾いた血液が気持ちが悪く不快感を彼女にもたらす。
 「…あの…ファスキー殿、お手を貸しますか…?」
先ほどの戦いの後ゆえ案じたセツナが小声で手を差し伸べる。
しかし、悪魔の苛立つ視線に気付いたナルは首を横に振ると、笑顔で「大丈夫」と答えた。
階段を登り、ふたたび大きな扉をくぐり、また長い廊下に出る。
真っ直ぐに伸びる廊下には絵画が数点展示されているが、どれも抽象的な風景画ばかりだった。
その廊下の先にはまた扉があり、それを抜けるとようやくヘルの玉座へと辿り着くことが出来た。
広い室内、そこにはありとあらゆる石像達が飾られていた。
大小様々であるがどれも人の形で、その中でもナルは一体の像に釘付けになる。
 「あ、これ…」
見間違える筈のない男のアルケミスト像、それは父であるシフェルの姿で、思いがけない光景に身体は硬直した。
その姿に気付いたヘルは玉座に腰掛け、すこし疲れた様子で告げる。
 「お前の父親の像だよ、オーディンにそそのかされ罰され続ける、呪われた魂だ」
ヘルの言葉にナルの呼吸は静かに浅く、苦しそうに繰り返された。
「数々の悪魔を造り、私が愛でる人間たちを多く葬ったのだ…償いの歳月は私にもはや数え切れん」
その言葉で振り返ったドッペルゲンガーは不機嫌そうな顔を浮かべ、シフェルの像を睨みつけた。
 「…冥府王の趣味でもあるのでは?」
ぽつりと呟かれた悪魔の言葉にヘルは笑みを浮かべ、玉座前の円卓を指差した。
 「ふふ…まあ座れ、私の仔犬たち」
彼等が席に着いたのを見計らったように、あの銀髪の執事がカートに満載の茶菓子を乗せ姿を現す。
ようやく冥府王の目的を満たされる劇が幕を開ける。
手際良くチーズケーキを取り分けた執事は同時に紅茶も仕上がるように手を動かす。
ふわりと立ち上るダージリンの香りにヘルは目を細めナルを指差す。
 「急げ執事、私は彼女の魔力の行方が見てみたいのだ」
驚いたように自分を見たナルにヘルは微笑む。
 「何も入っていないのに満たされる、しかし減るものもあるのであろう?私はそれが知りたい」
そしてナルの前にはチーズケーキの他にチョコがたっぷり掛かったドーナツ、クランベリーの散らされたクッキー、色とりどりの飴玉が山となって盛られる。
ゲフェニアを出てからそれらしい食事をしていなかったナルにはそれが宝の山のようであり、喉から手が出るほどに欲しいと思った。
 「さあお前たち存分に食べるがいい、私の目の前でな」
 (そ、そうは言っても…!)
異界のものを口にしてはいけない。
それはナルがアコライトの頃、師から学んだ退魔師を目指す座学をした際に覚えたものだった。
 (異界に呼ばれ、そこの食べ物をたべると帰れなくなっちゃうって…)
教えはまさに今の状況であり、自分を誘う色とりどりの菓子の山は毒の山にも見えてきてしまった。
おどおどと畏縮するナルに構わず、セツナは丁寧に手を合わせ「いただきます」と言うと、早速ケーキにフォークを入れる。
ナルが俯いて主である悪魔を伺えば、紫電の瞳は真っ直ぐ自分を射抜き、彼はそうするようにと頷いてみせた。
冥府王の視線を受けながらというのは気が進まないが、ナルも意を決しフォークを手にする。
 「あ、あの…いただき、ます…」
先程のドッペルゲンガーとの戦いで口腔はまだ血の味が残るが一思いにケーキを頬張れば優しい甘みが広がり、それは身体に染み渡るように彼女を満足させる。
 「おいし…!」
思わずこぼれた言葉に執事は深く頭を下げ、すぐさま次のケーキの取り分けにかかる。
満足するまで食べられると確信し、ふたたび用意されたケーキを口に含めば幸せの波は止まることをしらない。
そんなナルを観察していた冥府王は目を細め、体内を巡る魔力の道筋に険しい表情を浮かべていた。
 (生体を維持する魔力だけが彼女に残り、それ以外は主たる悪魔に流れる仕組みか…これでは割れたグラスに永遠にワインを注ぐようなものだな…)
ナルを割れたグラスと評価した王は、今度はドッペルゲンガーを見つめる。
彼女の目にはドッペルゲンガーが混ざり合う泥のような、それこそツギハギだらけの箱に見えた。
箱のくせに流動し続け、決して一定ではない。
しかし、あの見てくれを維持するのは、眷族だという割れたグラスが望むからなのだろうと推測すると、大きくため息をはきだす。
 (どちらもオーディンに仕組まれた仮初めの命、あまりに不安定だ…)
そして悪魔の方は、いつ崩壊してもおかしく無いほど限界がちかい事も分かってしまった。
ヘルは視線を唯一この場にいる人間であるセツナへと変え、彼の魂の輝きに目を細めながら口を開く。
 「やはり人間はいいな、神に愛でられるために作られたかのようだ…」
突然の称賛に飲んでいた紅茶を零し掛けたが耐え切ったセツナは、すこし怯えた様子で「ありがとうございます」と答えた。
冥府王は再びナルに視線を戻し、ようやくある事に気付く。
 「あぁ…貴様らは見た目を気にする文化であったな、その有様では苦痛だろう?」
何を指しているのかと思えば血濡れた服と身体のことだと分かり、ナルはすこし悩みがちに頷いて応える。
冥府王は満足そうに頷き、執事に指を向けた。
 「お前も世話をしてやりたいだろう?心ゆくまでしてやるがいい」
 「かしこまりました、すぐにでも」
 「ただし、その仮面を取るのだ」
執事は頭を下げるが仮面を取る素振りは見せず、ゆっくりと口を開く。
 「お言葉ですが王、仮面を取る必要はないのでは…」
 「ならば世話などしなくていい、私は同じ言葉を言うのが好きではない」
執事の言葉を遮った冥府王の脅しに、彼は諦めた様子で銀の髪を揺らしながら仮面を取る。
その顔を見たナルは震えた。
しかし声を荒げたのはドッペルゲンガーであった。
 「貴様!どうしてここに!」
髪色を変えてこそいるが、それは悪魔がいつまでも追い付け無い退魔師の顔。
すっかり全盛の姿のファルは今一度その許可を貰うため、冥府王に頭を下げた。
 「これで彼女の世話を許して頂けますか?」
怒りで滾る悪魔を嘲笑う冥府王は、喝采の拍手を執事であるファルに送った。
 「ふふふ!よく我慢したな執事、いいぞ、許す!」
 「仰せのままに…」
信じられないといった様子で呆然とするナルに向き合い、ファルは昔そのままの笑顔を見せた。
 「やぁ、ぼくのかわいいお弟子さん、気分はどう?」
細められた空色の瞳、優しい声が紡ぐ言葉。
その全てが一致する姿にナルは震えながら口を開く。
 「本当に…?本当にお師匠様なの…?」
彼女の震える唇を人差し指でなぞり、ファルはゆるやかに微笑む。
 「そうだよ、君の師匠であり夫のファルだよ?随分と久し振りだから、忘れちゃったかい?」
相変わらずのおどけっぷりにとうとう目が覚めたナルは、それまでの堰を切ったように我を忘れて師に抱き付く。
涙に溢れる弟子を見事に抱き留め、ファルは怒りで震える悪魔に勝ち誇った笑みを見せる。
 「師匠!師匠!私、ずっと会いたかった…ッ!」
声を揺らす弟子の頭を撫でながら何度も頷き、抱き締める手に力を込める。
 「知ってるよ、ぼくだって同じ気持ちでずっと思っていたんだからね…」
ナルの震える手を握り返すと言葉はどんどん溢れてくる。
その中でもとっておきを選りすぐり、ファルは続けた。
 「ぼくの墓参りも欠かさずしてくれていたね、ずっと忘れないでいてくれてありがとう」
何度も頷く弟子の様子に、今までより恋しさがさらに積もってゆく。
額に祝福の口付けをし、優しく彼女を立ち上がらせると、その手をゆっくり引き寄せ髪を撫でた。
 「これは派手にやられたね…、ぼくが全て綺麗にしてあげる、髪も揃えようか」
 「ファル!連れてなど行かせんッ!」
いきり立った悪魔に冥府王は人差し指を向け、それをゆっくり下へと向ける。
それに対応するかのように悪魔は再び椅子に腰掛ける事になり、すっかり抵抗する力を死の神に奪われた事を彼は悟った。
それでも憎そうに冥府王を睨めば、彼女は楽しげに微笑みを浮かべた。
 「落ち着けゲフェニアの主よ、お前には話があるのだ、世話は私の信頼できる執事に任せればいい」
その言葉に舌打ちをし、悪魔はファルに言い放つ。
 「必要以上に触れるな!穢す事は許さんからな!」
しかしファルは悪魔に一瞥をくれるとナルの手を握ったまま部屋を後にしてしまった。
当人達の関係と状況の分からないセツナは、ただ大人しくケーキを頬張るだけだった。