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第7話 ジャングルを抜けて

砂漠の都市から出発したナルとセツナはニブルヘイムを目指すため、夜の街コモドを経由し、原住民の村であるウンバラを通過するルートを取ることにした。
海岸線を通れば再びオットーが生息する漁場が見えるが、昨日のこともありあの姿をしばらくは見たくないのと、ナルの不思議な戦い方を人の目から遠ざける意味でも森を抜ける道を選択した。
うっそうと茂る木々を抜ければ目の前に沼地が姿を現し、そこでセツナは遠慮がちに疑問に思っていたことを尋ねるため声を掛けた。
 「あの、ファスキー殿…?」
 「うん?どうしたの?」
セツナの後方を歩いていたナルは長い紺碧の髪を手櫛で整え、首を少しだけ傾げてみせる。
声を掛けたものの逡巡する様子をうかべたセツナだが、やはり己の好奇心には勝てそうもない。
申し訳ないような、なんとも言えない気持ちで喉に引っ掛かっていることを言葉にする。
 「追ってくるというファスキー殿の主殿とは、いったいどのような方なのですか?」
 「私の主様?」
聞き返せばセツナは頷き、その様子にナルはゲフェニアの悪魔とはどういう存在か改めて考えてみる。
もう永い間、共にゲフェニアに姿を潜めているため、その存在は語り継がれる伝説のような夢物語であり、それこそ幼い子供を怖がらせるような作り話ともなっているドッペルゲンガー。
その問い掛けは彼が想像する悪魔とナルがよく知る悪魔では大きく違う存在であり、また隠し切れない興味心は御伽噺に感化されているのであろう様子に思わず笑ってしまった。
 「言葉巧みに人間を誘って、最後はゲフェニアに連れ去るって…そう思ってるの?」
 「え、ああ…そう聞いていますので…」
なんとも愉快な噂であり、ナルはこぼれる笑みを抑えることができなかった。
 (まあ!主様ったら、本当に悪い悪魔だって思われてるのね!)
しかしこれはこれで面白そうであり、セツナの期待を崩すことなく答えるべきだと、すこし意地の悪い決意をする。
 「そうだね…自分の意見を通されることが多くて、私の気持ちなんてないように扱うときもある御方、かな…」
 「そ、それは…やはり力で押し通すということですか…?」
 「ん…たまには、そうかな…?」
喉を鳴らした様子を伺うに、言葉選びを間違ったナルのせいでゲフェニアの主は厄介かつ、非常に暴力的である印象を植え付けたようだった。
 (セツナさん、面白すぎる!)
期待通りで、ナルは手で口元を押さえ笑みを浮かべた。
決して真実よりも遠いことを言ってはいないが、言葉の全てではないことを彼は推測しきれないだろう。
そう思えば心は踊り、セツナの反応がさらに面白く見えてしまう。
 「それは…おつらい思いもなされたでしょう…」
彼からの言葉もすべてを語るには足りないものであったが、そういえば確かに過去を思い出して泣いた日もあった等と思ったナルは頷く。
 「そうだね…でも優しいよ、世界で一番私に優しくて厳しい御方」
ゲフェニアの主に会うのも遠くない未来であり、恐らくセツナと行動を共にしている間に出会う可能性が高いことを案ずれば、ナルの心は曇り空のごとく憂う。
目的が連れ戻しなのだから恐ろしい目に合うのは確実であり、なにをされるかなど予想するのが馬鹿らしい程、自分に待ち受けている地獄の未来を考えれば身体は恐れで震えた。
 「ファスキー殿…」
すっかり肩を落としてしまったソウルリンカーの様子に、セツナは素直に心が痛んだ。
彼女は今朝からこうして憂鬱そうな表情を度々浮かべていた。
昨日はじめて遭遇した彼女は明るい性格の持ち主なのが伺えたにも関わらず、そんな性格の彼女をここまで憂う気持ちにさせる彼女の主がどれほど心に根を張っているのか、心配から沸いた興味だった。
話からするに根の深い悪魔であることは間違いなく、あながち御伽噺も間違いではないのかもしれない、そう思った。
ショボくれてしまった彼女を奮い立たせる為、セツナは決意を告げる。
 「私もお力添えしますから、ふたたび戻されないようにしましょう!」
 「セツナさん…」
どこまでも真っ直ぐな騎士の言葉は心強いもので、それに応えるべく強く頷いてみせる。
 (この人と肩を並べられること、とても光栄だわ…!)
ナルの晴れやかな気持ちのごとく二人はちょうど沼地を抜け、前方には通過点であるコモドへ続く洞窟が口を開けていた。
 「この先がコモドですね!」
無事にたどり着いたことを喜ぶセツナとは対照的に、ナルの心にはふたたび不安の色が湧いていた。
 (まさか、ここまでの道のりで会えないだなんて…)
彼女が杞憂していた悪魔との出会いはなく、何事もなく夜の街へと到着が出来たことにナルは驚いていた。
この先で会う可能性があるとすれば、ウンバラまでの道くらいしか思い付かない。
ウンバラ族が信仰する世界樹イグドラシルの中は聖域化されており、邪悪な魂は祝福を受けねば神聖な道を通れないのだ。
 (魂が空っぽの私には関係のないけど…、今の主様はニブルヘイムへ行けるのかしら…)
そんな事を考えつつ抜けた洞窟の先、セツナは初めて訪れた夜の街を瞳に写し、舞い上がる花火の美しさに見惚れていた。
 「すごい…ここがコモド!」
洞窟内とは思えぬほど広大な街は永遠の夜であるかのように暗く、それを祝うかのようにあちらこちらからは花火が星の代わりに煌めいている。
偽りの夜空は大人の街であることを示し、どこか酒気を含んだ空気は潮風に彩られ誘うように香る。
きらきらと瞬く花火の美しさは幻想的に二人を照らす。
 (…私、どれだけ抵抗できるのかしら…)
花火を見ながらナルは、人間と共にいる今、果たしてどれだけあの悪魔に抗うことが出来るのだろうか、それだけを案じていた。
ドッペルゲンガーと主従となってからというもの、彼の持つ魅了の瞳は主としての支配権を得て、花嫁の足枷となった。
その魅了の瞳で射抜かれれば身体はすっかり彼の意のままであるし、魅了されてしまえばまともに戦うなど出来なさそうでナルは考えを巡らせる。
 「花火がこれ程のものとは…!感動しました!」
今も隣で花火を見上げて感動で打ち震えるセツナの姿はあまりに平和で、彼の様子にナルも自然と顔が綻ぶ。
 「うん、コモドの花火は特別キレイだもの」
ナルが次に打ちあがった真紅色の花火に視線を向けた時、ある理論が弾けた火花のように頭に浮かぶ。
 (あ、もしかして…)
その案を試すべくステアから譲り受けた漆黒のリボンを目に当て、器用に目隠しのように巻き付けてみる。
そのまま花火が上がる方向へ視線を向ければ幾重にも巻いた布地はやはり光を通さず、ナルはようやく主の瞳を封じる術を見付けたのだった。
しかも視線を遮る為、視覚以外の感覚が普段よりも鋭敏になり、まさに抗う意志の象徴のようでもある漆黒の目隠しは真理そのもの。
隣で目隠しを始めたナルに気付いたセツナは驚いたが、おそらく理由があるのだろうと目星をつけ、彼女に問う。
 「ファスキー殿、それは…一体?」
 「もしかしたら、これで勝てるかも…!」
拳を握り締めて喜びに打ち震えるナルの姿に、セツナはそれが後に控える彼女の主との戦いを示唆しているのだと見当し、力強く頷き返してくれたのだった。
コモドで軽めの休憩を済ませた二人は、すぐにコモドからウンバラがある北へと伸びる洞窟へと向かった。
セツナはもう少し花火を堪能したい素振りこそ見せたが、そこで出たナルの意見は理にかなっていたため、後ろ髪は引かれこそしたものの、決して渋ることはなかった。
ナルには陽のある内に、どうしても原住民の村へ辿り着きたい理由があったのだ。
 「昼間でも迷いやすいのに、それが夜になってしまえば、きっと抜け出せなくなるから…」
真剣な眼差しで告げたナルにセツナはただ素直に従った。
鬱蒼と茂るジャングルは広大であり、今なお整備の届かぬ未開の地。
ナルは過去になんどか通ったことはあるが、当時より植物の密度は言葉に表せないほどたかく手を焼くほど。
そして二人は今、そのジャングルに足を踏み入れているのだが、ウンバラへ続く道程にセツナは困惑していた。
道を阻む敵の攻撃は経験したことのない距離感で消耗戦を強いられ、深緑色の草むらと相違ない毒の効果を持つ触手に足は絡み取られ、鋭い棘を飛ばされ傷を負う場面もあった。
 「はい、これでもう大丈夫だよ」
 「ありがとうございます…」
傷を負う度にナルが魔法で癒してくれるが、彼は焦りを覚えていた。
明らかな足手まといは己の未熟さを示し、治癒の時間もいたずらに時間を消耗している。
 「あの…ファスキー殿…すみません、役不足なようです…」
回復魔法を受け終えたセツナが謝罪の言葉を口にすると、ナルは紺碧の髪を揺らしながらくすくすと笑った。
 「いいよ、私は平気、気にしないで!」
しかし一向に先へ進めないという事実は確かであり、このまま先陣を彼に任せ続けるのは状況的に難しいと、ナルもそう考えていた。
ナイトである彼は鎧の重量もあり、あまりに繊細すぎる植物達の攻撃を避けることが難しいのである。
確かに彼の身のこなしは素早い部類であるものの、それより先に攻撃の手を加えてくる相手にはどうにも相性が悪いように感じる。
治療を終えたナルは立ち上がり、戦闘で落ちかけていた髪を再び結い直すとセツナに告げた。
 「じゃあ、そろそろ選手交代だね!今度は私が先陣に立つから、セツナさんは後方を固めてほしいな?」
何か言いたげだったセツナに向かってナルはさも楽しそうに微笑むと、もはやそれ以上の言葉はいらないと身に魂を宿した。
彼女の両手には瞬く間に青白く光るカタールが成形され、腕を十字に構えるアサシン独特の臨戦体勢を取る。
 「アサシン、ですか?」
見事に言い当てたセツナにナルは強く頷き、ウンバラへ続く道へと身体を向ける。
 「私のお師匠様みたいにうまくやれないとは思うけど…試してみるね!」
どこか楽し気な彼女の声色に、セツナはこのソウルリンカーが何処まで近接戦闘を行うのか期待に心を震わせた。
柔らかいブーツで走り出したナルは一番近い距離にいたドリアードに狙いを定め、その根本に刃を当てるべく地面に擦れそうなほど低い体制で駆け抜ける。
 (師匠は刃で切ってなかった、きっと…こうして…!)
記憶を頼りに師が振るっていた太刀筋を真似し、わざとすこしだけ腕を動かすタイミングを遅らせてみる。
それは決して光のカタールに負担を掛ける事なく、ドリアードの根本を的確に斬り裂いた。
思った通りの出来栄えに気を良くしたナルは、溢れるドリアードの群れへと単身飛び込んでいった。



ナルの機転を利かせた活躍により、二人はとうとうフムガジャングルの先にある原住民の村、ウンバラへ辿り着くことができた。
途中、ビートルの大群に当たり、虫を嫌がるナルより先陣を変わったセツナが一掃する場面もあったが、何とか夕暮れまでに到着出来たことに二人は胸を撫で下ろす。
 「ファスキー殿はすごいですね、私の剣などなくともあれ程までに敵を蹴散らせるとは…!」
 「ただの真似っこだよ、今回はたまたま運が良かっただけ」
謙遜している様子のナルにそれ以上は触れず、セツナは村の中央にそびえる目が眩む程の大樹を見上げた。
夕焼けに照らされる大樹はとても神々しく、その樹の上で生活を営む原住民達の姿はまるで絵画のような光景。
髪を解いたナルは原住民達が守る古の森の先、世界を飲み込んでしまいそうなほど大きなイグドラシルの樹に視線を移す。
あの根本に奈落へと続く道は隠されており、その先に目指す死者の国があるのだ。
 (みんな、私…またここまで来たよ…)
ステア達ともファルとも通った懐かしい記憶に心を浸したナルは、その胸に針のような傷みを感じた。
悪魔の手を取り共に歩んできたのに今になってその手を振り解き、指標を探すとはなんと酷い仕打ちを彼にしたのだろうと罪悪感が込み上げてくる。
決して彼との道が不満な訳ではない。
しかしスタージュエルを手にすれば、彼以外にも生きる意味が見つかりそうな気がして心が揺れたのだ。
求める心を忘れた怠惰な身体は人らしい探究心を思い出したことに喜び打ち震え、自分が動き出したことで悪魔も動き出すことを何処か嬉しく思う。
 (…主様、まだ追い掛けてこないのかしら?)
心の何処かで普段とは違う、あの出会った頃のような鬼神のような悪魔を求めながらナルはセツナのマントを引く。
呼ばれたことに気付いたセツナが振り向くと、ナルは原住民達が起こしている焚き火を指差した。
 「ここ、言葉が通じないから、あそこの火だけ借りてくるね」
二人は簡易な松明を現地の男性から身振り手振りで譲り受け、村内に流れる川の近くに夜を迎える為の焚き火を用意した。
コモドに寄った際に買った干し肉を持ってきていたので、それで凌ごうと半分に引き千切ると火にくべて温める。
急いで食べては勿体無いと思い、少し塩味のキツい硬い乾燥肉を何度も噛みしめた。
 「ここで夜を過ごすのですか?」
セツナからの問いにナルは首を横に振り、まだ味の残る干し肉を飲み込むと口を開いた。
 「夜にはニブルヘイムに入りたいから、もう少ししたら出発するよ」
 「随分急ぐんですね、やはりなにか理由が…?」
心配そうな表情を浮かべるセツナに向かってナルは苦笑する。
 「本当に追ってきてるのなら、私もあの人も人里から離れた場所の方が都合がいいんだよね…」
少し言葉を濁した様子に、彼女の主が人ではないということをふたたび思い出す。
それはつまり周囲を巻き込むほどの戦いを案じさせる言葉で、セツナは静かに頷いた。
 「私の二度と無い賭けなの、主様と自分の運命を試す為の…」
秘めた想いにセツナはもう一度だけ頷く。
 「わかりました、では急ぎましょう…!」
残っていた干し肉を堪能した二人は、ニブルヘイムに向けウンバラを後にした。